――気がつけば目の前が炎に包まれていた。
人だったものが燃えてさかり、肌は炭化しボロボロと崩れ、狂ったように手を伸ばしている。
発生機能を失った喉からは怨嗟とも懇願ともとれる呻き声が響く。
なぜこんなことになったのか、それは分からない。
自らを裏切った男、その花嫁が燃えていくのをぼんやりと見ていた。
そして、その光景を見ていることが耐えられなくなったのだろう、女は目を瞑むって、どこかへと逃げ去った。
だが、どこに逃げても安息できるような場所はなかった。
帰るべき家はすでにない、進むべき道は人々の憎悪によって遮られている。
それでも、ひたすらに逃げる。
失ったもののためにも死ぬわけにはいかなかった。
一度、死んでしまってもそれは同じだ。
なんとか生き延びようと必死にもがいた。
冷たい雨が頬を伝う。息を吐いて空を見上げると、嘲笑うように蒼い月が浮かんでいた。
そうして意識もかすれ始めた時
「」
少年の声を聞いたのだった。
◇
「―――最悪の寝覚めだな」
ソファーから身を起こす、今はギルガメッシュから逃れてアインツベルン城にいるのだ、元の歴史通りなら今日中にギルガメッシュと再戦することになるだろう。
だが、今はそれよりも先ほど見た悪夢が気になっていた。
この悪夢はリリィの記憶だろう。
生前の魔女としての悪行、そして俺がキャスターと出会った最初の夜の記憶。
「……裏切りの魔女か」
過去のことは詮索されたくないだろうと思ってキャスターにもリリィにも深い話は聞かなかった。だが、今は無性に彼女のことが知りたいと思っていた。
思えば、俺は彼女のことを詳しく知らない。
彼女は何を見て育ってきたのだろう、そしてこの時代を見て何を思っているのだろうか。
ギルガメッシュとの再戦、イリヤたちがやられて歴史に齟齬が発生するという最悪の展開を防ぐために俺一人だけで戦うつもりだ。
しかし奴に勝てるイメージが全く思い浮かばない、話の通じるイリヤやランサーの時とは違い本気の殺し合いとなるだろう。
昨夜見た、無数の宝具とアーチャーの最期が脳裏に走る。
―――俺は今日、死ぬかもしれない。
もちろん今の俺はサーヴァントであり、死んでも元の世界に帰るだけなのだろう。
だが、そうなれば俺の宝具扱いのリリィとは会えなくなる。
そう思うと余計に彼女のことを知りたいと思ってしまうのだ。
海のような蒼い瞳を持った少女のことを。
◇
「私の故郷のこと……ですか?」
朝になると唐突にシロウさまが問いかけてきた。もしかしたら私の過去を夢で見たのかもしれない。『魔女メディア』の醜い記憶をシロウさまが見たと思うと胸が痛んだ。
「そうですね……私の故郷はコルキスという国なのですがとてもいい国でしたよ。自然が豊かで牧畜や農業も盛んで、街はいつも賑やかで国民は優しい人たちばかりでしたから」
楽しかった頃の記憶を思い出しながら語っていると思わず笑みがこぼれてしまう、私にはそんなことは許されないというのに。
「リリィはコルキスの王女だったんだよな」
「はい、といっても政治には関わらず巫女の真似事なんかをしていましたけどね。キャスターとして召喚されたのもその辺りが理由でしょう」
私に魔術を師事してくれた女神や姉弟子のことを思い返す。彼女たちに教えられた魔術を悪用したことは本当に申し訳ないと思っている。
「……嫌なことを聞くかもしれないが……リリィの家族はどんな人だったんだ?」
短く息を吐いてから語り始める。
「そうですね……父は良王であったと思います、いつも国民のことを考えていましたから。心配性すぎて私と弟がヤンチャすると怪我するんじゃって、オロオロしたりもしていましたけれど」
父の大きな手を思い出す、あの手で撫でられるのが好きだった。だから褒めてもらおうと思って魔術の勉強もいっぱいしたのだ。
「母はのんびり屋でしたね、神の血を引いている影響かもしれませんけど。とっても綺麗な人で、私と弟の髪色や耳は母から受け継いだものなんですよ。」
髪を伸ばしていたのは魔術的なことだけではなく、母とおそろいの青い髪が気に入っていたからだ。
「弟は……少し……シロウさまに似ていますね」
もちろん容姿が似ているわけではない、シロウさまは赤毛だし結構な筋肉質だ。
そもそも弟は子供の時に死んだのだ、シロウさまとは年齢が離れすぎている。
ただ……その瞳はよく似ていた。
英雄譚に輝く瞳、バツが悪い時の子犬のような瞳、剣を持った戦士の瞳、そして……私のことを見るまっすぐな瞳。
「キャスターとしての私がシロウさまと出会ったとき……実は、怖かったんです。シロウさまのことが」
「明らかに怪しい私のことを疑いもせずに見てくれて、故郷に帰るという私の願いも聞いてくれて……その無条件の信頼が、向けられる瞳が怖かったんです」
「かつて無垢だった時のことを思い出すようで、私が殺した弟を思い出すようで」
おかしい、言葉が止まらない。シロウさまにここまで話すつもりはないというのに、誰かに聞いてほしいと思っている私がいる。
「最初にシロウさまのことを裏切ろうとしていたのも、無理をして『裏切りの魔女』を演じていたのだと思います」
絆が築かれる前に裏切ってしまえば感じる痛みも少なくてすむ、裏切った時の痛みも裏切られた時の痛みも。
「私は……私はっ、決して許されないことをしました。私は自分の弟を殺したんです。あんなにも私のことを慕ってくれた弟を……」
脳裏に血にまみれた短剣がよぎる。
弟を八つ裂きにしたとき、私は彼の方をチラリとも見なかった、最後の言葉なんて覚えてはいない。あの時の私にとってはどうでもいいことだったからだ。
「何故……私はあんなことを……私は故郷で家族と暮らす。それだけで幸せだったのに……」
箱庭の中の小さな幸せ。
それだけでよかったのに、海のむこうの世界なんて知らなくてよかったのに……
後悔に身を震わす、気が付けば目からは涙がこぼれていた。
「……リリィは今でも、故郷に帰りたいと思っているのか?」
その言葉を首を振って否定する、もう私に家族と会う資格なんてないだろう。
聖杯に掛ける願いがあれば一つだけだ。
「どうか……誰も傷つけぬ傷つけられる世界でありますように、私は強く、そう願います」
空を見ればシロウさまと出会った夜と同じように蒼い月が静かに輝いていた。
◇
「誰も傷つけぬ傷つけられぬ世界……か」
蒼い月を見上げながら先ほどのリリィの願いを反芻する。
当のリリィは泣きつかれて眠ってしまった。
彼女の中で溜まっていた罪悪感や後ろめたさが爆発した結果だろう。
「考えてみれば……当然だよな」
リリィは幼いころの姫としての感性を保ちながら『裏切りの魔女』としての記憶を持って召喚されている。
キャスターの時ですら自虐的な面があったのだからリリィにそのギャップが耐えられるはずがない。
そう考えると、リリィを泣かせてしまったとはいえ今回のことを聞いたのは正解だったのかもしれない、こういう機会でもなければ彼女は自分から弱音を吐露しようとはしないだろう。
彼女は神々の呪いで恋をさせられ、弟を殺され、国を追われ、『裏切りの魔女』とよばれるようになった。彼女から全てを奪った『理不尽な運命』を思うと無性に腹が立ってくる。
「…………」
俺のステータスを改めて見る。そこに載せられたのはクラス・アヴェンジャーの文字。
俺が『復讐者』のクラスで召喚されたのはゴルゴーンにリベンジをするためだと思っていた。
だが―――
かつて見た黒い太陽を思い出す。
俺から全てを奪った冬木の大火災、その『理不尽な運命』を。
俺の復讐すべき相手は―――――