実力至上主義の学校に数人追加したらどうなるのか。※1年生編完結   作:2100

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9巻分最終話です。こんな短いスパンで更新したの、連載開始当初以来かも……


ep.75

 一之瀬は復活した。

 それも、以前より精神的に強くなって帰ってきた。

 藤野のヒーリングの効果は大きかっただろう。

 対外試合に参加したことによる気分転換も、わずかだが効果はあったと言っていい。

 だが、それだけか?

 本当にそれだけで、一之瀬はあそこまで復活したのか?

 違う。

 あの日、何が起こっていたのか。

 それを今、明かすことにしよう。

 

 その前に、まずは前提条件から話す必要がある。

 俺は冬休み中、藤野からこんな報告を受けていた。

 

 坂柳が、一之瀬を攻撃するかもしれないこと。

 そしてその攻撃材料は、一之瀬が「過去に万引きを行った」こと。

 

 藤野は、一之瀬が引きずっている十字架が何なのか、冬休みの段階でその概形を知っていたのだ。

 

 それを受け、俺は混合合宿の際に最初の布石を打った。

 俺はバスの中で、藤野に一つの指示を出した。

 

『合宿中に、できるだけ一之瀬と親密になってくれ』

 

 藤野はそれを見事にやってのけた。

 結果として、二人は俺の予想以上に親密になった。

 あそこまでの親友関係になったのは、藤野の「一之瀬と仲良くなりたい」という気持ちが本物だったからだろう。

 俺の指示だけで動いていたなら、ここまで上手くいかなかったはずだ。

 

 では、なんのために藤野を一之瀬に近づけたのか。

 答えは、俺の企画する学習部の対外試合に、一之瀬を確実に参加させるため。

 俺が一之瀬に対外試合の参加を頼んだ時、一之瀬の噂は学校内に蔓延し、一之瀬はダメージを負っていた。

 しかし、一之瀬は一切の反応を示さず噂を無視し、噂が風化することを望んでいた。

 つまり、一之瀬としては「噂による攻撃は自分には効いていない」とアピールする必要があった。

 そのタイミングで持ち込まれた、俺からの頼み事。

 俺は会話の中で、「噂のせいで精神的にきつく、参加は見送りたい」以外の、一之瀬が断る理由を全て潰した。

 そして、残された不参加理由を、一之瀬は取ることができない。

 あの場で一之瀬が参加を断ることはほぼ不可能だった。

 あとは、ドタキャンの防止。

 一之瀬が参加を表明した直後に、「一之瀬が不参加を表明していたら、対外試合そのものが中止になっていた」とプレッシャーを与え、一之瀬に「自分の都合だけでドタキャンするわけにはいかない」という印象を植え付けた。

 そして俺と藤野は、間隔をあけつつも断続的に一之瀬と連絡を取った。

 一之瀬の部屋を訪問したのもその一環だ。

 Bクラスの生徒のように部屋に上がることを拒否されるリスクも当然あったが、約束事のある人物からの訪問であれば、そのリスクは幾分軽減される。

 こうして外堀を埋めに埋め、一之瀬の対外試合への参加を確実なものとした。

 

 

 

 

 

 では、一之瀬を外へ連れ出し、俺はいったい何をやろうとしていたのか。

 話は20時間ほど前にさかのぼる。

 それは、対外試合を終え、会場である町山高校を車で出発してから2時間ほど経過したころのことだった。

 

 

 

 

 

~~~~~~~~~~

 

 

 

 

 

「一之瀬さん、一之瀬さん」

 

 藤野が、隣に座る一之瀬の体をゆすって起こそうとする。

 

「んん……藤野、さん……?」

 

 目をこすって伸びをしつつ、一之瀬が目を覚ました。

 

「もう着きそうなの?」

「ああ。『目的地』にな」

「え?」

 

 一之瀬がいぶかしげな表情をしているのが、後ろを振り向かずとも声色で分かる。

 そこから少しの沈黙が流れたあと、突然一之瀬がはっとしたようにつぶやいた。

 

「……あれ?」

 

 一之瀬の視線は、車窓からの景色に釘付けになっている。

 

「ここって……え?」

 

 声色に焦りがありありと感じられる。

 

「藤野……さん?」

「……」

 

 藤野は気の毒そうな表情を浮かべつつも、一之瀬の声を黙殺した。

 

「……速野、くん?」

「……」

 

 俺は無表情のまま、一之瀬の声をやはり黙殺した。

 

「……な、なんで……」

 

 声色に表れていた焦りは、いつしか恐怖に変わっていた。

 

「うそ……」

 

 愕然とする一之瀬をよそに、茶柱先生の運転する車はとある建物の屋上駐車場へと進入していく。

 

「せ、先生!どういうことですか……!?」

「寄り道だ」

「寄り道って……!」

 

 そう訴える一之瀬の声は、悲鳴に近いものがあった。

 ここまで焦燥している一之瀬は初めて見るな。

 車は駐車スペースに停車した。

 

「私は少し用を済ませてくる。例によって、お前たちは車中で休憩するように」

 

 往路のサービスエリアでの休憩時とほとんど同じセリフを俺たちに残し、茶柱先生は席を外した。

 当然、これらは打ち合わせ済みだ。

 この場に一之瀬、藤野、俺の3人しかいない状況になったところで、俺は後ろに振り向き、一之瀬に話しかける。

 

「ここがどこか、一之瀬には聞くまでもないな」

「……なんで、速野くんが知ってるの……?」

「そのことは、今はさして重要じゃない。どんな経緯であれ、俺と藤野は、お前の犯した『罪』が何か、それを知ってる」

「……」

「まずは言語化してみろ。昨年の9月中旬、お前はどこで、なんのために、どんな『罪』を犯したのか」

「……」

 

 一之瀬の目には大粒の涙が浮かんでいる。

 しかし、口を開こうとはしなかった。

 

「お前は自分の罪を誰も知らないこの学校に身を置き、全てをやり直そうとした。罪を犯した弱い自分を内にしまって、強くあろうとした。だからお前は誰かに弱さを見せられない。今回お前はそこを坂柳に付け込まれた」

「……」

「その内にしまった弱さをさらけ出せ。吐き出してみろ。藤野と俺が全部受け止めてやる」

「……受け止めて、くれる……?」

「うん、そうだよ、一之瀬さん」

 

 聞こえてくる嗚咽。

 藤野がハンカチを差し出し、涙を拭かせた。

 そして、ぽつり、ぽつりと一之瀬が語り始める。

 

「私……万引きしたの。去年の9月……このスーパーで」

 

 いまこの車が停車しているスーパーマーケット。

 この場所こそが、一之瀬帆波の犯行現場。

 目を覚まして、車窓からの景色を見たときは、雷に打たれたような感覚だっただろう。

 本来通るはずのない道。

 しかしそこには、一年前まで当たり前のように見ていた光景が、確かに広がっていたのだから。

 そして車がこのスーパーに入っていったとき、一之瀬の頭の中はまさに錯乱状態。

 いまの一之瀬の心を揺さぶるのに、ここよりも最適な場所はないといえる。

 

 一之瀬は、自らの罪の他に、なぜこのことが坂柳に知られたか、についても俺たちに語った。

 生徒会に入る際、南雲生徒会長にだけはこのことを話した。

 そして冬休みのある日、一之瀬は坂柳に「万引きを行っているクラスメイトについて相談がある」と持ちかけられたそうだ。

 あとは坂柳お得意の心理誘導で、あれよあれよという間に自らの罪を坂柳に告白していた。

 偶然とは思えない「万引き」というキーワード。

 恐らく、南雲会長が坂柳に話したんだろう、と。

 

 しかし、ここで一之瀬はかぶりを振り、言葉を続ける。

 

「……最低、だよね……」

 

 と、自嘲するようにそうつぶやいた。

 

「どんな事情があっても……万引きなんて……」

 

 後悔の念に苛まれている一之瀬。

 慰めの言葉をかけるのは簡単だ。だがそれでは何にもならない。

 必要なのは……一之瀬の心の変革だ。

 

「ああ、その通りだ」

 

 だから、俺は否定してやらない。

 

「お前の言う通り、どんな事情があっても、万引きなんてするのはあまりに未熟、許されない行為だ」

「……そう、だよね。あの時の私は、どうかしてて……」

 

 どうかしてて、か。

 

「違う。どうかしてたんじゃない。まるであの時の自分は本来の自分じゃない、みたいな言い方をしてるが、それはあまりにも的外れだ。万引きをやらかす心の弱さ、未熟さ、それは紛れもない『一之瀬帆波』の本質だ。自分じゃない何かに責任転嫁するな」

 

 俺はあえて、一之瀬を追い込むように強い口調で話した。

 

「いや、実は頭では分かってるんだろ、一之瀬。お前以前堀北に『自分はそんなにできた人間じゃない』って言ったらしいな。でも、いま心を揺さぶられて出てきた言葉は、『自分じゃない何か』への責任転嫁だった。頭ではわかってても、心では受け止めきれていないってことだ」

 

 人間、追い込まれたときに本音が出てくる。

 

「自分の弱さから逃げるな。逃げるなと言っても克服する必要はない。認めて、受け入れろ」

「受けいれる……?」

「そうだ。善人で頼りがいがあって優秀、しかし弱くて未熟な心の持ち主。それがお前だ。さっきから偉そうにしゃべってる俺だって、お前と同じかそれ以上に弱い心を持ってる」

 

 当然のことだ。俺は弱い。

 犯した『罪』の重さなら、万引きなどの比ではない。

 

「科された十字架を放置して今のままに留まり続けるか、背負って前に進むか、それはお前次第だ。そして、もし前に進みたいと思うなら……今、やるしかないと俺は思うけどな」

 

 最後の最後で、判断を一之瀬自身に委ねた。

 

「……こんな弱い私を……みんなは認めてくれるのかな……?」

 

 当然、拒絶される可能性だってあるわけだ。

 相当の覚悟がいることなのは間違いない。

 

「……少なくとも、俺と藤野は、ありのままのお前を受け入れる」

 

 これは、一之瀬帆波という人間が、自らの殻を破り、次の段階へ成長していくために必要なステップである。

 そして、それをやるなら今しかない。

 それを本人が理解し、決断した。

 その瞬間だった。

 

 

 

 

 

~~~~~~~~~~

 

 

 

 

 

 今回は、偶然に偶然が重なり、最高の形でことを運ぶことができた。

 まず、一つ目の偶然。

 ここ高度育成高等学校に、一之瀬と同じ中学出身の上級生がいたこと。

 俺は混合合宿を終えた直後に、学校の掲示板にあるスレッドを作った。

 内容は以下の通りだ。

 

『一之瀬帆波が通っていた中学校に関する情報提供募集(提供した情報によってはポイント支払いあり)』

 

 一之瀬本人がこのスレッドを目にしたかは知らないが、恐らくBクラスの誰かの目には入っているだろう。恐らくかなりムカついただろうが、これは一学期の須藤の暴力事件の際、一之瀬本人が採用していた方法だ。

 その時から一之瀬に関する噂は流れていたため、このスレッドは書き込み数、アクセス数ともにかなり伸びた。

 だが、書き込みは信ぴょう性の薄いものばかり。書き込み主も冗談半分でやっている者がほとんどだろう。

 そのため俺は、藤野に「一之瀬との会話の中で、出身地の話に持って行って、それを探ってほしい」と頼んだ。

 スレッドには、具体的な中学校の名前の書き込みが計17件あった。

 その17件のうち、藤野が持ち帰った一之瀬の出身地と合致したのは、1件のみだった。

 俺はその書き込みを行った生徒と個人チャットでやりとりしたが、プライベートポイントの支払いは直接会って行った。

 書き込み主は、3年Dクラスの男子生徒だった。

 俺たちがつい最近までDクラスだったことを知っていたらしく、5万ものポイントをポンと出せることに驚愕していた様子だった。

 まあ、そのことは今はいい。

 話によれば、一之瀬は、その中学では成績優秀で美少女、運動もでき、快活で優しい性格というハイスペックぶりで、学年を越えて注目されていたらしい。

 一之瀬の知名度が非常に高かったからこそ、その上級生も自分が一之瀬と同じ中学であるということを認識していたわけだ。

 そして二つ目の偶然。

 一之瀬が万引きを行った店の特定ができたこと。

 活用したのは、とあるSNSアプリ。

 アカウントのプロフィールに一之瀬と同じ中学の名前が書かれているものを探し出した。そしてそのアカウントの一昨年9月以降の書き込みの中に、一之瀬が起こした万引きについての記述がないかどうか、様々な検索ワードで探した。

 「一之瀬」「帆波」「万引き」「休学」「高度育成高等学校」等々、試したワードの数は両手両足では足りないほどだ。

 そしてそれらの書き込みから、奇跡的に、一之瀬が万引きをはたらいた店を割り出すことに成功した。

 もちろん、俺一人では作業量的に無理があった。

 そのため、ひとの手を借りた。

 手伝ってくれたのは、Aクラスの藤野派の生徒のうち、期末テストに不安がない4名。

 その中の一人が、店の特定にこぎつけた。

 そして次に対外試合の相手探しを顧問である茶柱先生に依頼した。

 ただ、どこでもよかったわけではない。対外試合の帰りに例のスーパーに寄るためには、高度育成高等学校とそのスーパーの延長線上にある高校を相手に指定する必要があった。

 なので、俺はその方面に限定して相手高校を探してほしい、という条件を付けた。

 それで選ばれたのが、超強豪の町山高校だったわけだ。

 そして試合後、茶柱先生との打ち合わせの通り、あのスーパーマーケットへ行く。

 いよいよ、メインイベントに向かうわけである。

 あの時の俺は、かなり上から目線で偉そうに一之瀬に説教を行った。

 これは会話の主導権をこちらが握り、ただでさえ罪悪感により受け身になっている一之瀬の態度を、さらに受け身にするため。

 これによって、俺の言葉に対する批判的思考力が低下する。

 そんな状態の一之瀬に、様々な言葉を投げかけて「弱さをさらけ出せ」と伝えた。

 そしてその弱さを慰めるのではなく、逆に責め立てるような言い方をした。

 一之瀬の心を、一度完全にぶっ壊すために。

 そして俺と藤野は、心を壊した後に生まれた「弱さを持つ一之瀬」を受け入れた。

 これによって「自分は弱くてもいいんだ」と思わせ、立ち直る勇気を与えた。

 壊れた心は、完治すると元よりさらに強くなる。

 結果はもう知っての通り。

 坂柳の攻撃を無効化し、見事に退けることができた。

 

 

 

 

 

~~~~~~~~~~

 

 

 

 

 

 俺はいま、ある人物を部屋に招いている。

 

「まだ?」

「もうちょい待ってろよ」

「遅いんだけど」

「悪かったな」

 

 俺の知り合いに、普段からこんな言葉遣いをする奴はいない。

 つまりこいつはいま、普段とは違う口調で話している。

 そう、櫛田桔梗だ。

 

「水ある?」

「冷蔵庫から勝手に取って飲んでくれ」

「はあ……」

 

 面倒くさそうに腰を上げ、俺の言った通りにする櫛田。

 こんな櫛田、男子が見たらたまげるだろうなあ。

 

「ほら、出来たぞ。回鍋肉」

 

 俺は櫛田を部屋に招き、夕飯を作っていた。

 なんでこうなったかと言うと……ことの発端は先々週の金曜日。

 俺は櫛田に一つの頼みごとをした。

 それは「B、C、Dクラスの生徒の秘密のうち、誰でも知っているわけではないが、櫛田しか知らないというわけでもない、という程度のものを4つから5つずつリストアップしてほしい」というもの。

 まあ、当然「何言ってんのあんた」って顔をされるわけだが。

 俺の狙いは、この噂の件で学校を巻き込むこと。

 あの時点では、被害者は一之瀬一人のみ。その一之瀬は被害を訴えていないため、学校側も動くことはなかった。

 しかし、被害者が十何人にも増え、しかも全員が被害を訴えてきたら、どうだ。

 テストが近い今、早急に手を打つ必要が出てくる。

 そのためにはまず、被害者の数を増やす必要がある。

 櫛田にあんなことを頼んだのはこのためだ。

 だが、噂を流すことにはリスクが伴う。

 当然俺はそのリスクを背負いたくない。

 なので、誰かがやってくれることを期待した。

 「リストアップ」までしか指示していなかったのはこのためだ。

 ちなみに、その「誰か」に関しては清隆に期待した。

 清隆は一之瀬の部屋を個人的に訪れるなど、この噂の件に関してアクティブだった。

 なので、噂を止めるために何かしらの動きを見せると考えた。

 俺の思いつく限り、噂を止めるのに一番有効な方法は、上記の方法で学校を巻き込むこと。

 とすれば、この学年で最も生徒の情報に精通しているであろう櫛田に頼るのが筋だ。

 そして、清隆も俺と同様、自分で噂を流すようなリスクを取るはずはない。

 あいつの人脈など俺は知らないが、出来るだけこの件と関係ない人物にやらせるはずだ。

 これでリスクを負うのは、櫛田と、そして俺の知らない誰か。

 結果は俺の狙い通りになった。

 これが最高の形ではあったものの、もしこの展開に持っていけなかったとしても、さして問題ではない。その時は単純に俺がリスクを負ってやればいいだけの話。

 問題は、噂が広まるタイミング。

 早すぎても遅すぎてもダメだ。理想は、木曜日に噂が流れ、金曜日に被害者が学校側に訴える、そして土日の2日間で学校側が対応策を固めて月曜日以降は噂に関して緘口令が敷かれる、というもの。

 そのため、清隆が櫛田の部屋を訪れたのは先週の月曜日、バレンタインデーだったが、リストアップされた噂が清隆に渡ったのは木曜日の放課後。これは俺が櫛田に頼んでそうしてもらった。

 Bクラスは噂に敏感になっている。すぐに掲示板の異変に気付き、一之瀬のこともあって、すぐさま学校側に相談するだろう。

 Cクラスは、俺がそういった誘導の仕方をすれば問題ない。

 問題はDクラス。あのままだったら恐らく、学校側に相談することすらしないだろう。

 しかし、俺にはDクラスと一つの縁がある。

 それが、小宮。

 冬休み前まで俺の脅しに屈し、Dクラスのスパイのようなことをやっていた人物だ。

 俺は小宮に、もし自分やDクラスに関する噂が流れたら、すぐに学校側に相談する流れになるよう誘導してくれ、と頼んでいた。

 もちろん、スパイ契約は冬休み前までで俺が終わらせているので、本来であれば小宮が俺の頼みごとをタダで聞く義理はない。

 なので、俺はタダではなく、小宮に貸しを一つ作らせる形で、この頼みごとを引き受けさせた。

 これで、噂が流れたらすぐに被害者が学校側に訴えるという流れが完成した。

 あとは、学校側の対応の早さ。

 これに関しては俺の介入できる余地はほぼない。

 「テストに望ましくない影響が出る恐れがある」と伝えて、できるだけ早めに対応させるよう誘導することくらいしかできなかった。

 だが、結果的にはドンピシャのタイミングだった。

 結果オーライだ。

 

 これが、今回俺がやったことの全て。

 随分派手に動いたが、俺が直接享受した利益はほとんどない。むしろ坂柳に変な目のつけられ方をしてしまった分、マイナスの方が大きかったともいえる。

 で、櫛田に料理を振舞っている直接的な理由だが……櫛田が、秘密を暴露されて傷ついた生徒の慰めにつとめることに対する見返りだ。

 つまり、櫛田自身にリスクがあるのは俺との契約上納得するしかないとしても、他人の傷までは契約の対象外だ、と主張してきたわけだ。

 まあ、考え方によっちゃそうとも言えるか……ということで、現在進行形でこんなことになっているということである。

 

「……美味しい」

「へえ、素直にほめるのか」

「美味しくないって言ってほしかったの?いくらでも言ってあげるけど」

「そんなこと言ってないだろ」

 

 ほんと、なんか生き生きとしてるなあ。一言ったら十返ってくる。

 

「ていうか、なんであんた今回こんなに動いたの?今回あんたに何かいいことあった?」

 

 櫛田も同じようなことを感じていたらしく、そんな疑問を俺にぶつけてくる。

 先ほど言った通り、俺が直接享受した利益はない。

 しかし、直接でない利益ならばある。

 それはすなわち、藤野派の隆盛である。

 そもそも藤野派の生徒に利点がなければ、SNSから店の特定なんて面倒な作業をしてもらえるはずはない。

 裏を返せば、藤野派の生徒には大きなメリットがあったからこそ、俺を手伝ったということ。

 その藤野派の利点とは、坂柳のイメージダウン。

 Aクラスの中には、坂柳の狂信的信者と言うべき生徒も多数存在する。

 しかし、「葛城よりマシだから」「ほかに適性のある生徒がいないから」といった消極的な理由で坂柳派についている生徒が一定数いるのも事実だ。

 そういった生徒は、一之瀬をつぶすこと自体には反対しないが、その手段として一之瀬の誹謗中傷を行うことには少なからず不安や不満を覚えた。

 実力で潰すならばその限りではないが、精神的に追い込んで潰すことには罪悪感を覚える。

 それでも、一之瀬をつぶせるなら、と黙認したはずだ。

 だが、もしそれが失敗したらどうなるか。

 罪悪感だけが残り、成果はゼロ。

 生徒の不満が膨れ上がるのは当然の帰結だ。

 そして坂柳派にしても葛城派にしても、クラスや派閥のことに関して不安がある場合、表向き中立の立場である藤野に相談する、という流れがAクラスには完成している。

 これは、藤野が自分で第三の派閥を作ると決めてから、コツコツと地道に作り出してきた流れだ。

 この流れで藤野派に入った生徒も少なくない。

 今回、坂柳の方策について藤野に相談してきた坂柳派の生徒は計4人。

 うち2人は、坂柳の作戦失敗を受け、藤野の派閥に入ったそうだ。

 この件に関する、現時点で一番大きい俺の利益はこれだ。

 厳密に言えば、これも俺の利益というより藤野の利益ではあるんだが。

 

「まあ、あるんだよ。いろいろと」

「言うつもりはない、ってこと?」

「ああ」

「ふーん、ま、いいけどさ」

 

 そりゃそうだ。藤野の派閥のことを櫛田に明かす必要性はどこにもない。

 だが櫛田なら、俺が言わなくても情報が入ってくるかもしれないな。

 

 

 

 

 

 

~~~~~~~~~~

 

 

 

 

 

 

 坂柳と清隆の間には、何かがある。

 その「何か」は全く分からない。

 恐らく、単に目をつけられている、という以上のものがそこにはある。

 清隆は、本来ならこの一連の件、一切何もせず静観することだってできたはず。

 だが、坂柳がそうさせなかった。

 恐らく、坂柳の言っていた「予想していた結果」とは、全てが清隆によって片付けられる、というものだったんだろう。

 しかし、俺の大幅介入によって、結果は大きく変わってしまった、ってところか。

 

 坂柳と清隆の間にある「何か」。

 興味がないわけではない。

 しかし同時に、知ってしまいたくない。そんな気持ちがあるのもまた、事実だった。




ということで、9巻分本編が完結です。

一之瀬は速野にチョコあげませんでした。一之瀬がどんな形で速野にお返しをするのか、また別の機会に書きたいと思います。

さて、綾小路が「過程の一つにすぎない」と言い切った例の噂を止める方法も、速野(つまり作者)にとっては最適解でした。このあたりに、速野が綾小路には及ばないこと、そして作者が衣笠先生には遠く及ばないことが表れています。

次話は10巻分……ではなく、少し時系列が戻り、ep.73で語られなかった、平田、速野、佐藤、松下によるピザパとその少し後の様子を描きます。
是非ともお楽しみに。

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