美波の奇妙なアイドル生活   作:ろーるしゃっは

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010/ Cast a spell on me !

 今をときめく人気アイドルとその元担当プロデューサーとが束の間の休息を取り持っていた、同日同時刻。

 

 アメリカ合衆国は東海岸某所にある会員制シガーバー、「Moon Shine」にて。

 古くは1920年代、悪名高き禁酒法施行下の時代に密造酒を取扱っていたこの酒場は、裏金を渡すことで市警からの摘発も潜り抜け、東部闇社会の交流の場として栄えた歴史も持つ。言ってみれば由緒正しい闇酒場である。

 間接照明のみが付けられたカウンターの薄暗い一角で、男二人が和気藹々……というには少々険のある空気の中で語らっていた。

 

 その片割れ、「Dio」というロゴマークの入ったライターを掌で転がす金髪の男は、オーク製のブラウンテーブルに浅く腰掛けつつ、物憂げにぽつりと呟く。

 

「日本のブンヤが一匹死んだ件、『嗅ぎつけられた』と見なして良いのでは、と。『失敗』した下手人に心当たりがあるのではないですか、閣下?」

 

 問いを投げかけられたのは、年季の入った椅子に長身痩躯を預けた、カールした長髪と縞手袋が特徴的な優男。

 1本40ドルは越えようかという、米国では貴重なキューバ産の高級葉巻。それをまるで紙巻煙草のように惜しげもなく吸っている彼は、一息入れたのち白スーツに包まれた脚を組み替え、やおらゆっくりと口火を切る。

 

「……やれやれ、勘の良いことこの上ないね。やはり君には嘘はつけない。ただ一つ付け加えると、これは『失敗』じゃあない。黒井()を恭順させるための見せしめさ。マイク()は実に有能でね。私の意を忠実に汲んでくれる」

 

「隙あらば手を噛もうとする誰かとは違ってね」、という言葉は飲み込んだ上でそう言い放ち、紫煙を燻らせ泰然と佇む手袋の男。そして、彼に対し未だ鋭い視線を崩さない金髪の男。

 明らかに、常人とは一線を画す気配を有するふたり。

 

 両者の関係を一言で表すならば、それは時に己が命を賭けてでも後世に意志を遺す師弟でも、誇りの道を往く血族でも、夢に向かって共に疾る友人でも、はたまた血の盟約で結ばれた戦友でもない。

 弁明どころか開き直りに近い、まさしく政治家のような答弁を聞いた片方は、しかし不承不承という顔をするどころか、唇に薄く笑みを乗せて切り返す。

 

「確かに、計画に於いて『獅子』が完成状態に至ることは必要不可欠。しかしそのための情緒面の育成と称して外国の、それも芸能プロダクションにアレを投げ込むなど、本当にマストな措置だったので?」

 

「何、演算で弾き出された通りの場所と期間でプランを遂行しているまでさ。それに君も興味が湧くだろう?『現代におけるスーパースター(ジョン・レノン)』。やがてそう呼ばれるモノを操縦(ハンドリング)することは」

 

 ニヤリと嗤う男の真意は、果たして。

 

 

 ☆

 

 

「……成る程?」

 

 ディエゴ・ブランドーはあやふやに相槌を返す。断片的だが、この男の狙いが掴めてきた気がする。

 司法・立法・行政・報道。アメリカ本国の三権の長とマスメディア中枢を自分の手駒で押さえ掌握した後、手始めに日本を名実共に米国51番目の州とするための尖兵が彼女である、ということか。

 

 思わせぶりな表現から彼の思索を感じ取った若き天才ジョッキーは、ただ淡々と言い募る。

 

「興味がない、とは言えませんね。時としてその歌一つが政治的影響力すら有し、愚鈍な大衆を熱狂させ、扇動せしめる怪物。言葉正しくそれは『偶像』。そして、万が一()()が手に負えなくなれば……『消す』ことも厭わない、と?」

 

「大正解、さ」

 

『消す』、とはどういうことだろうか。

 ……類推するなら、かの英国の超有名バンド、ビートルズの一員だったジョン・レノンはそのあまりに悲劇的な死の後、ある種彼自体の存在が神格化されて現在に至っている。凶弾によって──それも熱狂的なファンの手で──志半ばで夭折し、彼は人生の幕を閉じた。

 望まぬ形で歴史の露と『消えた』ことで彼は最早、誰の手にも届かず、二度と実物を見ることも叶わない「偶像(アイドル)」になってしまったのだ。

 

 それはさて置き。酷薄な返答が正鵠を射ていたのか、ご満悦といった表情で葉巻を咥える縞手袋の男は、嗤ってそれに呼応する。

 

「まあ、いざという時の『予備』も用意してあるからね。多額の予算と時間を費やし、()()()()()()()()甲斐があったというモノさ。……しかし前から思っていたが、やはり君とはウマが合う。民間で企業経営をさせておくには実に惜しい。どうだい、連邦政界に興味は?」

 

 ウマが合う?……無論、嘘。証拠に目が笑っていない。社交界の華と謳われるその容貌と、たたえられたアルカイック・スマイルのベールに隠された狂信の意を見抜ける人間は、如何に米国広しと言えど片手の指で足りるだろう。

 そして、彼を「閣下」と評した目の前の男は、その狂気を見透かしている数少ない人間でもある。

 

「ご冗談を。惜しいと言うなら閣下が未だ一介の代議士に甘んじている事こそ、合衆国の損失に他なりません。分相応が何処というなら、国家元首あたりでやっと相応しいかと」

 

 更に、現在某薬剤会社でCEOを務めるその男が放ったおべっかも勿論嘘。

 

(……完全なる米国による統治(コンプリートリィ・パックス・アメリカーナ)の実現、だと?実に下らん夢物語だ。貴様の目論見が失敗に終わった時、残りの果実は全てこのDioが持って往く。精々足掻けよ、ファニー・ヴァレンタイン。既に()()は打ってある。これからは「国家」ではない、「企業」が全てを支配するのだ)

 

 裏切りなど手段でしかないとばかり、謀略の限りを尽くして経済界で今日の地位を築いた男はそう思考する。一方、標的にされている人物、ヴァレンタインはというと。

 

(……『欲望』が滲み出ているよ、Dio。大義の為の我が行動、それらは全て正義其のもの。悪は使役し利用すれど、最後は全て断罪する。故に───我欲に塗れた君はやがて、私に屠られる犬に過ぎない。そして駒の反逆を許す程、私はヌルい政治家ではない。来たるべきその日まで、道化のように踊るが良いさ)

 

 顔の前で両手を組み、悠然とした面持ちで眼前の男・Dioを見つめ返していたのだった。

 利害の一致。それこそ御しきれぬ怪物を己の内に飼う男達が、お互いに唯一見出した共通項。

 

 ───そう、例えるならこの二人、相容れぬ「悪のカリスマ」。

 

 

 

 ★

 

 

 

「……ね、寝れない…………」

 

 ライブ前日の夜のこと。

 

 まるで翌日に遠足を控えた小学生のようにわくわくしすぎて目がギンギンに冴え渡っている大学生が、下宿先の布団の中でひとり悶々としている真っ最中だった。

 いや誰だよお前、って?……言わずもがな芸名・新田美波ことわたくし、空条美波でございます。

 

 時刻は既に夜1時。明日、というか今日の起床予定時刻は7時なのでさっさと寝なきゃなんだけど。

 

(目どころか頭まで覚醒状態って……いい歳して大丈夫か私…………?)

 

 イベント大好き人間なので地元のお祭りでも何でも率先して参加していた身分にしても、それでもここまでのアドレナリン過剰モードは前例がない。

 

(ええいこうなったら、羊が一匹、羊が二匹、羊が三匹……!)

 

 ……400匹近くまで数えたところで、羊がゲシュタルト崩壊してきたのでやめた。代案として……よし、鯉、(カープ)を使おう。

 

(例えを変えましょう、カープ坊やが一人、カープ坊やが二人……いやこれ不気味ね、ちょっと。そうだ、いっそ打線でも組もうかしら。まず確定で鈴木…………)

 

 

 

 

 ───目覚ましが鳴る前に、チュンチュン、という小鳥のさえずりで目が覚めた。

 

「……ベンチまでは考えられなかった……」

 

 やきうに逃避していたら、いつのまにか寝ていたらしい。

 時刻をみると6時50分。起きるには頃合いだ。いそいそと布団を畳んでカーテンを開け、窓越しに射し込む朝日を浴びつつ伸びをする。

 

「ん〜〜〜っ、と…………いい天気ね、今日」

 

 時に梅雨明けの7月。曙の朝空は、見事な日本晴れだった。

 さーて、まずは日課のラントレをした後シャワーを浴びて、朝食の準備を手伝って、そしたら渋谷に出発だ。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 集合、出発、のち到着。ソデに入って見学する私達をフィーチャーすると。

 

「人、ちらほら集まってきてますね……」

 

「ひょっとしてサクラ入れてる〜?」

 

「人聞きわりーコト言うなっての。今いんのはマスコミと、346プロを箱推ししてるファン勢だ」

 

 そんな会話を舞台裏から交わしているのは、一旦346プロに集まってから、デビューの舞台となる池袋サンシャインシティのアルバB1F・噴水広場裏で待機している私たち。

 ちなみに道中はPさん運転、トヨタのランドクルーザーで来ました。なお社用車とのこと。設備の充実加減は、流石に金満プロダクションといったところか。

 

 さてさて、駆け出しアイドルやシンガーのデビュースポットとして定番らしいこの噴水広場は、ウチの事務所の先輩も何人かここでデビューしたという、非常に由緒あるところらしい。

 設営されたステージ裏からスタッフさん達の許可を得てこっそり覗くと、お客さんと思わしき人々の数は徐々に数を増してきていた。予想はしてたけどやっぱりこう、わざわざ集まってきてくれた人達をみると、「失敗できない」という思いが募り始める。

 

「すいませーん、メイクさん到着されたんで、演者の皆さんこちらに来てもらっていいですかー?」

 

 焦燥のようななにかが心に浮かんだその時、背後に控えていた設営スタッフさんから声をかけられ、私たちは一旦楽屋へと向かった。

 

 広々とした部屋でメイクを済ませ衣装に着替えると、緊張もあるけれどその一方で、なんとなく気持ちが高揚してくる気がした。パン、と握った左拳を右掌にあてて気合を入れなおす。───よし。

 

「それじゃあみんな───」

 

 仕上がったしそろそろ行きましょう、と言おうとしたところで、いつもと違う空気に気付く。……よく見れば、面立ちが全員浮かない。

 

 飛鳥ちゃんは気分転換に読んでるはずの独語の本が逆さま。おまけにページが進んでない。腕組みして空を仰ぐ志希ちゃんはいつもの不敵な笑みがない。借りてきた猫みたいになっている。文香ちゃんに至っては若干青い顔。心配なので声を掛け、ついでに彼女の背中に手をやってゆっくり摩ると、申し訳なさげな目でこっちを見てきた。……正直大丈夫?とは聞き辛い。

 

 ……わたしがリーダーなんだ、ここで纏めなきゃ。と思ったその時。

 

「スタンバイオッケーか?出番だぜ、皆?」

 

 ガチャ、と控え室ドアを開け、我が大叔父が入ってきた……と同時、なんとも言えない空気に直面する。あの、ちょっとこれから気合い入れるんで、すみません。私がしっかりしなくちゃ。色々な意を込めた視線がカチあった。と思ったら。

 

「……まァ〜そんな緊張すんなって。とりあえず深呼吸。んでもってそーだな、……今まで4人でやってきたこと、なんでもいいから思い出してみな」

 

 スッ、と秒で色々察したらしいPさん、空気を換えに割って入る。自然と溶けるように染み入っていた声音に、言われるがまま指示に従った私たちは、とりあえず回想シーンに突入。

 

「今まで……」

 

「やってきた、こと……?」

 

 機先を制されたけどナイス、Pさん。流石346社内で彼氏にしたい社員ランキング(某事務員さん主催)一位なだけある。……そして彼の言葉で、デビューが決まってから今まで、4人で過ごしてきた二ヶ月を思い出す。

 思いつきで行ってみた漫喫で読書(文香ちゃん発案、ただしなぜか「ぼくらの」を読破して皆で鬱気分)。ふらっと立ち寄ったゲーセンで景品取りすぎて出禁(志希ちゃんが秒で攻略)。パンチングマシーン破壊(主犯私、弁償しましたごめんなさい)。ユニットルームでホラゲRTA(ソフトは飛鳥ちゃんの私物、怖いからPさんも巻き込んだ)。346の視聴覚室を借りて映画鑑賞(デ⚫︎ルマン実写版、正直記憶がない)。四人で麻雀(脱衣ゲームになりかけた)、その他色々。

 あれ、これって。

 

「……なんかこう、レッスン以外が濃すぎる気がするにゃあ」

 

「同感だよ、激しく」

 

「……私も同意、です」

 

 うん、ついでに私も同意見。何だかんだ楽しかったけど。

 

「……それとだ、主催者側があんまこんな事言うもんじゃあないが、本番でトラブル起こってもある程度は平気だ。ウチのファンは()()が違う。フォローアップはしてくれる」

 

「……ええっと、どういう意味でしょうか……?」

 

「ん、ああそりゃあな……」

 

 遠慮がちに尋ねた文香ちゃんに対して答えたPさん曰く、練度が違う。それ即ち運営がやらかしたポカに対してもお客さんがアドリブで拾ってくれた、ということ。Pさん曰く、過去にライブの本番中、演者のマイクが機能しなくなりあわや大コケとなりそうな状況下、聴きに来たファンの皆が即興でその曲をアカペラで歌って「合唱」にし、結果事故を回避した例があるのだという。

 勿論音響担当の人は後でファン含めた関係者の方々に平謝りだったらしいけど。Pさん曰く「コメツキバッタみたいになってた」とのこと。

 

 それでも巷には「厄介」とも言われるファンの人もいる昨今、言ってみればそんなファンの人々に恵まれている346のアイドルは。非常にいい環境にあることに疑いはない。

 

「……大丈夫みてーだな。なーに、いざとなったら俺が詫びりゃあいい話。やりたいようにやんな、責任は俺が取る」

 

 言いながら再びドアを開けたPさんに招かれるままついて行くと、衣装を着込んだ私たちは気付いたら彼によって舞台袖まで誘導されていた。

 逸らしてツカミに入ったお喋りをしながら歩く内に皆の空気が柔らかく、しかしいい具合に張りつめたものになったのを感じ取ったのだろう。Pさんの気迫の篭った声が、最後のひと押しとばかり響く。

 

「Pってのはあくまで舞台装置。ライブの主役はお前達だ。そんじゃあ一発───ブチかましてこい!!」

 

「「「「───はい!」」」」

 

 そう言い残して颯爽とハケていったPさんの大きい背中を見送りながら、私たちは誰からともなく口を開く。

 

「……ね。皆、さっきPさんが『いざとなったら俺が謝ればいい』って言ってたけど……」

 

「ん〜、ジョースケに余計な頭下げさせたくはないよねん♪」

 

「右に同じく。仮にも見込まれて此処に居るんだ、何時までも頼りきりなんて真っ向御免だね」

 

「……皆さん、そこで提案なんですが───」

 

 円陣でも組みませんか、という文香ちゃんの発案に、これもまた誰からともなく足を踏み出し腕を組み合う。

 コレがホントの円陣(ラウンズ)?という志希ちゃんのジョークに、皆が思わずクスリとする。

 此処にきて、一体感は最高潮だ。

 

 ───さあ、踏み出そう。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 そうして上がった舞台の上は、なんだか夢心地だった。レッスンルームでやってきた通り歌って踊って、そうこうしてるうちに気付いたら終わってた。上手く笑顔をつくれてたかは、鏡がないので分からない。でも、会場に来てくれた人の笑顔だけは、強く心に残ってる。

 

「「「「ありがとうございましたー!!」」」」

 

 わああ、という歓声の中、少々足早に会場からハケていく。これは───成功、といっていいんだろうか。

 

 初ライブの感想、超気持ちいい。んでもって、気づいたら終わってた。興奮冷めやらぬ中で表舞台を去った後、関係者用の通用口を4人で並んで歩く。

 

「……Pの面目は保てたかな。何にせよ上手くいって良かったよ」

 

「そういえばそのPさんはどこでしょう……?」

 

「関係各所に挨拶回りらしいよ?」

 

「あ、どちらにせよ頭は下げるんですね」

 

「まーコッチはプラスの意味だしね」

 

 お喋りに興じていた、その時。

 

「……んん?向こうから来るあの子、もしかして玲音ちゃんじゃない?」

 

 汗をタオルで拭きながらも、会場の動線や設備をあちこち興味深げに見つめていた志希ちゃんが、その時目敏く声をあげた。

 

 そう、果たして向こうからやってきたのは、正に誰あろう玲音さんだった。池袋近辺で何か用事でもあるのか、ステージ衣装ではないパンツスタイルに白シャツ、ハイヒールのシンプルな格好をしていたが、それだけでもどこか様になっている。

 随行しているスーツ姿の黒人男性はSPだろうか。サングラスの下から覗く目尻に目立つ白いタトゥーが入った、中々ゴツい人だった。護衛対象に負けず劣らず目立つ人を引き連れて歩みを進める彼女に感じたのは、言い知れぬ気迫のようなもの。

 

 ───これが、間近で見るトップアイドル。オーラに気圧されそうになったけど、よしなんなら声でもかけようか、と蛮勇を思い実行してみる。

 

「あ、こんにち───」

 

 声をかけんとした、正にその時。

 

 バチチ、と。自身の左肩の星痣が、まるで感電したかのように脈を打った。

 

「…………え?」

 

 こんにちは、と言おうとした矢先、突如として沸き立ったそれ。タイミングを逸し、SPと共にそのまますれ違っていった彼女の方へ思わず振り向く。……今をときめくトップアイドルは、そのまま廊下を曲がって通り過ぎていった。

 

「……どうかしましたか?美波さん」

 

 隣を歩いていた文香ちゃんに声をかけられ、少々慌ててなんでもないわ、ごめんなさいと返す。ただ───今、すれ違って感じたものは。

 

(……静電気?じゃない。これは……スタンド能力?)

 

 …………いや、流石に早計か。

 わたし自身が今、初ライブ後のテンションでハイになってるだけかもしれない。これでもリーダーなんだから、皆のためにもしっかりしなきゃ。最近、『スタンドの矢』関連で思考が少々物騒になってるきらいがあるし。

 

 でもこの時無理矢理、それこそ追いかけてでも探っていれば、と後悔することになるのは、この時点では知る由もなかったのだった。

 

 

 

 ☆

 

 

 

「成る程。昨日の今日で組み手に付き合え、ってのはそういう理由か?」

 

 ライブ翌々日、SPW財団日本支部内の修練場にて。先日晴れてアイドルデビューを迎えた私は、首に右手を添えつつそう言うバキバキと鳴らす父親と向き合っていた。

 濃紺の革パンにグレーのインナー、その上にロールアップしたミリタリーシャツを羽織っただけのラフな格好。ただ現役の海兵隊員みたいな体格と、ヤクザも裸足で逃げ出すくらいの威圧感を持つ身長195cmの40代。それが我が父・空条承太郎である。ちなみに見た目は高校生の時からあまり変わってないらしい(ホリィさん談)。

 

 勿論、そんな人とまともに組み手しても私に勝ち目は万に一つもない。ここで争うは私の分け御霊。つまり、スタンドで干戈(かんか)を交えん、ということ。

 

「ううん。ただ単に───」

 

 ───今より強く、なりたいだけです。

 

 心の中で、広島での予期せぬ遭遇を思い起こす。……次にあの男と相見えた時、今の自分が切り抜けられるビジョンがまだ浮かばない。

 足りない。足りない。だから精進しよう。もっと強く。何が来ようと、弾き返せるくらいには。

 スゥー、と息を吸い込み、昂ぶった己をどうにかこうにか落ち着かせる。波紋でも幽波紋でも、重要なのは呼吸の仕方だ。考えながら一拍置いて、口火を切る。

 

「───VENUS(ヴィーナス)SYNDROME(シンドローム)ッッ!!」

 

 慣れ親しんだ相棒が、いつもの如く私の後ろに現出する。ただ今日の彼女は、よくよく見ると眉が若干ハの字だった。

 

「よろしくね、ヴィーナス」

 

 お構いなしに()()()()()。すると間髪入れず、()()()()()()()()()()()

 

『私は構いませんが……美波、トレーニングにしては、流石に分が悪すぎる相手では?』

 

 中空にふよふよと浮きながら、パパと同じ緑の眼でこちらを見つめる彼女。

 やる前からダウナーはやめなさい貴女。確かに未だに勝ったことないんだけど。

 

「よーく知ってるわ。でも───」

 

 ───だからこそ、よ。

 

 くるりとパパの方へ向き直る。時を同じくして背後から、気合を入れ直してくれたのか彼女が纏う空気が変わる。……ようやっと臨戦態勢、といったところか。

 しかし、目の前の男親から滲み出る覇気は依然としていささかの濁りもない。剥き出しのスタンドを目にし、その闘気を受けて尚泰然と両手をポケットに突っ込んだままの我が父が発したのは、わずかに一音節。

 

「行くぞ」

 

 同時、現れたのは巌のような紫の体躯に、逆立った黒髪を持つ大男。

 外装こそ肩当てくらいしか防具の無い時点でフルプレートに近い私のそれとは大きく異なるが、かのスタンドの真骨頂は防御力ではない。そこにあるのは、大叔父をして「無敵」と称される、近距離パワー型幽波紋。名を───

 

星の白金(スタープラチナ)

 

 淡々とそう言うが早いが、鋲を打ち込まれたフィンガーグローブが、気付くと既に私の至近に迫っていた。

 

(疾いッッ──!)

 

 十全に回避、とはいかない。咄嗟にヴィーナスの両腕をクロスさせ、後方へ飛び跳ねるように拳を受けるも。

 ゴッ、と。まるでコンクリートブロックを勢いよくぶつけられたかのような衝撃が、スタンド越しに自分の腕にまで伝わってくる。

 

(重、ッたいッ!!)

 

 これだ。一撃の速さと重さと正確さ。トリッキーな得物や飛び道具を持たない代わりに総合的に隙がないスペックを持つスタープラチナは、地力の勝負に持ち込まれたらまず破れない強さがある。加えて時間限定とはいえ強力無比な()()()を隠し持っているときた。

 

 尤も奥の手(チカラ)を使うにはスタンド使い自体に強靭な精神力が必要なのだけど、いかんせん使い手が激強メンタルな人なのでそんなもの杞憂であることは、18年も娘をやってればおのずと分かる。

 

 それに私には無いこのパワー、隣の芝生は青く見えるとはいえ羨ましくもなる。ただの拳打がガードクラッシュされ兼ねない威力だなんてデタラメにも程があるだろう。やっぱり─────

 

(……出し惜しみなんて以ての外ね。さっさと使うとしましょうか、()()

 

 格上相手に逡巡は悪手。そう判断してバックステップでスタープラチナから距離を取りつつ、己がスタンドにオーダーを下す。命を受けた彼女がバトルドレスに覆われた後腰部に左手を回して掴みとったのは───短く畳んだ金青の槍。予備動作だけで次の手を察したのか、目敏く捉えたパパが僅かに目を細める。

 

「畳んだままで良いのか?得物(ソイツ)は」

 

 まさか。強者(パパ)を相手にそんなわけ──

 

「───行きますッ!!」

 

 サファイアを嵌め込んだ枝に金の両刃の穂。柄には長尾の海龍を象った()()()オブジェクトが巻き付いたソレ。正中に素早く翳した金槍は、念を送ると同時にガシャン、と音を立て本来の長さに回帰する。

 

 射程を取り戻した得物を馴染ませるかのように左腕を軸に振り回し、再び正面に翳してそのまま、一直線に間合いへ飛び込む!

 

()ァァァァァッッ!!!」

 

 距離を詰めてたたらを踏みつつ目の端で目標を捕捉、半身のみを晒してひたすら刺突(ラッシュ)刺突(ラッシュ)刺突(ラッシュ)!!……が、しかし。

 

『オラオラオラオラオラオラァァァ!!!!』

 

 機先を制さんと私が繰り出す槍の連打に、星の白金は的確に拳を合わせ対応してきた。逆巻く渦の装飾が、流星のように突き刺さらんと迫り来る。槍があればパワー不足はなんとかカバーできるから、この調子でいけばいいか、と思ったけど。けど。

 

「……ねえ、さっきから顔に拳が飛んできてないんだけど……避けてるでしょ?パパ?」

 

 ちょっと棘を交えた誰何に、しかし父はそんなもの何処吹く風と受け流す。

 

「嫁入り前の娘の顔面ブン殴れる程、父親辞めちゃあいないんでね」

 

 飄々とした面持ちで返された。いや、格好いいんだけどこの気持ちは如何ともし難い。なんたって、…………確定で、手加減されてるのだから。

 

「……分かりました。じゃあ……」

 

(一瞬でも───出させてみせるッ!その本気ッッ!!)

 

 決意と同時、地面がめり込む勢いで走り込み、最近学んだばかりの新しい槍術を初めて実行に移す。功夫(クンフー)の要素を取り入れたそれ、実は今回でアーニャちゃんに続き二度目のお披露目だ。

 

 そうそう、基本的に複数回見せた技はパパには効かない。型を覚えて見切られるから。だからトリッキーな新戦法で押し切ろうとしたのだけれど。

 

「……その槍技、習熟が浅いぞ美波」

 

 ガシャァァッ!!と私の呼吸の間を狙った、星の白金の貫手がヴィーナスの手首を捉える。力を込める刹那の間合いに割って入った一撃は、容易く私の虚を突いた。しかも構えを突き崩されたことで、槍が手を離れて明後日の方向に飛んでいく。

 

「しまっ……!」

 

 ───得物を失ったことで範囲(レンジ)が縮まり、瞬く間にお互いの拳が届く距離に至る。不味い、この間合いは───!!

 

「生兵法は怪我の元、だ」

 

 ガンガンガンガンガンガンガンガン!!!一瞬の間隙に叩き付けんばかりの勢いで、星の白金の射程距離に囚われたヴィーナスへ正拳突きの雨霰が降り注いだ。戦車砲に匹敵するような一撃が、点でなく面で、だ。

 

「がッ、は…………」

 

 咄嗟のガードの上からだけれども、それでも痛打に変わりはない。しかし膝だけはつくまいと、気合いでなんとか立ち続ける。……波紋による回復が追っつかなければ、とっくに地に伏してるところだ。こんな時でも絶妙な力加減でスタンドを殴ってくるあたり、全く気の利く父親なことで。

 

「終わりにするか?」

 

 冷静に、しかし淡々とパパが提案する。不甲斐ない弟子のギリギリを見定めんとする、師匠の目だった。

 

「…………いや」

 

 これじゃダメだ。全然ダメだ。だから今すぐ()()()に来い、私の下へ、我が槍よ!人生で一番勝ちたい人の前で、振るわれて、使われてこそ意味があるッッ!

 

「まだ……」

 

 その時、まるで応えるかのように、金色に煌めく(ライン)が鈍く、私と槍とを繋いで瞬いた。同時、パシィッ!と音を立て、ヴィーナスの手にひとりでに槍が飛び込んで来た。

 これまでなかった初めての事象にパパもほう、と眼を見張っているのが見える、けど……

 

「……まだ終わって、ないッ!!」

 

 掴み取るが早いが残った全部、渾身の力を込めて、引き寄せた槍を振りかぶり、投擲!

 ───誇張なく弾丸並にスピードが出ていたかと思う槍が、興味深そうにこっちを見ていた父のスタンドに突き刺さらんとした、その瞬間。

 

 

 

「───世界(ザ・ワールド)

 

 音もなく、この世の時間が静止した。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 ───投げた槍は勢いを刹那の時間で失って、此方へと歩みを進める父の手中に呆気なく収まる。

 

 息を呑む。動けない。まともに知覚が追いつかない。それもその筈、今正に「時が止まっている」のだから。そしてこの場所は、既にスタープラチナの射程圏内。

 故に、襲い掛かるは絶対の「死」。一瞬だが確実に、骸を晒し血と臓腑とを撒き散らす己の姿がありありと浮かぶ。

 いよいよ眼前に流星指刺(スターフィンガー)が迫って来たかに思われた、次の瞬間。

 

 ポン、と頭頂部に手が置かれた。同時に停止していた時間が、何事もなかったかのように再び動き出す。

 

「───惜しかったな」

 

 見知った感触は、慣れ親しんだ父の大きな手。この意味すること、言うまでもなく。

 

「ま、また負けた…………」

 

 目にも留まらぬ、ってレベルではない。文字通り時間を置き去りにし、使用者に絶対の勝利をもたらす黄金の力、「ザ・ワールド」。かの悪のカリスマとの闘いで顕現したというその能力、目にしたのは数える程しかないけれど、強力なことこの上ない。父曰く「無敵ではない」らしいけど。……一体どうやって攻略すればいいのでしょう、パパ。

 

「そう凹むな。初めて俺にタイマンで使わせたんだ、確実に強くはなってる」

 

「う、はぁーい……」

 

 確かに、これまでは弟と二人がかりで挑んでも父にはついぞ歯が立たなかった。というかそもそも踏んできた場数の違いを考えれば、今日の私はまずまず及第点らしい。

 

「で、どうだ?実感は」

 

「死んだ自分をちょっと幻視しました。……でも、パパ」

 

「何だ?」

 

 気を取り直して、そこでひと息。タメを作って息を吸う。

 

「ありがとう、ございましたっ───!!」

 

 ビリビリ、と空気が少々震える程の一礼。運動部で身に付けた体育会系特有の習慣だけど、こういう時は悪くない。一瞬だけ片眉を跳ねさせた父は、薄く、本当に薄く笑って返事を返した。

 

「応。大事なのはその意気だ」

 

 その後は、何時ものクールなパパだった。今日はこれから日本海沿岸地帯振興連盟?なる組織の会議に出席しなければならないらしい父は、言うなり先程投げ捨てた足元のミリシャツを肩に掛け、そのままトレーニングルームを後にしていく……と思ったら。

 

「……そうだ、美波」

 

「はい?」

 

「良かったぞ、昨日のライブ」

 

 それきり気密性の高い防音扉がプシュウ、と開いてまた閉まった。……結果的に言い逃げとかズルいぞ、お父さん。というか久々に褒められた。いや今は下宿してるから当たり前だけど。

 

 風のように去っていった父が閉めたドアを見つめ、ありがとう、とようやっと声だけ返す。

 ぺたん、と未だに床に座っている私の周りを漂っていたヴィーナスが、その時私の顔を見て呟いた。

 

『……にやけてますよ、美波?』

 

「えっ、嘘!?」

 

 咄嗟に頬に手を当てる私に嘘です、とお澄まし顔で追撃してくる彼女。スタンドに茶化された。なんてやつだ。

 

 ───ちなみに(ママ)曰く、「あの人は基本ポーカーフェイスだけど、時折笑うとすごく可愛い」とのこと。世界広しといえどあのパパを可愛いと評する人は、うちの母親くらいじゃないだろうか。娘から見てもそう思う。一方、その時のパパはというと。

 

(……今までは飛び道具頼りだったが、使い方が巧緻になってきてんのは上々だ。……この調子ならいずれ美波も到達出来るかも知れねーな。「世界」、或いはその先に──)

 

 後から聞いたら、帰りがけにそんな事を考えていたそうだ。

 

 

 

 ★

 

 

 

 ───東京都某所、窓のない、とある地下室。

 

 自然光など一切届かず、無機質な機械群に囲まれ暗緑色の照明に照らされた、人気のないラボラトリー。

 部屋の真ん中に備え付けられているのは、人ひとりを優に収めることが出来そうなポット。薄青の培養液で満たされたその中でコポコポ、と呼吸音を立て、胎児のように丸まっている少女の眼が不意に開かれた。

 

 その少女を一言で語るなら、「結集された美」と形容すべきだろうか。

 

 年の頃は見た目から恐らく10代、上背は170cm前後。その顔立ちはどこか、往年のスーパーアイドル、日高舞に似たものを感じさせる。

 臙脂色の右眼と水色の左眼は、奇しくもかの765プロの人気アイドル、四条貴音と我那覇響のそれに酷似し、そのブラウンの髪色は、やはり765プロ所属の星井美希の地毛─彼女の金髪は染色である─の色によく似ていた。

 

(……最近、こうしてる時間が増えたわね。「調整」が今以上に必要なのかも)

 

 仕事とは言え、自己を抑圧してばかりいるのは相当に疲れる。たまに全てを投げ出してどこかへ出奔したいなとか、そんな衝動に駆られたりもする。でも、そんなことは許されない。

 

(『玲音。キミには「世界」を下せる才がある』だったかしら……)

 

 孤児だった自分を引き取って育ててくれた父に、かつてそう言われた。

 自惚れだけど、自分でも自覚はある。並みの人間とはモノが違う。容姿に始まり音感、歌唱力、学力、身体能力、反射神経。「なるべくして生まれたのだ」と、育ての親から太鼓判を押されたことは一度ではない。

 

(生まれながらの偶像(アイドル)、か)

 

 ぷかり。水槽に浸かりながら思考。癖のない髪が水中ということもあってか、彼女の背中を離れふわふわと、揺蕩うように流れている。

 艶やかな髪の隙間から覗く白い地肌には、しかし左肩の付け根部分にだけ、ある珍しい紋様が見受けられる。

 

 鏡に映っていないのに自分の背後に見える、ヒト型の幽体に目を凝らす。究極の眼なる名を冠された彼女が持つソレは、まぎれもない彼女自身の立ち向かう者(STAND)。無機質な容体の彼女の分身は、今日も変わらずそこに佇んでいた。

 

(「スタンド使いは引かれ合う」。かつて閣下(お父様)が言っていたそれが本当なら…………)

 

 なら、あれは共鳴というやつだろうか。

 述懐しながら、今日あった奇妙な事象に思いを至らせる。昼間ある少女とすれ違った時から()()()()()()()左肩。そこに改めて意識を向ける。果たして、肩の付け根にあったのは───

 

(……今日会った栗毛のあの子、もしかして…………)

 

 

 ───紛れもない、星形の痣だった。

 

 




・池袋サンシャインシティ
聖地。

・《星の白金》
ザ・ワールドと似たタイプのスタンド。

・槍
スタンドの非力さをカバーするための得物。刺突・薙ぎ払い・投擲なんでもお手の物。今回遠隔操作を会得…?

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