「ごめんなさい」
家に帰るなりキャスターが謝ってきた。
「私の独断で、契約を破棄し、シロウの記憶を奪い、セイバーを死なせてしまった。謝って許されることは無いけれど、でも……ごめんなさい」
深々と頭を下げるキャスター、そこには深い後悔の色が見て取れた。
「とりあえず、何で俺との契約を突然に断ったんだ?」
あの状況でマスターを失うのは痛手のはずだが……、もしかして俺に愛想をつかしてしまったのか。
「それは……シロウに聖杯戦争に関わってほしくなかったからよ、シロウの性格では絶対に生き残れないと思ったから」
俺を心配してくれていたということか。
「でも、俺は危険を承知で聖杯戦争に参加したんだ。キャスターが気にすることじゃない」
そもそも俺から参加させてほしいといったのだ。
そう告げるとキャスターは罰を悪そうな顔する。
「違うわ……、シロウが参加したくなるように私が言い含めたのよ、あなたの令呪を奪うために」
そういって奇妙な形の短剣を差し出す。
あの夜、俺を刺したものだ。
「この短剣こそが私の本当の宝具である『破壊すべき全ての符』……私という存在が宝具へと昇華されたものです」
「キャスターの宝具、存在の昇華……」
「そう、私の真名はメディア、裏切りの魔女と呼ばれた女です」
『裏切りの魔女メディア』
その逸話は知っていた。それはギリシャ神話でもとくに有名な物語だ。
王になろうとした男が、女の恋と裏切りによって破滅を迎える物語。
「私は自分の弟を、民を、子供さえも殺したような女よ。そしてあなたのことも裏切ろうと考えていた、そんな浅ましい女なのよ私は」
そう言って生前の悪行と、召喚されてからの自信の思惑を語る。
本当は前マスターを自分が殺したという事、俺のことも利用しようと考えていたことを。
確かに、いま話したことがすべて真実なのだとしたら、それは裏切りの魔女と呼ばれても仕方のない存在だろう。でも――
「でも、キャスターは俺のことを裏切った訳じゃないだろう」
確かに結果としては一時的にセイバーと令呪を手に入れた。
しかし、それは裏切りからの行為じゃないという事くらいは俺にだって分かる。
「ええ、でもそれだって利己的な考え方からくるものよ。私はあなたにかつての自分の姿を重ねていたの。家族に囲まれて純真に暮らしていたころの自分の姿を、そしてソレが穢れ堕ちる姿を見るのが嫌で溜まらなかった。だからシロウをこの戦争から、理不尽な運命から遠ざけたの」
かつてキャスターは、神々に歪められた理不尽な運命によってすべてを失った。そこに大火災ですべてを失った俺の姿を重ねたのだろう。
穢れ堕ちる姿というのが何のことを指しているのかは分からないが、俺を見て一種の自己嫌悪に陥ったのかもしれない。
だからこそ、そうならないように俺を日常に帰したとうことか。
「……キャスターは自分のことを卑下して、俺のことは純真だと言ってくれたけどさ。俺だって褒められたようなもんじゃない」
裏切りというなら俺だって同じだ。
かつての大火災で俺は、数多の人間の声に耳をふさいで逃げ去った。
そして、正義の味方なんて耳障りのいい言葉でそれに蓋をしようとしている。
ある意味ではキャスターよりもよっぽど酷い裏切りだ。
「結局、俺たちは似た者同士なのかも」
サーヴァントはマスターに似た性質をする。
俺が召喚したわけではないが、キャスターを俺が助けたことは必然だったのかもしれない。
理不尽な運命ですべてを失い、摩耗した者同士ひかれあったのかもしれない。
「考えようによってはキャスターの願いなんかよりも、俺の願いのほうがよっぽど利己的だし」
すべてを失った俺には『正義の味方』という理想しか残されていなかった。
だから、この聖杯戦争に参加した本当の理由は、一般人の安全のためでも、キャスターの願いのためでもない。
倒すべき『悪』を求めてのことなのだろう。
「キャスターが俺を利用していたとしてもそれは構わない。そもそも俺だってキャスターのことを利用していたんだ」
衛宮士郎は『正義の味方』を名乗ることで、血濡れた過去から逃げ出そうとした。
醜悪だった頃のことを忘れればツライ思いをしなくて済むから。
メディアは『裏切りの魔女』を名乗ることで、純真だった過去を忘れようとした。
綺麗だった頃のことを忘れればツライ思いをしなくて済むから。
それは一種の逃避だったのかもしれない、それでも逃げ続けたからこそ俺たちは出会うことができた。
「キャスター。もう一度、俺のサーヴァントになってくれないか?」
差し出された左手を見て、キャスターが僅かに目を見開く。
それは驚愕からか、喜びからか、侮蔑からか、恐怖からか。
だが、最後は顔を上げると同じように左手を差し出した。
「……私は、聖杯を求めキャスターのクラスで現界せしサーヴァント、その真名はメディア、衛宮士郎をマスターと定めこの杖を捧げます。――これよりあなたの運命は私と共にある」
キャスターと出会った雨の日を思い返す、蒼い月に照らされた彼女の姿。
「じゃあ、改めてよろしく頼む。キャスター」
互いの手を重ね合わせる。手の甲に浮かび上がった二画の令呪を見る。
いつかの夜と同じような契約の儀式、だがあの時とは違う正式な契り。
キャスターの海のように蒼い瞳がこちらをジッと見つめる。
「ええ、よろしくお願いしますシロウ」
キャスターが微笑む、その笑顔もあの時の夜とは違う柔らかい印象を受けた。
だが、急に顔を強張らせると令呪に視線を向ける。
「あぁ、大丈夫だよ。キャスターに令呪を使ったりしないから」
「いえ……むしろその逆です。その令呪で私に『裏切るな』と命令してほしいの」
その言葉に今度は俺が顔を強張らせる。
「なんで……」
「私はやっぱり信用できないのよ。他人が、世界が、そしてなにより自分自身が」
キャスターはかつて、神々の呪いによって恋心を植え付けられた。
だからこそ人がどれだけ弱いか、心がどれだけ脆いかを知っている。
「もちろん、今はシロウの事を裏切ろうと考えているわけではないし、マスターとして認めているわ。でも、明日になればどうなっているか分からない。だから令呪で私を縛ってほしいの」
キャスターが本当に恐れているのは裏切られることではなく裏切ることだ。
かつて自身の弟を手にかけてしまったように、本当に大事なものを壊すことを何よりも怯えている。
だから『破壊すべき全ての符』で無効化できるとしても、令呪という分かり易い形で縛ってほしいのだろう。
「……分かった。令呪を使うぞ」
左手を掲げる。
俺が今からやろうとしてるのは最低な行為だ。
令呪で言うことを聞かせるなんて、かつての神々がやったことと変わらない。
『令呪をもって命ずる――』
それでも、これは俺の願いでもあるから。
『キャスター、この聖杯戦争が終わるまで俺と共にいてくれ』
令呪が眩く光り、一画消費される。
「え、今のは……」
予想とは違う文言にキャスターは戸惑っているようだ。
「あのな、キャスターが俺を裏切りたくないと思っているのと同じくらい、俺だってキャスターのことを裏切りたくないと思ってるんだ」
僅かな時間とは言え、俺はキャスターのことも聖杯戦争のことも忘れて平穏な日常を送っていた。
それがどれだけショックだったかはキャスターには分からないだろう。
「だから……キャスターと一緒にいるっていう今の令呪は俺自身の願いであり、誓いでもあるんだ」
もう二度とキャスターのことを忘れはせぬように。
もう二度とキャスターのことを悲しませぬように。
「キャスターは俺と一緒にいてくれるって約束してくれるか?」
「……はい、約束するわ。何があっても、もうシロウのことを裏切らない、シロウのもとから離れないと」
薄暗い部屋で指を結ぶ、雨上がりの月が俺たちのことを照らしていた。