実力至上主義の学校に数人追加したらどうなるのか。※1年生編完結   作:2100

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ep.93

 

 朝……いや、時刻的には昼の方が近いか。

 ベッドから起きると、端末に合計3件の通知が入っているのを確認した。

 そのうち2件はプライベートポイントの振り込み。

 1件目が28万ポイント、2件目が26万ポイント。

 それぞれセンター試験、そして二次試験の同日模試の結果を受け、その成績に合わせて俺に振り込まれたポイントだ。

 実は結構心待ちにしていたことだったりする。

 しかし実際に貰ってしまえば、まあこんなもんか、という感じだ。

 感覚的には幼少期にお年玉貰うときに似てる。額の桁が違うけど。

 とはいえ、よくもらった方だろ。

 恐らく前回からの予想通り、受験の学年の差によるプレミアム的なものはついてるんだろうけど。

 てことはつまり、来年以降は獲得ポイントが減ると予想されるわけか……なんか、そう考えると十分とはいえない数字って気もするが、まあいいか。これ以上は仕方がない。

 学習部が正式に立ち上げられてから、約3ヶ月が経過したことになる。俺はその間、先程の2つと合わせて合計6つの模試を受験した。

 その中で、振り込まれるポイントの量の基準に関して分かったことがいくつかある。

 ひとつ目の基準は、当然だが点数、偏差値と順位。だがこの基準は、単科目ではなく、複数科目の総合点、偏差値、順位の方を見ているであろうということ。

 一つの科目だけで高得点を取り、その他の科目でわざと手を抜いて受けたとき、ポイントが振り込まれなかったのが根拠だ。

 次に受験人数。その模試の規模が大きいほど、高得点を取ったときに獲得できるポイントが多い。

 最後に母集団のレベル。一口に全国模試といっても、その難易度はピンキリだ。難易度が高い模試ほど受験者の母集団レベルは高くなり、獲得できるポイントも高い。

 その他にもあるかもしれないが、俺に振り込まれるポイントの査定にこの3つの基準が使われていることは、少なくとも確かだ。

 まあ下二つに関してはある程度予想はできていたから、センター試験と二次試験はかなり気合入れて挑んだが……

 閑話休題。

 最後の1件の通知は、清隆からのメッセージだった。

 

「今日の10時から、ケヤキモールのカフェで一之瀬と堀北を交えて会えないか……」

 

 受信時刻は8時半ごろ。

 このメンツが一堂に会するということは、何らかの話し合いが行われるのか。その中に俺が入っているというのは、それなりの評価を受けているってことで素直に喜んでおこう。

 ただ、残念なお知らせがある。

 現在時刻が11時ちょうど。もしかしなくても圧倒的に遅刻である。

 春休み期間中も昼夜逆転はしないよう気を付けてはいるが、どうしても夜更かしをしてしまうもんだ。今日の就寝時間は午前3時。別に遊んでたわけじゃないから許してほしい。

 さて、実際問題どうするかな。

 準備と移動を今からどれだけ急いでも、到着するのは11時20分ごろになるだろう。話し合い開始から1時間半近くが経過することになる。

 そのころには、話し合いも既に煮詰まっているはず。そこに何の話も聞いていない新顔が出向いても、説明の手間などが増え、はっきり言って邪魔になるだけ。堀北あたりには「要らんわお前」みたいな感じで睨まれてもおかしくはない。

 ただ、それはこちらの一方的な想像に過ぎない。どんな状況にも対応できるよう、一応準備して向かうことにする。

 拒まれないならそのままそこにいればいいし、今さらいらないと言われたら、買い物やらなんやらして帰ればいい。休みに入ってから部屋出るのも久しぶりだし、外の空気を吸うのも悪くない。

 清隆にその旨をメッセージで伝え、すぐに準備を整え部屋を出る。

 その道中で、清隆から「分かった」という返信をもらった。

 拒まれなかったことにひとまず安心し、カフェまでの道のりを急ぐ。

 モール内に入り、息を整えてからカフェに入店。

 3人の姿はすぐに見つかった。

 

「悪い、ついさっき起きたばっかりでな」

「ううん、私の方こそ、急に呼んじゃったりしてごめんね」

「ちょっと、夜更かしの癖がつく前に直しなさい。新学期が始まってから遅刻したら承知しないわよ」

「あ、ああ、うん、はい」

 

 2人とも真逆の対応をどうもありがとう。

 それぞれがそれぞれの特徴を際立たせる。これがシナジー効果ってやつか。違うか。

 

「けれど、来たタイミングはちょうどいいわ。座って」

「ん、ああ」

 

 堀北に促されるまま、空いていた一之瀬の隣の椅子に腰掛ける。

 

「では、一之瀬さん。一つあなたに伝えておきたいことがあるの」

 

 その堀北の発言で、この状況と先ほどの堀北の「タイミングはちょうどいい」という言葉の意味を理解するに至る。

 このメンバーで話し合うネタと言えば、限られている。

 まずは先の特別試験のレポート。どのような戦略で臨み、どのような戦略で挑まれたかを報告しあう。俺がここに着く前に、恐らくこちらの方は済んだのだろう。

 そしてそれを受けて、もう一つが……

 

「単刀直入に言うわ。来年度以降は、このクラス間の協力関係を撤廃させてもらいたい」

「……そっか。やっぱり、そんな話が出るんじゃないかって思ってたよ」

 

 この場にいる4人は、俺たちとBクラスが協力関係を結ぶに至るきっかけになったメンバーでもある。

 となれば、その撤廃を話し合うときにもこのメンバーで、というのは不思議な話じゃない。

 

「今回の特別試験や、それ以前、特に体育祭の後からの状況を踏まえて判断したわ。Aクラスに上がるため、3年生に進級するまでに最低でもBクラス。そしてポイント面でも、Aクラスを狙えるような位置につけることを目標にする。その過程で、この協力関係がしがらみになってしまうリスクが非常に高いわ」

 

 そもそも、当時の俺たちと一之瀬のクラスが協力関係を結べた理由は、様々な意味でお互いが敵対関係になかったからだ。ポイント面でも実力面でも圧倒的に差があり、BクラスにとってDクラスは脅威になり得なかった。

 しかし、この一年で状況は大きく変わった。

 俺たちは、Bクラスを明確に「敵」と捉えることができるまでになった。

 それは協力関係の根底が覆ることを意味している。

 

「……そう、だね。確かにそうかもしれない」

「賛同してくれるかしら」

「うん。もっとポイントが詰まったときでいいんじゃないか、って言おうとしたんだけどね。でも堀北さんの目標を聞いたら、そんなこと言えないなって思って」

 

 それもそうだろう。

 さっきの堀北のセリフは、一之瀬に対して「明確に敵対する」と言っているようなもの。心に余裕を持ってはいられない。

 

「二人とも、同意見なのかな」

 

 一之瀬の問いに、俺も清隆も首肯で返答する。

 事前に示し合わせていたわけではない。

 だがこの状況なら、遅かれ早かれ協力関係の撤廃は必至だ。関係の撤廃に反論する材料は持ち合わせていない。

 俺たちの返事を確認して、一之瀬は一度ふっと息を吐いた。

 

「じゃあ、これから私たちは敵同士、ってことだね」

「ええ、そうね。今までありがとう、一之瀬さん」

「こちらこそだよ」

 

 どちらからともなく差し出された手は、テーブルの上で固く結ばれる。

 外から見れば、まるで和平交渉が成立したかのように見えるが、実際は真逆。堀北が宣戦布告をしたに過ぎない。

 それがこのような空気で終えられるのは、ひとえにこの協力関係が健全なものであったがゆえ、ということだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 話し合うべきことを話し終え、その後は雑談もなくスムーズに解散となった。

 なった、のだが。

 俺はなぜか一之瀬に呼び止められ、ここに残ることになった。

 まあ別に、今日は夜まで用事はないから一向にかまわないんだが。

 

「それで、俺に何か話があるのか」

 

 あまり時間を浪費するのも好きではないので、ここは時間を置かずに一之瀬に問う。

 

「あ、うん。それなんだけどね……」

「……」

 

 先ほど堀北と対峙していた時とは、明らかに雰囲気が違う。

 さっきは一本芯が通っていた。なんかこう、ピシッて感じだった。

 今も背中はピンとして、姿勢自体はいい。

 しかし、どこか弱弱しい。

 

「その前に、お昼ご飯、一緒にどうかな」

「……へ?」

 

 あまりに予想外の誘いに、少し呆けた声が出てしまった。

 

「まだちょっと早いけど、さっき起きたばかりってことは、まだ何も食べてないんだよね?」

 

 来店直後にちょろっと言っただけのセリフを、正確に覚えていたらしい。

 

「ああ。だからこの後、モールのどこかで昼飯食べる予定だったが……」

「私もそのつもりだったからさ。どうかな?」

「……」

 

 んー、まあ断る理由ないしな。

 今日は一人で食べたいってわけでもない。

 

「別にいいぞ」

「よかった。ありがとう」

「それから、俺が奢る」

「えっ、そんな……」

「部活のことの口止め料とでも思ってくれ」

 

 もちろん、一之瀬がわざと漏らすことはないだろうけど。

 ただあのままだと昼飯奢るとか言い出しそうだったし。

 そんなことになったらちょっと藤野に怒られそうだ。

 

「……じゃあ、お言葉に甘えさせてもらうよ」

「ああ、そうしろそうしろ。……正直助かっただろ?」

「にゃはは、まあね」

 

 残額がいくらあるかは知らないが、清隆と堀北にも奢ったようだし、余裕はないだろうからな。

 その後、カフェを出た俺たちは、近場のファストフード店で軽めの昼食を済ませた。

 

 

 

 

 

 

「おいおい冗談だろこれ……」

「うわー、これは……」

 

 サッと昼を食べ終え、モールを出ようと出口の自動ドアに来た俺と一之瀬。

 俺たちを待ち受けていたものは。

 

「まさに土砂降り、って感じだね……」

「食ってる時から雨音は聞こえてたけど、こんなに降ってたのか……」

 

 雨粒によって、少し視界が悪くなっているほどの激しい雨だ。

 困ったなこれは。

 

「速野くん、傘は持ってきてないの?」

「天気予報なんて見る間もなく、部屋飛び出したからな」

 

 モール内で妙に傘持ってる人が多いと思ったら、そういうことか。午後からは激しい雨、と天気予報で予想されていたようだ。

 

「どうしようもないな……」

 

 天気予報曰く、明日の朝まで降り続くらしい。夜にかけて勢いは弱まるそうだが、それでも強めの雨だそうだ。

 つまり何をするにしても、寮に帰る必要がある以上は傘が絶対になくてはならない。

 仕方ないか……。

 

「お前は傘持ってるみたいだし、先帰ってくれ。傘レンタルしてくる」

 

 時間を取らせるのも悪いと思い、そう提案する。

 しかし一之瀬は首を横に振った。

 

「ううん、ここで待ってるよ」

「いや、でも……」

 

 そんなことしなくても、と言いかけて、やめる。

 そういえば昼飯誘われたとき、「その前に」って言ってたっけか……

 つまり、これから何かしらの用事が俺にあるってことか。

 

「わかった。じゃあちょっと時間もらうぞ」

「うん」

 

 気持ち早歩きで傘のレンタル場所に向かい、往復5分ほどで一之瀬の元に戻ってくる。

 

「悪いな」

「ううん。じゃあ出ようか」

「ああ」

 

 二重の自動ドアを通り抜け、外に出る。

 やっぱりもの凄い雨だ。量もそうだが雨粒の大きさも半端じゃない。

 雨が傘に当たる音がかなり大きい。

 そしてそれは、こんなところに支障をきたす。

 

「……と、……めだ……」

「は? なんだって?」

 

 何言ってるのか分からなかったので聞き返す。

 そう、まともに会話ができないのだ。

 俺に一之瀬の声が聞こえないのなら、当然一之瀬にも俺の声は聞こえない。

 耳に手を当てて聞き返してきた。

 これはもう仕方がないな。

 思いっきり息を吸って……

 

「雨音が強くて何言ってるかわかんねえ!」

「そうだね! 速野くんの大声初めて聞いた気がするー! ちなみにさっきは『ほんと、すごい雨だね』って言ったんだよー!」

「ああ、そうだったのかー! あと俺普通に大声出すぞー! 痛い時とか! あと無人島で毛虫が手の上に乗っかってきた時とか!」

「え!? そんなことがあったの!?」

 

 なんてシュールな光景だ。超至近距離なのに大声で会話。

 このまま続けてたら、寮に着く頃には喉が潰れててもおかしくない。

 お互いそれを悟ったのか、寮までは無言で歩みを進めた。

 そして、やっとのことで到着。

 

「着いた……」

「いやー、長く感じたね」

「まったくだ……」

 

 ケヤキモールから寮。距離は大して遠くないが、とんでもない疲労感だ。

 建物内に入ると、ロビーの床のスムーズな素材と、雨で湿った靴の裏が擦れ、キュッキュッと2人分の音が響く。

 濡れているのは靴の裏だけでなく、中もだった。

 靴下まで雨水が染み込んで、非常に気持ちが悪い。

 水溜りは踏まないように注意していたが、努力虚しくこの有様だ。

 早く部屋に戻ってその処理をしたい、というのが本音だが……

 

「それで……俺に話があるんだったよな」

「……うん。本当は帰り道で話すつもりだったんだけど……」

「まあ、あんな状況じゃ無理だわな……」

 

 これは無理があると理解するのに、そう時間はかからなかっただろう。

 

「で……どうしたいんだ。俺としては、別にいまここでもいいんだが」

「流石にここはちょっとね」

 

 だろうな。流石に冗談だ。

 

「なら、日を改めるか」

「ううん、それは速野くんに悪いから……その、もしよかったら……私の部屋に来てくれないかな」

「……」

 

 様子からしてあまり他人に聞かれたくない話のようだし、場所としては妥当っちゃ妥当か……

 ただ別の問題がある気がするんですが。

 

「……構わないが。お前はいいのか」

「私は大丈夫。話を聞いてもらうんだしね」

 

 ……まあ本人が言うなら、いいか。

 

「わかった。ただその前に、着替えとか、色々やっといた方がいいことがお互いにあるだろうし、一旦解散してから……そうだな、2時半に行っていいか」

「オッケー。じゃあその時間に」

「ああ。また」

 

 

 

4

 

「お邪魔します……」

「うん、入って入って」

 

 その後、びしょ濡れになった靴の水分を取るために紙を詰めたり、軽くシャワーを浴びたりしているうちに、あっという間に約束の時間になった。

 

「サンダルに靴下……」

 

 一之瀬は俺の足元を見て、微妙な表情を浮かべる。

 待て。変なのは認めるが、これには弁解の余地というものがあってだな。

 

「……あれ以外に靴なかったんだよ。かといって人の部屋に素足で入るのもな、と思って……」

「あ、いや違うよ。あんまり見ない組み合わせだなって思っただけだよ」

「自覚はある」

「にゃはは……」

 

 緊急措置だ。それに靴なんて地面と足の接触防いでくれりゃそれでいいんだよそれで。

 にしても、やっぱり女子の部屋と男子の部屋は雰囲気が全然違うな。

 以前一之瀬の部屋を訪れたのは……もう1ヶ月前になるのか。あの時は藤野も一緒だったっけ。

 俺の気付く範囲では、その時と部屋の様子は変わっていないようだ。

 

「よかったらこれに座って」

「ん、ああ、助かる」

 

 クッションを差し出され、それを尻の下に置く。

 一之瀬も、ベッドも備え付けの椅子も使わず、俺と同じく床にクッションを置いて座った。

 

「何か飲む?」

「いや、部屋出る前に飲んできた」

「そっか」

 

 そう答えたものの、一之瀬は常温の水をコップ2つに入れ、1つをこちらに差し出した。

 それを受け取り、こぼさないよう気をつけながら足元に置く。

 そしてしばらくの間、沈黙が流れる。

 

「……」

 

 俺からは何も言わず、一之瀬の言葉を待つ。

 迷ってるのか。いや、様子を見る限り、俺に何かを言うこと自体は決めているようだったが……

 などと色々思案しているところで、一之瀬はゆっくりと口を開いた。

 

「どう、思うかな。今回の私たちの結果……」

「どう思うって?」

「……速野くんの率直な感想を聞きたいんだ」

 

 ようやく明らかにされた要件。

 

「……感想も何も、俺には感想を持つための材料が足りない」

 

 俺が知っているのは仮定の一部と、5対2で龍園のクラスが圧勝したという結果だけ。

 それだけでは、「残念だったな」以外は何も語ることはできない。

 

「まあさっき二人には説明しただろうけど……悪いが、もう一度話してくれるか」

「そう、だね。わかった」

 

 そこから、龍園率いるDクラスがどのような戦略を打ってきたのか、それを聞かされた。

 試験当日、Bクラスから数人の体調不良が出たこと。そして、恐らくはBクラスの選抜種目の情報が漏れていたこと。

 二度手間だろうに、丁寧に説明してくれた。

 

「なるほどな。……やっぱり、ただの陽動じゃすまなかったか」

 

 陽動は陽動でも、それは作戦の序の口に過ぎなかった。

 陽動は、Bクラスの生徒に隙を作るため。

 そしてその隙に付け込んで端末を盗み見て、種目の情報を取る。同様に、何かしら体調不良を催すような薬品をBクラスの生徒に摂取させた。もちろん証拠はないが、状況から見てほぼ間違いないだろうな。

 龍園らしいといえばらしい、無茶苦茶な戦略だ。リスクが高すぎる。最悪の場合は自分一人が全部を背負うつもりではあったんだろうけど。

 

「やっぱり、って……速野くん、予想してたの?」

「振り切った種目選択をしてきたって話を聞いた時点で、龍園の再登板は多少は疑ってた。……いや、お前も可能性は感じてたんじゃないのか。そのうえで『あり得ない』と自分の中で勝手に結論付けていた。違うか」

 

 極端な種目選択にきな臭さを感じないほど、一之瀬は頭の回らない人間じゃない。

 そこまで感づいたうえで、無視した。いまの一之瀬なら、こっちの方がよっぽど納得できる流れだ。

 

「確かに、龍園の再来を考えるのは精神衛生上よくないからな。ただもしそうだとすれば、今回の敗因の大きな部分を占めるのは、龍園の影を見て見ぬふりをしたその甘さ、だと俺は思うぞ」

「にゃはは……分かっちゃうんだ」

「あの時、期待に沿えなくて悪かったな」

 

 俺がそう言うと、苦笑だった一之瀬の表情が急激に強張る。

 

「……そこまでも、分かるんだね」

 

 一之瀬の口から俺にDクラスの種目選択の話をしたとき。

 一之瀬は俺がその話を聞いて「龍園の影」について言及し、逃げてしまっている自分を、龍園に向き合わせてくれることを期待したのだ。

 

「あのとき何も言わなかったのは、俺自身確証があるわけじゃなかったからだ。言っても、無駄に混乱を招くだけになる可能性も高かった」

「そんな、そのことについて責める気は毛頭ないよ。むしろ感謝してる。私たちはこのままじゃダメだって、改めて実感した。いい機会になったと思う」

「龍園たちを訴える気は?」

「今のところない、かな」

「それでいいのか。陽動はまだしも、流石に薬使うのはアウトだろ」

「うん。それでも」

「……そうか」

「うん。この失敗は次に活かす。そう決めたから」

 

 こちらとすれば、訴えてくれた方が都合いいんだけどな。同じ手を防ぐ意味でも。

 話し終えると、一之瀬は水を一気に飲み干し、空になったコップは机の上に置いた。

 

「話してみて、改めて分かったよ」

「……何がだ」

 

 ここで、一之瀬のスイッチが切り替わったのを感じる。

 声色や挙動、雰囲気が、先ほどとは違っている。

 

「……やっぱり速野くんは……勉強だけじゃなかったんだね」

 

 唐突にそんなことを言い出す一之瀬。

 

「……どういうことだ。急に何言ってるんだ?」

 

 当然こう問い返すしかない。

 しかしどうやら、俺のこの対応を一之瀬は想定済みだったらしい。ほとんど間を開けずに言葉が出てくる。

 

「学力は高いけど、クラスの作戦とか、そういったことを考えるのはあまり得意じゃない、っていう人もいるでしょ?」

「ああ、いるな」

 

 うちのクラスでいえば啓誠、それから王なんかがそれに当てはまる。

 もちろん2人とも思考力は高いが、堀北には遠く及ばない。

 その逆が龍園か。

 いや、もちろん龍園も真面目にやれば点数は取れるんだろうが……

 

「最初は、速野くんもそういうタイプだと思ってた。学力がものすごく高いのは知ってたけど、特別試験で名前が出るのは、いつも堀北さんと平田くんだったから……ううん、違うかな。そう『思わされてた』んだよね、きっと」

 

 頭の中を整理しつつ、一之瀬はゆっくりと言葉を紡いでいく。

 

「異常に高い学力。にも拘わらず、特別試験ではあまり名前が出ない。それで私たちはずっと、速野くんは学力の人、だとばかり思わされてきた。でもそれは全部、速野くんの作戦。あえて学力だけを見せることで、それ以上はないと思わせる……つまり速野くんは『二重底』を作っていた」

「……」

 

 そうか。

 その結論に達したか。

 もしかしたら、最初から一之瀬の本題はこれだったのかもしれない。

 

「そう考えたら、色んなことが繋がってくる。船上試験、速野くんの特殊グループのポイントの動きが変だったのも、速野くんがスキーで大量のポイントを獲得したのも……それに聞いたよ、綾小路くんから。追加特別試験のとき、Dクラスからポイントを融通するように動いてたのも、速野くんだったって……」

「……」

 

 は?

 あいつ……一体どういうつもりだ。

 俺は、お前が一之瀬に対して恩を売るために……

 いや……まさか。

 そういうことか。

 

「……どう考えるのも自由だ」

「……どうして速野くんは、私には実力を隠さなかったの? やりようはいくらでもあったはずだよね……?」

「……」

 

 確かにそうだ。

 一之瀬の万引きのときも、藤野のためではあったが、俺が一之瀬と直接関わらない方法はあっただろう。

 なんなら、藤野1人でも事足りていたかもしれない。

 なら、なぜ俺は動いたのか。

 

「何回も何回も、速野くんに助けられて……さっきの龍園くんの話も、私、無意識のうちに速野くんを頼ってて……このままじゃ、私は……」

「……」

 

 追い詰められたような、震えた声だ。

 さて、どう答えたものか。

 今更知らないふりをするわけにもいかないし、する気もない。

 考える。

 俺は何を思っていたのか。

 

「……分からないな。自分でも。ただ、お前に対する意識が変わったのは、お前が万引きしたって話を聞いてからだ」

「……あのことが?」

「ああ」

 

 一之瀬にとっての、過去の汚点。

 それを受け入れ、飲み下して立っているのが、いまの一之瀬だ。

 

「一之瀬。……俺は、お前と同じなんだ」

「え……?」

 

 何を言ってるのか分からない、という表情だ。

 非常に困惑しているのがわかる。

 

「あれよあれよと理由づけをして、人のものを奪った。内にそういう弱さを持ってる」

 

 自らの不幸な境遇に言い訳をして、高価なヘアピンを奪った。

 俺も同じだ。

 自らの不幸な境遇に言い訳をして、人のものを奪った。

 

「……速野くんも、万引きを……?」

「いや、万引きじゃない」

 

 あれは普通に売られてるもんでもないからな。

 当然、社会通念上の話として、売り物でないとしても奪ってはいけないとされる。

 ただ俺は……それを奪っても、罪悪感を欠片も感じなかった。

 それは今でも同じだ。俺はそれを奪った自分を、悪いと思ったことは一度もない。

 悪いのは俺じゃない。

 奪っておきながら、俺は心からそう思ってしまえる。

 

「だから……見たかったのかもしれないな。俺とは違ってその弱さを克服して、真っ直ぐに歩くお前の姿を」

 

 考えながら話していて、俺の中で今思い至った結論だが、自分の中でも想像以上にしっくり来るものだった。

 

「弱さを、克服……?」

「そうだ」

 

 前と言っていることが違う、と思ったのかもしれない。

 確かに違う。だが、本質は変わってない。

 これは地続きのものだ。

 

「一之瀬。一つ頼みがある」

 

 視線が泳いでいる一之瀬。

 心なしか震えている肩を右手で掴んで、こちらを向かせた。

 目が合う。

 その大きな瞳は、揺れている。

 

「以前言ったよな。俺は弱いお前を受け入れる、と」

「う、うん……」

「それは今でも変わらない。クラスメイトでも藤野でも……俺でも、頼ってしまえばいい。ただ……」

 

 一度言葉を切る。

 言葉の続きを待つ一之瀬。

 俺は右手を、掴んでいた一之瀬の肩から離す。

 そして、口にする。

 ただ、もしできることならば。

 

「強くなってくれ。俺の支えなしで」

 

 大きな瞳が、さらに大きく見開かれる。

 助けてほしければ助ける。自らの発言の筋くらいは通すつもりだ。

 ただ、できればそうしてほしくない。

 俺なんかの助けは借りないでほしい。

 

「次の一年間、たぶん……いや、ほぼ確実に、今年度以上に激しい争いになるだろう。……頑張ってくれるか」

 

 それまで黙って聞いていた一之瀬。

 

「もう、助けてはくれないの……?」

「そうは言ってない。だができれば、したくない。一之瀬が本当の意味で強くなったとき、恐らく俺は邪魔な存在になる」

「そんな……」

 

 成長を促す相手ではなく、成長を阻害する相手になってしまう。

 そんな確かな予感があった。

 

「ただ……そうだな。たまに話は聞かせてくれ。お前がどうなりたくて、どんな選択をしたのか。クラスの事情もあるだろうし、話せる範囲で構わない」

 

 ここまできて、Bクラスの事情を探るとか、そんな下らない裏はない。

 あるのは純粋な興味本位……そして、少しの裏。

 

「お前の生き様を、見せてくれないか」

 

 一之瀬の目を真っ直ぐ見て、伝える。

 そんな俺の言葉を受けた一之瀬。

 一度目を閉じ、間を開けてから、言った。

 

「……分かった。頑張るよ、私」

「……ありがとう」

 

 一之瀬が本当の意味で強くなるときは来るのか。

 来るとしたら来年か、あるいは卒業の時か。それともそれ以降か。

 はたまた、強くなることはできずに、終えてしまうか。

 どんな道を進んだとしても……それは一之瀬が紡いだ物語だ。

 俺はただ、その様を見届けることしかしない。

 一之瀬が自ら、自分の『芽』を潰す選択をしない限り。




一之瀬とのシリアス担当を綾小路からオリ主に入れ替えました。
似たような展開に見えますが、綾小路が一之瀬に求めたことと、オリ主が一之瀬に求めたことはかなり性質が違うもの……だと思われます。
私の読解力ではそうなってます、少なくとも。
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