深夜。ファントムズの正捕手にして打線の中核を担う男、
「…こんばんは。
「あ、直衛さん。夜遅くに」
若い女性が訪れた頭を下げる。野球に少しでも興味がある人間なら直衛を知らないわけがない。が、直衛が来ることはよくあることなのだろう。火那子と呼ばれた若い女性は「姉でしたら奥の練習場にいます」と案内する。
直衛は訪れた家の奥にある完全密室の投球練習場に足を運ぶ。
直衛は少し空いた扉の隙間から中を覗く。
視線の先には投手が試合で投げると同じ距離に3体の実寸大のパネルが置かれている。その人形に燃えるように赤に近い茶髪の女性投手が対峙する。
女性投手はパネルを睨みつける。
「くたばれや!美空を慕ってファントムズという素晴らしい球団から自分の意思で出て行った裏切り胸デカ女!!」
女性投手の右手から投げられた渾身のストレートは中宮寺優奈子を模したパネルの豊満な胸部分を破壊する。
「次はお前だ!美空のいう事に従って私を降板させやがって、毛利!!」
そう言って吐き捨てると今度は前監督の
そして最後に残ったパネルを見て、女性投手は邪悪な笑みを浮かべた後、他の二人とは比べ物にならないほどの憎悪を残った最後のパネルに向けた。
「ラスト3球。なぶり殺しにしてやる!」
女性投手は大きく腕を振り上げる。
「何で私を裏切った!?
ボールは美空パネルの腹部を破壊する。
「そんなに私が完全試合するのが気に喰わなかったのか!?」
右手から放たれたストレートが心臓部分をえぐる。
「死ね!死んで償えええぇぇぇっ!!」
彼女のウイニングショットのナックルが大きく揺れながら美空の顔部分を粉々に破壊した。
「ふう。絶好調ね。この儀式が成功した翌日は無敗どころか全部完封しているのよねぇ、私」
女性投手は邪悪な笑みを浮かべる。
「にっくき美空星蘭め。血祭りだぁ。お前を慕った私にした仕打ち、絶対に後悔させてやる……ふふふ、フハハハハッハハハハッッッ!!」
高笑いをする女性投手に直衛が口を開いた。
「…相変わらず凄いコントロールだな。
直衛の言葉に鳳と呼ばれた女性投手。かつてスイーツのエースと呼ばれFA移籍した現在はファントムズのエースとして先発陣の主軸として活躍する
「直衛、どうして?」
「…お前が呼んだんだろう?」
「ああ、そうだったわね」
火呼子は直衛に自宅の鍵を渡して先にリビングで待っているように言うと、シャワーを浴びて着替えをした。
★
十分後。
二人は鳳の家のリビングに来ていた。
「ごめんなさいね、儀式に気を取られて貴方との約束を忘れていたわ」
「…構わん」
直衛は儀式について聞かなかった。スイーツ戦の前に鳳が先ほどの陰湿な儀式をルーティン(手順)にしているのを知っているからだ(ちなみにファントムズがホームの場合は鳳火呼子本人の家で儀式を行っている)。そして美空を心酔するあまりコスモスターズのドラフトを拒否してまでスイーツに入団した彼女が先ほどの儀式でも言っていた完全試合未遂事件で美空を憎んでいることも。
数年前のスイーツ対ガーディアンズ戦。
9回表1-0。
8回まで鳳は一人の走者も許さず無失点で投げ続けていた。9回を打者三人で終わらせれば史上初女性投手の完全試合。誰もが完全試合に胸を弾ませた。彼女もそれを意識して準備していた。
そして、9回裏のガーディアンズの攻撃
『ピッチャーの交代をお知らせします。ピッチャー、鳳に変わりまして。
突然のアナウンスに観客はもちろん、相手ベンチも騒然となった。
マウンドに上がったのは完全試合継続中の火呼子ではなく当時スイーツの抑えを任されていた投手、
どういうことだ!?と混乱する球場。それは直前美空に投手交代を告げられたスイーツのエースもだった。
あと三人を打ち取れば女性初の完全試合達成。
その偉業を達成する機会が奪われた絶望感。打たれたからという自分に原因ではなく奪われたことにスイーツのエースは呆然とした。
試合は小鳥遊が2アウトまで追い込んだが、サード隠九条のエラーで出塁したランナーでると次の打者に止めと言わんばかりのサヨナラツーランホームラン。
目の前の女性エースが呆然とするシーンを直衛はテレビで何度も見ている。
投手と捕手とポジションこそ違うものの、彼女の気持ちは理解できた。
「…で、話とは?」
感傷を置いて、直衛が切り出す。
「…」
話があると呼び出しておきながらエースは口を開かない。
ファントムズのエースは机に置いた酒を一気に飲み干した。
「…直衛。貴方はもし私が完全試合間近だけど何かしらのアクシデントで投げられなくなった時、投げさせる?」
「…ッ!?」
直衛は言葉を詰まらせた。
「…なぜそんなことを聞く?」
すぐにいつもの阿修羅のような顔に戻った直衛の疑問にエースはフフッと笑う。
「わかるでしょう。私がFAでスイーツを出た理由」
「……」
直衛は答えなかった。頷きもしない。だが長い沈黙が肯定を意味していた。
「私はあの女、美空星蘭に憧れてスイーツに入団した。もちろんナックルしか武器がなかった私はそれなりに辛酸を舐めたわ。でも憧れの人に教えられて私はスイーツのエースと呼ばれるほどに成長した。だから勝つことで、様々な偉業を達成することで私は恩返しをしようと考えた。でも、あの女は違った!自分が出来なかった完全試合をさせたくなくて、私に投手交代させたのよ!」
「…ッ」
直衛は何もいえなかった。口を挟むことが出来なかった。
当時テレビ観戦でその試合を見ていた直衛は捕手視点でスイーツ首脳陣が投手交代を決断した理由を推測出来たからだ。
「直衛。貴方は違うわよね?」
先ほどの恨みに満ちた瞳が今にも壊れそうなガラス細工のように変わる。
「…あ、あぁ」
頷くしかなかった。捕手の立場からすれば勝利のためならば交代を要請する場面も求められる。本来ならば「状況による」「試合を作るのが投手なら、出来ないと感じたのなら投げるのをやめさせるのが捕手の仕事だ」と言うべきだが、直衛は言うことが出来なかった。
その後二人は明日に残らない程度に酒を飲んだ。
タクシーで帰る直衛を見送るエースに、正捕手は言いたいことを言えずそのまま帰った。