世界という名の三つの宝石箱   作:ひよこ饅頭

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今回はエルフの前線軍のお話です。
そして今回はニグンさんが大活躍します!
どうぞお楽しみください!(笑)
また、今回は少し刺激の強い描写がありますので、苦手な方はご注意ください。


第63話 裏側

 エイヴァーシャー大森林にある森妖精(エルフ)軍前線基地。

 色鮮やかな天幕が立ち並ぶ基地内では先ほどから多くのエルフたちが忙しなく声を張り上げ駆けまわり、何とも騒がしい様相を呈していた。

 敵国である法国の軍が迫ってきている真っ最中なのだから、この騒々しさは仕方がないことであると言えるだろう。

 エルフたちは準備が出来次第次々と戦場である前線へと飛び出していっており、基地に残る負傷者たちは苦痛の表情を浮かべながらも戦場に向かう者たちの準備を手伝っていた。

 まるで蜂の巣を突いたような騒々しさの中、しかし一つの天幕の中だけは穏やかな静寂に包まれていた。

 目に鮮やかな緑色の天幕の中にいたのは、アウラとコキュートスとニグン。

 彼らは〈転移門(ゲート)〉を使って椅子やら巨大なテーブルやらナザリックの紋章が刺繍された旗やらアイテムやらを次々と持ち運んでは天幕の中を彩っていた。

 因みにそれまで天幕内にあった家具などは天幕の隅の方に全て追いやられてしまっている。

 しかしアウラたちはそれを一切気にすることなく、自分たちの思う通りに天幕内を整えて最後には満足の息を大きく吐き出した。

 

「よし! 準備オッケー! そろそろあっちも始まる頃かな? 早速お仕事に取り掛かろっか」

 

 アウラは満面の笑みを浮かべると、深く椅子に腰掛けてパンッと両手を打ち合わせる。コキュートスも自身の席に着く中、ニグンがアウラの指示に従って巨大な鏡をアウラとコキュートスの正面にあるテーブルの上に移動させた。

 テーブルの上の宙に低空浮遊しているのは“遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモート・ビューイング)”。

 至高の主たちから借り受けた貴重なアイテムを前に、アウラとコキュートスは自然と背筋を真っ直ぐに伸ばした。

 

「……さてと、それじゃあ様子を見てみよっか!」

 

 ニグンが控えるように自分たちの背後に移動するのを確認してから、アウラはそっと鏡へ手を伸ばす。

 瞬間、鏡面が淡い光を宿して徐々にこの場とは異なる光景を映し出し始めた。

 現れたのは深い森の中の光景。

 軽鎧を身に纏ったエルフたちが緊張の表情を浮かべてそれぞれの得物を握りしめており、彼らの視線の先には白銀に輝く異様な軍勢が対峙するように立っていた。

 彼らは鎧を着ている者もいれば裾の長いローブを身に纏っている者もいる。決して統一されている訳ではない服装は、しかしその色合いだけは全て統一されて同じだった。

 彼らが身に纏っているものは全てが純白。

 緑生い茂る森の中ではその色はあまりにも不自然で、彼らを見る者の目には異様なもののように映った。加えて彼らの異様さを更に際立たせる存在が彼らの頭上に浮かんでいた。

 長い裾をユラユラと揺らめかせながら浮かんでいるのは大量の天使の群れ。

 その多くが巨大な黄金色の盾を持ったモノや炎の剣を持ったモノで占められており、しかしよく見ればその他にも違う種類の天使が幾体か群れの至る所に浮かんでいた。

 

「……天使の軍勢……。……うへぇ~、あんなにウジャウジャいると流石に気持ち悪くなってきちゃう」

「フム……、守護ノ天使(エンジェル・ガーディアン)炎ノ上位天使(アークエンジェル・フレイム)カ……。他ニモ幾体カ違ウ天使ガ召喚サレテイルヨウダナ」

「そうみたいだね。でも、そうは言っても全体的にレベル低いし、これなら普通に勝てるんじゃない?」

「いえ、アウラ様、それは些か早計かと。あれらの天使のレベルでも、通常は脅威の分類に入ります。それもこの数を相手にするとなると、エルフたちだけでは少々荷が勝ち過ぎているやもしれません」

「まぁ、数はすごいよね。数の暴力って奴?」

 

 明るい口調で小さく首を傾げるアウラに、ニグンは無言のまま苦笑を浮かべる。

 コキュートスも無言のまま小さく頷いており、この天幕の中だけが変わらぬ和やかな空気を漂わせていた。

 

「でも私たちの今回のお仕事はエルフたちの実力を見極めることだし、ここは大人しく観戦させてもらおっか」

 

 危機的状況にあるエルフたちにとって、このアウラの判断は怒りをも湧き上がらせるものだろう。しかし幸いなことにこの場にはエルフは誰一人おらず、またコキュートスやニグンにとってはアウラの判断は当然のものだったため反論の言葉は何一つ発せられることはなかった。

 彼らの視線の先にある鏡面では、厳しい表情を浮かべたエルフたちが着々と戦闘準備を進めている。

 剣を持つエルフたちが先頭に立ち並び、その後ろに弓矢を構えた者たちが、更にその後ろにローブを身に纏った者たちが控えるように立つ。ローブを身に纏っている者たちの中にはルーチェとシャルの姿もあり、アウラたちは自然と彼らに目を向けた。

 

「……あの二人は見つけたけど、ノワール・ジェナ=ドルケンハイトって名乗ってた女の人がいないね。どこにいるんだろう?」

「恐らくどこかに潜んでいるのでしょう。確かあの女は隠密部隊の隊長だという話でしたので」

「軍ト軍トノ戦イカ……。個ト個トノ戦イモ見テミタクハアルガ、軍ト軍トノ戦イモ実ニ興味深イ……!」

「コキュートスってホントそういうのが好きだよね。あたしはあんまり興味ないけどな~」

 

 興奮にかフシューっと勢いよく冷気を吐き出すコキュートスに、アウラは少々呆れた表情を向ける。すぐに鏡面の方に目を戻したものの、しかしそのオッドアイには見るからに退屈そうな色が浮かんでいた。

 実際、アウラは退屈で仕方がなかった。

 勿論今回の任務は至高の主から賜った大切な仕事であり、アウラとて一切手を抜くつもりもなければ疎かにするつもりも欠片もない。しかしエルフや法国に対して個人的な興味があるかと問われれば全くと言っていいほどないわけで、彼らが今どういった状況で、何をしようとしていて、これからどうなっていくかなど、アウラにとってはひどくどうでもいいことだった。コキュートスのように戦闘自体に興味があればまだ少しは意識も変わったのかもしれないが、あいにくアウラはそういった面も全く興味の対象外だった。これがエルフか法国のどちらかが至高の主であればアウラとて一気にテンションが上がるのだが、ナザリック外の存在など論外だ。

 早く終わらないかな~……と内心で呟く中、漸く鏡面の中でエルフ軍と法国軍が行動を開始した。

 エルフ軍は前衛も後衛も一丸となり、法国軍に向けて攻撃を始めている。しかし対する法国軍で動いたのは上空を漂っていた天使たちのみ。他の面々は天使とエルフ軍の戦闘を高みの見物しており、時折魔法詠唱者(マジックキャスター)だと思われる者のみが都度天使を召喚するだけで、それ以外は微動だにしていなかった。エルフたちも何とか本隊の方にダメージを与えようと弓矢や魔法を駆使して攻撃してはいるのだが、しかしそれらは全て天使たちに阻まれて本隊に届くことはなかった。

 見るからに分かる圧倒的な戦力差と物量の差。

 予想以上の苦戦ぶりにアウラは知らず眉間に皺を寄せていた。

 

「……はっきり言って、ちゃんとした戦いにもなってないんだけど。これで本当に大丈夫なの? 今まで持ち堪えられてたのが嘘みたい」

「恐らく法国側も戦闘を重ねるに従って本腰を入れ始めているのでしょう」

「フム、エルフタチニトッテハ非常ニ厳シイ状況ダナ。レベルガ拮抗シテイル場合、ドウシテモ物量ガモノヲ言ウヨウニナル」

「う~ん、役割をもっと分担すればいいんじゃない? 例えば天使たちの相手は前衛部隊に任せて、後衛部隊は迂回して法国軍の本隊の背後を攻める、とか」

「イヤ、ソレハムシロ悪手ダ。天使タチノ数ハエルフ軍トホボ同等。更ニ天使側ハ減ッタ傍カラ新シイ天使ガ召喚サレテイル。ココデ役割分担ヲ行ッテ天使タチヘノ“壁”ヲ減ラシタ場合、一気ニ突キ崩サレル危険性ガアル」

「一部でも突き崩されれば、エルフ軍は体勢を立て直す前に崩壊するかもしれません」

「え~、ピンチじゃん」

 

 コキュートスとニグンの言葉に、アウラはどうしようもなく眉を八の字に垂れ下げた。

 正直に言って、アウラとしてはエルフたちがどうなろうと知ったことではないしどうでも良い。しかしペロロンチーノがエルフたちにある一定の利用価値を見出した以上、このまま見殺しにする訳にはいかなかった。

 

「……う~ん、でもなぁ~」

 

 アウラは鏡面の戦いを見つめながら、可愛らしく小さく唇を尖らせて唸り声を零した。

 エルフたちを見殺しにすることはできないが、かといってすぐに助けの手を差し出すわけにもいかない。なんせ今回アウラたちがペロロンチーノに命じられたのはエルフたちの力を見極めることなのだ。彼らの力をきちんとこの目で見る前に手を貸しては、力を見極めることなどできようはずもない。

 う~ん、う~ん……と唸り続けるアウラに、まるで見かねたかのようにコキュートスが蒼穹の複眼をこちらに向けてきた。

 

「アウラ、手助ケスルベキカドウカ迷ッテイルノカ?」

「うん、正直まだあの人たちの力を見極めたとは言い難い状況でしょう? それなのに力を貸してもいいのかな~って……。勿論全滅しちゃうのは問題だけどさ、でも今手を貸すのも早すぎるような気がするし……」

「確カニ……。デハモウ少シ様子ヲ見テ、本当ニマズソウデアレバ最小限ノ手助ケヲスレバイイノデハナイカ?」

「最小限の手助けって……、例えば?」

「ソウダナ。例エバアウラノ配下ノ魔獣……ソレモデキルダケレベルノ低イモノノミヲ手助ケニ当タラセル。或イハニグンヲ手助ケスルモノノ中ニ加エルノモ良イカモシレナイナ」

「っ!!? わ、私ですか……!?」

 

 まさかここで自分の名前が出てくるとは思っていなかったのだろう、ニグンから素っ頓狂な声が飛び出てくる。

 しかしアウラはコキュートスの狙いに気が付いて大きく頷いた。

 

「それは良いかも! ニグンならあいつらとレベル的にも近いし、エルフだけじゃなく法国のレベルや戦闘能力のデータも詳しいのが取れそうだよね!」

 

 アウラたちの今回の仕事の最優先事項はエルフたちの実力を測ることだ。しかしそれに加えて法国の情報も得られれば勿論それに越したことはない。アウラやコキュートス、そして彼らのシモベたちによってはレベル差があり過ぎて正確な情報把握は難しいかもしれないが、ニグンであればその辺りも丁度良いだろう。

 コキュートスからの名案に満面の笑みを浮かべて頷く中、不意に鏡面の戦場に新たな変化が起きたことに気が付いてアウラは反射的にそちらに目を向けた。

 鏡面に映っているのは、相も変わらず天使と戦っているエルフたちの姿。

 しかし、今まで高みの見物を決め込んでいた法国軍の本隊が俄かに騒めいて大きな動きを見せていた。

 彼らの意識の先にいたのは、今まで姿をくらませていたノワールと、彼女が率いている漆黒の部隊。

 隙を伺いながら背後に回り込んでいたのであろう彼女の部隊は、法国軍が前方に気を取られているのを見計らって背後から襲いかかったようだった。

 

「おっ、奇襲だ。まぁ、これくらいはしないとね」

「……ですが、やはり些か攻撃力が足りないようです。今は法国軍も混乱しているようですが、体勢を立て直されてはまた不利な状況になるかもしれません」

 

 ニグンの指摘通り、法国軍は未だ足並みを乱れさせてはいるものの、既に体勢を立て直し始めている。後衛部隊を軍の中心に移動させ、前方と後方に前衛部隊を配置してそれぞれのエルフ軍と対峙し始めていた。加えて前線に群がっていた天使の一部が後方に移動し、ノワールたちの対処に向かってくる。

 法国軍の冷静な判断と迅速な行動は流石と言う他ないだろう。

 法国軍を挟み撃ちにした状態と、前線の天使たちを分断させることはできたものの、それでも未だ全体的に見れば法国軍の優勢は揺るぎないように思われた。

 

「う~ん、やっぱり駄目か……」

「ダガ、暫クハ持チ堪エルコトガ出来ソウダナ。モウ少シ見極メル時間ヲ得ラレソウダ」

「種族的に考えれば、人間よりもエルフの方が生まれながらの体力や持久力は高いはず。恐らくこのままの状況が長く続けばエルフたちにも光明が見えてくるかもしれませんが……」

「フム……、法国軍ガソレマデ大人シクシテイルトモ思エナイナ」

「はい、仰る通りかと」

 

 コキュートスの指摘にニグンが大きく頷く。

 アウラは彼らの会話に耳を傾けながら、じっと大きなオッドアイを鏡面に向け続けていた。

 エルフたちがいつまで耐えられるかは分からない。或いはその前に何かしらの変化が再び起こるかもしれない。しかしいずれにしても、いつかは自分たちの助けが必要になることだけは分かりきっていた。であるならば、そのタイミングをしっかりと見極める必要があった。

 膠着状態の戦況をつぶさに観察し、エルフ軍と法国軍両方の様子を注意深く窺う。

 そんな中、不意に見覚えのない影が見えたような気がしてアウラは思わずオッドアイの両目をぱちくりと瞬かせた。

 

「……ん……?」

「ドウシタ、アウラ?」

「如何いたしましたか、アウラ様?」

 

 アウラが声を零したことで、コキュートスとニグンがこちらへと意識を向けてくる。

 瞬間、ノワールが率いているエルフの部隊が端から大きく乱れた。

 驚愕の表情を浮かべているノワールと、その周辺のエルフたち。

 アウラたちも鏡面に顔を近づけて凝視する中、エルフ軍の端に更なる部隊がいつの間にか姿を現していた。

 

「あれは……、……火滅聖典……!?」

 

 アウラとコキュートスの後ろから鏡面を覗き込んでいたニグンが大きく息を呑む。

 見るからに驚愕している様子のニグンに、アウラは鏡面から視線を外してニグンを振り返った。

 

「火滅聖典? 知ってるやつら?」

 

 小さく首を傾げながら問いかければ、ニグンは驚愕から神妙なものへと表情を変えて深く大きく頷いてきた。

 

「……はい、私が人間だった頃に所属していた六色聖典という組織の内の一つです。六色聖典はその名の通り六つの部隊によって構成されている組織なのですが、あれはその内の一つで火滅聖典と呼ばれている部隊です」

「……ああ、そういえばあんたって元々は人間だったっけ。火滅聖典ってどんな奴らなわけ? あんたがいた部隊とは違うんだよね?」

「はい。私が所属していたのは陽光聖典と呼ばれる部隊で、六色聖典の中では主に亜人などの集落の殲滅などを担当しておりました。今鏡面に映っている火滅聖典は、主に暗殺やゲリラ戦などを得意とする部隊です」

「ふ~ん、暗殺やゲリラ戦……。……にしては、堂々と出て来ちゃってるけど?」

「得意分野があるからと言って、それ以外が全て不得意であるとは限りません。特に火滅と陽光と漆黒と土盾の四つの部隊は戦闘に特化した部隊です」

「なるほどね~。……確か漆黒聖典はペロロンチーノ様に殲滅されちゃったんだっけ。土盾聖典はここに来てるのかな……。残りの二つの聖典は戦闘には特化してないの?」

「土盾聖典は防御面に特化した部隊ですので、恐らく法国の神都にいるかと。また残り二つの部隊、風花と水明は諜報活動に特化した部隊ですので、恐らくこの場にはいないかと思われます」

「ふむふむ、ということは今のところエルフたちにとって最大の脅威になるのはあの火滅聖典だけってことね。まぁ、見る限りではあたしたちにとってはザコ以外の何ものでもなさそうだけど」

 

 アウラのあっけらかんとした言葉に、ニグンが苦笑を浮かべてくる。

 その間にも鏡面での戦況は着々と進んで変わっており、エルフ軍は新たな脅威の出現にすっかり混乱してしまっているようだった。

 流石は暗殺特化でゲリラ戦が得意なことはあるのだろう、火滅聖典はいつの間にかエルフたちの混乱に乗じて姿を消しており、元々の法国軍と天使たちがエルフたちへと襲いかかっていた。火滅聖典も完全にいなくなったわけでは決してなく、至る所で姿を現しては攻撃し、また姿を消し、また違うところに現れては攻撃して……というのを繰り返しているようだった。エルフ軍の方はノワールやルーチェやシャルなどが声を張り上げて何とか体勢を立て直そうとしているようだったが、混乱が大き過ぎてなかなか上手くいっていないようだ。

 完全に混乱しきっているエルフ軍の様子に、アウラは軽く肩を竦めてコキュートスとニグンを振り返った。

 

「……この辺りが限界かな。そろそろ手助けしてあげよっか」

「ソウダナ。コノママ全滅シテシマッテハ意味ガナイ」

「取り敢えず、さっきコキュートスが言ってくれた通りにウチの子たちとニグンで対処していこっか。ニグンには主に火滅聖典の相手をしてもらおうと思ってるんだけど、できる?」

「はっ、畏まりました」

「ダガ、私ガ提案ヲシテオイテナンダガ、コノママニグンヲ出スト問題ニナルノデハナイカ? 特ニ火滅聖典トハ元同僚……ツマリ顔見知リナノダロウ? ニグンガ生キテイルコトヤ、コチラ側ニイルコトガバレテシマウ可能性ガアルガ……」

「あっ、そっか……。でも、別にニグンがこっちにいることがバレても大した問題にはならないんじゃない? 『行方不明になっていた陽光聖典の隊長が敵側に寝返っていた!』なんて、逆に面白い感じになりそうだけど」

 

 悪戯気な笑みを浮かべるアウラはどこまでもあっけらかんとしている。

 しかしニグンは再び苦笑を浮かべると、次には緩く頭を振ってきた。

 

「いえ、そうはならないかと思います」

「どうして?」

「六色聖典は非合法的な……つまり表には出せないような内容の任務を主に熟す、いわば秘密工作部隊群です。『“聖典”という組織があるらしい』という情報くらいは法国を問わず他国にも流れていますが、逆にそれ以上のことを知っているのは本当に限られた者たちのみ。例え同じ法国の軍人と言えど、“聖典”の存在すら噂程度にしか知らないという者が殆どです」

「つまり普通の軍人や兵士であれば、ニグンに気が付くことはないってこと? でも、火滅聖典は気が付くでしょう?」

「いえ、それも可能性は低いかと思われます。六色聖典は基本的に他の聖典とは一切接点を持ちません。同じ聖典の者同士でも互いに素顔を知らない者が殆どです。私は隊長という立場でしたので、ある程度他の聖典についても装備や人物などを見知ってはいましたが、隊長クラスではない一般の者であれば、例え相手が隊長クラスであっても他の聖典の者であれば気が付く可能性は低いかと思われます」

「なるほど……。だから逆にあの時、あんたはペロロンチーノ様が殲滅したのが漆黒聖典だって分かったわけか……」

「はい。まぁ、漆黒聖典の場合は、私が隊長であること以外にも、彼らが特殊な部隊で人数も極端に少ないということもありましたが……」

 

 苦笑を深めながら説明するニグンに、アウラは顎に指を添えながら少しの間思考を巡らす。その後一つ頷くと、改めてコキュートスとニグンに目を向けた。

 

「分かった。じゃあ、このままニグンを出しても問題ないって判断するね。でもまぁ、どちらにしろあんただけであの火滅聖典全員を相手するのは流石にキツいかもしれないから、ウチの子たちの中から何体かつけてあげるよ。あと、火滅聖典の隊長と対峙する時は念のため顔を隠すか、情報が洩れる前に始末して」

「畏まりました。お心遣いに感謝します、アウラ様」

 

 アウラの指示に従い、ニグンが片膝をついて深々と頭を垂れる。

 それにアウラは一つ頷くと、配下の魔獣たちを呼び寄せるために椅子から勢いよく立ち上がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 荒々しく鳴り響く草葉の擦れる音を塗り潰すかのように、大きな息遣いの音が口から何度も零れ出る。

 黒風(こくふう)第二部隊に所属しているエルフ――メリサ・ルノ=プールは大きな茂みの奥に駆け込むと、そのまま荒い呼吸を繰り返す口を両手で覆って必死に華奢な身体を縮み込ませた。膝をたてて足を縦に折り畳み、膝に顔を押し付けながらも目だけは出して前方を注意深く凝視する。

 首元で切り揃えている淡いはちみつ色の髪が前に垂れ下がってきて鬱陶しくて仕方がない。しかし髪を払いのける動作一つすら恐怖のあまりすることができず、メリサは必死に呼吸を抑えながら耳をそばだてて周囲の気配を探っていた。

 先ほどの光景がフラッシュバックのように脳裏に蘇り、全身が小刻みに震えて止まらない。込み上げてくる恐怖に嗚咽が零れそうになり、咄嗟に唇を噛み締めて無理矢理喉の奥へと抑え込んだ。

 脳裏に浮かぶのは混乱しきった戦場。

 天使の群れに苦戦する味方を囮とし、勝つために奇襲をしたのは自分たちのはずだった。

 実際奇襲は成功し、第一部隊の隊長であるノワール・ジェナ=ドルケンハイトの指示のもと、法国軍を大きく乱れさせることが出来ていたのだ。

 しかし気が付けば食いつかれていたのはこちらの方だった。

 どこからともなく突然現れた見慣れぬ軍勢。容赦なくこちらの横腹に食らいついてきて、そのまま一気に混乱の中へと突き落とされた。

 メリサは第二部隊の所属で割と中心に近い位置に配置されていたため、最初は何が起こったのか分からず焦りばかり感じていた。

 そして何が起こったのか漸く理解した時には全てが遅かった……。

 突然姿を現しては仲間たちを殺し、再びどこかに消え失せる影に、メリサは勿論のこと多くのエルフたちが大きな恐怖と混乱に襲われた。上官の指示も声も耳には届かず、メリサは気が付けば我武者羅に走って逃げていた。まるで怒号や悲鳴や戦闘音に急き立てられるように、衝動のままに戦場を駆け抜けていた。そしてこの茂みの影に飛び込み、今もまだ恐怖のあまり身を縮み込ませて必死に身を隠している。

 自身に対しての情けなさが込み上げてきて、視界が大きく潤んで歪んだ。

 しかし、それと同時に湧き上がってくる恐怖に負けてどうしても茂みの中から出ることができなかった。出ようとする度に『もしかしたらあの恐ろしい人間たちが今まさに目の前に現れるかもしれない』という考えが頭を過り、途端に身体が硬直して身動ぎすらもままならなくなってしまう。

 しかし、ずっとこのままこの場所で身を潜めているわけにもいかない。

 メリサは口を覆っていた両手をゆっくりゆっくり離して下ろすと、未だ息を潜めながら注意深く周囲に視線を何度も走らせた。必死に耳をそばだたせ、周囲に誰もいないかと気配を探る。ドッドッと大きく激しく鼓動する胸を必死に押さえながら、何度も何度も心の中で自身を励ましてメリサは漸く恐々と茂みの中からゆっくりと這い出ていった。屈み込んでいた状態からゆっくりと立ち上がり、忙しなく周囲を見渡す。

 仲間たちはどこだろうかと何度も視線を走らせる中、不意に背後から微かな音が聞こえてきてメリサはビクッと大きく肩を跳ねさせた。

 半ば反射的に勢いよく背後を振り返る。

 そして視界に飛び込んできた存在に、メリサは驚愕と恐怖に大きく目を見開かせて思考を停止させた。

 

「………あ……、……ぁあ……っ……」

 

 口からは意味のない声だけが零れ落ち、次には恐怖のあまり全身から力が抜ける。そのまま尻もちをついて地面に座り込みながら、しかしヘーゼルグリーンの目だけは音の発生源に釘付けとなって一切離れることがなかった。

 メリサの視線の先にいたのは白銀の鎧を身に纏った三人の人間たち。一見騎士にも見える彼らは、しかし鎧の上に純白のローブを纏い、その姿は自分たちを混乱と恐怖に突き落とした恐ろしい軍勢の者の姿と全く同じだった。

 遂に目の前に現れてしまった恐ろしい存在に、知らず再び目に涙が溢れてくる。恐怖のあまり全身が大きく震え、歯もガチガチと音を鳴らしてしまいそうだった。

 三人の人間は怯えているメリサの様子など一切気にする素振りも見せず、ゆっくりとした足取りでこちらに歩み寄ってくる。

 人間たちとの距離が目と鼻の先にまで近づき、思わず瞼をきつく閉じた。

 その時……――

 

 

 

 

 

「――……はぁ、漸く残りを見つけたか。確かこれで最後のはずだが……。やはり索敵能力についてはもっと鍛えていかなければならないな」

 

 不意に鼓膜を震わせてきた聞き覚えのない声。

 聞こえてきた方向も前方ではなく後方で、メリサは思わず閉じていた目をゆっくりと開いた。

 目の前には変わらず恐ろしい三人の人間たちが立っている。

 しかし彼らが自分の背後を見つめていることに気が付いて、メリサは恐る恐る後ろを振り返った。

 

「……っ……!!?」

 

 瞬間、視界に飛び込んできた存在にメリサは思わず大きく息を呑んだ。咄嗟に悲鳴を上げようと口が大きく開き、しかし恐怖のあまり喉が凍り付いて音にすらならない。三人の人間たちに対して抱いていたものよりも大きな恐怖が今メリサの全てを覆い尽くしていた。

 メリサの背後にいたのは二つの存在。

 一方は青黒いネズミのような魔獣。

 しかしその大きさは普通のネズミとは雲泥の差で、体高は大体60cmくらいだろうか。巨体を覆っているのは針のような長い毛で、しかし腕や手、足、そして平べったく巨大な尾のみが鎧のような鱗に覆われていた。大きな顔や体躯に反して小振りな口元からは二本の前歯がまるで牙のような凶暴さで姿を現しており、前足近くにまで長く伸びている。口と同じく小さな目は白目の見えない黒色で、つぶらな瞳がじっと三人の人間に向けられていた。

 そして魔獣の横に立っているのは、一見人間のようにも見える一人の白色の男。

 頬から顎にかけて大きく走る一本の傷跡と、後ろに綺麗に撫でつけられた金色の短い髪。眉間に深い皺を寄せて厳めしい表情を浮かべているその顔は人間そのものだというのに、しかし至る所に人間ではありえない色彩や物体が存在していた。

 まず一番に目が向かうのは、両こめかみ部分から生えている二本の角。まるで牙のような乳白色の光沢を宿した角は全体的に細長く、まるで頭の形に添うようにして後頭部の方へと伸びている。

 そして次に目が向かうのは、人間やエルフではありえない色彩と瞳孔を宿した鋭い双眸。縦に伸びた瞳孔を宿した瞳は血のような深紅色で、その周りを彩っている白目部分は白ではなく黒色をしていた。

 他にもエルフのように細長く伸びて尖った耳や、唇の隙間から覗く鋭い牙。

 突然魔獣と共に現れた男を呆然と眺めながら、ふと一つの存在が頭に浮かんできた。

 

(………悪魔………?)

 

 自分の頭の中に浮かんできた存在の名前に、メリサは大きく心臓を跳ねさせる。

 それはエイヴァーシャー大森林にはいないはずの存在だった。メリサ自身、人間よりも遥かに長く生きてはきたが一度も遭遇したことはない。何故ここに悪魔がいるのか分からず、頭の中で大きな混乱が激しく渦を巻いた。

 しかし悪魔もネズミのような魔獣もメリサには一切目もくれず、ただ真っ直ぐに三人の人間たちだけを見つめていた。

 

「……ふむ、しかし我がことながら、まさか一人でここまでできるようになっているとは思ってもみなかったな。これも全て至高の御方のお導きと御慈悲によるものなのだろう」

「「「……………………」」」

「さて、お前たちには悪いがここで死んでもらう。心配せずともお前たち以外の火滅聖典の者たちは既に全てこの世を去っている。安心してこの世に別れを告げると良い」

「「「……っ……!!?」」」

 

 悪魔の淡々とした言葉に、三人の人間たちが大きく息を呑む音が聞こえてくる。未だ呆然としながら悪魔と人間たちを見つめているメリサもまた、悪魔の言っていることが信じられなかった。

 悪魔の先ほどの口振りからして、恐らくこの三人の人間たちの部隊……つまりあの恐ろしい人間たちの集団が“火滅聖典”と呼ばれる部隊なのだろう。しかしその部隊が既に壊滅寸前となっているというのは一体どういうことなのか。しかも先ほどの口振りからして、この悪魔が一人で火滅聖典とやらを壊滅した様に聞こえた。悪魔という種族は非常に強力で凶悪な存在であると聞いたことはあるが、それでもあの恐ろしい集団をたった一人で壊滅することができるなどとはとても信じられなかった。

 それとも悪魔は傍らにいる魔獣の他にも多くの仲間がいるのだろうか……。

 地べたに座り込んだ状態のまま、悪魔と魔獣と三人の人間たちに何度も視線を巡らせる。

 しかしそこでふと、メリサは自分が今とんでもなく危険な場所にいることに気が付いた。

 自分が今座り込んでいるのは悪魔と魔獣と三人の人間たちに挟まれているような位置。三人の人間たちは既にメリサに構っている場合ではなく、悪魔と魔獣に至っては端から眼中になさそうだ。しかしもしずっとこのままこの場所に座り込んでいたなら、いつ始まるかも分からない彼らの争いに巻き込まれることは確実だった。そして争いに巻き込まれた場合、非常に高い確率で死ぬことは目に見えている。

 メリサは再び大きく早くなり始めた自身の鼓動を感じながら、いつでもこの場を離脱できるように両足にそっと力を込めようとした。

 しかしどんなに両足に意識を集中させても、力が入る気配する感じられない。

 恐怖のあまり腰が抜けて暫く時間が経っているというのに、未だに言うことを聞かない身体にメリサは再び泣きそうになった。兵士であるという自覚と誇りが粉々になると同時に、大きな情けなさが再び込み上げてくる。

 しかし今は何よりこの場から離れなければ命が危ない。

 メリサは何とか移動しようと、そっと両手を身体の両脇の地面に押し当てた。注意を引かないように息すら殺しながら、慎重に掌で地面を押してじりじりと地面の上を這うように移動を始める。

 少しずつではあるが確実に場所を移動しているメリサに、しかし尚も悪魔と三人の人間たちはメリサに注意を向けようとはしなかった。唯一ネズミのような魔獣のみがチラッと漆黒の瞳をメリサに向けてきたが、しかしすぐに興味を失ったのか次には再び三人の人間の方に目を戻す。

 魔獣がこちらの存在を無視したことにメリサは思わず小さく安堵の息をつきながら、引き続き同じ動作を繰り返して場所を移動していった。

 そして漸くメリサが完全に彼らの視界の外に出て大きな茂みに背中を押し付けたその時、まるでそれを見計らったかのように睨み合いを続けていた両者が突如動きを見せた。

 三人の人間たちが詠唱と共に魔法陣を展開させ、悪魔は身構え、それと同時に魔獣が三人の人間たちへと四足で突進する。

 三人の人間たちが発動したのは〈火球(ファイヤーボール)〉で、一人三つの……合計九つの大きな火球が形成されて勢いよく悪魔と魔獣に向けて放たれた。

 しかし悪魔は未だ身構えたまま動かず、魔獣も突進の足を一切止めない。

 魔獣は後ろ足で大きく地面を抉りながら跳躍すると、向かってくる九つの火球の前に躍り出た。大きな身体を宙で捻り、まるで棍棒のような尾を勢いよく火球にぶつける。

 瞬間、鋭い爆発音と共に弾ける火炎。

 魔獣の横を通り過ぎる筈だった幾つかの火球をも巻き込んで、魔獣を中心に大きな爆発が巻き起こった。

 ここまで届いてくる熱量に、メリサは必死に茂みに背中を押し付けながら冷や汗を溢れさせる。

 もし自分があそこにいたなら、間違いなく一瞬で炭と化していただろう。

 あの魔獣はどうなったのかと無意識に目を凝らす中、突然未だ燃え立っている火炎を薙ぎ払うようにして魔獣が姿を現した。まるで何事もなかったかのように地面に着地した魔獣は、次には徐に右後ろ足を挙げて呑気に首の辺りを掻き始める。

 青黒い毛で覆われている部分にも鎧のような鱗で覆われている部分にも一切傷一つなく、それどころか焦げた様子もなければ煤で汚れている部分すら見受けられない。

 呑気に毛づくろいを始めている魔獣に、三人の人間たちは見るからに絶句して呆然とした表情を浮かべていた。

 そんな中、今まで身構えるのみだった悪魔が徐に動きを見せた。

 ゆっくりとした足取りで歩を進めながら、腰のベルトに挟み込んでいた短剣を抜き放つ。美しい輝きを宿す短剣を右手で逆手に持つと、悪魔は左手を右腕に伸ばして、そこにある三つの腕輪の内の一つに触れて回転させ始めた。

 そこで漸くメリサは悪魔が不思議な腕輪をしていることに気が付いた。

 悪魔の両腕には左右三つずつの色違いの腕輪がはめられていた。

 それだけであれば特別目に留まらなくても不思議ではなかっただろう。

 しかしその腕輪は見るからに普通ではなかった。

 まず一番驚くべきことは、腕輪の全てが微妙に宙に浮かんでいることだった。

 腕輪は互いどころか、装備している悪魔の腕や手にすら触れていない。まるでスポークがない車輪のように、悪魔の腕を囲うように宙に浮かんでいた。

 腕輪はそれぞれ色が違っており、右腕の方は金とピンクゴールドと朱金、左腕の方は水色っぽい銀と漆黒と紫で、その全てが不思議な輝きを宿している。表面にはそれぞれ二つの宝玉がはめ込まれており、その左右にはメリサには良く分からない文字の羅列が彫り込まれていた。

 悪魔が触れたのは朱金色の腕輪で、回転させるとはめ込まれている菫色の宝玉が美しい輝きを放った。

 

「……さて、手早く済ませよう。できるなら苦痛なく終わらせてやりたいが、私はまだそれだけのレベルに達していないのでな、それについては先に謝っておこう」

 

 三人の人間たちに慈悲のような言葉をかける悪魔に、メリサは思わず内心で首を傾げてしまう。悪魔という存在が慈悲のような言葉を口にすること自体が不思議で不可解なように感じた。

 しかしそんなメリサの感想など悪魔が知るはずもなく、悪魔は短剣を逆手に持った右手を顔の前に構えると、身を屈めたと同時に強く地面を蹴った。一番近くにいた人間の前に肉薄すると、勢いを殺すことなくすり抜け様に一気に腹部を切りつける。

 瞬間、苦悶の声と共に腹部から勢いよく溢れ出る鮮やかな赤。

 見る見るうちに下へと流れ落ちていく赤に、しかしその量は短剣で切り付けられたにしては異常に多かった。美しい光を宿す短剣の刀身部分は20cm程しかないというのに、切り裂かれた傷は見るからにそれ以上の大きさと深さをしている。

 思わず腹部を両手で押さえて膝をつく人間に、次には今まで毛づくろいをしていたはずの魔獣が徐に近づいてきて、次には尾の重い一撃が飛んできた。膝をついたことで低くなった頭部に向けて、容赦なく振り下ろされる尾。次にはまるでトマトのようにグチャッと潰された人間の頭部に、メリサは思わず顔を大きく歪めて咄嗟に悲鳴を噛み殺した。

 悪魔が地面を蹴ってから人間の頭が潰されるまで、時間にすれば一分も経っていない。あまりにも短時間での仲間の死に、残り二人の人間たちもひどく動揺しているようだった。

 一歩二歩と小さく後退る人間たちに、悪魔は再び短剣を構える。

 しかし次に呻き声を上げたのは、二人の人間たちの方ではなく悪魔の方だった。

 突然の思わぬ声に、メリサは勿論のこと二人の人間や魔獣までもが悪魔を見つめる。この場にいる誰もが悪魔を注視する中、悪魔は小さく前屈みになって左手で額を押さえていた。瞼はきつく閉じられ眉間にも深い皺が刻まれていることから、どこか苦悩の表情を浮かべている様にも見える。

 一体どうしたのかと不安のような感情が湧き上がる中、変化は突然訪れた。

 変化の始まりの合図は、悪魔が再び漏らした小さな呻き声。それを皮切りに、悪魔の肉体が大きく変化をし始めた。

 角の根元や目元周辺の皮膚が青黒く染まり始め、黒い鱗が生え始める。曲げられている背中が起伏し、次には白銀色の細長い何かが服を突き破って姿を現した。その細長い何かは装甲が連なっているような見た目をしており、長さも悪魔の太腿辺りにまで伸びている。他にも黒く細長い何かが後ろのコートの裾部分から伸びており、それはまるで悪魔の尻尾のようだった。

 突然の悪魔の変化に、メリサだけでなくこの場にいる誰もが呆然とした様子で悪魔を見つめる。悪魔の方は漸く落ち着いたのか、一度深く息を吐き出してからゆっくりと瞼を開き、前屈みになっていた上体を起き上がらせた。額に触れていた左手も下ろし、自身に何が起こったのか確認するように身体のあちこちを見下ろしている。悪魔は一度魔獣の方にチラッと紅の瞳を向けた後、次には再び自身の身体を見下ろして最後に人間たちに視線を戻した。

 

「……ああ、驚かせてしまってすまなかった。君たちには別段重要なことではないから気にしないでくれ」

 

 淡々と言い捨てる悪魔に、しかしこちらはなおも困惑してしまう。いくら関係ないから気にしないようにと言われても、それはあまりにも無理な話しだった。メリサも、そして二人の人間たちも困惑と恐怖が入り混じった表情を浮かべ、悪魔の新たに生えた背中の触手のようなものや黒い鱗に忙しなく視線を走らせる。悪魔の方も自分が言ったことが無理な話であることは理解しているのだろう、こちらの視線を受け止めながら小さくため息にも似た息を吐き出していた。

 

「……このままでは時間ばかりが無駄に過ぎてしまうな。守護者の方々をお待たせするわけにはいかないのでな、手早く済まさせてもらおう」

「「……っ……!?」」

 

 どこまでも素っ気ない悪魔の様子に何かを言おうとしたのだろうか……。

 慌てて人間の一人が大きく口を開きかけ、しかし何かの言葉を発する前に上唇から上が勢いよく消し飛んだ。遅れて切断された断面から勢い良く血が溢れ出し、下唇から下の部分が血を撒き散らしながら力なく地面へと崩れていく。気が付けばただの肉塊と化していた死体の傍には悪魔がいつの間にか佇んでいる。右手には変わらず短剣が握り締められており、丁度その刀身から最後の血の一滴がするりと流れて地面に零れ落ちるところだった。

 悪魔の深紅の瞳がゆっくりと残り一人の人間に向けられる。

 瞬間、人間はビクッと肩を跳ねさせると、慌てたように両手を挙げながら口を開いた。

 

「ま、待てっ! 待ってくれ!! こ、降伏する! お前たちに降伏するから助けてほしい!!」

 

 まさか法国の人間が異形に対して降伏してくるとは夢にも思わず、メリサは驚愕のあまり大きく目を見開く。

 しかし悪魔は驚くこともなければ勝ち誇ることもなく、ただ無表情に人間を見つめていた。

 

「……お前の気持ちは良く分かる。私も以前はお前と同じだったからな」

「……!? ……そ、それなら……!!」

「だが、申し訳ないが、私はお前たちを助けても良いという許可は得ていない。お前たちを助けようと判断するだけの立場も権利も持ち合わせていないのだ」

「……っ……! く、くそっ、この悪魔風情がぁぁっ!!!」

 

 もはや降伏しても無駄だと判断したのだろう、人間が絶叫と共に再び魔法の詠唱を始める。

 一拍後、白い魔法陣と共に姿を現したのは一体の天使。

 光り輝く胸当てを身に纏い、背には光り輝く大きな翼。

 炎を宿したロングソードを手に持つその天使は、間違いなく戦場で大量に召喚されていたものと同じ種類の天使だった。

 

「行けっ!!」

 

 怒号と共に命じてくる召喚主に従い、炎の上位天使は悪魔へと真っ直ぐに突進していく。

 しかし悪魔は難なく天使の攻撃を躱すと、次には短剣で一刀両断に切り裂き、光の粒子となって消えていく天使に照らされながら詠唱を行った。

 

「〈第6位階堕天使召喚(サモン・フォールン・エンジェル・6th)〉」

 

 淡々とした声音と共に魔法陣から姿を現したのは、こちらも一体の天使。しかしその姿は一般的な天使と違って全身が漆黒であり、身に纏う全てがボロボロで至る所に血痕のような赤黒いものがこびりついていた。

 まるで天使という存在を冒涜するかのような存在の出現に、人間は呆然とそれを見上げた。

 

「……絶望の力堕天使(ダークデュナミス・ディスペアー)、〈断罪の刃(ブレード・オブ・コンデムネイション)〉を放て」

 

 先ほどの人間とは対照的に、悪魔の声音はどこまでも静かで抑揚がない。しかし命じる声ははっきりと澄んでおり、命じられた“天使もどき”は命じられるがままに粛々と行動を開始した。

 漆黒のボロボロの長い袖から細長い蝋色の指を覗かせると、未だ呆然となっている人間に指先を向ける。

 瞬間、赤黒い魔法陣が指先に出現し、一拍後にはまるで何かに押し潰されるかのように人間が地面へと頽れた。

 人間はうつ伏せに横たわり、何とか起き上がろうと必死にもがいている。しかし人間の手足は無駄に地面をかくだけで、一向に置き上がれる兆しはなかった。

 そんな中、不意に人間の上の空間に紫色で半透明の何かが出現する。

 地上から三メートルほど高い位置に出現したそれは横に細長く、まるで細かな粒子が寄せ集まってできているかの様に小さく揺らめいている。一見儚くも見えるそれに、しかしメリサは何故か『触れると危ない』という明確な警鐘音が頭に鳴り響くのを感じた。人間も自分と同じような感覚に襲われているのだろう、必死に首を捻って自身の上にある存在を見やると、何とか逃げようとより一層大きくもがいている。しかしやはり一ミリたりとも逃げることはできず、次には上空に浮かんでいた紫色の何かが勢いよく人間の元へと落ちていった。

 瞬間、人間が上げる甲高い悲鳴と、高く大きく舞い散る鮮血。

 紫色の何かは人間の首元に落ち、綺麗に頭と身体を切断していた。

 一拍後、まるで何もなかったかのように紫色の何かが空気に溶けるように消えていく。

 そして最後に残されたのは無残な人間の死体のみ。

 “天使もどき”もいつの間にかどこかに消え失せており、メリサは呆然と悪魔と魔獣と三つの人間の死体を見つめていた。

 

「……これで終了だな。ご助力、感謝します。守護者の方々の元へ戻りましょう」

 

 悪魔は一つ息をつくと、次にはネズミのような魔獣に声をかける。

 その口調はとても丁寧なもので、魔獣に向けるものではないように思えるほどだった。

 何故この悪魔はこの魔獣に対してこんなに丁寧に接しているのだろう……とぼんやりと心の中で呟く。

 しかし魔獣を連れて去っていこうとする背中に気が付いて、メリサはハッと我に返ると同時に無意識に声を上げていた。

 

「ま、待って下さい……っ!!」

 

 メリサの声が静寂の中で大きく響き渡る。視線の先で悪魔の背中が動きを止め、続いてこちらを振り返ってきた深紅の瞳にメリサはそこで漸く自分が何をしたのか自覚して戦慄した。

 大きな恐怖が全身を駆け抜けて鳥肌が立つ。

 しかし『呼び止めた癖に黙り込むなんて失礼にもほどがある』と自分に言い聞かせて鼓舞すると、メリサは未だ地面に座り込んだ状態ながらも少しだけ上半身を前に乗り出した。

 

「あ、あの…あの……、た、助けて下さって、あ、ありがとうございました……!!」

「……………………」

「で、でも、どうして、助けてくれて……」

「戦いはまだ終わっていない。お前も早く仲間の元へ戻るが良い」

 

 何とか思いを言葉に出そうとして、しかし言い切る前に悪魔によって遮られる。

 思わず気圧されて黙り込む中、悪魔はさっさと顔を前方に戻すと、そのまま再び足を踏み出した。

 どんどん遠ざかり、見えなくなっていく背中。

 メリサは呆然とその背中を見送ると、次には地面に打ち捨てられている三つの死体に視線を移した。

 自分を殺すはずだった、恐ろしい力を持った人間たち。

 もしあの悪魔と魔獣が来てくれなければ、この地面に横たわっていたのはこの人間たちではなく自分の方だっただろう。

 

(………あなたは誰……? どうして、私を助けてくれたの……?)

 

 言葉にできなかった問いかけを心の中でそっと呟く。

 しかし答えが返される筈もなく、メリサは暫くの間、三人の人間の死体をぼーっと見続けていた。

 

 




ニグンさん、レベルアップ! & 新たな種族を獲得!
詳しくは後々書く予定になっているので、『ニグンさんの状態が詳しく知りたい!』という方は今しばらくお待ちください(深々)
また、途中で(名前だけ)出てきました土盾聖典については、言うまでもなく捏造となっております。
これまで同様、今後原作で詳しい情報が出次第、修正する予定です。
そしてそして!
今回の話では新たなオリキャラ、メリサ・ルノ=プールちゃんが登場しました!
これまで何人かの方々に『ニグンさんにも是非ヒロインを!』『どうかニグンさんにも癒しを!』というお言葉を多く頂きましたので、ニグンさんのヒロイン候補として出してみました。
と言っても、彼女をニグンさんの正式なヒロインにするかどうかはまだ未定の状態です。
皆さんの反応を是非見させて頂き、もし好意的な反応を多くいただいた場合には、正式にニグンさんのヒロインにする予定です!
全ては皆さん次第です……! 宜しければ是非コメントなどでご意見などを頂ければと思います(深々)
因みに反対のご意見などを多く頂いた場合は、彼女は単なるニグンさんのことがちょっと気になっているだけのモブに降格する予定です(笑)

*今回の捏造ポイント
・アーヴァンク;
レベル40台前半の魔獣。青黒いビーバーの姿をしており、体高は60cm程で大きい。身体の殆どは針のような長い毛で覆われているが、腕から手、足、平べったく巨大な尾だけは鎧のような鱗に覆われている。小さくつぶらな黒い瞳と、小振りな口。その口からは、前足近くまで伸びている巨大で長い前歯が覗いている。恐ろしい怪力の持ち主で、爪や牙からの攻撃力も非常に高い。性格は全体的に気性が荒く、相手が人間であろうが魚であろうが魔獣であろうが関係なく襲いかかり食い尽くす。
・〈第6位階堕天使召喚〉;
第六位階の召喚魔法。堕天使を召喚する少し特殊な召喚魔法。
・絶望の力堕天使;
堕天使を召喚する召喚魔法でのみ出現するモンスター。普通の力天使の亜種的存在。
・〈断罪の刃〉;
第六位階魔法。対象を磔状態にし、ギロチン型の不透明の魔力の刃を振り下ろす。
・“六大悪魔の瞳”
ウルベルトがニグンに褒美として創って贈ったアイテム。左右三つずつの腕輪で大き目。力を発動していなくても宙に浮かんでいるように腕にはまっており、そのため腕から外れることはない。表面に二つの宝玉が目のようについており、その左右に悪魔の名前が彫り込まれている。一つの腕輪に二つの力が宿っている(目の宝玉の左右に一つずつ)。
・“ネビロスの瞳”;
“六大悪魔の瞳”の一つ。朱金色のバングル。宝玉の色は菫色。宿っている力は〈千里眼〉と〈傷開き〉。
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