美波の奇妙なアイドル生活   作:ろーるしゃっは

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楓過去篇エピ、本篇前日譚。


025/ 請い風

「話すだけだしいいだろ、な?な?」

 

「い、いいえ結構です……」

 

 ────時に、今より5年前、西暦は2009年の4月冒頭。

 神奈川県横浜市、港北区は日吉某所に位置する、とある居酒屋にて。

 

(…………どうしましょう、この人全然退いてくれない……)

 

 店内のカウンター席に楚々として腰掛けていた少女・高垣楓は、心中でそう独りごちる。この春一人暮らしを始めたばかりの大学1年生である彼女は、キャンパス近くのこの店で一人飯……と洒落込んでいたのだが。

 

(……ランチが安いからって、一人で来るんじゃあありませんでした……)

 

 相席屋でもないのに、顔を見るなり隣の席に座ってきた男に酒を奢られたのがついさっき。まだ未成年だからと丁重に断ったはいいものの、引き下がらずにナンパをされている始末なのだ。

 

 普通、飲み屋は友人知人と来るところ。だが折しもまだ、大学の入学式は行われていない。外部生たる彼女では、学内に人脈もない。

 加えてガラケー全盛期の2009年では、入学前にSNSでグループを作成するなんて出来るはずもなく。よって地方からの進学組である彼女は入学までの数日間、食事は自炊orぼっち飯と相場は決まっていたのである。

 

「未成年って言っても大学生でしょ〜?新歓で酒飲むなんてフツーだって!付き合い悪いと大人になれないよ?」

 

 思案する間も、構わずお喋りする男に辟易(へきえき)。躱そうとするも、下卑た目線が己の胸元や臀部に送られているのを感じる。

 ……正直、そこまでグラマラスでも無いのになんだこの男は。女なら何でも良いのか?こんな時に限ってオフショルダーのカットソーを着てる自分まで、なんだか恨めしく思える始末。

 

(……付き合いがどうこうなんて、余計なお世話、です……)

 

 目の前の女が今浮かべているのは、どう考えても引きつり気味の愛想笑いだろうに。この金髪男には、何かの間違いでマリリン=モンローの微笑みにでも見えているのだろうか。

 

「いい機会だと思ってさあ?それともナニ、カレシと飲んだりしたこととかないの?」

 

 ……ああもう。なんだか腹が立ってきた。周りに座ってる人達も、見て見ぬ振りして知らん振り。それどころかそそくさと帰る人までいる始末。別に助けて下さいと言ってる訳ではないし、誰も知己ではないから義理もない。けれど、都会の人とはこんなに薄情なものなのか。

 仕方ないので女ひとり、自分で如何にかすることにした。揉め事にならないといいんだけれど、と思いながら。

 

「……私、今迄いたことないんですよ。彼氏」

 

 

 

 ☆

 

 

 

 その言葉がブラフなのか、事実なのかは分からない。だがこの少女、生来の類いまれなる美貌もあってか、告白された回数自体は数知れず。

 本人は与り知らぬことだが、微笑を差し向けるだけで堕ちた男は枚挙に(いとま)がない。同級生のオタク女子から、「ニコポ実装済クール系最強オリ主」と称されていただけはある。

 

「お、語っちゃう語っちゃう!?じゃあオレなんかどーお?自分で言うのも何だけどモテるよー、オレ?お試しと思ってさあ!?」

 

 ……そしてこの男も御多分に漏れず、えも言われぬ魔性の色香に釣られたらしい。

 がしかし、此方の心情を全く察しようとしない輩の調子に、彼女の柳眉はご機嫌斜め。「テクもヤバいよ〜?」なんて下品に言い出された時点で、もう臨界点だった。

 

「……お断りします」

 

 明朗に()()()()()、短く一言。モデル顔負けのスタイルに、透明感を損なわぬナチュラルメイク。伏し目がちの長い睫毛に、平行二重の桃花眼。通った鼻梁と桜色の艶やかな唇。常世の美を体現したような女性が、次に発したのは。

 

「……私、自分より背が低い人、異性として見れないんです」

 

 楚々とした笑みを浮かべた美少女の身長、実に171cm。それは低身長のナンパ男に対する、明確な拒絶にして煽り文句。

 白磁の肌に若草色の髪、涼やかな蒼と翠のオッドアイ。綺麗なEラインを描く横顔。地元・和歌山で「紀州のクレオパトラ」と謳われた美女が穿つ棘は、まともな男なら立ち直れぬ程に鋭利であり。

 

「あと…………貴方、私のタイプじゃありません」

 

 更にもう一言。成る程、お喋りで見てくれは派手。自信過剰にグイグイ来られれば、ノせられる女もいるだろう。しかし……下心しか伺えぬ男に靡くほど、高垣楓は安くない。初対面で胸元を執拗に覗き込もうとする輩に惹かれる感性は、およそ彼女には無いものである。

 

(……これだけ言えば懲りるでしょう。これ以上はお店に迷惑かかりますし、私がお暇しましょうか)

 

 料理自体は美味しかったので、名残惜しいけれど仕方ない。言い切ると同時に、席を立とうと伝票を掴んだ彼女だった、が。

 

「……オイ、黙ってりゃあチョーシこいてんじゃねーぞテメエ!?」

 

 突然、男は激昂。たとえすっぴんに部屋着姿で歩いていても、男女問わず目を惹きつけられるだろう彼女のオーラは、あまりに眩い。そんな別嬪に袖にされた事実は、いたく不良のプライドを刺激したようだった。

 

「キメセクでヨガらせてヤろうと思ったのによォ〜〜、やっぱり女ってのは殴って躾けねーと分かんねーみてえだなあ!?」

 

 先程までの態度が豹変。まるで交尾中の豚のように騒ぎ始めるばかりか、こちらの襟元に手を伸ばしてきた醜男に対し。

 

「────その辺にしとけ。その()はお前じゃあ釣り合わねーよ」

 

 店の奥から唐突に、飄々とした声が飛んで来た。

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

(……誰……!?)

 

 耳朶を打つ深み有る低音に、思わず発声源を探す。

 タイミング良く奥座敷から出てきたのは、オールバックに撫で付けた黒髪に碧眼を湛えた、端正な面立ちの美男だった。

 

「奥で蕎麦啜ってたらよォ〜、グレートなタンカが聞こえてきたんでなァ。やるねぇ嬢ちゃん、惚れ惚れしたぜ?」

 

 曇りない革靴に、シワひとつないスーツとシャツ。年代は20代半ば、といったところか。190はあるだろう上背に、隙のない歩き方。啖呵……先程、語気を強めて言った一連の台詞が聞こえたのだろう。

 どうにも静かに一献傾けていたらしい彼は、ブ男と少女の間に颯爽と割って入る。そして……楓に向けて「奢り」と差し出された酒を、一息に飲み干したのだが。

 

「……舌が痺れる。テメー……酒になんか混ぜやがったな?」

 

「!」

 

獺祭(だっさい)はこんな味じゃあねェ。今更しらばっくれんなよ?」

 

 眼光鋭い男の誰何。冷ややかな一瞥を上から投げかけられたブ男は、口角泡を吹いて捲し立て始める。やり取りを見ていた気弱そうな店員は、青い顔をして店の奥に引っ込んでしまっていた。

 

「あァ!?イキッてんじゃねーよ、消えろやボケ!!」

 

「会計は持ってやっから、テメーはさっさとウチに帰んな。もう来んなよこの店に?」

 

「ンだとお!?オレが誰だか分かってほざいてんのかァ!?」

 

「『帰れ』って言ったよな?聞こえなかったか?」

 

「スカしてんじゃあねェー!横浜(ハマ)のテッペンに向かってナァーニナメたクチ利いてんだあッ!?オレはよォ〜、テメエみてェーなカッコ付けてる野郎が大ッ嫌いなンだよォッ!!」

 

「知らねーよ、真っ当に働け酔っ払い」

 

「ッッ……こンッのクソカスがァァッー!!決めたぜェ、今決めたッ!!テメエのそのいけすかねェー(ツラ)ァ斬り刻んで殺らアッッッ!!」

 

 煽り倒す彼に激昂したのか、それでも素手では敵わぬと悟ったのか。極度の興奮状態にあるらしいブ男は、なんと懐からアーミーナイフを取り出した。

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

「……ちょっとっ!」

 

 流石にこれは看過できない。誰かを刃傷沙汰に巻き込むなんて冗談じゃない。刃渡り20センチはあるソレは、確実に人を殺傷せしめるだろう。思わず楓が身を乗り出そうとした、その時。

「大丈夫だ、後ろにいな」。────そう、澄んだ碧眼に眼で制される。彫りの深い眼窩の奥に有るサファイアは、何より優しい光を帯びていた。

 

「余裕こいてんじゃあねーッ!!死ねッ!死ね死ね死ね死ね死ね死ねッッ!!」

 

「怒んなって、仲良くしよーぜシャブ中くんよ?ンじゃあよう……」

 

 醜い罵声と共に、彼の心臓目掛けて一直線に迫る凶刃。しかしこの優男、両手をポケットに突っ込んで微動だにすらしない。まるで、()()()()()()()()()()かのように。

 

「危なっ……!?」

 

 青褪める少女の声すら、意に介さず。

 

「────乾杯、ってな」

 

 余裕綽々の台詞が聞こえた、次の瞬間。

 突如、豚男は()()()引っ張られるかのように数センチばかり中空へと浮き上がり────客席後方の壁側へ、勢いよく激突した。

 

「グベェェッ!!?」

 

 潰れたカエルが如き鈍い声をあげた男は、身体が激しくぶつかっただけに留まらない。壁のガラス窓に衝突して揉みくちゃになり、窓と格子とを巻き込んで店外へ叩き出される。男の正中線あたりに何回か、拳が突き刺さったような音もした。

 

「俺の奢りだ、たらふく飲みな?」

 

 決着は僅かに一瞬。景気付けとばかり血とガラス片がブレンドされた凶器が舞い上がり、店中に降り注がん……とした直前で。

 

「な……えっ……!?」

 

 しかし。偉丈夫の背後に護られた少女・高垣楓は目の前の光景に驚愕するッ!なんと、()()()()()()()()()()()()()()が、元通り何の変哲もなく格子に嵌め込まれていたのだッ!

 

(……い、今……確かに『割れた』筈、ですよね……!?)

 

 驚くは彼女だけではない。余りに派手な物音が耳目を引いたのか。店奥にすっ飛んでいった気弱そうな従業員が、今頃になって店主を引っ張って戻ってきた。酔客の喧嘩と思わしき光景に目を白黒させた店の主は、一見して最も強そうな背の高い男に話し掛ける。

 

「オ、オイオイ兄ちゃん困るぜェ!?店ン中で暴れられたらァ〜よお!?」

 

 ……だが、店主がカウンター越しに見たのは、店外のゴミ箱に頭を突っ込んだ小太り男と、何の変哲も無い店の様子であったッ!

 

(どーいうこったァ?!……俺はついさっき、確かに『窓ガラスが割れる音』を聞いたッ!てことは物音からしてこの(あん)ちゃんは、外でノビてる野郎を窓から投げ飛ばした筈ッ!だってのに……!)

 

 だというのに血痕はおろか、ガラス片すらこの店の何処にもない。凶器も見当たらず、店外のゴミ箱にダイブした男からも、全く血は流れていない。しかしゴミ男は、不可視のダメージを受けて昏倒しているッ!

 これは幻覚か、それとも超能力か何かか?思ったところで。

 

「……()ーりい、気ィ使わせちまったなあマスター。そォーだ、このボトルキープしてもらっといて良いかい?」

 

 机上にある酒瓶を一本握って、長身の男は述べた。突然の超常現象に戸惑っていた店主も、再起動して慌てて返す。

 

「お、おう。構わねーぜ。……アンタ、名前は?」

 

 記名用のペンを急いで取り出した店主に対し、男は。

 

「東方仗助。カタカナでいーぜ」

 

「ヒガシカタ?……どっかで、聴いたことあるような……?」

 

「お、嬉しいこと言ってくれるねえ?……ああ、ついでにコイツは騒がせ賃だ、釣りはいらねェ」

 

 一息に畳み掛けた侠客は、長財布から取り出した万札を数枚ばかり店長に掴ませる。いずれもシワひとつないピン札を惜しげも無く渡すと、返す刀で楓の方を振り向く。先程までと別人のように穏やかな顔を保ったまま、彼は話しかけてきた。

 

「災難だったなあ、嬢ちゃん。怪我ねえか?」

 

「いいえ、おかげさまで。……あ、あの……」

 

「良かった良かった。じゃあ()()は俺が貰っとくわ。マスター、会計一緒に付けといてくれ」

 

 言いかけた楓だったが、途中で尻すぼみになった。持っていた伝票を彼がサッと掴み取り、店主に渡してしまったためだ。

 

「蕎麦美味かったぜ。また来らぁ」

 

 言い残すと、カランカランと戸を開けて。彼は風のようにどこかへと去って……。

 

「ま、待ってください!」

 

 ……行く前に、件の豚野郎に絡まれていたオッドアイの彼女に腕を掴まれた。この時「『げ、めんどくせえ』みたいな顔してましたよね、仗助さん?」と後に楓は突っついているが、今はさて置き。

 

「……あーっと嬢ちゃん、実はオレこれから用事があんだ」

 

「なら用事に付き合います」

 

「また今度で、な?」

 

「すぐ終わります」

 

「頼むよ」

 

「嫌です」

 

 潰れたチンピラ並みに強硬な勧誘を、今度は被害に遭ってた側が繰り広げる。なんだか逆ナンに見えなくもない。

 

「20分、いや……15分で」

 

「あのなあ、いらん男に自分の時間を割くもんじゃあないぜ?」

 

「女の前でこれだけ大立ち回りしておいて、ですか?原理は解りませんけど……」

 

「なんだ、手品の中身でも知りたいってのか?」

 

「……いいえ、タネ明かしは後でも聞けます。……でも私、本当は人見知りする性質(たち)なんですよ。だから……あまり、恥をかかせないで下さい」

 

「美人にそう言われんのは結構なコトだけどよお」

 

「まあ、お上手。なら……その美人に誘われるのは、お嫌いですか?」

 

 意気地無し、じゃあないでしょう?今、目の前で()()()くれましたもの。────神秘さと妖艶さを放つ、色違いの両眼が語る雄弁。蠱惑的ですらあるソレは、かくして拒絶の意思をも否定させる。

 

「……延長なしだぜ?」

 

「ええ。でも……()わせてみせますよ、貴方から」

 

 そこで話はまとまった、とばかり。若草色の髪をなびかせる少女は、絶句した男の腕を半ば強引にひっ掴み、今度こそ去っていった。

 際どさ一歩手前のやり取りを傍から眺めていた店長は、驚きで暫く眼を瞬かせる。

 

「…………大人しそうに見えて、やる時はやるんだな、あのネーちゃん……」

 

 どえらい別嬪さんだったが、入店前と後で眼がまるで別人だった。例えるなら……獲物を見つけた、捕食者(プレデター)の眼。

 それに、あの男のなんたる素早い所行。泥酔客を締めただけでなく、結果としてちゃっかり女の子の側から惹き寄せられていった始末。職業柄、酒席で男が女を口説くのは何度も目にしてきたが、こんな例は初めてだ。

 

(東方仗助、か。野郎の名前なんざ進んで覚えたくはねェーが、こりゃあ例外か?)

 

 ともあれ思わぬ売上が確保出来たので、今日は早目に店じまいする事にした店主。ゴミ箱を枕に気絶している酔っ払いを通報すると、暫し彼と彼女の去っていった方向を見つめていたのだった。

 

 

 

 ☆

 

 

 

「な、なあ……もう良くないか?」

 

「駄目です。櫛、通すので待って下さい」

 

 数十分ほど歩いた所にあった、自然公園のベンチにて。『髪型崩れちゃってますから、ちょっとじっとしてて下さい。すぐ直します』。……道すがら先程の礼を言われた彼女にそう提案されて、既に数分が経過している。

 

 動くなと指示されたので、仕方なくその場に固まる。正直、セットしたヘアースタイルを誰かにいじられるのは真っ平御免。しかしこういう状態の女性には逆らわない方が良い事を、彼は母親との生活で学んでいた。

 

(……高校生の頃までの俺なら、こうはいかねーだろーけどなあ)

 

 頑迷に抵抗する確信があるくらい、あの頃までは髪型に拘りがあった。トレードマークだったリーゼントを変えたのは、吉良を倒してジョセフ達が帰国し、高校を卒業した後の事。杜王町での奇妙な冒険を経て、制服を脱ぎ大学へと進学した時に、気付いたのだ。

 

「……はい、お疲れ様でした。もう動いていいですよ?」

 

「マジか?……色々サンキューな、嬢ちゃん」

 

 身を呈しても弱者を救う。雪の日に憧れたそんな名も知らぬ『彼』の姿は、己の思い出の中では学ランしか着ていない。記憶の中の彼より多くの歳を重ねて初めて……幼き日の憧憬を、己が追い越したことを自覚したのだ。

 あの『彼』なら、こんな時どうするだろうか。何と言うだろうか。或いは祖父、または親父(ジョセフ)、若しくは承太郎さんなら。

 思えば10代の自分が迷った時、彼等の背は常に人生の指針であった。

 

「……背、高いんですね。東方さんって」

 

 思いあぐねていると、いつの間にやら傍に座りにきた彼女にそう話しかけられた。身長の割にこの娘さん、座高は低い。脚が長い証左である。

 

「ん、まあそれなりにな。日本じゃあ目立つけどな、このタッパだと」

 

 高校生の時点で180cmに到達していた背は、高身長な父の遺伝もあってか、結局20歳まで伸び続けた。今では歳上の甥と同じく190cmを超えている。

 

「ここまであると、電車とか息苦しくなさそう……」

 

「確かに。でも気ィ抜くと額ドアにブツけたりすっからそーでもないぜ?」

 

「ああ、思わず屈んじゃうやつですよね」

 

「それそれ」

 

 相槌を打つ仗助、「そう言う嬢ちゃんも結構高くね?……」と言おうと思ったが直ぐやめる。気にしてる場合もあるだろうし。

 丁度その時、折から話していた彼女が訥々(とつとつ)と述べ始めた。

 

「……私、自分の身長高いの、あんまり好きじゃなくて……」

 

 やっぱりか。目測だが、靴抜きでも170は超えていそうだ。日本人女性の平均身長が約158cmである事を考えれば、そりゃあ地元では目立って仕方なかっただろう。

 

「成長痛で膝と背中は痛かったし……ジャージなんか直ぐにサイズが合わなくなって、何度も丈伸ばししてました」

 

「分かるぜ。夜中に耳澄ますと骨端がパキパキ鳴ってんだよな」

 

「そうですそれです!……ゴホン、すみません大声出して」

 

 更に聞くと、中高一貫の私立女子校出身だという。飛び抜けた容姿の割に躱し方に疎いのはそのせいか、と内心納得。

 

「あと、学内でも一番背が高くて。……口下手なだけなんですけど、『クールで頼れるお姉さん』みたいに見えてたらしくて。よく、後輩の女の子に告白されてました。……私、百合(そっち)じゃないんですけどね」

 

「そりゃあ、また大変だったなあ。……受けたのか?」

 

「受けてません!」

 

 断固否定。どうもそこは譲れないらしかった。からかったことに詫びを入れると、話題変えがてら脚を組み替え、今度はこちらから切り出す。

 

「何時迄も嬢ちゃんじゃあ何だし……名前、教えてくれねーか?」

 

「高垣楓、と申します。……やっと、聞いてくれましたね?」

 

「綺麗な響きだな、もっと早く聞いときゃあ良かった。……なあ、楓ちゃんよ。せっかく上背あんのに、マイナスに捉えんのは勿体無いぜ?」

 

 見目麗しく姿勢も良い。手脚は長く小顔で細身。そして何より……一見クールで無口だが、中身に一本芯が通った(こころ)の在り方、非常に好印象だった。

 ……彼女なら、或いは。この時初めて、そう思った。

 

「……褒め殺しますね、東方さんって。さっき言ってた『用事』は、もういいんですか?」

 

「いや、今その用事を果たしてんだ。……バイト先とか、決めてないのか?」

 

「?……いいえ、まだですけど……?」

 

 そうか。なら……チャンスがあるとすれば今だけだろう。東方仗助は、ベンチに背を預けたまま黙考する。呼び起こすは、日頃から自分が感じていた思いの丈。

 

(────日本の芸能界には、未だに日高舞を超える人材が出てきてねえ。それどころか、どこの芸プロも第2、第3の日高舞を送り出そうと躍起になってる始末、だ)

 

 あの(オーガ)の影響力は、今も尚凄まじい。証拠に未だ日本の女性芸能人は方向性も容姿も、判を押したように彼女に似せてばかりで、退屈なことこの上ない。

 無論、危機感を持っている若手は仗助の他にもいる。がしかし、頭の固い連中に営業方針を握られたままでは、業界の国内市場規模は衰退する一方だろう。

 トリッシュ=ウナがヒットチャートを席巻し、ティーンエイジャーは洋楽ばかり聞いているのが良い証左。有り体に言えば、劣化版・日高舞に若者は「飽きている」のである。

 

 あらゆる業種に言える事であるが、過去の栄華に縋ってばかりでは、そのコンテンツに展望は拓けない。変わらぬ現状をブッ壊し、全く新しい「風」を吹き込んでくれる切り札が、旧態依然とした業界には必要だ。

 

「……あ、夜の仕事ならやりませんよ?ご心配なく」

 

「ちげーって!風俗の勧誘じゃあないっての!」

 

 問題はそれだけでは無い。かのリーマンショック以降、世に荒んでいる人間が目に見えて増えてきた。人心の荒廃は人格に闇をもたらし、新たなる邪悪なスタンド使いを生む芽にすらなる。そしてDIOの残党にとって、それらは極上の餌に他ならない。……だから。

 

「……もし良かったら、モデルとかどうだ?伝手ならあるぜ?」

 

 阪神淡路大震災の後、打ちひしがれた人々を、日高舞がその姿で勇気付けたように。この「風」を、三顧の礼で迎えたい。

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

「モデル?」

 

 突然のスカウトに、思わず楓は復唱する。この人のルックスからして、自分がモデルをやっていて、ツテを紹介する……ということだろうか。確かに高校時代、「楓ちゃんならモデルいけるよ」、と言ってくれた子は何人か居たけれど。いざ言われると、あまり現実味を感じられなかった。

 

「ああ。実は俺346プロの社員でな。一昨日付でモデル部門の担当になったんだ」

 

(……346?……346って、あの大手芸能プロダクションの?)

 

 ……いや、偶々助けてくれた人がそんな都合良く、なんて上手い話があるものか?さっき絡まれた事例が事例なので、思わず身構える。いい人そうだけど、実はAVのスカウトだったりしたら目も当てられない……と思ってたら。

 

「はいよ、これ証拠の名刺な。なんなら今ググっていいぜ?」

 

 手渡されたラミネート加工の上質な手触りの一枚は、透かしまで入った本格派。……あれ、本物?この人、業界人?

 

「じゃあ、お言葉に甘えまして。…………ホントだ、公開名簿に東方仗助って書いてあ……え、24歳でもう係長なんですか?」

 

「業界の景気変動が激しくてな。波に引っ張られての繰り上げ人事だ」

 

「はあ」

 

 ……いや、これ謙遜だ。成果主義で有名な346でそんな人事があるか。競争の激しい芸能界の最前線で結果を出してるから、既に役に就いてるんだろう。

 加えてこのルックスで、喧嘩上手で東証一部上場企業の出世頭?世の中持ってる人はいるものだ。

 

「えーっと、頂戴します?」

 

 長方形の綺麗な名刺を、大学進学を機に買ったばかりのパスケースに、慣れぬ手つきで仕舞い込む。奇しくも、これが彼女の人生で初めて貰った名刺だった。でも。

 

「あの…………なんで、初対面の私にここまで……?」

 

 行きずりの女……いや、言い方が悪い。初めてあった女に普通、ここまでするか?確かに面倒見は良さそうだけど、と思っていたら。

 

「理由は三つ。一つに後輩だから、な。この時期に日吉にいる大学生ってコトは、K大だろ?」

 

「ええ、まあ」

 

 と答えると、彼も財布の中から、3年前まで使ってたという学生証を見せてくれた。郵送で送られてきた自分のソレと全く同じデザインは、虚偽で無い事を如実に物語る。

 

「ソレがひとつ。もう一つはオーラ。最後に……俺自身が、『高垣楓』の心根に敬意を覚えた。そんだけだ」

 

「……流石に、買い被りすぎ……じゃないですか?」

 

 内心の動揺を、咄嗟に表情筋を固めて秘匿。赤面症でなくて良かった。迷いなく断言するものだから、逆にこっちが照れてしまう。

 誰かに口説かれたことは、同性含め何回かある。が、この人は私事ではなく仕事を持ち掛けている。故にこそ、真剣に答えねば。

 

(……目を合わせたら、流れでハイと言っちゃいそうです。ちょっと落ち着いて考えましょう)

 

 そんなわけで目線に困って思わず、彼が着こなす上質な仕立てのスーツに目が行く。袖口からチラリと覗く革時計は、恐らくオメガのシーマスター。実用本位のタフなソレは、ロレックスのパチモノを見せつけてニヤついていた、どっかの輩とは大違いだ。

 ソールを幾度も履き替えただろう磨き込まれた革靴に、真っ直ぐな所作。白く綺麗な歯列を持ち、ついでに左手薬指に指輪なし。そして。

 

「ヒトを()る眼は有るんでね。本気だぜ、俺は?」

 

 翡翠と翠星、再び交錯。軟派に見えて実直なビジネス・パーソンの姿は果たして……高垣楓の背中を押すに、充分だった。

 

「…………ふふっ」

 

 春は別れの季節。しかし同時に出逢いの季節でもある。もしこれが『(えにし)』であるのならば、今年の春風は何と粋なのだろう。

 

「……どした?」

 

「いいえ。人の縁って不思議だな、と思って。……モデルやらないか、って仰ってましたよね?」

 

「ああ」

 

「来年で、私20歳になるんですけど……」

 

「うん?」

 

「……その時は美味しいお酒、私に教えてくださいね?」

 

 満開の桜咲く、春の公園。クールな少女に薫風が、一陣心地よく吹いた。

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

 マットカラーのボブヘアーが、風になびいてふわりと揺れる。只、それだけ。

 だというのにそれは……美男美女揃いの親類を抱え、且つ仕事柄美人を見慣れた仗助でも、思わず眼を見張る程の情景だった。

 

「…………ああ。また来年、此処に来るか」

 

「約束、ですよ?それから……もう15分経ちましたが、どうしますか?」

 

 忘れかけていた意趣返しに、刮目。してやったり、という笑顔を向ける彼女に、どうにも一本取られてしまったことを自覚。

 

「参ったな、こりゃあ。……負けたぜ。5分と言わず、長ーくお相手願いたいな」

 

「はい、喜んで」

 

 素直に白旗、すぐ様快諾。そして。

 

「────346プロダクションモデル部門担当者権限を以って、正式に高垣楓をスカウトしたい。期間は後程話し合おうか。雇用形態は正社員、残業なし。交通費全支給で共済加入、初年度給与は基本給300万プラス出来高、昇給及び賞与あり。内容はファッションモデル、勿論学業最優先で。……どうだ?」

 

「文句無しですが……一つだけ、追加で。私のプロデュースとマネジメント、()()に頼みたいです」

 

「……俺がか?」

 

「ええ。右も左も分からないより、その方が安心なので」

 

「……いいぜ。今んとこ美嘉(ひとり)しか受け持ってねェーし」

 

 枠はある。忙しいが時間は創れる。一人分捻じ込めるくらいには、この男は要領が良い。そもそもスカウトしたからには、彼女がそう言いだすのも道理だし、自分が請け負うのも道理だ。

 

「ンじゃあ早速、契約ついでに渋谷のオフィスまで同行願ってもいーか?もちろん任意だけどよ」

 

「何なりと。では……この通り不束者ですが、よろしくお願いしますね、()()?」

 

 人見知りを自覚していたのに、今日はなんだかスラスラ喋れた。横浜に来てから初めて、本心から笑顔になった日だった。楓はこの日の事を、のちにそう述懐している。

 

 ────さて。この年からモデル業界に飛び込んだ高垣楓は、初年度からその容貌とキャラクターで爆発的人気を博した。

 本業ではパリコレモデルに全く引けを取らず、グラビアを載せれば雑誌は即完売、CMにはひっぱりだこ。ドラマや映画では教師に婦警、美容師、女スパイ、女医や検事に果ては悪女すら完璧に熱演。

 ラジオやバラエティではクールな見た目と裏腹な天然気質が放つ面白さ故、素で喋るだけで「高視聴率女王」の異名を獲得。彼女のメイクや髪型を真似る女子も続出し、一躍社会現象ともなった。

 

 そして、大手広告代理店や他事務所は、自社タレントを高垣楓路線でゴリ押ししてもてんで敵わなかった。そのため、それぞれの個性を発揮させて売り込むスタイルへ営業方針をシフトしていく事になる。

 ……そう、仗助の狙っていた「業界の多様化と活性化」は、高垣楓がたった一人であっという間に達成してしまったのだ。あとに残るは、彼女というツァーリ・ボンバの起爆を受けて更地になった公平な環境だけ。

 2011年に大ブレイクを果たした765プロASの躍進にも、一説では彼女の寄与があるとされている。

 

 346の株価を単身でストップ高に押し上げた彼女の伝説は、アイドルに転身してからも続いていく事となる。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 それから、約5年。舞台を現代に戻し、とある赤提灯の居酒屋。東京都はたるき亭・新橋分店の会員用奥座敷。

 掘り炬燵に姿勢良く腰掛けた美しき女性のお話を前に、冷や汗を垂らすジョースター家の血族が一人。

 

「……な、なあ。ずいぶん長くなかったか?昔話」

 

「いいや全然長くないです。人生損してた(飲んでなかった)時の私が生まれ変わった日なんです、ちゃんと一から百まで聞いてください」

 

 ガロン単位で酒を飲んでも全く変わらない顔色でのんべんだらりとクダを巻くのは、今や「346プロ最高戦力」と謳われるまでに成長した、齢24歳の高垣楓。

 昨年モデルからアイドルに本業を転身した彼女だが、実は歌唱力もとんでもなく高かった。元より表現力やスター性は折り紙付きである為、現状で向かうところ、いよいよ敵無しの様相を呈している。IUに出て単騎で玲音に勝てる可能性があるのは、現状で彼女だけとされる程に。

 

「いや楓さんよ、その話実は3回目……」

 

「なーんですか最近若い子に夢中で付き合い悪い仗助さーん?」

 

 やべぇ、そういやこの娘さん駄洒落好きの絡み酒なんだった。尚この情報、今思い出しても遅い。

 

「言い方言い方。スレた熟年夫婦じゃあねーんだから」

 

「やだちょっと、今付き合っても無いアイドルと夫婦だなんて。発想が爛れすぎです仗助さん」

 

「どっちかッつーと純愛主義だ俺は」

 

「あら、気が合いますね」

 

 高校生の時分からその癖はある。いかんせん育ちが母子家庭だからかも知れない。夫婦揃った円満な家庭だとかに、漠然と憧れがあるのだ。

 

「そりゃ重畳。……にしても懐かしいな、あの時か。上京したてって感じだったな、楓」

 

「ええ。私がまだ大人しかった時期ですね」

 

「借りてきた猫みたいだったもんなあ、今と比べれば」

 

「猫、ですか。ちなみにその時が猫なら、今の私は?」

 

「んー、346の日高舞」

 

「却下で。まだ人妻じゃありません」

 

「着眼点そこ?じゃあ歌姫」

 

「うーん、合格!」

 

「基準が分かんねーや」

 

「今のは不合格です」

 

「訂正するわ、基準とかないだろ」

 

「もちのローン!カンパーイ!」

 

「乾杯はさっきしたってのッ!」

 

 一切合切フィーリングで喋る。ここまでだと一周回って清々しい。

 取り敢えず付き合って杯を交わすが、なんたるハイペースだろう。水みたいにどんどん酒が減っていく。

 

「そういや、当時はノンアルのカクテルばっかだったな。下戸の楓って最早想像出来ねーけどなあ」

 

「ゲコといえば私、面白そうなのでゲロゲロキッチン出たいんですけど。蛙の着ぐるみ役で」

 

「めっちゃ話飛ぶのな?」

 

「ゲロッパ!」

 

「イイけど、酒は無いぞあの番組」

 

「ゲロぉ…………」

 

「アイドルがゲロゲロ連呼するなって」

 

「むー。じゃあこれ全部飲んでください。生大」

 

 ドン。威勢良く片手で差し出された大ジョッキを薦められる。正直なんの脈絡でこれを飲まさせる流れになるのか分からない。挙句に彼女、勝手に注ぎ始める始末である。

 

「下戸のゲコ……ふふっ」

 

「楓、溢れる溢れる!」

 

「あ、ホントだ」

 

「あのなあ!」

 

「……ねえ、仗助さん」

 

「表面張力で持ってるようなもんじゃあねーかコレ。……なんだ?」

 

「私、結構嬉しいんですよ?」

 

「?……何がだ?」

 

「色々です。ただ、強いてあげるなら……」

 

 …………仗助さんとなら、ヒール履いても気兼ねせず楽しく歩けること、とか?

 

 蠱惑的な蒼と緑の眼が、煌めく星を確と捉える。時にIU本選開催まで、後4日のことであった。

 

 

 




・高垣楓(19)
かの日高舞を超えうるとされる天賦の逸材。デビューからたった1年足らずの間に、押しも押されぬ一流芸能人に。自己管理、演技、歌唱など全てに於いて非常にストイックであり、プロデューサーとの二人三脚でスターダムを駆け上がった。モデルだてらに業界をリセットし、後の「アイドル戦国時代」を招来させた立役者でもある。


・高垣楓(24)
「世紀末歌姫」「平成の楊貴妃」「酔いどれ小町」「バッカス・クイーン」など、数多くの二つ名を有する大酒豪。赤提灯の店でも平気で出入りし、冠番組では酒ネタと温泉ネタと駄洒落を連発する。酔い潰れた姿を誰も見たことがなく、酒量の割に歌声も容姿も全く劣化しないのは、346の七不思議の一つとされる。

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