美波の奇妙なアイドル生活   作:ろーるしゃっは

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飛鳥&文香説明回


026/ You are the successor.

 

 

 大人アイドルと元担当Pが水のように酒を浴びていた、同日同時刻。渋谷区は346プロダクション併設の女子寮にて。

 

 ───七つ道具の詳しい説明をしましょう。

 

 IU本選を控えた4日前。お馴染み喋る赤ヒヨコは若き宿主に対し、唐突にそんな事を言い出した。既に夜の帳が下り、夕食を採り終えて就寝準備をしていた使い手に、何の脈絡もなく吹っかけたのである。

 

「一応聞くけど、なぜに今なんだい……?」

 

 346寮内の自室にて、シャワーを浴びたばかりの宿主JC・二宮飛鳥は呆れながらも問い質す。朝9時からレッスンやリハーサル漬けで疲労困憊(こんぱい)な身体は、とうに休息を欲しているのだけれども。

 

『言ってなかったのに今気付いたんだ、てへぺろ☆(・ω<)』

 

「クーリングオフしてもいいかい?文香さんに頼んでみるよ」

 

 阿呆な発言は意に介さず、とシーツを整える。射程内に入った敵スタンドを、超スピードで捕食出来る文香のスタンド、『ブライト・ブルー』。あの問答無用の魂喰(たまぐ)らいで幾らか削ってやれば、このふざけた話ぶりも多少は矯正されるだろうか。

 

『なんだこれは、魂喰らいに(タマ)を喰わせるとは魂消(たまげ)たなあ……』

 

「汚い」

 

『かしこまり!』

 

「……うん、まあいいや。で、話し足りなかった事ってなんだい?」

 

 自重しないスタンドを相手にするのに、仕方ないとばかりベッドではなく、傍らの椅子に腰を落ち着ける。手慰みに口の中へと、眠気覚ましのミントガムを2粒。広がる爽快感が脳に心地良い。

 ついでに、律儀に勉強用眼鏡まで掛けて話を聞こうとしたら。

 

『ウィー。喫緊の課題は、フランス人とのワンエイスの癖して起伏に乏しい、マスターの体型についてです』

 

「『背後霊 お祓い 縁切り』、っと……」

 

 無表情のままスマホを手に取り、役立ちそうなワードをスペース検索。「奇跡の巫女・鷹富士茄子が織り成す鮮烈祈祷」なる地方紙の電子版見出しが、ふと目に飛び込んだところで。

 

『ヘイヘイヘイヘイ、マジギレしないでくださいよォ〜〜ッ!ほんのお茶目な冗談じゃあないですかッ、ねェ〜!?!』

 

「なぁにが『冗談』だって!?ヒトがちょっと気にしてることをヌケヌケとッ!魂だからって超えちゃあいけないラインがあるだろう!?」

 

『貧乳はステータスで希少価値ィッ!故に気にすることはないですよ!夏場はスクール水着がよく似合うんじゃあないですかァ!?』

 

「やかましいッ!()()でも"B"はあるんだよこのセクハラスタンドッッ!!」

 

 胸元を手で隠しつつ、器用に小さな声で吼える飛鳥。実際、まだ中学生の時分でそこまで悲観する事はない。……が、同じユニットメンバーが名峰(比喩)揃いなのでどうしても比べてしまうのだ。特に文香さん、絶対逆サバ読んでる気がする。

 

(…………ああいけない。落ち着けボク、まだまだ可能性はある筈、多分……目測だけど765の如月千早さんよりは上回ってる。落ち着くんだ、ステージ衣装の千早さんを思い浮かべて落ち着くんだ、二宮飛鳥……)

 

 本人には絶対言えないような事を思案し、心の揺らぎを沈めにかかる。かくて波打った心に青い鳥を飛ばし、約束を謳うことで平静は取り戻された。

 ……10年後どころか、5年後には普通に歳上3人と遜色ないスタイルになっていることを、この時の飛鳥はまだ知らない。

 

 

 

 ☆

 

 

 

『それじゃあ解説いきますよー。はい、よーいスタート』

 

 話が逸れてたので、本題に戻る。RTA実況臭い台詞を放った妖精はそう言い残しシレッと続ける。以下は腕輪に宿る先祖から聞いた受け売りだ、と前置きして。

 

 ────『射程内に存在する命以外なら、何でも盗める「能力」を持つ』。腕輪型スタンド・『盗賊の七つ道具』の触れ込みはそれだった。更に腕輪自体の「特性」として、7つの形に変形するのだそう。

 ルーマニアのさる貴族から譲り受けた特殊な板金に波紋を練り込み、後にイタリアで発掘された赤石を嵌め込んだ銀の腕輪。それはアルセーヌ・ルパンが文字通り魂を入れ込む程に愛した、形見の品でもあった。

 

『補足しますと、「盗み」の効果範囲は腕輪の半径120m。複数の事象は一度に3つまで盗めます。例えばアルセーヌが渋谷で貴女を助け出した時は、周囲の人間の「当該エリアへ向かう意思」と「スタンド使いを認識する能力」、更に「監視カメラの機能」の3つを簒奪(さんだつ)しました』

 

「……うーん、伝来の家宝ながら中々にチート染みてるね。変形と併せれば、実質能力2つ持ちじゃあないかい?譲って貰った側としては願ったりかなったり、だけど」

 

 取り外したエクステをケースに入れて保管する少女は、淡々と感想を漏らす、が。

 

『ところがどっこい越後屋よ、これには裏があってのう』

 

 相変わらず口調の安定しないスタンドに、真面目に所見を返す玄孫は首を傾げながらも同意。

 

「……何となく理解るよ。便利であるからには当然……『代償』もあるんだろう?」

 

『察しが良いのは好きですよ、マスター。盗んだ物や事象は無くなる訳ではありません。腕輪にそのままの状態で記録・保存されています。この保存容量が7枠しかないので、何処かで返還しないと枠が埋まり、能力が使えなくなります』

 

「盗品は本来返すべきものだ。当然だね」

 

 感性は至って現代日本人な飛鳥、即答。尚この代償があったため、生前のアルセーヌは怪盗稼業にスタンド能力を殆ど使わなかった、という。留意事項はそれだけではない。

 

『更にこのスティール能力は、1日に合計7秒までしか使えません。フルタイムで使ったら、再使用には24時間のインターバルが必要です』

 

「……まあ、時間制限は異能の力に付き物だよね。理解る理解る」

 

 ちょっとがっかりしたが、顔には出さない。

 何でも腕輪を構成する合金に貯めた太陽の力(波紋?)に、自身の精神力を混ぜて能力を発動、対象を引き寄せている……らしい。盗む対象が大規模になれば成る程、力の消費も激しいとのこと。

 

再充填(リキャスト)は日中、太陽光に当てれば完了します。大量に波紋を流しても多分使えますが、……恐らく腕輪が壊れるでしょうね。相当な年代物ですし』

 

「デリケートなソーラー時計かい?」

 

『錆びてないだけマシと思ってください。そんなわけで、御利用は計画的に』

 

「サラ金業者みたいなこと言わないで欲しいなあ。……まあ、ものは試しに一度使ってみるよ。えっと……」

 

『言い忘れてましたが、燃費も滅茶苦茶悪いです。連発による負荷は疲労を蓄積させ、制限時間を超過すれば意識が混濁して昏倒。最悪はそのまま昏睡状態に陥るのでお気を付けて。ついでに今、7秒過ぎたところですが……聞いてます、宿主様?』

 

 赤ひよこは首を傾け、今しがた椅子から転げ落ちた使い手に語りかける。フルタイムで使っただけでとんでもない倦怠感に襲われた飛鳥、まともに立ち上がる事も出来ないのだ。

 

「……今……実感、してるって……それを……!」

 

 あっという間に息も絶え絶えの少女は、意地を振り絞ってなんとか抗議する。

 命、即ち魂以外は何でも盗める、七つ道具のチカラ。スタンド限定の特効能力を持つ文香のスタンドとは、対極にある力と言っても良い。

 非常に強力だがしかし、その使い所が難しすぎる。未だ場数の少ない飛鳥にとっては、実戦でいつスティールを仕掛ければ良いか判断がつかない。この分だと変形能力をメインに使うことになるかも。

 そこまでシミュレートした本体に、幽体はというと。

 

『ええ。予想通り、ですね』

 

 予想外の台詞が、飛んできた。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 毛づくろいとばかり、枝毛っぽくなっていた羽を整え火の鳥は詠う。

 

『貴女様の体力がギリギリ間に合うかな、と言うレベルまで待ちましたので。だから今日執り行ったんですよ、この解説』

 

 したり顔で語るスタンド、つまり。

 

「……今日このタイミング、しかもボクが寝る前にわざと言ったのは……この為だったのかい……?」

 

『倒れられても困りますから。レッスンに支障が出ては本末転倒ですし。……まあ、貴女は私で私は貴女ですからね。匙加減はお任せあれ、です』

 

 ……成る程、確かに通学やレッスンの前にコレを経ていたら、その日一日自分は使い物にならなかっただろう。全く迂遠な気遣いだ。

 

「……有り難う。好意に甘えさせて貰うよ」

 

『お礼なら、腕輪に憑いてる世話焼きコーチに述べるとよろしいかと。では……おやすみなさい、ご主人』

 

 返ってくるのは、相変わらず素直じゃない返答。本当に己を鏡で映してるみたいだった。

 

「おやすみ。……また明日、だね」

 

 ……だが事実、もう限界。速攻でスタンドを霧消させ、倒れこむように布団へと身を投げる。

 

(使い所が、難しい…………けど……)

 

 五体を沈め、常夜灯も消した暗闇の中、虚空に一言。

 

「…………絶対、モノにしてみせる……」

 

 決意を静かに放った少女は、言い終えたと同時に仰向けに突っ伏した。数分も経ずにいびきひとつない静かな寝息が聞こえ始めて、間も無く。

 

『…………言っていなかったけどね、アスカ』

 

 その傍にいつの間にやら在ったのは、赤いヒヨコではなく、片眼鏡をかけた半透明の美青年。腕輪に宿りし魂の残滓にして、彼女の高祖父、その全盛期の姿である。

 

『……この腕輪が壊れた時こそ、真に私が死する時だ。祈っているよ。……君と、君の拓くセカイに幸多からんことを』

 

 その日。飛鳥は夢うつつの中で素顔も知らない、しかし良く知った誰かに、優しく頭を撫でられた……ような、気がした。

 

 

 

 ★

 

 

 

 同日朝。早朝の神田神保町の一角、鷺沢古書堂2Fにて。間借りした居室でいつもの如く寝床に入っていた黒髪少女は、鮮やかな碧眼を思わず細める羽目になっていた。

 

「……んっ…………んん……?」

 

 快晴麗しい本日は小鳥のさえずりで目を覚まし、湯浴みをしてからゆったりと朝食を摂る手筈だった……のだけれど。

 

「…………なんでしょう、この鼻につく獣臭は」

 

 変な匂いに起こされる、という凡そ有り難くない目覚め。下宿を始めてはや5ヶ月になろうかという店主の姪は、嫌な予感にむくりと上体を起こす。

 歴史ある本屋街に位置する老舗・鷺沢古書堂。その居住区画に設えられた台所は、およそ一般家庭のものとは思えない程に本格派だ。磨き上げられた銀色のシステムキッチンと業務用冷蔵庫、タイル貼りの床に和洋中様々な食器類。ワインやらを納めるカーヴまで揃っているのは、過分に凝り性な家主の趣味だろうか。

 

(……まあ、下手人は1人しかいないでしょう、けど…………)

 

 さて。斯様な古書堂の安寧を切り裂くように、2階からトタトタと静かに且つ足早に、鼻をつまんだ姪は厨房へと駆けていく。降りて行くにつれ事態の全容を察した彼女の表情は、既に普段の温厚なものではなく。ほっそりとした柳眉は、盛大に吊り上がっていた。

 

「朝からなにしてるんですか叔父様、酷い臭いですよ止めてください……!」

 

 やっぱりいた、この男。かくて少女はキッチンで大鍋に謎の物体Xをかけて煮込んでいる頭のおかしい叔父に、抗議の意を示したのだが。

 

「なんだね文香。これはバイオリン用のオイルニスを作っているだけだ、何も問題はないぞ」

 

 スラックスに白シャツというラフな格好で謎煮込みを作成している叔父は、いけしゃあしゃあと詭弁を放つ。異臭騒ぎでご近所さんに通報されでもしたらどうするんだ、と彼女は内心頭を抱えつつ。

 

松脂(オイル)はこんな獣臭い匂いじゃありません、何を使ったんですか……!?」

 

「牛皮」

 

(にかわ)の原料ですそれは……!」

 

「案外、塗ったら良い音を奏でるかもしれんぞ?」

 

「弦楽器を何だと思ってるんですか」

 

「いいや、男は度胸。なんでもやってみるのさ」

 

「……絶対使うところ間違ってます、その台詞」

 

 もはや溜息すら出ない。どっちかというと墨汁作りに精を出す叔父の奇行を止めるのに、彼女は今暫くの時間を費やすことになる。

 

 

 

 ☆

 

 

 

(……やっと匂いが除れました…………良かったなんとか間に合って……)

 

 それから数十分。「やるならだだっ広い鎌倉の支店でやれ(意訳)」という至極真っ当な意見を押し通した姪っ子は、開店前にあちこちの窓を開け放ち、いそいそと換気に取り組んでいる最中だった。

 なにが悲しくて古本屋なのに、朝っぱらからラーメン屋の仕込み染みた事をしなくてはいけないのか。絶版の稀覯(きこう)本に万が一変な臭いが付いたら、多大な文化的損失だ。

 

(……第一、人が集まるところに、変に獣臭い女がいたら申し訳が立ちません。というか、アイドル以前に女性の端くれとして流石に……)

 

 歳若い女子として、野生動物みたいな臭いに塗れて出歩くのは遠慮したい。もののけ姫のサン?あれは時代も境遇も全然違う。

 ともあれ予定外行動で押した時間を埋めるように、手早く朝シャンとブローを済ませて朝食に取り掛かる。鷺沢家の食事は当番制であるためだ。

 叔母と一緒に買った揃いのエプロンを巻き、いざキッチンに出戻ると。

 

「ううむ、やはり加水率低めのオーション麺が基本だな。ブタは腕肉、味付けには化学調味料(グルエース)を惜しむべからず。背脂はクドイくらい入れるのが正解だ。あとは……」

 

 書斎に追っ払ったはずの叔父が、彗星の如く戻ってきてそこに居た。いつのまに来たんだ。……シャワー浴びてる時か。そうだろうな。

 

「…………叔父様。今日の朝食当番、私だった筈ですが……」

 

「やあ、お帰り文香。これは二郎だよ二郎。家二郎はいいぞ、もちろんトッピング全マシだ、今日は直前リハーサルだろう?存分に食べてから行くと良い」

 

「………………」

 

 思わずピク……と、己の頬が引き攣るのを感じる。この男は女房が鎌倉に行ってるのをいい事に、朝から豚骨醤油ダシの極太麺(トッピングに山盛りのニンニク付)を食べようというのか。しかもあろうことか姪にも?こんな物を食べて外を出歩いたら、早晩に嫁の貰い手がなくなってしまう。

 

「……叔父様」

 

「何かね」

 

「実は私、……叔母様から()()されてるんですよ。食事管理、を」

 

 湯上がりの姪が放つ言葉に乗る、得体の知れぬ凄味。長い前髪に隠れた眼の奥から漏れ出す強い意思を感じ、思わず叔父は静かに返す。

 

「…………落ち着け文香。君は今冷静さを欠こうとしている」

 

「いいえ。これ以上無いくらい落ち着いてます。と、言うわけで……」

 

 というわけで、即行動。有無を言わせずニンニクと麺を冷凍庫にぶち込み、代わりに冷蔵庫からヘルシーそうな食品群をどんどん取り出す。「多分こんな事考えてるでしょう、あのひと」と語っていた叔母の言葉が脳裏によぎる。寸分違わず大当りだ。

 

「……今日は野菜サラダとお茶漬け、冷奴と麦茶です」

 

 ビタミンと大豆イソフラボンは欠かせない。肌も綺麗になるしいい事づくめだ。長野の実家で育てている野菜と米と豆を味わえ。廃棄するのも勿体無いし。

 

「待ってくれ!私の好きな塩分・糖分・脂肪分は何処に!?」

 

「そんなものより地物の信州野菜を摂りましょう。……ちなみにこれ、私の花嫁修行も兼ねているので、厨房には入らないでくださいね?」

 

 有機トマトを手慣れた手付きで切り始めながら、文香は一言。これでカロリー甚大なドレッシングをぶちまけられたりする事態は防げる。

 トチ狂った料理を平気で食べる英国面との闘いは、イギリス人の血を継ぐ鷺沢家の宿命でもある。ぶっちゃけこんな宿命は要らない。

 

(……マーマイト、ウナギのゼリー寄せ、スターゲイザーパイにハギス……。正直、どれも自分の口には合いませんでした。思うに私の食嗜好は、至って典型的な日本人のようですね)

 

 すべて現地・英国で食べたのだから間違いない。だから小学生の時分、イングランド出身のALTに「イギリスの料理で美味しいものは?」と聞かれ、「ド◯ノピザとマクドナ◯ドでした」と即答したのは、決して悪くないと思う。ジャンクフードが可愛く思えるレベルで衝撃だったのだ。

 

(……小学生の頃……というのは、今思えば純粋な時期でしたね。大方の物事に対して、怖いもの知らずでいられるわけですから)

 

 叔父を強制退去させた姪は、今度はレタスを洗ってざく切りに。並行して茶漬け用の出汁パックを鍋に突っ込んでいく。

 

 ……約一年後、小学生の相方から特製苺パスタを食べさせられて悶絶する羽目になる事を、この時の文香はまだ知らない。

 

 

 

 ☆

 

 

 

「……今度は、一体どこですか……?」

 

 その日の夜。宝石本型スタンド、「エレメンタリー・マイ・ディアー」の内部にて。

「第2段階へ移ろうか」と述べたシャーロックに導かれたのは、これまで訪れたことのない場所。応接間に案内された初回と異なり、文香は今回、鬱蒼とした竹林の奥深くに佇んで居たのだ。

 

(……魂だけではなくて、身体ごと入れる様になったのは、便利なのか不便なのか分かりませんが……)

 

 高祖父が訪れた往時の場所に辿り着ける、この謎システム。滝壺だのベイカー街だの、毎回毎回違う所に案内される度、彼の送ってきた人生の濃さに驚くばかりである。

 が、少なくとも文香が読んできたドイルの原典にも二次創作の贋作(バスティーシュ)にも、こんな場所は登場しなかった筈だ。

 一見すると人気の無い森。しかし何か……太陽のように澄み渡り、かつ厳かな空気を感じる。まるで聖地・エルサレムや、伊勢の神宮のような「重み」があるのだ。

 

『気になるかい?』

 

「ええ。これほど清廉で厳格な気を持つ場所は、そうあるものではありません。いつ何処の機会に、何の目的で来たのか……くらいには」

 

 傍らに漂う父祖に返答。幼い頃に曽祖母の案内で訪れた、英国のストーンヘンジ。そこで感じた空気と似たものが、この一帯にはあった。

 

『私がここを訪れたのは、まだ20代の前半。船旅で英国からスエズ運河を渡り、インド、香港を経由してやって来たんだ。とある豪奢な()殿()に程近い、知る人ぞ知る竹林でね。そしてこの地で出逢った師は、とても強い人だったよ』

 

 わざと返されるのは、勿体ぶった言い回し。

 最近の彼はこの様に、いきなり解答を開帳しないことが多い。狙いは一つ、玄孫・鷺沢文香への、己が推理力の継承……だとの事。「もし事務所をクビになったら、本屋の副業に探偵でもやるといい」などと失礼な台詞を飛ばすのは玉に瑕だが。

 

「…………とすると、時節は20世紀前半……」

 

 とある豪奢な宮殿。知る人ぞ知る竹林。先程の航路からして行き先は、東アジアの何処かだろう。「宮殿」「強い人」という言葉を踏まえれば、当時のアジア圏で強力な権威ある君主を戴く国は、大日本帝国かタイ王国。青竹が生い茂る植生も加味すれば。

 

「……であれば……京都御所と、嵐山嵯峨野の竹林……ですか?」

 

 ……いや、でもその二つは距離的にあまり近くない筈。それにこの竹林、結構な標高があるようで空気が薄い。そもそも京都御所は塀堀もない簡素な造り。豪奢でも何でもない。

 解答に難アリと自己判断した彼女は、自らかぶりを振って推理を否定。すると。

 

『答えはもう直ぐ分かるさ。此処から目的地までは2km程だから、歩きながら解説しようか』

 

 語る父祖を横目に、平坦な獣道をゆったりと歩いていく。木漏れ日が目に心地良い。

 

『此処は私の血縁たる直系親族しか入れないから、君の友人やPを招けないのは歯痒いがね。たまには自然散策も悪くはないだろう?』

 

「まあ、確かに……」

 

 コンクリートジャングルに囲まれていると時折、長野の田舎が懐かしくなる時もある。なお文香の実家については、サマーウォーズの陣内家を想像すると手っ取り早い。

 

「……何より、修行の類にはうってつけですし」

 

 うってつけ。この空間、外界とは時間の流れが異なるのだ。計測してみたら、経過時間は実時間に即して約10分の1。1時間入っても6分しか経っていないこの便利空間、彼はゆっくり推理をしたい時に籠っていたそう。言うならば「精神と時の部屋・酸素濃度および重力等倍版」といったところか。

 

『修行、ね』

 

 そのまま1kmばかり歩みを進めたところで、彼はまたおもむろに切り出した。

 

『ならそろそろ……今日の本題、第2段階に入ろうか』

 

「はい。……第2段階?」

 

『フミカ。君は、私が修めていた白兵戦闘術を知っているかい?』

 

 そりゃあ当然知っている。ライヘンバッハの滝壺でモリアーティに用いた、かの有名な「バリツ」だろう。未だにシャーロキアンの間でも論議を呼ぶ、謎だらけの戦闘技術だ。

 一部では「バーディツ」という名の格闘技と解釈する説もあるし、単に「滝から生還する為の舞台装置」と見做すメタな説もある。

 

武術(ブジュツ)の誤訳、という説も聞きましたが……」

 

『後世の考察は興味深いね。でも幸か不幸かすべからく違う。その答えはこの場所で、「波紋の呼吸」に見出せるんだ』

 

 やにわに立ち止まった探偵は、悪戯っぽく微笑んだ。

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

 バリツ。その正体は杖を用いた戦闘術であり、既存の杖術と柔術、CQCにボクシングを混ぜ合わせてホームズが編み出した、いわば総合格闘技術。しかしこの武術の肝は、実は呼吸にあるのだそう。

 

『呼吸を矯正し、体内の血液に特殊な波を生起させ、以て自然治癒力や身体能力を底上げする。その性質は電気に近く、鍛錬を積めば水場すら足場に出来る。故にこそ、私はあの瀑布から生還出来た』

 

 ライヘンバッハで死闘を演じた当時。敵の「呼吸を阻害すれば」勝てると踏み、毒鱗粉で肺を潰しに掛かった教授と共に滝へ落ちたのは、ホームズの咄嗟の機転に依るものである。

 コナン=ドイルは原典で「二人は共に滝壺へ落ちていった」と記述したが、あれは敢えてぼかした描写。探偵は落下した後、悠々と水の上に立ってみせたのだ。

 

「…………バリツには『波紋の呼吸』が組み込まれている、と?」

 

 水中に沈むどころか水に浮く。その特徴は文香の同窓たる空条美波が修める「波紋の呼吸」がもたらす技能と、酷似どころか一致していた。

 

『その通り。そして私が教わった「波紋」の源流はここ、チベット奥地に伝わる秘術・「仙道」に遡る。この技術を明文化・体系化した「波紋法」をジョナサン=ジョースターに遺した男が、ウィル=A=ツェペリ。言わずもがなツェペリ女史の父祖だ』

 

 波紋法とバリツの根底は、東洋にルーツを同じくするものである。そしてこの場所はチベットの奥地。更に先に言及された「師」は、宮殿お抱えの寺院で大勢の弟子に仙道を教えていたという。

 

「……なら、シャーロック。貴方とミスタ・ツェペリらに技を教えた『仙道』の師こそが……先程述べた『とても強い人』なのですね?」

 

『ああ。その名を「トンペティ」。歴代ダライ=ラマ法皇猊下(げいか)の離宮・ノルブリンカ宮殿に程近い、チベット有数の青竹林に居を構えていてね。間違いなくこの時代、最も波紋の才に溢れた人だった』

 

 剃髪に口髭、鍛え抜かれた肉体を持つ、老獪な男だったそう。

 

『彼は老若男女分け隔てなく、才あれば誰でも教えた。一介の西洋人に過ぎぬ私も、此処で組手をよくやったものだ。……この竹林も宮殿も戦争で破壊されてしまったのは、非常に残念でならないがね』

 

「……解放軍のチベット侵攻、ですか…………」

 

 高校生の時分に読んだ、世界史資料集の片隅に載っていただけの情報。だが、いざ壊される前の実物を目にすると、えも云われぬ重みを感じた。傍らの高祖父は、竹林の隙間から覗く見事な離宮群を眺め、昔日を懐しんでいるかのようだった。

 

(……ヒトの愚行で壊れた遺産も、全盛の姿のまま遺しておける。思うにこのスタンドは、閉架式の書庫にも似ていますね。……ん?)

 

 思った時、ふと。

 獣道の横合い、眼前の竹藪から、ガサガサと何やらかき分ける音がし始めた。対象は……一人、それも結構大柄。

 ……ここまで来ると文香にも、大方の予想がついてくる。

 

(このパターン、前にも経験しましたね。ということは……)

 

 きっと、トンペティなる老師が出て来るのだろう。これから手合わせを願う形になるのならば、まず初めましての挨拶からか?

 だがチベット語は方言含め言語体系がバラついており、上手く伝わるか分からない。高祖父が師事したこともあるのなら、さしあたり英語でいいだろうか。

 

(……目の前に直ぐ出てこない……投影に時間がかかっているのでしょうか?……いや、でも最初の時と違って、今はシャーロックの状態は安定している筈では……?)

 

 疑念を感じつつも身構えた文香が、分御魂たる黒犬を出そうとした時だった。

 

「ばう」

 

「…………えっ?」

 

 唐突に藪の中から顔だけ出した()()は、彼女の予想とだいぶ異なるヤツだった。

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

 そこに居たのは、一頭の野生動物。のそのそと現れるのは、太い手脚とまんまるボディの四足歩行。細めの竹を口に咥えて、興味深げにこっちを凝視。

 

「ばう」

 

 藪から棒な短い発声。つぶらな瞳に黒い隈取り。身体を覆うは白黒カラー。尻尾はくるんと短く纏まり、獰猛ながらも愛らしい。初めて()()()目撃した、大きな獣の正体は。

 

「……あの、この生き物は」

 

『パンダだ』

 

「見れば分かります……」

 

 知らないわけないだろう。上野で何度も見たことあるし。問題は何故ここにこのタイミングで居るのかってことだ。

 

 ジャイアントパンダ。言うまでもなく日本でも高い知名度を持ち、現在は中共政府がいわゆる「パンダ外交」に用いている事でも知られる。原種はチベットからミャンマー、ベトナムあたりまで広く分布していた動物だ。そして上野動物公園で知った、ここ100年前後の主な生息域は。

 

(確か、東チベット。……成る程、だからここに居るのですね)

 

 ちなみに日本で最も多くパンダを抱える自治体は、高垣楓のお膝元・和歌山県である。

 

『彼は分け隔てなく弟子を採っていてね。その中には賢い動物も含まれる。彼女がそれだ』

 

「野生動物まで弟子にしてたんですか……?」

 

 しかも彼女って、雌なのか。

 

『Ph.D クージョーの言に拠れば、過去に犬や猿、ネズミのスタンド使いもいたという。ならばパンダの波紋使いがいてもおかしくないだろう?』

 

「はあ」

 

 どんな理屈だ……と思っても落ち着きましょう私、この男はこれが平常運転です。内心を吐露せずに、文香は努めて平静を保たんとする。

 

『習うより慣れろ。と言うわけで、君はこれからパンダと取っ組み合ってもらおう、()()()()()()でね。では……やれ、フェイフェイ』

 

 述べたご先祖、革手袋を外して親指をパチン、と弾く。その音を聞いた白黒の四つ脚、おもむろに咥えた竹を前脚に持ち振りかぶり────。

 

「なっ……!」

 

 ────ビシュッッ!!素早く投擲された青竹の一投は、文香の頬を浅く掠めて飛んで行った。衝撃を僅かに受けた色白い(かんばせ)に、一点の小さな赤が淡く滲む。

 

『あの()はとても賢くてね。太極拳に八卦掌、蟷螂(とうろう)拳に少林拳まで会得している。暗器や武器の類の使用もお手の物だ。かの李書文にも師事したことがあるくらいでね?』

 

 玄孫に御構い無しに解説フェイズ。反射で一歩退いていなければ、今頃は擦り傷ではなく裂傷を負っていただろうに。

 

「……本気、ですかッ!?」

 

 直ちに距離を取って臨戦態勢。獣臭い女など婚期が遠のくと、朝方思ってた所にこれか?そんなフラグ立てをしていたなんて御免被りたい。というかスタンド無し?素手でやれというのか!?アレと!?

 

(……ヒグマと素手で闘った事もあるらしい美波さん(リーダー)なら兎も角、……私にコレと闘れ、と!?)

 

「足刀で人喰いヒグマの首を跳ね飛ばし、なめしたその毛皮を身に纏い、その頭蓋骨を杯にウォッカを飲んだ」という逸話をアーニャから先日聞いた文香、思わずたじろぐ。

 ……実際にやったのは美波ではなくアーニャの父なのだが、それを知るのは暫く後のことである。

 

「いやいやいやいや、熊ですよ?実家近くで見たツキノワグマより断然大きいんですよアレ!?」

 

『クマにまたがりお馬の稽古。日本の童謡にもそんな一節があっただろう?』

 

「まさかり担いだ金太郎じゃあ無いんですよ私は!」

 

『獅子は子を谷に突き落とし、這い上がってきたもののみを育てると言う。がんばれがんばれ、波紋を制御すれば生け捕りも可能だ』

 

「絶滅危惧種です!殺すどころか傷付けるのも以ての外です!」

 

 国際法と倫理観が頭をよぎる。ついでに可愛いからやり辛い。至極当たり前の事を述べる玄孫に対し。

 

『大丈夫だ、私がチベットを訪れた時にワシントン条約は発効していない。よって此処にいるパンダと対面(トイメン)で闘っても無問題(モーマンタイ)さ』

 

 ……確かに、「事後法による遡及処罰の禁止」は法治国家の大前提。だがこの非常識男に常識を説かれるのは、なんか釈然としなかった。余計な中国語は煽りにしか聞こえないし。

 

『というわけで、受け取れフミカ』

 

 餞別だ、とばかり。いつの間にやら離れたところに座っていた彼から、手に持っていた合金製と思わしき杖を軽く投げ渡される。

 

「……っ!」

 

 重さは3〜4kg程だろうか。咄嗟に掴んだ硬質な感触は、金属特有の冷たさを伝えてくる。……ちょっと待て、これって。

 

「……こ、これを、……私に使えと……?」

 

『ああ。今回、私は君に口出しするが助太刀はしない。スタンドを使役出来る我が係累が進むべき第2段階、「バリツ」の会得。それこそ君が生き残り、勝つ為の最適解だ』

 

 前門のパンダ、後門の探偵。どっちに転んでもロクでもない。

 

『兎にも角にも実践あるのみ。先ずは頬の擦過傷を治すところから、だね?』

 

 寝っ転がった彼、今度は黒犬へと姿を変える。本当に静観の構えのようだ。

 

(…………ああ、もう……っ……)

 

 不格好ながらも杖を正中に携え、身体を半身に逸らして構える。

 

(……時代を渡って此処まで来たのです、斯くなる上は……とことん闘るしかないみたい、ですねッ…………!)

 

 かくしてIU本選を目前に控えた新米アイドルに対し、父祖のスパルタ指導が幕を開けたのであった。

 

 

 

 




・パンダ
かしこい。


・トンペティ
波紋の開祖にして預言も出来る後期高齢者。2部開幕時点では故人。遺骨はチベットの山奥深くにひっそりと眠っている。


・???(24)「藪の中から藪から棒……ふふっ」

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