長い夏休みが明けた、2学期の初日。
1年1組の生徒達は、久々に会うクラスメイトとの会話に花を咲かせていた。
そんな中。
織斑一夏は、自分の後ろにある空席の机をじっと眺める。
「遅いな……藤堂の奴」
あの試合、辛うじて勝利を拾った一夏は、隆景と話をしようと彼が居る筈のピットへ行った。
しかしそこに隆景は居らず、部屋を訪ねようにも彼が何号室かをそもそも知らなかったことに気付く。
それから結局夏休みが明けるまで彼とは会えなかったが、今日なら大丈夫だろうとこうして教室へ来るのを待っていた。
やがて、始業のベルが鳴る。
もしかして今日は休みなのかと思った辺りで、教室前の扉から千冬が入ってきた。
「……おはよう、諸君」
そう言った千冬は、いつにも増して物を言わせぬオーラがあるような気がした。
それにいつもは真耶が朝のHRを取り仕切っている筈なのに、姿が見えない。
違和感を感じた一夏が、席を立った。
「ちふ……あ、いや、織斑先生!」
「……何だ。HR前だぞ」
不機嫌そうな声音。
思わず気圧されそうになるも、疑問が勝り少し声を張るように尋ねる。
「その、山田先生はどうしたんですか?」
「……先生は少し体調を崩して、大事を取って休んでいる。言いたいことはそれだけか? ならば早く席に――」
「も、もうひとつ! 藤堂も今日は休み、ですか?」
「…………っ」
一夏が隆景の名を出すと、途端に千冬の様子が変わった。
怒っているような、悔しがっているような。
そんな表情を一瞬見せた後。彼女は、静かに呟いた。
「……藤堂隆景という生徒は。もう、この学園には居ない」
教室が一気にざわめきで沸き立つ。
普段ならそれを諌める千冬だが、そうしようとしない。
一夏は突然のことに混乱しながらも、更に質問を重ねる。
「居ない……? なんだよそれ、どういうことだよ千冬姉!?」
思わず普段の呼び方に戻るが、出席簿は飛んでこない。
そして彼女は、心底腹立たしげな様子で。
「藤堂は、昨日学園を出た。今日の昼に、IS委員会直轄の研究施設に到着予定だ」
「なっ……!?」
それは、つまり。
「お、織斑先生……それは、藤堂君が研究材料にされるってこと、なんですか」
声を震わせた、シャルロットの言葉に。
千冬は言葉を出さず、ただ小さく頷いた。
「――――!?」
誰かが絶句する。
研究材料。その言葉が意味する所を分からない者など、このクラスには存在しない。
言ってしまえば、藤堂隆景という人間は。
人であることを否定された、モルモットとして残りの一生を過ごすことになる。
「酷い……でも、どうしていきなり……」
「急なことではなかった。藤堂隆景の身柄を引き渡すことは、1学期当初から話には出ていた」
「そんなに前から……!?」
世界にたった2人しか居ない男性IS適性者。
その秘密を知る、メカニズムを暴く。
それにはどうしても、適性者の詳細なデータが必要なのだ。
故にIS委員会は、強固な後ろ盾を持つ一夏とは異なり、一般家系出身である隆景に狙いを絞った。
そして彼の戦闘ログ、即ちセシリアとの戦いと学年別タッグトーナメントの何れでも敗退していることを強引に理由とし、『操縦者としての見込み無し』と烙印を押して研究施設の預かりにしようと画策したのだ。
「で、でも! おかしいだろそんなの!? IS学園は、外部の組織からの影響や干渉を一切受けないって、特記事項に明記してあるじゃないか!!」
「……だからお前はバカだと言っているんだ。その特記事項の最終項を教えてやる」
千冬は手に持っていた書類の中から1枚引っ張り出し、そこに書かれていることをクラス中に聞こえるよう読み上げる。
「『IS加盟国全てから採決を取り、賛成多数であった場合にのみIS学園は外部からの干渉を許容する』。これが第56項だ、忘れずに覚えておけ」
「56……? 特記事項は全部で55項だろ!?」
疑問をぶつける一夏に対し、目を閉じ腕組みしていたラウラがぼそりと言った。
「……大方、藤堂隆景を効率良く手中に収めるべく、特記事項そのものを追加したのだろう。学園のルールは神が定めたものではない、人間が決めたことだ。貼るも削るも委員会の胸先三寸ということになる」
「そんなことが許されるのかよ!! ルールを変えてまで、そうまでして人の命を――」
はた、と。一夏は気付く。
理由も分からず、ただ上からの取り決めと言うことで決定した先日の試合。
まさか、あれは。
「千冬姉、教えてくれ。まさか藤堂は、俺との試合に負けたから……!」
「……その通りだ。お前との試合に勝てば、少なくとも卒業までは安全が保障される。そういう取り決めだった。私もそれを聞かされたのは、つい今朝の話だがな」
職員会議で、全てが終わった後に話された。
もし事前に知っていたら、そのような暴挙は何としてでも止めただろう。
特に隆景を可愛がっていた真耶の有様は、酷いものだった。
錯乱した彼女は今、医務室で寝かされている。
目が覚めた後も、どうなるかは今のところ分からない。
一夏は愕然とした。
あの試合、あの戦いで負ければ、隆景に
だから楯無は、それを知って彼に「負けてくれ」と頼んだ。
それが例え、隆景自身の意に沿わない行いだったとしても。
居なくなって欲しくなかった楯無は、もし事が露見したら嫌われることも辞さない覚悟で一夏に八百長を頼んだのだ。
そして、簪。
隆景がこの学園に来て、初めて出来た友達。
彼女の家に一切関係の無い、だからこそ無償で心開けた友人を失った簪の心境は、計り知れない。
簪は、姉から事実を聞かされ今も自室で泣き腫らしていた。
彼が片時も手放さなかった、けれど部屋に置いて行った、この半年でひとつ型遅れとなった携帯電話を握り締めて。
「俺は……勝っちゃいけなかった。負けるべきだったんだ。そうすれば――」
ガンッ!!
一夏が最後まで、その言葉を言う前に。
出席簿ではない千冬自身の拳で、彼を殴った。
「自惚れるな!! 藤堂が貴様に負けてくれと一言でも頼んだか? 試合の後、奴が何かひとつでも泣き言を言ったか? 奴は己の立場さえ何も言わなかった、何もだ!! 貴様は、藤堂の誇りまで殺したいのか!?」
藤堂隆景は、安い挑発や罵倒で腹を立てるような性分ではない。
けれど、非常に内面的なプライドの高い男だった。
内心ではぼやきながらもそれを人には明かさず、可能な努力を怠ることは決して認めなかった。
己の弱さを露呈することを、何より嫌う男だった。
「……っ、ごめん、千冬姉」
「織斑先生、だ。それに、私に謝っても仕方ないだろう」
コツン、と最後に軽く出席簿で叩き、千冬は教壇に戻る。
担任として、何もしてやれなかった自分が歯痒い。
だが、例え何かしてやれたとしても、きっと藤堂は助けなど求めなかっただろう。
それもまた、歯痒かった。
「……では、全員席に着け。遅れたが、朝のHRを――」
「織斑先生!!」
突如教室の扉が乱暴に開け放たれ、教員の1人が入ってくる。
その尋常ではない様子に、千冬が問う。
「何がありました?」
「と、藤堂君が……藤堂君を施設まで護衛していた車両が、途中で何者かに襲われて――
藤堂隆景君が、攫われました!!」