スイーツスタジアム。あと数時間でスイーツ対ガーディアンズの試合が始まる。
プロ野球では3月にオープン戦が始まる。
4月に控える公式戦開幕に備え、実戦での調整を行う意味が強いオープン戦。当然、結果はそこまで問われるものではない。
だが1軍が確約されていない選手にとっては大きなチャンスである。
オープン戦で他球団の一線級と勝負し、好成績を残すことで、一軍入りの道も見えてくる。
調整目的で試合に出場する”1軍選手”とは目の色が違う。
もちろん。念入りにバットを振る青年、有賀草悟も例外ではなかった。
二軍での紅白戦の結果や本人の努力、これという内野手がいないというチーム事情もあって一軍からお呼びがかかったのだ。
首脳陣は草悟に代打からの守備固めをさせる思惑を本人に伝えている。
スタメンではないことに多少の不満はあるものの、実績がない自分がないきなりスタメン出来るはずがないのも理解している。
(ならば代打でヒットを放ち、守備も出来ることをアピールすればいいだけのこと)
草悟は念入りに柔軟運動をする。
(必ず結果を出してやる)
瞳に闘志を宿す。
康友と弥子がいないことに対する不安や揺らぎはなかった。
2月、幾度にも渡る二軍戦において結果を残せなかった二人に、チャンスが無いのは当たり前のことである。
(このチャンス、絶対ものにしてやる!)
2人のことなど、草悟の頭には無かった。
集合時間近くになり、まばらに人が集まり始める。
来る人来る人、見知らぬ顔がグラウンドのど真ん中でアップをするのを遠めで眺めている。
おそらく新人だろうというのは理解していたが、普通なら向こうから挨拶にくるものだ。
人見知りのする性質として、百歩譲っても話掛けられる雰囲気は
「久しぶりだな」
その中に一人の男が草悟に声をかける。
草悟がプロ野球入りするきっかけをつくった恩人ともいえる先輩である。
去年の突然の訪問以来、二人は一度も会っていない。
投手から内野手に転向したことは人づてに聞いている。バッティングと足は一軍で通用するレベルを有しているが守備などは素人レベルとも。そんな人間が短時間でオープン戦に出られるほど成長してきた。
その異常な成長スピードに、憂男は気になった。
「おはよう。草悟君」
「あ、おはようございます……」
草悟は不満そうな顔で振り返る。だが憂男は気にしない。楽しそうに草悟に話しかける。
「あと数時間で一軍の試合でプレイする感想は?やっぱり緊張するかい?」
「オープン戦って練習試合ですよね?練習試合で緊張する人間っているんですか?」
聞く人が聞いたら激怒しそうな言葉を、草悟は平然と吐き捨てた。
「練習試合……確かに練習試合だな!」
青年の言葉に一瞬言葉を失った憂男だが、チームや選手の今後を占うオープン戦を練習試合と言い切る新人に器の大きさを感じて笑う。
だが草悟は笑っていない。
(いくら一軍の選手が出るといってもオープン戦は前哨戦に過ぎない。俺が活躍したいのは公式戦。誰もが本気にならざるをえない公式戦であの男に、
「……」
そんな草悟の表情を、憂男は黙って見た後、「まあ無理して怪我だけはするなよ」と言い残し目の前から姿を消した。
★
そんな様子を厳つい長身の男が遠くから見ていた。
即戦力と球団内で評判高く、キャンプから1軍帯同を続けている。 制球力がないと酷評されていたが、今の所はその酷評に反して順風満帆なプロ人生をスタートさせている。
入団会見のときに一度会ったことはある。だがその時は「よろしく」という挨拶程度。それ以上の接点はない。
(高校生で投手から内野手に変更したと聞く。なのに『55』をつけているということは
球界に素晴らしい功績を残した選手に球団がその選手の背番号は永久欠番にすることがあるが、スイーツでは球団に大いに貢献した選手が引退する時に、その背番号をつけるに相応しいと思う人間が出るまで背番号を本人に預ける準永久欠番制度を採用している。
55はスイーツ創立初めてのタイトルとなる打点王に輝いた荒木大吾が最後につけていた背番号だ。大吾が引退して十数年。多くの選手が大吾に憧れて55を欲していたが、大吾は誰にも与えることはなかった。
十数年も譲られることがなかった55が譲り渡された。それも未知数中の未知数の新人に。相当期待されると無頼は感じた。
(どういう活躍をするのか、楽しみだな)
同期入団した年下の青年に背を向けて準備に向かった。
★
試合は7回まで進み3-5でスイーツがリード。
ちなみに失った3点は4回まで無頼である。
無頼から草悟と同じく一軍に呼ばれた
試合は3-6に変わり久石の代打で草悟の名前がコールされる。ノーアウト2塁1塁。流れは完全にスイーツに来ていた。
オープン戦とはいえ相手の波に飲まれるようにして負けては士気に関わる。
そう考えたガーディアンズは勝利の方程式として起用していた右腕を投入する。
ホールド40を上げ、去年のセーブ数38を誇るガーディアンズの守護神、
君先はあごに蓄えた
(若いな……これが噂のドラ6か)
君先が次に見たのは、草悟のバットだった。
(短いな……新人でこんなバット持った奴は初めてみたぞ)
「果たして、その実力はどんなものなんだろうな」
自分以外聞こえない小さな声で、君先は注目の新人を見据えた。
★
自分に対して色々考える君先に対して、草悟は冷静だった。
冷静というわけではない。
打つ。
それしか頭になかった。実績ある一軍選手と相対することへの緊張や初めての打席に感激するなどの感情は、ない。
君先がランナー達をチラッと見た後、大きく振りかぶる。投げたのは外角低めのストレート。ただでさえ短い草悟のバットで一番届きにくいところに投げた。しかしストライクゾーンからわずかに外れた。
「ストライクッ!」
審判はストライクと宣告した。
(今のはボールだろ?どこに目をつけているんだ?)
草悟はチラッと審判を見たがすぐに気を取り直す。草悟と同じく一軍に呼ばれた
(まだ1ストライク。まだチャンスはある)
そう考え、草悟はバットを構えた。
★
(このルーキー……)
君先は舌打ちした。
普通の打者は際どい球にバットが出かかったりする。それより少し上の打者はピクっとバットが動きそうになる。だが目の前の新人は全く動かなかった。手が出なかったわけではない、完全にボールを見切っていた。そんな見逃し方だったからだ。
(ん?)
右手からじんわりと汗が出ていることに君先は気がつく。その汗の正体が恐怖だと知り、狂ったような笑みを浮かべた。
(おもしれぇ、こんなルーキーが去年最多ホールドを獲得した俺に恐怖心を植え付けるとは!乗せると将来ヤバイことになりそうだ。出るくいは打っておかないとな!)
★
二球目。君先が投げたのは内角高めの152キロのストレート。
「!」
草悟は踏み込み、フルスイングした。
鋭い打球はサードの横のファールゾーンを突き抜ける。
(速かったか)
2ストライクと追い込まれたにも関わらず草悟は冷静だった。
★
(ちっ……。舐めていたわけではないが)
だが自分の想像よりも草悟が上だった。久石や冬狐が認めた草悟のスイングスピードを、君先も身をもって知ったのだ。
自分の渾身のストレートを当てたのだ。それも当てにいくのではなく、フルスイングで。
(タイミングが合っていたら、良くてフェンス直撃、走者一掃のツーベースヒット。最悪ホームランだったな……)
その後。慎重になりすぎた君先は三球連続で見極められてしまう。
カウントは3ボール2ストライク。
君先はキャッチャーのサインを見る。
外に逃げるシュートだった。
君先はキャッチャーの構える外角低めにシュートを投げた。
だが汗で握りが甘くなり、シュートが曲がりきらない。
キャッチャーの構えるミットよりも上に入った球を草悟は振りぬいた。
★
(よし!完全に捉えた!)
草悟は確信する。ボールはセンター前に抜ける。そう思った時だ。
(!?なんだとっ……)
投手の横に抜けると思った打球に、顎鬚の投手が足を出したのだ。
踵に当たったボールはふわりと上がりショートの前に落ちる。そのボールをワンバウンドで処理した遊撃手はすぐさま三塁手に送球。サードベースを踏んだ三塁手はすぐにセカンドベースを踏んでいる二塁手に転送する。フライを警戒していた二塁走者の走塁が遅れ1アウト。
二塁走者同様、走塁するタイミングを逃した一塁走者もアウトになり2アウト。二塁手は一塁手にボールを転送する。
センター前と思った当たりがショートへのゴロに変えられたことにショックを受けて立ち止まっていたため、3アウト。
ノーアウト二塁一塁からのトリプルプレイ。
君先の足に異常がないことを確認したガーディアンズベンチは大いに盛り上がり、追加点のチャンスが一気に終わったスイーツは一気に暗雲が立ち込める。
その後、美空は草悟が一塁に走ることを怠ったとして守備に就かせる予定をキャンセル。草悟が守るはずだったショートに別の人間を据えた。
★
(勝った気がしねえな……)
温かく迎えるベンチと裏腹に、君先はニコリともしなかった。
渾身のストレートを打ち返され、新人にプレッシャーをかけられて明らかなボールを三球連続で投げさせられた。最初に投げたボールをストライクとされなかったら四球で歩かせていた。
最後の踵で打球の進路を変えたのも体が勝手に反応しただけで意図的にしたものではない。
だが結果が求められるのがプロの世界。その結果を出せるのが一軍で活躍するプロである
「……大したルーキーだ」
数多くの修羅場を乗り越えた中継ぎ投手の呟きはワイワイと騒ぐベンチにかき消された。
★
ベンチで草悟は呆然とする。
追加点が入るチャンスでトリプルプレイという最悪の結果を出してしまったのだ。また君先の好プレイにショックを受けて走ることを怠ったのが一軍監督の美空にマイナスに写り守備固めの機会を逃したのだ。
そんな草悟の隣に久石が座る。
「草悟」
「何ですか?」
体を震わせて、草悟は聞き返す。
「試合を見ろ。お前が見なければならないものが、目の前にある」
視線を逸らす草悟に優しく、それでいて厳しく久石は言う。
「試合を見るんだ」
それが10歳以上も年下の青年を追いこむ事を承知で。
草悟は顔を上げる。
マウンドには8回を任された冬狐。三振で1アウト取ったものの、その後アンラッキーとも言えるポテンヒットと悪送球で三塁にまで進められていた。
次の打者があと少しでフェンス直撃のセンターライナーを放つ。
タッチアップする三塁走者。
センターを守る女性、入江舞名の矢のような送球を中継に入った二塁手、杉井貴士が受け取るや否やすぐに振り返り捕手の位置を確認せずに捕手、古山博光に送球する。
無駄のない送球に三塁走者は回りこんでタッチをかいくぐろうとするが、古山の素早いタッチを避けることが出来ず3アウトに終わった。
誰か一人でもミスをしたり、諦めていたら点を許していたアウトだった。
「……ッ!」
一軍の選手が見せる本物のプレイに、草悟は絶句する。
心の折れた音が聞こえた。
どんな困難にも、どんな辛酸にも、一人で戦い、一度も折れたことの無い心が折れた音。
それでも草悟は歯を食いしばってみていた。
草悟の心を初めて折ったのは、敵ではなく味方の見事なまでの守備だった。
試合はスイーツが逃げ切り3-6で勝利した。
勝利の余韻に酔いしれる選手とファン。その中で草悟は一人悔しさに目に涙を浮かべては拭っていた。