縁側で茶をすするオーバーロード   作:鮫林

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「百聞は一見にしかず」という言葉をすっかり忘れていたので初投稿です(震え声)
伝聞だけで地理の説明をしようと思ったらそりゃキツいわけですわ……。

教授が周辺地理の説明をするにあたって、モモンガさんと八咫烏の視点を共有しただけなので、今まで掲載していた内容とほぼ変わりません。強いて言えば新しい召喚獣とかカルネ村の現状が追加されてたりします。
それに伴って朱雀さんの考え事の内容が少々変わるので、アルベドの独白をこっちの最後に貼り付けました。

1度お読みいただいたものをここまで大幅に改稿して良いものか迷いましたが、傷の浅いうちに納得できるものを公開したかったので、申し訳ありませんが「ほんとどうしようもねえなこいつはよぉ!」等々、罵倒と共にお付き合いいただければ幸いです。
ここまでの改稿はもう二度としないので、許してくださいなんでもしますから……。



オーバーロードはスケルトンメイジの夢を見るか・後編

「そっちは何かあった? 面白いこととか」

 

 <永続光(コンティニュアルライト)>の薄ぼんやりした光の下。あわく照らされた紙面にペン先をすべらせながら朱雀さんが問う。垂れるでもなく零れるでもなく、朱雀さんの頭は今朝もきれいな水球だ。なんか魔法的な力で形を保っているとかそんな設定だったような気がする。魚とか入れたらどうなるんだろう、と疑問は思ってみても言えないことのひとつだった。

 

「面白い、かどうかはわかりませんけど、色々実験をしてみまして。どうも手持ちのスキルに無いことは一切できなくなってるみたいですね」

「ああ……、そうだね。鼻歌ひとつ歌えないんだよね……」

 

 特殊効果とか、付加価値とかはいらないから、形だけでもできるようにしといてはくれなかったものかな。

 ぶつぶつと垂れ流される文句に心から同意しながら、部屋で行っていた実験の話をいくつか語った。クラスで装備できない武器や防具のこと、物理的な装備と魔法的な装備について。自分の体でできることとできないことの話をしていたとき、作業をしながらふんふんと機嫌良く聞いてくれていた朱雀さんの手がふと止まる。そのまま顔を上げてこっちを見た。

 

「そういえばモモンガさん、ゆうべ寝た?」

「そんな、朱雀さんが起きてるのに寝れないですよ」

「んー、質問が悪かったね。寝れそう? その体」

「……いえ、寝られないです。食事もできないし、その、言いにくいんですが」

 

 ああ、と得心したような声。もうこの歳だから使ってなかったけど、なくなるとちょっと落ち着かないよね、と。

 

「骨しかない、かあ……。ぼくも似たようなもんだけど、モモンガさん若いのにね」

「いえ、使う予定もなかったんで……」

 

 言ってて空しくなってきた。悪いことばかりではないのだ。周りにはギルドメンバーの子供とも言える存在の、絶世の美女がたくさんいて、これで性欲があったなら、手を出さずにいられたという保障はまったくない。向こうから懐いてくるしなあ……。伴侶。伴侶って。ああ、胃が痛い。胃薬なんてないし、ポーションは……、ダメージを受けるだけだな。

 タブラさんへの罪悪感とこれからのアルベドへの対応を考えて胃(空洞)を痛める俺に、製図を再開した朱雀さんが呟く。

 

「まあ、でも、夜は横になって大人しくしておくだけでも大分楽だと思うよ。目隠しでもしてさ」

「はは、お気遣いありがとうございます」

「ぼくとモモンガさんでは心労が全然違うしね」

「うう」

 

 改めて突きつけられる現実。一度始めてしまったからには続けなければならない支配者ロール。せめてもう少し砕けた口調にしておけばよかったかな。大体絶対なる支配者ってなんだ。何する役職なんだ。俺は営業です。営業の鈴木です。営業のモモンガです! ……すごく間抜けだ。実際に取引先の前で言ったらふざけてるのかって怒られそう。

 

 しかし、と思う。NPCたちは意思を持ち、限りなく現実に近い風景を持つこの世界で、俺達に課せられたこの縛りは一体なんなのだろう。

 

「なんなんでしょうね、この……、融通の効かない感じ」

「容量による制限と、この身体にかかってる制約とは別のものなんだろうね。現実には容量なんてないし」

 

 それはそうだろう。あっては困る。現実が処理落ちやサーバー落ちなんて、怖いどころの騒ぎじゃない。

 けれど頭のどこかで、体そのものには制約も確かに必要だろうと思うのだ。この世界がどれほどの強度を持っているのかわからないけれど、普通に土が掘れて、普通に木が切り倒せて、普通に建物が壊れるような世界で、100レベルの魔法やスキルがなんの縛りもなしに飛び交ったらどうなるか。まず、持たないだろう。せめて個々人の制約くらいはそのままにしておかないと、と。

 

「後で説明するけどさ、霧の範囲も前より広くなってて」

「そうなんですか?」

「そもそもフィールド異常を受け付けない地形もユグドラシルではあったけど、こっちではそれがないみたいだし」

 

 ユグドラシルは非常に自由度が高いことで有名なゲームだったが、だからと言って、辺りのものを手当たり次第ぶち壊せるかといわれたら当然そうではない。自分や手持ちの道具(アイテム)、ギルド拠点やNPCにおいては手を加えられるだけ加えることが出来るが、フィールドそのものを弄ることに関しては、地形クラフト系のゲームに一歩譲るところだ、と昔ベルリバーさんとかが言っていた気がする。俺はユグドラシル以外のゲームは殆ど触ったことがないので実感は湧かないが、あれだけの規模とサーバーの人数で、更にフィールドにまで手を出せるようになってしまったら、どれだけ容量があっても追いつかないだろう、とは簡単に想像ができた。実際、フィールドクラフト系のゲームでユグドラシル程の規模を持つゲームはまだ発売されていなかったはずだ。

 

 思考が逸れたが、フィールド異常を受け付ける、ということは、運営が施していたような壁も、また、プレイヤーが行使している妨害の魔法も近くにはない、ということ。霧が掻き消されたという話も出ていないので、対抗魔法が使われた形跡もなし。

 気を緩めるには早い、けど。ひとまずは安心していいだろうか。そう思ったとき、朱雀さんが、ふう、と声に出してため息らしきものをついた。

 

「よし、こんなもんかな」

「ありがとうございます、朱雀さん」

 

 お礼を言って、中心から半分ほど埋まった地図を眺めた。

 森林、山脈、平地、河川。都市、街、村、集落、街道。それぞれがある程度記号で分けられていて、非常にわかりやすい。

 地図の真ん中に書かれた小さな丸と、ナザリック地下大墳墓の文字。

 今置かれている状況については未だ不安の方が大きいけど、ここが世界の中心、って感じがして、少しだけわくわくする。

 

「さて、と。どこから聞きたい?」

「……朱雀さん、もうひとつお願いしたいことがあるんですが」

「うん?」

 

 首を傾げる朱雀さんに、手を合わせてお願いのポーズ。アラサーの骸骨がやる仕草じゃないけど、表情に出ない分形だけでも感謝の意を示したい。

 

「<水鏡(ミラー・オブ・ウォーター)>と八咫烏の視界を繋げられませんか?」

「へ? ……あー、うん、でき、そうだね。多分大丈夫。うん、大丈夫大丈夫」

 

 自分の脳内を検索しているかのような逡巡の後、えーっとぉ? と、朱雀さんは棚の上の方にあった、両手でやっと抱えられる程の大きな器を引っ張り出して、地図の横にごとん、と置く。なんというか、土のままの色をした、陶器というよりは、土器、という感じの一品だった。

 

「ごめん、モモンガさん。水持ってる?」

「水、ですか? ……ああ、そうですね。ここで<水球(ウォーターボール)>は流石に使えませんよね」

 

 水精霊が何を、と一瞬言おうと思ったけど、こんなところで水が出せる魔法を使ったらあたりが水浸しになってしまう。汚すなよ、とティトゥスから言われていたことだし、と、アイテムボックスの中から無限の水差し(ピッチャー・オブ・エンドレス・ウォーター)を取り出し、器に水を注いだ。

 

「ありがと。……まずは、えーっと、<召喚持続時間延長化(エクステンドサモン)橋下の贄(クライング・フェザント)>」

 

 言葉と共に、床に展開した魔方陣から、ずず、ず、と、人型の魔物が現れる。高さは2メートルほどもあるが、全身に巻かれている包帯のせいで性別はわからない。大きな体に隙間無く巻かれた薄汚い包帯には、赤黒い文字がびっしりと呪詛のように書き付けられていた。それだけならただのミイラ型の召喚獣と言えただろうが、異様なのは腕や足、胸や首にまで、錆びた鉄の杭が位階と同じ数、合計で9本刺さっているということ。

 

 八咫烏を通して召喚者本人が映像を見るだけなら肉眼扱いになるのだが、それを映像視(ビューイング)系の魔法やアイテムで他人と共有した場合は魔法扱いになってしまう。つまりは攻性防壁を仕掛けられたときの保険だ。魔法ひとつにつき、その威力に応じて1本から3本の杭を消費して無効にする召喚獣である。上級者相手だと1体では心もとないが、今のところはこれで十分だろう。

 

「よし。<水鏡(ミラー・オブ・ウォーター)>、<視界接続(コネクト・ヴィジョン)>」

 

 ユグドラシルでは「魔女の泉ごっこ」をするくらいしか使い道のなかった魔法だが、先んじて眼を飛ばしておけば、低燃費のモニターとして役立ってくれる。尤も、空を飛んでいる他人の召喚獣など即時撃墜の対象でしかなかったので、成功率は決して高くなかったが。

 

 

 器に満たされた水が一瞬、ぽう、と輝き、ゆらりと像を結ぶ。

 そこには、異国の街があった。石造りの街並み、古めかしい装い。ユグドラシルでは結局入ったことなかったけど、まさしく人間種の街って感じがする。

 中世ヨーロッパのような建物。そこで生きるたくさんの人間。音声はなかったが、そこで暮らす者たちの雑踏が聞こえてくるようだった。

 

「……わあ」

 

 ほんとにいたんだ、というような間抜けな声が出て、我ながら呆れる。ちらりと目線を向けた先、橋下の贄(クライング・フェザント)に刺さった杭は1本たりとも微動だにしていない。ときどき、ヴゥゥ、と唸り声を上げるのが不気味だが、それはデフォルトなんだろう。こちらの監視に警戒をしている敵はいないと見ていい。

 

「これ、は……、どのあたりの街なんですかね?」

「これだね。多分、ここから……、このあたりまでを治めてる国の首都」

 

 白手袋の指先が、ナザリックの北西にある都市をとんとんと指差す。ついで、埋まった地図の左半分ほどを、山脈や森を避けてぐるりと一周。城塞都市、と書かれているところも範囲に含まれていた。同時に映像が切り替わる。八咫烏を高く飛び上がらせたのだろう、土地の遠景が映し出された。

 しかし、一目見て国境や領土がわかるような印はない。時代、というか、文化レベルを見る限り当たり前といえば当たり前なのだが、丁寧に国境線が定められて、色分けまでされた地図に慣れた現代人の目には、どこの土地がどう、なんていうものは、ぱっと見では判別できなかった。

 

「そんなことまでわかるんですか」

「推測だけどね。建築様式とか、農耕技術とか、街道の使用状況とか」

 

 はー……、と、思わずため息が漏れる。傍から見れば口をかぱっと開けているようにしか見えなかっただろうか、どうしたのモモンガさん、とでもいうような目線を向けてくる朱雀さんに、心底からの賛辞を贈る。

 

「朱雀さんはすごいなあ」

 

 ギルドメンバーがすごい、っていうのは、俺にとっては自分のことのように嬉しいもので。勿論すごいのはギルドメンバーであって、俺がすごいわけじゃないんだけど、誰かに褒められたり畏怖されたりすると俺の仲間はこんなにすごいんだ、って自慢したくなるし、何かあるたびに、アインズ・ウール・ゴウンは最高だな、って思ったりもする。

 41人もいれば当然相性も出てくるもので、どうしても好きになれない、という人はいたけれど、その人だってゴーレムを作製することに関しては右に出るものはいない、自慢のギルドメンバーだ。ちょっと周りを省みないところもあるけど、明るくて楽観的、と言い換えることができなくもない、はず。

 

 自分にないものに対しての羨望、というのもあるけれど、誇らしい、という気持ちが一番強い。

 

 真正面からいきなり褒められた朱雀さんはちかちかと瞳を明滅させて、顔を逸らして襟元を抑えた。ううん、と、唸り声。照れているんだろうか。何かまずいことでも言ったかな。ちょっと心配になってきた俺に視線を戻して、彼ははにかんだように言う。

 

「……ありがとう。一応、専門だからね。よく怒られるんだけどさ、結論が早すぎるって」

「そういえば、朱雀さんの専攻って……」

「言ってなかったね。この際だから、伝えておこうかな」

 

 拳を口元に当てて、こぽ、と、一泡。咳払いのスキルはないのか、とぼやく彼に喉元だけで笑って、続きを促した。

 

「……文化人類学。普段は郷土史やらサブカルチャー史なんかを中心にやってたんだけど、人に聞かれたときには、ぼくは文化人類学者だと名乗っていた」

 

 ぶんかじんるいがく、ですか。俺がそう呟くと、読んで字の如くだよ、と微笑んで言う。

 

「インタビューや参与観察などのフィールドワーク……、調査対象の社会や集団に直接会って、ときに一緒に生活しながら、観察や聞き取りを行ってそれをまとめていくんだけど」

 

 画一化された現実社会においてはかなり廃れた学問でね、と彼は肩をすくめた。

 

「それでね、モモンガさん。あくまでも提案なんだけど」

「こっちでも、フィールドワークがしたい、と?」

「それもある」

 

 も、という言葉に込められた力、それを伝える視線がやけに真剣で、思わず姿勢を正した。

 朱雀さんが言うには、この世界に対しての自分達のスタンスをはっきりさせたいのだ、と。

 

「この世界にはすでに確立された文化があって、種族ごと、人種ごと、国ごとに多様性がある。それは彼らが個々に積み重ね、培ってきたものだ。彼らは発展する権利と滅びる権利を同様に持ち合わせている。ぼくらのような異物にそれを奪う権利は無い、とぼくは思う」

 

 ぼくが奪いたくないっていうだけで、ただの我侭なんだけどさ。そう呟いて、彼は続ける。

 

「だから、索敵や調査は引き続き行っていきたいんだけど……、現地の生き物、とりわけ知的生物は出来得る限り殺さず、助けない方向で進めたいって言うのがぼくの意見」

 

 もちろん自分達の安全が最優先だし、ナザリックの保全や保護のほうが大切だから、自分達の脅威になるものを取り除いていくのは構わないと思ってるんだけど。

 そう言いながら、朱雀さんは八咫烏が乗っている肩と反対側の手で襟の後ろを掻く。どうやら彼は完全に襟を首がわりにすることを決めたようだ、とぼんやり思った。

 

「駄目、かなあ」

 

 こちらの様子を伺いながら問う朱雀さんに、すぐさま言葉を返した。駄目じゃないです、朱雀さんがそっちのほうが良いと言うならそれで、と。

 

 ギルドメンバーがやりたいことを制限する権利は俺にないし、朱雀さんの意思はできる限り尊重したい。そもそも無闇に現地生物を殺したいとも思わない。これ以上のレベリングに興味がないと言えば嘘になるが、周囲のモンスターや人間のレベルを考えれば、必要性はほぼないとも言える。大体100レベルより上を目指すことができるとしたら、俺達だけじゃなく他のプレイヤーにもそのルールが適用されている可能性が高く、そうなると俺達より前にいるプレイヤーのほうが圧倒的に有利になる、という恐ろしい発想も生まれてくるわけで。

 

 思わず身震いしながら、とにかく俺達とナザリックを他のプレイヤーから守れるのならそれで良いです、とそう伝えれば、朱雀さんはほっとしながらもどこか寂しげな様子だった。

 

「モモンガさんは、何かないのかな。したいこととか」

 

 したいこと。俺自身がしたいこと。

 実は考えても思い当たらない。現実(リアル)にいたころから、俺にとっては食事も睡眠も生きる手段に過ぎなかったし、そもそも俺にとっての生きる場所というのはユグドラシルだった。

 だから強いて言えば、冒険がしてみたいとは思う。ユグドラシルにいたとき、みんなで冒険に出るのはすごく楽しかったから。できることなら朱雀さんや、シモベたちとも、未知の世界を楽しめたらそれはすごく素敵なことだ。

 

 あとは、もし。もしも。

 

「もしも俺達以外のギルドメンバーがこちらの世界に来ているのなら、彼らを探したいとは、思っています」

「……そうか」

「朱雀さん?」

 

 朱雀さんは、彼らに会いたくないんだろうか。表面上そうは見えなかったけど、俺の知らないところで、他のギルドメンバーと不仲だったとか。

 

「見つかる可能性は、低いと思うけど」

 

 しかし、悩ましげにこちらを覗き込む姿を見て、そうではない、と気持ちを切り替えた。俺が落胆するかもしれない、と心配してくれているのだろう。

 転移の条件はわからないが、ログアウトの時間にユグドラシルにいた、ということが含まれている可能性は高い。あのとき、最後のとき、俺と朱雀さん以外にはメンバーは誰もいなかった。

 

 それでも。

 

「もし、ひとりで転移してきてたとしたら、心細いと思うんで。……お気遣い、ありがとうございます」

 

 ナザリックの後ろ盾もないところで、一人何かと戦っているかもしれない。

 周りになにもないようなところで、途方にくれているかもしれない。

 そう思うと、胸が締め付けられるような錯覚に陥る。そっと抑えた場所には、固い骨しかなかったけれど。

 

 朱雀さんは、数呼吸ほどの間、こちらをじっと見つめた後、ふ、とひとつ頭を振って、目線を下げた。

 

「ごめん、余計なおせっかいだったね」

「いえ、そんな」

「ぼくも、考えるよ。こっちの安全を確保したまま、彼らを探す方法を」

「……ありがとうございます」

 

 探したい、とは言っても、具体的な案は今のところ何ひとつない。

 微笑んで言う朱雀さんのことばが、とても心強かった。

 

 

 

 

 

「で、モモンガさん。何か聞きたいこととかある? 見たいものとか」

「うーん……、そうですね。ここの一団、近づけます?」

「ちょっと待ってね。……このくらいでいい?」

「はい、ありがとうございます。……杖、杖かあ」

 

 革鎧に剣。ローブに杖。いかにも冒険者、という装備を身につけた、少人数のグループが雑談しながら路地を歩いている。みな歳若く、健康そうで、支えとして杖が必要な人間には見えない。

 

「やっぱり、魔法とか、あるんですかね」

「ちょうど戦ってるところがあるけど、見る?」

「えっ!? み、見ます! ぜひ!」

 

 申し出に一も二も無く賛成すれば、即座に水面の画像が切り替わる。大体このへん、と朱雀さんが指し示したのは、ナザリックの南東にある平野だった。上空からの映像には、あたり一帯を覆う深い霧。自分達と同じことを考えているプレイヤーがいるのではないか、と一瞬どきりとしたが、攻性防壁にも探知にもひっかかるものはない。

 

 目線が地面に近づいて、霧の中に突っ込んだ。元々暗視のスキルがあるのか、さして視界が阻まれているようには感じない。少しの間飛んだ先には、霧に包まれながら、スケルトンやゾンビなんかの低級アンデッドと戦っている冒険者っぽいパーティがいた。

 

 ……イビルツリー、という単語がでた時点である程度予測はしていたが、ユグドラシルに出てくる、一般的なアンデッドだ。誰かが持ち込んだのか、元々ここにいるのか。調べてみる必要があるだろう。

 

 しかし、なんというか、こう、緊張感が無い。

 いや、緊張感はある。アンデッドの方はよくわからないが、人間の方はとにかく必死だ。命を懸けて戦っているのは傍から見てもわかるのだが、どうにも。

 

「……弱すぎませんかね?」

「どっちが?」

「どっちもです」

「だよねえ」

 

 アンデッドの方はレベル1の裸装備縛りでようやく苦戦できる種類のものしかいないし、冒険者の方も初心者の館で揃うような粗末な装備しか身につけていない。魔術師らしき人間が発動している呪文も見た限り、低位階のものばかりだ。

 

「朱雀さんには声が聞こえているんですよね」

「うん。呪文?」

「はい」

「最初に<早足(クィック・マーチ)>使って以来、あとはずっと<魔法の矢(マジック・アロー)>だけ。ああ、神官が<中傷治癒(ミドル・キュアウーンズ)>使ったね」

「……全部ユグドラシルの魔法ですね」

 

 とは言ったものの、プレイヤーにしてはあまりにも弱すぎる。なんだろう、ほんとに縛りプレイでもしているのだろうか。雑魚敵は広域魔法でさっさと粉砕するもの、という先入観があるからか、ああやってちくちくと一体ずつ倒していると、初心者ロールをしているドMプレイヤーにしか見えない。

 それにしてもこの場所、次から次へとアンデッドが湧いてきているようで、最初は優勢だった人間側がどんどん押されてしまっている。

 

「減りませんね、アンデッド。死霊術師(ネクロマンサー)とか死の支配者(オーバーロード)でもいるんでしょうか」

「んー、どうも霧そのものの特性っぽい。土地中にみっしりいるみたいだし、今はちょっと姿が見えないけど、幽霊船が走ってるのも見かけたし」

 

 アンデッドが無限に湧き出る霧。陸を走る幽霊船。怪しい。怪しすぎる。

 自分達が草原に突如出現した墳墓の主であることを棚に上げて、平野への警戒レベルを上げていると、画面の隅にふらふらと現れるひとつの影。

 

「あっ、スケルトンメイジ」

 

 冒険者の一団はまったく気が付いていない。完全に彼らの死角から忍び寄ってきたスケルトンメイジが杖を翳し、その先端が鈍く光った、と同時に。

 

「あっ」

「あっ」

 

 集団の先頭で、ゾンビ相手に剣を振るっていた戦士の頭に、<魔法の矢(マジック・アロー)>が直撃した。ぐらり、と大きく傾いた戦士はそのまま地面に倒れ伏し、しばらく痙攣していたが、やがてぴくりとも動かなくなる。

 ごくあっさりと戦士は死んだ。仲間は大きく取り乱し、叫びを上げ、陣形を崩す。そこに群がるアンデッド。パニックになって闇雲に振り回される武器も、狂乱状態のまま唱えられる魔法もろくに当たらない。アンデッドなら、と意識の隅に置いてあった神官は、とうとうMPが尽きてしまったようだ。

 回復もできず、退路も絶たれ、体力ももうない。彼らが行き着く先は、決まっていた。

 

「まだいける、は、もう危ない。狩りの鉄則なんですけどね」

「駆け出しなのかねえ」

 

 やがてその場から生者が消えうせ、死体には興味がない、とばかりに、アンデッドがその場から離れて行く。冒険者達の死体が消える様子は無い。この世界ではリスポーンができない、ということの証明のようだった。現実なのだから当然といえば当然なのだが。

 あまりにも生々しく死体へと変貌した彼らを見ても、不思議なほど何の感情も湧き上がってはこなかった。

 ただ、気になったことがひとつ。

 

「……朱雀さん、そのへんのスケルトンに攻撃してもらえますか?」

「ん? はいはい」

 

 霧から逃れるように、上へ、上へと高く飛び上がる。薄灰色の世界から、透き通るような青空へ。

 こちらがその青さに一瞬見とれている間に、十分な高度を確保したと判断したか、くるりと視界が反転する。そのまま、再び霧へと急降下し。

 その勢いのまま、一体のスケルトンの頭蓋骨を、嘴でまっすぐに打ち砕いた。

 すぐさまくるりと標的へと向き直り、様子を確認する。アンデッドなのでこの程度の攻撃では行動不能になることはないが、頭の無くなった体が、かくかくとぎこちなく動くところから見て、確かに効いているようだった。

 

「見た目通りの強さみたいですね。ありがとうございました、朱雀さん」

「じゃあ、ちょっと離脱するね。魔法使えるやつがこっちに気付いた」

 

 先ほどのものと同じ個体だろうか、スケルトンメイジが放った不可避の<魔法の矢(マジック・アロー)>が1本、八咫烏に直撃する。

 が、姿は鳥獣でも、八咫烏の種族は魔法生物に分類されている。大したダメージを受けた様子もなく、優雅に大空へと発っていった。

 

 広範囲を覆う、一面の霧。中にいるのが全部アンデッドなら、俺の<アンデッド支配>でどうにでもなるし、今見る分はここまででいい、か。

 

 しかしここまで視界が悪いと、暗視がなかったら大変だろうなあ、とぼんやり思い、はた、とひとつの発想が浮かぶ。

 

「召喚獣の霧の範囲に、村とか入ってないんですか?」

「入ってるよ。ゆうべ話した村がひとつ」

「えっ」

「えっ」

 

 沈黙。ヴゥ、と相変わらず響く唸り声。八咫烏が、くり、と首を傾げる。

 

「入ってるんですか」

「モモンガさんならてっきり入ることも想定してると思ってて」

 

 沈黙。

 してる場合じゃない。と、いうことは、だ。

 

「……レベルは1桁なんですよね? 村人全員」

「……そうだね」

「都合よく暗視のスキルを持ってたりなんかは」

「……ちょっと待ってね?」

 

 画面が切り替わり、堅牢な城塞がちらりと映る。南西の方角にある、城塞都市にいた1羽を向かわせたようだ。

 草原を見下ろしながら飛んだ先、いきなり現れる深い霧。隠蔽の一助になればと思っていたのだが。

 

「……なんか、逆に目立ちますね」

「まあ、上から見ないと範囲はわからないし、上空で鉢合わせるような生き物は見なかったし、隠蔽作業やってる間くらいはいいんじゃないかな」

「そうですよ、ね?」

 

 ふたりして楽観的な結論をたたき出して、乾いた笑いで場を濁す。シモベ達がなるべく作業を早く終えてくれますようにと祈りながら、見つめていた水面に、牧歌的な農村が映し出された。

 何事も無く農作業に勤しんでいる、なんて希望的観測も空しく、大勢の村人が、中央の広場らしきところに集まっていた。

 

「……なんて喋ってるのかわかりますか朱雀さん」

「やーもうすごい異常事態だしこのままじゃ仕事もできないしどうしようってみんな」

「あああああ」

 

 確実に迷惑をかけている。しかも大変な迷惑を。本当に申し訳ない。

 声に出したほどの罪悪感が実際あるわけではないが、自分が意図しない方向で意図していないものに影響が出てしまったことに対してはすごくやるせない気分になるし、何よりさっき、朱雀さんと決めたばかりだ。現地住民には極力関わらないようにと。それがこの体たらく。ギルド長として実に情けない。

 

「いや、ここまで広いと思ってなくて。ごめん、モモンガさん」

「朱雀さんは悪くないです、お願いしたのは俺なんで」

 

 トラブルの際に責任を取るのは実行者ではなく責任者であるべきだと、しがない営業をやっていた俺は常々思っていた。立場が変わったからって、その持論を覆すわけにはいかない。

 しかしどうしようかな。召喚獣の位階を下げる? 村人達にこっそり<暗視(ダーク・ヴィジョン)>をかけてまわる? どちらも策としては微妙だ。これ以上霧の範囲が限定的になってしまったらそれこそ怪しまれるし、突然霧の中で眼が見えるようになったら驚くなんてものじゃない。霧を消すにしても、今やってる作業が終わってからでないと。

 

「怪我人や死人は出てますか?」

「今のところ出てないみたい」

「村人たちに何か動きは?」

「とりあえず、エランテル? に相談しに行こうかって言ってるね。多分ここの城塞都市だと思う。今から出たらぎりぎり夜には着くだろう、って」

 

 ふむ、と少しの間考える。村人達は割と前向きに行動しようとしているらしい。助けることも霧を止めることも簡単だが。

 

「ちょっと、様子を見ていいでしょうか」

「ぼくはいいけど、そのこころは?」

「こういう異常事態が発生したときに、都市からどんな連中が来るのか気になるんです。レベルとか、職業とか、そいつが使う魔法とか、あるいはこの世界にしかない解決手段があるかもしれない」

「ああ……、それはちょっと興味あるかも」

「少なくとも半日以上かかるみたいですし、その間にある程度こっちの作業が終わればそれでよし。怪我人が出るようなら、回復ができるシモベを旅人と偽って派遣して、そこから交流のきっかけを作ったりもできますし」

「なんだかマッチポンプじみてるなあ」

 

 呆れながらも、突発的な自然災害に対する人間の対処方法への好奇心には勝てなかったらしい。若干薄くできないかコントロールだけ試してみる、と、その他は放置することに同意してくれた。

 

「じゃあ、申し訳ないけど、本人達に頑張ってもらう方向で……」

「作業班にも急いでもらうようにしますから許して……」

 

 村人の映像に向かって手を擦り合わせる朱雀さんに習って、聞こえてはいないだろうが謝罪の言葉を投げる。

 

 しかし、見たところ西洋風の顔立ちをした人が多いけれど、何語で喋ってるんだろうか。朱雀さんなら何ヶ国語かできそうなイメージは確かにあるけど。

 

「そう言えば朱雀さん、彼らが何語で喋ってるか、わかるんですか」

「んー? うん、普通に、日本、語……」

 

 日本語? と俺が不思議に思うと同時に、自分の言葉に不審を抱いたのか、朱雀さんの表情はみるみる曇っていった。映像を凝視しながら、頭の中に聞こえてくる彼らの声に耳を澄ませて、苦々しげにつぶやく。

 

「……自動翻訳がかかってるみたいだね。口の動きと音が合ってない」

「言葉が通じるのは助かりますね。不気味ではありますけど」

「……んー、緊急事態だし、通じるに越したことはないけど。現地語の習得も旅の醍醐味なのになあ」

 

 むう、と、こっちに来てから一番不満な様子で、朱雀さんは唸る。俺としては、便利だなあ、としか思わないけれど、語学が出来る人からしたら勝手に翻訳されるのは耐え難いのかもしれない。

 

「オンオフが切り替えられるようになるといいですね。文字はどうですか?」

「そっちは全く。なんでこう中途半端に不親切かな……」

 

 ぶつくさと文句を垂れる朱雀さんが可笑しくて、思わず笑ってしまった。こういう小さな不満とか、不安とか、逆に楽しいこととかも、共有していけたらいい、と、そう思った。

 

 

 

 

 

「でも、この、城塞都市……、エランテルでしたっけ? 最初に見た都市よりも随分活気がありますね」

 

 用は済んだとばかりに戻ってきた城塞都市は、朝から人で賑わっていた。三重構造になっている2番目の壁の内側、そこには幾つもの露店が並び、商品が行き交っている。祭りがあるとか、そういうことでもないらしい。

 んー、と間延びした返事のあと、多分この辺りが国境、と、地図の上、城塞都市と霧の平野の中間あたりをなぞって朱雀さんが説明してくれた。

 

「国境防衛の拠点なんだと思う。それで商人を中心に人間が集まってて、物流が捗ってる」

「西と東の国は敵対関係にある、ということですか?」

「それで間違ってはない。けど、どっちかといえば、理由をつけて戦争する関係、かな。相手を倒すことより、自国へのアプローチとか、内部勢力の調整を目的とした……」

 

 そこまで言って、朱雀さんはしばらく悩む仕草を見せたあと、これは確証がないからまた今度、と話を打ち切ってしまう。

 

「だ、大事な話なんじゃないんですか?」

「語り始めたらキリがない話でもあるから、ちょっと保留。今大切なのは、商人に限っては割方出入りの制限が緩いっていうこと。そのお陰でこの都市は潤ってる。さっきの都市の治安がかなり悪いこともあるけど」

「首都なのに?」

「首都だから……、と言いたいところだけど、比べてみれば一目瞭然」

 

 まずこっち、と、西の国の首都が映されてた。次にこっち、と、ナザリックの北東、東の国の首都を映したものへと、映像が切り替わる。

 

 山脈で分け隔てられたふたつの都市。地図上ではさして離れていないのに、まるで違う環境がそこにはあった。

 

「あっ、すごい。全然ちがう」

「ね。土地は西の方が広いし、人口も多いんだけど、生活水準は東の方が断然上」

 

 建物に詳しいわけではないけど、それでも一目でわかる。東の国の方が良く整備されていて、街並みも新しい。ひと世代違う、と言われても信じてしまうかも知れない。

 何より、道を歩いている人の顔がみな明るく、希望に満ち溢れていた。

 

「どうしてここまで違うんでしょう」

「権力の分散かな。あと麻薬」

「麻薬?」

 

 不穏な言葉が出てきたので思わず聞き返せば、ひとつの村の映像が水鏡にうつる。西の国の領土だそうだ。

 高い柵で囲まれたその村はやたらと厳重に警備されており、中で何やら植物を栽培しているようだった。

 モンスターが存在しているようなので、ただの警戒心が強い村だと言えなくもないが、それにしては警備の連中のガラが悪い。村の隅では、何やら荷物を馬車に詰め込み、何重にも偽装を施している最中であった。これは、確かに。

 

「……どこの世界でもあるんですね、こういうの」

「まあ、ある程度は切り離せないものではあるけど。良いものではないよね」

「これのせいで、西の国の発展が遅れている、と?」

「かなり蔓延してるのは確かだと思う。でも……」

 

 襟元を押さえてしばし考え込み、何事か確信を得たのか、ひとつ頷いてから、朱雀さんは言葉を続けた。

 

「停滞してはいるけど、西の国が遅れてるって言うよりは、むしろ東の国が進みすぎてる気がする」

「……誰かが、知識を持ち込んだ可能性がある、ということですか」

 

 意図せず、声が低くなる。

 未来からの知識を持ち込んで、自分の意のままに国を動かす。どれだけ頭が良ければそんなことができるのか俺にはわからないけれど、ユグドラシルのプレイヤーだとしたら、厄介なことになるのではないか。

 

 そう思っていた俺に、朱雀さんは控えめな否定をもって答える。それは、どうだろう、と。

 

「なんていうか、真っ当なんだよね」

「真っ当?」

 

 水の中、どこまでも透明なまなざしに灯りをともしながら、白手袋の指先が、ナザリックの北東にある都市を撫でる。魔法のインクで書かれた線は滲むことも掠れることもなく、はっきりと存在を示していた。

 

「そう、真っ当。善い王かどうかはわからないけど、賢い王が治めている国だと思う。公共事業がちゃんと動いてるんだ。道路がレンガや石で舗装されてて、灯りが確保してあって、すごいよ、歩道も整備されてる。馬車が普及してるから別におかしなことじゃないんだけど、似たような工事をあちこちでやってるし、ここ数年くらいでかなり大規模な工事に踏み切ったんじゃないかな。警備兵も巡回してるし、きっと治安もすごく良い。もっと細かいところで言えば、そうだな、裏路地にある……、ほらここ、食堂かな。煙突から煙がぽこぽこ出てる。今まさに化粧が落ちたお姉さん達が入っていったけど、お仕事帰りなんだろうね。悪い意味じゃなくて、「こういう層」の人が元気なのは景気が良い国の証拠だとぼくは……」

 

 すらすらと淀みなく語られていた講義がぴたりと止まる。興が乗って喋りすぎた、とでも言うように、朱雀さんは黙ったまま一歩下がった。

 どうぞどうぞ、とジェスチャーで続きを促せば、いやいやこれ以上は、とやはり身振りで辞される。なんだこれ。

 

 つまり、と、相変わらずうまくいかない咳払いをひとつして、朱雀さんは続けた。

 

「何が言いたいかって、並外れてはいるけど、必要なものを必要なだけ整備してるって意味では、常識の範囲内ってこと」

「たまたま現地で優秀な王様が産まれた可能性の方が高いっていうことですか」

「そうそう」

 

 天才なんて1世紀にひとりくらいいるもんだし、そういう時代に来たんだろう、と再び机に1歩寄って、こんこん、と器の縁を叩く。土くれのような色のわりに、うつくしく澄んだ陶器の音がした。

 

「でもこれ、後が大変だろうとは思う。歳とって呆けたり、次の王様が無能だと、あっという間に瓦解しかねない」

「後継ぎを作るのも、上に立つ者としての義務、ってやつでしょうか」

「だね。どうも古き良き世襲性の匂いがするし」

「どんな匂いですか」

 

 そんな感じしない? という問いに、わからなくもないですけど、と返して、水面に映る、向かい合った獅子が描かれた旗を見る。この国の国旗なんだろう。

 

 上に立つ者の義務、か。確かに大事なんだろうけど。

 

「俺達には関係なさそうで、良かったですね」

「えっ」

「えっ」

 

 かかか、と、八咫烏が羽繕いをする音。瞬き数回分の沈黙。

 今回それを先に破ったのは朱雀さんだった。

 

「……モモンガさんがそれ言う?」

「いやいやいやいや! ええ!? そんな予定は……、違いますよ! アルベドは! 違いますから!!」

 

 唯一の心当たりだが、タブラさんの娘とも言える存在に手を出す気など毛頭ない。

 そもそもの原因である朱雀さんはしかし、わざとらしく、よよよ、と口元を押さえて、肩を震わせた。泣いているのではない。笑っているのだ。

 

「……ごめん。ぼくが余計なことをしたばっかりに、モモンガさんの、貞操が……、ふ、ふふっ!」

「笑わないでくださいよ! ないです!! ないですって!!!」

 

 

 

 

 

「市場にはちょっと近寄れないんだよね。見た目カラスだから、追い払われちゃう」

「やっぱり、街には直接行かなきゃ駄目ですか」

 

 ひとしきり騒いで落ち着いた後、改めて露天を覗こうとするも、あまり近くに寄ると、カラスと勘違いされてしまうらしい。

 どうやら日用品の類は銅貨や銀貨でやりとりされているようだが、それがユグドラシル金貨とどう互換性があるのかまではわからず、スクロールが売っていることまでは確認できたが、ここからでは流石に中身は判別できない。

 

 結局、街へは後日改めて調査に向かおう、と一旦目視を打ち切って、地図上でまだ書かれていない空白の場所を見た。

 

「ここから先も続いてるんですよね?」

「<探知接続(コネクト・センス)>の範囲からは出てないけど、今はまだ、このあたりまでしか進んでないね」

「なるほど」

 

 必要なことは大体聞いたかな。最後は近場にある大きな森、か。

 

「じゃあ、あとは……、森のことを詳しく教えてもらっていいですか」

 

 森、という単語が出た途端、朱雀さんはのろのろと顔を逸らす。年齢にそぐわない、叱られるのがわかっている子供のような仕草だった。

 

「どうかしたんですか、朱雀さん」

「……うん、その、言いそびれてたんだけど」

 

 珍しく言いよどみながら、何だかしゅんとした様子で、上目遣いにこちらを見る。とは言っても顎を引いているだけで眼の光の位置は変わらない。ちょっと不気味だ。

 

「モモンガさんに謝らなきゃいけないことがひとつあって」

「えっ」

 

 言いながら、映像が切り替わる。今にも動き出しそうな、巨大な樹木。確かにイビルツリーと言われれば、それっぽいような気はする。

 朱雀さんは、その辺にあった緑色の鉱石を地図の上、森の中心あたりに置いた。イビルツリーのつもり、だろうか。

 

「ゆうべ見たイビルツリーはこのあたりにいたんだけど、今朝見たらこの辺まで移動してて」

 

 中身の無い白手袋が、鉱石を湖のそばへと動かす。同時に視点が俯瞰になり、そこには確かに湖が一緒に映っていた。

 何故だろう、喉でも渇いたんだろうか。植物系モンスターにそんなバッドステータスあったっけ。

 

「あと、こっちの索敵にまわした八咫烏が1羽死んでて……」

 

 くり、と、朱雀さんの肩に乗っていた八咫烏が首をひねった。

 殺された、ということだろうか。レベルも低いし、それ自体は不思議なことじゃないんだけど。

 

「うーん……、理由はわかりますか?」

「ごめん、それがわからないんだよね。ちょうどその時考え事してて」

「……精神攻撃、という線は」

 

 感覚が繋がっている召喚獣が死んでしまって、気がつかないなんてことがあるんだろうか。

 心配になって思わず聞いてしまったが、朱雀さんは両手をぱたぱたと左右に動かしながら、ばつが悪そうに首を横に振った。頭にぶつからないよう、八咫烏がそっと身をかわす。

 

「ないない。昔からなんだよ、考え事してると周りの情報が入ってこなくって」

 

 鼻に辛子詰め込まれるまで気がつかなかったこともあるし、と中々衝撃的な告白をした後、朱雀さんはしょんぼりと肩を落とした。

 

「これじゃ索敵の意味がないよね。本当に申し訳ない」

 

 心底申し訳なさそうな朱雀さんの謝罪の言葉に、いえいえそんな、と反射的にわたわた手を振った。

 任せてしまっているのはこっちなんだから謝られても困る。それより朱雀さんに大事がなかったことが幸いだ。

 

「朱雀さんが無事ならそれでいいですよ。……けど、そうだな。最初の霧の範囲はどのくらいだったんですか?」

 

 んー、と朱雀さんがひと悩みしたとき、ばささ、と八咫烏が肩から机に降り立った。そのまま、てん、てん、てん、と跳ね歩いたかと思うと、違う色のペンを咥えて、また朱雀さんの所に戻っていく。

 ……便利だな、召喚獣。

 感心してる間に、明るい色のペンで、ナザリックの周りに大きめの円が描かれた。

 

「このくらい、かな」

 

 ……思ってたより随分広い。北の方は湖まで届いてる。と、なると。

 

「今イビルツリーがいるところまで完全に被ってますね。霧から逃げ出した訳じゃなさそう、かな」

 

 霧そのものに視界を塞ぐ以上の効果はないし、視覚に頼るようなモンスターでもないので当たり前といえば当たり前だが。

 イビルツリーだと決めうちするのは危険だから、自分の知識は参考程度に考えておいた方が良いかもしれない。

 

「<霧吹き老女(ミストレア)>を感知して逃げ出したんでしょうか」

 

 見た目こそ老婆だが、<霧吹き老女(ミストレア)>は第10位階に相応しい凶悪な召喚獣だ。物理攻撃力もさることながら、猛毒、麻痺、呪いなど、悪辣な状態異常を容赦なくぶち込んでくる。

 イビルツリーにどこまで知能や生存本能があるのかはわからないが、いちプレイヤーとしては決して戦いたくない相手なので一応聞いてみたけれど、朱雀さんから返ってきたのは否定の言葉だった。

 

「やー、確かに戦ったら<霧吹き老女(ミストレア)>が勝つと思うけど、レベル的にはとんとんだからなあ。それはないと思う」

 

 それも一理あるかと思い、別の方向から考えてみる。

 逃げたんじゃないなら、何かを追いかけたのだろうか。もしかして、八咫烏を? いや、それなら最初にイビルツリーを発見した時点で殺されていたはず。何にせよ。

 

「今はもう動いてないんですよね?」

「うん、最初からそこにいたみたいにじっとしてる」

 

 なら、大丈夫、かな?

 あらかじめ設置されたボスじゃあるまいし、移動くらいするだろう。

 

「それなら大丈夫じゃないですかね。けどこれからどうしましょう」

 

 朱雀さんは街に興味があるみたいだし、できれば気兼ねなく移動させてあげたいんだけど、今の段階でナザリックから遠くに離れるのはあまり気乗りしない。

 部屋にこもって実験の続き……、は、シモベのみんなが急ピッチで働いてくれてるし、なんだか申し訳ない。だからと言って中にいてもできる仕事なんてないしな……。部下が優秀って困ることもあるんだなあ……。

 そんなことを思っていたら、朱雀さんが緑の鉱石をこつこつ叩いて提案する。

 

「今イビルツリーがいるこの場所、トカゲ……、あー、リザードマンだっけ? 集落があったんだけどさ」

「ふむ」

「でもイビルツリーに轢かれちゃって、ほぼ壊滅状態なんだよね」

「あー……」

 

 気の毒に、が2割くらい。まあレベル的に、この大きさのモンスターにぶつかったらただではすまないよね、という納得が8割の声。

 

「別に不幸を煽りに行きたいとかそういうわけじゃないんだけど、わりとここだけの独自文化を築いてるみたいだから、滅びる前に覗きに行きたいなあと思って。ゆうべのお詫びにセバス連れてさ」

 

 ふむ、と少し考えた。いつかは外に出なければならないのだし、場所もそこまで遠くない。水辺なら朱雀さんの地形ボーナスが適用されているかの確認もできて、あわよくばイビルツリーで魔法の試し撃ちもできるかもしれない。

 今できる行動の中ではすごく良い案だと思った。

 

「もう、すぐに出かけるってことで構いませんか?」

「あっ、モモンガさんも来る感じ?」

「イビルツリー相手に魔法の練習ができないかな、と。ご一緒してもいいですかね」

「もちろん。いやしかし初めてじゃないかな、ふたりで外に出ていくって」

「そう、です……、ね? そういえば、そんな気が」

 

 ナザリックの中で色々話したり、TRPGなんかのゲームをしたことはあったけど、採集担当だった朱雀さんと、狩り担当だった俺では、外で何かを一緒にやった記憶がない。

 どうせお供が着いてくるから実質2人ではないけど、流石にわくわくする。……感情の余剰分が沈静化されるのが果てしなく鬱陶しい。でも、油断は禁物だ。何が起こるかわからないんだから。

 

 同時に、プレアデスをお供に連れて行くには彼女達のレベルが足りないので、守護者の中から2人ほど連れて行けないか確認も取らなければ、と思い立つ。

 

 でも外に出るのにリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを持ち出したくはない。即座に退避するのに便利ではあるけど、万が一奪われてしまったらナザリックの深部に転移される危険性がある。だから、ええっと。

 とりあえず部屋の外にいる二人に指輪を渡して、霊廟までは着いてきてもらって、そこでアルベドに……、そうだな、<転移門(ゲート)>を使えるシャルティアと、レンジャーのクラスを持っているアウラがいいかな? を連れて行けるか聞いて、いけそうなら彼女達と合流したあと、プレアデスに指輪を預かってもらって、目的地に転移する、と。そんなところか。

 

「ああ、そうだ。指輪をひとつ渡しておきますね。転移先は霊廟前でいいですか?」

「うん。あ、ちょっと司書に用事あるから先上がっといてくれる? ティトゥスにこれ返さないといけないし」

 

 セバスも途中で拾ってから行くよ、との言葉に、了解です、と返して、二人で製作室を出た。

 

 先にティトゥスに礼を言って、ソリュシャンに事情を話し、指輪を渡す。ナーベラルのときと同じことになるのではないかと一瞬思ったが、リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンの認識については個体差があるのか、はたまた話が早いだけなのか、ソリュシャンは想定よりもすんなりと指輪を受け取ってくれたので、すぐに霊廟へと移動することができた。

 

 

 外への道を歩きながら、内心でそっとため息をつく。

 この数時間で本当に色々なことがあった。

 異世界についての知識が一気に増えて、現状やらなければならないこともたくさんあって。

 

 だから、すっかり忘れていたのだ。

 伴侶という言葉の意味について。

 

 

 

 

 

 この先に襲いくる後悔など頭の片隅にも浮かばないまま、<伝言(メッセージ)>をアルベドに繋いだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜が明けた。

 シモベからそのように報せが来たが、当然眠るわけにはいかない。守護者統括として成すべきことはまだ山程ある。装備によって耐性をつけているので、その必要もない。

 

 玉座の間、至高の41人の御旗が並ぶその先。諸王の玉座、と名がついた、まさしくかの偉大なる支配者に相応しい玉座の前。私の居場所。私の存在意義。

 

 マスターソースと、守護者達から上がってきた報告を照らし合わせる。

 罠、モンスター配置、各階層の建造物、すべて問題なし。

 そこから更にナザリック全体の確認を言い渡したシズ・デルタからも、異常は一切ないとの報告が先ほど来た。

 転移によるズレなどは見受けられない。そう断定して良いだろう。

 

 ふ、と息をつく。安堵からではない。

 ナザリックには一切の異常が見られないというのに、至高の御方々はどのようにして転移を察知なさったのか。

 

 至高の御方にしかわからない、探知能力のようなものがあるならばそれで良い。だが、もし。もしもその兆候を我々シモベから得たのだとしたら。

 この程度の頭脳労働でどうにかなるような柔な身体はしていないが、それでも痛むような気がするこめかみを押さえる。

 

 私には、私達にはわからない。

 我々のなにが、以前と違うのか。

 

 お二人の、我々への接し方が以前と違うことは明らかだ。この地に転移してきてやっと、御方々の目に入ったような錯覚さえする。

 あるいは私こそが原因なのかもしれない。御方の前で泣き崩れるなど、守護者統括にあるまじき失態だ。

 

 何故なのか、と思う。私がタブラ・スマラグディナ様に創造されて以来、このようなことは一度もなかった。

 玉座の傍にいながら御方々にお声をかけられることすらなくても、かつての侵攻の折、守護者統括としての任を果たせないままみすみす第八階層まで敵の侵入を許してしまったときも、至高の御方々がどれだけナザリックにお戻りになられなくなっても、『この身を裂くような哀しみを感じていながらも、それを面に出すことなど有り得なかったと記憶している』というのに。

 

 しかしそのことを責められるというわけでもなく、私はこうして守護者統括の任を預けていただいている。私を不審に思われているのなら、考えられないことだ。

 

 しかし、なんだろう。枷が外れた、とでも言うのだろうか。以前は声をかけることもままならなかったというのに。

 

 それが不満だったというわけではない。偉大なる至高の41人であればお傍にいるだけで、否、ナザリックに存在してくださるだけで、我らシモベは無上の幸福を得ることができる。それが我々にとっての常識だ。常識だった。

 

 

 少なくとも私にとって、そうでなくなってしまった理由がふたつある。

 

 

 自らの肩をそっと抱きしめた。思い出すのは大きな掌、硬い指の感触。真っ白な美貌の(かんばせ)、深淵を思わせる闇に嵌った赤い瞳。私の中に流れ込んできたモモンガ様の波動。腰骨に響くような低いお声はどこまでも慈しみに溢れていて。

 慈悲深き君。私の愛しい方。

 そんな方から、まるで大切なもののように扱っていただけて。こんな風に接していただいては、もう前のような関係で満足などできるわけがない。

 

 ほう、ため息をついて、モモンガ様からいただいたハンカチを握り締めた。愛すべき死の匂いがする。

 私の涙を拭うためにくださったものだけど、そんな勿体ないことができるはずなかった。モモンガ様の匂いが薄れてしまうかもしれない。そう、わざわざモモンガ様が私にくださったのだ。

 

 私の、涙を拭うために。

 

 幸せな気分が急降下する。

 死獣天朱雀様が、お隠れになる。そのときの失意を思い出し、そして。

 

 

――――酷い話だよね、連絡がくるまで忘れてるなんて。

 

 

 ぎり、と、唇を噛む。

 忘れていた。死獣天朱雀様は、このナザリックを、忘れていた。

 

 モモンガ様が、必死でこのナザリックを維持して下さっている間、あろうことか、このナザリックを、忘れていた!

 

 吹き上がる炎のような激情はしかし、表層へ滲み出るだけで、すぐに燻って鎮火する。

 その一言だけ抜き出せば、彼の腸を抉り出しても収まらないような怒りがこみ上げてくるが、前後の会話を聞いていてなお、憤怒に身を任せていられるほど愚鈍ではない。

 

 御二方はまず、私が真なる無(ギンヌンガガプ)を持っていることに疑問を持たれた。

 その後モモンガ様と私の婚姻を、死獣天朱雀様が仲立ちしてくださって。

 ご友人が亡くなられたことで、『りある』での役目をお離れになったという。「忘れていた」というお言葉はこのときに出たものなので、それだけお役目に没頭していたということなのだろうか。

 そして、モモンガ様がお手隙のときに、連絡が欲しい、と。……死の支配者(オーバーロード)である、モモンガ様に。

 

 それに加えて、と、記憶を手繰り寄せた。

 もう4年と337日前になるが、ここ玉座の間で、タブラ・スマラグディナ様と死獣天朱雀様が話しておられたことがある。

 

――――朱雀さん、テンキンですか。寂しくなるなあ。

 

 テンキン。……転勤、だろうか?

 つまり、「りある」において、どこか遠い地に行くことになった、ということ。死獣天朱雀様がナザリックにおいでにならなくなってしまった理由。

 

 至高の御方々は「りある」という場所で、ナザリックのことを忘れてしまうくらい激しい戦いに身を投じておられた。

 ナザリックに来られないような遠方に死獣天朱雀様は行ってしまわれたが、その地でご友人を亡くし、戦意を喪失されていたところを、ナザリックの危機を感知したモモンガ様に招集された、と。

 

 我々に感知することはできなかったが、ナザリックに襲い掛かろうとしていた脅威は死獣天朱雀様をして死を覚悟なさるほどのものであり、御自らの死後もモモンガ様と交流を望んでおられた。死の支配者(オーバーロード)であるモモンガ様であればその程度のことは可能だろう。何もおかしなことはない。

 

 そして、玉座の前での御二方のやり取りがあり、死獣天朱雀様によって何らかの術を行使され、現在に至る、と。

 

 

 私しか知らない事実。私にしか出せない結論。

 しかし、それはデミウルゴスが出した結論とほとんど同じものだ。むしろ説が補強された気さえする。

 

 

 ならば別に、デミウルゴスに情報を開示しても構わないとは思う。

 なぜならデミウルゴスは恐らく気付いている。私が情報を出し惜しみしていることに。

 基本的にナザリックのものに注ぐ慈悲を惜しまない男だが、私に対しては殊更甘いような気がする。あるいは、彼の創造主と私の創造主の関係性がそうさせるのかもしれない。

 

 私が御方々に危害を加える気がないと見て、尋問の必要はなし、と判断したのだろう。セバスとプレアデスもその場にいたが、彼らがそれを明かすことは、職務上あり得ない。

 私が直接彼に伝えなければ、情報が伝わることは決してない。

 

 

 しかし、なんなのだろう。

 私の中の何かが、情報を開示することを拒否している。

 

 伝えた方が良いはずなのだ。それでデミウルゴスはきっと安心するし、一層職務に励んでくれることだろう。

 デミウルゴスを疑っているわけではない。至高の御方に対する裏切りなど、ナザリックのシモベであれば当然有り得ないことで、その中でも彼がそうなる可能性は那由他にひとつも考えられない。寧ろ、それっぽっちの可能性でさえ自分の中に見つけてしまったら、即行で自害する様がありありと想像できる。

 

 もしや、と思う。

 私が疑っているのは、至高の御方そのものなのか?

 

 この世のあらゆる不敬を集めても足りない無礼ではあるが、どうしても、どうしても違和感が拭えないのだ。

 

 御二方で微笑を交し合った直後。玉座に座るモモンガ様と、階段下の死獣天朱雀様とで成された会話。

 前触れも何も無く、唐突に始まった、そこだけ乖離したような、切り取られた1シーン。

 

 もう、脅威が間近に迫っていたのかも知れない。

 あるいは、御二方にだけ理解できる、なにかがあったのかも知れない。

 

 でも、けれど、何かが足りていない。私は一体何を知らないのだ。

 

 私は御方々の、モモンガ様の、一体何を理解できていないというのだ!

 

 

 

 

 

 

 

――――そこまで、考えて。呼吸を一旦整えた。

 

 少なくとも、今までナザリックを見捨てずにいてくださったモモンガ様は当然として、死獣天朱雀様もまた、この異世界でナザリックを守ることに全力を注いでくださっている。

 

 デミウルゴスからの情報によれば、その御身を削ってまでマーレに魔力を譲渡なさっていたというのだから、その献身を疑うなど、それこそ至高の御方に「そうあれ」と創造された者にしか許されたことではない。

 

 雑念を払うように、頭をひとつ振った。

 あまり長い間、考え事に浸っている余裕は無い。ともあれ自らの責務を完璧にこなすことが第一だ。

 

 守護者統括として。そしてモモンガ様の伴侶として。

 

 

 ……伴侶。

 狂おしいほどに沸き上がってくるこの感情。

 

 私の愛しい君。病めるときも健やかなるときも、死の超越者であるあの御方であれば、それこそ死がふたりを分かつ後まで。

 わたくしの、とこしえのだんなさま。

 

 

 そう、どれほど判然としなくても。

 ただひとつ。ひとつだけ、はっきりしていることがある。

 

 死獣天朱雀様が、私をモモンガ様の伴侶へと推してくださった理由。

 ナザリックにおいて、ある意味では最重要事項と言っても過言ではない、重大な事柄。

 

 

 

 モモンガ様の、お世継ぎを賜ること。

 

 

 

 ナザリックを支配する後継者を授かり、戦力を強化することができ、ナザリックの誰もが幸福になれる。

 万が一、考えるのも辛いことだが、万が一御方々がナザリックをお離れになるときのためにも。

 

 

 なるべく早く褥に呼ばれるよう、いいえ、隙あらば御寵愛を賜るくらいの気概で行かなければ。

 モモンガ様の伴侶として、守護者統括として、いちサキュバスとして!

 

 

 固くかたく、拳を握り締めて、その決意に打ち震えていると。

 

 

 

 

『アルベド?』

 

 私の愛しき旦那様から、<伝言(メッセージ)>が届いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




最近迷走していて本当に申し訳ない限りです。ちょっとしたスランプだったのかもしれない。

次回は召喚獣によって迷惑を被ったひとたち。

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