――『豊穣の女主人』
西のメインストリートに店を構える石造りニ階建ての酒場で、このあたりだと一番大きいものになる。
内装は木張りで、天井にある魔石灯も光量は控えめ。他の酒場と比べ随分とシックな装いだが、酒場特有のイメージは崩れていない。入り口の脇にもテラスが併設されており、こじゃれた感じだ。
店員は当然の如くウエイトレスで、従業員はみなが美少女。キャットピープルやエルフのいるため、男性冒険者からすれば心のオアシスとなっていよう。
実際、男性冒険者の諸君はみなが一様に鼻の下を伸ばしながらお酒を楽しんでいる。
燈火が『豊穣の女主人』に到着したときはまだそれほど遅い時間ではなく、店内もちらほらと空席がある。
西日を浴びるそこは、酒場と言うよりもっと格式の高い店のような雰囲気が漂っていた。
しかし一歩足を踏み入れれば、いつものように活気のある店内だった。
燈火は入店するや否や、いつもの特等席に向かった。まっすぐなカウンターが並ぶ中、ちょうどL字に曲がった角。すぐ後ろは壁で、酒場の隅。隣に椅子はなく、お一人様専用スペースのような場所だ。
圧迫感を感じさせないちょうどよい狭さで、注文もすぐに通るので燈火お気に入りの場所だ。
秘密基地感がいい。
「おひさー」
「はあ、何言ってんだい、今朝ぶりだろうが」
燈火のあいさつにミア・グランドがカウンターの中から呆れ交じりに答える。
「いえ、実は昼にも一応顔をお出していますよ」
燈火とミアのやり取りを聞いていたのだろうか、そばにいたエルフも話に加わる。
薄緑の髪で美しい蒼眼を持つエルフ――リュー・リオンだ。
「昼? 朝自分で飯作っていったのは知ってるけど昼も来たのかい?」
「はい、同じく自分で作っていこうとしていましたが流石に止めました」
「当然だ。自分で作るとはいえ材料はうちの物なんだからね」
眼光を若干鋭くしたミアが燈火を見下ろしている。
「い、いやね? 朝がいいなら昼もどうかなーなんて」
「朝はうちのにも作らせてるからいいんだ」
燈火は時々朝食を『豊穣の女主人』でとる。しかし、店は勿論やっていないので自分で作っているのだ。
その時材料と厨房を借りる代わりに、住み込みで働いているリューなどの朝食も一緒に準備している。
燈火の料理の腕は確かなもので、一度ミアから「冒険者を失業したらうちで雇ってやるよ」と冗談ともつかないことを言われるほどだ。
「それで、また飯でも食いに来たのかい?」
「勿論よ、俺は……今帰るわけにはいかないんだっ!」
こぶしを握り締めながら、いかにも使命感により突き動かされている風を装っている。
「何言ってんだい、どうせまた怒られるから逃げてきたんだろう」
「ちち違うし! 戦略的撤退だし! 今帰ったらシバかれるとか思ってないから!」
「遠征をサボるからいけないのです」
「サボったつもりはないんだよ? ホントだよ?」
「そう思っているのはアンタだけだよ」
「ぐふっ……」
ミアとリューの口撃に燈火も耐えられなくなったのか、机に突っ伏してしまった。
そんな三人の会話に、ちょうど配膳を終えたキャットピープルの一人がさらに加わってきた。
「なんにゃ、トーカ来てたのか。相変わらず居るかいニャいか分からんヤツニャ」
茶髪で少し頭の弱い――おバカな猫娘、リューやシルと同僚のアーニャ・フローメルだ。
燈火はいつも一人でここへ来るとき、スキル【明鏡止水】を使って入店している。燈火も一応【ロキ・ファミリア】なのでそれなりに注目を集めてしまうからだ。背中には大きくエンブレムをしょっているからなおさらだろう。
「よお、元気してるか? 俺は全然元気無くなっちゃったけどな」
「ふん、いつまでも言い訳してるからニャ。そんニャお前には、一生懸命働いているミャーの頭を撫でる権利を与えてやるのニャ。しっかり労うのニャ」
「なんでだよ、全然関係ないじゃねえか」
「つべこべ言わずに撫でるのニャ。その右手がいまだ無事で繋がっていることに感謝も忘れるニャよ」
「アーニャ、それはこちらの落ち度です。あまり掘り返すもので入りません」
「うニャぁあああーー」
リューに発言を窘められたが、既にアーニャは快楽の虜となっていた。
実際はただ頭を撫でているだけなのだが、燈火の撫では此処のキャットピープルに受けがいい。
今では店に来ると、ほぼ確実に求めてくるようになっている。
アーニャの言っていた『右手』とは、リューとの出会いの時の話なのだが、それはまたのお話として今回は割愛。
「それで、どうするんだい?食うのか、食わないのか。時間的にそこまで混んじゃいないが、居座るだけなのが邪魔なのに変わりはないんだ」
「食べる、食べます、食べさせてください、お願いします」
ミアに再び睨まれ怯みながらも注文を済ませる。
「アーニャもさっさと仕事に戻りな」
「はいニャー」
アーニャが若干恍惚した表情を浮かべながら厨房へと引っ込んだ。
その姿を席で見送りながらテーブルに肘をつき時間をつぶす。
しかし潰そうにもやることも無いので今晩の潜入作戦(ただの帰宅)の案でも練ろうかと考えていると、やけに視線を感じる。
右側から、主に右手、手首より上の方に。
左手で頬杖を突いていたので、右手はテーブルの上に乗せている。
試しにやや自分から遠ざけるように動かしてみると、視線もまた追いかけてきた。フリフリと振ってみると、それにも丁寧に視線を這わせている。
視線の先に目をやると、そこにはリューがいる。手を振るのに合わせて、リューもまた首を左右に動かし、その姿はまるで猫じゃらしを前にした猫のそれだ。
リューはまだ燈火の視線に気づいておらず、親の仇のように見つめている――見つめ続けている。
(これは……遊んでみるか)
燈火はすぐさまリューで遊んでみようという判断を下した。こういう時の判断速度で燈火の右に出る者はいない。
右手をゆっくりゆっくり持ち上げる。持ち上げながら、左右に振ったりぐるぐる回してみる。するとやはり変わらずリューは見つめてくる。
そんな様子に燈火はだんだん恥ずかしさを感じ始めていた。
(なんか変なもんでの付いてるか?)
いつまでもやっていても仕方がないので、最後に燈火は右手を自分の方へと近づけた。するとリューの顔が自ずと近づいてくる。
流石はエルフと言うべきか、目元はやや攻撃的な印象を与えるが、その端正な顔つきはお世辞抜きで美しいと思う。
そんなものが近づいてくれば緊張するのは至極自然の事だろう。
燈火は自分に近づけた右手を、繋がれた視線を払うように素早く動かした。するとリューは視線を迷わせ、最終的に自分が体ごと燈火に近づいていたことに気付いた。
たどり着いた所は、燈火の顔のほんの少し手前だった。ぶつかるほどではないが、図らずも近づいてしまった。
「どうかしたか?」
「い、いえ。何でもありません」
知らずのうちに燈火に顔を近づけていたため、弾き飛ばされるように体を元に戻したとしても顔がやや赤くなってしまっているのを自覚した。
燈火も自分が思っていた以上にリューが近づいてきたため、妙に緊張してしまった。
「先ほどアーニャが、その……」
「あー成程。あれは俺にもなぜか分からん。俺にそんな才能があったとは知らなかった」
リューは燈火の撫でのより表情を崩したアーニャの様子が気になり、原因となる燈火の手を凝視していたのだ。
「なんならリューもやってみるか? 俺は、まあ構わないぞ」
「いえ、遠慮しておきます。どうなってしまうか分かりませんので」
「俺の右手は麻薬かなんかなのか……」
「ホント……どうなるか分からないので……」
最後の方に呟いた言葉は燈火の耳に届くことはなかった。顔色は先ほどよりも赤みが増しているが、燈火は気づかない。
それではと逃げるように仕事に戻ったリューを見送りながら、本当にやることが無くなってしまったと再びテーブルに突っ伏した。
それから十分ほど経った頃、注文した料理が運ばれてきた。
普段なら迷わず肉料理を注文するのだが、今日はこの後大事な――それこそ命に関わる最難関クエストがあるのであまり動きにくくならないように魚料理を注文していた。
この魚料理がまあ見事にうまい。
程よく火の通った身は口の中で優しくほぐれ、いくらでも食べられそうな錯覚を起こす。これに果実酒があれば文句はないのだが、今日は酒の匂いをさせるわけにはいかないので飲んでいない。
そんなつかの間の幸せを感じていると、ふと獲物を見つけた獣のような鋭くも静かな気配を感じた。
「誰だっ!」
目線を素早く料理から気配のする方へと向けると、先ほどとは違い、今度は黒い髪をした二人目のキャットピープルが姿勢を低くしながら燈火の料理に目を向けていた。
「おい、クロエ。何してんだ」
「ニャにって、獲物を見つけたから狙いをすませてるニャ」
尻尾を振り、いまにも飛び出しそうな格好で燈火を見ていたのは、これまたリューとシルの同僚で若干の腹黒さを覗かせるおバカキャットピープルその二――クロエ・ロロだ。
「人の、それも客の皿を狙うとは何事だ」
「だって、それ凄く美味しそうニャンだもん」
「だもんじゃねえよ、これはこれからの戦に向けての大事な食事なのだ。お前にはわたさん」
「えー、減るもんじゃニャいし、少しよこすニャ」
「減るわ! 何考えてんだまったく」
クロエが悪びれる様子もなく、果敢に手を伸ばす。
「大体仕事はどうした! 暇なら皿洗いでもやれよ!」
「ふっ甘いニャ。その程度でミャーの執念は打ち消されはしないニャ!」
「クソッ! すばしっこいヤツめ」
燈火は自分の皿を持ちながらクロエと対峙していた。
現状の身軽さからクロエの方がやや有利だ。何度か料理に手が届きかけている。
このままではいつまでたっても進まないと燈火は最終手段にでた。
「舐めるなよ小娘……」
「ミャーの方が年上だニャ」
「あ、そうでしたね」
「スキありニャッ!」
燈火が気を抜いた瞬間素早く手を伸ばした。燈火は完全に反応が遅れており、両手で抱えていた皿がどうぞと言わんばかりにクロエの方に突き出されていた。
「もらったニャー!」
クロエが自身の勝利を確信し皿に触れたとき――皿ごと燈火が消えた。
今まで追っていた燈火が揺らめくように消え去ってしまった。そこにいるのに触れられず、手を伸ばしても届かない。
再び燈火が姿を現し視界にとらえ――認識できてもそこにはいない。幻の如く消え去る。
「んニャーー! それはズルいニャッ!」
相手の認識をずらすスキル――【鏡花水月】を発動したのだ。
【鏡花水月】は【明鏡止水】と違い、あまりレベルの差があっても発動に支障をきたさない。
つまり、認識させなくするのではなく認識させて騙すことこそが強さのスキルだ。
「悪いな、これはやはり譲れない」
「そんなスキルずる過ぎるニャ! せめてもう一つの方にするニャ!」
「何で態々バレる可能性の高い方を使わなきゃならんのだ」
自分のスキルの使いどころをしっかりと心得ている燈火は確実に勝利を収めるた選択に容赦はない。
そんなじゃれあっていた二人の様子をカウンターの中からこめかみに青筋を立てながらいている人物がいた。
何を隠そう――最強のお母んだ。
燈火が形勢逆転し、このまま逃げ切り勝利が目前に迫ったとき、後ろの方からドンッと大砲でも発射したのかと思う程の大きな音がした。
他の冒険者たちが何事かと怯えながら見つめてくる。
二人は今ここがどこで、誰の目の前でじゃれていたのかを完全に思い出した。
その途端、二人とも体中から冷や汗が噴き出し竦み上がり、顔からは血の気が引いている。
クロエは燈火の後ろを見て固まっており、燈火もまるで首の骨が錆びて動かなくなったかのようにぎこちなく振り向いた。
「お前たち、食いもので遊ぶんじゃない」
『は、はい』
「クロエ」
「はい……」
「暇なら皿洗いでもするかい? これから忙しくなるんだ、少しでも仕事は減らしておきたいだろう?」
「は、はいニャッ!」
「燈火、早く食っちまってくれよ。皿が下げられないだろう?」
「すすすみません! 今すぐいただきますッ」
ミアの静かな怒気に触れ、クロエは逃げるように厨房へ、燈火は料理を味わうことを忘れ、必死に口の中へと運んでいた。
ミアに歯向かうと言う選択肢は最初からないのだ。
「ご馳走さまでしたッ! 会計はおいくらですか!」
燈火は食べ終わった皿を自分で厨房の流しまで運び、さらには洗って棚に戻した。
支払いを終えると、では! とそのまま店を出ようとしたが、そこでまたミアに捕まった。実際は声を掛けられただけだが、それはもはや死刑宣告と遜色なかった。
しかし、ミアは先ほどとは別人のように落ち着いた様子だった。それを見た燈火もしっかりと切り替えミアの方へと顔を向ける。
「また飯食いに来なよ」
「ああ、勿論だろ」
ミアと燈火は、燈火が【ロキ・ファミリア】に拾われたころからの付き合いがあり、ファミリアの首脳陣たちに次いで古い。
燈火にはおよそ母と呼んでも遜色のない人物が三人いるが、ミアもその一人なのだ。
他二人は勿論自分を拾ってくれたリヴェリア、そして生きるために力と手段を提示してくれたロキだ。
確かにおっかないところもあるが、幼少期から世話になっている燈火はミアに絶大な感謝の念を抱いている。
どんなに怒られようとも、燈火がここ――『豊穣の女主人』から足を遠ざけることはないだろう。
「ちゃんと絞られてきな」
「うっ……それについては勿論とは言いたくないんだけど」
燈火は苦笑いしながら店を出た。最後のあれもミアなりの励ましなのだ。
元気と勇気をもらった燈火は、無事にホームに入るべく作戦を考えることをやめた。
背中を押されたのだ、ならやはり顔向けできるよう正々堂々行こうと覚悟を決めた。
ファミリアのエンブレムを背中の着物で揺らしながら日も落ちこれから夜の訪れを待つばかりのメインストリートを歩いていると、後ろから呼び止められた。
振り向くとそこにはリューが小さな小包を持ちながら立っていた。
「どした、これから書き入れ時だろうに」
「これを、一応渡しておこうかと思ったので」
リューから手渡さた包みを見ると、それはお弁当だった。
「これは?」
「万が一締め出された、あるいはまた戦略的撤退をしたとき用にと」
燈火はリューが謹厳で実直な性格であり、口調も厳しめだが、気を許した相手には若干柔らかい態度になる事を知っている。そしてそれが自分にも当てはまっていることが嬉しいと思っている。
こういった気遣いは心底嬉しいのだ。
嬉しいのだが――
「俺……死なないかな」
「そう言う事は本人の前では言わないものです」
「ごめんなさい」
リューとはそこで分かれた。元々包みを渡しに来ただけなのだ。
燈火はリューに微笑みかけた。リューもそれに答えるように小さく笑った。言葉は要らないらしい。
燈火はリューの厚意を受け、一抹の不安を胸にホームへと向かった。