「んっ――うんっ……ここは、一体……?」
目覚めると見知らぬ場所にいた。
布団の上に寝かされ、傷の手当てがなされている。
ザーザーと雨の音はまだ響いていて、雲の切れ間からは蒼い月明かりが照らす。
ここは一体どこだろうか?そもそも私は何故、意識を失っていたのか?
記憶を辿り現状を確認する。
私は聖杯戦争と呼ばれる儀式に召喚された。
それから、マスターに反逆を起こし、殺したまでは良かったのだがその隙を他のサーヴァントに狙われてしまった。
負傷しながらもなんとか逃げ出したが魔力不足で気を失ってしまったのだろう。
それがどうしてこんなところで寝ているのか…
「良かった、目が覚めたんだな、あんた」
戸を開けて少年がこちらに近づいてくる。
心配そうにこちらを見る視線からは敵意は感じられない、そういえば気を失う直前に声が聞こえた気がする。
彼が私をここまで運び手当てしたのだろう。
「どっか痛むとことかないか?病院に連れて行ったほうがいいかとも思ったんだけど……訳ありみたいだからさ」
訳あり……確かに私は普通には見えないだろう。
着ている服は現代のものではないし、血だらけになって道端で倒れているというのは明らかに怪しい。
ただし、それは一般人から見れば……の話である。
「あなたも聖杯を狙う魔術師なのかしら?」
その言葉に少年が息を呑んだ。
やはりそうか、この男は善人のフリをして私に近づき支配下に置こうと考えているのだろう。
三流魔術師が考えそうなことだ、こんなチャチな結界を張って気づかれないとでも思っているのだろうか?
さて……狙いを暴かれたこの男は私をどうしようとするだろうか、力づくで来られては魔力のない現状では抗えないかもしれない。
また他人に利用されるくらいならいっそ自ら命を……
「セイ……ハイ? 確かに俺は魔術師だが、その聖杯ってやつは知らない」
しかし、予想外なことに帰ってきたのは困惑の声だった。
魔術師ではあるが聖杯については知らないらしい。
たまたま聖杯戦争の地にやってきた無関係な魔術師だということか?
「その令呪についても心当たりがないとおっしゃるのですか?」
彼の手の甲を見やる。
わずかに赤くなった痣、それは令呪と呼ばれるものの兆しだ。
聖杯より与えられサーヴァントを縛るための3つの楔、支配の証。
未契約のため形にはなっていないが彼の手には令呪が宿っていた。
「レイジュ? いや、ホントにそのセイハイとやらのことは知らないんだ。魔術に関連したものなのか?」
語る様子からは嘘は感じられない。
令呪が何なのかすら、分かっていないようだ。
――――だとしたら私はツイている。
改めて少年を観察する。
顔は整っているわけではないが幼さが残っていて人好きするような温和な顔だ。
体つきは顔に見合わずガッシリとしている、もしかしたら鍛えているのかもしれない。
魔力はそれほど感じられないが、それは重要な問題ではないだろう。
重要なのは左手に宿った令呪の方だ。
聖杯より選ばれた者の証、これがあればサーヴァントを呼び出せる可能性がある。
そのサーヴァントを奪えばあるいは……
悪いわね、坊や。
あなたは私を純粋な善意で助けただろうに、私はあなたを利用しようとしている。
でも、この世界はいつの時代も悪人であふれているのよ?
坊やのような甘い善人は利用されて打ち捨てられるだけだ。
かつての私もそうだった、他者に利用されて捨てられるだけの人生だった。
次は私が坊やを利用してあげる。
「では……教えましょう。今、この町で起きている聖杯戦争について、そして……私のことについても……」
坊やの目を見て話し始める、目が合うと少し照れたように視線を外した。魔術師であるはずなのに随分と初心な反応だ。
フフッ、いいわ、この裏切りの魔女があなたのことを可愛がってあげる。
◇
「7人のマスターと7騎のサーヴァントが殺しあう聖杯戦争……そんなことがこの冬木の街で起こっていただなんて……」
私の説明を彼は真剣な顔で聞いていた。
魔術師を名乗っている割に、知識はほとんど無いようで全てを理解できたわけではないだろう。
だが……そちらの方が都合がいい、騙しやすくなる。
7つのクラスで召喚される英雄の魂、それを繋ぎ止めるマスターの存在、願いを汲む万能の杯。
最低限のことだけを理解していればいい、私の真名や令呪の使い方は知る必要のないことだ。
「それで、あんた……キャスターは、マスターをランサーのサーヴァントに殺されてしまったと。マスターがいなければサーヴァントは消滅しちゃうんだろ?」
正確にはマスターを殺したのはランサーではなく私だ。
しかし、そんなことを馬鹿正直に言う必要もない。
私は召喚されてすぐにマスターを殺されてしまい、このままでは消えてしまうか弱い存在。
そういうことにしたほうが同情を買いやすいだろう。
「えぇ、ですが良いのです。私はサーヴァントでありながらマスターを守れなかった。このまま消えるのが道理でしょう。そもそも私は本来、とうの昔に死んでいる存在。聖杯に願いをかけようと思うこと自体が間違いだったのです」
そう言って儚げに笑う。
心にもない嘘と薄っぺらな演技。男の好きそうなか弱い女を演じる。
「……俺がキャスターのマスターになるってのは……可能なのか?」
意を決したように坊やが問う、期待通りの反応だ。
だが、すぐに喰いついてはいけない。
「えっ……そんな……いけません。聖杯戦争はとても危険なのですよ。サーヴァントの中には破壊を好む凶暴な者もいます。関われば命の保証はないのですよ」
「だったらなおさらだ。町の人達にも危害が加わる可能性があるんだろ、それを見過ごす訳にはいかない」
思った通りだ、この坊やは万能の力を持った聖杯よりも無関係の人間の安否のほうが重要らしい。
人がイイというより、少年にありがちな英雄願望という奴だろうか。
自分が危機を冒してまで他人を守ろうとするなど理解できないが都合はいい。
適当に自尊心をくすぐってやれば私の思う通りに動いてくれるだろう。
「それと……キャスターの願いって何なのか聞いてもいいか? 一応……危ないものだったら駄目だからな」
「ええ、構いません……私の願い、それは故郷に帰ることでございます」
これは嘘というわけではない、本音と打算が入り混じった言葉だ。
真名を教えていないので私の事情は分からないだろうが色々と考えているのだろう、慮るようにこちらを見てくる。
そうだそれでいい、哀れな女を守りたくなるでしょう?
「故郷に……家族にもう一度だけ会いたいのです……」
この家には他の人間の気配が無い、坊やの家族はすでに死んでいるのかもしれない。
そう考え同情を引きそうなことを言ったのだが……
「あっ…………」
反応が妙だ、同情や憐みの目を向けてくるかと思ったがそうではなかった。
無表情、ポッカリとした空洞でも見るような眼だった。
地獄でも覗いてきたかのような絶望した者の瞳。
マズイ、なにかトラウマでも踏んでしまったか?
「……聖杯戦争については正直、分かってない所もある。でも俺はキャスターに願いを叶えて欲しい。俺にできることなら何でもやる。遠慮せずに言ってくれ」
よく分からないが決心が固まったらしい、ここまで協力的になるとは予想外だったが、まあ、利用できるのならば何でもいい。
「ありがとう、あなたはとても優しいのね。私は聖杯を求めキャスタ-のクラスで現界せしサーヴァント。故あって真名は教えられませんがマスターと定めこの杖を捧げます。――これよりあなたの運命は私と共にある、えっと……あなたの名は……」
そういえば坊やの名前を聞いていなかった。
裏切るつもりなのですぐに必要なくなるだろうが、一応聞いておこう。
「士郎、衛宮士郎だ。不甲斐ないマスターかもしれないがよろしく頼む。キャスター」
そういって差し出された手を取る。
ええ、よろしくお願いするわ、愚かなマスターさん。