美波の奇妙なアイドル生活   作:ろーるしゃっは

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過去篇回想シーンからになります。(※このssはフィクションです。実在の人物とは一切関係ないので念の為)


024/ プリンセス・プリンシプル

 時に、1952年の初春。

 

 東京都は現在の町田市近郊に佇むとある邸宅、武相荘(ぶあいそう)

 近隣に八分咲きの桜舞うこの邸内で、如何にも高級そうな背広を着た二人の男が、ウイスキー片手に歓談と洒落込んでいた。

 双方ともに面立ちは掘り深く、背丈は180cmを超える。長い脚を時折組み替えてはいるが、よく見れば片方は日本人であるのに、ごく自然に英語で会話を行なっている。

 

 さて。その片割れ、英国仕込みの流暢なオックスブリッジ・アクセントでもって会話に応ずるは、かつて日本独立の道を開かんとGHQと暗闘を繰り広げた実業家にして、この家の家主たる男・白洲(しらす)次郎。彼の功績は先般──現在の経産省に連なる──通商産業省を立ち上げただけに留まらない。

 時の内閣総理大臣・吉田茂の懐刀でもあり、「白洲三百人力」とも渾名(あだな)される影響力を日本政財界に有するこの男と、サシで話せる外国人が誰かといえば。

 

「……成る程。父方の出自は英国貴族ということかね?」

 

 傍らに侍る、ロシア人と思わしき銀髪のメイドから酒瓶を受け取った白洲に対し。

 

「ああ。俺自身、今は連邦市民(アメリカ人)で住まいはNYだけどな」

 

 気っ風よく返すのは、背丈は190cm、いや2mに近いだろうかという偉丈夫だった。挙措動作からみて、手袋をした左腕の肘から先はどうやら義手。……が、だからといって常人より劣る気配なぞ微塵もない。

 彼自身の年表を紐解けば大学もロクに出ないどころか、喧嘩三昧だった経歴を持つアウトローだったくせしてその実、言動の端々にアカデミーの知識人でも出せないような知性を伺わせる。

 

「尤も、苗字は変わっちゃあいないがな」

 

 飄々とした顔つきのまま、堂々と義腕の中に隠し武器でも仕込んでいそうな佇まい。後に歳の離れた息子にも受け継がれる、洒落っ気と破天荒さを両立したこの男に。

 

「……だから、ジョセフ=『ジョースター』ということか」

 

 合点がいった様に、白洲は一言そう返した。

 

 

 

 ☆

 

 

 

「……しかし、何故このタイミングで我が国に投資を?」

 

 窓から射し込む西陽を背にした席に腰掛け、白洲は淡々と語る。家人の表情を読み辛くし、尚且つゲストに威圧感を与える座席配置は、無論全て計算づくである。

 

「……言ってはなんだが、今の日本は君達が焼け野原にしたおかげで、繊維業程度しかロクな産業が残っていないのだがね」

 

 かこん。庭園の鹿威しが鳴る音を皮切りに、皮肉交じりに返す日本人。一拍置いての鋭い舌鋒に、米国人は思わず苦笑。

 

「こりゃあ手厳しい、だがその通りだ」

 

 パン、と膝を打つジョセフ。元より彼の目の前にいるのは占領下、あのマッカーサーにも啖呵を切っていた男であるのだから、この程度の毒舌は織り込み済み。

 しかし一言二言で折れるほどジョセフもヤワではない。何よりジョースター家の中でも指折りの知能犯である。眼前の白洲と同じく、彼の思考も高速で回り始める。

 

「ところでよ、白洲」

 

 牽制がてら、喋りながら素早く思考。全盛期のジョセフは、かの究極生命体にも引けをとらない程に頭の回転が速い。後に世界有数の大富豪にまで上り詰めたのは、決してまぐれではないのだ。

 

(この男や吉田は過去、ウィロビーあたりと組んでGHQに紛れ込んだ共産シンパを叩き出した経歴がある。てことは見せ札は2つ。俺と組めば日本の赤化を抑止出来る点、そして我が社の「諜報網」に与れる点。この二つをチラつかせる事だ)

 

 占領者たるGHQ内部の勢力争いに付け込み、反共産主義……所謂「逆コース」路線を確固たるものにし、日本独立に成功した彼らの巧みな舵取り。その手腕をジョセフは買っている。

 ジョセフは別に政治家ではないし、他国の国益になど毛程の興味もない。しかし、ことビジネスとなれば非常に鼻が効く。その直感が訴えるのだ、「投資しろ」と。

 

(……コイツだけじゃねえ、部下共にも有能が混じってやがる。特に岸、池田、佐藤あたりはツバつけといて損はねェ筈。折しも朝鮮戦争の特需景気も相俟って、大戦でブッ壊れた供給能力も立て直されつつある。間違いなく『伸びる』な、この国は)

 

 彼の見立ては、正しく慧眼であった。後の安保改定、国民皆保険制定、固定相場制下による超円安保持なども伴い、日本は戦後、西ドイツと並び爆発的な経済成長を成し遂げる事となるからだ。

 ……今思えば、ジョセフはそこまで読んでいたのかも知れない。

 

「ちょっと聴きてぇーんだけどよ……」

 

 だからこそ此処では引かず、躊躇わず爆弾を投下する。

 

「……()()()()()忘れ形見は息災か?」

 

 流石に反応するだろう。……と思ったが、この誰何に彼は表情ひとつ変えず。

 

「すまないが、意味が分からん。ロマノフとはまた、えらくカビ臭い名前だが……滅びた皇家に御執心なのか、君は?」

 

 眉ひとつ動かさず、しゃあしゃあと知らぬふり。

 白洲次郎。ベントレーを乗り回し、王室御用達たるヘンリー・プールのスーツを着こなす、戦後日本生粋の教養人。スコッチとゴルフを愛し、鋭い弁舌は皮肉屋極まる。成る程「英国人以上に英国人らしい男」と、学友に評されただけはある。おまけに思ってもない毒まで吐く。木っ端役人やそこらのブン屋、政治屋如きではこのブラフ、見抜くことすら困難だろう。

 

(けっ、トんだ狸だなコイツは。一体何枚舌持ってんだか)

 

 ────だが、ジョセフ・ジョースターはそのどれでもない。

 

「トボけんなッてぇーの、『網』の話だ。子供もいるって話じゃあねーか。元気なんだろ、()殿()()?」

 

 

 

 ☆

 

 

 

「……網、とね」

 

 網。姫殿下。飛び出した具体的なフレーズに、和製紳士は心の中でだけ目を細める。アレは旧帝国軍の最高秘密たる「軍機」指定。戦艦大和型クラスの秘匿情報を、何故この外国人が知っている?

 警戒度を引き上げねば。場合によっては実力行使も辞さない。判断した白洲のリアクションは迅速だった。

 

「ひとつ聞こうか。どこでソレを?」

 

「言うと思うか?白洲さんよ?」

 

「黙秘、か。ならば、次第によっては遺憾だが──」

 

 言いながら、自然な動作で左手を首元に添える。凝った首を揉み解す()()をしつつ、一気に思案。

 

(義手に武器を仕込んでいるようだが、吉田総理(ジイさん)に害を為すなら始末する。俺自身も、ただでは済まんだろうがな)

 

「──────()()()()()

 

 ザッッ…………!!あらかじめ定められた白洲のその符丁に応えるように、どこからともなくサイレンサー付のホロスコープがジョセフの身体を一斉に捉えた。屋外、天井、そして傍付きのロシアン・メイドらから放たれるその数、実に30近く。

 

「……オイオイ、えらくブッ飛んだ歓迎だな」

 

 突如差し向けられた剥き出しの殺意。しかし、不用意に身体を動かせば即座に蜂の巣になるだろう状況に直面しても、ジョセフは至って冷静沈着。

 それどころか、耳穴に指を突っ込んで面倒臭そうにぼやき始めた。

 

「暗殺企図とは穏やかじゃあないねェ。アンタまじでケンブリッジ大の卒業生かい?陸軍中野学校の間違いだろ?」

 

 正直言えば、コレではいくら波紋の天才と云えど分が悪い。だがもっと言えば、ジョセフには此処で事を荒だてる気は微塵もなかった。

 

「大丈夫だ、取って食うつもりじゃあねーよ。ボディチェックで銃は没収しただろ?」

 

「ああ。しかしこの距離ならば私が君を射殺するより、君の()()()()()()()が私を撃ち殺す方が早いだろう。書類を奪取し、27の銃口を掻い潜って逃げおおせるのも君なら可能だ。違うかね?」

 

 書類。GHQに閲覧・焚書される事を防ぐ為、邸内の地下に埋めて隠したロマノフ家関連の機密文書のことである。

 長台詞を言い終えてのち、間髪入れず己の背広の膨らみを、上から手で叩く白洲。自らも銃を持っている事を示すジャスチャーに、「お互い武装してるってワケかよ……」と苦笑したジョセフは。

 

「アンタこそ、()()()タイカフスに通信機仕込んでたのかい?怖い怖い」

 

「普段は付けていないよ。あくまで()()からの借り物さ」

 

 そう言って、一拍、二拍。しばし黙してお互いが睨み合う。引鉄がいつ動くか分からぬ緊張が交錯する中、果たして。

 

「…………本当に、闘る気はないようだね」

 

 言うが早いが白洲、左手でパチン、と指を弾く。同時にスコープが解除され、集っていた殺気も霧散する。客人を赤く照らした光線は、何事も無かったかのように消失。ジョセフの背後にいた屋敷仕えのロシアン・メイドは、深々と頭を下げて退室していった。彼女が向けていた銃口も、既に影も形もない。

 

「非礼を詫びるよ、ジョセフ=ジョースター。もし我々の不躾を許してくれるなら、暫しこの銃を君に預けよう」

 

 背広を開けて銃を取り出し、机に投げ出した白洲から提案されたのは、仕切り直し。分かりやすい腹の探り合いは此処までと、ハッキリ線をひいた格好だった。

 

「ハッ、結構結構。ンじゃあもう両手下ろすぜ?ソレとこのリボルバーは要らねえ。()()だろ、コレ?」

 

「御名答。……因みにだが、君の斜め後ろに居た彼女の銃も空砲だ」

 

「両方ブラフかよ、いい趣味してんなあ日本政府も」

 

「お互い様だろう。……それよりも、『機関』について、詳しいようだね?」

 

「まァーそこそこな。……組織創設はWW1の更に前。構成員は日本に帰化した元白系ロシア人が中心。そして、かの姫殿下の救出作戦は帝国陸軍・明石機関とMI6共同で行われた、って事くらいはな」

 

「…………明石元二郎の功績もご存知、か」

 

 そう、かつて両国の諜報機関が結託してアナスタシア皇女を助け出した、あれこそ日英同盟最良の時であった。なればこそ、その後の同盟の亀裂と廃絶が残念でならないと、白洲は思う。

 

「当然。なんたってその時に英国諜報部のオブザーバー扱いで、姫殿下を助けた人間が…………」

 

「君の御両親だった、だろう?」

 

「……これはこれは。中々よく知ってんねえ。アンタも侮れねえな」

 

 今度はジョセフが驚くフリ。此方も巧妙な仕草だが、これに引っかかるようでは外交は務まらない。

 

 実際に白洲、ブラフを全く意に介さない。英國で培った人脈と諜報網は、終生に至るまで彼の強力な武器であった。惜しむらくはアメリカやソ連に同じ程度のツテを持たなかったため、敗戦を抑止できなかったことくらいか。ゆえに。

 

「いいや、米国のインテリジェンスには劣るさ。情報で劣位にあったのは我々の敗因の一つだ」

 

 言いながらも、その目は全く笑っていない。元々どんな人間でも()()する気概のある白洲。外套の下に短剣を秘めて交渉を行う、英国仕込みの腹黒さは伊達ではない。ポーカーフェイスを維持したまま、尚も思案。

 

(この男、大戦時の日英敵対時にすら秘匿されていた最重要機密に詳しいばかりか、救助に自身の血縁者が関わっていた事も承知の上か。核心的情報を持たぬなら体良く使い潰す算段でいたが、どうやら変更せざるを得んな)

 

 侮りがたし、むしろ強敵。判断した上でプランAがだめならB。柔軟に次案に移行できるくらいには、彼の手腕は鈍くない。

 喋らせてみるか、と先を促そうとしたところで。

 

「……ンで、俺に一個提案があるんだけどよ」

 

「何かね?」

 

 思考の僅かな間隙を狙い澄ました一撃に、刹那で対応して了承。機を得たとばかり口火を切ったジョセフから、次いで。

 

「『この国は英米のような大国にはなれはしない。精々が金庫番、要するに東洋のスイスを目指すが関の山』。そう(のたま)う連中がいるが、俺ァーそうは思わねぇ」

 

 鋭い言葉が、飛んできた。

 

 

 

 ☆

 

 

 

「……ほう」

 

 奇しくも先般の国会で、社会党の経済音痴共が吠えていた台詞を言下に否定するジョセフ。白洲の仲間内では一番の経済通たる池田勇人と全く同じ事を述べた彼に、心中で思わず瞠目する。

 

「……理由をお聞かせ、願えるかな?」

 

「ああ。日本て国はまず国土が狭ェ。山ばっかりのくせにめぼしい鉱山も油田もねえ。おまけに年がら年中天災だらけだ。しかし……」

 

 供されたウヰスキーを、一息で飲み干したジョセフは語る。喉を灼くような高い度数は、気付にも丁度良い。

 

「その僻地にへばりついてる人間の質が高い。断言しよーか? 俺に言わせりゃあ、いずれこの国は人的資源を中心に、アジアで最も地価の高いエリアになる。コイツぁつまり……先物買い、ってやつさ」

 

 そう答えた、先程と打って変わって開けっぴろげなジョセフの態度も加味し、白洲は一旦返答を保留。努めて慎重に切り返す。

 

「……酔狂だね。戦火で焼け出され、瘦せぎすで襤褸(ボロ)を纏った黄色人種。資源もない債務国家で、ナチスに与した世界の敵。そんな国家の土地を買うと?」

 

 借金塗れのしみったれた国。何せ、未だに日露戦争時の債務だって完済していないのだ。ところがコレを聞いたジョセフ、逆に眉を顰めて抗弁。

 

「ハッ、くっだらねーな。ロックフェラーだってロスチャイルドだって、戦時は両陣営に武器売り捌いて大儲けしてんだ。商人にとっちゃあ信用できる奴こそが神様だ、人種や国籍なんざどォーでもいい。……なあ、シラス……」

 

「……俺は今日、金儲けの話をしに来たんだぜ?」。ユダヤ系財閥の金儲けを引き合いに出すジョセフの眼に、迷いは全く伺えなかった。これは取引だ。そう言いたいのか。

 

(……成る程、確かに外資ではあるが、(ソビエト)側に土地を買われるより余程まし。今の日本が背に腹は代えられん貧乏国家なのは事実。赤化抑止のためにも、外貨(ドル)獲得や雇用確保は不可欠だ)

 

 しかも今回、わざわざ民間商社経由ではなく、白洲がケンブリッジ大学に通っていた時の学友から連絡先を入手、その足で日本に出向いて話をつけにくる辺り、まだるっこしいのを好まないタチらしい。

 

(戦争で貧困化し、スパイ防止法をGHQに廃止された今の日本に欲しいのは経済力と諜報力。仮に日本が赤化し、ソ連の影響下に入れば……今度こそ、ロマノフ一家は惨殺されるだろう。半島情勢を鑑みれば、次は日本が米ソ代理戦争の舞台になるやも知れん。そしてこの男……それらを()()()()話を持ちかけている)

 

 トップダウンで、機を見るに敏。こういうタイプは間違いなく出世することを、白洲は長年の経験則から知っていた。

「上に話をあげるので、一旦お待ち頂きたい」なんて悠長な事は言わない。そんな返事が出来るのは平時の組織だけだ。

 

「一括ドル建て確約ならば、呑もう」

 

 この場で即決。交渉は総理に委任されているが、念の為吉田茂(ジイさん)に系累が及ばないよう話を進めた。あとは相手次第だ。

 密かに腹を括った男の眼を見た、NYのジョジョはというと。

 

「成立だな。実はある程度の内見は済ましてあんだ」

 

 人を食ったような笑顔で、そう言い切った。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 一瞬呆れた白洲だが、咳払いを一つして調子を整える。

 

「……結構なことだが、納税だけは正しく頼む。国税のガサ入れはゴメンだろう?」

 

「あたぼうよ。その代わり、将来土地買い戻したかったらそん時は弾んでくれよな?」

 

「適正価格で取り合おう。場所にもよるがな」

 

 首肯した白洲を見るなり、新人気鋭の不動産業者、ジョセフ・ジョースターは脳内で算盤を弾く。机に広げられた日本地図の一部を睨み、目星をつけていた用地を指差す。

 

「んじゃあ、とりあえずはこのヒロシマ市とコウベ市、トウキョウのメグロ区。買値は…………コレでどうだ?」

 

 提示した金額は、十分に足るものだった。

 

「…………成る程」

 

 皇居等のある千代田区は当然NG。ソレを受け返した言葉は。

 

「良いだろう」

 

 了承だった。

 この時、まるで地価上昇は当然とばかりの姿勢を見せたジョセフだが、それもむべなるかな。後にこの先行投資は見事的中、彼の購入した土地の地価は合計100倍以上に跳ね上がることとなるのは、この約半四世紀後の話。

 

 さて商談がまとまったこともあり、ビジネスライクな雑談もそこそこに屋敷を退出。ジョセフがレンタカーのガルウイングに手を掛け、車内に滑り込んだその時。

 

「ところで……さっき退室していった、ロシア人の少女が居ただろう?」

 

「ああ、さっきの銀髪の娘か。アレか、養子か?」

 

 唐突な白洲の呟きに、返事を返すと。

 

「いいや、今日だけ特別にお越し頂いた。彼女が正真正銘アナスタシア殿下の御息女、クラリーサ・ニコラエヴァ・ロマノヴァ殿下だ」

 

「……はッ!?マジかよッッ!?オメーもっと早く言えよンなこたぁーよ!!」

 

「聞かれなかったからな」

 

 やいのやいのと言いつつも、車に乗り込んだジョセフの視界の隅に、銀のトレーを両手に抱えてぺこり、と一礼する、メイド服を着た糸目の少女が映る。

 エンジン音で声は聞こえないが、「ありがとうございました」と言っているように見えた。ルビーをあしらっているのだろうか、胸元に付けられた真紅のペンダントが、陽光に照らされて煌めいた。

 

「……そういや…………俺も昔ぶら下げてたなァ、赤石」

 

 カーズとの闘いで破壊された、あの見事な赤石を回想する。確か四つに砕けて文字通り四散してしまったのだけれど、今は何処にあるのだろうか。

 

「……ま、いいか」

 

 ハンドルに手を掛け車を進めると、ガタガタと音がする。舗装が未熟な凸凹の道路事情が、まだまだ此処が復興途中の国であることを思わせた。

 

 彼が手塩にかけて育てた娘を日本人に貰われて地団駄を踏むのも、そう遠くない。そんなある日の話であった。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

 

 

 時は流れ、2014年8月下旬。兵庫県神戸市某所に位置する、とあるロシア正教会にて。

 

「父と、子と、精霊の名において────」

 

 皺一つない修道服を着た敬虔なる神の信徒が、両手を合わせ頭を垂れ、主へ祈りを捧げていた。豪奢なカトリック系教会の煌びやかさに負けぬ真摯な礼拝は、見るものの心を魅了してやまない事だろう。

 ステンドグラスを背にする歳若い彼女は、その見事な金糸をローブに覆い、碧眼を糸目に隠して十字架を握る。

 

 さて。磔にされし神の子に願いを乞う人々は、今や俗世にきりが無い。世界平和、疫病の収束、紛争の根絶。卑俗なものなら億万長者や酒池肉林。ソレらとは一切無縁の清廉さを持った彼女が、日課を終えて立ち上がったところで。

 

「────礼拝中のところ、失礼します。クラリス」

 

 いつの間にやら教会入り口から歩みを進めてきた少女に、ふと修道女は声を掛けられた。『クラリス』────言わずもがなこの金髪糸目シスターの愛称であり、今や()()より呼ばれる機会の多い呼称である。

(無意識に)足音を消してやってきた少女。その歩法で以って距離を殺した彼女の方を振り向いた、クラリスは。

 

「…………姫様、いつの間に……」

 

 銀髪碧眼を湛える少女、「姫様」ことアナスタシアに向かって、珍しく糸目を開いてそう呟いた。

 

 

 

 ☆

 

 

 

『裏手のお菓子屋(モロゾフ)から来たんです』、と言い、銀糸の髪をなびかせる麗しい少女の台詞もそっちのけ。

 突然の()()来訪に、クラリスは立ち上がって膝のホコリを払う。慣れ親しんだ覇気ある御姿は、まさしく神の現し身。掲げて崇めてもおかしくない程の玉体に向け、汚れなど一切感じさせぬ笑みを振りまき。

 

「本日はどういった御用向きで?ご寄付ならいつでも承りますよ、姫様」

 

 ……汚れを感じさせぬ、営業スマイルを振りまいた。返しを受けたアナスタシア、ちょっと頬がビクついている。まさかどアタマからンなこと言うとは……って感じだ。

 

「台無しですよ、もうちょっとキャラ作ってください」

 

「殿下の前で取り繕っても今更でしょう。……それで、本日は何を懺悔しに来られたのですか?」

 

 とりも直さず破顔し次へ。

 懺悔。こう述べたのもむべなるかな。クラリスから見て五つ下のこの姫君は、幼少期からスタンドの暴走や波紋の練り込みすぎなどで、色々と身の回りのものをぶっ壊し、懺悔に赴くことが多々あったのだ。

 

 幼い頃はドアノブやシャーペンを片手で圧壊させたことに始まり、波紋疾走の修行中に舗装道路のアスファルトを粉々にしたことも。可動中の洗濯機や冷蔵庫に手を突っ込んだ経験もある(アーニャは無傷、逆に機械が壊れた)。

 のだけれど。

 

「今日はノー懺悔デーです、何も破壊してませんから」

 

「成長したんですね、姫様!クラリスは嬉しいです!」

 

 思わず駆け寄ってハグをする侍従。丸一日何も壊していない。これはもしや新記録更新ではないだろうか。偏見込みで褒めてみたが。

 

「何か複雑です、その褒められ方……」

 

「えらいじゃないですか!あの壊し屋がよくもまあ……」

 

 思い起こせば周りの女の子がプリキュアに夢中になってる間、道端のマンホールを取り外してキャプテン・アメリカごっこをしてたのはアーニャくらいのものだろう。そのせいで(アーニャパパが)神戸市役所の水道課に平謝りしていた頃を思えば、なんと大した進歩だ。

「クラリス、胸を顔に押し付けられると上手く喋れなモガモガ」とか姫様が言ってるけどスルー。敬意の割に姫殿下への扱いが雑であった。

 

「ぶはっ……。ソレよりクラリス、いい加減に敬語はやめて下さい。私の背中が痒くなります」

 

 彼我の胸元から距離を取ったアナスタシアが、上目遣いに御要望。たまたま厚底履いてて良かった、と思うクラリス、主君が可愛いので思わず。

 

「痒いだなんて姫様、まさか水虫にかかるなんておいたわしい……」

 

「……ネビュラ・スカ「殿下、私めが悪うございました」……そう」

 

 よよよ、と態とらしい泣き真似をしたら、物理攻撃が飛んできそうだったのでやめた。コマンドサンボを使う俊敏な精神体に暴れられたら、教会が壊れるは必定。地下に在るロマノフ家伝来の秘蔵品が一個でも傷付いたら、モロゾフ爺やの頭皮がヴィーナス・シンドロームしてしまう。

 そんなわけで、タメ口指令に関しては。

 

「ただし敬称を略すなぞ、たとえ主命とて呑めません。このクラリス、礼節を欠く不忠者に堕すつもりは御座いません」

 

「特製ミルクロック作ってきたんですが、要らないんですね?」

 

「アーニャ髪サラサラで超カワイイ〜!トリートメント変えたでしょ!?」

 

 割と柔軟だった。

 

 

 

 ☆

 

 

 

「お菓子もカワイイしアーニャもカワイイ!てかアーニャって名前がもう可愛い〜♪」

 

「そりゃあそうでしょう、私達の事を考えて付けてくれたんですもの」

 

 華麗にスルーしたアナスタシアだが、彼女がそう言うのにも訳がある。

 

 アーニャ。この愛称がのちに美波達もそう呼ぶ程に定着するまでには、実はいくつかの経緯を経ている。

 そもそもロシア語で「アナスタシア」という名の愛称・短縮形は、本来は「ナスチャ」あたりが適当だ。「アーニャ」は日本人である母親がつけてくれたあだ名である。

 

「畏れ多くも、我等が父祖の代より仕える君主の名を呼び捨てには出来ません」。────躊躇わずそう言い切ったクラリスの要望にも応え、なおかつ「尊敬するひいお祖母様と区別する名が欲しいです」と述べたアーニャの要望にも応えた、適当に聴こえる割に愛情のこもったニックネームだったりする。

 

 閑話休題。

 伝達事項があるんですよ、クラリス。そう述べたアーニャが続けるのは、一転して真面目な話だった。

 

「決戦が近いです。具体的には5日後」

 

「…………IU本選会場で、ですか?相手が世を壊乱し人を殺める悪魔なら、断罪も吝かではありませんが……」

 

「流石クラリスです。しかし場合によっては私達も、ヴァルハラに召される事を勘定に入れねばなりませんが……どうしますか?クラリスは?……辞退するなら、今がラストチャンスです」

 

「お戯れを。義に殉ずる覚悟なら、生まれた時から出来ております」

 

「………………有難う。……では、ささやかですが」

 

 と言ってアーニャ、おもむろに傍らのクーラーボックスからボトルを取り出した。容量720mlのそれは、所謂神の血と形容して差し支えないもので。

 

「127年モノの貴腐ワインで乾杯を。前祝いにこれほどの酒はないでしょう」

 

「……我等の父祖が助け出された年、ですか」

 

「ええ。というか口調戻ってますよ」

 

「我に返りましたので」

 

「成る程、では気を取り直して開封といきましょう」

 

 ピシュン。やおら手刀で飲み口を鮮やかに叩き割った銀髪美少女は、スタンドにそれを持たせると、ワイングラスに注がせ始めた。

 

「………………ひ、姫様?」

 

 カラン、と転がるコルクだったもの。刹那の出来事に、唖然。……飲む気だろうか。飲む気なんだろうな。半ば色々と諦めてる忠臣は、黙ってこめかみを指でほぐす。

 

(……いや、突っ込まない突っ込まない。動転してはなりません、私は祈りのシスター・クラリス。君主がちょっとヤバくても、見て見ぬ振りするくらいなんでもないはずです。アレは命の水、命の水だからセーフ……)

 

 現実逃避ついでに、思わず胸元のルビーブローチを握り締める。ピジョンブラッドの輝きを放つ24カラットは、実はかの初代アナスタシア姫殿下が、イパチェフ館脱出時に身に付けていたものである。

 幼い頃にアーニャの祖母からプレゼントされて以来、殆ど肌身離さず付けているそれは、最早一心同体と言っても良い。

 

 葛藤している間にも、トポトポトポトポ、と真紅の液体がグラスに注がれる。広がる芳醇な香りは、およそ一世紀以上にわたる歴史の醸し出したもの。それを軽くテイスティングし、ごく自然な動作でスタンドに飲ませようとし……。

 

「やっぱり飲酒はダメです!神も見ておられますよ!」

 

 ……飲ませようとしていたアーニャを、神の使徒は止めた。ところが試飲を遮られたロシアンハーフ、眉をへの字にして抗議。父親譲りの極めて高いアルコール分解能力を持つ(らしい)彼女は、(承太郎曰く)『スピリタスでも平気で飲めるポテンシャルがある』とされている。

 

「神は見てるだけで肝心な時に助けに来ないじゃないですか、他力本願はダメですよクラリス」

 

「神を試すような事を仰ってはなりません」

 

「今日は日曜です。神様だって寝てますよ」

 

「姫様!教会でなんて事を!」

 

「まあまあ、神の血でも飲んで俗世のことは忘れましょう。気分だけでも天国に行けますよ?」

 

「要りません!ていうかなんか嫌ですその言い方!」

 

「大丈夫、これもボランティアの一環です」

 

「アルハラです!御当主様に言いつけますよ!?」」

 

『クラリス』こと本名、Клари́са(クラリーサ)Морозов(モロゾフ)は、安息日でも気苦労が絶えない少女であった。

 

 




・白洲次郎
風の男。

・銀髪メイドさん(クラリーサ・ニコラエヴァ・ロマノヴァ)
アーニャの祖母。胸元に下げていたペンダントは母から譲り受けたもの。後に孫の忠臣にして同名の少女・クラリスに手渡すことに。魔改造したミニスカメイド服もプレゼントしたが、そっちは未だ着ていない。

・クラリス(クラリーサ・モロゾフ)
モロゾフ爺やの孫にして19歳の大学生。教会の修繕費を賄うため、YouTubeに聖歌独唱動画を投稿したらバズりまくって一躍有名に。有り余る寄進と広告収入を引っさげ、他所の寂れた教会を修復する聖女でもある。

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