緋月昇は勇者では無い。
それはどうすることもできない不変のもの。
たとえ勇者と渡り合うことができようと、勇者を殺せる武器を持とうと、だからといって『勇者』に勝つことはできない。
それは肉体的な面だけでなく、精神的な面でもそうであるといえる。
勇者でも記録者でも、ましてや大赦の人間でもないただの一般人に彼の経験した仲間の裏切り、自身の右腕の損失、大切な人の身体機能の損失、友人を立ち直らせるための焚き付けなどを経験させればどうなるか。
答えは明白であろう。壊れる。
そう、壊れるのだ。
その点彼は一般人の精神に近い。
現に、今緋月昇は壊れる寸前である。
「......」
仰向けで根に覆われて空を見ることができない樹海の深部に夏凜とともに彼はいる。
この根の上のそのまた上で友奈と東郷が世界の命運をかけた夫婦喧嘩をやっているが、犬神も犬吠埼姉妹も食わなそうなそんなものの記録などはとる必要もないし、取るような気力も全く起きやしない。
失ったものが多すぎる。大きすぎる。
『緋月昇』を構成するものの半分以上が無くなったといっても過言ではなかろう。
だがしかし、世界は彼に沈黙を許さなかった。
「っ...くっ...」
少し離れたところで呻き声が聞こえる。それを聞き逃さないのは記録者の聴力...と言いたいところだが彼は別のところでこの声を聞いた。この状況、彼の周りにいるのは1人だけしかいない。
「かりん...?夏凜...!?」
その声の主の方を向くと、左腕と左脚を支えに無理矢理立ち上がろうとしている夏凜がいた。
「何やってる...なんで...なんでまた...!」
急いで向かって背中を支える。夏凜もまた、この状況で自分のそばに来るのは昇だけと理解しているのだろう。すぐさま会話ができる。耳は聞こえていないはずなのに。
「友奈を...みんなを助けにいくのよ。」
「...なんで...そんな身体で...死ぬことは無いって言ったって...そんなの......もうやめろ!もう戦わないでくれ!夏凜がこんな傷ついていくのを...俺は...俺はもう見たくないんだよ!もう...やめてくれよ!」
夏凜を抱きしめる。離すまいと、もう二度と失うまいと、もう二度と失わせまいと。
されど夏凜は戦う意思を収めず。
「優しいわね、昇...」
「そんなもんじゃない...優しくなれるほどの余裕はねぇよ...」
だとしても、夏凜には優しくありたかった。
「でもね、昇...あんたは私1人と世界、どっちを取るのよ...どっちもは取れないわよ...」
「っざけんな...!確かにどっちもは取れない...だから...俺は選ばない...」
「俺は...逃げてやる...そんな選択から、俺は逃げてやる!そして逃げた先で新しい何かを見つけてやる...今どうにかできなくても...」
「俺に何も出来なくとも...!」
支離滅裂だ。全くもって支離滅裂だ。
「昇...いい加減にしなさい...」
「...っ!」
「わかってくれよ夏凜...!」
「昇。逃げても、現状は変わらないわよ。」
見えすぎているが故に盲目な昇と見えないが故に全てが見えている夏凜。果たしてどちらが正しいか。それは昇本人が一番わかっていた。
「...くそっ...だったらもう、止められねぇのかよ...ちくしょう..!」
抱きしめる腕の力が弱まる。
「大丈夫よ昇。行ってくるわ。」
変身して夏凜が跳ぶ。また、昇は見ているだけだ。それが仕事なのだ。
「肩代わりなんて出来るわけねぇよ...」
それが樹海の中での昇の最後の言葉だった。
───────
夕焼けが映える大橋近くの祠に戻る。
世間の人にとっては一瞬の出来事だ。
前に見た夕焼けが遠い昔のように感じる。
何時間戦っていたのか。
結局戦いの最後はどうなったのか。
職務怠慢が頭をもたげてはいる。
満身創痍の勇者部がいる。
程なくして俺以外が皆病院に連れて行かれた。
俺だけ一人、かかってきた電話の相手をしなければならなかったのだ。
「もしもし...」
「ようやく繋がったんよ〜おかえり、のぼるん。」
その声は、心から安心を促させる声だった。同時に、帰ってきたという実感がわいてきた。
「...ただいま、園子...」
この瞬間だけは、大赦の立場すら忘れていた。ただ、生きているという実感が、ただただ俺を安堵させていた。
「病院に行かなきゃだから切る...また後でな...」
そう言って、『おかえり』と『ただいま』だけの会話は終わった。
後に俺は、これがいかに大事なものかを身に染みて理解することになるが、それはまた今度。
今は、帰れたことを喜ばせてくれ。
次回、第32話「必要な犠牲だなんて」
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