世界という名の三つの宝石箱   作:ひよこ饅頭

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第70話 真実

「――……よくおいで下さいました、我が神よ!!」

 

 広く大きな空間に老人の高らかな声が響き渡る。

 歓迎するように両腕を大きく広げて満面の笑みを浮かべるフールーダに、レオナール・グラン・ネーグルに扮するウルベルトは呆れたように大きなため息をついた。眉間に手をやり、やれやれとばかりに力なく頭を振る。

 ウルベルトは閉じていた瞼をゆっくり開くと、眉間に当てていた手も降ろして改めて目の前の老人を見やった。

 

「………フールーダ・パラダイン……、お前のそのハイテンションはどうにかならないのかね?」

「我が神を前にして落ち着いてなどいられましょうか! ささっ、どうぞこちらにお座りください!!」

 

 全く落ち着く様子を見せないフールーダに、思わずウルベルトの口から再び大きなため息が零れ出る。嬉々とした表情を浮かべてこの部屋で一番豪奢な椅子を勧めてくるのに、ウルベルトは半ば諦めながら大人しく示された椅子へと腰を下ろした。高い背もたれに深く身体を預け、右の肘掛に肘をついて長い足を組む。目の前に来た右手の甲に軽く顎を乗せると、ウルベルトは椅子の傍らで片膝をついて頭を下げている女に目を向けた。

 

「やぁ、ロックブルズ。元気そうで何より。あれから顔などに不都合や変化はなかったかね?」

「……はい、レオナール・グラン・ネーグル様。何も変化はございません」

「それは何より。まぁ、そう畏まる必要はない。まずは顔を上げたまえよ」

「はっ」

 

 ウルベルトが促して漸く女は深く下げていた頭を上げる。

 現れたのは非常に整った白皙の美貌で、金色の長い髪がいつも通りに顔の両側と顔の右半分を覆っていた。

 しかし彼女の表情には一切苦痛の色も翳りも見られない。

 ウルベルトが手を伸ばして軽く右側の前髪を払ってやれば、左側と同じく整った美しい目と肌が髪の隙間から姿を現した。

 反射的なものか、レイナースの両目がパチパチと何度か瞬く。

 無言のままこちらを見つめ続ける女に、ウルベルトは柔らかな笑みを浮かべてみせた。

 

「ふむ、どうやら完全に傷は癒えているようだね。蟲が体内に残っている様子もない……。……ふふっ、仕方がないとはいえ、隠すのは些か惜しまれるな」

 

 レイナースの顔の呪いが解かれたことは、この場にいる者以外は誰一人とした未だ知らされていない。知れば何故呪いが解けたのか理由を尋ねてくる者も出てくるであろうし、その相手によっては誤魔化すことができず説明しなければならない事態にも陥りかねない。未だ帝国で大々的な動きをするつもりのないウルベルトにとって、それはあまり歓迎したくない事態だった。それを汲み取ってレイナースは未だ顔の呪いが解けていない風を装ってくれているのだが、彼女からしてみれば折角呪いが解けたのだから堂々と顔を出したい気持ちもあるだろう。

 彼女の心情を鑑みながら小さな笑みを浮かべれば、レイナースの頬がサッと赤みを帯びる。緑色の瞳がウロウロと戸惑うように彷徨い、次には再び吸い寄せられるようにウルベルトに向けられた。

 

「……ネーグル様は…、やはり、美しいものの方が好まれますか……? 私の容姿は……、その……」

 

 レイナースは何事かを問おうとし、しかし途中で言葉を濁らせて口を閉ざす。複雑そうな表情を浮かべて顔を俯かせる女に、ウルベルトは思わず小さく首を傾げた。

 彼女が何を問おうとしたのか分からず、頭上に疑問符を浮かべる。

 しかし取り敢えず分かることに関しては答えようと口を開いた。

 

「そうだねぇ……、やはり醜いものよりかは美しいものの方が好ましいと思うのは誰もがそうなのではないかな? とはいえ、私の感覚は普通の人間たちとは大きく乖離しているからねぇ……。一概に同じとは言えないかもしれないがね」

 

 ウルベルトの言葉に、レイナースがゆっくりと俯けていた顔を上げる。

 不安定に揺れている瞳を向けられ、ウルベルトは再び小さく首を傾けた。

 

「それに私が重要視する美醜は容姿に関してではなくむしろ心の有り様だ」

「……心の、美醜……ですか……?」

「そう。いくら美しい容姿を持ったところで心が醜ければ侮蔑の対象であるし、醜い容姿であっても心が美しければ敬意を払う価値がその者には十分ある。器よりも中身の方が余程重要だ。私が先ほどあのように言ったのは、単に君がそう思うのではないかと思っただけに過ぎない」

 

 つまり特別な意味は何もないのだと言う男に、レイナースは目を閉じて深く大きな息を吐き出した。心底ほっとしたようなその様子に、ウルベルトは少しおかしく感じてしまう。

 思わずフフッと小さく笑うと、ウルベルトは気を取り直してレイナースからフールーダへと目を移した。

 老人は大人しく数歩下がってこちらの会話を見守っていたようだが、ウルベルトの視線に気が付いて徐にこちらに歩み寄ってくる。無言のまま目だけで他の椅子を示せば、フールーダとレイナースは大人しくウルベルトと対面するような形で椅子にそれぞれ腰掛けた。

 

「……それではそろそろ本題に入ろうか。まず先日パラダインから提案された計画についてだが、申し訳ないが却下だ。こちらも複雑な事情を抱えていてね、全てには適切な順序とタイミングというものがある。今は私の命に従ってくれたまえ」

「……そう、でございますか……。少々残念ではありますが、全ては神のご意思あってのもの。畏まりましてございます」

「それで、私が同行することになった王国との戦争についてだが、当日に私と行動を共にする四騎士は決まったのかね?」

「はい。神のご希望であった者の一人である、ニンブル・アーク・デイル・アノック殿が同行する形で話が進んでおります」

「ほう、それは上々。因みに、その者について何か情報はあるかね?」

 

 楽しげな笑みを湛えたまま、目の前のフールーダとレイナースからあらゆる情報を聞き出す。

 帝国や王国の戦力や優秀な人材、今回争う舞台となる地の情報などなど。

 ウルベルトは穏やかな笑みを浮かべながら彼らからの情報に耳を傾け、しかしその裏では王国に対する冷ややかな感情を湧き上がらせていた。

 今回王国と帝国が争う舞台となる戦場は例年通りのカッツェ平野。

 カッツェ平野は王国と帝国の間に広がる緑少ない赤茶けた大きな平野で、毎年行われる両国の争いによってアンデッドたちが蔓延る呪われた地となっていた。出現するアンデッドとしてはスケルトンやゾンビといった“キリ”から、デス・ナイトやスケリトル・ドラゴンのような“ピン”まで様々。ウルベルトたちナザリック勢であればどれも雑魚でしかないが、しかしこの世界の住人たちからすれば“キリ”はまだしも“ピン”の存在は脅威そのものだろう。

 帝国などは丘陵地域に駐屯基地である巨大要塞を築いて不測の事態にも備えているらしいが、一方王国はと言えば何の対策もしておらず、冒険者にアンデッドの掃討を依頼している程度に留めているようだった。

 

「――……まぁ、とは言え、この駐屯基地も元々はエ・ランテルへ攻め込むための拠点という意味合いや、王国からの侵攻に対する籠城戦を考慮して造られたものなのですが。今や王国よりもむしろアンデッド用の基地に成り下がっている状況でして……」

 

 説明しながら苦笑を浮かべるフールーダに、ウルベルトは緩く頭を振ってみせた。

 

「いや、何であれ使えるものを用意するのとしないのとでは天と地ほどの差がある。本来の目的は違ったとしても、それが別のことに役立ち、且つ国や国民を守ることに繋がっているのであれば、それは最上のことであろうよ」

 

 帝国とてアンデッド掃討の一部はワーカーたちに任せている部分はある。しかし自分たちだけでなくアンデッド掃討に赴くワーカーたちに対しても駐屯基地の一画を開放しているという話であるため、それだけでもウルベルトの中での帝国に対する評価はグンッと大きく上がっていた。

 

「……戦場については分かった。それで……、今回の戦いでは互いの兵力はいかほどになりそうなんだ?」

「少なくともこちらは5万から7万ほどで調整を行っておりますわ。王国がどの程度出してくるかは未だ分かりかねますが……、例年通りであれば恐らく20万から25万程かと」

「……20万から25万……。……恐らくその多くが民兵なのだろうな……」

「はい。こちらとしても、それを考慮した上での戦略ですので」

 

 表情一つ動かさず頷いてくるレイナースに、ウルベルトはそこで漸く浮かべていた笑みを引っ込めた。

 別にレイナースの言動が不快だったわけではない。ただ単に王国の考えなさや体たらくが鼻に付いて仕方がなかった。

 国を表す一つの概念として“国力”というものがある。そしてその国力を支える大きな柱の一つに“働き手の国民人口数”が挙げられるとウルベルトは考えていた。

 農民でも商人でも冒険者でも神官でも、その国で働く国民の数が多ければ多いほど、経済は高まり国は豊かになっていく。

 その考えでいけば、“働き手の国民人口数”の数を減らすことにしか繋がらない民兵の大投入は愚の骨頂。

 予てより愚劣な貴族共を野放しにして蔓延らせている王国に対して良い感情を持ってはいなかったが、ここに来てウルベルトの中での王国に対する評価は更に最低ラインまで急降下していた。

 

「………申し訳ありません、ネーグル様。何かご不快になることを言いましたでしょうか……?」

 

 ウルベルトの表情の変化に何か勘違いをしたのか、レイナースが謝罪の言葉と共に頭を下げてくる。心なしか蒼褪めて見える顔に、ウルベルトは苦笑を浮かべて再び頭を振った。

 

「いいや、君が謝罪する必要はないよ。私が不快に思っているのは君ではなく王国に対してだ。……本当に、あそこはどうしようもない者たちの巣窟だな」

 

 王国だけでなく現実世界(リアル)のことまで思い出してしまい思わず遠い目になってしまったウルベルトに、不意に友の小さな笑い声が耳元で響いてくる。

 今回も姿を消して同行してくれている友の存在を思い出し、ウルベルトは気を取り直して次の話題に移ることにした。

 

「……この話はこのくらいで良いだろう。だが、次の話に移る前に君たちに教えておきたいことがある」

 

 ウルベルトは組んでいた足を下ろすと、少し姿勢を正して改めて真正面からフールーダとレイナースを見つめた。

 

「以前、私の正体について少しだけ話したことがあっただろう? あの時は“人間ではない”ことだけを教えたが、今日は私の本当の姿をきちんと君たちに見せておこうかと思ってね」

 

 ウルベルトの言葉にフールーダとレイナースが見るからに驚愕の表情を浮かべて目を見開かせる。二人の顔にはどちらにも『意外だ』という文字がデカデカと書かれており、ウルベルトは内心で小さな苦笑を浮かべた。

 友人やナザリックのモノたち以外に対してはいつも煙に巻くような言動をとっていることが多いため、彼らにこのような反応をされても仕方がないとは思う。しかしこうも分かりやすく反応されては苦笑を禁じ得ず、ウルベルトは一度小さな咳払いを零して気を引き締めた。

 

「……ああ、だが見せる前に一つだけ。私は言うなれば異形のモノだ。恐らく君たちは私の正体を見れば少なからず驚くだろう。しかし驚くのは構わないがくれぐれも騒がないようにはしてくれたまえ。良いな?」

 

 二人に釘を刺し、そこで一つ息をつく。

 二人が神妙な面持ちで頷いてくるのを確認すると、ウルベルトはパチンッと指を鳴らしたと同時に自身にかけていた人化の魔法を解いた。

 

「「……っ……!!?」」

 

 瞬間、大きく見開かれた双眸と、鋭く鳴る息を呑む音。驚愕の色に彩られている二人の顔を見やり、ウルベルトは本来の山羊頭の悪魔の姿で小さく首を傾げた。

 『まぁ、人間の顔がいきなり山羊の顔になったのだから驚くのも無理はない』と内心で頷き、しかし一方でやはり少し面白みを感じてしまう。

 思わずニヤニヤとした笑みを浮かべそうになり、ウルベルトは咄嗟に顔の筋肉に力を込めてそれを阻止した。

 今の姿でニヤニヤ顔を浮かべては、フールーダやレイナースからすれば何かを企んでいる様にしか見えないだろう。間違いなく悪い印象を持たれる。

 ウルベルトは意識して穏やかな笑みを山羊の顔に張り付けると、再び山羊の長い足を組んで腹の前で軽く両手を組んだ。

 

「改めまして、私はウルベルト・アレイン・オードルという。多くの悪魔たちを従える悪魔の支配者(オルクス)だ」

 

 穏やかな声音を意識して短く自己紹介をする。

 しかし二人は未だ放心状態で、何の反応も起こすことはなかった。ただ呆然とした様子でこちらを見つめている。

 完全に石像のようになっている二人に『う~ん、これはどうしたものか……』とウルベルトは思わず頭を悩ませた。

 二人の心境は大いに理解できるものの、しかしいつまでもこのままでは一向に話が進まない。かといって何か行動を起こしたとして、選択を間違えれば二人を恐慌状態に陥らせてしまう恐れもある。

 思わず低い唸り声のような声を小さく零す中、漸く我に返ったのか不意にフールーダが嬉々とした声を上げてきた。

 

「………こ、これは…素晴らしいぃっ!! おおっ、正に神のような圧倒的な御姿!! 嗚呼っ、なんと……なんと……!!」

 

 気持ちが昂り過ぎてもはや言葉も思い浮かばないのか、フールーダは両目から涙を流しながら言葉を詰まらせる。探知能力阻害の指輪を外してみせた時と同じように、彼は頽れるように椅子から降りると、地面に両膝と両手をついて深々と頭を下げてきた。

 老人が必死に地面に額を擦りつけている様は非常に滑稽で哀れみを誘う。

 ウルベルトは再び小さな苦笑を浮かべると、頭を上げさせようと口を開いた。

 

「……まったく、お前は全てがいちいち大袈裟だな。そんなことはしなくて良いから頭を上げて椅子に座りたまえ」

 

 ゆっくりと顔を上げるフールーダに、言葉で半ば強制的に椅子に座らせる。

 その頃にはレイナースも大分落ち着いたのか、見開いていた目を普通の状態に戻して、しかし未だ少し圧倒されている様子でこちらを見つめていた。

 

「これが私の本来の姿だ。どうだね? このような異形である私に尚も君たちは変わらぬ忠誠を誓えるか?」

 

 どこか試すような声音と言葉に、再びフールーダとレイナースの目が見開かれる。

 しかし今度はすぐに真剣な表情を浮かべると、次には椅子から立ち上がって地面に片膝をつき、深々と頭を下げてきた。

 

「勿論でございます、深淵なる御方。あなた様が何者であろうと、私は一向に構わないのです。どこへなりとも……、たとえ地獄であろうとも、あなた様に尽くし、従う所存でございます」

「わたくしも同様ですわ。あなた様はわたくしの願いを叶えて下さり、忠誠を誓う心も受け入れて下さった。たとえあなた様が何者であろうと、この身を捧げる所存でございます」

 

 二人からのあまりに熱烈な言葉に、次に目を見開いたのはウルベルトの方だった。

 以前の彼らの反応から忠誠を撤回するようなことは言ってこないだろうとは思っていたが、しかしまさかここまで真摯に誓いを立てられるとは思ってもみなかった。こんな短時間で自身の異形の姿を受け入れられたことも驚きである。

 

(これは……、二人を見くびっていたのかもしれないな……。)

 

 二人に対する自身の意識や考え方に、ウルベルトは心の中で少し反省した。

 何事に対しても警戒することは大切だ。しかしそれによって自身にひたむきに心を寄せてくれる相手に対してまで侮りを向けるのは流石にやり過ぎである。それはあまりにも相手に対して失礼だろう。何より、良い意味でも悪い意味でも礼を失すればそれは自身の中にある“悪の美学”にも反してくる。

 素直に彼らの感情を受け取ることに対して未だ少しの戸惑いや抵抗はあるものの、ウルベルトは今回の場合はそれを敢えて無視することにした。

 

「……そうか。どうやらお前たちに対して失礼なことを問うたようだ。すまなかった」

「「……っ……!!?」」

 

 躊躇いなく頭を下げるウルベルトに、フールーダとレイナースの方から再び息を呑む音が大きく聞こえてくる。暫くワタワタしたような騒々しい気配が伝わった後、次には彼らの切羽詰まったような声が聞こえてきた。

 

「おおっ、我が神よ! そのようなっ、そのようなことを我らなどにする必要はございませんっ!!」

「その通りですわっ!! どうかっ! どうか頭をお上げになって下さい!!」

 

 最後には悲鳴のようになっている彼らの声に、ウルベルトはそこで漸く下げていた頭を上げた。改めて目を向ければ二人の顔は蒼白になっており、悪魔である自分が思わず心配になるほどに顔色が悪くなっていた。

 

「……おやおや、そこまで深刻に思わないでほしいのだが」

「そんな! 神に頭を下げさせるなど言語道断!! 深刻に思わないはずがございません!!」

「だが、非があるならば謝罪をするのは当然のことだろう? それはどのような立場や身分であっても変わらない。私は己の非を認められないような愚か者になるつもりはないのでね。諦めて受け入れてくれたまえ」

「嗚呼……、なんと……そのような……!!」

 

 悪びれることなくそんなことを宣うウルベルトに、フールーダが思わずといった様子で嘆きの声を上げる。

 レイナースも心底困ったように眉尻を下げており、ウルベルトは思わずフフッと小さな笑い声を零してしまった。

 

「……まぁ、そうは言ってもお前たちの心情や考えも理解できる。謝罪するのはこのくらいにしておこう」

 

 柔らかな声音でそう言ってやれば、二人は見るからにホッと安堵の息をつく。

 そのあまりに大きな反応に悪戯心が湧き上がり胸の内で疼くのを感じながら、しかしウルベルトはそれをグッと堪えた。

 先ほど反省した手前、ここですぐに悪戯心に身を任せてはそれこそ目も当てられない事態に陥りそうだ。

 ウルベルトは二人に気付かれないように小さく息をつくと、一度頭を振って思考を切り替えた。

 

「それでは次の話に移るとしよう。……この前話した件だが……――」

 

 時間は有限であり、未だ幾らあっても足りないほどに余裕などありはしない。『遊ぶのはこのくらいにしないとな……』と内心で自身に言い聞かせながら、ウルベルトは次々とフールーダとレイナースに情報の提供を求めていった。

 エリュエンティウと八欲王についての更なる情報。

 以前聞いた“無銘なる呪文書(ネームレス・スペルブック)”以外に世界級(ワールド)アイテムと思われるアイテムはないか。

 王国に所属している“蒼の薔薇”と“朱の雫”それぞれのリーダーが持つ武器について何か知っていることはないか。

 法国を調べようとしている皇帝は現状どこまで情報を掴んでいるのか。

 その他にも王国や帝国や法国以外の国や地域の情報などなど。

 求める情報は数多く、また多岐にわたる。

 返される情報の書きとめは姿を消している友に任せ、ウルベルトはひたすら情報の引き出しや更なる情報収集の指示を二人に命じていった。

 

「――……ああ、そういえば、もう一つ話しておきたいことがあったのだった……。パラダイン、アルシェ・イーブ・リイル・フルトという少女に覚えはあるかね?」

 

 ウルベルトの突然の問いかけに、フールーダが途端に複雑な表情を浮かべる。老人の顔に浮かんだのは大きな驚愕と、そこに絡まる疑問や困惑といった複数の感情の色。ウルベルトの口から何故その名が出たのか分からないといった様子で、フールーダは困惑の色を強めて太く長い眉を八の字に垂れ下げた。

 

「……確かにその名には覚えがあります。しかし……何故、あなた様がその名をご存知なのでしょうか?」

「それは簡単なことだ、彼女と面識があるからだよ。彼女は今ワーカーとして生きている。……先日、偶然お前の生徒であったと聞いたものでねぇ」

「……なんと……、……ワーカーに……」

 

 恐らく彼女の現在の状況や様子などは一切知らなかったのだろう、フールーダは驚愕の表情を浮かべ、次には思案するような表情を浮かべる。

 暫く長い髭を梳くように触った後、未だ思案顔ながらも漸くこちらに目を向けてきた。

 

「………確かに彼女は元々私の生徒の一人でした。もう何年前になりましょうか……、彼女は帝国魔法学院の生徒で、私は彼女に類稀なる魔法の才能を見出し、いずれは高位の魔法詠唱者(マジックキャスター)になるのではないかと期待を寄せていたのです」

 

 当時のことを思い出しているのか、老人の顔には幸せな過去を懐かしむような色が少しだけ浮かんでいる。

 しかしフールーダはすぐにその顔を悲しみに翳らすと、次には力なく顔を俯けて左右に振った。

 次に語られたのはアルシェに対する困惑と落胆。

 彼女は突如魔法学院を去り、その理由も何も口にすることなくフールーダの前から姿を消したのだという。彼女に期待していたフールーダにとってはあまりにも衝撃的なことであり、またある種の裏切りにも感じたのだとか。

 『なるほど、それ故のあの複雑すぎる表情だったのか……』と内心で納得の声を零しながら、ウルベルトは無言のままアルシェについて考えを巡らせた。

 アルシェの実年齢は知らないものの、彼女は見た目的には未だ十代半ば。その時点で第三位階魔法まで使うことができるというのだから、この世界の基準であれば十分優秀であると言えるのだろう。フールーダの言う通り、彼女には魔法に対して一種の才能があるのかもしれない。

 

「……彼女が言うには、両親の借金のせいで自分が働かなくてはならない事態に陥り、そのため学院を辞めてワーカーになったらしい」

「……………………」

「しかしワーカーになったからと言って状況が好転したわけではない。両親は借金をすることを止めず、仕舞いには金貸しどもはフルトとチームを組んでいるワーカーの拠点場所にまで押し入ってきた。そのため彼女は今やワーカーすら辞めようとしている」

 

 説明するウルベルトの声音はどこまでも淡々としており、普段の彼の口調に比べると抑揚も小さい。どこまでも静かな声音と口調が、逆にウルベルトの言葉に深刻そうな色を宿らせていた。

 一時とはいえアルシェと親交のあったフールーダからしてみれば何かしら感じずにはいられないのだろう、その顔には深く何かを思案するような表情が浮かんでいる。

 しかし唯一少女と接点も何もないレイナースだけは少しだけ不思議そうな表情を浮かべて小首を傾げていた。

 

「……レオナール・グラン・ネーグル様……、いえ、失礼しました。ウルベルト・アレイン・オードル様はその少女を助けたいとお思いなのですか?」

「いや、今はまだ検討中といったところだな。彼女たちを助けて我らの利益に繋がるなら助けても良い……といったところか」

「お待ちを。彼女“たち”というのは……?」

「ああ、すまない、ちゃんと説明できていなかったな。実はその親の愚行の被害を受けているのはフルト一人だけではないのだよ」

 

 待ったをかけて問いかけてくるフールーダに、ウルベルトは落ち着かせるように軽く片手を挙げる。一度軽い謝罪の言葉を口にした後、挙げていた片手をゆっくりと降ろしながら、もう少し詳しくアルシェの現状について二人に説明することにした。

 ウルベルトが聞いているアルシェの家族構成と、アルシェが現在所属しているワーカーチーム“フォーサイト”について。彼らや自分たちも拠点としている“歌う林檎亭”に押しかけてきた金貸しについてと、ソフィアから聞いた商人たちの間で広がっているフルト家の噂について。

 今や我慢の限界をむかえて二人の妹を連れて家を飛び出している現状も伝えてやれば、フールーダは驚愕の表情を浮かべ、レイナースは少し呆れたような表情を浮かべた。

 

「………まさか……、……まさかそのようなことになっていたとは……。確かに陛下がなされた改革で多くの貴族たちは地位を剥奪され、中には悲惨な末路を辿った家も幾つかあったと聞き及んでおります。しかしまさか金貸しに頼ってまでそのようなことを続けている者がいようとは思いもよりませんでした。……しかも才ある者を貶めているとは……!!」

 

 話していく内に気が昂ってきたのか、苦々しい声音が徐々に熱を帯びてくる。

 眉間に大きな皺を寄せて顔を顰めるフールーダに、ウルベルトも一つ頷いて応えた。

 

「確かに愚かなことだ。……まぁ、愚かだったからこそあの皇帝に粛清されたのだろうし、こうなることも必然と言えばそうだったのかもしれないが……」

「……まぁ、そうですわね。貴族であった頃から愚かだったのですから、没落すれば尚も酷くなる可能性もありましたわね……」

 

 ウルベルトの淡々とした指摘に、レイナースも同意の言葉と共に頷いてくる。

 愚か者の性根や思考は簡単には変わらない。そうであるからこそある意味愚か者であるのだとも言えるのかもしれない。

 とはいえ、その者のせいで才ある者が貶められているのであれば、このままにしておくわけにはいかない。それがナザリックに利益をもたらす可能性のある存在であるならば尚更だ。

 

「先ほどお前はフルトのことを“類稀な才能の持ち主で、高位の魔法詠唱者(マジックキャスター)になれる可能性がある”と言っていたな。その考えは今も変わりないか?」

「それは勿論でございます! ……しかし……」

 

 フールーダは一度言葉を濁して顔を俯かせた後、一拍後には再び顔を上げて困ったような表情を浮かべてきた。

 

「正直に申しまして、私は今の彼女を知りません。果たして今の彼女に以前ほどの才能が未だあるのかどうか……、それは分かりかねます」

「ふむ? それは一体どういうことかな? 普通、才能というのは生まれつき備えているもので、どんなに月日が経とうともなくなるようなものではないと思うのだが……」

「神であり悪魔であられる御身であればそうなのかもしれませんが……、人間は老いるものなのです。才とは確かに生まれつき備わっているものではありますが、それを操るのはあくまでも肉体です。その肉体が老いてしまえば、たとえ才能があろうとも十全にそれを発揮することは難しいでしょう」

 

 フールーダの意見は確かに一理あり、説得力がある。しかしやはりウルベルトは完全に納得しきれず、山羊の頭を大きく傾けた。

 

「………フルトは見たところ、未だ十代で若いように思うのだが……」

「確かに。ですが、才能を伸ばす……或いは十全に発揮できるよう心身ともに鍛えていかねば、才は埋もれて取り出せなくなって参ります。あの子はまだ若いので猶予は未だ十分あるとは思いますが……、彼女の精神状態も気になるところです」

「……ふむ……」

 

 神妙な表情を浮かべるフールーダに、ウルベルトもまた口を閉ざして顎に手を寄せる。長い顎髭を弄びながら以前会った時のアルシェの姿を思い浮かべた。

 確かに類稀なる才能を持っていたとしても、それを十全に発揮できる心身ややる気がなければ何の意味もないだろう。才能はどんどん埋もれていき、使いものにならないガラクタと成り果てる。

 アルシェが今どの程度自身の才能を扱える状態にあるのか、正直ウルベルトには全く分からなかった。

 何だか面倒臭くなってきて、一気にやる気が萎んでいく。『もう放っておいても良いかな……』と思いかけ、しかしここで投げ出してはモモンガに嗜められる可能性が頭を過って何とか踏みとどまった。

 ウルベルトは内心で深々とため息を零すと、何とか自身のやる気を奮い立たせて弄んでいた顎髭から手を放した。

 

「それでは再び彼女と会えば、利用できるに値するかどうかも分かるかね?」

「そうですな……。少しの間彼女をお預け頂けるのであれば見極めることも可能かと思われます」

「……なるほど……。……分かった、彼女たちにそのことを伝えてみよう。また、もし可能であれば彼女の二人の妹についても姉同様に才能があるかどうか見てもらいたい。できるか?」

「畏まりました。御身の仰せのままに」

 

 ウルベルトの言葉に、フールーダは畏まった様子で深々と頭を垂れる。

 ウルベルトは一つ頷いて今後の動きについて幾つか指示を出すと、『この話はこれまで』と言うかのようにさっさと次の話題に移っていった。

 ウルベルトが口にする話題は多く、その度にフールーダとレイナースは自身の知識をふり絞りながらそれに何とか応えていく。

 彼らの会談は長く続き、ウルベルトが満足して椅子から立ち上がる頃には外の空はすっかり闇色に染まっていた。

 

「――……すっかり長居をしてしまったようだ。すまなかったな」

「とんでもございません! 少しでも御身のお役に立てたのであれば幸いでございます」

「ふふっ、殊勝なことだな。今後もお前たちの働きに期待するとしよう。指示したことについて、頼んだぞ」

「ははぁっ、畏まりましたぁ!」

「畏まりました」

 

 フールーダとレイナースは椅子から立ち上がり、地面に片膝をついて深々と頭を下げる。

 ウルベルトは山羊の顔に満足そうな笑みを浮かべると、次には〈転移門(ゲート)〉の魔法を紡いで楕円の闇へと消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ウルベルトを呑み込んだ闇が空気に溶けるように消えた後、そこで漸くレイナースは下げていた頭をゆっくりと上げた。知らず入っていた力が抜け、思わず零れ出た深い息と共に全身の強張りが緩んでいく。

 隣にいる老人も自分と同じような様子を見せており、恐らく自分と同じく緊張していたことが窺い知れた。

 

「………はぁ……、まさか我が神が悪魔でいらっしゃったとは……」

 

 無意識に零れ出たようなその声はどこか呆けているようで、しかし恐れや怯えのような音は一切含まれておらず、どちらかというと一種の感嘆のような音を含んでいるように感じられた。

 そしてそれはレイナースも同じ思いだった。

 正直レイナース自身も、レオナールの正体が悪魔だとは思ってもいなかった。それも“レオナール・グラン・ネーグル”という名すら偽りであったという事実。

 何一つ本当のことを教えてもらえていなかったのだと大きな落胆が胸を占め、しかし今回多くの真実を教えてもらえたことに大きな喜びがじわじわと胸を熱くさせていた。

 

(……ウルベルト・アレイン・オードル様……。……なんて力強い響きの名前なのかしら……。それに、あのお姿も……こんな風に感じるのはおかしいことなのかもしれないけれど、でも、とても……美しかった……。)

 

 レイナースは先ほどのウルベルトの悪魔の姿を思い出し、知らず小さな吐息を零していた。

 ウルベルトの姿は“悪魔”という言葉で想像するような醜悪なものとは大きくかけ離れており、とても雄々しくも繊細で美しいものだった。

 少なくともレイナースはそう感じた。

 緩やかな曲線を描き波打つ毛並みは純銀色に光り輝き、天を穿つ大きな角は禍々しく捻じれていながらも黒曜石のような煌めきを放っていた。金色の双眸は人間の姿の時と同じく深い知性が感じられるもので、横に伸びた瞳孔は少し不気味には思えるものの、それがある種の神秘性をも孕んでいるように思えた。細身の身体は人間の時と同様にスラッとしており、その細さはむしろ人間の姿よりもなお際立っていたような気がする。しかし弱々しさは一切なく、むしろ全身からは高潔さや圧倒的な存在感、王の風格ともいえるカリスマ性が強く感じられて力強くすらあった。

 流石は悪魔と言うべきか、それとも彼の言う“多くの悪魔を統べる存在”であるが故なのか……。

 そこまで考えて、レイナースはふと思考を停止させた。

 彼女の頭の中ではウルベルトが言った言葉がグルグルと渦を巻いている。

 彼は自身のことを『多くの悪魔たちを従える悪魔の支配者(オルクス)だ』と言った。

 ということは、それは……つまり………――

 

「………パラダイン様……、……もしやウルベルト・アレイン・オードル様は、あの王国王都での悪魔騒動と関係しているのでしょうか……?」

 

 “悪魔”という存在の名を聞いて一番に思い浮かぶのは、リ・エスティーゼ王国王都で起こった悪魔騒動。

 “御方”と呼ばれる悪魔とヤルダバオトと名乗った悪魔が手下の悪魔たちを引き連れて王国王都を襲った事件。

 ウルベルトが多くの悪魔を従える存在なのであれば、同じ悪魔である“御方”と呼ばれる悪魔やヤルダバオトという悪魔のことを知っていたのではないか……。

 不意に脳内に浮上してきた一つの可能性に、ドクッと心臓が嫌な鼓動を打った。

 

「……ふむ、それは可能性としては高いでしょうな。あのお方はもとよりこの世界を手中に収めようとしておられる。たとえ王国王都の件と関係がなかったとしても、いずれは同じようなことが……次は我が神の手によって引き起こされることでしょうな」

 

 何度も小さく頷きながらフールーダは躊躇いなくそんなことを言ってくる。

 その声にも表情にも一切の動揺は見られない。嫌悪もなければ怒りも戸惑いもない。あるのはどこまでもいつも通りの表情で、まるで当たり前のことを言っているかのような様子だった。

 レイナースは狂気がチラつく老人から視線を外すと、落ち着いてきた鼓動を感じながら思考を巡らせた。

 先ほどのフールーダの言葉を思い浮かべ、先ほどやこれまでのウルベルトの言動を思い出して自分の中の考えや感情を整理していく。

 そして最終的に出た結論を胸に、レイナースはいつの間にか小さく俯かせていた顔を上げて一つ頷いた。

 

「そうですわね。あのお方がそれをお望みなのなら、それについて役に立ってみせるのがわたくしの務め」

 

 自分たちとてこれまで多くの者たちとあらゆるものをめぐって争いを引き起こしてきた。ウルベルトがこの世界を望み、そのために争いを起こすのだとしても、それは自分たちが今している王国との戦争と何ら変わるものではない。王国王都の騒動に関係していたとしても、それが何だと言うのだろう。

 それに王国王都の事件も話を聞けば、そもそも“八本指”なる裏組織の人間が悪魔の至宝に手を出したがために起こった騒動であるという。実際悪魔たちは自分たちに向かってきた人間たちだけに手を出したようで、王都にもともと住んでいた人間たちに対しては一切手を出していなかったらしい。それを考えれば下手な賊よりも悪魔たちの方が余程良心的であるように思える。

 レイナースは過去、もっと悲惨で残酷なものを多く見てきた。

 それらの経験なども相俟って、もはや悪魔だからと言って王国王都を襲撃した悪魔たちやウルベルトに対して嫌悪する感情などはレイナースの中には欠片すらもありはしなかった。

 自分の醜い顔を見つめ、嫌悪することなく膿を拭って『美しい』と言ってくれたレオナール・グラン・ネーグルの姿を思い出す。

 自分が悪かったと謝罪し、躊躇いなく頭を下げてみせたウルベルト・アレイン・オードルの姿を思い出す。

 もはや一切揺らぐことのなくなった自身の感情を確かめると、レイナースは強い意志を宿した美しい双眸を傍らに立つ老人へと向けた。

 

「……パラダイン様、早速取り掛かりましょう。あのお方のお望みを叶えるために」

「そうですな、するべきことは多い……。……まずは、やはり我が神も参加される王国との戦争に同行させてもらうべく陛下を説得しなくてはっ!!」

 

 拳を握りしめて意気揚々と歩きだすフールーダに、しかし自身の願望丸出しな言葉に思わず呆れた表情を浮かべる。

 しかしレイナースはすぐさま表情を引き締めると、自身も一歩大きく足を踏み出しながら前髪に手を伸ばしてサッと顔の右半分を覆い隠した。

 その際、ウルベルトがこの髪に触れたのだということを思い出し、咄嗟に手の動きが止まる。

 レイナースは先ほどとは打って変わった優しい手つきでウルベルトの触った長い前髪を撫でるように触れると、思わず少しだけ頬を緩めて口の端を綻ばせた。

 

(……嗚呼、いっそのこと……早くこの胸の内の感情をあのお方に伝えてしまいたい……。)

 

 ドキドキと早鐘を打ち始める鼓動を感じながら、レイナースは颯爽と歩を進める。

 緩む表情を長い髪で隠しながら、ただ一心に自分の全てとなった悪魔のことを想った。

 

 


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