時計の針はすでに11時を指している。
昨夜、事件が起こったのはこれくらいの時間帯だった。
ピリピリとした空気の中、使い魔からの報告を待つ。
「それにしても、敵の狙いは何なんだろうな」
坊やがポツリと口を開く。
昏睡させて生命力を吸うだけなら理解はできた。
だが、石にした挙句バラバラにするのに意味があるとは思えない。
「さぁ、単純に残虐な性格のサーヴァントという可能性もありますが」
英雄といっても中には暴力的な嗜好を持った者もいる。
殺すことそのものに快楽を見出しているのかもしれない。
「石化の能力を持っていて残虐な英雄か。それなら真名も推測できそうだけど……」
石化に関する逸話はあらゆる神話で見ることができるが、一瞬で石化できる者となれば数は限られてくる。
さらに人間を砕く残虐性となれば条件を満たすのは、私と同じくギリシャ神話に登場する……
いや、あり得ないか。
『アレ』は真っ当な英雄でも私のような反英雄でもなく、正真正銘の化物だ。
聖杯によほどのイレギュラーが起こっていない限り呼び出せないだろう。
仮に呼び出せたところでサーヴァントの器に押し込められていれば能力も相当に落ちているはずだ。
「! 使い魔から連絡が来たわ。場所は……商店街の近く、人通りも多いところね。もはや隠す気がないということかしら」
初めのコソコソとした犯行から一転、大胆に人を襲うようになった。残虐性ゆえか何か狙いがあるのか。
「とにかく向かおう、何が目的であれ人が襲われているかもしれないんだ」
ホントは坊やには危険な目に合わないよう家に篭っていて欲しいのだけれど。
留守中を他のサーヴァントに襲われても困るし、坊やの性格では勝手に動く可能性もある。
やはり連れて行くしかないか。
濃緑のローブを纏い『魔女』へと意識を切り替える。
セイバーも既に銀色の甲冑を纏いに『剣士』の目をしていた。
「さて、それでは戦争を始めましょうか」
◇
「ここか?」
使い魔から連絡があった場所に着く。
大通りから少し外れた小道だ、あたりに人影はない。
敵サーヴァントの気配も感じないが……
「これは……」
「えぇ、少しまずいわね」
セイバーとキャスターは顔を見合わせている。
「この先に結界が貼られているわ。それも魔力を吸収するタイプのね」
目を凝らしてよく見れば、少し先の空間が血のように赤く濁っている。
「ここは私が地脈を操作して家へと魔力を誘導する中継地点としているところね、集まった魔力を横からかっさらうつもりなのかしら?こんなことまでできるなんて……」
「ともかく、この結界の中に敵サーヴァントがいるのは確かでしょう。士郎は危険なのでここで待機していてください」
相手がここまで大規模な魔術を使えるとは予想外だった。
俺の強化魔術では物理的な攻撃しか防げない、結界の中に入ればどうなるか予測不能だ。
ここは大人しく待つしかない。
「すぐに終わるわ、いいですか、絶対に結界の中に入ってはいけませんよ」
キャスターにきつく言い含められる、2人の姿はそのまま結界の中へ消えていってしまった。
◇
「2人ともまだか……」
キャスターとセイバーが突入して既に5分ほど経った。
結界にこれといった変化はなく、戦闘しているようには見えない。
敵サーヴァントをまだ見つけられていないのか?
周囲を見渡し、改めて状況を確認する。
結界は学校並の広さを誇っている。
この辺りは住宅街ではないので人がいないのだけが幸いだ。
もし一般人がいれば魔力を吸われすぐに動けなくなるだろう。
キャスターが生み出した使い魔も魔力を吸われて行動不能になっているらしい、2人が手こずっているのはそれが原因か。
遠坂たちに応援でも呼びにいった方がいいのか、しかし下手に動くわけにもいかない。
そう思いキョロキョロとしている俺の視界にわずかに人影が見えた。
白い少女の姿。
なぜ、こんなところに?
思考する俺をよそに、そのまま結界に入ってしまう。
「あっ……おい!」
どうする、追いかたほうがいいのか、だが……
「ああっ、くそっ」
放っておくわけにはいかない、慌てて俺は結界の中に身を投じたのだった。
◇
「ぐっ……これは」
結界に入ると凄まじいまでの殺意を感じた。
バーサーカーのような威圧する殺意とは違う、もっとドス黒く陰湿な殺意だ。
そう、まるで草むらから獲物を狙う蛇のような……
体から力が抜ける。
胃袋の中に溺れ落ちたかのような錯覚、魔力が抜かれているのだろう。
「くそっ、シャンとしろ俺」
自身に喝を入れる。
確かにキツイが動けないほどではない、早く少女を見つけなければ。
壁にもたれながら、ヨロヨロと歩く。
令呪でセイバーを呼ぶか考えたが、三画しかないのだ。慎重に使うべきだろう。
「おや、ゾウケンが邪魔者を陽動する手筈だったはずですが……ここまで来る者がいるとは」
気がつくと目の前に女がいた。
いつの間に……咄嗟に距離を取り身構える。
女は紫色のボンテージを纏い、バイザーのような目隠しをつけるという奇妙な風体をしていた。
なんなんだこいつは……
「私は今、機嫌が悪い。見逃してあげるのでここから失せなさい」
温度を感じさせない声でそう呟くと女がふいっと横を向く。
目隠しで表情が読めないがその気怠げな仕草からは敵意を感じない。
「そういう訳にはいかない、あんたがこの結界を張っているんだろ。それに今までも街の人を襲った。なんでこんなことをするんだ!」
想像していたより大人しいが見逃すわけにはいかない。とりあえず事情を聞き出す。
「これまでの行いは命令によるものです、サーヴァントである私には逆らえませんから」
そういって顔を伏せる。
マスターに無理矢理やらされていたということか。
「そうだったのか、令呪で命令されてるのか?キャスターならなんとかできるかも……」
とりあえず、結界だけでも解いてもらおうと一歩踏み出したその時―――
「人間風情がっっっ!私に近づくな!」
さっきまでの感情を感じさせない声とは違う、怒りと憎悪を感じさせる声が響き、凄まじい腕力で俺の体を放り投げる。
「なっ……」
あまりの豹変ぶりに対応が遅れた。
今までの大人しい態度は俺を油断させるための演技か?
女を見ると、何かにおびえるかのようにガタガタと身を震わしていた。
「イヤ……違う。このままでは……私は……また」
その長い紫髪を振り回し、頭を掻き毟る。
なんだ?令呪の効果か?
それてしては錯乱しすぎだ、まるで何かを恐れているように……
「ガッ……ゲホッ……」
背中からモロに着地してしまったため衝撃で吐血してしまった。
だが体に支障はない、なんとか立ち上がる。
女はそんな俺をじっと見つめる。
「あぁ、ああ、血が血が血がチがチが」
恍惚とした表情を浮かべて狂ったように叫ぶ、その情欲は俺が吐いた血に注がれていた。
何か分からんが、この隙に―――
『来い、セイーーー』
令呪を掲げ、セイバーを召喚しようとするが敵の攻撃によってそれは防がれてしまう。
先端に鋭利な棘がついた鎖が俺の頭蓋を貫こうと蛇のごとき速さで迫る。
「くっ、強化――開始」
羽織っていた服を強化し、鉄と化したそれで頭をかばう。ガキッと金属が弾ける音がして、火花が飛び散る。
衝撃で少し目がくらんだが傷はない、キャスターとの特訓の成果が現れているようだ。
「ほう?今のは――」
僅かに怪訝そうな顔をした後、敵が肢体を縮こまらせる。
マズイ――
クラウチングスタートのような姿勢から長い体をバネのように弾ませ、弾丸のごときスピードで突っ込んでくる。
今と同じように服を強化した程度では防げない。
もっとだ、もっと、もっと硬度がいる。
刹那の間に神経を集中させる。細胞の僅かな隙間を体の隅々まで、より強く、より硬く。
硬く、硬く、硬く、硬く、鉄のごとく硬く――
敵の突進によって体が宙を舞う。
なんとか着地するが――
「アッ……アアッ」
息が、呼吸ができない。
それも敵の攻撃によるものでは無い。
これは――
「アッ……ウウッ?」
視線を少し下にずらすと、鉛色の物体が目に飛び込んできた。
その非現実的な光景に脳が受け入れるのを拒否する、俺の胸が剣へと変化していた。
「ハ?……ナン、ダ……コ、レ」
指で触ると無機質な冷たさが伝わってくる。
細胞は境界を失い、肺は『呼吸する』という機能を失って、ただ鉄の塊として存在している。
体は剣でできている。
俺は自らの体を一本の剣へと強化し、変化させてしまった。
「?妙な魔術をつかうかと思えば……なにをしているのだ?」
女が困惑の声を浮かべる。
敵が勝手に体を鉄へと変化させ、呼吸できずにのたうち回っているのだから当然か。
「くっ――モドレモドレモドレ」
変化を免れた腕で鉄と化した胸をかきむしり必死に念じる。
魔力は抜けているはずなのに強化が解除されない。
「何がしたいのか分からんが、物理的な破壊は面倒のようだ、ならば――我が魔眼に囚われるがいい」
敵がずっと付けていたバイザーを取り、その下から黄金の瞳が俺を睨む。
俺はその瞳と目をあわせてしまった。
「アッ……」
鉄になっておらず生身だった部分の感覚も消え失せる。
自ら鉄になったのとは違う、生を奪われ自由を剥奪されている。
もはやモガクことすら叶わない、鉄と石のオブジェとなり果ててゴトンと地面に転がる。
「キャ……ス、ター」
意識が遠のき、視界が闇に染まっていく。
そんな中で――
「―――I am the bone of my sword」
誰かの声が聞こえた気がした。