縁側で茶をすするオーバーロード   作:鮫林

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お待たせしました。


前回のあらすじ

さ す し こ


今回はカルネ村イベントに参加してもらった人たちのその後についてちょろっと。前回までに何があったかの説明も兼ねて。

大変ぬるいですが、シャルティアちゃんがクレマンティーヌちゃんに手を出すシーンがあるので、苦手な方はご注意ください。






黄昏て宵闇へ

 

 

「う、あ……」

「お、起きたかイグヴァルジ」

 

 自分の呻き声に混じったのが仲間の声だと、気付くのに結構な時間を要した。

 軋む肺に鞭を打って、無理矢理に空気をねじ込む。鉄錆と、青草の匂い。滲む視界にはぼんやりと霞む夕焼け。うまいこと開かない眼をどうにかこじ開けながら、重い半身をやっとの思いで起こした。

 途端、全身に走る激痛。ぐう、と意図せず声が漏れて、再び地面に背中を預けるハメになった。なんでだ?

なんで俺はここまでズタボロになってんだ。ここはどこだ? 何が起こった?

 

 視線だけをぎょろつかせて状況を必死に把握しようとする俺を見かねたのか、ため息混じりに仲間が声を掛けてくる。

 

「落ち着けよ。もう敵はいないんだからさ」

「て、き……?」

 

 敵。その言葉を聞いて、ぶわっ! と記憶が蘇る。

 霧の村。探査の依頼。山ほどのスケルトンと一体のスケリトル・ドラゴン。そして――。

 

「あ、あいつは? あの化け物は!?」

「心配すんな。戦士長が倒してくれたよ」

「せ……」

 

 戦士長って、お前。

 声に出さずとも仲間の向こう側に、確かにそいつはいた。

 

 リ・エスティーゼ王国戦士長、ガゼフ・ストロノーフ。

 英雄に片脚を突っ込んだ男。なんであの男がこんなところに。

 

「はあ!? なん、おま……、っで、いでででで……!」

「急に動くと傷に障るぞ。まだあちこち折れてんだよ、お前」

 

 ほら、と差し出された水袋を受け取り、喉を潤した。口中に広がってた鉄の味が小マシになって、激痛が鈍痛程度に治まる。

 治療のために剥かれたんだろう革鎧の下、厚手の布の服にはあちこちポーションの染みができていた。バレアレ印のポーションですら完治には至らなかったんだと思うと改めてぞっとする。全身まだらに青い汁で染まってはいたが、腹から太腿までが特にじっとりと湿っているあたり、仲間の気遣いに涙が出そうだった。

 

「村に帝国兵がたくさん倒れてたろ。あいつらを追ってここまで来てたんだとさ。良かったなあ、お前、あの人がいなかったら死んでたかも知れないんだぞ」

「……そうかよ」

 

 仲間の感嘆が、ちり、と腹の底を撫でていく。燻るその熱をそのままに、今度はゆっくりと身を起こした。

 ガゼフ・ストロノーフとその部下、王国戦士団の連中が、村人達にしこたま礼を言われている。はらわたにこびりついた灯火が、黒い感情になって燃え上がってゆくのを、冷めた自分が眺めていた。

 

 クソが。ふざけるなよ。何もかもてめえひとりで片付けたような面しやがって。

 俺が、俺がどれだけ準備して、どんな目に遭わされたと思ってる。それをたまたま居合わせただけで、感謝されて当然みてえな態度で。

 

 睨め付ける俺の視線を感じたのか、振り向いた戦士長と目が合った。一呼吸ほどにらみ合った後、戦士長はこっちに近づいてくる。ざくざくと草を踏みしめる足取りまでもが英雄然としていて、それが余計に苛立ちを募らせた。

 

 なんだ? 労いの言葉でもかけるつもりか?

 「大丈夫か?」「痛みはないか?」

 

 はっ、笑わせんな。

 大丈夫じゃねえしあちこち痛えに決まってんだろ、クソが。

 

 きっとあいつは俺のことを下に見ているんだろう。自分が倒したアンデッド相手に無様を晒した雑魚野郎だって。それで憐れんで見せるつもりなんだ。俺を踏み台にして、自分が更にのし上がるために。

 畜生、許せるか。在り得ねえ。許してたまるかそんなもん!

 

 ついに眼前まで近寄ってきたガゼフを親の仇のように睨みつけ、文句のひとつでも言ってやろうと口を開いた、そのとき。ためらいもなく膝をついて、戦士長が、まっすぐに。

 

 

「ありがとう」

 

 

 そう、言った。

 分厚い掌にかたく握られた右手。ばしっ! と景気良く叩かれる肩。痛え。

 

「は……」

 

 ぽかんと開いたまま口が塞がらない。相当な間抜けヅラを晒しているんだろうに、それを笑うどころか意にも介さず、戦士長は一言一句を丁寧に紡いでいく。

 

「貴公らがスケルトンの群れを、スケリトル・ドラゴンを倒してくれていなかったら、私はあれに勝てていなかったかも知れない」

 

 あれ、というのは、俺をぶちのめしたでかい騎士のアンデッドに違いなかった。これでも長いこと冒険者をやっていたから、間近にいる人間が嘘をついているかどうかくらいわかる。深刻な表情でかつての辛勝を語るその姿には、謙遜の響きなんて欠片も含まれちゃいない。その体をよくよく見れば、相当な戦いだったんだろう、細かい傷や痣が未だ痛々しく残っていた。

 

「貴公らの奮戦に。そして自らの傷で以って敵の存在を示してくれたことに」

 

 元の色はグレーかブラウンか、真っ直ぐ見つめてくる瞳に夕焼けが映りこみ、炎のように燃えている。

身長は大して変わらないはずなのに、がっちりと鍛えられた身体は俺よりもふたまわりほど大きくて。そんな体を座っている俺よりも低いところまで縮こめて、頭を下げたと思えば。

 

「感謝する」

 

 しゅん、と、冷や水でも浴びせられたみてえに、自分の中の激情が鎮火してしまうのがわかった。

 あっけにとられたままの俺を置き去りにして、戦士長は踵を返す。やけにでかく見える背中、夕日に染まった鉄鎧が憎たらしいくらい鮮やかな茜色で。ああ、そういや面と向かって「ありがとう」なんて言われたのは一体いつだったろうかと、柄にもねえ考えがぽかりと浮かんで、消えた。

 

「ぶ厚……」

 

 掌に視線を落とす。戦士長の掌は、それはもうぶ厚かった。日々欠かさず剣を振るっていることが一目で分かる、潰れたマメと積み重なった擦り傷でがちがちに固くなった手。叩かれた肩がまだ、じん、と痺れている。

 知っている。本当の強者っていうのは、べらべらと喋りたくらなくても、つまらねえ小細工を使わなくても、ほんの些細なことで力を示すことができるんだって。

 

 わかっている。本当はわかっているんだ。クソでかいアンデッドにぶん殴られて無様に小便まで漏らした俺と、颯爽と現れて勝利をもぎ取っていったあの男と、どこで差がついてるのかくらい。

 最初の最初の最初から、奴にはできて、俺にはできねえってことくらい、わかってるんだよ。

 

 あれが、あれで、英雄に「片脚を突っ込んだ」男、か。

 あれが、まだ英雄じゃねえって言うんなら、ああ。くそ、ちくしょう、畜生が!

 

「だぁああっ! クソッ!!」

 

 こんままじゃ終われねえ。終わらせてたまるか!!

 勢いをつけて立ち上がる。足が軋んで、肋骨に鈍い痛みが走った。構うもんか。ほとんどヤケクソのまま、大きく息を吸い込んで、叫ぶ。

 

「待てよ、戦士長ォ!!」

 

 振り向いた戦士長と、こっちを見ている戦士団の目には、「ああ、またこの類か」という感情がありありと浮かんでいた。面倒だな、ってツラ。今まで散々難癖つけてくる輩に絡まれたんだろうと容易に想像がつく。

 ここに至るまで、どれだけの妬みや嫉みがあの男に圧し掛かってきたのだろう。当然だ。平民上がりの、傭兵崩れの、たまたま腕っ節が強かっただけの男が、王に見初められて隣に侍ることになるなんて。まさしく御伽噺の英雄譚だよ、クソが。

 

 ああ、うるせえ。わかってる。わかってるっつってんだ。

 俺じゃ英雄に届かないって。

 

 だから小手先で戦うんだろうが。だから頭を捻るんだろうが。

 足りないから、届かないから、それでも時間は過ぎるから、いつか本当に届かなくなる前に、ほんの少しの希望に指先引っ掛けようと死にもの狂いで足掻いてんだろうが!

 

 ふざけんな。生まれ持ったものがどれだけすげえか知らねえが、目にもの見せてやる。がしがしと大股で奴さんがたへ近づく俺に、「おい、イグヴァルジ」と仲間から制止の声。うるせえ、黙って見てろ。

 

「まさかあんた、このまま王都まで帰ろうってんじゃねえだろうな」

「エ・ランテルで賊を下ろしたら直ちに。事態は一刻を争う。時間を無駄にするわけにはいかないのだ」

「へえ、そんで? あんた、ここで起こったことをそのままバカ正直に話すつもりかよ」

「そのつもりだが」

 

 それ以外に何がある、ってな顔で、あっさりと戦士長はのたまった。やっぱりな。そんなこったろうと思ったよ。

 ちらりと視線を動かせば、副長らしき男がこめかみを指で押さえているのが見える。これが上司じゃ苦労するよな、と鼻で笑いつつ、さっさとこちらの用件を伝えることにした。

 

「そんなもん、貴族連中が信じると思うのか? 帝国兵を追っかけてたら、すげえ霧が出てて、そこでやたらと強えアンデッドと戦いました、って。笑われるぞ、普通」

 

 はっきり言って笑われるどころか、正気を疑うような内容だ。この目で見たって信じられねえような光景だったってのに。おまけに、ガゼフ・ストロノーフが貴族派の間で良く思われてないなんて、今どき王国内じゃ酒の肴にもならねえくらい知れ渡ってる。文字通り一笑に付されて終わりだろう。嫌味の三つや四つくらいはおまけについてくるかも知れないが。

 

「それでも、私が成すべきことは変わらない」

 

 そうほざいた戦士長の眼はあまりにもまっすぐで、誠実で愚直な性格をそのまんま表に出したような、それはもうきれーなお目々をしていなすった。腹芸って言葉を知らねえのかこの男は。

 知らねえんだろうなあ。そりゃそうだ。戦場の最前線で剣を振るうことしかして来なかったんだから、根回しやら袖の下に長けてる方がおかしい。にしたって酷すぎるがよ。

 

 はあーっ!! と、これ見よがしにでかいため息をついてやって、戦士長を思いっきり指差した。たじろぎもしねえ英雄様に、今出せる限界ギリギリの大声をぶつける。

 

「だから!  クラルグラ(おれら)が組合通して都市長に書面書かせてやっから! 一旦組合に寄れっつってんだよ! このバカ!」

 

 きょとん、と、お手本のような戦士長の間抜け面。逆襲成功だ。ざまあみろ。ほんの少し、溜飲が下がった。

 

 ミスリル級とはいえ、冒険者の陳情なんざ貴族にとっては屁でもない。が、それが都市長からの書面となれば話はちっと変わってくる。王派閥の人間とはいえ一都市の長。貴族共も軽々しく跳ね除けたりはできない。

 アインザック組合長には優先的に処理してやるよう伝えるつもりだが、パナソレイ都市長はガゼフを高く買ってるようだし、きっと快諾してくれる。つうか俺がわざわざ手ェ出さなくても、こいつが直接言ったってどうにかなるはずなんだが、裏から手を回す、っていうことを知らないクソ真面目な男らしく、今初めて気付いたような顔でぱちぱちと瞬きをしていた。

 

「それ、は、願ってもないことだが……」

「ああん!? まさかてめえタダでいただけると思ってんじゃねえだろうな!? 王都に行ったら飯のひとつも奢れよ、忘れんな!」

「あ、ああ、わかった」

「そんじょそこらの安宿ですませるなよ!! 一番高い宿だぞ!! いいな!?」

 

 興奮しすぎたか、えっふえっふと重たい咳が出る。肺が痛え。すると、戦士長が肩を震わせて笑っていた。何が可笑しいんだ畜生め、と、大袈裟に睨みつけてやる。が、返ってきたのはよっぽど邪気のない素直な微笑で。

 

「わかった、約束だ」

 

 朗らかな声で戦士長はそう言った。

 条件はイーブンだ。ギブアンドテイク。五分五分の取引だっていうのに、たったそれだけで、旧い友人を見つけたかのような面で笑うものだから、いっそ悲しくなった。どれだけ味方が少ないんだよ、この戦士長さんはよ。

 そんな哀れな戦士長をこれ以上罵る気も失せて、「先に行ってるぞ」とだけ伝えて、仲間の方向に足を向ける。去り際に、副長らしき男がひとつ、頭を下げるのが見えた。

 

 

 

 繋いであった馬を引いてきた仲間のところに寄れば、3人が3人共、それぞれ珍妙な顔をしている。ゴブリンがバジリスク産んだような面しやがって。殴るぞ。

 

「おっまえどういう風の吹き回しだよ……」

「槍でも降るんじゃねえか?」

「短い人生だったなあ……」

 

 好き勝手言いやがる。馬にくくりつけてあった荷物から最後のポーションを取り出して一気に飲み干し、吐息交じりに、ばーか、とお返ししてやった。

 

「ここで恩を売っときゃあ、将来何かしらの役に立つかも知れねえだろ?」

 

 手回しなんざ期待しちゃいないが、王との世間話でチームの名前が出ればしめたもの。これで良い仕事がまわってくるなら、オリハルコンへの昇格もそう遠い未来のことじゃない。

 自然と口角が上がる俺を見て、仲間達が心底安心したように何度も頷いた。

 

「良かった。やっぱりいつものイグヴァルジだ」

「俺らの頭目はそうでなきゃ」

「助かったー」

「どういう意味だてめえら……」

 

 怒りで震える手を必死に押さえて、手綱を握る。(あぶみ)に足をかけて勢い良く鞍に跨った。

 

「夜駆けになんぞ! 遅れるなら置いてくからな!」

 

 戦士長にああ言った手前、戦士団よりも先にエ・ランテルに戻っておかなきゃ意味がない。ガゼフを後手に回らせることになっちまうからだ。痛みはまだあるが、エ・ランテルに戻るくらいなら耐えられるし、仲間達も俺が伸びてる間、十分に休んだだろう。

 

 そうだとも。こんなとこで終わってたまるか。これからだ。ここからが、俺の。

 

「英雄への第一歩、ってな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……副長」

「はい」

 

 準備を整えながらこちらを呼ぶガゼフ戦士長の声はやたらと物憂げであった。内容は、まあ、予想がつく。以前より何かしら思うところはあったようだが、改めて第三者に突きつけられると、堪えるものがあったらしい。

 

「俺は、そんなに世渡りが下手そうに見えるか?」

「下手そう、ではなく、下手なんですよ」

「……そうか」

 

 きっぱりと言い放って差し上げれば、戦士長はしゅん、と分かりやすく肩を落とす。少しだけすっきりした。自分がいない間に、死を覚悟するような強敵と戦ったというのだから、このくらいの反逆は許されるだろう。

 

 しかし、先ほどの冒険者の提案は渡りに船であった。戦士長が思いつかなくとも自分が進言するつもりだったが、彼らが先駆けてくれるのなら事が潤滑に進む。元々偵察目的でカルネ村まで来ていたと言うから、書面の内容も、より詳細なものになるだろう。果たして罠を用意した首謀者の発覚までは期待するつもりはなかったが。

 

 戦士長には敵が多い。平民出身である、という、ただひとつの理由が、彼をどうしようもなく妨げている。同じだけ彼を慕う者はいるはずなのだが、それが味方に成り得るかどうかは、また別の話だった。

 あるいは、彼が貴族であったのなら、と思ったこともある。そうすれば、何に縛られるでもなく存分に力を振るえるのではないか、と。結局は下らない妄想として切り捨てた。生まれ持ったものは変えられないし、この人が変わらずにいてくれるから、自分たちは今ここにいるのだから。

 

「あなたはそれで良いんです。策謀も偽計もなにひとつ出来なくていい。それでこそ、我らが戦士長なんですから」

「それで、お前達を危険に晒すことになったとしてもか」

「承知の上ですよ、そのくらい」

 

 大体、人間なんていつどこで死ぬのかわかったものじゃない。自分の村がモンスターに襲われたとき、自分が生き残ったことに、運以外の理由など何ひとつないのだ。どれだけ足掻いても、どれほど望んでも、何か強大な力の気まぐれに殺されることなんて、もはやこの世にはありふれすぎてしまっている。

 

 ならばせめて、自分が定めた人の下で死にたいじゃないか。

 

「嫌と仰っても、どこへだって付いていきます。私たちはとっくに覚悟を決めているのだから、戦士長も覚悟を決めてください」

 

 日が、落ちる。周囲の景色が暗闇に陰る。冷えてゆく空気の中、それでもなお猛る想いをぶつけた相手は、ぐ、と一瞬息を詰めた後、やや苦々しげに笑みを作った。

 

「では、とことん付き合ってもらおうか。地獄の果てまで、な」

 

 勿論ですとも。

 そう返した言葉に微塵の嘘もなく、やがて訪れるそのときに後悔することなどありはしない。

 

 たとえその日が明日であろうとも、この人の下ならば。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 揺られる馬車のなか、疾うに日は暮れて、星がちかちかと瞬いている。武器は取られ、鎧は剥かれて、下穿きひとつのまま両手を後ろ手に縛られて。敵兵に対する拘束としては些か簡素と言えなくもないが、もはや我々に逃げる気などないのだから、これで十分と判断するのも道理と言えよう。

 疲れと打撲で身体はあちこち痛むし、これから状況が好転するわけもない。けれど、心はやたらと晴れやかであった。

 

 ベリュース隊長亡き今、形ばかりではあるが指揮権を継いだ。とはいえ、何をするでもない。粛々と王国の戦士団に捕らえられた、それだけだ。これから自分達がどのような扱いを受けるか、容易に想像できることであったが、反論するものは誰ひとりいなかった。エ・ランテルに到着すればまず拷問、そのあと良くて街の処刑、悪くて口封じの暗殺と言ったところか。任務に着く前に、防御を僅かに上げる呪法だと、なにやらまじないを受けたが、果たして本当だか。今となっては信用できたものではない。

 

 霧の中に現れた、大量のスケルトン。突如として舞い降りたスケリトル・ドラゴン。数刻前に味わってしまったあの恐怖が、実感を麻痺させているのだろう。あるいは単なる疲労のせいかもしれなかった。誰も彼も、死んだ魚のような眼でぼうっと中空を見ている。ひたすらに押し黙ったまま、愚痴すらも口に出す者はいなかった。

 

 諦めも混じっているのだろうとは思う。

 後続の部隊は、結局、来なかった。

 

 途中までは確実に追ってきていた。それはわかる。あるいは、本当にガゼフを暗殺するための行程が組まれていたんだろう。途中までは。

 

 だが、俺達は、捨てられた。

 

 世界のためにならぬのであれば、英雄であっても殺すべし。他国に対してもそのような姿勢でいる法国が、まさか自国の膿を放っておくはずもない。少し考えればわかることだった。

 

 しかし俺たちは、あんたは、殺されるほどのことをしましたかね、と、心の中で故人に問いかける。何せ思い出せないのだ。確かに良い思い出は全くと言っていいほどなかったが、悪い思い出でさえ、記憶の底の澱から姿を現さない。

 生きている間は色々と思うところを募らせていたはずなのに、殺してやりたいと思ったことも一度や二度ではないのに、いざこうして死んでしまうと、意外に「良かった」と口に出す気分にはならないものだな、と、まるで他人事のような気分でそう思った。

 

 ふと、見張りの男と目が合う。誇りと希望に溢れた目をした、若い男。仕えている人間に何一つ不満なんかないのだろう。きっと、ガゼフが死地へ赴くときは、喜んでついていくのだ。

 それは何もこの男ばかりではない。命令も、国家への忠誠も関係ない。ガゼフの人望がそうさせるのだ。聞いた話では、スケリトル・ドラゴンよりも遥かに強いアンデッドと一騎打ちを果たしたらしい。疑う気も起きなかった。さぞ勇壮な光景であったのだろう、と見逃したことを悔いはしたが。

 

「……いいな」

「あん?」

「上司がまともっていうのは、いいな、と、そう言ったんだ」

「なに言ってんだ、当たり前だろ」

 

 心底呆れたような声で男は言った。眼には、星が映りこんでいる。この男には、我々の瞳が暗闇そのものに見えているに違いない。

 

「俺たち戦士団は、自分で選んであの人の元に集まったんだ。後悔なんかしてたまるかよ」

 

 それを聞いて、ああ、最初から俺達とは違うのだな、と腑に落ちると同時。

 次に生まれてくるときは、あんな男の下で働けるといい。そう思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 とふとふとポットから茶を注ぐ。薬屋ゆえに、種々の薬草の匂いに溢れていながら、茶葉は一際高く香った。一口いただけば、ほう、と、自然にため息が漏れる。今年のは特に甘味が深い。当たり年だな、と満足して頷いた。

 窓の外には瞬く星。良い天気だ。この時期にあまり雨が降らないのも困りものだが、日が無ければ薬草が干せなくなる。魔法で乾かしたって同じことだけれど、そればかりではよろしくない。

 

 これで茶飲み友達でもいれば、と斜向かいを見れば、孫のンフィーレアがそわそわと落ち着かない様子でカップを玩んでいる。ぬるくなると旨くないというのに、このままでは冷めても飲むまい。ふん、とひとつ鼻を鳴らしたが、こちらを気にも留めはしなかった。

 

 いま、うちではとある娘を置いている。二日前、うちが薬草を仕入れるのに懇意にしている村、カルネ村から来た娘だ。なんでも、一寸先も見えないような深い霧が突然出てきたらしい。だから冒険者組合へ相談するのに、ンフィーレアの顔を借りたい、と。

 実のところ娘がうちに来たのは「エンリに惚れています!」と顔に書かれた孫を見たことがある、村の連中のおせっかいだが、働き手が増えるのは悪いことではない。幾らか手伝いをさせてみても嫌な顔ひとつしないし、はきはきとして、覚えも良く、器量もそこそこ。かわいい孫の恋路を邪魔する理由は特別ない、良い娘である。

 

 はてさて問題はこの孫息子だ。今亡き娘夫婦の忘れ形見であるが、大変優秀な薬師に育ってくれたはいいものの、色恋に関しては実につまらない男に育ててしまった。今もまあもじもじと、別室で片づけをしている娘に声をかけるかかけまいか悩んでいる。カルネ村で起きたことが解決しようがしまいが、どのみち娘は村へ戻らなくてはならないのだから、早いとこ行動を起こさなくばならんというのに。

 娘ひとり養えぬような稼ぎであるまいし、迷っているだけ時は過ぎていく。「嫁に来い」とひと言突きつけるだけで終わるものを。なんとも意気地がないことだ。

 

 ここは助け舟を出してやらねばなるまいか、と、カップを机の上にとんと置いた。

 

「ンフィーレア、ひとつ言っとくが」

 

 声を掛けられてようやっと我に返ったか、ンフィーレアは少々慌てた様子で茶を口に含み。

 

「惚れた娘は嫁にしない方がいい」

 

 ぶっ! と勢い良く吹き出した。気管に入り込んだらしく、げふげふと盛大に咳き込んでいる。

 

「は、あ、ええ……っ?」

「なんせ惚れて嫁にした女の尻には一生敷かれることになる。お前の父さんもじいさんも、そのまたじいさんもみいんなそうじゃった」

「うう……」

 

 まさか己の恋心が祖母にバレているとは思わなかったのか、情けないやら、恥ずかしいやらという表情で、汚した机を拭きつつ唸る。遠まわしな反対とも取られているのだろう、落胆の色も混じっているように見えた。

 

「じゃがなあ、惚れた娘が、いつまで生きとるかなんぞ、わからんじゃろ」

 

 ンフィーレアはぴたりと動きを止めた。顔を上げる。伸ばした前髪の隙間から、不安げな瞳が覗いていた。

 今回の騒動もそうだが、村娘というのは大変に死にやすい。モンスターの襲撃や戦、病に飢え、このあたりは王の直轄領であるが故に、貴族に攫われたという話は聞いたことがないが、いまや王も老い、いつまでその安寧が続くかなどわかったものではない。娘夫婦が死んだときも、前触れがあったわけではないのだ。

 

 それを思い出したか、きゅ、と口を紡ぐンフィーレアに、もう一押しか、と見当をつける。

 

「ま、向こうさんに断られるやもしれんがな」

「……だよね」

「少なくとも私は、お前に惚れとる娘より、お前が惚れとる娘の方が良いと思うよ」

 

 我が孫ながら、見る目は確かだ。薬草に関しても、人間に関しても、ンフィーレアが選んだものには外れというものがない。

 それから、と、大事なことをひとつ。

 

「私だってね、いつまでも生きてるわけじゃあない」

 

 そんな、と、席を立った孫を片手で制して、茶をひとくち。しかめっ面を見上げて、にやりと笑ってやった。

 

「曾孫の顔を見られるんなら、早いほうがいいんじゃが?」

 

 ンフィーレアはぽかんと大きく口を開けた。かと思えば、見る見るうちに赤くなり、湯気まで出そうな勢いでぶわりと汗を噴出す。こりゃ熱さましがいるか、と呆れかけたそのとき、うつむいて、はあーっ! と大仰に息を吐いた。そのまま数呼吸、ふと顔を上げ、幾分すっきりとした顔で、にっこりと口の端を持ち上げる。

 

「いってきます、おばあちゃん」

「ん」

 

 ようやく覚悟が決まったらしい。足早に部屋を出て行く背中をじっと見送った。

 

 玉砕しようが成就しようがどちらも運命。今は駄目でも、押していけばなんとかなるんじゃないかと、長年の経験から予測しつつ、ポットから茶を継ぎ足す。

 

 窓を見た。空には変わらず、星が瞬いている。誰が言っただろうか、死んだ人間は星になるのだと。あの瞬きは魂の輝きなのだと。

 別にそれを信じるつもりはなかったが、なんとはなしに、今は亡き娘夫婦を胸中で呼んだ。

 

 お前たちの息子が、男になったよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「う……、んん……」

 

 目を醒ますと、石造りの無骨な天井が見えた。取り付けられた白色光が瞬きの度にちかちかと明滅する。他には、と、見渡せば、鉄格子や鎖など、一見してここが檻の中だと判るものばかりだった。やけに暖かいのは、周囲に暖房用の魔術具が置いてあるからだろう。

 少なくとも法国の檻ではない。エ・ランテルのものとも、ズーラーノーンのものとも違う。それじゃあ、と増やそうとした選択肢の中に、最悪のものがひとつ紛れ込んで、一気に頭が冴え渡った。

 

 そうだ。思い出した。

 ズーラーノーンの盟主からの指令。霧を出すモンスター。放たれた石塊。結局死んだニグンのクソ野郎と、森の賢王、そして。

 

「ようやくお目覚めでありんすか」

 

 鈴が鳴るような声に、ばっ、と飛び起きた。構えを取る。そこにちり、と違和感を覚えて手元を見れば、確かにスティレットが握られていた。そのほかの装備品もきちんと整っている。傷の治癒も完璧。僅かな痛みすら感じない。

 相手が間抜けだから、ではない。絶対の自信だ。お前なんかどうにでもなる、という、傲慢な自負。ぎり、と、噛み締めた歯が軋んだ。

 

「おやおや、そな怯えなくとも、取って喰いはいたしんせん。お腹を満たす、という意味では、ね?」

 

 そう嗤う女は異様に美しかった。月の明かりを集めたような銀髪。白磁のような肌。ほっそりした肢体は上品なドレスで飾られており、貴族の令嬢であると紹介されても不思議には思わなかっただろう。

 

 優美に微笑むその顔に嵌った、ふたつの瞳を見なければ。

 

 血のように赤い瞳、縦に割れた虹彩。それだけで魅了されてしまいそうなくらい綺麗だったけれど、私にはわかる。あれは、化け物の眼だ。人を殺すことと虫を屠ることに差異を見出せない、捕食者の目だ。

 

 乾く唇を舐めて、震える喉から声を絞り出す。

 

「まあ、この状態で? それを信じろって方が無理なハナシだよねー……」

「信じようと信じまいと同じことでありんすのに。抵抗してくれんした方が燃えるから、私は別に構いんせんが」

 

 何が面白いのか、ころころと女は笑う。くるくると髪の毛を弄る指先はひどく華奢で、傾げた真っ白な首は少し力を込めれば折れてしまいそうなくらい細い。なのに動作のひとつひとつに自信が溢れていて、今から私に攻撃されることなんて、塵ほども気にしていないようだった。会話が通じることが逆に恐ろしい。これが、こいつが、もし、「ぷれいやー」の一味なら、勝ち目なんか万にひとつだってない。

 でも、だけど、それでも。

 

「ああ、寒くはありんせんかえ? 屍蝋幻室(うえ)でも良かったけれど、おんしはちょっと人より強いようだから、氷結牢獄(こっち)を一部屋借りんしたの。在り得ないことだけれども、もしも逃げられたら大変でありんすゆえ」

 

 くすくすと嗤う美貌が、発言のひとつひとつが、自信に溢れた動作のすべてが、私の神経を逆撫でしていく。

 

 むかつく。むかつく、むかつく、ムカつく!!

 

 怒りがひたひたと腸を満たし、理性と感情が一致した。

 今、こいつが私を過小評価して、油断している今でなければ、億にひとつの勝機が消える。だから、やるなら、攻撃するなら、今しかない。今しかないんだ。

 

 <流水加速><疾風走破><能力向上><能力超向上>――!

 

 気付かれぬよう、ありったけの武技を使い、太腿に力を込めた。喉笛に一撃。それで終わりだ。人間の形をしている以上、どんな化け物だって首をやられれば死ぬ。

 

 煮え立つ心と真逆に頭は冷えてゆく。細く、ほそく、集中し、研ぎ澄ませて。

 ぱち、と、女が瞬きをした瞬間、首筋を狙い、飛び出して――

 

――突き刺したはずのスティレットは、2本とも指先だけで止められていた。押しても引いても、動く気配すらない。相手はその手に、力を込めている素振りさえ見せなかった。

 

「へえ、レベルより随分と速いでありんせんか」

「舐、め、る、なァアッ!!」

 

 余裕綽々の相手に、ならば、とスティレットに込められた魔法を発動する。<火球(ファイアーボール)>が弾け、<雷撃(ライトニング)>が迸り、あたり一面に舞い散る火花。これで死にはしなくても多少のダメージは与えられるかと思った、が。

 

 しゅう、と、魔法がおさまって焦げたものは空気だけで、女は涼しげに、いっそつまらなそうな表情でこちらを眺めていた。

 赤い、赤い眼が。虫でも見るような目で、私を、じっと。

 

「……っ、ぅ、ぁあああああっ!!」

 

 反射的にスティレットを手放して、顎目掛けて拳を繰り出した。当然のようにするりと後ろに回りこまれ、そのまましっとりと鎧の上を掌が這う。ひ、と、引きつった声が喉から勝手に漏れた。

 

「……けしからん大きさでありんすね」

「は、なせ、この!」

 

 どれだけもがいても外れそうにない。女の細腕に込められていい力じゃない。化け物とは得てしてそういうものだが、それにしたって度が過ぎている。オーガだって、トロールだって、あの森の賢王だって、無傷の状態でやりあうならどうにでも戦えるのに。

 

 ここへ至ってようやく、自分が何に手を出したのか、理解が追いついてきた。

 

「安心しなんし。御方様より、おんしのことは傷ひとつ付けてはいけないと、命じられておりんす」

 

 御方様、という言葉が耳から頭に入る前に、つうっ、と、まるでパイ生地のような軽やかさで鎧の前部分が引き裂かれた。剣はおろか、道具すら使っていない。滑らせた指先に合わせて、ぱらぱらと今まで集めたプレートが落ちる。

 

「ま、待って、待ってよ。謝る、謝るから!」

「謝罪はいりんせん。欲しいのは情報でありんす」

「な、なんでも喋るから! だから、ね? ゆるして……?」

 

 自分の声があんまりにも情けない。むぎゅうっ、と、胸を揉み込まれて、ふぎ、と獣みたいな声が出た。痛みはない。が、たしかな劣情を感じさせる手つきに悪寒が走る。命ではなく身の危険を感じて、いやいやをするように振った頭は、小さな手にがっちりと押さえ込まれた。

 

「そう? でも、それを鵜呑みにするほど、わたしは馬鹿じゃあないのよ」

 

 さっきまでの変なはなしことばが取れた、やや熱に浮かされたような口調。赤い瞳ががっちりと咬み合い、そこからすとん、と力が抜けて、おなかが熱くなる。これからどうなってしまうのか、恐怖ばかりが頭のなかをぐるぐると渦巻いていた。

 

「ひとは嘘をつくもの。知ってるんだから」

 

 この唇だ、と言わんばかりに口付けで塞がれて、蠢く舌が容赦なく思考を奪う。絡み合うように繋がれた手が、指先でなぞられる背筋が、太腿に押し上げられる股間が、甘く痺れて脳髄を溶かしてゆく。とうとう零れ落ちた涙を桜色の唇がついばんだとき、きゅう、と、胸が締め付けられた。

 

「さ、楽しむでありんす」

 

 そう、彼女が言ったときにはもう、薄い唇を滑った舌のこと以外、何も考えられなくなっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ぐにゃり、と転移によって歪んだ視界がやがて凪ぎ、青々とした緑の匂いが鼻をつく。広範囲に拓けた土地の周りを木々が囲み、ところどころ、抉られたかのように土が隆起していた。

 確かに、『占星千里』の視界に映っていたトブの大森林、かつて破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)が居座っていた地点で間違いない。

 点呼。全員の存在を確認。転移による取りこぼしはなし。ふ、と、短く息をつく。尤も、法国の切り札、漆黒聖典がこの程度で脱落するようでは困るのだが。

 

 さてここからどうするか、と、現状を軽く頭の中で浚った。

 

 2日前、難度250を超える怪物が土の巫女の間にて出現。土の巫女本人は無事、しかし怪物の能力か、周囲にいた人間は残らず発狂しており、今朝方ようやく快復に至る。怪物の本体は『絶死絶命』の手により倒されたが、法国内部に偵察目的であろう小虫が大量にばらまかれていたことが発覚。残っていた人員で駆除にあたり、国内にいる分は撲滅を完了。やや遅れたが、当初の命令に従い、漆黒聖典はカイレ様の護衛として破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)を洗脳に向かう、はずだった。

 

 本日、数刻前。

 ニグン・グリッド・ルーインの定時報告が一時途絶え、のちに回復。<伝言(メッセージ)>を通して、曰く。

 

 ガゼフ・ストロノーフの暗殺に失敗。囮の部隊を捕らえてエ・ランテルに向かっていることを確認。

 陽光聖典は先ほどまで()()()()()()()が召喚したモンスターと交戦、最上級天使の使用により撃破。そのモンスターと敵対し、深手を負ったクレマンティーヌも発見したが、『森の賢王』の乱入により状況が混乱。以降、その行方は不明。

 <伝言(メッセージ)>の阻害により通達ならず。任務にあたった隊員はすべて、多少の怪我や神経の衰弱はあれど五体満足で活動可能。指示を、求む。

 

 この報告により、神官長の方々は頭を抱えることになった。最悪、ズーラーノーンが『ぷれいやー』と結託している可能性が出てきたからだ。

 

 姿形は違えど、法国に現れた怪物と、トブの森で陽光聖典が接触したモンスターには共通点が多い。水属性を主体とした攻撃、精神への干渉能力、水底の澱みが腐ったような匂い。まず、同一召喚者によるものと見て良いだろう。

 ズーラーノーンがその召喚者を近隣諸国で確保したか、あるいは『ぷれいやー』が召喚者なのか、確定する術はないが、後者であれば『ぷれいやー』が異界より持ち込んだマジックアイテムや、従属神が共に在るということだ。より悪い状況を想定しておかなければなるまい。

 ズーラーノーンと接触があったはずのクレマンティーヌが、何故ズーラーノーンの召喚獣と敵対していたのかは疑問ではあったが、火急の問題ではないとして一旦保留となった。彼女の性格的に、些細なことで敵対していても不思議ではない、と判断されたからでもある。

 

 とにかく状況を、と、『占星千里』にトブの大森林を視させたところ、もうひとつ、望ましくない事態が露呈した。

 

 トブの森に、破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)の姿がない。

 一方向に向かって木々が枯れ、なぎ倒されており、まるでどこかへ移動してしまったようだ、と青褪めた『占星千里』が語っていた。

 

 まさかズーラーノーンの手の内に、という想像はしかし、すぐさま否定される。もしそうであったのなら、既に国のひとつは滅んでいることだろう。事実、魔樹の足跡は湖で途切れており、あの巨体を隠す術もあるまいということで、何者かによって倒された後だと会議は決定づけた。

 

 だとしても、決して楽観的になれるはずがない。あの魔樹を周囲に被害を及ぼさず倒すことができる存在がいる上、現在法国では、敵に関しての情報をほとんど掴んでいないのだ。はたして真にズーラーノーンの手によるものなのかさえ怪しいところ。エ・ランテルでクレマンティーヌを待ち伏せていた風花聖典に、陽光聖典に対する洗脳状態の有無を確認させるつもりではいるそうだが、『ぷれいやー』と思しき存在が術をかけたとしたなら、それがどこまで役に立つことか。

 しかして今、手をこまねいたまま陽光聖典を丸ごと失えるだけの余裕が法国に無いのも確か。使えると判断したのなら、次の現場に向かわせなければならない。ガゼフ暗殺失敗の責を問うている時間すら、我らにとっては惜しいのだ。神官長の方々はそう仰っていた。

 

 ともあれ、トブの大森林に眠る破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)を洗脳に向かう予定だった我々の任務には大幅な修正が加わった。

 

 事態は一刻を争うとして、移動手段を陸路から緊急離脱用のスクロールを用いての転移に変更。

 破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)が倒されたと思しき場所から、召喚者の痕跡を突き止めること。

 

 些か短絡的とも言える修正内容ではあったが、土の巫女、陽光聖典と、法国関係者を狙い打ちに来ている可能性も考えられる以上、多少のリスクを負ってでも、打開策を見出さねばならなかった。

 

 そうして我々は現下、僅かな手がかりを求めて『破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)』跡地に降り立っている。

 

 さて、予定通り湖の方角へ足を進めようとした、そのとき。

 弱く、小さな、けれども確かな生命の気配を察知した。

 

「そこにいる者。姿を見せろ」

 

 「ひっ」と、怯えた子供のような声が聞こえたというのに、一向に姿が見えない。牽制の一撃でも必要か、と槍を持つ手に力を込めたとき、恐る恐る、といった風情で現れた影がひとつ。シルエットは人間種のそれに良く似ているが、その小さな体と黒目がちの大きな瞳は人間のそれでは在り得ない。

 

森精霊(ドライアード)か……」

 

 古い森に出現する樹木の精霊。魅了や困惑などの魔法で森に迷い込んだ人間を惑わすとも言われているが、基本的には非力かつ無害な魔物だ。魅了を使われたとしてもマジックアイテムが反応する上、彼我の力量差は明らか。これが敵意を持ってから対処しても十分に間に合う。そう思い、一旦警戒態勢を解いた。

 

「も、もしかして、きみたち……、あの魔樹を倒しに来てくれたのかい?」

「……何故そう思う?」

「ち、違ったらごめん! その、だったら、ずっと前に来た7人組のこと、知らないかなー、なんて……」

 

 話を聞いたところ、「太陽がたくさん昇る前」に、その7人組が枝分かれした触手の1本を倒したのだという。特徴を聞く限りでは、二百年前の十三英雄によるものだと見て良いだろう。

 まさかこのあたりで知性のある生き物に出会えるとは思っていなかった。時間の感覚が違う以上、情報源としては心許ないが、ないよりはマシと判断。既に魔樹が倒されていることを伏せたまま、「討伐に来た」のだと伝えてやれば、森精霊(ドライアード)は、ぱあっと表情を明るくし、殊更やかましく喋り始めた。

 

「いつ動き始めるかはわからない状態だったんだけどさ、いつも通り眠っていたはずなのに、いきなりドドドーッ! って動き始めて! すっごく怖かった……」

「それはいつのことかわかるか?」

「え? うーん、太陽が3、4回くらい? 昇る前、かな……? 月が高いところにあって、ちょうどこの辺りに霧が出てきたのと同じくらい……」

「……霧?」

 

 陽光聖典の報告にあった場所とここでは相当な距離がある。普段自然に霧が出るような場所でなし、まず何かしらの力が働いた結果だろう。

 となれば、南東から発生した霧がここまで届いていたのか、あるいは2体目の召喚獣がこの近辺で呼び出されていたか。まったく関係の無い第三者による行為の可能性も捨てきれなかったが、どれを選んだとしてもあまり愉快なことではなかった。

 

 カルネ村の方角へ進むことも一瞬考えたが、陽光聖典と接触した場所にいつまでも留まっているとは考えにくい。一度、魔樹が倒された地点も調べておくべきだろう、と、当初の任務を遂行することにした。

 木々が倒れている方向に魔樹が進んだということだけ森精霊(ドライアード)に確認をとり、隊員を率いてその場を離れる。

 

「あっ、その! 気をつけて! 頑張ってね!」

 

 森精霊(ドライアード)はそう叫びながら、ぶんぶんと力の限り手を振っている。魔物の声援など受けたところで僅かな喜びも感じはしない。魔物は本質として人間と敵対する生き物だ。そのことを前提にしておかなければ、いつ足元を掬われるかわかったものではない。

 

「……放っておいて良いのですか?」

「大した力はない。ここまで迷い込んでくる者もいない以上、奴が人間に害を加えることもないだろう」

 

 いたずらに増えるような種族であるなら別だが、と付け加え、目的地へと進む。

 今は僅かな力も温存したい。これから対峙する悪意が、想定の範囲にあるものだとは限らないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「以上が、ことの顛末になります」

 

 白いメスの蜥蜴人(リザードマン)はそう言い終えて、ふ、とため息をついた。周囲の仲間たちもまた、やや緊張した面持ちでこちらを見ている。アーグランド評議国の特使、という存在を図りかねているためか。鎧で覆われた外見から種族を読み取ることができないからかも知れない。もっとも、剥いたところで中身なんかはないのだけれど。

 評議国にも時折「旅人」がやって来るので、まるきりお互いを知らないこともないはずだが、どうも最近一族が大規模な移動と合併をした直後のようで、警戒心が高まっているらしい。

 

 リグリットから相談を受けて1日と半分。魔樹の近辺を捜索してはみたものの目ぼしいものは特に見つからず、何か手がかりでもないかとトブの大森林、ひょうたん型の湖の畔、蜥蜴人(リザードマン)の集落を訪れた。

 夜中に突然赴いた僕に蜥蜴人(リザードマン)達は驚いていたが、こちらが身分を明かし丁寧に説明を願うと、敵対の意思が全くないことを理解してくれたようで、長の家屋へと招いて幾らか知っていることを話してくれた。

 

 ちょうど3日前、突如として現れた巨大な魔樹を、「死の精霊様」と「水の精霊様」、「御付の方々」が倒してくれたのだ、と。

 

 要約すればそれだけだが、情報としてはとても重要だ。その能力、力の示し方、「精霊様方」に対する「御付の方々」の態度。間違いない。プレイヤーだ。

 弱者を見境無く狩り殺さないだけ善人の部類に入るのかな。プレイヤーの中には亜人と見るや襲い掛かってくる輩もいるから、まだマシな連中と言えるか。尤も、亜人や異形の存在を許さないのはプレイヤーに限らないのだけれど。

 

「ありがとう。そこから『精霊様方』とやらは接触を図ってきてはいないんだね?」

「はい、ご本人様方のお姿は見ておりません。今朝、使者の方が保存の利く食料を幾らか運んできてくださったのですが」

 

 見たところ洗脳されている気配はなし。脅されているようでもないし、彼らが「精霊様」と崇めているのは、単純に恩義から来るものだろう。個人的には力の差をまざまざと見せ付けた時点で遠まわしな恐喝と取れるとは思うが、今のところは友好的な関係を築いていくつもりらしい。

 

 あるいは、既に連中が何らかの思惑で動いている、か。

 わざわざ魔樹をけしかけた、という可能性も否定はできない。

 

 けれどそこまで考えて、まさか、という想いも過ぎる。魔樹を無傷で倒せるような者が、そんな迂遠な方法を使ってまでここらを手中に収める意味がない。それだけの力を持っているのなら、ここの者達程度、どうにでもできるのだから。

 

 ともあれ、これ以上聞くこともなくなったし、お暇することにしよう。怯える相手のところに長居をするのは本意ではない。立ち上がり、軽く礼をした。

 

「夜中にすまなかった。有意義な話を聞けたよ。ありがとう」

「こちらこそ。アーグランド評議国の方には、一族の『旅人』がお世話になったこともありますので」

 

 そう言った長の体に描かれた紋様、真新しい塗料が「未婚」を「既婚」に書き換えている。ふと彼女の隣に意識を移せば、精悍な若いオスがいつでも彼女を守れるよう姿勢を整えているのが見えた。

 危機を乗り越え、散っていた種族を纏め上げる若き長。そしてそこに寄り添う夫、か。彼らの前途には数多の困難が待ち受けているのだろうが。

 

「君らの一族に永久の繁栄を。猛き竜の神、その加護が君らの魂にもありますように」

 

 

 

 さて、ここからどうするか、と、集落から少し離れた場所で考える。

 

 リグリットがキーノから聞いたという霧の中心はここより更に南東になる。どうかすれば、森から外れてしまうくらいの位置であったはずだ。いくらかの戦闘を覚悟でそこへ足を踏み入れてみるか、と、移動を始めようとしたそのとき、知覚に視線が引っかかった。

 

 さして強い力ではない。悪意を感じるわけでもない。見張りの蜥蜴人(リザードマン)のものかも知れなかったが、どうにも頭から追いやることができず、後ろを振り向けば。

 

 

 闇に溶けそうな漆黒の鳥が、赤い眼を爛々と輝かせていた。

 

 

 

 

 







本作では破滅の竜王=ザイトルクワエと認識しております。ご容赦を。

今回視点が多いので「ここわかりにくい」とか「あいつ今なにしてんの」とかありましたら遠慮なく。



次回から新章。前半をまとめにかかります。
のんびりお待ちください。


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