有賀草悟はプロ野球選手になるようです   作:筆先文十郎

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第五話 ルーキーと一軍半たち

二軍紅白戦終了後。

「くそっ!くそっ!くそがあぁっ!!」

冷泉冬狐(れいぜいとうこ)はロッカールームで荒れていた。

3イニング無安打無失点1与四球、奪三振8。

相手が自チームの二軍で若手中心とは言え、破格の好成績であるにも関わらず。

(完璧主義にも程があるってものよね……)

荒れる親友を呆れた目で見る陽子。ただ少しおかしいのも少女のような女性は感じ取っていた。

冬狐は完璧を求める所があるが、感情の起伏が激しい割に目的さえ果たさせれば多少のミスは許せる実利主義でもあった。

十分すぎる快投を見せた以上、一軍に上がるためのアピールという目的は果たせている。

充分すぎる内容でも満足できないことが起きたことに彼女は怒っていたのだ。

(何に怒っていたなど、考えるまでもないわね)

陽子の頭に一人の青年が浮かぶ。

前代未聞。中学高校と野球部に所属していないで野球界入りして球界を驚かせた無名の新人、有賀草悟に、だ。

(これではまるで、あの頃のよう……)

久しぶりに見る荒れ狂う冬狐の姿に、陽子は不愉快というわけではないが愉快でもない顔で昔のことを思い出す。

 

 

8年前。スイーツ球場。9回表2アウト2ストライクからの投球後。

「ボール!」

審判の判定に冬狐はマウンドで目を大きく見開いて怒鳴(どな)った。

「ふざけんな、審判!さっきの球のどこがボールなんだ!?適当なことを言うんじゃねえよ!!」

「た、退場ッ!」

球場に居た誰もが唖然(あぜん)とした。

監督、コーチ、チームメイト、対戦相手、観客、審判、全てである。

退場を宣告された冬狐は一歩も動かなかった。

周囲から(なだ)められるが、「いやだっ!」と荒れ狂ってマウンドを譲らない。

審判団を突き飛ばし、ボールをよこせと激しく騒ぐ。

先輩達に守備につけと怒鳴りつけた時、流石に周囲に取り押さえられたがそれでも譲ろうとしない。

ついにはマウンドの上に跪いて降板を拒否する。

0-9という負け試合での初登板は、女性初の沢村賞候補と(しょう)された彼女のイメージをぶち壊すものだった。

冷泉冬狐は150kmを超えるストレートを武器に強気なピッチングを心情する本格派投手と評価された。その評価通り彼女は母校の高校を甲子園出場に導き、六大学野球では連敗記録を更新中だった大学の連敗をストップしただけでなく準優秀まで導いた。

彼女は勝てる天才投手だった。

大学までは。

プロの世界では彼女以上の実力者だらけだった。

 

 

私は男に勝てる。私は男に負けない。

 

 

プロの世界でもそうだ、と思い込んでいた彼女に負けることは耐え難いものだった。

その後の登板でも彼女は審判や相手選手と衝突し、退場処分を受けるということを繰り返した。

今まで絶賛していた者たちの評価は『負けを認めない、些細なことでキレる最悪な投手』という認識に代わった。

ドラフト1位ということもあってすぐにはクビを切られなかったものの、3年目に戦力外通告を内示で宣告される。

だが、冬狐は戦力外にはならなかった。冬狐が一番迷惑をかけたはずの一軍の投手コーチ・石中花太郎(いしなかはなたろう)がストップをかけたからだ。

石中は自分のクビを条件に『冬狐を戦力外にするかどうかは一年後に判断する』と提案。上層部はその提案をうけた。

 

 

何で、何で私なんかのためにクビになんかなったんです!?

 

 

その問いに50代前半なのにすでに頭は真っ白の男は答えた。

 

 

『良い投手を戦力外にする』なんて聞いたら投手コーチは大反対するよ。私は当然のことをしただけさ。

 

 

冬狐が聞いた石中の最期の言葉だった。

一ヵ月後。石中が心筋梗塞で亡くなったからだ。

 

 

石中コーチに恩返しが出来なかった。

 

 

その後悔が、冬狐を変えた。

石中の死を境に、冬狐は変わった。

マウンドでは常に冷戦沈着。マウンドで出ては退場処分を受け周囲の人間を困惑させる姿はどこにもない。審判の判定にも素直に従い、相手選手の挑発にも一切乗らなくなった。

先発、中継ぎ、敗戦処理。どのポジションでも文句言わずこなすようになった。

 

敗戦処理に続く敗戦処理。そんな登板を冬狐が続けていた時だ。

ロッカールームに忘れ物をしたため取りに戻ると、そこには陽子が一人でスコアブックに目を通していた。

忘れ物が入った鞄を手に冬狐は部屋から出ようとする。その時、陽子が声をかけてきた。

「楽しい?試合に出るのは」

「……何が言いたい?」

ドアノブに置いた手を離し、同期入団の捕手の方へ振り返る。

「石中コーチが在籍されていた時の貴女は勝ちにこだわっていた。でも今では言われた所で淡々と投げている」

「……それがどうした?言われた所で投げるのが投手の仕事だろう?」

冬狐は思うところがあったのだろう。どこか歯切れの悪く返事をする。

「まあ、一軍で投げられるならどこで投げても良い。そういう考えもアリかもね。例え敗戦処理でも」

「どう言う意味だ?」

冬狐の言葉には怒気が含まれている。その怒気にひるむことなく、嘲笑(ちょうしょう)した。

「『誰が投げてもいい、そんな所で投げていて楽しいのか?』と聞いているのよ」

「……楽しいわけはない」

バカにした言い方に反応しなかった。先ほどの怒気は消え、どこか悟ったような表情で冬狐は続ける。

「でも今までみたいに試合を壊すようなことをすれば私なんかのためにクビになった石中コーチの行為が無駄になる。コーチには何の恩返しも出来なかったけど、裏切ることだけはしたくない。自分のことしか考えなかった私がチームのために貢献することが石中コーチへの唯一の恩返し、そう考えるようになっただけ」

「……」

絞るように出した答えに数瞬黙った後、陽子は冷たく言い放った。

「まあ現役時代。先発では5、6回でへばって中継ぎに負担をかけ、中継ぎに回っては勝利投手の権利を消していった投手コーチへの恩返しはそれでいいかもね」

「陽子ッ!!」

冬狐は童顔の捕手の首を掴むとロッカーに叩きつけた。

クビになってまで自分を守ってくれた恩人を馬鹿にされたことに我慢が出来なかったのだ。

「これ以上石中コーチを侮辱してみろ!お前の首をへし折ってやる!!」

そう言って首を掴む手の力を強める冬狐。

苦しみながらもはっきりとした口調で陽子が続ける。

「石中、コーチは、貴女が『良い投手』だから、残すように……言ったんでしょう?うぐっ、……良い投手というのは、勝ちに貢献する、投手でしょう?ぐはっ、……今の貴女は……それでいい、の?」

その言葉に、冬狐は掴んでいた手を離し、崩れ落ちた。

 

 

いいわけないだろうがッ!!

 

 

魂の叫びがロッカールームに木霊(こだま)する。

「石中コーチの一番の恩返しは、勝つことだって……そんなの私が理解している!!でも、今の私には勝ちに導く実力がない。だったら敗戦処理でもして、他の選手の負担にならないように、チームに貢献するしかないでしょうが!!」

ポタポタと熱い滴が冬狐の顔を伝って床に落ちていた。

「だったら、一緒に探しましょう。貴女がチームを勝利に導く方法を」

いつもの子どものような印象とも先ほどの冷たい印象とも違う、苦しむ妹に救いの手を差し伸べる姉のような表情で語りかける。

「なぜ、私のために?お前に何のメリットがある?」

涙を拭って質問する冬狐に答えず、陽子は冬狐に背を向ける。

「むかしむかし、ある所に学校でいじめられたことが原因で家に引きこもりがちな女の子がいました。このままではいけないと思った女の子の父親は少女を無理やり外に連れ出しました。そこは近くの総合運動場で、そこでは女の子と同じくらいの男の子たちが野球をしていました。その中で一人、大きな少女が。その少女は男の子たち相手にボールを投げ、完全試合を成し遂げました。男の子に投げていた少女が自分と同い年だと知った女の子は『いつの日か、彼女が投げるボールを受け止めてみたい』と思うようになりました」

「……」

「憧れの少女のボールを受け止める。その目標を持った女の子は必死に野球のことを勉強し、ついにはとあるプロ野球チームに入るまでに成長しました。憧れの少女と同じ球団に」

「……」

「しかし憧れの少女は変わっていました。審判に不服があると怒鳴り散らし退場。相手選手の挑発に乗って退場。結果は出すには出すがそれ以上チームの雰囲気を悪くする厄介な存在になっていました……」

陽子が振り返る。打算など大人の顔ではない、純粋無垢(じゅんすいむく)な少女の顔。その目には涙がこぼれていた。

「私は、あの時の。私が初めて見た、力強くて……かっこよくて……輝いていた冬狐のボールを受け止めたい」

「……私をそんな時から見て、憧れくれて……ありがとう、陽子。でも私には、貴女が憧れる理想の私になれる自信はない。考えられることは全てやった!でも敗戦処理が私の今の実力だ!」

冬狐の弱音が本心だと陽子は悟った。だが彼女の心の奥で燃え上がるものもあることも知っている。

「貴女のおかげで、私はまがりなりにもプロ野球選手になるほど成長した。貴女と出会わなければ、私はもっと不幸になっていただろうから。だから今度は私に協力させて。そして、一流投手になって」

「……陽子」

そう言って冬狐は一度目を閉じて、ゆっくりと目を見開いた。

「もし私が一流投手になったとしたら、それは私たちの勝利だ。そしてマウンドに立つ私のボールを、受け取ってくれ!」

 

その日から二人は冷泉冬狐の一流投手になるための道に奔走した。

お互い試合に出つつ何が一軍に通用する武器になるか、そしてその土台作りに取り組んだ。

陽子が着目したのはスピード。女性ながら男性にも引けを取らない体格と身体能力を持つ冬狐にウエイトトレーニングをさせた。

先発投手に必要なスタミナは失われていったが、その分球威は増した。

一番苦労したのはウイニングショットとなる球だ。武器になる球が一つでもあればそれだけで通じると言うプロ野球。逆に言えば武器と言える武器がなければ通用しないことを意味する。

150km以上の速球を投げられると言ってもプロ野球選手にはそれぐらい投げられる選手はいくらでもいる。ということは絶対的な武器にはならない。ストレートとは別の武器を手に入れる必要があった。

冬狐はスライダー、カーブ、フォークなどの変化球を持っていたがどれも通じる武器になりえるかと言えばNOと言えるほどの精度しかなかった。

今ある変化球を磨きつつ、色々な球種に挑戦しては模索し諦め、また新たに挑戦しては諦める。そんな繰り返しだった。

 

ある日のこと。

「そろそろ止めましょう」

冬狐の疲労具合を見て、陽子は切り上げることを提案した。

「ちょ、ちょっと待ってよ。私はまだ、投げられるわよ……!」

「肩で息をしている人が何を言っているのよ。さぁ、肩が冷える前にストレッチをして……」

「いや、ちょっと待ってくれ。何か、こう……何か(ひらめ)きそうなんだ!」

陽子は冬狐に聞こえるほど大きくため息をつく。

「貴女の『閃ひらめきそう』はいつ閃くのよ。これでもう731回目よ」

だが冬狐は譲らない。

「いいからお願い。一回だけだから」

「本当に最後の一回だからね!」

730回もこのようなことを繰り返していたため諦めている。陽子はキャッチャーミットを構える。

「よっ!」

冬狐は投げた。余計な力が入っていない腕の振りだった。シュッとボールが放たれる。

だがボールは高すぎる。ボールの動きを予想し視線を上げた次の瞬間

 

 

バンッ!

 

 

ボールが一気に急降下して地面に落下。ワンバウンドして陽子のミットに収まる。

陽子は言葉を失った。暴投と思われた球があり得ない落差を見せたのだ。

陽子は驚きのあまり投げた当人の顔を見る。

「……」

投げた当人が一番驚いていた。

「あ、えっと……どう、陽子?」

「ダメ!」

「な、何でよ!」

「地面に触れた瞬間にボール!どんな変化球もボールになるなら意味がないわ!」

「……地面に触れなければいいのね。だったら」

冬狐は先ほどの感覚を思い出しつつ、ボールを離す瞬間を先ほどよりも前にしてボールを投げた。

 

 

バシンッ!

 

 

暴投と思われる球が一気に急降下。小気味のいい音と共に、今度は陽子が構えたミットに直接収まった。

「どう、陽子?」

恐る恐る尋ねる相棒に、

「……グットよ!」

陽子は微笑みを浮かべた。

 

 

ブンッブンッブンッ……カランッ

バットが握れなくなるほど疲れた草悟は地面に崩れ落ちた。

「ち、ちくしょうっ……」

疲労で声が出ない。蚊の鳴くような小さな声。しかしその言葉には重かった。

紅白戦の試合。草悟は守備で一つエラーを記録したものの、4打数2安打1四球という好成績を残した。首脳陣にアピールは出来た。その目的が達成されたのにも関わらずである。

3回3失点の弥子は宿舎にこもり、3失点するきっかけを作った康友はスコアブックを見ながら一人考え込んでいた。

 

 

『よっしゃあっ!』

 

 

草悟の脳裏に一人の女性投手の声が木霊する。

忘れようとバットを振っていたがそれも一時的なものだった。少し経てばまた女性投手の投げる姿が浮かぶ。赤組を絶望に陥れた冷泉冬狐の姿が。

考えるなと思えば思うほど急降下する変化球が思い起こされる。

振れば忘れるがもう振るだけの力は残っていない。そもそもそれは何の解決にもならない。

「……よしっ!」

その問題を解決する方法を考えだし、草悟は実行に移す覚悟を決めた。

 

コンコン

「どうぞ」

「し、失礼します」

陽子の声に緊張した面持ちで青年が入ってきた。

(まずい!)

今この男と冬狐を会わせるのは危険だ。そう考えた陽子は適当な理由をつけて入ってきた青年を追い出そうとする。

「どうしたんだい、こんな夜遅くに。何か相談したいことでもあるのかな?」

大人が迷子に声をかけるかのように優しく声をかける冬狐の姿に、陽子は一安心した。

(さすがの冬狐も大人の余裕を持つようになったのね)

しかし陽子は読み間違えていた。冬狐の激情を爆発させるほどの要素を、この青年が持っていることに。

「……あ、あの……」

言おうか言うまいか。草悟は口をもごもごさせる。

「いやぁ、ゴロとはいえ私のウイニングショットを当てるなんてすごいわね。将来楽しみな選手が入ったものだ(いい気になるなよ、チビ助。次対戦する機会があったら、今度は私の顔を見たくないくらいにボコボコにしてやる)」

(作り笑いの裏で『いい気になるなよ、チビ助。次対戦する機会があったら、今度は顔も見たくないくらいにボコボコにしてやる』って思っているんだろうなぁ。まあ口に言わないだけ成長したってことよね)

相棒の変化にホッとする陽子。

「あ、その……ありがとうございます……」

頭を下げる草悟だがまた言おうか言うまいか口をモゴモゴさせる。

「言いたいことがあるならさっさと言えよ、ルーキーが!(まあ今日は遅いから何かあるなら後日またいらっしゃい)」

(本音と建て前が逆になってる!)

相棒がまったく成長していないことに、陽子は愕然とした。

「は、はい……えっと……」

冬狐の怒りに促される形で、草悟は90度のお辞儀でハッキリと言った。

「冷泉先輩、俺にあのフォークを投げてください!」

ブーーーッ!?×2

青年の突然のお願いに二人は吹いた。

「有賀君、だったわね?貴方ふざけてるの?それとも冗談?」

陽子は笑った。しかし目は日野陽子という名前に反して冷たい。

その怖さに「ふざけてもいませんし、冗談でもありません!」と弁明する。

「……」

そして。久しぶりに見る陽子の真の姿に、冬狐も動揺する。

「私からも一つ聞いていいかしら?」

動揺から立ち直った冬狐が草悟を見る。

「え?」

「何で私なの?」

「え?」

「女の私ならいい練習台になると思ったからかッ!?」

大きく目を見開き激情を露わにする冬狐の怒りは、陽子の何倍も迫力があった。

熱気と冷気。異なる怒気にさらされ、草悟は(ちぢ)こまる。

一言も話せなくなった青年に、目は笑っていない微笑で陽子が尋ねる。

「そんなこと言って、冬狐が投げてくれると思ったのですか?あと何で冬狐のあの変化球を投げて欲しいと思ったの?」

「な、投げてくれると思っていませんでしたが……少しでも望みがあれば、と思いまして。あと投げて欲しいと思ったのは、今まで見た変化球で、一番凄かったからです。それも素振りをしないと、不安になるほどに」

 

 

自分自身の不安を取り除くためだけに冬狐に投げてもらいたい。

 

 

陽子の口元から笑みが消えた。

今の陽子にとって冬狐は憧れであり希望である。そんな大事な存在を軽く扱われることは陽子には我慢ならなかった。

(こいつと話すことは何も無い)

そう判断した陽子は排除に動く。

「ふふ。まあ待ちなさいよ、陽子」

「冬狐?」

陽子は呼び止める親友を見る。

「面白いじゃない。『不安だから打ちたい』なんて言うなんて。それも素振りをしないと、不安になるほどになんて言って」

「……」

照れる冬狐に陽子は完全に言葉を失った。

「ねえ有賀君。私のどんな所が凄かったか教えてくれないかしら?」

怖かった先輩からの優しい促しに高揚した草悟はそれまでのドモリが嘘だったかのように話だす。

「まず最初にスピードとキレが両立したストレート。俺も元投手だったんで肩の強さには自信があったんですけど、ぶっちゃけ言って冷泉先輩の方が速いです!」

「それで、それで?」

「そしてあのフォーク。暴投と思えるほどの高さからストライクゾーンに落下するなんて今まで見たことがありません。俺はあの球を打ちましたがぶっちゃけ凄すぎて無我夢中になってバット振っただけなんで!」

「ふむふむ。なかなか見所があるじゃない、有賀君。でもね、君は一つ間違っているわ」

「ま、間違っている!?」

その言葉に先ほどの明るさが一変、無礼なことをしてしまったと顔面が蒼白になる。

「す、すみませんでした。何か失礼なことを!?」

そんな草悟に冬狐は労わるように優しく笑う。

「失礼なんてないわ。貴方は近年まれに見る好青年よ。私が間違っていると言ったのは球種。あれはフォークではないわ」

「フォークではない!?ではあれは――」

何ですか、草悟がと聞く前に冬狐は答えた。

「魔球『死神の鎌』よ!」

(いや、アレはフォークだから!ってネーミングセンス悪ッ!!)

一方で陽子はこんなことも思っていた。

(奇人変人で基本不機嫌の冬狐に近寄るものなど、チームでもそうはいない。後輩に慕われるなんて初めての経験であったのかもしれない。でも――)

「ここまで(おだ)てに弱いとは……」

さすがの陽子も思ってもみなかった。

「他には?他にはないの?私の凄いと思ったところは?」

「もちろんありますよ!150キロは優に超えるストレートはほぼコーナーに決まってましたし、キレのいいスライダーとシンカーで左右の揺さぶりは完璧です!」

「ほぉ、なるほど!」

「それだけでも手がつけられないのに『死神の鎌』というそれだけで戦えそうな魔球がある。もう存在自体がチートですよ!」

「いやぁ、でも『存在自体がチート』は言いすぎよ!」

と言われて気分を害しているようには到底見えなかった。

「左右、縦、ストレート……これら全てがハイレベル過ぎてもう右打者も左打者とか関係ないですよ!冷泉先輩ほどの技量があったら投手失格の烙印なんて押されなかったのに、って(うらや)ましくもあり嫉妬もするほどのレベル!もう凄いしか言えないですよ!」

「えーーー!私ってそんなに凄い?凄いの?あ、そうだ。こうなったら私が貴方に投手になれるように指導してあげるわ!そうなったら某選手のような二刀流になって――」

「正気に戻れ!」

陽子の右ストレートが冬狐の腹部に炸裂(さくれつ)した。

 

数分後。

「というわけで、投げられません。見世物ではないので。お引取り下さい」

「わ、わかりました。失礼なことを言って申し訳ございませんでした」

あっさり引き下がる青年に、童顔の女性はある考えが閃く。

(でも冬狐のいい刺激になるかもしれないわね)

そう思った陽子は草悟に提案する。

「そうだ。私たちの練習に参加するっていうのならアリですよ。とある大学の研究所と繋がりがありまして、フィジカルトレーニングは相当質のいいものあります。それを特別に教えてあげます。それと――」

「待って、陽子」

冬狐の落ち着いた声が、陽子の言葉をとめた。

「死神の鎌、投げても構わないわ」

「「……」」

冬狐の言葉に、草悟と陽子は言葉を失った。

陽子は目が笑わない笑みを浮かべる。

「何の冗談?冬狐」

「冗談じゃないわ」

何か言おうとする陽子に「まあ、聞いて」となだめてから冬狐は続ける。

「数年前のロッカールームの出来事。覚えているかしら?」

「忘れるわけがないじゃない。あれが私たちのスタート。忘れるはずが無いわ」

「じゃあ私がこう言ったのも覚えている?『自分のことしか考えなかった私がチームのために貢献することが石中コーチへの唯一の恩返し』と言ったことを?」

「確かに、貴女はそういったわね」

覚えていたが特に意識しない所だった。

「一軍で活躍して冷泉冬狐という女の存在を証明する。それも私の本音だけど、チームのために役に立ちたかったというのも私の本音。前者と同じくらいのね」

「……」

「初対面の先輩にウイニングショットを投げてくれなんて、頼もしいじゃない。その憎たらしいくらいの度胸が。私の死神の鎌みたいな変化球を投げる投手は私しかいないだろうけど、それが自信につながるならスイーツには喜ばしいことでしょう?」

「……練習に付き合ってあげたがため、貴女が一軍に上がれませんでした。なんて言うオチはないわよね」

「ほう」

冬狐は自信満々な笑みを浮かべる。

「日野陽子様は冷泉冬狐が一軍に上がれないと思っているの?ちょっと後輩に付き合う時間もないほどの実力だ、と?」

「まさか」

陽子も自信に満ちた笑みを浮かべる。

「……はぁ」

陽子は大きくため息をついた。

「もしかして私たちって先輩らしいこと、一度もしてこなかったのかしら?」

「そうね」

冬狐はあっさりと肯定する。

「自分のことで手一杯だった。言い訳にはなるんじゃないかしら?」

「なるでしょうね」

でも、と冬狐は一度目を閉じる。(まぶた)の裏では一人の男の姿があった。厄介者となっていた自分を『良い投手』と評価し、救ってくれた男の姿が。

そして目を開ける。

「言い訳はしたくない。戦力としても、先輩としても、チームに貢献したい」

「冬狐が言うなら仕方がないわね。でも本当に投げるの?」

「別に構わない。私の球を打つことで自信につながると言うのなら。私たちだって何かを得たいけど何をしたらいいかわからなかった。そういう時期があったでしょう?」

「確かに」

何を練習すればいいのかすらわからない。

どうすれば道が開かれるのか。

闇雲に、意味があるかすらわからない練習を、二人で続けてきたのだから。

「しょうがないわね」

言葉とは裏腹に口元は緩んでいた。

「冬狐、貴女が自分から先輩なんていうなんて。変わったわね」

「おいおい。その言い方じゃまるで私が子どもだったみたいじゃない」

「はい子ども、それもわがままだだっこレベルでした。チームメイトで私以外の人間が話かけたことなんてありましたっけ?」

「kf;m、dfgつぃあr;あrまd;ぁgkじゃそおおい:えろあrs;d:いあ(日本語で表現できないほど意味不明なことを言って悶絶しています)」

「さて」

冬狐をいじめてストレス解消したところで、と陽子は草悟に振り返る。

「じゃあ有賀君。さっそくですが、やりましょうか。冬狐はすぐに準備させますので」

「いいんですか?」

事の推移を見守っていた草悟は、半信半疑という口振りで首をかしげる。

「二言はありません」

「はい!」

草悟の満面の笑みが陽子にも伝染する。そして冬狐の言葉と草悟の笑みで気がつく。

(野球って、みんなでやるものなのよね……)

冬狐と二人三脚で道なき道を模索していたため、そんな当たり前のことをすっかり忘れていた。

その時、派手な音がして、ロッカールームの扉が開かれた。

「日野先輩!」

現れたのは康友。

周囲をぐるりと見渡して、陽子の姿を認めツカツカと近寄る。

「日野先輩!お願いがあります!」

冬狐が口元を隠す。見覚えがある展開だったからだ。

「お願いだって、せっかくだから聞いてあげたら?陽子」

楽しそうに冬狐は言った。

「何ですか、お願いって?」

笑いをこらえながら陽子は尋ねる。

 

 

ゴクリ。

 

 

康友が緊張気味に、ツバを飲み込んだのが聞こえた。

そして康友は、意を決したように頭を下げる。

「ひ、日野先輩!俺にキャッチャーの指導をしていただけないでしょうか!?」

必死の言葉だった。

ただ、予想された言葉だった。

「「ハハハハハハッ!」」

突然笑い出す二人の先輩。その反応の理由が康友には理解できない。

「とりあえず私のどこが凄いと思ったのか。それを教えてもらってもいいですかね?」

笑い泣きした際に出た涙を拭いながら陽子が尋ねた。

その時だ。

「冷泉さん!私にあのフォークを教えて下さい!!」

ロッカールームの扉を開けるなり、弥子が大声で冬狐にお願いした。

「「――――!!」」

声にもならない声で腹を抱えながら笑う二人の女性。

「どういうこと?」

話の展開がわからない弥子は固まるしかなかった。

 

要点だけを教え練習する三人を眺める冬狐と陽子。無心に練習する三人に子どもの成長を見届ける親のような気持ちになる。

「なんか、一気に老けた感じがするな」

冬狐はボソッと呟く。

「でも、悪い気はしないよね」

陽子の返答にフフッと笑みを浮かべながら。冬狐は頷いた。

冬狐は目を閉じる。

瞼の裏では自分を救ってくれた白髪の男が嬉しそうに微笑んでいた。

 




次はオープン戦に入ります。
四話に出ました一軍選手たちなどが出ます。

感想いただけると幸いです。
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