縁側で茶をすするオーバーロード   作:鮫林

27 / 36

今回から原作で登場した現地の脅威二つを畳みにかかります

とりあえずいきなり一般メイドちゃんについての捏造から始まるのでご注意を
3期には一般メイドちゃんがちらほら出てきてて大変嬉しい





第三章 対峙
己が墓穴に頭を垂れよ 壱


 

 

 天上の幸福とは今この瞬間を示すものなのだろう。

 

 偉大なるナザリック地下大墳墓、至高の御方が御住まいと定められた第九階層ロイヤルスイート。その内の一室、至高の御方がおひとりであらせられる死獣天朱雀様のお部屋にて、尊き傍らで御身のお世話をさせていただくという大命を授かっている、今この瞬間。至福のため息を堪えることにさえ喜びを感じるくらいには満たされている自覚があった。

 このお役目が、ようやくまわってきた、という期待からの解放感も相まって。

 

 至高の御方に直接ご奉仕できる御付の順番は、それはもう厳密に決められている。

 メイド長と執事長の両名により作成された、まさしく完璧な作業遂行表。現在降臨なさっている至高の御方のお世話が滞りなく行えること、他の部屋のお掃除も完璧にすることを最優先に、メイドたちの労働量に不公平がないかまで緻密に計算されたシフトの上で、私たちの労働は成り立っている。

 

 至高の御方に対しての不平不満など、脳の片隅に存在するだけで死罪に値する重罪だけれど、働けないということはつまり、自らの存在意義を失うということ。毎秒毎分毎時間、毎日毎月毎年に至るまで、至高の御方のために働きたい。働き足りない。まだ、もっと、この身を尽くして御方のために働きたい! ……そう思ってしまうことは半ば黙認されていた。ナザリックの中で、それを願わない者など誰一人として存在しないから。

 

 ともかく、御方より頂戴した職務に優劣をつけるつもりは断じてないけれど、それでも御身の傍で、御身のために働かせていただくのは、私たちに格別の喜びを与える仕事なのである。

 

 ましてやそれが、死獣天朱雀様の御許となれば。

 

 もちろん、恐れ多くも至高の御方に優劣をつけようと言うのではない。先日、偉大なる墳墓の支配者モモンガ様のお傍でアイテムの実験について手伝わせていただいたときも、とても非常に甚だしく幸福であったのは紛れもない事実。

 

 けれど私たち41人の一般メイドには、それぞれ「好み」というものが与えられている。私たちの創造主、ヘロヘロ様、ホワイトブリム様、ク・ドゥ・グラース様による話し合いによって定められた、ちょっとした役割分担のようなものだ。尤も、全員が全員名前を与えられているわけではないので、そこまで厳密なものではないが。

 

 もし、41人の至高の御方が、それぞれ第九階層の自室にお入りになられるのならば、41人のメイド達もそれぞれ割り振らねばならないだろう、と。

 

 夢のような光景だ。41人の御方が自室でお休みに、あるいは趣味に興じられているのを、私たちがひとりひとり甲斐甲斐しくお世話をさせていただく。なんて幸福な光景なのだろう。

 ……もっとも、今となっては、少々の痛みを伴う夢想ではあるけれど。いつかお戻りになると信じてはいても、至高の御方のほとんどが、ここしばらく姿をお見せに来られていないというのはとても寂しい。

 

 ともあれ、「読書が好きっていうならここしかないでしょ」と、司書長をお造りになられた死獣天朱雀様を、あくまで相対的に慕うメイドとして私は設定され、今ここで仕事に励んでいる。

 

 ああ、それにしても、なんと美しい御姿なのだろう。

 

 古代の水精霊(エルダー・ウォーターエレメンタル)特有の、磨きぬかれた蒼玉(サファイア)ですら及ばぬ深いあおいろのかんばせ。

 その奥底に灯る、まるで深海の生き物が放つ光のような、それでいて理知を感じさせる瞳。

 私たちメイドが手を出すまでもなく、皺ひとつないままに整えられた衣服。モモンガ様やウルベルト・アレイン・オードル様のような絢爛さ、あるいはペロロンチーノ様やたっち・みー様のような輝かしさこそないものの、長い年月を重ねた樹木のような色のスーツと、銀糸によって施された繊細な刺繍が入った純白の手袋は、穏やかで聡明な人格と丁寧で優雅な所作を包むのに相応しい落ち着いた趣のある衣装だと、心よりの賞賛を贈らざるを得ない。

 

 襟元に手を当てて何か考え事をなさっている御様子はまさしく一枚の絵画のよう。否、どれほど優れた画家であったとしても、御方々の威光を表現などできるはずもない。あるいはホワイトブリム様であればこの光景を完璧な絵として落とし込むことも可能なのだろうけれど。

 

 

 ……さて。

 こうして存分に見惚れつつ、空想に浸っていられるのには少々理由がある。

 

 死獣天朱雀様はこの世界に転移してから現在までずっと、索敵を一手に引き受けて下さっているのだという。なんて畏れ多くも有難いことだろうか。

 今もまた、召喚獣の目より得たなんらかの情報をひたすら紙面に整理しておられるようだった。

 

 その集中力といえば凄まじく、先ほどから私にも警備の八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)にも一切お声を掛けられていない。部屋にお戻りになられてすぐにお渡ししたお茶も、御手をつけられていないままだ。

 至高の御方をして、それほどまでに恐ろしいと思わせる何かが、外にはあるというのだろうか。

 

 外。外は、怖い。

 

 私たち一般メイドがナザリックにおいて最も脆弱な部類のシモベだということ。加えて、かつてこのすぐ上の階層、第八階層まで1500人に及ぶ敵が押し寄せていたという事実。階層守護者の方々でさえ足止め程度にしかならなかったという、外の世界のプレイヤー達。もちろん偉大なる至高の御方々によって侵入者はすべて滅殺され、今なお私たちは偉大なる御方の庇護の下で生活をしているけれど、そのときの恐怖は奥底に燻ったままだ。

 こちらの世界においては周囲の敵のレベルが大幅に下がっていると聞くけれど、私たちからすれば例外なく強者。どのような手段を講じようと、野に咲く花より容易く踏み荒らされてしまうことだろう。外にいるものが怖いという認識に変わりはなかった。

 

 至高の御方におかれては、以前より脆弱になった敵に対して、恐ろしいなどという感情を抱いているとは思えない。今朝から夕方にかけて行われた催しでも、圧倒的な力を振るわれたと聞いている。

 けれど、直接侵入者と対峙なさっていた方として、何かしら思うところがおありなのだろう。

 

 微力にして卑小なこの身なれど、ほんの少しでも、至高の御方のお役に立てるよう、よりいっそうの働きを見せなければ。

 

 

 私がそう決意を新たにしたとき、ふと、死獣天朱雀様が天井を見上げられ、そのまま少しの間動きをお止めになる。八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)に何か、と思ったのも束の間、すっ、とその尊き視線がこちらを向いた。

 

「インクリメント」

「はい」

 

 待ちに待った御方のお呼びかけ。

 喜びに震える身を精一杯押さえ込み、ナザリックのメイドかくあれかしとばかりに、優雅な返答を成し遂げる。

 

「ちょっとドレスルームから取ってきて欲しいものがあるんだけど、頼めるかな」

「勿論でございます。お伺いしてもよろしいでしょうか」

 

 至高の御方曰く、入り口近くの棚にある箱のどれかに入っている、朱塗りの軸に銀の吸い口で形づくられた、煙管(きせる)をひとつ。緋色の鳥が描かれているからすぐにわかる、と。

 

 我らメイドにとって何よりの幸福、至高の御方直々のご命令に、足取りも軽くドレスルームへと向かった。

 

 本当に、私はなんと幸福なのだろう。

 御方の私物を探すという栄誉を賜った上に、ちょっとした情報まで手に入ってしまうなんて。

 死獣天朱雀様は、煙草をお吸いになられる。今までそのご様子は見たことが無いけれど、ひと段落ついてからにしようとご自分を戒めておられたのかもしれない。みんなに教えてあげれば、きっと羨ましがる。

 

 そうして多幸感に満たされたまま探し物をして。

 ……すぐに、ドン底へと叩き落された。

 

「……あれ?」

 

 ない、ない、ない。

 見て、開けて、ずらして、動かして。

 探しても、探しても、探しても。

 死獣天朱雀様が指定なさった場所に、煙管らしきものが、ない。

 

「ど、どうしよう……」

 

 じわじわと焦りが募る。これ以上至高の御方をお待たせするわけにはいかないのに、一向に見つかる気配がない。

 改めて周囲を見ても、「棚」らしき形状の家具はこれひとつ。よもや死獣天朱雀様が仰ったことに間違いがあるわけはないので、この棚に置かれた、箱のどこかにあるはずなのに。

 

 さっきまで幸せで死にそうだったのに、今度は罪悪感で死にそうだ。

 至高の御方に創造されたメイドである私が、探し物ひとつできないなんて。

 死獣天朱雀様ばかりでなく、創造主に対しての申し訳なさも募るが、それでも自らの失態を隠しておく方が余程の大罪だ。それこそ死をもってしても償えないくらいの。

 

 ならば叱責を受けることを前提にしても正直にお伝えしなければならない、と、首を差し出す覚悟でドレスルームを出た。

 

「申し訳ございません、死獣天、すざく、さま……?」

 

 しかして、その名の主は部屋のどこを見渡しても目に入らず。

 部屋の中にいるのは床の上、仰向けに転がるエイトエッジアサシンたち。

 机上、偉大なるアインズ・ウール・ゴウンの紋章が描かれた指輪がひとつと。

 

 こちらを見ながら首を傾げる、八咫烏(ヤタガラス)が1羽だけ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 方針かあ。

 

 死獣天朱雀さんからもらった資料、そして守護者達から上がってきた、本日の催しについての報告書に眼を通しながら、心の中だけでため息をつく。うっかり口に出してしまったらどうなることか。近くでそっと佇むリュミエールと天井の八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)の気配を感じつつ、骨しかない身を引き締めた。

 

 この世界に来て初めての現地人とのコンタクト、もとい実験も終わり、さっきまで少し話をしていた朱雀さんと別れて、今は確認しなければならないことをひとつずつお互いの自室で確かめている最中だ。

 とは言っても、俺はこっちに上がってきた情報を見ているだけだけど。

 

 朱雀さんの資料をぱらぱらとめくる。

 この間見せてもらったものに更なる加筆がされており、周辺には人間の国家だけでなく亜人の国家も存在することや、知性あるドラゴンが存在していること、プレイヤーのものと思しき伝承が残されていることなど、中々興味をそそられる情報が多かった。

 蜥蜴人(リザードマン)の集落のこともあるし、もしコンタクトを取るのならやっぱり亜人の国からが良いのかな、と少し考える。今朝、使者を出して食料を少し持っていってもらったけど、帰って来た使者から俺達充てに丁寧なお礼の言葉が届いていた。このやり取りは今後も続けていきたい。

 

 未だにナザリック本体の存在は誰にも知られていないわけだし、人間種は異形種を相当警戒しているようなので、まだ亜人の方が受け入れてもらいやすいんじゃないかな、と。アベリオン丘陵の方では単一種族による集落を形成していることが多いみたいだけど、アーグランド評議国という国は複数の種族が纏まって生活しているみたいだし。

 

 だけどそれを決めるには、先に周囲に対してどのようなアプローチをするのか決めなきゃいけないわけで。

 

 敵対視されているわけでもないのにこちらから攻撃するのは違うだろう。そもそも周囲の国はこっちの存在に気付いてすらいない。「とりあえず殴ってから考える」っていうのは……、やまいこさんでも敵じゃないMOBにわざわざ殴りかかるようなことはしなかったしなあ。

 

 防衛以外の理由でどうしても殴らなきゃいけない、っていうなら物資が足りないときなんだろうけど。NPCの衣食住に関しては金貨の消費を気にしなくていいし、採集担当だった朱雀さんがこの間部屋をひっくり返してくれたお陰で、宝物殿に入れ損なっていたモンスターの皮やら鉱石やら薬草やらがそこそこの数手に入った。ほんと朱雀さんが一緒に来てくれてて助かった。ひとりで来てたらギルドメンバーの私物に手を出そうなんて思わなかったもんな。

 

 もっとも、強化という面で言えば全然足りていないとは思う。

 ナザリック地下大墳墓はかつて1500人の侵攻にも耐え切った不落の要塞。だけどそれはメンバーが41人揃った上で成し遂げられたことだ。おまけにかつての侵攻では、セラフィムやワールドサーチャーズなんかの「本当に実力のあるギルド」は参加していなかった。たっち・みーさんとまでは行かなくても、高いスキルを持ったプレイヤーが数人でもいたら、今のナザリックでは心許ない。

 

 俺も朱雀さんも完全な後衛だ。前衛クラスで構成された高レベルNPCは何人かいるけれど、正直プレイヤーに対してどこまで通用するかは疑問が残る。

 意思を持ったことで以前よりは戦えるようになったはずだが、そもそもの話、100LVプレイヤーと100LVNPCでは取得できる職業の性能に違いがありすぎるのだ。ワールド・チャンピオンやワールド・ディザスターなどのいわゆる「称号系」のクラスをはじめ、俺が持っている「エクリプス」や朱雀さんの最上位クラスなんかもNPCでは取得することができない。そしてそれらのクラスは概ね、通常のクラスよりもステータス上昇率が高く、かつ有用な魔法・スキルを習得することができるもの。

 

 だから、出来得る限り外のものと敵対したくはない。ギルドメンバーが作った子供達とも言える存在のNPCを、危険に晒すようなことはしたくないのだ。

 相手が余りにも攻撃的で、こちらの目にも脅威だと映った場合は、敵対するのも仕方のないことだとは思うけれど。

 

 

 なので今のところの最善手はこのまま徹底的に隠れ続けることだと言える。が、永遠にそうしていられるかというとそうでもない。

 

 守護者からの報告書にも書いてあったが、異変があったときにすぐ集まってくる範囲で、ナザリックの敵と呼べる存在は今のところ見つかっていないし、魔法的な介入も一切受けていない。結構自由にうろうろさせている八咫烏でさえ、落とされたのは最初の一匹だけだ。朱雀さんの立ち回りが良いのもあるけれど、やっぱり根本的にレベルが低い。

 

 しかしながら、今のナザリックは地理的にリ・エスティーゼ王国の領土内にある。隠蔽工作は完了しているし、今すぐどうにかなることはないけれど、問題はこの後だ。

 

 直線的な距離でも、トブの森を挟んでいるという地形的な点から見ても、リ・エスティーゼ王国の首都、リ・エスティーゼよりも、バハルス帝国の首都、アーウィンタールの方がナザリックに近い。それ自体がどうということはないが、王国と帝国は長年戦争をしていて、かなり帝国優勢に傾いているらしい。あと2、3年もすれば併呑にこぎつけるだろうし、そうなれば10年以内にこの辺りの土地まで開拓が及ぶということも十分に考えられる、というのが朱雀さんの見解だ。正直ぴんと来ないけど、10年と言う月日はそんなに長いものじゃないというのはわかる。

 

 ならば人間の国とも、それなりに友好的な関係を築いておくべきだろうか。

 いまだ影も形も見当たらないけど、もしも他のギルドメンバーが見つかったとき、この世界に異形種への差別が残ったままというのもすわりが悪いし、そのあたりもなんとかしたいんだけど、できるのかな。

 

 ……できるかな、とか言ってるけど。個人で話し合うのにさえ、元の世界の営業スキルが通用するかわからないのに、国規模なんて。朱雀さんも守護者達も、報告書の観点が国単位だから釣られてついつい思考のスケールが大きくなってしまう。

 そういう意味では、今回の催しで人脈的なとっかかりを作れなかったのは痛手かもしれないな。結果的に相対する規模がどうであれ、アポイントメントは重要だし。本格的に異世界の言語を習ってお手紙を書くところから始めるべきか?

 

 だめだ、だいぶ迷走してきた。

 とりあえず、今後の方針については後で朱雀さんと相談して決めよう。うん、そうしよう。今は陽光聖典とかいう法国の部隊から搾り取った情報をまとめてくれているところだし。朱雀さんが記憶を触ったのなら大丈夫だとは思うけど、うまいことナザリックの存在を隠せてるといいな。

 

 

 そうやって課題を先延ばしにする決意を固めたとき、リュミエールから声がかかる。

 

「モモンガ様。アルベド様が入室の許可を求めておられます」

「ああ、許可しよう」

 

 いい加減ノックこんこんでもいいですよと思う反面、突然ノックされると思ったら気が休まらないのでこのままにしようとも思っている、いつものやり取りの後、アルベドが姿を現した。

 

「守護者統括アルベド、御身の前にご報告をお持ちいたしました」

「うむ、ご苦労」

 

 優雅な一礼をして、俺の近く、執務机の隣あたりまでアルベドが寄ってくる。……一般的な秘書さんってこんなに距離が近いものなんですかね、朱雀さん。

 脳内の庶民的な感想が届くはずもなく、アルベドによる報告が始まった。

 

 催しの後片付けも終わり、シモベ一同、通常業務に戻っていること。

 記録した映像の複製、配布も完了したこと。

 感想を書いた紙を入れる箱も各階層に準備できたこと。

 シャルティアが、捕らえた女性の尋問に取り掛かり始めたこと。

 

 ……相変わらず仕事が早いなあ。やっぱり先に休むように言っておけば良かったかな。ナザリックを、ヘロヘロさんが苦しんだブラック会社のようにはしたくないのだ。誰かに相談できたらいいんだけど、この意識改革は俺一人でなんとかしなくちゃならない。朱雀さんにも少し相談したが、「本人たちが好きでやってるんだからいいんじゃない?」と軽く流されてしまったからだ。

 

 確かにこの世界には治癒魔法や疲労回復魔法が存在するけれど、それが後々どんな影響を及ぼすかはまだわかっていない。少しずつ磨耗して、気付いたときには手遅れ、なんてことになったら、本人達にもギルドメンバーの皆にも申し訳が立たない。

 

「……以上が、現在のナザリックの状況、そのご報告になります」

「ああ、ありがとうアルベド」

 

 NPCたちの労働環境について考えていたら、いつの間にか報告が終わっていた。

 なんて言ってたっけ。えーっと、催しが終わって、片付いて、事後処理が終わって、あ、そうだ。改めて聞いておきたいことがあったんだ。

 

「それはそうと、アルベドよ。ひとつ聞いておきたいことがあるのだが」

「はい、なんなりとお尋ねください」

「今回の催しで、数多の人間を眼にしたが……、外の人間について、お前はどう思う?」

「脆弱で下等、愚かしく浅ましいどうしようもない生き物と認識しております。虫けらのように踏み潰せばどれだけ気分が良いことでしょう」

 

 タブラさんによってこだわり抜いて形作られた美貌が冷たい微笑を浮かべる。心底からそう思っているのだろう、甘やかだけれど酷薄な声音からは、人間に対する慈悲などこれっぽっちも感じることはできなかった。というか、こっちが見下されてる気分になってちょっとぞわっとした。ひええ。

 

 けどそうだよなあ。そうくるよなあ。

 カルマ値極悪、設定的にも人間を嫌ってるアルベドなら、大体そう答えるだろうというのは予測がついていたことだが、いざ対面したとき無闇に攻撃的にならないかは少し心配になる。蜥蜴人(リザードマン)のときも最初はすごく警戒してたし。あのときも結局大人しくしててくれたから、そこまで心配することもないとは思うけど。

 

 こちらの沈黙をどう捉えたのか、はっ、と何かに気付いたかのように、アルベドが訂正の言葉を追加し始める。

 

「もちろん、高レベルの者が現れたときはその限りではありません。それが敵対的な存在であれば、万全に万全を重ねた上で、その首を御身の前に差し出してみせましょう」

「お、おう、期待している、ぞ?」

「はい、ご期待ください」

 

 きらきらと眼を輝かせて熱弁する様子が眩しくてうっかり突っ込めなかったが、「敵対的」のハードルが俺とアルベドでかなり違うような気がする。どうやら、敵に対して油断とかしない? と考えているのだと思われたらしい。味方でいい人間を敵だと誤認しないか心配してるだけなんだけどな。首とかいらないよ……。

 

 紙に書かれた感想が戻ってきたらもっと詳しくわかるんだろうけど、この調子じゃ他のNPCも似たり寄ったりかも知れない。忠誠心が低いよりはいいけれど、高すぎるのも困りものだよなあ。

 

 まあ、この辺りも含めて、朱雀さんと話し合おう。そう思い、アルベドを通常の業務に戻そうとしたところ、思わず目に入ってしまった。

 アルベドがちょっと寂しそうに、左手の薬指を撫でるところを。

 

 

 ああ~~~~~そうだったあ~~~~~まだこれが残ってたあ~~~~~……!

 

 

 直面した新たな、もとい、数日前から先に先にと延ばしていた問題。気付かれないように、意識だけを執務机の引き出しに向ける。そこには、司書長、ティトゥス・アンナエウス・セクンドゥスに頼んで作ってもらった、ひとつの指輪(リング)が入っていた。

 

 仕事をするのにあんまりゴテゴテしたのも邪魔かと思ったので、涼しげな色の小さな石がいくつか嵌った、シンプルなもの。その代わりと言ってはなんだが、防御力向上と、ミサイルパリイの命中率アップ、そして幸運のエンチャントを少し。同じものがもうひとつ、俺のインベントリにも入っている。

 俗に言う、けっこんゆびわ、というやつである。俺に決心がつかなくて、中々渡せなかったが。

 

 婚約云々を抜きにしても、アルベドには何か褒美になるものをあげなければならないとは思っていた。

 イビルツリーの討伐を手伝ってもらった守護者には褒美として、製作者にまつわるアイテムをそれぞれ渡してある。アウラにはぶくぶく茶釜さんの声が入った時計、シャルティアにはペロロンチーノさんから預かったエンサイクロペディア、セバスにはたっちさんが置いていった著作権切れの特撮の映像データを。

 

 みんな大層喜んでくれたし、だったらアルベドにもタブラさんの私物を……、と口に出そうとしたら、朱雀さんに「それだけは絶っっっっっ対にやめておきなさい」と大反対されてしまった。

 乙女心っていうやつなのかな。童貞だからよくわからないけれど。

 

 別に、照れがあるとか、嫌とか、そういうことではなくて。

 考えてみるといい。もし、社長が、仲間たる従業員のいない間に、娘に手をつけたなら。駄目だろう普通に考えて。

 設定を書き換えたのは朱雀さんだし、この場合は政略結婚? になるのか? 自分より立場が上の人間に嫁ぐよう仕向けられたなら?

 

 ……ああ、もう。「本人が嫌がってないならいいじゃん」って、ギルメン複数人の声で聞こえてくる。なんだか当のタブラさんの声が一番大きいような気がする!

 

 えーっと、それじゃあ、逆の立場から考えてみよう。

 何からの理由で、社長の娘と平社員おれが婚約することになって。

 その娘曰く、「お爺様が勝手に決めたことなの。あなたに申し訳ないから婚約は解消するわ」って。言われたときの、それは――

 

――あなたのことが気に入らなかったの、っていう、遠まわしなお断りだよなあ……。

 

 架空のお断りを想像し、思わぬダメージを受けてげんなりする。魅力がないのは今自覚したわけじゃないけど、それでもけっこう精神にくる。

 あれ? ということは、だ。このまま俺がまごまごした態度を取っていると、アルベドも同じように思う……、のか? いや、悪魔だからそのくらいは、でも、うーん……。

 

 俺の場合は心底から、設定に振り回されることになってしまったのを申し訳ないと思ってるし、アルベドに不満なんかこれっぽっちもないんだけど。それでも。

 

 傷つくよなあ……。

 

 タブラさんの娘とも言える存在を勝手に嫁にするのも気が引けるけれど。

 NPCが傷つくのは、それ以上に見たくない。

 

 こっちに来てから、彼らの表情や声色は目まぐるしく変わり、まるで本当に感情があるような、いや。

 感情を持って、俺達に相対しているんだから。

 その彼らが、悲しんだり、苦しんだり、傷ついたりしているのは。

 

 

 ようやく、今ようやく腹をくくり、自分を鼓舞するべく、はあーっ、と、心の中で深くため息をついて、引き出しを開いた。

 

「アルベド」

「はい。如何いたしましたか、モモンガ様」

 

 甘い香りのする髪をふわりと揺らして、アルベドがこちらを向く。やばい、緊張してきた。ドキドキする。心臓もないのに。

 

「この度の……、いや、この世界に来てからのお前の働きに、私はとても満足している」

「ありがとうございます。御身にご満足いただけることこそ、何よりの幸福でございます」

「それで、というわけではないが、あー……」

「?」

 

 グダグダか。グダグダだな!

 

 ええい、もう、と勢いに任せて小箱を引っつかみ、椅子から立ち上がる。あっ、椅子倒れた。リュミエールが元に戻すべく近づいてくるのを片手で制する。いや、恰好つけるところはここじゃないだろ俺。

 

「モ、モモンガ様?」

「……慣れないことはするものじゃないな」

「え?」

「手を出せ、アルベド」

 

 未だに良くわかっていない様子でおずおずと右手を差し出すアルベドに、左手だ、と訂正をし、自分の左手も掌を上に向けて待ち構える。こういうときのお作法って何かあるのだろうか。今更遅いけど。

 

 ナザリックで一、二を争う頭脳はそれだけで何が行われるのか察したらしく、たおやかな白い手が、震えながら、そっと骨の手の上に重ねられた。……馬鹿な子の方がかわいい、っていうけれど。察しが悪いほうが、期待を裏切らなくて済むっていう意味なのかもな。

 そういえば、初めて触ったとき、ネガティブ・タッチがONのままだったんだっけ。ついこの間のはずなんだけど、もう遠い昔のように思える。

 

 気に入られなかったらどうしよう、とか。やっぱり嫌だって言われたらどうしよう、とか。

 色んな不安を抱えたまま、けれど小箱から指輪を取り出して。

 細い薬指に、指輪を滑らせた。

 

 お互いの手が離れてもアルベドは無言のまま、自分の右手で自分の左手首を支えて、じっと指輪に見入っていた。表情からは、何を思っているのかまるで読み取れず、もそもそときょどつきたくなるのを懸命に抑える。

 うう、いたたまれない。沈黙の痛みに耐え切れず、こちらから口を開いた。

 

「その、なんだ。儀礼的なものも必要かと思ったのだが……、気が、急いてな……?」

「……よろ、しいの、ですか?」

「うん?」

 

 途切れ途切れに尋ねたアルベドの声は、微かに震えていた。きめこまやかな白い肌が紅潮し、うっすらと水を湛えた金色の瞳が、きらきらと潤んでいる。喜んで、くれてるんだよな? これは。

 

「よろしい、のですね?」

「ああ、構わん。好きにするがいい」

 

 受け取ってもいいのか、っていうことだろうか。それなら、YES以外の答えはない。

 捨てることはないだろうけど、万一気に入らなくてもつけっぱなしじゃなくて良いという意味を込めて。

 

「お前のものだ」

 

 そう答えると、何故か周囲から、おお、と感嘆の声。

 え? と疑問の声を出す間もなく。

 

「失礼します!!」

「ふあっ!?」

 

 掛け声と共に、ぐうん! と宙に持ち上げられる体。片手は背中に、もう片方は膝裏に。この抱え方は知っている。古今東西、異性を抱っこする上での最もロマンチックなものとして知られている――

 

――わあ! お姫様抱っこだ!!

 

 なんで!!?

 

「こ、こら! 降ろせアルベド! 降ろせ!!」

「ご心配なく、モモンガ様! 御身は羽のように軽くていらっしゃいますので!」

 

 そりゃあ骨だからね!!!

 

 なんて突っ込みを入れている間に寝室の扉が蹴り開けられ、ベッドの上に放り投げられる。悲しいかな、かたや純粋な魔法職、かたや防御特化の戦士職。マウントを取られた今、どれだけ暴れてもびくともしない。

 つうっ、と、ローブから露出した肋骨を撫でられて、感触は鈍いはずなのに、思わず、ひい、と声が漏れた。

 

「やめろ、アルベド! やめなさい! 変なところを触るんじゃない!」

「お断りいたします」

「は!?」

「ベッドの上では理が変わるもの、そうでしょう? モモンガ様」

 

 でしょう? っていわれても! 寝る以外に使用したことがないもので! 童貞だからね!

 魔法の衣服故に一部だけをずらすことができず、装備破壊か脱衣が必要なのよね、とドレスの胸元に手をかけたままで、アルベドが微笑み、言うことには。

 

「嫌よ嫌よも好きのうち……、お父様よりそう教わっておりますわ」

「タブラ・スマラグディナァ!!!」

 

 バカーーー! タブラさんのバカーーーーー!!

 変態! 厨二病!! 設定フリーク!!!

 今後観賞するホラー映画は全部クソ映画になる呪いをかけてやる!!!!

 

 そんなタブラさんへの罵倒もどこ吹く風、アルベドは完全にやる気まんまんだ。

 うっとりと、というかねっとりとこちらを見つめる縦に割れた虹彩。髪をかき上げる仕草ひとつ取っても恐ろしく扇情的で、興奮で乾いたのか、唇を赤い舌が這うその表情は、獲物を前に舌なめずりする捕食獣そのもので。

 あっ、駄目だ、食べられる。食べられちゃう。

 

「な、なあアルベド? 他に、やることがあるだろう? こんなことをしている場合じゃ……」

「御身のお世継ぎを賜るより重大な仕事は、そのすべてを済ませてございます」

 

 わあ優秀!! クソが!!!

 っていうかお世継ぎ賜れないよな! モノがないんだから!!

 

 そんなことは些細なことだと言うのか、アルベドの手が通称「モモンガ玉」を撫で回す。

 

「ああ……、モモンガ様の大事なモノがこんなに硬く……」

「元から硬いわァ! 世界級(ワールド)アイテムをそんな風に言うんじゃない!」

 

 もうやだこの守護者統括。

 突っ込みも精神抑制も全然追いつかなくてそろそろ疲れてきた俺の上に、とうとうアルベドが覆いかぶさってきた。胸骨にふかっとしたものが押し付けられて、艶やかな黒髪がさらりと肩をすべり落ちる。

 

 ふわーー! いい匂いーーー!! ……じゃなくて!!!

 

 尚も往生際悪くもがき続ける俺に何か思うところでもあったのか、はた、とアルベドが動きを止めた。

 

「もしや、モモンガ様」

「な、なんだ!?」

「初めてでいらっしゃるのですか?」

「んん!?  いや、ちが、ああ、えーっと……、とにかく!」

 

 ヤバい、NPCにバレちゃいけないことベスト3に入るであろう機密事項があっさりバレた。

 失望されるか、悪ければ怒られるか。戦々恐々と言い訳を紡ごうとしていた俺の予想はあっさり外れ、アルベドは、ほわ、と、その美貌を綻ばせる。

 

「うれしい」

「ファッ!?」

「愛しい殿方の初めてをいただけるのに、喜ばぬサキュバスはおりませんわ」

 

 へー、そういうものかー。

 なんて感心してる場合じゃない。状況の打開策がまったく思い浮かばないのだ。

 

 遂に俺のローブを脱がしにかかる手は筋力差の関係で振り払うこともできず。

 かと言って攻撃魔法を叩き込むわけにもいかず、睡眠などの比較的安全な魔法は耐性によって防がれるだろうし。

 執務室でのやり取りはどうもシモベの誰から見ても「OK」だと取られるものだったようで、誰かが助けに来るような気配もない。

 

 す、朱雀さんに<伝言(メッセージ)>で助けを……? ああ、駄目だ。目に浮かぶ。「や、お邪魔しちゃ悪いし」って通信をぷっつり切られる様がありありと目に浮かぶ!!!

 

 ああ、もう駄目だ、と、大人しく身をゆだねそうになった、そのとき。

 

「失礼いたします! ……あっ!! 失礼いたしました!!!」

 

 余程慌てていたのか、ノックもせずにリュミエールが扉を開け……、再び閉めようとしたところに待ったをかける。このタイミングを逃したらもう、貪り食われる他の選択肢が無くなる。アルベドの視線に構っている暇などない。すっごく怖いけど。

 

「いや! 構わないぞ!! 用件はなんだ!?」

 

 それが……、と説明しようとしたリュミエールの隣には、涙目のインクリメントと、その肩に乗った八咫烏。

 待て、八咫烏? 八咫烏!? 全羽外に放したはずの召喚獣が、何故ここにいる。

 

 召喚獣を手元に転移させる魔法がないわけじゃないが、そうしなければならない理由がすぐには思い当たらない。

 いざとなれば飛んで逃げることができる上に、召喚獣は元々殺される前提で索敵を行っている。もし手元に戻すとすれば、召喚獣を通して情報を抜かれそうになったときくらいしか思いつかないが、それを行うには朱雀さん本人の攻性防壁を越えなければならない。そうなった場合、まず相手は無事では済まないし、朱雀さん本人からの<伝言(メッセージ)>ではなく、部屋の当番だったんだろうインクリメントが報告にくるのもおかしい。

 

 ……まさか。

 

 半ば答えにたどり着いた疑問は、インクリメントの発言によって確信に至る。

 

「死獣天朱雀様のお姿が、どこにも見あたらないんです……!」

「なんだとォ!?」

 

 

 

 






~その昔~

朱雀さん「採集場所からナザリックに徒歩で戻るのめんどくさい。上位位置交換で直接中に入れるようにしてほしい。ぼくPVP弱いから指輪持って出るの怖いし」
モモンガさん「良いんじゃないですかね。どうせ召喚獣が侵入できなきゃ召喚者も入ってこれないし、深部目指してくる敵は気にしなくても。異論ありますかね皆さん」
皆さん「「「ないでーす」」」
朱雀さん「わーい」


エクリプスがプレイヤー限定という記述はないのですが、そうじゃなかったらNPCのレベルをこちゃこちゃ弄ってるだけで職業が発見されてしまうのではと思いましてこのように。
NPCはリビルドできないっていう制約があるだけかも知れませんが、多少はね?


次回、評議国の代表とお喋り。
多分10月入ってからになるかと。気長にお待ちください。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。