Running On The Rockin' Road 作:あさ。
アニメでは、前川氏の部屋に泊まった時にギターを持ちこんでいた描写とかありましたが、後々その辺の矛盾点は回収する予定です。
アニメやゲームとの矛盾点を見つけた方はもう少々お待ちいただけると嬉しいです。
ジミヘンコード――おそらく世界で最も有名なギタリスト、ジミ・ヘンドリックスの名を冠しており、彼が好んで使用していたコードだ。
代表曲である『パープルヘイズ』でも惜しげもなく鳴らされており、メジャーともマイナーとも区別をつけがたい、どこか不安定で独特な響きなのに、昔からそこで鳴らされることが当然のように、コード進行に納まっている。
ギターを歯で弾いたり、燃やしたり、パフォーマンスの派手さが目立つが、ジミヘンコードの他、ファズやワウを多用してロックギターの音色の幅を広げた功績は大きく、未だに世界で最も偉大なギタリストとして崇められている。
「――おお、すごい。ジミヘンコード弾けるんだ。
勝手に今日初めて弾くんだと思ってたけど、実はそうでもないの?」
僕が素直に驚きを伝えると、李衣菜は、ギターを鳴らす緊張から解放され、ふやけた笑顔を見せ、その理由を答えた。
「えへへ……。正真正銘、初めてですよ!
実は、このコードだけスマホのアプリで練習してたんです。
ロックって言ったらジミヘンですから!」
力が抜けながらも、どこか自慢げにそう言った。
ギターのコードが鳴らせるスマートフォンアプリで、このコードだけをひたすらに練習していたそうだ。
愚直にもジミヘンコードだけを練習し続けたため、他のコードはからっきしわからないらしい。
「それにしたって良くここまで綺麗に音が鳴らせたね。
特に女の子向きの抑え方じゃないからなあ――」
ジミヘンコードは、一般的なローコードとは異なり複雑な抑え方のため、お世辞にも初心者向きのコードとは言えない。
さらに、多くの場合はネックを握り込む形になるため、手の小さい少女には物理的な障壁がある。
そんなことを考えながら、李衣菜が指板を抑えている左手を見てみると――あることに気付いた。
李衣菜の使っているストラトキャスターは、通常のストラトよりもフレットの幅が狭く、李衣菜の小さな手でも無理なく抑えることができていたのだ。
「――なるほど。
それ、ミディアムスケールだったんだな」
「ミディアムスケール?」
今になって気付いたが、李衣菜が使うためにレンタルしたギターは、全体的に少し小さく、ミディアムスケールのストラトだったようだ。
「普通のストラトはロングスケールとかレギュラースケールって言って、レスポールとかSGとかと比べて、フレットの間隔が広いんだけど、そのギターは僕のSGと同じぐらいのフレットの間隔なんだよ」
これが通常のロングスケールのストラトだったとしたら、うまく弾けていなかったかもしれない。
李衣菜が弦を切ってしまった方のギターがレギュラースケールだったのかは確認していなかったが、結果的に弾きやすいミディアムスケールを使えているのだったら、かえって良かったみたいだ。
「へえー! ギターによってそういう違いもあるんですか?
てっきり形とか音とかぐらいしか変わらないんだと思ってました」
「大きさだったり、ネックの太さだったり、意外と細かいところが違うんだ。
結構弾き心地が違うから、ギターを試奏するときは少し気にしたほうが良いかもね」
「ミディアムとかロングっていうと、なんだか髪型みたいですねー。
ショートもあるんですか?」
「もちろん。
ショートスケールのギターだと、ムスタングが有名だな」
髪型が思い浮かぶような発想は、なんだか女子高生らしいと思った。
この頃はどこか感性の壊れたろくでなしとしか触れていなくて、十代の少女の感覚は新鮮だ。
僕も世間的にはまだ若者なのだけど、こうやって段々自分より若い人との意識の差を感じておじさんになっていくのかもしれない。
――そんなジェネレーションギャップに思いを馳せていたのだけど、音楽には世代なんてあまり関係ないのだろう。
「ムスタングって……カートコバーンが使ってたギターですよね?!
私、ニルバーナ好きなんです!」
――正直なところ、ムスタングと聞いて、今時の女子高生の口からニルバーナが真っ先に出るとは思っていなかった。
ロックが好きと公言している李衣菜だし、ニルバーナを知っていること自体は不思議なことではない。
だが、ムスタングと言えば、巷で話題になってきている女子高生バンドの放課後ティータイムなんかの方が、最近の女の子はイメージするんじゃないかと思っていた。
予想外ではあったが、これは好都合だ。課題曲が決まった。
「それならニルバーナから始めるのも良いかな」
「え!? 私、ニルバーナ弾けるんですか!?」
ニルバーナは、海外のバンドだが、日本ではかなりの知名度があるバンドだろう。
曲を聞いたことが無い人でも、おそらく一度はあのポップなスマイルマークを見たことがあると思う。
夏になると、あのマークが描かれたTシャツを着ている若者が巷に溢れるが、実は、あのTシャツを着ているファンはいない、とされるぐらい、
そのバンドの音楽を知らない人が、Tシャツから興味を持ったなら、グッズの役割としては大成功だろうけど、世の中には新参者や半端者を嫌う自称玄人がたくさんいるものなのだ。
音楽を好きになる動機なんて、崇高である必要もないのだから、それがきっかけになって好きなバンドのファンが増えるなら、悪いことなんてあるはずがない。
僕はそう思うのだけど、どうもある層の人たちは、そうは思わないらしい。
「うん。スメルズならそんなに難しくないから、今日中には弾けるようになるかも」
「おお! スメルズ! 名曲ですよね!」
僕もギターを始めたてのころ、スメルズ・ライク・ティーン・スピリットのギターリフを練習したものだし、李衣菜が初めて弾くにもちょうど良いだろうと思う。
リフもシンプルだし、ギターソロも早弾きなどの初心者に無理のあるフレーズもなく、入門曲として練習したギタリストも多いはずだ。
ニルバーナの代表曲でもあり、この曲を練習したことでニルバーナやカートコバーンを好きになったギタリストは少なくないだろう。
当のカート本人は、色々な場面でこの曲があまりに求められすぎて嫌気がさしたらしいが、ここまでシンプルで耳に残るフレーズは、ニルバーナ以降ではグリーンデイのアメリカン・イディオットのリフぐらいしか僕は思いつかない。
「それなら、今日はスメルズのリフを弾くのを目標にしようか」
「わーい! 私、頑張りますっ!」
元気の良い返事と共に、合いの手のように、李衣菜はダウンストロークでジミヘンコードを鳴らした。
褒めると調子に乗るタイプなのか、そうやってジミヘンコードを鳴らす李衣菜はどこか得意げだった。
知り合って間もない少女には申し訳ないが、憎らしい額にデコピンを食らわせる。
「あてっ」
「……ジミヘンコードは使わないから、とりあえず指は離そうか」
「はい……」
「指離したままだと音出ちゃうから、軽く押さえててね」
ジミヘン気分から覚めてもらうよう通告すると、デコを少し赤くした李衣菜はドヤ顔から一転、軽く言った冗談が滑ったような羞恥の表情を見せた。
完全にネックから指を離してしまうと、アンプの音に弦が共鳴してしまうフィードバック現象が発生してしまうため、少し力んでジミヘンコードを抑えていた李衣菜に優しくネックを握るよう伝えた。
「は、はい! こういう感じで良いんですか?」
「そうそう。その状態で弾いても"ジャッ”って感じの歯切れのいい音しかしないでしょ?」
「――あ、ほんとだ! レッチリみたいな音ですね!」
レッチリ――レッド・ホット・チリ・ペッパーズ。
ファンクをベースに、ロックやヒップホップ、パンクなど、様々なジャンルを織り交ぜた、ミクスチャーバンドの代表格で、海外勢としてはトップクラスに日本で人気のあるバンドかつ、今世界で最も人気のあるバンドと言っても過言ではないだろう。
代表曲のバイ・ザ・ウェイの序盤では、当時のギタリストであるジョン・フルシアンテの歯切れの良いブラッシングが目立っており、おそらく李衣菜のイメージはその部分だろう。
それにしても、ジミヘンに、ニルバーナに、レッチリ――李衣菜の趣向が段々見えてきた。
あとはオアシスとグリーンデイ辺りが好きそうだ。レディオヘッドも聞いているかもしれないが、おそらく苦手だろう。
「その音はブラッシングって言って、これが綺麗に鳴らせるようになるとレッチリとかも弾けるかな。
まあスメルズでも少し使われてるから、鳴らし方はその中で覚えていこう」
「はーい」
「それじゃあ、ちょっとお手本を見せるから、ちょっと見ててね」
少し脱線気味だった話を強引に修正して、レッスンを進めるべく、自らの愛機――ギブソンSGのリアボリュームノブを回す。
人差し指で六弦一フレット、小指で五弦三フレットを抑え、不要な弦を人差し指の腹で軽く触れる。
ディストーションを少しかけたジャズコーラスからは、少しばかりのノイズだけが出力されている。
SGに穴が空きそうなほどに弟子が見つめる中、左足で軽くカウントを取り、世界中どこで弾いても誰かは知っているであろうリフを弾き始めた。
「わあ――」
Fのパワーコードを弾いた瞬間から、李衣菜の口から感嘆の息が零れた。
僕にとっては単なるパワーコードだが、彼女にとっては何か別の意味を持つのか。
多田呑み屋で、ギターを教えるだか教えないだかの話が出たときと同じくらい、もしくはそれ以上にきらきらとした眼差しを感じながら弾くスメルズ・ライク・ティーン・スピリットのイントロは、バンド時代に経験した六十分のワンマンライブよりも遥かに長く感じた。
未だに弾き語りをしている身でありながら、たった一人の観客を前に、緊張で手汗がにじみ出て、ピックを滑り落としそうだった。
何とか堪え、八小節を弾き終えると、一人分の拍手が僕を迎えた。
「師匠! 師匠のギター、すごいロックです!
私、感動しちゃいました!」
「あ、あはは……それはどうも……」
李衣菜にとっては違うのだろうが、こんなに簡単なフレーズでこんなに大げさに反応をされると、恥ずかしさを通り越して申し訳なさを感じてしまう。
こんな
狂乱のモッシュピットへ飛び込んで、怪我でもしてしまうのではないだろうか。
「もっと! もっと弾いてください!」
「い、いやいやいや。今日はそういうんじゃないでしょ!?」
僕の心配なんて知らずに、モッシュピットではなく、僕の眼前へ、思い切り飛び込んできた。
「あっ! そういえばそうでした……えへへ……。
あ、あれ? 師匠、そんなに顔赤くしてどうしたんですか? も、もしかして怒ってますか?」
「そういうんじゃないから! 大丈夫だから!」
「?」
鼻先がぶつかりそうなくらい顔を近づけ、続きを懇願する李衣菜の肩を抑え、窘めると、李衣菜はバツが悪そうに笑った。
よっぽど昂ったのか李衣菜は全く気にしていないようだが、一方僕はというと、鼻息を感じるぐらいに近距離で美少女の顔を見るなんてこと、ここ一年ほどなかったものだから、心臓に良くない事態になっていた。
一旦李衣菜から顔を背けて深呼吸をし、「変なししょー」なんて言われながら心拍数を整えて、改めて李衣菜に向かい合う。
「気を取り直して、レッスンを再開するよ」
「気を取り直すようなことあったんですか?」
「いいからっ! 再開するよ!」
なおも「やっぱり変なししょー」なんて呟いて怪しむ李衣菜を勢いで誤魔化し、レッスンを再開する。
「まず、六弦の一フレットと五弦の三フレットを抑えようか。
僕の抑え方を真似すればいいから」
「はーい」
手本を見せた先ほどのように、それでいて李衣菜に抑え方が見えやすいように少し大きめの動きで、左手人差し指で六弦の一フレット、小指で五弦の三フレットを抑える。
スメルズ・ライク・ティーン・スピリットのメインリフは、所謂パワーコードという奏法が用いられる。
通常三音以上の和音を鳴らすことが多いコード演奏で、二音だけの和音を鳴らす奏法だ。
――奏法、なんて表現すると大層な技術にも思えるが、つまりは簡易コードである。
「簡易ってことは、初心者向けってことですか?
なんかゲームの初心者モードみたいで、ロックじゃないような……」
「う、うーん……、初心者向けではあるけど、初心者モードとは違うかなあ……」
「初心者しか使わないってわけじゃないんですか?」
確かにパワーコードを多用するバンドの曲は、初心者向けの練習曲として良く挙げられる。
だが、単音とも和音とも違う響きから様々なジャンルで用いられるため、ギタリストは一生付き合うことになる奏法だ。
「ハードロックとかヘヴィメタルでも良く使われるし、初心者だけってことはないかな。
ジミヘンだってよく使ってるよ」
「ジミヘンも使ってるんですか!? パワーコードってロックなんですね!」
「……」
「どうかしましたか?」
「いや、なんでも……」
インターネット上で李衣菜の情報を少し調べたとき、「ちょろそう」だとか「ニワカワイイ」だとか言われていたのを思い出し、ロックだって言えば何でも納得しそうな李衣菜の将来――というか普段から変な奴に騙されていないかが不安になった。
今度多田呑み屋のおっちゃんに忠告しておこう。
「とりあえず抑えたら、弾いてみようか。
さっきジミヘンコードを弾いたみたいに、思いっきり
「ロックに……! 任せてください!」
僕がけしかけたからか、それとも本心から思い切り弾くのがロックだと思っているのかもしれないが、李衣菜はその小さな右手を肩の辺りまで上げ――思い切り振り下ろした。
――しかし、その振り下ろした右手に応えたのは、ほぼほぼ開放弦で構成された、間の抜けた不協和音だった。
「し、ししょー……。
これ、初心者向けじゃなかったんですか……」
「ま、まあ待て。泣くんじゃない……」
落ち着いて、音が鳴っているときの僕のSGの弦を見てごらん」
ジミヘンコードを弾いたときの感覚で弾いたのだろうが、まさかチューニング前のような不協和音が鳴るとは思ってもいなかったのだろう。
先ほどまでの勇ましい表情とは一転して、鳴らした音のような間抜けな泣き顔になった李衣菜を宥め、僕も李衣菜と同じように指板を抑え、
結果は、李衣菜と同じく間抜けな不協和音だ。
「ぬう……やっぱりちゃんと
「それは、ちゃんと
「? どういうことですか?」
「これは失敗例。正解はこう――」
改めて、先ほどまで指板と垂直に立ててフレットを抑えていた人差し指を寝かせ、不要な弦に人差し指の腹で軽く触れ、六弦と五弦を始め、
「おおっ! 今度はロックな音――あっ! 下の方の弦が鳴ってない!」
違いを見極めるために僕のSGの弦を凝視していた李衣菜は、すぐ答えにたどり着いたようだ。
ジミヘンコードの場合、抑えない六弦と一弦が開放弦として鳴っていても、和音に大きな影響はない。
その癖がついていたのかもしれないが、李衣菜のパワーコードの抑え方では、そのままかき鳴らそうとすると、不要な四弦から一弦まで鳴ってしまう。
これを防ぐために、不要な弦を鳴らさないようにする技法をミュートというのだが、このミュートは、一人で練習しているとなかなかに苦戦するし、必要性になかなか気づけないものだ。
「ほら。さっき、レッチリみたいって言ってた音あるでしょ?
あの音を出した時みたいに、他の弦を軽く触れておけば、必要ない弦が鳴らないように弾けるんだよ」
「なるほど!
でも、全然、思ったように、出来ないですねっ……ああもう!」
李衣菜はそう言いながら、不格好なパワーコードを何度も鳴らし、試行錯誤を重ねている。
僕の言っていることを聞きながらも、自分の左手人差し指をじっと見て、力加減やネックの握り方を色々と試している。
僕が何か言わずとも、見る見るうちにコツを掴んでいるようで、徐々にミュートが出来てきていた。
「なんか、全然、初心者、向けって、感じ、じゃないですねっ……!」
だけど、李衣菜自身はまだ納得がいっていないようで、ああでもない、こうでもない、と一人呟きながら、ギターに向き合っている。
僕にコツを聞くとか、教えを乞うとか、そういう発想は無いようだ。
一つのことに集中できることは良いことなのだけど、このままだと二人でスタジオに入ってレッスンをしている意味がないので、五分ほど見守ってから声を掛ける。
「おーい。李衣菜さん」
「ひゃっ!? な、なんでしょう?」
あまりにロックじゃない素っ頓狂な声をあげたことには触れてあげないことにし、驚いて立ち上がった李衣菜を「どうどう」と座らせる。
ギターに予め取り付けられていたストラップを肩にしっかりかけていたようで、ギターを落とさなかったことは幸いだった。
どうも李衣菜は熱中すると周りが見えなくなる傾向にあるようなので、声をかけるときは少し気を付けたほうが良いのかもしれない。
まだ出会ったばかりの少女の取り扱い方を考えながら、先ほど覚えたこの多田李衣菜というアイドルの扱い方を実践する。
「もうしっかり
自分でもちょっと雑にロックに頼ってしまったかと思ったが、このロッキンガールは満面の笑みで「はいっ!」と答えてくれるのだから、やっぱり将来が心配だ。
今回はニワカなウンチクが多かったかもしれません。
ここ違うよーとかありましたらご指摘いただけると助かります。