美波の奇妙なアイドル生活   作:ろーるしゃっは

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018/ ファントム・ブラッド

「……どうだい、彼女の容態は?」

 

「安定してる。今は美波ちゃんが付き添って波紋で浄化(治療)してらぁ。にしてもよ……」

 

 

 ……ありゃどーいうこった、ジョルノ。

 

 東京都目黒区、SPW財団日本支部12階・貴賓室。其処にいつになく剣呑な空気を纏った、星痣を持つ男達三人が集っていた。

 今しがた別棟の手術室で緊急の施術を済ませたばかりの男・東方仗助は、テキサスから急行して間もない友人、ジョルノ・ジョバァーナに鋭い声で誰何する。

 友人たる広瀬康一を経由して知り合った彼とは、面識を得てもう十年来の間柄であるのだが、その彼の表情もまた険しい。

 

「襲撃の下手人はヴァレンタインらで確定だろう。物証はココにある。道中の機内で映像は確認済みだ」

 

 言うなりジョルノは、テキサス本部からくすねてきた監視カメラのUSBデータを机の上に置いた。「かなりの長話になるぞ。何処から何処まで聞きたいんだ?」そんな台詞も序でに添えて。

 

「んなモン、最初(ハナ)から最後(ケツ)までだ」

 

 当然だろ。そんな面持ちの仗助に同意するように、横合いから重々しい声が入る。

 

「……詳しく聞かせてくれ、ジョルノ」

 

 同席していた空条承太郎の声である。本業の傍ら、仗助と共に日本を守る彼も多忙の身ではある。がしかし、決意は固いらしかった。

 

「……分かりました、仗助、承太郎サン」

 

 テントウ虫を象った、ジョルノのピアスが光に煌めく。瞑目していたジョルノは、一旦そこで目を見開き。やおら「まず、先におさらいついでに纏めておきます」と切り出すと、現在の概況を解説し始めた。

 

「パッショーネの情報網に依り、財団に潜入していたスパイは全員を捕捉しました。それだけでなく、テキサス本部に飾ってある矢は既に偽物(ダミー)と取り替え済。本物の矢はネアポリス支部はココ・ジャンボの中に移管し、ミスタ達が今も付きっ切りで厳重に管理しています。なのに」

 

 なのに、本部が襲撃された。それもIUを控えたこの時期に。

「矢」をIUの賞品にすれば承太郎達SPW・パッショーネ連合は必ず奪い返しに来る。撒き餌として見せつけた矢に釣られるだろう彼らの参加形式は、スポンサーでも観客でも構わない。そうして自分達を邪魔するスタンド使いをおびき寄せ、特定したのち全員を始末する。

 

 簡単に言えばそんな算段を立てていたヴァレンタイン一味は、少なくとも配下の企業が注力するIUが終了するまで、目立った動きを見せない筈だ、と予想していたにも関わらず。

 

「このタイミングでの襲撃か。しかも泳がせておいた最後のスパイに、『テキサスの矢はパチモン、本物はネアポリスにある』って情報もわざと掴ませたのによォ……どーなってんだァ?」

 

 仗助が二の句を継ぐ。当然、わざと漏洩させたその情報は、スパイを通じて何処かへ雲隠れしているヴァレンタイン一味にも通達される。よって奴らが襲撃してくるとすれば、最優先目標は本来はネアポリス支部……の筈だった。

 つまり今回の襲撃は承太郎達としては、「時期」も「場所」も意表をつかれた形であった。

 

「当初の保護目的だった『矢』は、我々の目論見通り今のところこれ以上強奪されてはいない。……ですが」

 

 言葉を区切ったジョルノは、続けざま。

 

「今回盗られたブツは矢ではありません。カーズの細胞とEXTRACT。この二つをはじめとする保管物が、テキサスから強奪されていました」

 

「……また、えらいアンティークに目を付けたな」

 

「なんで、今更ンなモンを……?」

 

 柱の男の体細胞に、打たれると屍生人になるエキス。承太郎と仗助にとって、それらは既に骨董品に近い感覚のものだった。存在も危険性も認知してはいるが、彼らの先祖がカタをつけた過去の遺物でしかない。そんな認識が妥当。

 

 しかし人員を割いてリスクを承知で盗むからには、何かしらの目的があるのだろう。ブラフにしては手が込み過ぎている。こんな如何にも世間に露見しやすい派手なマネをしてまで盗み出したのだから、成果がそれなりになければ費用対効果が合わない。

 今すべきは、彼らの狙いを推察し対策を講じること。

 

「……という事は、だ。確定で言えるのは、少なくともヴァレンタインらの狙いは、『スタンドの占有とスタンド使いの量産』だけじゃあなかった。まだ何か他にある。問題はソレが何か、って事だが……」

 

 そこまで述べた承太郎は刹那、様々な仮定を脳内で組み立てる。まずEXTRACT。本来は生命科学の研究に役立てるため、およそ1世紀以上に渡りSPW財団が保管してきた、人知の及ばぬオーパーツである。成分解析しても未だ解明されていない部分の残る、正真正銘の謎物質。

 よって中身を入手したとして、一介の製薬・化学メーカーが容易に中身を解析し、抗体を作成するのは不可能。新薬を売って一儲け、なんて簡単にいかないのは、スパイを通じて敵も把握済みだろう。

 では、手にしたところでどう用いる?

 

(……いや、逆に考えろ。()()()()()()()()()()使う気か!?)

 

 Uコーポレーション内部に潜り込んだパッショーネのスパイが手に入れた資料にあった、『感染爆発(パンデミック)』なる言葉。

 当初承太郎達は、この言葉は「矢を入手して大量のスタンド使いの粗製乱造を図る」という意味で使われている、と考えていた。

 が、これがEXTRACTの使用を前提とした言葉なら?……話は俄然、変わってくる。「感染」とは、「人を屍生人(ゾンビ)にさせる」という意味なのだとしたら。

 

「奴ら、EXTRACT(アレ)をバラ撒くつもりか……!」

 

 凝り固まったシワを解すように、眉間に指をあてがった承太郎が一言。

 

 連中の頭、ヴァレンタインは良くも悪くも政治家である。それも国益の為と称し自己の利潤を最優先するタイプの。徹頭徹尾、彼は自分の懐を潤わせ且つ自分の選挙が有利になるよう、無差別ではなく差別的にソレを用いるだろう。

 己に敵対する候補や陣営、企業、国家の要人に端からEXTRACTを打ち込んでいけば……やがて彼に逆らう者はこの星の何処にも居なくなる。

 当然だ、注射一本でゾンビに出来るのだから、特効薬さえ作らせなければ懐柔は容易である。そして叛逆者を封殺した、その先にあるのは。

 

「専制や独裁なんてもんじゃあない、奴を神とする究極の恐怖政治だ。もし、奴に仇なす知恵や力があると判断されれば……」

 

「……ソイツら全員、屍生人(ゾンビ)にされる、ってことッスか」

 

「知識は罪悪だ、とでも?……まるでポル・ポトですね、現代の」

 

 疑問に答えを出したことで、暫し沈黙する一同。だが、問題はもう一つある。 「では何故、カーズの細胞まで盗んだのか」という事だ。

 話題が移りそうになった時、仗助があることを思い出した。

 

「……なあ、U・コーポレーションのディエゴとか言うCEOがこないだぶち上げた声明って、なんだったっけか」

 

 U・コーポレーション。IUの新しいメインスポンサーにして、矢を堂々と大会優勝商品に据えた巨大企業。完全株式非公開でありながらも製薬・化学業を中心にグローバルに事業を展開し、世間的にはクリーンで通っているが、調べたところ黒い噂もいくつか掴んだ。

 

 しかし、未だ検挙や捜査に至るほどの確定的な尻尾は掴ませておらず、だからこそコンプライアンスが求められるIUのスポンサーを務めているのだ。ヴァレンタインにも政治献金を行なっているとされる、その会社の新声明は。

 

「確か、『生命の限界を超克する、飛躍の年と致しましょう』と言っていた気が…………まさか……!」

 

 現代科学に於いて、生命の限界とは二つある。一つに「死」を回避できぬこと。もう一つは、生命自体を人工的に造ること。

 そこから見えてくるのは、禍々しい何かを顕現せんとする黒き意志。

 

「……自分達の手で創造しようとしてるのか、究極生物を……!」

 

 いや、もしかしたら、()()()()()()()()かも知れない。

 

 其奴はきっと、人間社会に居たらひどく目立つだろう。何せ究極・完全を志向された生き物だ。溢れんばかりの覇気を備え、黄金律の身体を持ち、その美貌絶世にして声は神性すら帯び、一挙手一投足は万人を魅了してやまないだろう。

 天上に位置する、人間の形をしたカリスマ。そんな存在に、彼等は心あたりがあった。吸血鬼にしてスタンド使い、更にかつて首から下を奪い取った身体で以って、自らの背に星痣すら宿す男。20年以上前に終わらせた筈の因縁が、再び立ちはだかるとするなら。

 

「て、こたァー……」

 

「……父の、DIOの血を継ぐ何者かが、奴らの中にも居るって事ですね」

 

 それも、もしかしたら()数。

 ───そして恐らく、ソイツこそが最恐の敵。

 

「……総力戦だ。恐らく次に狙われるのはネアポリスか目黒(ココ)だろう。本部が陥落した今、残り二つをツブされたら我々が再起不能に陥る。その前に……」

 

 ……決着を付けよう。禍根はココで、全て断ち切る。承太郎の掛け声一下、彼等の意思は此処に纏まった。

 

「「了解」」

 

 固めるは不退転の決意。以後は各自に通達し、再度計画を練り直す。新たな方針も決まったところで一息入れた彼等は、ジョルノがスタンドで生物化させて目黒支部に持ち込んだデータファイルに残された、連絡途絶前の本部映像を改めて確認することとした。

 

 ノイズ混じりの映像に残されていたSPW財団テキサス本部は、端的に言えば───惨劇の舞台と化していた。

 

 

 ☆

 

 

 ───時に、遡ること2日前、米国時間の夕刻五時過ぎ。日も落ちかけたテキサス本部に、SPW財団のゲストパスを首からかけた、麗しい一人の女性の姿があった。

 

 整った鼻梁に長い睫毛、血のように紅い切れ長の桃花眼と鮮やかな金髪。処女雪が如く真白い肌。十代後半と言っても十二分に通用する身形。

 均整のとれた身体を覆うは、クラシカルなデザインの黒と真紅のドレス。左手にはレースの日傘。腰元にはハートを象ったバックルを帯びた金ベルト。

 チャームポイントを挙げるとしたら、付け爪なのかルビーが如く赧く煌めく長い爪と、常人より長い犬歯であろうか。

 

 同行しながらも彼女に施設の説明をする職員の鼻の下が、少しばかり伸びているのもやむを得ない。にこにこと愛想よく美貌を振りまく彼女は、それ程には魅力的だった。

 兎にも角にも、同行の財団職員の案内を一見して興味深げといった様子で聞きながら、その実()()()()()()注意深く観察していた彼女は、口輪のみを上げるお手本のような笑顔を終始浮かべていたのだった、が。

 

 カチ、と館内据付の時計の秒針が、六時を指したその瞬間。眠たげにとろん、としていた彼女の眼は、水を得た魚が如く見開かれ。

 

「……戯れは、此処までとしようか」

 

 刮目の後に発された声は、別人のように硬質で。

 

「……え?」

 

 今しがた秒速で纏う雰囲気を剣呑なものに変えた女性に違和感を感じ、職員が振り返った瞬間。風切り音と共に振りかぶられた、不可視の手刀に。

 

「───往ね」

 

 振り下ろしざま、一閃。それだけで、案内人の首から上と胴体はあっさりと分かたれた。たちまち寸断された人体の断面から鮮血が吹き出し、地下四階の通路を凄惨に染めていく。

 苦もなく殺人をこなした下手人は、彼女の背後に音も無く顕現していた不可視の幽体。眉一つ動かさず人間を肉塊に変えた少女は、幽体たるスタンドに付着した血液を舐め取るなり、「不味い」、と不躾に呟いた。

 

「……まあ、凡愚の輩の味なぞこんな者か」

 

 首と胴を分かたれた死体の、突然の現出を目にした女性職員は劈くような悲鳴を上げ。皮切りとばかり、四階フロア内部はけたたましい喧騒に包まれていく。

 

『What's the fuck⁉︎』

 

『逃げろ!』

 

『敵襲か!?』

 

 慌てふためいた職員の一人が懐から拳銃を取り出し彼女に向ける。加えて彼らの一人が備え付けの警報スイッチを押そうとした瞬間。

 

「戯け。無駄な足掻きよ」

 

 哄笑を浮かべた羅刹は、口角を更に上げ発達した犬歯を晒して意を発す。

 

T()H()E()-()W()O()R()L()D()ッ!!」

 

 時よ止まれ。

 

 桃花眼を三白眼にし、ワンフレーズのち手をかざす。ただその一挙手のみで、射程内の遍く時間が「静止」する。

 空白の生まれた静寂を悠々と歩きながら、女は武装で身を固め立ち向かわんとする者たちを一人、また一人と彼岸へ葬り去って行く。まるで赤子の手を捻るが如く、易々と。

 今この場に於いて、止まった時間の中を自由に動けるのは彼女だけ。

 

「……張り合いが無いな、本部がこれだけザルな警備では。期待したのが間違いだったか?」

 

 しかし、既にしてこの空間に高慢な発言を聞き取れた者はいない。ある者は頭蓋を砕かれ。ある者は頭から股までを真二つに裂かれ。またある者は心臓を素手で引き抜かれ。惨たらしく命を簒奪された、物言わぬ骸が転がるのみなのだから。やがて、正常な呼吸をする人間が一人も居なくなった頃。

 

「───10秒、経過」

 

 傲岸不遜を込めた言葉と共に、時は再び流れ出す。その間も()()を探していたらしい彼女は、己の関心を既に惨殺死体から別の何かに移していた。

 

「…………匂いからして……この上か」

 

 爛々とした灼眼で頭上を一瞥すると、勢いのままフロアの上壁に()()()穴を空ける。その尋常でない膂力は、この怪物が既に人間とは異なる位相の生物であることを如実に示している。

 壁をブチ抜いた真上に位置するのは、三階の第一実験室。一足がけでその上階へと到達した女の、視線の先には。

 

「…………な、何よ、貴女…………!?」

 

 

 白衣に身を包んだ赤髪の女性が一人、アンプルを抱えて驚愕の表情を浮かべていた。

 

 

 ☆

 

 

 床を無理矢理くり抜くように壊された衝撃のおかげか、実験室内に据え付けられた器具や紙はあちこちに散乱していた。乱雑な中をお構いなしに悠々と歩く殺人鬼は、うら若き化学者に獰猛な牙を剥く。

 

「……複製した筈の『石仮面』は何処にある、女」

 

 歪んだような哄笑を麗しい(かんばせ)に貼り付けたまま、両者の間に静かに昏い声が響く。

 しかし。パン、とその時。乾いた音を伴って白衣の女が選択したのは、返答がわりの無言の銃声。懐から素早く取り出した黒光りする拳銃で以って、事実上の敵対表明と葬送を行った筈だが、その効力は。

 

「……コルト・ガバメントの一撃が効かない-!?」

 

 あろう事か被弾した筈のドレスの女性は、ただ()()()()で銃弾を受け止めていた。用を為さなかった銀の弾丸を己の五指で弄びつつ、フン、と悪鬼は彼女の選択を鼻で嗤う。

 

「……見縊るなよ、小娘。こんな豆鉄砲なぞ些かの痛痒(つうよう)にもならん。にしても……」

 

 ……つくづく、アメリカ人とは病的に銃が好きよの。余には毛程も理解出来んわ。長い犬歯を覗かせ弁を垂れる侵入者の口上を耳にした才媛は、ある一つの答えに至っていた。

 自らの一族に伝わる伝承の中に、記述がある。人間の血液を主食とし、宵闇に紛れ人を襲う。そして長い牙と爪を持つ、邪なる生物の名を。

 

「……アナタ、まさか……」

 

 …………吸血鬼……!?漏れた呟きは、残念ながら正解(ビンゴ)だった。

 

「糞袋の分際で思ったより聡いようだな。ならば抵抗は無駄な足掻きと解していよう?もう一度言う、大人しく石仮面を渡せ。さすれば命くらいは保障してやる」

 

 ……まあ、嘘だがな。心の中でのみ悪鬼は続ける。しかして返答はというと。

 

「嫌だ、といったら?」

 

 何?尚も銃をこちらに敢然と向けてくる彼女を、一度鋭く睨み付ける。怯え竦む様を想像していたのに真逆を行くとは。挑発的な言動に、金糸の片眉が吊り上がった。

 

「ほう。ならば……貴様のひり出したコレで死ね」

 

 ビシィ!指弾でもって鬼が撃ち出す銀の弾丸は、超速で彼女の心臓目掛け放たれる、も。

 

「───銀色の(メタルシルバー)波紋疾走(オーバードライブ)ッ!」

 

 ……女性が振り被った右手で以って、明後日の方向に死の一撃は弾かれた。一手で決着。そう踏んでいたのに予想外の反撃を貰ったことに、金髪の鬼はやはり片眉のみをピク、と上げて低く唸る。

 

「……波紋疾走、だと?…………その技……」

 

 見覚えがある。かつてイギリスでそんな妙な技を持つ者と闘った覚えが。100年余りの時を生きるこの吸血鬼の、古い記憶が喚起された。

 

「あらら、見抜かれちゃったかしら♪」

 

 闘牛士のはためかせる赤布が如く、挑発するかのように揺れる赤髪を見て。金の悪鬼は口角を上げ一言吼えた。

 

「……貴様、波紋使いか!!」

 

「御名答。これを知ってる上にその牙と知性…………やっぱり吸血鬼で確定ね、貴女」

 

 ……もっとも、私は大した波紋戦士じゃあないんだけど、という言葉を女史は喉元で飲み込む。今だって実はマグレで返せただけだ。一瞬遅れたら死んでいた。しかし敵にそこまで言う義理もない。

 

「それに生憎、若い時にアンタみたいなのと闘ったことがあってね。闘い方なら多少は心得てるわよ?」

 

 これも実はブラフ。尚もけしかけ気を逸らさせ、石仮面を奪取させないようにするのがこっちの第一目標なのだ。そしてこの間隙を縫って後ろ手に持ったスマホから911で警察に。そこまで彼女が思った時。

 

「遅い」

 

 手元から、()()()()スマートフォンが無くなっていた。ごく自然に、まるで最初からそうであったみたいに。

 

「……な、何を……!」

 

 何をされた、今!?私は()()()()()()()()()()()筈……!?なのに!

 

「……何を、だと?ただ()()()()()()()よ。ソレも力の一端に過ぎんがな」

 

 鋭利な爪で彩られた敵の手元には、今の今まで自分が持っていた筈のスマートフォンが握られており。バキィ、と音を立ててそれは目の前で粉々に砕かれた。

 

「時、ですっ、て…………まさか、スタンド能力……!?」

 

 戸惑いを隠せない女史に、しかし。返ってきた答えは嘲りを含んだものだった。

 

「もう遅い。失せろ、この世から」

 

 時よ止まれ。言葉が耳に入ったと思ったら。気付けば()()()()()()()()、…………いつの間にか、医療用メスが何本も突き刺さっていた。

 

「がふッ……」

 

 不躾な凶刃の侵入を認識すると時を同じく。己が喉元からせり上がった血が吹き出していく。白衣の下に着ていた耐火防刃繊維のシャツもブラウスも、埒外の膂力を前にしては全く用を為さなかったらしい。

 

「……か…………はッ…………」

 

 やられた!いつの間に?この実験室には確かに先程、煮沸したメスが運び込まれてはいたが。

 

「…………無様だな、女」

 

 頭上から投げかけられた言葉に思考しようとするも、灼けつくような強い痛みが阻害する。コヒュー、コヒュー、と、喉だけでなく肺からも空気が抜けていく。息をする度走る激痛は、真っ直ぐ歩く事すら許してくれない。

 

(時間を止められて、その間に刺された……!?)

 

 躊躇いなく()()()()()()攻撃するとはこの女、明らかに波紋使いとの闘い方を心得ている……!

 

「波紋の呼吸はコレで封じた。今の貴様は犬にも劣るタダの雑魚よ」

 

 本当はそのまま心臓でも抜き取ってやろうかと思うたが……気が変わった。奮闘に免じて餞別だ、序でにコレをくれてやる。

 言うなりエネミーがドレスの胸元から取り出した、「EXTRACT-mk.Ⅱ」と記されたそれ。伸縮式の注射針が引き出されたと思うと、針先をふらついている彼女の太腿へ乱暴に打ち込んだ。

 

「!?……ガッッ……!?」

 

 一撃がトドメとなったか自分の元へ倒れ込んだ彼女を、この吸血鬼は無論介抱なぞする訳もなく。突き刺さっていたメスを何本か引き抜くと、そのまま眼の前の白い首筋へと長い犬歯を突き立てた。

 

「…………あ…………ぅ……」

 

 最早声を上げる力も、安堵の息をつく間もなく。瑞々しかった彼女の身体は、徐々に生気を失い乾涸びてゆく。血を吸い取られ色を失って行く身体から伸ばされた手は、力無くだらりと垂れ下がった。

 五分の一程、血を吸い取った頃だろうか。どさ、と立てなくなって床に崩折れた彼女の頭を仕上げとばかりヒールで踏み付け、金髪の鬼は薄く嗤う。口元に付着した血を長い舌で舐め回すと、最後に一言吐き捨てた。

 

「些か美味であったぞ、女。褒めて使わす」

 

 酷薄な笑みを浮かべると、奪い取ったガラス瓶からアンプルを抜き取って、空のケースを廊下に遺棄。「Cell of the CARS」とラベルが貼られたソレを蹴り飛ばし、鼻を一息スン、と鳴らすと、保管庫は奥か、と一言呟いた後。

 

「…………ああ、名乗るのを忘れておったな。我が名は『ディアナ』。貴様を殺した女の名、確とその蒙昧な頭に刻み付けておけ」

 

 ……尤も、もう聞こえておらんだろうがな。

 

 それきり紅眼の妖しき狂鬼は、ツカツカとヒールの踵を鳴らし部屋から出て行った。崩れた書類に散らかった部屋、そして血塗れにした女性。いずれにも、既にして目もくれず。

 

 

 

 ☆

 

 

 血を抜き取られてから、一体どれ程倒れていただろうか。奇跡的に意識を一度回復した白衣の女性は、ピクリ、と強張った身体を動かす。

 

(……う……あ…………)

 

 傍目から見て何故生きているのか分からない程に、かつて才媛と謳われた女史は重症であった。

 刃で貫かれた肺は未だ穴が空き、喉の傷も相当に深い。艶のある赤い髪は血液がこびり付いてところどころ固まっており、白衣は既に赤黒く染まっていた。

 

(波紋の治癒が……追いつかない……)

 

 そもそも、まともに波紋の呼吸が出来ない。額を派手に床に打ち付け出血した影響か、左眼の視界も血でほぼ見えない。肺からの失血で頭がふらつくばかりか、噛まれた箇所が焼けたように熱い。息をする度に自らの血で溺れる苦痛に加え、全身を掻き毟りたくなる痒さすら襲う。

 

 更には携帯を壊されており連絡が出来ない。外部へ連絡出来る地上階の館内電話までは、恐らく自分は辿り着けない。手足の指の末端から、麻痺したように身体が徐々に動かなくなりつつあるからだ。恐らくは、打ち込まれたクスリの作用か。

 しかしこれでは、愛弟子たるあの娘に「此処に来てはいけない」と、伝える手段が何もない。

 

(……これで、何とか……)

 

 震える手で、断線したケーブルを何とか再接続。館内の非常電源を、朦朧とする意識の中でも死にものぐるいで復旧させる。聡いあの子のことだろう、きっと異変に気付く筈。

 

(あとは……何を盗まれたのか……)

 

 言うことを聞いてくれない身体に鞭打ち、開け放たれたドアを抜け、廊下を這いずって進む。そうこうしている間にも、身体は徐々に重くなっていく。

 

(時間がない……調べなくちゃ……!)

 

 もう二足歩行はままならない。多量の失血でまともに歩けないのだ。盗まれたブツにアタリをつけ、自身の血液で以ってダイイングメッセージでも残せれば重畳だろう。

 

(……こんなことなら、「来てくれ」なんて声をかけるべきじゃあなかった……)

 

 今日は、折角あの娘が来る日なのに。久しぶりに会えることを楽しみにしてたのに。気まぐれで気分屋だけど、根は優しくて律儀な子だから、きっと途中で引き返さずにココにも来てしまうだろう。

 

「……志…………希……」

 

 豪胆にみえてその実繊細なあの子に、惨たらしい死体なんて見せたくないのに。

 必死の思いで解錠されたままの危険物保管庫の中へと這いずって辿り着いた、その時点で。

 

「……ごめん、ね」

 

「Christina=A=Zeppeli」との名が記された社員証の、首掛け紐が千切れて床に落ちると同時。彼女の心臓は、脈打つ力を喪った。

 

 屍が再び動き出すのは、これより約半日の後。結局、以前と変わらぬ姿のままでの愛弟子との邂逅は、二度と叶うことはなかった。

 

 

 ☆

 

 

 では、行くとしようか。

 

 妙齢の女性を甚振り嬲るに飽き足らず、侵入した保管庫から目的のモノを全て回収したのち。身体の半分程を鮮血に染めた殺人鬼は、三階地下の隔壁に足蹴りで以って軽々と穴を空け、外へと飛び出していった。

 U(アンブレラ)・コーポレションの社章をつけた金髪のその女、首に掛けたSPW財団ゲストパスを指でヘシ折り、何食わぬ顔でチャーター機へと乗り込んでいく。耳元のインカムの向こう側の人間に、語り掛けることも忘れずに。30秒ばかりコールした後だったろうか。酷薄な声が、受話器の向こうから発せられた。

 

『……すまない、私だ』

 

「出るのが遅いぞ、ヴァレンタイン」

 

 少しばかり苛立ったような声色は、彼女本来の短気な性分をうかがわせた。

 

『いやいや、どうも前戯には時間をかけたいタイプでね。で、どうだったんだい?mk.Ⅱ(改良型)の効き目は』

 

「遅漏男め。……試してみたが上々だ。予定通り()()()()()()を行っても問題あるまい。それから、『アンプル』とやらも序でに回収しておいたぞ」

 

 ニヤリ。犬歯を剥き出しにして獰猛に嗤う妖しき鬼の眼は、昏く淀んだ光を湛えていた。

 

『ご苦労様。報酬は休暇(バカンス)が良いかい?それとも現金(キャッシュ)?』

 

「強いて言えば貴様の首だ」

 

『非売品でね、それは無理だ。……ああ、それからディアナ』

 

 ……キミに、次の行き先が決定したよ。

 

「ほう、何処(いずこ)へ?」

 

『目黒に斥候として放ったワイアードの行方が知れない。代わりに東京へ飛んでくれ。……尤も、君があの木偶人形の代わりと言ってはお釣りが来るがね』

 

 申し訳程度に一言、付け加えることも忘れずに。しかし、聞き取った彼女──ディアナと呼ばれた女は、金色の柳眉を寄せて疑を呈す。

 

「日本?かの国は、既に『獅子』がいるはずでは?」

 

「その『獅子』にキミの今持ってるだろうアンプルを投与してくれ。計画の一部はそれで完遂だ」

 

 ……成る程。カーズなる生物の細胞をあの合成獣(キメラ)に取り込ませるとは、またぞろ妙なことを考えているな。そう勘繰ったのは徒労ではないらしかった。

 

(……余に使い走りをやれとは尊大に過ぎるぞ、この糞縦ロールめ。……まあ良い、D4Cは厄介だが、いずれ機を見て奴も殺すか。何、時間はまだある)

 

 ドス黒い思考に身をやつしたのち、彼女は平然と色良い答えをインカム越しに返すことにした。

 

「……良かろう。ならば優に1()0()0()()()()くらいかの、余が日本を訪れるのは」

 

『頼んだよ。君の働きに期待する』

 

 期待。言葉を聞くなり彼女は、徐ろに自身の左肩に宿る()()に、恨み骨髄とばかり爪を突き刺し引き抜いた。

 爪先に付着した己の血液を一瞥だけして舐め取った彼女は、踊る様に長い脚を組み言い放つ。

 

「抜かせ。このディアナ・J・ブランドー、凡百のスタンド使い如きに遅れを取るなぞ有り得んわ」

 

 バラバラと回るプロペラの音に、以降の会話は掻き消された。ヘリ内部に納められていたジュラルミンケースに、研究室から奪い取った幾つかのモノを収めた女は、それきり簒奪を繰り広げた墓所には目も向けず。

 鮮やかな引き際は、彼らがタダの未熟な賊徒ではなく、殺しと破壊に長けた歴戦の悪であるという証。

 

(……かのいけ好かん探偵や義賊気取りと()り合った時のように、私の手ずから殺してやろう。首を洗って待っていろ、偽善者共……!)

 

 時にそれは、小豆髪のギフテッドが財団本部を訪れる、約半日程前のこと。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 ……夢を、見ていた。

 

 今から7年前のこと。あたし、一ノ瀬志希がまだ小学生だった時。

 幼い頃から、我ながら聡い子だったと思う。岩手の片田舎で育った少女が二歳で九九を覚え、五歳で微積を解し、八歳で英仏独伊語に加えラテン語までを完璧に会得した。

 そんな人間が飛び級システムのある太平洋の向こうへ行きたいと言い出して、異例の国費留学をもぎ取ったのは、一重に好奇心を抑えられなかったから。

 

 あたしは何処まで行けるんだろう。何に成れるんだろう。まだ見えぬ将来の展望に淡い期待も込めての渡米だった。

 それは丁度、大きな夢を込めてアメリカに留学したばかりの頃。必修科目とかわけわかんない、全部好きなもの取りたいのとダダをこねるあたしに、諭すように。

 

「ざーんねん。このゼミは必修だから貴女がいかに優秀でも、履修しなきゃ卒業出来ないのよ?えーっと、Ms.イチノセ?」

 

 それが、先生との初めての出逢い。

 えぇーなら辞めたーい、とか駄々をこねる私を真摯に宥めてくれた教授は、終ぞ彼女だけだった。

 すごく綺麗な人だった。いつも美容に気を遣っていて、メイクなんて分からなかった時分のあたしに基礎から教えてくれた。

 

 優しい人だった。年相応の体力しかなくて、実験とレポート続きでクタクタになって寝落ちしてたりすると、わざわざ部屋まで起こしに来てくれた。

 ほっとけばファストフードとビタミン剤で食事を済ませるあたしに、料理の仕方を教えてくれた。身体に悪いからしっかり睡眠取るくらいはしなさいと、母親がわりに色々世話を焼いてくれた。

 

 面倒見の良い人だった。基本キョーミが三分しか続かなくて講義をフケて勝手に何処かへ失踪するあたしを、あれこれ叱りつけながらもいつも迎えに来てくれた。

 正義感の強い人だった。あたしがやっかみ混じりの人種差別を受けた時、本気で怒って、励ましてくれた人だった。人のいなし方、関わり方は彼女から教わった。

 

 先生と関わり出してから夢中で駆け抜けた時間は、今でもあたしの宝物。そうして気付いたら、あっという間に6年経ってて。16の頃、大学院を卒業したのち、暫く講師として大学で働いてた頃。あの飛行機の事件の後、訳あって一旦辞めたいと切り出した時も。

 

「いいわよ?」

 

 思いのほかあっさり承諾してくれて。

 

「いいんですか!?やったあ!」

 

 正直教授陣からは慰留されるだろうな、と思ってたので面倒から解放されて喜ぶ私に、嬉しそうに目を細めて。

 

「ふふ。貴女ともあろう子が必死に頼み事なんて珍しいからつい、ね」

 

 我が校始まって以来一番優秀な貴女が抜けるのは痛手だけど、ねえ?と苦笑されたのを覚えている。

 

「いやいや〜これには中々込み入った事情がありましてん♪」

 

「ホントに〜?いつもの失踪癖じゃあなくて?」

 

「ぶー!……でも、ふざけてるんじゃなくて至って真面目でーす♪」

 

 へぇ〜そうなの?面白そうに返してきた彼女に、悪戯っぽく微笑まれたかと思ったら、更に一言飛んできた。

 

「……もしかして、日本に誰かいい人でも出来た?」

 

「うぇっ!?あ、いやそんな……」

 

 そうそう。この愉快犯みたいな先生の話の持っていきかた、あたしがかな〜り影響受けてる。でもこの時は、上手くこう、なんてゆーかスマートに返せなかった。

 

「あらあら。志希がそんな声出すなんて珍しいわね。ひょっとして本当に?」

 

「も、もう、からかわないでくださいよぉ……!」

 

 いつだってあたしは、あの人の前じゃあ子どもだった。先生が独身だったにも関わらず、むしろ娘みたいに扱われてた感すらある。証拠にその後付け加えられた彼女の一言に、今度はハッとしたんだっけ。

 

「でも。──今の貴女、凄く良い顔してるわよ」

 

「えっ……?」

 

「飽きないモノをやっと見つけたって、そ〜んな顔♪」

 

「………………!」

 

 慈しむような笑顔で、コッチを見てきた彼女にはいつからお見通しだったのだろうか。……最初は輝いて見えた大学(ココ)ですら、いつのまにかどこかでつまんなく思ってたことを。

 あたしが今までこの環境に身を置いてたのは他でもない、目の前の先生がいたからだ。馬鹿にするわけじゃあ決してないけど、同年代にあたしの論理(ロジック)や、構築した定義(ディグニティ)にもついて来れる学生なんて居なかったし、教授陣にも殆どいなかった。その例外は、たった一人だけ。

 

「あのね、志希。……私は教師として、自分が綺羅星みたいな才能を持ってる子を留めおく足枷になるなんて真っ平ゴメンだわ。だから……」

 

 ───この人、クリスティーナ・A(アントーニア)・ツェペリ先生だけ。

 

「…………だから、志希。貴女は、貴女の心に従いなさい」

 

 自分が一番、やりたい事をやりなさい。珍しくすごく真面目な声色で、そんな事を言われて。しんみりした空気に耐えられなくなり、言葉に詰まってつい席を立ってしまった。

 

「……こ、珈琲のおかわり貰ってきますね!センセー何がいーですか?」

 

「……ありがと。ブラックだと嬉しいわ」

 

「濃い目で持ってきまーす!」

 

 照れ隠しとばかりの態とらしさも、やっぱり御見通しなのがこそばゆくて。自分が何時もの表情に戻るまでに多少時間がかかったけど、なんとかテーブルに戻ってきた時。

 

「……ちょっと寂しいけど、いい加減親離れもする歳か。……すっかり大きくなったわね、志希」

 

 先生は少しばかり空を見上げて、何事か呟いていた。変な例えだけど、まるで───「もうここに居ない、かつての親友を懐かしむ」みたいな、そんな顔をしていた。

 

「『…………』。貴女の娘は、とっても立派に育ったわよ」

 

 慈しむように何事か小さく呟いてたのは聞こえなかったから、読唇術でも習っとけば良かったかなとか、どうでもいい事をその時は思ったり。

 

「何か言いました?先生?」

 

「……ううん、なんでもないわ」

 

 あたしに誰かの面影を一瞬見たみたいな、そんな顔だった。

 

 

 ───そして。最後に覚えているのは、向こうの空港で手を振って送り出された光景。最後の最後でやっぱりいきなりだったよねえ……とか我ながらネガってるあたしは、これまた珍しく殊勝だった。

 

「……ごめんなさい。急なワガママ聴いてもらって」

 

 こんな事言うくらいには。でも。

 

「こ〜ら。謝るところじゃないでしょ?」

 

 私が聞きたいのはそんな言葉じゃあないのよ、志希。

 そこから聞いた別れ際の台詞は、今でも一言一句鮮明に覚えている。

 

「夢、ちゃーんと叶えてきなさいよ。大丈夫、貴女が本気で取り組めば、出来ないことなんてこの世に一つも無いんだから」

 

 ハッとした。思えばいつもいつも失踪してはあちこち好き勝手に飛び回るあたしの、母親代わりを6年間も務めてくれた。

 母を亡くしてからぽっかり空いたあたしの心の孔を埋めてくれたのは、紛れも無いこの人だったんだ、と。

 

「……あの」

 

「?」

 

「……また、必ずまた、逢いに行きます!」

 

 違えない。日頃飽き性で気分屋の自覚がある自分だけど、この約束だけは違えない。

 

「有難う。それじゃあコッチで待ってるわね。……いってらっしゃい、志希♪」

 

 はにかんだ師匠の顔は、何時もと同じく翳りないキレイなもので。あたしもつられて笑って返した。

 

「行ってきま〜す!先生♪」

 

 別れの日を最後に、断線するみたいに夢は途切れた。

 

 

 

 ☆

 

 

 

「…………う、ん……」

 

 起きたら、無機質なLEDライトが眩しくて、思わず薄目を閉じかけると。……どこか嗅ぎ慣れた、懐かしいにおいがした。

 

 ついでに、()()を誰かに握られている。手を通して何か、温かい力みたいなものが送られてくる。この手の主は、誰だろう。

 半覚醒の茫洋とした頭で、ボーっとしつつ視線を向ける。この優しい空気感と、あったかい手の人って、確か。

 

「……先、生……?」

 

 思わず、そう口を突いて出た。でも。

 

「……志希ちゃん、気がついたの!?」

 

 でも、目を開けた先に居たのは、懐かしい恩師の姿ではなくて。そこに居たのは何か久しぶりにあった気がする、同僚でもあり友人でもある栗色髪の女の子だった。

 

「……あ、美波ちゃ……」

 

 ん、といい終える前に。彼女の胸元に抱えられるように抱き締められた。

 

「………………ごめんね……ッ……」

 

 その時気付いた。震えてる。泣くのを必死に、堪えてる。日頃気丈で明るくて、泣き言一つ言わない太陽みたいな女の子が。嗚咽を堪えてあたしをまるで、繊細なガラス細工みたいに抱擁してる。

 

 ごめんなさい、せめて私がついてさえいれば。そう言われて、抱きすくめられて気がついた。

 

(ああ、そっか……)

 

 先生と美波ちゃん、おんなじ香水、使ってたんだ。……だから、なんだろうか。気付けば私の両頬を、水滴みたいな何かがぽとぽと伝っているのは。

 あたしの胸元には、先生のつけてたペンダントが、確かにある。研究所で見た、悪夢みたいな光景は。

 

(夢じゃ、無かった)

 

 あの人はもう、帰ってこない。目の前で見たのだから。ジョルノと名乗った彼に圧されて動かなくなったいくつもの死人と一緒に、陽の光を浴びて灰になった彼女を。

 匂いに記憶を喚起され、走馬燈みたいに幾つもの思い出がリフレインする。それが余計に、堪えていた感情を暴発させる。

 

 もっとメールしとけば良かった。電話しておくべきだった。もっと、顔を見せに寄るべきだった。

 九つの時、幼き日に死別したあたしの母親。その役目を実の親代わりに女手一人で負ってくれた人は、紛れもなく彼女だったのに。

 

 師を喪ってから丸一日が経ったその日は、あたしの生涯忘れ得ぬ日の一つ。数年ぶりくらいに、心の底から泣いた日だった。

 

 

 ☆

 

 

 テキサスから目黒へ急行して、およそ半日後に目覚めたのち。声も上げずに泣いてたあたしが、幾分落ち着いてきたのをみてとったのか。慎重に、絞り出すような声で美波ちゃんに切り出された。

 

「……ねえ、志希ちゃん」

 

 例えるなら、それは懺悔してるみたいな声色。何回でも殴ってくれて構わない。もしかしたら絶縁されても致し方ない、と。

 教会で神サマに頭を垂れる信徒みたいな、悲痛で悔しそうな彼女の意思が。()()()()()()()()()()()()()、あたしの左手を通して伝わってきた。

 

「……こんな時に……いや、こうなっちゃったからには、私ね」

 

 理論を知っていても、技を会得していても、恩師を救うには間に合わなかっただろう。波紋とは、スタンドとは本来二、三ヶ月では使いこなせない。争いと縁遠いだろう生活を送ってきただろう、皆なら尚更だ。

 後から詳しく聞いたら、この時そんな事を思ってたと彼女は言っていた。

 

「……貴女に、謝らなくちゃいけないことがあるの」

 

 でも。結果論に過ぎないけど、巻き込みたくないから、って何も言わなかったのが間違いだった。

 少しくらい、危機を跳ね除けるための力として伝えていれば、貴女がここまで辛い思いを重ねる事はなかった筈だし、傷付く事もなかった筈だ。遺体を荼毘に付すことくらいは出来たかもしれない。

 何かあってもいざとなれば、近くに私と仗助さんがいるから大丈夫だ、と。思っていたのが、そもそも甘い考えだったと。

 

 韜晦するようにあたしを抱き締めて、要約すればそんな長い思いを伝えてきた美波ちゃんは、それでも最後はあたしを見据えて、泣きそうなのを堪えてこう言った。

 

「……大事な、話があるの」

 

 腹を括った女の眼が、揺れるあたしの瞳を捉えた。

 

 

 ☆

 

 

 波紋。スタンド。吸血鬼。屍生人。そして、テキサスで何があったのかを伝えた一部始終の映像。ダイジェストながら受けた資料込みの説明は、継ぎ接ぎだらけのデータを繋いで考察するには十分だった。

 そして。苦悶に満ちた恩師の悲鳴や顔は、あたしの中の一線を、超えさせるにも十分過ぎた。時刻に直して、左の二指が欠けてから半日くらいが過ぎたその頃。

 

「……じゃあさ、仗助、美波ちゃん……」

 

 ……あたしの指が今、元通りになってるのも、そのチカラのおかげなの?

 

 出来るだけ声を落ち着けんと努めた、あたしの誰何。そう、毟り取られた筈の指は、怪我なんてなかったみたいにいつもの状態に戻っていた。

 問いに対し彼女は首肯で、ナースコールで以って息急き切って駆けつけた彼も一言「……ああ」と肯定。

 

 ……そっか。去年のあのハイジャックを解決したのは、そういう事だったのか。そして。

 

「これが、スタンドの矢……」

 

 豪奢な彫金の施された、一本の矢を握り締める。資料代わりに持ってきてもらったソレは、成る程確かに流麗で。妖しく煌めく輝きは、日本刀の刀身みたいに吸い込まれそうな魅力を秘めてる。でも、それだけ。コレは一個の無機物であって、無関係な人の命までもが、軽々に喪われていいものじゃない。

 

 こんな、こんなモノが目当てってだけの連中に、先生は殺されたのか。

 

 映像の中で見た、彼女が復旧させた非常電源。アレが内線でしか繋がらないということは、研究所に暫くいた先生なら知ってた筈。土壇場で外に出て助けを求めるのではなく、何故死の間際にそんな事をした?……決まってる。他ならぬあたしの為だったんだろう。

 最後の最後であの人は、自分ではなく他人の為に命を使い尽くして亡くなった。そして結局、復旧させた電源に拠り発信可能になったエマージェンシーコールに、あたしは命を救われた。

 

 思わず、痛いくらいに拳を握り締める。

 

「ねえ、二人とも。……お願いがあるの。あたしに……」

 

 ……闘い方を、教えて下さい。

 

 布団の上から四五度くらいに頭を下げて、自分でも驚くくらい硬い声でそう発した。美波ちゃんが息を呑んでいるのが、伏せた頭越しにも分かる。永遠にも思える数秒が経過した時。

 

「……頭ァ上げてくれ、志希」

 

 これまでにないくらい重い口調で、仗助に切り出された。

 

「いいか、志希。戻れるのはココが最後だ。発現させたら……もう後戻りは効かねえぜ?」

 

 もしかしたら、適応出来ずに死ぬこともある。……知ってる、今聞いたから。でも迷いはない。彼女の遺志を、弟子が継がなくてどうするんだ。

 

「うん。でももう、決めたから」

 

 彼女を殺した、女を必ず。

 

『───卒業しても、貴女が私の生徒だったことに変わりはないわ。困ったら何時でもこの研究室にいらっしゃい』

 

 修士号を取得したあの日。学帽と卒業証書を携えて、彼女の研究室へ一緒に写真を撮りに行った日の言葉を、今でも鮮明に思い出せる。

 そんな、優しかった彼女を、愛弟子の指を食い千切るような理性なき獣に変えた下手人がいる。映像越しに映ってた、あの女、名を。

 

(…………ディアナ、って言うのね)

 

 ソイツだけは、必ずこの手で。

 

 復讐なんて意味がない?警察に任せておけ?仇討ちは日本では違法?そんなコト当然知ってる。上辺だけの偽善なんて聞きたくもない。

 スタンド使いは司法では裁けない。彼らが罪なき誰かを殺め、犯し、苦しめ、尊厳を貶めても、裁ける証拠が残らない。何食わぬ顔で社会に溶け込み続ける彼らに引導を渡せるのが、超常の力以外に無いのなら。

 

「…………決まってんだな?」

 

 慎重な、そしてどこか悔いるような、彼の誰何に。

 

「当然。この手でカタを付けなきゃ、あたしは一生前に進めないッ……!」

 

 手が白くなるのも構わず、握った矢を折れるくらい強く握り締める。別離の哀しみを凌駕する憤怒が心に渦巻き、自分が自分でなくなりそうな気分だ。

 

「……大事な人を殺されて、黙って泣き寝入り出来る程、まだこの()は腐っちゃいない……!」

 

 恩師の墓を建て冥福を祈る、その前に。あたしは力を手に入れる。その為に覚悟を持って、この魂を()()()()()。何、手段ならば手元にある。

 

「だから、闘う」

 

 決意と共に、歯を食いしばり。

 

 あたしは自分の胸元に、()()()()()()()()()()()()()()()




・クリスティーナ= A =ツェペリ
志希の恩師にして実母と知己。赤髪青眼。

・ディアナ=J=ブランドー
長生きのスタンド使い。金髪赤眼。一体誰の子孫だろう。

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