世界という名の三つの宝石箱   作:ひよこ饅頭

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今回も少し(?)長めとなっております!
お暇な時にでも読んで頂ければ嬉しいですvv


第83話 惨劇の宴

 濃い闇の中、カツッ…カツッ…という硬く高い音が響いては消えるを繰り返している。同時に重い足音も響き、漆黒のローブを身に纏った一体の骸骨がボウ……と暗闇に浮かび上がった。手には微かな光にすら鮮やかに輝く黄金の(スタッフ)が握り締められており、漆黒のローブは微かな風や動きにもすべらかに揺らめく。

 骸骨は不意に歩いていた足を止めると、一度大きなため息を零した。

 俯いていた顔を上げて空を見上げれば目の前には多くの星々が輝いており、正に『世界の宝石箱』という言葉が相応しい見事な星空が広がっている。

 暫く無言のまま空を眺めた後、骸骨……ナザリック地下大墳墓の主の一人であるモモンガはもう一度、次は小さなため息を吐き出した。

 

「………う~ん、……本当に大丈夫かなぁ……」

 

 骨の口が不意に動き、力ない声が戸惑ったような言葉を零す。

 この場に自分しかいないからこそ零すことのできる弱音に、しかし応えてくれる者がいないことに寂しさと虚しさも同時に湧き上がってきた。思わずウロウロと歩き回りたい衝動にかられ、しかしそこはグッと堪えて足を踏ん張る。いつナザリックのNPCたちが来るかも分からないこの時に、軽率な行動はとるべきではない。

 いつもであれば『至高の主を待たせるなど言語道断!』と口を揃えて断言するNPCたちは、しかし現在モモンガから『自分には構わず準備を行うように』と命じられているため、恐縮しながらもこれからの作戦のための準備を進めて一切何も言ってはこなかった。モモンガとしても少しの間自分一人で考える時間が欲しかったため、のんびりと夜空を眺めながら思考の海に沈み込んでいた。

 いや、それは考え込んでいると言うよりかはもはや現実逃避をしていると言った方が正しいかもしれない。

 とはいえ、どんなに逃避をしたところで現実からは逃れられず、時間も止まることはない。

 決して逃げられるものではない問題と悩みに、モモンガは熟考の末に最終的には潔く諦めることにした。

 

「うん、まぁ、ウルベルトさんとペロロンチーノさんは俺に任せるって言ってくれたし、もしマズかったとしてもウルベルトさんなら何とかしてくれるだろう」

 

 最近……特にウルベルトには何でもかんでも丸投げしてしまっているような気もするが、これも仲間に対する信頼故だと思うことにする。

 

「モモンガ様、お待たせしてしまい大変申し訳ありません。全ての準備が整いました」

 

 絶えず湧き上がって来そうになる不安とウルベルトに対する申し訳なさを都度どこかにぶん投げる中、不意に声をかけられてモモンガはそちらを振り返った。

 視線の先には“ヘルメス・トリスメギストス”を身に纏ったアルベドがおり、彼女はこちらに歩み寄り恭しく礼を取る。

 モモンガは一度心の中で大きなため息を吐き出すと、次には気持ちを切り替えて一つ頷くと一歩足を大きく踏み出した。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 濃い霧が晴れた赤茶けた大地。

 何もないなだらかな丘に二つの勢力が陣形を作って睨み合っていた。

 一方は王国の旗を掲げた二十五万もの軍勢。左翼七万、右翼七万、中央十一万と兵を分け、広範囲に陣形を形作っている。

 対するは帝国の旗を掲げた六万の軍勢。軽装の鎧を着ている王国兵とは打って変わり、帝国軍は全員が騎士の重装鎧を身に纏っていた。その立ち姿や陣形を作る動きには一切の無駄がなく、それだけで民兵の集まりでしかない王国兵との練度の差を思い知らされる。

 両軍は陣形を取って睨み合っており、しかしその後はどちらもそれ以上の動きをしようとはしなかった。

 いつもであれば帝国軍が王国軍の前を通り、撤退していき、それに王国軍が勝鬨を上げるのがお約束の流れだった。

 帝国にとっては収穫の時期に王国の農民を戦場に引きずり出すことで王国を徐々に疲弊させて損害を与えることが目的であるため、無理に戦闘をする必要は全くない。逆に、帝国の軍勢は全員が専業戦士であり国の治安維持も担っているため、無理に戦って兵に損害が出れば帝国としては本末転倒なのだ。だからこそ今までちょっとした小競り合い……言うなれば子供の茶番の様な戦争で終わっていたのだが、しかし何故か今回はいつも通りの流れになってはいなかった。

 どこかこちらを警戒しているような帝国軍の様子に、王国軍中央の陣の少し後ろの小高い丘に立っているガゼフは注意深く帝国軍を見つめながら小さく眉を顰めた。

 

「……動きませんね。これは一体どういうことなのでしょう?」

 

 腰に差している剣の柄を握り締めて感触を確かめながら目を凝らすガゼフに、不意に男の声がかけられる。帝国軍から視線を外してそちらに目を向ければ、レエブン侯がじっと帝国軍に目を向けながらこちらに歩み寄ってきていた。彼も帝国軍のいつにない様子を不審に思っているのだろう、警戒の色を宿した顔を大きく顰めている。

 ガゼフも再び帝国軍に目を戻すと、帝国軍の微かな動きも見逃さないように目を凝らした。

 しかしどんなに見つめたところで帝国は少しも動かず、また帝国軍の思惑も全く分からない。

 王国軍も帝国軍が動かない限り動くことはできず、いつまでこの膠着状態が続くのか……とガゼフはレエブン侯に気付かれないように小さくため息にも似た息を吐き出した。

 

「いつもであれば、開戦と同時に動いていましたが……。もしや何かを待っているのでしょうか」

「いや、何かを待っているというよりかは、何かを警戒している様に見えるが……」

「警戒? 帝国軍が我々に対して、ですか? 確かに、こちらの方が圧倒的に数は多くはありますが……」

 

 ガゼフの“警戒”という言葉に、レエブン侯が困惑したような表情を浮かべてくる。余程帝国が王国を警戒する理由が分からず、理解が追いつかないのだろう。

 言った本人であるガゼフとて、そう感じたというだけで、帝国が王国を警戒する理由など一つも思い浮かばない。どちらかというとこちら側こそが警戒すべきであって、ガゼフは無言のまま小さな苦笑を浮かべることしかできなかった。

 そこでふと、王国軍の中央の陣営が俄かに騒めき始めたことに気が付いてガゼフは反射的にそちらに目を走らせた。国王のいる天幕付近が騒がしいのを見てとり、もしや王の身に何かあったのだろうか……と不安が湧き上がってくる。

 しかし王の天幕から飛び出てきたのは国王でも国王を守っている戦士団の兵士でもなく、金色の髪に逞しい体躯の一人の男だった。

 

「……ん? どうかしましたか? ……あれは、……バルブロ王子?」

 

 ガゼフの視線に気が付いたのか、レエブン侯も国王の天幕に目を向け、そこから出てきた男を見て怪訝な表情を浮かべる。

 彼の言葉通り、国王の天幕から勢いよく出てきたのはリ・エスティーゼ王国第一王子のバルブロ・アンドレアン・イエルド・ライル・ヴァイセルフのようだった。

 バルブロは彼を止めようとしている兵を振り払うように足早に歩いており、仕舞いには自分の馬の背に乗ってしまう。馬の脇腹を蹴り上げて前線に向かうバルブロの姿に、ガゼフだけでなくレエブン侯も焦りの表情を浮かべた。

 

「なっ、王子は何を……!?」

「分からないが……何かをしようとしていることは間違いないな。レエブン侯、私は陛下の下に戻る!」

「分かりました。私も念のため自分の本陣に戻っています」

 

 国王の天幕に足先を向けるガゼフに、レエブン侯も大きく頷いて自身の本陣がある方向に踵を返す。

 ガゼフは丘を駆け下りて先を急ぎながら、幾人かの護衛の兵を引き連れてどんどんと前線に行ってしまうバルブロの姿に苛立ちにも似た感情を湧き上がらせた。

 どう考えても彼の行動は王に命じられたものではない。十中八九、王子の勝手な単独行動だろう。

 バルブロは以前から自分の力を過信する傲慢さが目立ってはいたが、今目の前で起こしている行動はどう考えても度が過ぎていた。バルブロの行動は彼自身の安全を脅かし王を悲しませるだけでなく、帝国を刺激して王国軍全体を危険に晒す可能性すら高かった。

 何故周りの兵はもっと必死に王子を止めないのか……と苛立たしさを募らせながら、ガゼフは漸く見えてきた王の天幕に、更に駆ける足の速度を速めた。

 そのまま天幕の中に駆け込もうとしたその時、突然聞こえてきた声にガゼフは咄嗟に足を止めてバルブロがいる前線を振り返った。

 

『帝国の者共よ! 私はリ・エスティーゼ王国第一王子バルブロ・アンドレアン・イエルド・ライル・ヴァイセルフである。今すぐに降伏し、私の前に跪け! さすればお前たちの命は助けてやろう!』

 

 恐らく拡声の魔法が宿っているマジックアイテムを使っているのだろう、バルブロの声が高らかに戦場に響き渡る。どこまでも自信満々で帝国を下に見る言葉の数々に、ガゼフは思わず顔を歪めて大きな舌打ちを零した。

 帝国がバルブロの挑発に乗るほど愚かだとは思えないが、それでもこれからの戦闘がひどく苛烈なものになる可能性はある。

 『あのバカ王子は一体何をしているんだっ!』と内心で悪態をついたその時、自分の言葉に一切反応を見せない帝国軍に不満を持ったのかバルブロが更なる行動を起こした。

 

『帝国軍よ、もう一度言う! 今すぐに降伏して我が前に跪け! ここには我が王国の王都を地獄に陥れた悪魔の軍勢より奪った悪魔の至宝があるのだぞっ!!』

 

「……なっ……!?」

 

 バルブロが懐を探って宝玉のようなものを取り出した姿に、ガゼフは驚愕に目を大きく見開いて息を呑んだ。

 この場にいる全員に見せるように大きく掲げられた宝玉は、間違いなく王国王都の魔術師組合(ギルド)に秘密裏に保管されているはずの悪魔の至宝。遠目でも手触りが良いことが分かる青緑色の球体に、銀色の線で一つのシンボルのみが描かれている。宝玉はまるで生き物のように一定の間隔で鼓動の様な振動を周囲に発しており、それ故に決して偽物ではないことが嫌でも分かる。

 しかしこの悪魔の宝玉は王国王都の魔術師組合の地下に厳重に保管されており、その情報すら限られた人間しか知らないはずである。そしてバルブロは、その知らない者の内の一人だったはずだ。

 ならば何故バルブロはこの宝玉をこの戦場に持ち込むことができたのか。

 大きな疑問や焦燥が湧き上がり混ざり合う中、不意にガゼフは帝国軍が騒めいていることに気が付いた。注意深く見てみれば、彼らの反応は予想外の事態に焦っているようなものではなく、見るからに警戒を強めて備えようとしているもの。

 帝国軍の思わぬ反応に、そこで漸くガゼフは帝国が先ほどまで何を警戒していたのかを理解した。

 帝国は王国軍が今回の戦場に悪魔の至宝を持ってくるかもしれないと考え、警戒していたのだ。

 

(……ということは、もしかしたら“サバト・レガロ”を今回の戦に参加させたのも、悪魔の至宝を警戒してのことだったのかもしれないな。……クソ……、とにかく今はあのバカ王子を早く連れ戻さなければ………ん……?)

 

 “サバト・レガロ”のレオナール・グラン・ネーグルが“蒼の薔薇”に言ったという『全てにはそうなることの理由がある』と『全ては王国の行動次第』という言葉。そのどちらも今のこの事態の事を言っていたのだと今更ながらに思い至る。自分の察しの悪さに悔しさが込み上げ、ガゼフは思わず強く奥歯を噛みしめた。

 しかし今はとにかくバルブロを一秒でも早く連れ戻さなければと無理矢理思考を切り替える。

 ガゼフは王の天幕に入ることを止めると、バルブロの下に行くべく足を大きく踏み出した。

 しかし次の瞬間、急に空の景色が大きく変化し始め、ガゼフは驚愕のあまり大きく動かした足をすぐに止めてしまった。

 今までは目が覚めるほどの晴天が広がっていたというのに、瞬く間に黒く分厚い雲が立ち込めてカッツェ平野全体を薄暗く染めていく。周りの兵たちも急な空の変化に戸惑ったように騒めき始め、誰もが空を見上げ、吹き付けてきた冷たい風に多くの者が身を震わせた。一気に不気味な雰囲気が漂い始め、それに従ってだんだんと鼓動が早くなってくる。

 誰もが緊張で荒々しい呼吸を繰り返す中、しかし変化はこれだけでは終わらなかった。

 王国軍とも帝国軍とも少し離れたカッツェ平野の南側の地面が突如青紫色の光を発し、次の瞬間にはどこからともなく巨大な要塞が姿を現した。

 遠目から見ても重厚で強固であることが分かる、黒に近い灰色の石で築き上げられた塀と建物。門の左右には骸骨を模った巨大な石像が設置されており、見覚えのない紅蓮色の生地に金色の糸で紋章が織り込まれた旗を掲げ持っている。

 不気味で禍々しい要塞の出現にガゼフだけでなく王国軍や帝国軍全ての者たちが大きく騒めく。

 誰もが緊張に身体を強張らせる中、不意に黒曜石のような輝きを放つ巨大な門がゆっくりと内側から開かれた。

 

 

 

「――………ほう、懐かしい我が友の気配を感じるな……」

 

 不意に響いてきた男の声に、ガゼフは本能的な衝動にブワッと全身が総毛立つのを感じた。同時に生存本能からくる強い恐怖も湧き上がってきて、怯みそうになる心に咄嗟に奥歯を強く噛みしめる。一体何が起こっているのか……と、ガゼフはゆっくりと開いていく謎の要塞の門を凝視した。そしてそこから出てきた存在たちに、思わず大きく息を呑んだ。

 門の内側から出てきたのは、正に死の軍勢だった。

 先頭には漆黒の美しいローブを身に纏った骸骨が立っており、その傍らには漆黒の全身鎧(フルプレート)を着た女だと思われる騎士が立っている。そして二人の周囲にはこれまた漆黒の巨大なアンデッドの騎士がずらずらと姿を現していた。

 ここから謎の大要塞までは遠く距離があるというのに、感じられる鬼気迫る威圧感は強大で相当なもの。全身に立った鳥肌は治まる気配すらなく、今も全身の肌がざわざわと粟立っているのを感じた。

 自分だけでなく王国軍全体や帝国軍すらも異形の存在の登場にすっかり気圧されてしまっているようだ。悪魔の至宝を掲げ持っていたバルブロも青白い顔に戸惑った表情を浮かべると、怯えている馬の上で呆然としていた。

 

「……ああ、そこにあったのか……! 懐かしい…我が友の魂……! 我が親愛なる友の心臓っ!!」

 

 漆黒の騎士たちを背に従えている骸骨がバルブロの持つ悪魔の至宝を見やり、高らかに声を張り上げる。どこか棒読みにも聞こえる声音は、湧き上がってくる感情を必死に抑え込んでいるためか。まるで大きな歓喜を表現するように、骸骨は身に纏っている漆黒のローブを大きく揺らめかせながら両手を大きく広げた。

 

「漸く……漸く見つけることができた! さぁ、大人しく我が友の魂を返せ!」

「………は、はぁっ!? ……な、何を言っている……! こ、これは、我が王国の……い、いや、この私の物だ! お前の様な輩に渡すはずがないだろうっ!!」

「……っ……!!」

 

 何度もどもりながらも反論して見せるバルブロに、ガゼフは勿論のこと王国軍も帝国軍も誰もが呆気にとられた。一目で唯者ではないことが分かる存在に対してなおも上から目線で傲慢な態度がとれるのは、バルブロに相当な度胸があったからなのか、はたまた唯の愚か者の馬鹿でしかないからか。普段のバルブロの姿を見ているガゼフとしては後者であるように思えてならない。また、バルブロの言動によって相手を刺激してしまい最悪な事態になるのではないかという強い緊張感と恐怖が全身を走り抜けた。

 一体どうなるのかと誰もが固唾を呑んで注視する中、骸骨は暫くの間黙り込んだ後、ゆっくりと小首を傾げるような素振りを見せた。

 

「……それはお前の様な愚かな人間が持つべき物では決してない。私の大切な友の魂が封じ込められた……いわば我が友の心臓そのもの。……もう一度言う、今すぐにそれを我が手に返せ」

 

 バルブロの言動が気に障ったに違いない、骸骨の声音が明らかに低く硬くなっている。バルブロもこれには漸く危機感を覚えたのか、唇を引き結んで黙り込み、どうするべきかと困惑の表情を浮かべていた。

 しかしもはやその行動すらも相手側にとっては気に入らないものになっていたのだろう。骸骨は再び数秒黙り込むと、次には小さく顔を俯かせて睨み上げるように眼窩の闇に揺らめく深紅の光をバルブロに向けた。

 

「………なるほど、意地でもその至宝を渡すつもりはないということか。……ならば仕方がない、力づくで取り戻すとしよう」

「……なっ……!?」

「そして、その傲慢で無礼な行いを贖ってもらう。……そう、お前たち強欲で愚かな人間どもの多くの血と命と、遥か昔に我が領土であった一つの都市をもってな」

 

 バルブロや多くの者たちが思わず驚愕に騒めく中、突然骸骨を中心に大きな魔法陣が出現した。

 大きさは直径十メートルにもなろうか。半球型で立体的な巨大なドームの形をしているそれは、半透明の文字とも記号ともいえるようなものが浮かんでは目まぐるしく形を変えている。青白く発光している様はひどく幻想的で、この場にいる誰もが先ほどまでの恐怖も忘れて目を奪われた。

 しかし勘の鋭い者は本能的に嫌な予感がしたのだろう、俄かに騒めき始め、無意識に後退りしようとする者も多数出てくる。

 ガゼフもその内の一人であり、先ほどから自身の中で大きく鳴る警鐘の音にグッと剣の柄を握る手に力を込めると、まるで恐怖を振り払うように大きく踵を返した。

 一刻も早く国王を連れてこの場から逃げなければならない。ガゼフの第一の役目は国王を守ることであり、そのため彼は自身の勘に従って迷うことなく逃げることを選択した。

 入室の言葉も惜しみ、捲り上げられている入り口の垂れ幕を潜って国王のいる天幕の中に押し入る。

 天幕の中にいた戦士団の兵士が咄嗟に剣の柄を握って身構えてきたが、しかし入ってきたのがガゼフだと知るとすぐに構えを解いて頭を下げてきた。

 

「おおっ、戦士長! 丁度良いところに! あれは一体何であるのか、そなたは分かるだろうか?」

「いいえ、陛下。申し訳ありませんが、私にもあれが何であるのか皆目見当もつきません。ですが、一刻も早くこの場から逃げなければならないことは分かります。陛下、どうか全軍に撤退をご命令ください!」

「……うむ、そうだな。私も何やら危険を感じる。……すぐに全軍に撤退命令を流すのだ」

「はっ、畏まりました!」

 

 王の命を受け、傍らに控えていた兵の一人が敬礼と共に急いで天幕を出ていく。

 ランポッサ三世は数秒走り去っていく兵の背を見送った後、次には別の兵に目を移した。

 

「あれもすぐに呼び戻す必要があるな。……すまないが、あやつを迎えに……――」

 

 未だ前線にいるであろうバルブロの身を案じ、王が王子の迎えを頼もうと声をかける。

 しかし王がその言葉を言い終わる前に再び変化が訪れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 謎の巨大な要塞の出現に、帝国軍でも困惑と警戒の騒めきが起こっていた。

 この軍の総指揮官であるナテル・イニエム・デイル・カーベインは勿論のこと、彼の右隣に並ぶように立っている四騎士のバジウッド・ペシュメルとニンブル・アーク・デイル・アノックも驚愕と警戒の色を浮かべた目でじっと要塞を見つめている。

 そして要塞の中から出てきた異形の軍勢と、悪魔の至宝を持ってきたという王国の王子との会話。

 骸骨と話しをしているのはあくまでも敵国の王子ではあったが、傍から見ていた帝国(こちら)側としても『余計なことを言うんじゃない!』と王子に対する苛立ちと異形の骸骨に対する恐怖が絶えず湧き上がっていた。

 そして異形の骸骨を中心に突如出現した見たことのない巨大な青白い魔法陣。

 一体何が起こり、これから何が起ころうとしているのか……と本能的に溢れる冷や汗を止めることができない。

 ニンブルは無意識に半歩後退ると、反射的に自身の右隣に立っているレオナール・グラン・ネーグルを振り返った。

 

「……ネ、ネーグル殿……、あ、あれは一体何なのですか? あなたは彼らの正体や、あの魔法陣が何であるのか……何か…何か思い当たるものはありませんか……!?」

 

 ニンブルの声に反応して、左隣にいたバジウッドやカーベインもレオナールの方に視線を向ける。

 問いかけた本人であるニンブルとて、レオナールが何かしらの答えをくれるとは本気で思ってはいない。ダメ元で問いかけてみただけであり、少しでも何かに縋りつきたいという思いが問いという形になっただけだ。

 しかし見つめた先にいたレオナールは見るからに『信じられない』といった表情を浮かべており、それは明らかに何かを知っているような表情だった。

 

「レオナール殿、何か知っているのですか……!?」

「……っ……! ……あ、い、いえ……そういう訳では、ないのですが……。ただ……」

「ただ、なんですか! 些細なことでも良いのです、何かあるのなら教えてください!」

 

 困惑したように言い淀み黙ってしまうレオナールに、ニンブルは思わず怒鳴るように問いかけてしまう。通常であれば諌められてもおかしくない態度ではあったが、しかし緊迫感が急激に高まっている今、バジウッドもカーベインもニンブルを止めることはせずに真っ直ぐに強い視線をレオナールに向けていた。

 レオナールは今まで骸骨に向けていた目をニンブルたちに向けると、困惑した表情はそのままにゆっくりと口を開いた。

 

「……あの骸骨の異形についてや、今出現している魔法陣については本当に何も分からないのです。……ただ、何故か懐かしいような感情が湧き上がってきたことが不思議で……」

「懐かしい? あのアンデッドがか?」

「ええ、私自身も不思議で仕方がないのですが……。あと分かることといえば、あの骸骨の周りに控えている巨大なアンデッドは死の騎士(デス・ナイト)と呼ばれる異形ですね」

 

 “懐かしい”という言葉にバジウッドが疑問を投げかけるも、レオナールは頭を横に振っただけで他の異形へと話しを移してしまう。

 一瞬何かを誤魔化そうとしているのではないか……という考えが頭を過ぎったが、しかしレオナールの顔には今もなお困惑の色が濃く浮かんでおり、本当にレオナール自身も分からず混乱しているのだろう……とニンブルは思い直した。

 それよりも今はこの場をどうにかする方が何よりも先決だ。何かが起こって軍に損害が出ては不味い……とニンブルは全軍撤退を願い出るべくカーベインに顔を向けた。

 その時――

 

 

 

「王子殿下を守るのだ! 突撃いぃぃっ!!」

 

 突然聞こえてきたドラ声と雄叫びに、ニンブルはハッとそちらに目を向けた。

 視線の先にいたのは王国の左翼軍で、一人の恰幅の良い戦士のような風貌の貴族に率いられて異形の軍に突撃を仕掛けていた。馬に乗った貴族や騎士は剣を掲げ、民兵たちは長い槍を構えながら恐怖に彩られた雄叫びを上げている。

 王国の左翼軍が自国の王子を守るべく異形の軍との距離を縮める中、魔法陣を展開していた骸骨が大きく骨の咢を開いた。

 

「死の入り口よ、開け。――〈冥界への黒水門(ダークスルース・オブ・ヘル)〉!!」

 

 骸骨の詠唱の言葉と共に青白い魔法陣が更に強い光を放ち、勢いよく弾ける。

 一瞬訪れた静寂の後、次には分厚く立ち込め空を覆いつくしていた黒い雲を突き破って天から巨大な青白い何かが地面へと落ちてきた。

 青白い何かは十字の形をしており、その大きさは優に30メートルを超える。

 その十字の何かは迫っていた王国の左翼軍のすぐ目の前の地面に突き刺さると、そこを中心に半径800メートルほどの黒い円を出現させた。

 円の中はまるで底なし沼のようになっているようで、円の中に侵入していた王国左翼軍の多くの兵が悲鳴を上げる間もなく黒の中に沈み呑み込まれていく。突撃の勢いも相俟って、立ち止まろうとするも間に合わずに七万もいた王国左翼軍の凡そ八割が一瞬で黒の中に呑み込まれて消滅した。

 あまりにも予想外の事態に、王国軍も帝国軍も誰もが驚愕の表情を浮かべて愕然となる。

 しかし彼らにとっては不幸なことに、骸骨が放った魔法の効果はこんなものでは終わらなかった。

 誰もが王国左翼軍の末路に恐怖を覚える中、円の水面が不意に波打ち始め、次には揺らめく黒の中から多くのアンデッドが姿を現し始めた。

 続々と姿を現すアンデッドは多種多様で、それこそ普通のゾンビやスケルトン、死霊(レイス)や見たことのない獣系のアンデッドまで様々だ。中には魔法を放った異形の骸骨の周囲に待機している巨大なアンデッドの騎士――確かデス・ナイトといったか――と同じモノも少数ながらも出てきており、また黒色の水面の中には未だ姿を現していない巨大な異形の影が複数蠢いているようだった。

 アンデッドたちは黒い液体を全身から滴らせながら、まるで這うように円の外側へと出てくる。どれもが不気味な唸り声を上げ、近くにいた生者たちに襲い掛かり、黒い雫と真っ赤な血飛沫を周囲に撒き散らした。

 アンデッドたちの身体から滴り落ちた黒の液体は地面を侵食し、どんどんと黒の沼の面積が広がっていく。

 アンデッドたちに襲われた者や逃げ遅れた生者たちは成す術もなく黒の沼の中に呑み込まれ、そこから更に多種多様なアンデッドたちが浮き上がって沼の外へと這い出てきた。

 その様はまるで死の世界がじわじわと広がり生者の世界を侵食しているようで、見る者全てを恐怖と絶望の底に突き落とす。

 そしてそれは優秀な帝国の騎士たちや、勇猛果敢な四騎士のバジウッドやニンブルも同様だった。

 

「あ、あれは一体……一体何が起こっているんだ……!!」

「……これは不味いですね……。……カーベイン将軍閣下、今すぐに全軍に撤退命令を出して下さい。殿は私が務めます」

「……っ!! わ、分かった……!」

 

 唯一人落ち着いた様子で指示を出すレオナールに、ニンブルやバジウッドを始め、話しかけられたカーベインもハッと我に返って何とか落ち着きを取り戻す。言われるがままに一つ頷くと、カーベインはすぐさま全軍に撤退命令を発した。

 彼の力強い声音と鋭い命令の言葉に、周りにいた帝国騎士たちも漸く我を取り戻す。次には慌てながらも整然とした迅速な動きで撤退準備を始める騎士たちに、レオナールは彼らに背を向けて一歩二歩とこちらにもじわじわと迫りきているアンデッドの群れに向けて歩み出ていった。

 先ほどの言葉通り、殿を務めようとしているのだろう。

 彼の冷静でいて力強い姿にニンブルはグッと怯える自身の感情を抑え込むと、何とか勇気を振り絞って腰に差している剣の柄に手をかけた。

 未だ若輩者ではあるが、これでも皇帝にこの力を認められて“四騎士”の一人となった身である。ここで恐怖に負けてレオナール一人を残して背を向けては、皇帝に顔向けができない。何より、恐怖に負けて逃げることを自分の矜持が許さない。

 ゆっくりと剣を抜き放ちながらレオナールの下に歩み寄るニンブルに、ふと隣に大きな影が並ぶように立ったことに気が付いた。

 チラッと視線だけでそちらを見れば、バジウッドもまた自分と同じように剣を抜き放って構えている。いつにない厳しい表情を浮かべてゆっくりと迫りきているアンデッドを睨んでいるバジウッドの姿に、恐らく彼も自分と同じことを考えたのだろうと思い至って少しだけ笑みを浮かべた。しかしすぐさま表情を引き締め、ニンブルもまた目の前まで来たアンデッドに意識を戻す。

 初めにゾンビを切り倒すと、返す刃でスケルトンを打ち砕く。

 両隣ではレオナールとバジウッドもそれぞれ得物を振るってアンデッドを倒していた。レオナールはいつの間にどこから取り出したのか、右手には杖を、左手には短剣を持ち、慣れた様子で振るいながらあらゆる魔法も放っている。

 しかし相手をしなければならないのは下位のアンデッドばかりではない。

 不意に頭上から黒く巨大な影が差し、思わず空を見上げたニンブルは驚愕に目を見開いた。

 

「………あ、あれは……骨の竜(スケリトル・ドラゴン)!?」

「……おいおいマジかよ……。……それも一度に三体だとっ!?」

 

 まるで嵐のような突風と共に、世界中に轟くのではないかと思うほどの咆哮が鳴り響く。次には大きな地響きが周囲を震わせ、ニンブルとバジウッドの言葉通り、三体ものスケリトル・ドラゴンが大きな羽ばたきと共に地上に舞い降りた。

 突然の強敵の登場にニンブルもバジウッドも思わず苦い表情を浮かべる。武器が剣しかないことに、思わず内心で大きく舌打ちを零した。

 スケリトル・ドラゴンは強力なアンデッドではあるが、一体であればミスリル或いはオリハルコン級冒険者でも倒すことはできる。しかしスケリトル・ドラゴンはアンデッドであるが故に刺突や斬撃といった攻撃はあまり効かず、また魔法に対する絶対耐性も有していた。厄介極まりない特性持ちであり、剣しか持っていない今のニンブルやバジウッドにとっては正に強敵だ。

 それも目の前にいるのは一体ではなく三体であり、加えて相手をしなくてはならないのはスケリトル・ドラゴンだけではない。周囲には未だ多種多様のアンデッドが犇めきこちらの距離を縮めようとしており、ニンブルは全身を冷や汗で濡らしながら思わず顔を大きく引き攣らせた。

 思わず小さく後退りしたその時、突然視界の端に銀色の光が走り、目の前まで迫ってきていたスケリトル・ドラゴンの一体の顔を勢いよく弾き飛ばした。バチィィンッという鋭い音が辺りに響き渡り、スケリトル・ドラゴンの横顔の骨が激しく弾け飛んで大穴が空く。そのまま地響きのような呻き声と共に他の二体を巻き込んで倒れ込むスケリトル・ドラゴンに、銀色の何かは宙を泳ぐようにニンブルのすぐ横まで戻ってきた。

 呆然とそちらに目を向ければ、そこにはレオナールが涼しい顔で立っている。彼の手には見覚えのある竜を模った白銀の仕込み杖が握り締められており、その杖を見た瞬間、ニンブルは先ほど何が起こったのかすぐに理解した。

 グリップ部分が竜の頭から胴体、そして支柱の部分が竜の長い尾になっているその杖は、レオナールが闘技場の試合でも使っていた特殊な仕込み杖。恐らく鞭のように支柱を伸ばして攻撃できるその杖を使い、スケリトル・ドラゴンの横顔を張り倒したのだろう。たったの杖の一振りでスケリトル・ドラゴンを弾き倒すことのできるレオナールの力の強さに内心で舌を巻く。

 一体彼はどれほどの力を有しているのか……と思わず背筋を寒くさせる中、視線の先に立つレオナールが少し不満そうな表情をその整い過ぎている顔に浮かべた。

 

「……ふむ、やはりあの程度では倒すことは難しいですか。分かっていたこととはいえ、少々面倒臭いですね……」

 

 レオナールの言っている言葉の意味が分からず、頭上に疑問符を浮かべながら彼の視線を辿ってみる。そしてゆっくりと立ち上がろうとしている三体のスケリトル・ドラゴンの姿が視界に映り込み、ニンブルもまた思わず苦々しい表情を浮かべた。

 一体どうするべきかと思考を巡らせる中、隣で大きなため息の音が響いた。

 

「……ペシュメル様、アノック様、申し訳ありませんが少々この場を失礼させて頂きます。すぐに戻りますので」

「……は……?」

 

 レオナールから予想外の言葉をかけられ、ニンブルは思わず呆けた声を零してしまう。

 しかしレオナールは気にする素振りすら見せずに、もの凄い速さで一直線にスケリトル・ドラゴンたちの下へ駆けだしていった。スケリトル・ドラゴンの足元で蠢いているアンデッドたちに対しては駆ける足はそのままに炎の魔法を放って容赦なく焼き払っていく。

 レオナールはスケリトル・ドラゴンのすぐ目の前まで駆け寄ると、そこで漸く足を止めて杖を構えるでもなくただ棒立ちになってスケリトル・ドラゴンを見上げた。仕込み杖を持つ右手はだらりと力なく垂れ、徐に左手を上に伸ばして、まるで誘うようにスケリトル・ドラゴンたちに向けた。

 

「ほら、さっさと来い。早く終わらせるぞ」

 

 言葉を紡ぐ声音には一切緊張の音は含まれておらず、手招きする左手の動きもひどく柔らかく優雅だ。

 一瞬ここが戦場であることを忘れてしまいそうになるレオナールの言動と雰囲気に、しかしそれに応えるのは感情のないスケリトル・ドラゴンたち。けたたましい咆哮と共に巨大な前脚や尾を繰り出してくるスケリトル・ドラゴンたちに、しかしレオナールは一切避ける素振りすら見せずに、ただ差し伸べていた左手を下ろしながら杖を持つ右手を勢いよく振るった。

 瞬間、白銀の杖の支柱が鞭のようになり、複雑な軌跡を描きながら襲いくる前脚や尾を容赦なく弾き飛ばしていく。白銀が閃く度に、スケリトル・ドラゴンの身体を形作っている多くの骨が無数の欠片となってボロボロと零れ落ちていった。

 しかし痛みを感じないスケリトル・ドラゴンの動きは止まらない。そして迎え撃つレオナールの動きも止まらない。

 牙が前脚が胴体が首が尻尾が……スケリトル・ドラゴンが何かしらの攻撃を繰り出そうとする度に長い白銀が鋭く宙を舞い、容赦なく弾き飛ばして骨の欠片を周囲に撒き散らしていく。遂には自身の身体を支えられなくなったスケリトル・ドラゴンたちが他のアンデッドたちを巻き込みながら地面に倒れ込み、レオナールはそれでもなお牙を剥こうとしているスケリトル・ドラゴンたちの頭部に容赦なく杖を振り下ろした。バキィッという鋭い破壊音と共に頭部が粉々になり、眼窩の灯りが消え失せて沈黙したスケリトル・ドラゴンたちに、レオナールは一切目もくれずに次には周囲に蠢いているアンデッドたちの対処に向かった。

 ここまででかかった時間は数分程度。恐らく10分も経ってはいないだろう。

 一切ダメージを負うことなく、どこまでも余裕のある素振りで短時間で三体ものスケリトル・ドラゴンを倒してしまったレオナールに、ニンブルもバジウッドも開いた口が塞がらなかった。

 しかしいつまでも呆けていられるほど、この場は安全になったわけではない。こちらに迫ってきていたアンデッドを反射的に切り倒しながら、ニンブルはすぐ傍に立つバジウッドに話しかけた。

 

「……どうやら持ち堪えられそうですね。全軍が撤退するまでにはもう少々時間はかかりそうですが……ネーグル殿がいて本当に良かったです」

「だな。あいつがいなかったらと思うとゾッとするぜ……」

 

 バジウッドもまた多くのアンデッドを切って捨てながら大きく頷く。彼の厳めしい顔にはニヤリとした笑みが浮かんでおり、どうやらレオナールの戦いを身近で見られたことが嬉しくて仕方がないようだった。まったくこんな大変な時に……とバジウッドの緊張感のない反応と考えに少しだけ呆れてしまう。しかしそう思うニンブル自身も、レオナールのおかげで随分と余裕を持てるようになっていた。彼がいれば無事にこの場を乗り切ることができる……という思いが湧き上がってくる。

 絶えず襲いかかってくるアンデッドたちを打ち倒しながら、ニンブルはチラッと王国軍の方に視線を向けた。

 レオナールやニンブル、バジウッドの働きによって無傷で撤退できそうな帝国軍とは打って変わり、王国軍の被害は相当なものになっているようだった。

 規律もなく、ただ恐怖に突き動かされてバラバラに逃げる王国軍の民兵たち。黒い沼がどんどんと拡がり地面を覆ってしまっているため、死体も殆どが呑み込まれてしまってはいるが、それでも未だ生きて逃げている王国軍の規模からみると、多くの民兵たちが黒い沼に呑み込まれたのだろうことが窺い知れる。多種多様な多くのアンデッドたちが逃げ惑う王国の兵たちに襲いかかっており、多くの悲鳴が響き渡る地獄のような惨状が広がっていた。

 

「……おいおい、マジかよ! あのアンデッドも来やがったぞ!」

 

 王国軍の悲惨な状態に思わず顔を顰めるニンブルの耳に、バジウッドの焦った声が聞こえてくる。

 慌ててそちらに目を向ければ、バジウッドの視線の先に複数の漆黒の騎士のアンデッドがこちらに向かってきているのが見てとれた。

 未だアンデッドの騎士たちとは距離があるが、それでも既に感じ取れる強い威圧感に一気に背筋が戦慄する。

 思わず顔を引き攣らせて全身を強張らせるニンブルに、まるでこちらを庇うように唐突にレオナールの背中が視界に飛び込んできた。

 

「あのデス・ナイトたちの相手は私が務めましょう。帝国軍の方々は無事に戦場を離脱できたようですし、お二人もそろそろ撤退してください」

 

 レオナールの言葉に反射的に背後を振り返れば、確かに遠くの空に“撤退完了”を知らせる狼煙が上がっているのが見てとれる。こちらも撤退して良いという合図に、ニンブルは素早くレオナールに視線を戻した。

 

「ならばネーグルさんも一緒に引きましょう! あのアンデッドはあまりにも危険です!」

 

 もの凄い速さでこちらとの距離を縮めてきている五体ものデス・ナイトに、湧き上がってくる恐怖を必死に抑え込みながらレオナールに声をかける。

 しかしレオナールはデス・ナイトを見つめたまま静かに頭を横に振った。

 

「いいえ、それではあれらに追いつかれてしまうでしょう。それでは殿を務めていた意味がなくなってしまいます。私の心配は不要ですので、どうかお二人は逃げて下さい」

「……ふんっ、お前一人残して逃げるなんて冗談じゃねぇ。本当に心配する必要がないのなら、俺もここに残らせてもらうぜ」

 

 こちらを心配させないためか淡々とした口調で言ってくるレオナールに、しかしバジウッドの皮肉交じりの言葉がそれを切って捨てる。

 『心配する必要がない』ということは、つまりレオナールはあの五体ものデス・ナイトにすら勝てるということ。ならばわざわざ自分たちが逃げる必要はないだろう……と言外に言ってのけるバジウッドに、レオナールはチラッと目だけでバジウッドを見やり、次には少し呆れたような苦笑を浮かべてきた。

 

「……まったく、強情ですね……」

「お前も相当だと思うがな。まっ、ここはお前が諦めてくれ」

「……はぁ、仕方ありませんね……。ですが、デス・ナイトを倒せるからといって、あなたたちの無事が保証されている訳ではありません。くれぐれも注意は怠らないようにしてください」

「まぁ、そうだわな。死なない程度に立ち回るさ」

 

 どこまでも冷静な声音で警告してくるレオナールに、軽口を返しながらもしっかりと頷いて返すバジウッド。

 二人のまるで友人同士のようなやり取りにニンブルは恐怖を和らげると、改めて気を引き締めて地面を強く踏みしめた。

 二人がこの場に残るというのなら、ニンブルも一人この場を逃げるわけにはいかない。この場を去る時は三人一緒に……! と決意を新たに既に目の前にまで迫ってきていたデス・ナイトを鋭く睨み据えた。剣の柄を更に強く握りしめ、腰を低くして力を溜める。

 いつでも攻撃できるようにタイミングを計る中、一人身構えることもせずに優雅に立っていたレオナールがデス・ナイトの一体に指先を伸ばした。

 

「〈魔法三重最強化(トリプレットマキシマイズマジック)火球(ファイヤーボール)〉」

「「……っ……!!」」

 

 瞬間、巨大な炎の球体が三つ出現し、勢いよくデス・ナイトに襲いかかって着弾と同時に炎が周囲に膨れ上がる。

 デス・ナイトは未だ健在ではあったが、周りにいた他のアンデッドたちは声すら上げる間もなく炎に焼かれて炭と化した。ボロボロと崩れて宙を舞う塵や炎を振り払いながら、デス・ナイトたちが恐ろしい雄叫びと共に再びこちらに迫ってくる。

 アンデッドであるため攻撃が効いているかどうかも分からないデス・ナイトの様子に思わず気圧される中、レオナールが面倒くさそうに一つ大きなため息を吐き出した。徐に懐から小さな小瓶を取り出すと、蓋を取って迷うことなく中の赤い液体を飲み干す。そして更に距離を縮めて今や目と鼻の先にまで来ていたデス・ナイトを見やると、なおも余裕の色を崩さないままに再び右手の人差し指を突き付けた。

 

「〈魔法最強化(マキシマイズマジック)龍雷(ドラゴン・ライトニング)〉」

 

 淡々とした詠唱の言葉と共に龍のようにのたうつ巨大な雷がレオナールの肩口から指先へと走り抜け、そのまま指先を離れてデス・ナイトに襲いかかる。

 バリバリという放電の音と、網膜が焼けると思うほどの光の洪水。何より今まで感じたことのない攻撃の余波の衝撃に、ニンブルとバジウッドは思わず腕で顔を庇いながら顔自体も背けた。未だ周りにはアンデッドたちがいるであろう危険な状況で、しかし今もなお続く光の気配と衝撃音に目を開けることができない。レオナールは今もなお攻撃を続けているようで何か声のようなものは聞こえてきてはいたが、その言葉は何一つ聞き取れず、何が起こっているのかも全く分からなかった。

 暫く続く、大きな衝撃と爆発音と光の放流。

 永遠とも一瞬とも思える時間の後、漸く音が止み、目が開けられるようになったことに気が付いて、ニンブルとバジウッドは恐る恐る閉じていた目を開けながら背けていた顔を元に戻した。そして目の前に広がった光景に思わず驚愕に大きく目を見開いた。

 先ほどまでは確かにいた五体のデス・ナイトと多くのアンデッドたち。地面に沈んでいたアンデッドの死体やスケリトル・ドラゴンの成れの果て。

 しかし今目の前にはそれら全てが存在していなかった。

 あるのは何もない赤茶けた地面のみで、焼け焦げた跡のみが地面に刻み込まれている。

 一体何が起こったのかと周りを見回せば、少し離れた場所にレオナールの後ろ姿があり、更にその奥では数分前に見た光景同様に多くのアンデッドに襲われている王国軍の姿が目に飛び込んできた。

 ということはこのカッツェ平野で起きている状況自体は何も変わってはいないのだろう。いや、むしろ先ほど見た時よりも更に大きく広がっている黒の沼の惨状を見るに状況は悪化しているのかもしれない。

 自分たちがこうして無事でいるのは、偏にレオナールが何かの術で自分たちを守ってくれたためだろう。

 ニンブルとしてはレオナールが一体何をしたのか非常に気になるところではあったが、しかし今はそれを追求している余裕はない。取り敢えず自分たち周辺のデス・ナイトや他のアンデッドたちの一掃はできている様子であるため、今のうちにこの場を撤退した方が良いだろう。

 ニンブルは注意深く周囲を見渡しながらも、何故か微動だにせずに立ち尽くしているレオナールの背に声をかけた。

 

「ネーグル殿、どうやら近くにはアンデッドたちはいないようです。今のうちに我々も撤退しましょう」

「……………………」

「ネーグル殿?」

 

 しかしレオナールは声をかけてもなお微動だにせず、何の反応も返してこない。

 そんな今までになかった男の様子に、ニンブルは思わず小さく首を傾げた。バジウッドも怪訝に思ったようで互いに無言のまま顔を見合わせる。

 ニンブルとバジウッドは再びレオナールに視線を戻すと、二人でレオナールの下に向かおうと足を踏み出した。

 しかしその時、不意に大きな何かの気配がものすごい速さでこちらに接近してきていることに気が付いてニンブルは慌ててそちらに目を向けた。

 

 

 

「――……ウルベルト・アレイン・オードル様……っ!!」

「「……っ……!?」」

 

 鋭い気配に目を移した瞬間、視界に飛び込んできた漆黒の騎士の姿。腰から生えている漆黒の翼を羽ばたかせて低空飛行でこちらに向かってきているのは、間違いなくあの異形の骸骨の傍らに控えるように立っていた漆黒の女騎士だった。

 女騎士の姿形は人間と同じように見えるが、しかし兜のこめかみ部分から覗く角や腰の両翼から、彼女も恐らく何らかの異形であろうことが窺い知れる。

 異形の……それも相当な力を持っているであろう存在の登場に、ニンブルとバジウッドは咄嗟に剣を構えるものの本能的な恐怖で全身を強張らせた。

 

「〈魔法効果範囲拡大化(ワイデンマジック)炎の壁(ファイヤーウォール)〉!」

「「……っ……!?」」

「……っ……!! ウルベルト・アレイン・オードル様っ!?」

 

 女騎士がすぐ目の前まで迫ってきたその時、レオナールの詠唱の声と共に視界を紅蓮の炎が覆いつくす。

 気が付けば大きな炎の壁が自分たちと女騎士の間に、まるで線引きするように出現しており、女騎士は地面に着地して突撃を止めながらもう一度聞き覚えのない名を呼んだ。

 一体何が起こっているのかと反射的にレオナールを見つめるも、彼は炎の合間から覗く女騎士をじっと見つめていた。

 

「ウルベルト・アレイン・オードル様、まさかあなた様ご自身にもお会いすることができるとは! ですが、何故このようなことを!」

「……何を言っているのか分かりませんが、私はウルベルト・アレイン・オードルという人物ではありません。人違いですよ」

 

 必死の声音でレオナールに語りかける女騎士に、しかしレオナールは緩く頭を振りながら女騎士の言葉を切って捨てる。それでいて自身の背に隠した右手の指先でチョイッチョイッとこちらに来るように合図してくるレオナールに、ニンブルとバジウッドはそれに気が付いてゆっくりとレオナールの下に注意深く歩み寄っていった。

 女騎士はレオナールと言葉を交わしているためか、はたまた最初からこちらには全く興味がなく眼中にないのか、ニンブルとバジウッドの動きには全く意識を向けることなく一心にレオナールだけを見つめている。

 レオナールはニンブルとバジウッドが自身のすぐ後ろまで来たことを気配だけで確認すると、顔は女騎士に向けたまま自身も一歩後ろに下がってニンブルとバジウッドとの距離を更に縮めた。

 

「あなたがどなたと勘違いしているのかは知りませんが、我々はそろそろお暇させて頂きます。〈集団転移(マス・テレポーテーション)〉」

「……っ!! お待ちを、ウルベルトさ……――」

 

 咄嗟に引き止めるようと伸ばされた女騎士の漆黒の腕。炎に焼かれるのも構わずに突き出された手に、しかしレオナールは魔法を発動させて一瞬でこの場から転移した。

 次に彼らが立っていたのはカッツェ平野から十キロほど離れた場所で、そこは帝国軍がカッツェ平野に進軍する際に途中休憩をとる中継地点のすぐ近くだった。

 カッツェ平野にある駐屯基地と比べると見劣りはするものの、それでも立派な基地が建てられており、先ほどまでの喧騒が嘘であったかのような静けさに包まれている。

 恐らく先に撤退した帝国軍は未だここまでは来ていないのだろう。周りを見回してみても軍の影すら見当たらなかった。

 

「申し訳ありません、急いで転移したものですから帝国軍の皆さんがいるであろう撤退場所とは少し離れてしまったようです」

 

 レオナールも周りを見回した後、申し訳なさそうな表情を浮かべて謝ってくる。

 謝罪の言葉と共に頭を下げてくるレオナールに、ニンブルは慌てて声をかけながら頭を上げさせた。

 

「いえ、とんでもない、どうか頭を上げて下さい! むしろ頭を下げるべきはこちらの方です。ネーグル殿には大変ご迷惑をおかけしてしまいました。わたくしどもを助けて下さり、ありがとうございます」

「いいえ、礼には及びません。あの悪魔の至宝からの不測の事態に対処するのが皇帝陛下から依頼いただいた内容でしたし、あんな状況で一人逃げるのはあまりにも後味が悪いですからね」

 

 こちらを気にかけてくれたのだろう、どこか軽い口調でそんなことを言ってくるレオナールに、ニンブルは苦笑を浮かべながらも心の中でもう一度感謝の言葉を繰り返した。

 とにかく今は帝国軍にこちらの位置を伝えようと基地の方に足先を向ける。

 三人並んで基地に向かう中、不意にバジウッドが厳めしい顔に真剣な表情を浮かべながらレオナールに目を向けた。

 

「そういやぁ、あの女騎士があんたのことを“ウルベルト・アレイン・オードル様”って呼んでたが、あれは一体どういうことなんだ?」

 

 ニンブルも内心ではすごく気になっていたことをバジウッドが尋ね、ニンブルも彼らに目を向ける。

 問いかけられたレオナールは少し考えるような素振りを見せた後、小さく眉を顰めて緩く頭を振った。

 

「それが、思い当たることが全くないのです。やはり人違いなのだと思うのですが。……ただ……」

「ただ……なんだ……?」

「あの異形の骸骨や女騎士に感じた懐かしいような感覚……。それに“ウルベルト・アレイン・オードル”という名前にもどこか聞き覚えがあるような気もしていて……。今は何もかもよく分かりませんが、少し調べてみようかと思います」

「……そうかい、それじゃあ、また何か分かったら教えてくれ」

「ええ、お約束しましょう」

 

 真剣な表情を浮かべてしっかりと頷いてくるレオナールに、バジウッドも満足そうな笑みを浮かべて大きく頷いて返す。

 恐らくバジウッドもレオナールの言葉に対して思うことはあるのだろう。しかしレオナールが“約束”という言葉を使ったのだ、これまでの男の言動を思えば、こちらとしてはそれを信じて待つしかない。

 ニンブルは胸に渦巻く多くの疑問や突如現れた異形たちの存在に恐怖と不安を湧き上がらせながら、皇帝への報告はどうするべきかと頭を悩ませるのだった。

 

 




今話からの『王国 vs 帝国』編の物語は、もしかしたらご都合主義になっているかもしれません。
なるべく説得力があるように私なりに結構考えて物語や流れ等を考えてはみたのですが、もしかしたら違和感などもあるかもしれません。
一応、王国と帝国の戦場(戦本番)場面の後にナザリック側の計画の全容も説明する予定ではあるので、そこまでお待ち頂き、読んで頂ければと思います。
そのうえで違和感やご都合主義的なものが感じられた場合は、大変申し訳ありません。
一度このタイミングで注意喚起の意味も込めて謝罪させて頂ければと思います(深々)

*今回の捏造ポイント
・〈異界への黒水門〉:
超位階魔法で、範囲攻撃の即死系召喚魔法。尤も召喚するのは低位~中位のアンデッド。最初の死者(生贄)のレベルや数によって召喚されるアンデッドの数やレベルが決まってくる。そこから更に広がる被害に従って何重もの波のようにアンデッドが召喚されていく。召喚の波を消すためには、
・アンデッドを全て消滅させる
・ランダムの制限時間が過ぎるのを待つ
・一番最初の攻撃の際に出現する冥界の源(柱)を壊す
のいずれかの方法がある。
・〈炎の壁〉:
第五位階魔法で、〈獄炎の壁〉の劣化版魔法。言い換えれば〈獄炎の壁〉は〈炎の壁〉の上位版魔法。詠唱者の思う場所に炎の壁を出現させる。
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