有賀草悟はプロ野球選手になるようです   作:筆先文十郎

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草悟にとって憎む相手、広田義信との対戦です。

そしてここで憂男が草悟に抱いていたかすかな違和感に気づきます。


第十二話 憎悪

7月下旬。3位につけたスイーツは首位ポセイドンを本拠地で迎え打っていた。

草悟は相手ベンチを見ていた。

草悟と視線が合った男は、嘲笑しながら草悟を見ていた。

広田義信(ひろたよしのぶ)

一年目からポセイドンのローテションピッチャーとして活躍。三年目となる今期では4年連続二桁勝利をしているエース、松本刃録(まつもとはろく)。通算防御率2.11と抜群の安定感を誇る加藤茉莉夫(かとうまりお)と共に三本柱と評される活躍をしていた。

スイーツとの対戦は今期三度目。

前回、前々回とスイーツは広田を打ちあぐねている。

5回表の攻撃。

「クソ……三年目にいいようにやられるとは!」

空振り三振に終わった優奈子はバットを叩きつけたい衝動を何とか抑えてバッターボックスから下がる。

草悟自身も打ちあぐねていた。

選球眼とスイングスピード、現役時代に盗塁王争いをした御山(おやま)も認める脚力を持つ草悟だったが、ここに来て疲労の色も隠せなくなっていた。

また緩急を使われると弱いことも球界に知れ渡っていた。

一本足打法で緩急に対応しているが、一本足打法を完全に会得したとはいえず一流投手やコースをつかれるとタイミングを崩されてしまうこともままにある。

一流選手に匹敵する力は持っているが、プロの世界で戦える体力・技術を持っているとはいえない。

過少も過大もせず慎重にいけば打ち取れないことはない選手、それが有賀草悟だった。

無論、一年目のルーキーがここまで恐れられること事態が異常だが。

 

八回表。

4打席目。打ちたいという念を利用されているかのようにボール球に手を出してしまい三振の山を気づいていた。

自分を崩すバッティングだった。

(失態だ、醜態だ……ッ!)

草悟はバットを叩きつける。

倒すべき相手になす術もなくやられている自分への怒り。

何もかも放りだして、ここから逃げ出してしまいたかった。

 

 

自分はまた負けた。

 

 

広田に勝てないということを思い知らされる結果となった。

(俺は、あの男を倒すために努力してきた。だが結果は一球もかすることもない三振……自分の人生を狂わせた男に恨みを晴らすことは最初から無理だったのか?あの男に勝つこと自体間違いだったのか!?)

考えても負の迷路から抜け出せない。そして最後にたどり着くのは、絶対に認めたくない自分の不安。

(俺は……一生。広田義信に勝てないか?)

次はどうしたら打てるか、などではなく自分の存在を否定することばかり思い浮かぶ。

(負けたら……負けたら何も意味は無い……)

「草悟君」

声をかけたのは草悟に押し出される形で一番から下位に打順を下げられることが多くなった八千代智那。

(ろく)に話したことの無いオカマの先輩選手。

「何ですか……」

「試合を見なさい」

「……」

草悟は喋らない。喋れば胸中に渦巻く感情が決壊しそうだったからだ。

「……もう少し、待ってもらえませんか」

草悟は、なんとか喉を振り絞る。

「見るのも勉強よ」

オカマの先輩は優しく口調で厳しく言い放つ。

「まだはウチの攻撃は終わっていないわよ」

草悟は黙って視線をグラウンドに向けた。

グラウンドを見ているものの、草悟はグラウンドを見ていない。

視線はグラウンドだが、心は負の迷路に閉じこもったままだ。

(俺は、何のためにプロ野球選手になったのだ?)

心が痛む。

その時歓声が上がった。

二番杉井が凡退した後、憂男が三遊間を抜くシングルヒットを放ったのだ。

続く優奈子がフェンス直撃のツーベースヒットで1点を返す。

ここまで0点に抑えていた広田が苦笑いを浮かべたのを見て、草悟の心に邪な感情が浮かぶ。

(広田……お前なんか打たれてしまえ)

「私の打席、よく見ておいてね」

そう言い残し、六番打者の智那はネクストサークルに移動する。

智那の言葉を草悟は心に留めず呆然と前だけを見る。

(自分は独りだ。グラウンドの中で、仲間などいない。俺を助けられるものなど、いない)

そう鼻で笑っている間に、舞名が死球で出塁。草悟が一瞬視線を外した時。

 

 

カキンッ!

 

 

白球が空に舞い上がった。

フルスイングした智那の打球は大きな弧を描きレフトスタンドに飛び込んだ。

一瞬の静寂の後、

「うおぉ!」「よっしゃあっ!」、「逆転の3ランだ!」

歓声が破裂した。

ベンチで選手が飛び跳ねた。

3対4。八回で球界のトップクラスに上り詰めた広田から4点を奪い、スイーツは試合をひっくり返した。

「……馬鹿な」

草悟は信じられなかった。

あの広田が。自分ではどうやっても勝てないと思っていた広田が、逆転弾の被弾。

しかも、当てるだけのバッティングの6番バッターに。

マウンドの広田を見る。

声をかけてくる先輩に向け笑っていたが、どこかぎこちない。

無理して作った笑顔だった。

視線を広田から、智那に向ける。

草悟に気づいた智那は、草悟に向けて握り拳を作って見せた。

顔が、綻ぶ。

自分が負けた事に変わりは無いと思うけれど、心は一挙に軽くなる。

智那に素直に感謝して、草悟も、右拳を突き上げた。

智那はそれを確認して、走り始め、

「……ッ!?」

途端、智那はグラウンドに(うずくま)った。

蹲る智那が押さえるのは、腰。智那が慢性的に痛めている箇所である。

智那が立ち上がれない。

救護班が駆け寄り美空が代走を告げる。

ガヤガヤガヤッ……

歓声はどよめきへと変わっている。

「……」

草悟は、グラウンドを呆然と眺める。

瞳に一筋の涙が流れ落ちていることに草悟は気付かない。

智那が担架で運び出され、騒動は一段落する。しかし、球場では依然としてどよめきは残る。

憂男がふと草悟を見た。草悟は打たれたショックを引きずる広田を見ていた。

(八千代さん、もしかして……)

憂男は悟る。初めて会った時から草悟に感じていた違和感を、智那は気づいていたことに。

草悟の野球選手、否、人間として致命的な間違いを。

この若い、未成熟な人間に教えたかったのだろう。

見せたかったのだろう。

復讐に心奪われている青年に、もっと大事なものがあると。

 

スイーツは勝った。

だが失うものが多い、問題が露呈した苦い勝利だった。

左の中継ぎ投手の久石に続き、正一塁手の智那の故障。草悟の脆さ。

「とりあえず代打の切り札、岡本(おかもと)純一(じゅんいち))をファーストに置くしかないわね」

抜けてしまった人間を心配したい人の情を振り切り、監督としての思考を優先させて今後の編成に心を配った。

 

     ★

(広田が負けた……あの広田が敗戦投手……)

悩む草悟に憂男が歩み寄る。草悟が何に勝とうとしているかに憂男は気付いたからだ。

そして気がついた。憂男がなぜ草悟を危険だと思ったかを。

(こいつは野球をしに来たんじゃねぇ……私怨を晴らしに来たんだ!)

その理由に気づいた憂男は激怒した。

憂男は草悟の胸倉掴んで持ち上げた。

「な……何するんですか!」

「良かったな、勝ててよ!」

草悟の顔が陰惨なものになる。

憂男は、自分の考えが的中したことを確信した。

「何が……ですか。ウッ?」

しらばくれようとする草悟の胸元を、更に絞る。

草悟が、小さくうめき声を上げた。

「おめでとうって言ってるんだよ……よかったな。広田に勝てた(・・・・・・)ぜ?」

草悟の顔が、見る見るうちに赤くなった。

「違う!こんなのは勝ちじゃない!」

胸元を引き絞られても草悟が叫ぶ。

そんな草悟に憂男は「はぁ?」と嘲笑(あざわら)う。

「負け投手は広田だろ?だったらお前の勝ちじゃねぇのか?」

その嘲笑(ちょうしょう)が、その言葉が、草悟を興奮させる。

「違う!違う!」

草悟は、違う違うと(わめ)き散らす。それ以外の言葉を知らないように。

「だったら何がお前の勝ちだ!?」

憂男が、言葉を叩き付けた。

「え?」

「どういう結果ならお前の勝ちになる?……それを聞いてるんだよ!」

黙る草悟に憂男が投げかける。

「お前の決勝打で、広田が負け投手になる。それならいいのか!?」

「いや……」

「お前が全打席安打で勝てば、それがお前の勝ちか!?」

「いや……」

「だったら何だってんだ!」 

憂男が右拳を握りこんだのを見て、二人の女性が制止に入る。

「隠九条、落ち着け!」

「冷泉の言うとおりだ」

優奈子は憂男の右手を掴んでいた。憂男は驚きを見せた。

草悟に甘い冬狐は別として、優奈子が制止に入るとは思わなかったからだ。

「……中宮寺さん。解るだろ!?あんたなら!」

驚愕の表情を浮かべる憂男に、優奈子は笑う。

「やるなら奥でやれ」

「ああ、なるほど」

優奈子が手を離すと憂男が草悟を奥に連れて行く。

「ちょ、ちょっと待て!」

止めようとする冬狐を優奈子がさえぎり、草悟はベンチ奥に引き摺られ。殴られた。

けれどこの痛みは納得できるものだった。

草悟は頬を押さえながら球場を後にする。

帰り道。いろんなことを考えたが広田の事は頭に浮かばなかった。

 

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