「前衛はできるだけ固まって死角をカバーしてください!第二杖列、構え、発射!」
薄暗いクロケの森の中層部、いつもなら魔獣の数もまばらで比較的平穏なそこには現在、騒音を立てて迫りくる大量の魔獣に呑み込まれないよう陣形を組んで迎え撃つ上級生たちと、必死に指揮を執るステファニア・セラーティの姿があった。
事の始まりは上級生たちが森へ入ってしばらく経った頃のことだった。彼らはどの班も一様にとある異変と出くわしていた。魔獣と一切遭遇しないのだ。比較的浅いとはいえ魔獣の住むクロケの森だ、これだけ進んで魔獣と会わないどころか、生き物の気配一つしないことに違和感を感じた彼らは情報を求めて他班と合流することにした。しかしどの班も魔獣を見ていないとそろって首を横に振るのだ。
しかし上級生たちがほぼ全員集合したころ、森の奥からぽつぽつと小型の魔獣が現れ始めた。ならばと意気揚々と武器に手をかけた生徒たちの顔が歓喜から困惑へと変わり、ついには焦りを含んだものになり、慌てて周囲と連携を取り始めた。
なぜならば、その数があまりにも異常だったのだ。先頭は一匹二匹だった魔獣があっという間に十二十という数に達し、まるで雪崩のように自分たちをすりつぶそうと進んでくる光景というのは、フレメヴィーラに住む彼らも見たことがないものだった。
幸運だったのは合流した後であったために陣形を組めるだけの数があったことと、その数を活かすことができるステファニアという指揮官がその場にいたことだろう。
生徒たちは大盾を構えた前衛、剣ですり抜けた敵の遊撃を行う中衛、魔法で敵を殲滅する後衛と役割を分担しそれぞれがステファニアの的確な指示によって迎撃することで、生徒たちは森の奥から激流のように迫りくる魔獣達に抵抗することができている。その戦法は現在の限られた戦力でとることができる最善と言え、安全性を考えればこれ以上を望むべくもないものだ。
しかし、ステファニアの胸に巣くう焦燥は、時がたつにつれ悪化していく。
(下級生のところに魔獣を抜かせてしまっている……!それにそろそろ中型の魔獣が現れてもおかしくない!)
正面から陣形に衝突する魔獣の群れは、そのほとんどを処理することができている。しかし魔獣たちは普段とは違って、なぜか自分たちを無視して進んで行く者が多いのだ。陣形の横をすり抜けた魔獣はかなりの数に及ぶ。それらが向かうのは、森の浅い部分で探索を行っている一年生たちがいる方向だ。とはいえ、自分たちの身を守るのが精いっぱいな現状では一年生を心配している余裕もない。
それに一年生には彼らがいる、とふと脳裏に浮かんだ二組の双子たちの姿を思い浮かべる。彼らならきっと事態に対処してくれるはずだ。
安心できる要素もある。だからステファニアの最大の懸念はそのことではなかった。
―このまま出てくるのが足の速い小型の魔獣だけならば、おそらく幻晶騎士の援護が来るまで踏ん張れる。けれど、予測通りならば足の遅い中型の魔獣は―。
そんなステファニアの想像は、悪い方向へと思いのほか早く現実になった。
トカゲやキツネといった小型の魔獣の群れの中に、ずっしりとした存在感を持つものが混ざり始める。
「やばいぞ!
生徒の叫び声にステファニアは奥歯を噛みしめた。かの魔獣は節くれだった角が特徴的な、体長三メートルを超える中型の魔獣だ。そんな魔獣が前衛の生徒たちに接近することを許せば、彼らはその巨体による剛力で薙ぎ払われ、戦線が崩壊してしまう。散開して囲んで叩くことができればいいのだが、魔獣の群れと対峙する現状では各個撃破のいい的になる。
「第一杖列、猿の足を潰して!近寄られたら終わりです!」
取れる戦法は足止めによる延命のみ。生徒たちの精神を削る魔獣の行進に終わりは見えない。
一方、森の比較的浅い部分でも魔獣と生徒達との戦闘はすでに発生していた。契機となったのは、最も森の奥にいた生徒が蜥蜴の魔獣にかまれたことだ。彼らは単体では人を殺すほどの力を持たないが、集団で襲われればそういうわけにもいかない。
教師たちがすぐに対処に向かいその生徒は事なきを得たが、続く魔獣の群れに教師たちが戦闘にかかりっきりになってしまうようになった。それでも魔獣たちの勢いは止まらない。すぐに生徒たちも魔獣の脅威にさらされることとなる。
結果、経験の浅い一年生は集団パニックを起こしてしまった。周囲の状況も確認せずにやたらめったらに魔法を撃ち放つ者や、悲鳴を上げて散り散りに逃げ出そうとする者もいる。装備も訓練も足りていない彼らがこの状況に対応することは困難であったのだ。
けれどその中にも冷静であった者達がいた。
「
「……
混乱の只中にある一年生の頭上を越えて、二つの銀色の影が躍り出た。銃杖と扇杖をそれぞれに構えたエルネスティとセラフィーナである。その姿は鮮烈に生徒たちの目に焼き付き、注意を奪う。
エルネスティが散弾銃のように拡散して放った圧縮大気の法弾は、轟音とともに今にも生徒を呑み込もうとしていた魔獣の群れを押しつぶし、地面を盛大に耕した。それでも魔獣すべてを倒せたわけではなく、その後ろからは間を置かずに次々と魔獣が湧き出してくる。
しかし数秒の後に彼らはすさまじい爆音と、一面を包んだ閃光ともに塵と化した。セラフィーナが横にずらりと配置した圧縮大気に爆発の魔法を封じ込め、一斉に起爆した結果である。
エルは勢いを殺すことなく、特に生徒の混乱がひどかった右翼の魔獣へと切り込んでいった。その後方からセラは法弾で中央の生徒達への援護を行いながら、エルの機動に邪魔な魔獣を優先的に刈り取っていく。生徒たちが体勢を立て直した時には、実質二人だけで右翼一帯の魔獣を抑え込んでしまっていた。
そんな二人の姿をもう一組の双子は黙ってみていたわけではない。
「行くぜ!
「援護するわ!
キッドもまた一気に数を減らした左翼の魔獣たちにアディの援護を受けて切りかかっていく。
双子たちの活躍によって少しの余裕ができた教師たちは、一年生の統率を取り戻すために即座に動いていた。幸いというべきか、目の前で繰り広げられる衝撃的な光景に混乱から立ち直っていた生徒が多かったために、彼らはいくらかぎこちないながらも魔獣の後続が到達する前に陣形を組むことができた。教師の指示によって、双子が攻撃していない中央の魔獣一団を排除にかかることで状況は優勢と言えるものになった。
さらにそこに福音がもたらされる。
「一年生、大丈夫か!」
魔法によって拡散された声とともに振られた大剣によって、魔獣が一気に薙ぎ払われる。先の爆音によって異変を察知した高等部の騎操士が操る、アールカンバーを筆頭とした五機の幻晶騎士が今ここに到着したのだ。幻晶騎士が来た以上は小型の魔獣などおそるるに足りない。士気を高ぶらせた生徒達と幻晶騎士によって魔獣たちは一気呵成に打ち砕かれていくのだった。
魔獣の群れを打ち破り拠点まで戻った一年生たちは、幻晶騎士や柵によって防御が固められた拠点に戻ってきたことで窮地を脱したことを実感して喜び合うものや、初めての集団戦闘に性根尽き果ててうずくまっているものなどその様子はさまざまであったが、全体的には明るい雰囲気を保っていた。
生徒達の賑やかな声が響く中、あるテントで教師や高等部の騎操士、そして先の戦闘で活躍した銀髪の双子が、地図を囲んで頭を悩ませていた。
先の魔獣の暴走という事態がみられた以上、これから上級生たちの救助に赴かねばならない。問題はその行先である。どこに彼らがいるのかという十分な確証もなしに森の中を動き回ることは避けなければならないが、そのための情報があまりに不足しているのだ。
そんな状況の中銀髪の双子の兄、エルネスティが徐に手を挙げた。地図に向けられていたテント内の視線のすべてが彼に集中する。彼はそれを気にするでもなく、問いかけた。
「この森の中で集団戦闘を行いやすい開けた場所というのはどのあたりでしょうか」
「それなら、このあたりだろう」
エルの質問に教師が地図を指して答える。本来一年生がいることがおかしい場ではあるものの、先の活躍はそれを容認させるほどの衝撃を教師たちに与えていたためか、割と自然に受け入れられている。
「これほどの規模の魔獣の群れです。先輩たちも集団での抵抗を考えるのではないでしょうか。となれば数の利を活かしにくい森の中ではなく比較的開けた場所、かつ幻晶騎士の援護を得やすいように拠点にある程度近い場所で陣を組んでいると考えられないでしょうか」
エルの提案になるほどと教師たちが頷く中、セラが静かに言葉を付け加える。
「……先輩方が魔獣と戦闘していると仮定するなら、魔獣が来た方向に行くのはどうでしょう。……戦闘している人たちへの最短距離ですし、魔獣の進路上にいない人たちは自力で撤退するか、部隊に合流しているでしょうから」
事態は一刻を争う事から二人の提案が受け入れられ、全体の半数である五機の幻晶騎士が上級生たちの救助に向かうことになった。そのうちの一機、アールカンバーの騎操士として出撃の準備を進めるエドガーに走りよる影が二つ。彼が振り返ってみれば、先ほどの会議に参加していたエルとセラがそこにいた。
「先輩、僕たちもお供していいでしょうか」
「なぜだ」
感情論を言えば、中等部でその実力も知っているとはいえ見た目が完全に子どものようである二人をあまり連れて行きたくはない。自然とエドガーの声は若干の険を含んだものになる。
「森の中には友人の家族もいます。彼らが心配していますので、ともに探したいのです」
「……お願いします」
そう言って双子は頭を下げた。エドガーには騎士として人への義を重んじる心がある。彼らの真摯な願いを無下にするほど狭量な男ではない。先ほどの戦闘で見せた実力を鑑みれば自分の心配以外に連れて行かないという理由もなく、何よりも彼らは小さいとはいえ志を同じくする騎士学科の生徒である。
結局、エドガーは二人がアールカンバーの肩の上に乗って同伴することを承諾したのだった。
所変わって森の奥、上級生たちの部隊は現在凄惨な様相を呈していた。終わりの見えない襲撃に集中を切らした前衛の生徒が負傷し、生まれた穴を埋めようとする生徒たちの負担が加速度的に増していく。中衛の何人かが遊撃に出て前衛の負担を減らそうとしているが、あまりの物量差に焼け石に水といったところであり、それも長くできるものではない。
何よりも後衛の
対して魔獣の群れはと言えば、とどまる気配を見せない。むしろ遅れてやってきた中型魔獣の数が増えた分より厄介になってしまっている。
ステファニアの必死の指揮もむなしく、負傷して下げられる生徒の数が増えていく。このままでは、という最悪の想像を指揮官として弱音を吐いてはならないと彼女は必至で打ち消していた。
しかしついにその時は訪れる。火力の落ちた法撃の弾幕を抜けて、二匹の
しかし彼が次に知覚したのは身をその意識ごと砕こうとするような強烈な衝撃ではなく、盾に液体のような何かが降りかかる感触と、離れた場所で響いた爆音だった。恐る恐る盾から顔をのぞかせれば、両腕から血飛沫を上げる
それを打ち破ったのは、彼らの視界に流星のごとく流れた銀髪の少女、セラだった。彼女はアールカンバーから回転を加えた岩の弾を
「……ライダーキーック」
何事かをぼそりと、流れる視界の中呟いたセラはその勢いのままに
まあいいか、とステファニアに声をかけるのはエルに任せて、前衛を援護することを優先しそのまま法撃の弾幕をセラは張る。そして遠くにいる魔獣の群れを魔導兵装の
彼女たちに遅れて幻晶騎士が到着し、暗雲垂れこめていた防衛戦に終わりが見えた生徒たちはその顔に喜色を浮かべて、喝采を残る力の限りに叫びあげたのだった。
そのころ、商業都市ヤントゥネンの騎士団はある一機のカルダトアが持ってきた報せを受けて、泡を食ったような慌ただしさに包まれていた。
外装も結晶筋肉もボロボロになり、ひと時も休まずに走り続けたであろうと一目で察せられるそのカルダトアが持ってきた凶報。それは聞いた途端に騎士団長のフィリップ・ハルバーゲンが顔を青くして、思わず真偽を尋ねてしまうほどに衝撃的なものだった。対して、連絡に来た兵士の返答は変わることなく、残酷な現実を突きつける。
―師団級魔獣・
絶句。しかしそれも数瞬のみにおさえ、フィリップは必要な指示を飛ばし始めた。
「大至急ヤントゥネン近辺にいる騎士をどんな任務よりも優先して召集しろ!作戦会議室に各中隊長たちを集めてくれ」
一気に足音が増え始めた砦の中を作戦会議室に向けて歩きながら、フィリップと副団長は努めて声を抑えて言葉を交わす。
「師団級魔獣だなどと……。そんな数をそろえているのは王都の騎士団位のものだぞ」
苦虫をかみつぶしたような表情をフィリップは浮かべる。
「等級はあくまで区分にすぎません。百余りの我らでも、相応の被害を覚悟すれば討ち取れるのではないかと」
「それでは意味がないのだ。我々がいないこの町は、誰が守る……!とはいえ、最悪は想定しておかねばならぬか。王都に連絡を飛ばせ。後づめを頼まなくてはならない」