――気が付けば目の前が炎に包まれていた。
人だったものが燃えさかり、肌は炭化してボロボロと崩れ、狂ったようにその手を伸ばしている。
発声機能を失った喉から怨嗟とも懇願ともとれる呻き声が響く。
なぜこんなことになったのか、それは分からない。
自らが育った町が燃えていくのをぼんやりと見ていた。
そして、その光景を見ていることが耐えられなくなったのだろう、少年は耳を塞いでどこかへと逃げ去った。
だが、どこにも安息できるような場所は無かった。
帰るべき家はすでにない、進むべき道は燃え盛る炎によって遮られている。
それでも、ひたすらに逃げる。
失ったもののためにも死ぬわけにはいかなかった。
体が動けなくなってもそれは同じだ。
なんとか生き延びようと必死にもがいた。
冷たい雨が頬を伝う、息を吐いて空を見上げると、嘲笑うように黒い太陽が浮かんでいた。
そうして意識もかすれ始めた時
「」
男の声を聞いたのだった。
◇
「―――最悪の寝覚めね」
不快感を胸に残しつつも、目を開ける。
サーヴァントとマスターは夢という形で互いの過去を見ることがあるという。
正式な契約でパスがつながったせいか。
今の夢はシロウの過去だろう、10年前、大火災によって全てを失い逃げだした時の。
「……正義の味方か」
彼は衛宮切嗣に助けられて、ソレを目指したという。
だが、今の夢で分かった。
それは名誉や正義感なんてポディシブな感情ではない、それしかないと縋るような、絶望的な強迫観念からくるものだ。
そして、最後に見えた『黒い太陽』。
アレへの憎悪……いや、復讐も兼ねているのだろう。
彼が聖杯戦争に参加したのは無意識にアレの正体を感じ取っていたかもしれない。
そうして『この世全ての悪』への復讐、『全ての人を救う』という理想の末路が、あの赤い弓兵だということか。
「……やりきれない話ね」
アーチャーの姿を思い返す。
鍛え抜かれた体とは反比例するように、その目は淀みきっていた。あれは私と同類だ、心がすり減り世界に絶望した者の目。
ライダーとの戦いでアーチャーが見せた『宝具』
無限の剣がそびえたつ灰色の世界。
あれこそが衛宮士郎が目指した正義の味方、その終局の一つなのだろう。
だが、それはあくまでも可能性の一つに過ぎない。
そう考え、アーチャーと同じ末路を辿らぬように契約を断って記憶まで消した。戦いと無縁な日常を送れるように。
だというのにシロウは結局、私のもとに戻ってきてしまった。
それが嬉しくもあり悲しくもある。
結局、私では彼の運命を変えることができなかった。
このままでは、これからも彼は戦い続けるだろう。
たとえその身が滅びたとしても。
「……やはり、あのことを話すしかないかしら」
私ではシロウの運命を、『正義の味方』になるという理想を変えられなかった。
だが、他の人物なら可能性はある。そう、彼の『家族』ならば――
◇
「10年前のこと?前にも軽く話したけど、あの時のことはよく覚えてないんだ。とにかく熱くて、ひたすらに走って、動けなくなったところを切嗣に助けられたから」
朝になると、キャスターが大火災のことを聞いてきた。
前に話したときは、聖杯が暴走か何かしたのだろうとあまり興味を示していなかった。今更になって聞いてくるとはどうしたのだろうか?
「本当に何も覚えてないのかしら?よく思い出して、シロウはあそこで何かを見たはずよ」
「何かって言われても、あの時は火で視界は悪かったし、周りのことなんて気にしてる余裕はなかったからなぁ。倒れ込んだ後も、雨が降りそうだなぁってぼんやりと空を見て――」
ズキリと頭が痛む。
そうして空を見上げた後、俺は何かを見たはずだ。
「いや――でも、あれは……煙で曇って見えたか、夢と混同してるだけ――」
何故か体が震えた。
俺はあの時、空に浮かぶ黒い太陽を見たのだった。
「いいえ、それは現実よ。もっともアレは太陽ではなくこの世を呪う悪意の塊だけれど」
悪意の塊?聖杯の暴走でああなったんじゃないのか?
「今から話すのは前マスターの資料、あなたの過去、私の魔術知識からの推測だけど……たぶん真実に近いと思うわ。この聖杯戦争の、あなたから全てを奪った運命の真実に」
そういってキャスターが静かな口調で語り始めた。
第三次聖杯戦争で『アヴェンジャー』というクラスでアンリマユという悪神が召喚されたこと。
それが原因で聖杯は汚染され、殺戮という形で願いを叶えるようになったということ。
第四次聖杯戦争においてアインツベルンが衛宮切嗣を『魔術師殺し』として婿に迎え入れたこと。
そして衛宮切嗣が、汚染された聖杯に願いをくべたのだろうという事を。
「そんな……そんなことって、あるのかよ」
あまりにも数奇で残酷な話だ。
長い時間の中で偶然が幾重にも重なった結果があの大火災だというのか。
「……気になることが幾つかあるんだけど、そもそも聖杯の汚染なんて可能なのか?」
悪神とはいえ、サーヴァントとして呼ばれた以上そこまでの能力は無いはずだ。それがなぜ聖杯を歪めるほどの力を持っているのか。
「聖杯を直に見ないと確かなことは言えないけれど……恐らく、アンリマユは本物の神ではなく人の願いによって生み出された存在なのでしょう。それが願望器である聖杯と共鳴してしまった」
聖杯は、そしてその中身となるサーヴァントの魂は本来は無色なものである。
だがアンリマユは人の願いから生まれ、その願いそのものに色がついていたために、聖杯までも黒く染めてしまった。
「根本的な原理はシロウの強化魔術と一緒よ。あなたが『剣』という概念で物質を強化するように、アンリマユは『悪』という概念で聖杯を汚染したのよ」
もっとも仮に俺が聖杯を強化したところで『剣』という概念に染まるわけでなく、人の願いによって誕生した純粋な存在だからこそだろうけれど、とキャスターが補足する。
「破壊という形でしか願いを叶えられない汚染された聖杯……それって今のまま戦争を続けてたらマズイんじゃないか。誰が勝ったとしても10年前みたいなことになるんだろ」
「ええ、と言っても私ならば聖杯を無色に戻すことも可能ですけど」
そういってキャスターが宝具を取り出す。
対象を初期化できるこの宝具なら、聖杯も正常化できるのか。
「正常化するまでは他の陣営には停戦を申し入れて、聖杯が完成しないようにしないとな、といっても聞き入れてくれるか分からないけど」
アーチャー陣営はともかく、人を襲っているライダー陣営は聞き入れてくれるだろうか。
未だに姿を見せていない7人目のサーヴァントだっている。
「……イリヤはどうだろうな」
白い少女の姿を思い返す。
「もしかしてイリヤは切嗣の娘なのか?」
10年前、切嗣はアイリスフィール・フォン・アインツベルンという女性と結婚していたらしい。
「その可能性は高いでしょうね、詳しいことは本人に聞いてみないと分からないけれど」
その後もしばらく話し合い、聖杯を無色に戻すために他陣営へ停戦の申し入れをしにいくこととなった。
今日の夜に遠坂の、明日の朝にイリヤのもとへ向かうつもりだ。
そして、その時にイリヤに切嗣のことを知っているのかを聞く。
「仮に、バーサーカーのマスターが衛宮切嗣の娘だとしたら、シロウはどうするのですか?」
キャスターが問いかけてくる。
イリヤが切嗣の娘だとしたら俺の義理の家族という事になる。
家族―――か、もう俺には関係のない言葉だと思っていた。
あの大火災で失い、5年前に切嗣も死んでしまった。
だが、こうして家族と呼べるかもしれない存在がまた現れた。奇妙な感覚だ。
「私は自分の弟をその手にかけました、だからこそ忠告します。貴方は自分の本当の願いを見失わないで。後悔だけはしないように」
願い、夢、理想。
昨日までの俺にとって、ソレは『正義の味方』になることだった。
だが、もしイリヤが俺の家族なのだとしたら――