美波の奇妙なアイドル生活 作:ろーるしゃっは
────時に、今を遡ること約9年前。
「じょーすけー!こっちこっち!」
西暦2005年初春。東京都新宿区信濃町はK大学附属病院・小児科病棟にて。
「分かった分かった、アブねーから急に走んなって!」
この年21歳になろうかという青年・東方仗助は人混みの中、腕白な少女の後をついて行く。
核家族の為か、第二子・莉嘉の幼稚園参観に揃って出席する彼女達の両親に代わり、上の子の面倒を頼まれたのがつい先日。そんなわけで自分の通う大学の附属病院に彼は本日、女児を同伴して足を踏み入れていた。
(……まーさか、娘の予防接種まで俺にお任せってな、予想外だったけどよォ)
もちろん本来、小児予防接種は親同伴でないと接種不可。しかし病院内に多くの知己を持ち、病院自体にも個人的に
本人曰く「ジョースター不動産持株の配当金の有意義な使い道」、だそう。
そんなわけで受付へ赴くと、やはりというべきかそこには見知った……具体的には大学の先輩がいた。こちらを見るなりニヨニヨした笑顔を浮かべた女性、からかうように言い放つ。
「あら仗助くん、まーた違う女の子連れてるのね?今年の学祭はその娘と歩くの?」
「後輩をいじめるもんじゃあないっスよ。センバイこそ、今年は誰を侍らすんスか?」
「言うわねぇ〜、もう卒業生よ私?」
「元ミスK大が謙遜しすぎってな、良くねえと思いますけどね?」
「へぇ?なら、どっかの誰かさんに予約入れとこうかしら?」
「豊川」と記された名札を下げた、グラマラスな彼女のイジりを横目に。子守役の青年と手を繋いで歩いてきた少女が、大きな目を見開いて挨拶を交わす。
「こんにちは!えーっと……ほうかわさん?」
「
「うん!かわいいんだよ?こないだまちがえてカブトむしゼリー食べてたの!」
「あらあら……でもそうねぇ、カワイイわよね?私も歳の離れた妹が居て……あ、『風花』って言うんだけどね?」
などと盛り上がる二人を横目に、淡々と記帳しようとする。……と、これを見た美嘉、おもむろに「アタシが書きたい」と言い出した。がしかし、テーブルが高くて届かない。
「見えな……じょーすけ!抱っこ!」
「へいへい」
言われるがまま、テーブルの上に抱え上げる。すると「ありがと!」とのお礼もそこそこに少女、小さな手ながら器用な持ち方で、万年筆片手に記名。
最近、拙いながらも常用漢字を幾らか習得した彼女は、機会があればすぐペンを持ちたがる。ついこの間平仮名を覚えたばかりだというのに、子どもの成長とは早いものである。
(……気分はまるでシングルファーザー、ってか?)
画数が少ないからか、何故か自分の名前より先に「東方仗助」と漢字で書けるようになってしまった新米ジュニアモデルを抱えて思う。なお、自らの「城ヶ崎美嘉」というフルネームは複雑な字体のためか、まだ綺麗には書けないらしい。
「仲良いのねぇ、ちょっと妬けちゃうかも?」
「こうすると高いとこまでみえるもん!あ、おねえちゃんも抱いてもらえば?」
「あら、私も?折角のお兄ちゃん、寝取っちゃっていいの?」
「ねとる?」
「先輩!……美嘉、早く予防接種いくぞ?」
「はーい!」
「いってらっしゃい。あ、それから仗助君、あとで院長先生がお話しあるって」
「いっ?……マジすか?」
「そりゃあもう。これ、場所を指定したプリントね」
「うへぇ……どーもニガテなんスよねェ〜、偉い人に呼び出しとか食らうのは」
思わず渋面を作る。高校生時代、生徒指導係の教授に服装を注意された経験を思い出したからだ。ただし入学当初に
「じょーすけ、何かわるいことしたの?」
「んー、今回は身に覚えがねェーぞ?無罪だ無罪」
「じゃあ、えんざいで捕まっちゃう?しけい?」
「いいや、ヤボ用だろーどうせ。すぐ戻ってくっから、ちょっとだけ託児室にいてくれ」
「サーティーワンのベリーベリーストロベリーで手をうつよ?」
「ダブルまでな?あと歯磨き必須」
「まかされた!いい子にしてる!」
即座にイカサマじみた取引を持ちかけるあたりは、既に1年以上の付き合いになる目の前の男の悪影響か。もちろん根っこは素直な少女なので、この駆け引きに悪気はない。が、のちのち妹に伝播する小悪魔の片鱗も垣間見える。
美嘉が後年、高垣楓から習ったメソッド演技で以って演技派の称号を得る素地は、この時から既に育まれていた。
いわゆる「カリスマギャル」として恋愛体験談の開帳を求められた際、幼少期からの仗助との思い出話を(適当に盛って)語るようになるのは、この数年後の事である。
☆
ところ変わって、院長室。マホガニー材のインテリアに、クリーム色に塗られた壁材が目を引くシンプルな
「お初にお目にかかります、院長。ただ今年で米寿ってのは知りませんでした。お祝いも持たずに失礼」
「お構いなく、東方君。急に呼びつけたのは儂じゃし、の」
齢80を越す、白髪でギリシャ彫刻の如き濃い顔立ちの院長。その彼から「君と話したいことがあってね」、と断りを入れられた話とは。
「……約2年程前から、この病院には妙な噂が立っていての」
「柳」とだけ名乗った院長は、そう訥々と語り出した。約2年前。丁度、
「ああ、それなら知ってるっスよ。『難病快癒の不思議病院』、ってやつでしょう?」
曰く、転移した癌細胞が消失した。血栓が無くなっていた。Ⅲ度熱傷が目覚めたら完治していた。常ならばあり得ぬような超常現象が、この病院では時折、発生するのだそう。巷では「座敷童が棲み着いている」なんて噂も立つ始末だが、
「何故だ、と思うかね?」
「さあ。神頼みでも奏功したんじゃないスか?」
「神頼み……去年の改築工事の後の、地鎮祭の話かな?」
「ま、そんなトコでしょう。あのとき島根から来てくれたッつー巫女見習いの子。彼女のお祈りが効いた奇跡、とか」
父親譲りの流暢で適当な舌鋒を飛ばしながら、仗助は思案。
(「鷹富士茄子」、って言ったっけなァ〜、あの子)
およそ、小学校中学年程度かと思われた少女だった。物凄い豪運を有し、その預言は全て当たる……と地元では有名らしい。実際に億泰、康一と一緒に卒業旅行で島根の出雲大社へ赴いた際、仗助も妙な預言を貰っている。
「癖のある女の子達がどんどんと寄ってきます。同時に凶兆も。……ただ、その先はイバラに覆われていて分かりません」。……これが、彼女が仗助に申し述べた預言である。
曰く「クリアな預言が出来ない人は初めてです。そういう星のもとに、生れついているのかもしれません」とのことだったが。
「奇跡?……いや、違うの」
御老公は、これを言下に否定した。
「これは神の御技でも、仏の御心でもない。ある共通点が存在するんじゃよ」
☆
永き人生を数多の勲章で彩ってきた名医は、そう言ってから一旦、お茶で喉を湿らせた。
「共通点、っスか?」
「ああ。其れ等は全部で三つあっての。まず一つ、
そう。これは無差別な奇跡などではない。明確な規則性がある。
「そして三つ目。先の二条件に該当した
知らぬとはいえ核心を吐く言葉をよそに、しかし。
「成る程。ンじゃあ、仮に
若人は素知らぬ顔で切り返す。何故なら。
(……台詞からして、治したのは俺だって目星はついてんだろう。解ってて聞いてくるって事は……この爺さん、ひょっとしてスタンド使いか?人は見かけによるもんじゃあねえ、もしDIOのシンパだってんなら、……先ずは承太郎さんに連絡入れねーと、な)
腹芸は得意そうだし、油断ならない。青年がポケットに入れたアンテナ付きのガラケーを、こっそり握り締めた時。
「だとすれば…………ひどく、虚しいものじゃな」
返ってきたのは、一気に五歳ばかり老け込んだような声だった。何らかの感情を込めてのものか。骨ばった拳が、ギチリと音を立てて握り込まれる。
「虚しい……?」
「……かつて儂は、『世の苦しむ人を全て救おう』と思い至って、医の道を志したんだがね」
若き日の思いを投げた独白は、
「先代院長より受け継いだ、この病院の評判が良くなるのは結構なこと。……だが、そこに我々医学者は何ら寄与していない。死に瀕した者を救ったのは、顔も名も知れぬ何者か。大病院のインテリが『看取るしかない』と
日頃から何の為に「先生」だ「プロフェッサー」だと崇められ、高給を貰っているのか?……当然、重く崇高な職責を果たす為だ。
それが出来ぬまま、訳も分からぬまま患者に頭を下げられる現状は、医者として
「ここは我が国でも最高峰の病院だ。医療機関をたらい回しにされた患者でも、命を繋ぎとめた例は数知れない。この手で直接救った人の数も、優に四桁を数えるだろう。……そんな連中が集って、このザマさ」
「……院長の功績は、俺も大学の講義で知ってます。『神の手を持つ』と謳われた外科医が、この病院に寄与してないってのは謙遜でしょう」
「昔の話さ。今では老眼とリウマチが酷くてね。……この通り、湯呑みを持つだけで手が震える有様。メスを握ったとて、まともな執刀は望めんよ」
憐憫など不要とばかり、カタカタと小刻みに震える茶器を持つ院長。だが。
(……気の毒な事だ。……ンでも敵さんとなりゃあ、たとえお年寄りだろォーが手加減は出来ねェ……!)
同情しながらも冷静な男は、かくて……無言でスタンドを顕現させる。が、老人に反応は無い。至近距離まで近付けても……本当に、視えていないようだった。
(……おいおい。こりゃあ……シロか?)
……なら、話は別だ。「疑心暗鬼になり過ぎたのは、自分の方だったみてェーだ」とは、のちの仗助の述懐である。
☆
「院長。……どうやって、俺に辿り着いたんスか?」
敵でもない。スタンド使いでもないなら、話は違う。だから言外に、やったと認めた。
「……そうかそうか。腕も眼も最早十全に使えんが、この脳味噌だけはまだ耄碌しとらんようで良かったよ」
兜を脱いだ青年の顔に我が意を得たりとばかり、満足そうに頷いた老人。間髪入れず、意表をつく事を言い出した。
「君、こないだ電車で痴漢されていた女子中学生を助けたろう?」
「あー……?……ああ、確か愛媛出身の『柳』って子を…………って、まさか」
確かに助けた。しかし事務所に向かう途中だったので急いでた時だ。JR側との連絡先交換もそこそこに、犯人を駅員に突き出してさっさと移動した覚えがある。
だが、「柳」って。
「柳
「……その節はドーモ、お世話になりました……」
「いやいや、こちらこそ曽孫が世話になったの。礼を言わせて貰うよ」
痴漢を取り押さえたのはどんな人だったのか。彼女の両親が娘にそう尋ねたところ、東方仗助が候補に浮上したという。関東在住の身長約190cm、黒髪碧眼で色白、筋骨隆々の若い優男などそうはいない。探偵を雇わずとも、都内のトレーニングジムとモデル事務所へ適当に電話するだけで、特定は容易だったとのこと。
「で、本題に戻るんじゃが」
この老骨に代わり、なんとかしてもらいたい少女がいる。
語り始めたところによると、その少女はこの病院に転院して間もないらしいが、余命は合算2年もないという。勿論最期の日まで入院は確定しており、退院どころか通院も許される状況ではない。
が、小児末期患者へのせめてもの
「その少女の名を……」
後期高齢者が重々しい口を言いかけた、正にその時だった。
「じ、じょーすけっ!」
バンッッ!という開閉音も間もなく。勢い良く開けられた扉から、転がり込むように飛び込んできたのは。
「な、美嘉ッ!?」
託児室に預けたはずの、同じ事務所の少女だった。息急き切って駆け付けてきた彼女、今にも泣きそうな目をしている。
「どうした!?」
「……あそんでたら、倒れちゃったの!ひとり!おんなのこ!」
☆
騒乱に収拾をつけようとする事、数十分。再度人払いをかけて諸々の処理を済ませ、美嘉を親御さんに引き渡し、今日のところは帰宅の途に着かせたのち。
「
呟いた仗助は、一枚の写真を握る。そこに写るは就学前の、栗色髪を有する幼い少女。奇しくも美嘉の遊んでいた相手こそ、院長が伝えたかった「なんとかしたい患者」であったのだ。
写真の添付された文書には、詳細な文面も載っている。
「本来は部外者にカルテを見せるなど、始末書どころか免職ものだがね。こんな事は儂の人生でも初めてだ」
しかも、実質初対面の得体も知れぬ男に、だ。ただそんな怪しい奴に頼らなければどうにもならない現状に、医者としてはほぞを噛むような思いなのだろう。
齢六つばかりの少女の身体には、耳の後ろなど目立たぬところにあるとはいえ、多数の手術痕が残っているらしい。
(こりゃあ……よく、今迄もったってレベルだな……)
埋め尽くされるのは、数多の症例の数々。貧血、中耳炎、脊柱湾曲、緊張性気胸、群発頭痛、不整脈、エトセトラ。過去には肺水腫の治療を行なっており、極め付けに心房中隔欠損症までも患っていた。
カルテにある見慣れぬ病名を、思わず上から突いて問う。
「……この病気、一体どういう代物ッスか?」
「心房壁に空いた孔が、心機能を低下させている病だ。内視鏡では手に負えん。外科手術でしか治せんよ」
少なくとも、現代2005年の医学ではな。カテーテル手術は日本では臨床にすら至っておらん。柳院長の言葉を受けつつ、手渡された資料をパラパラと捲る。
「かかる時間は最速で約2時間。施術は胸部を12cm程度切開、当然ながら全身麻酔をかけて行う。手術中、患者は心停止するため、外付けの人工心肺装置に呼吸を依拠。リスクとしては患者の虚弱さも相俟って、術後に心筋炎、更に心筋梗塞発症の可能性あり。……正直、酷どころか殺人と変わらんよ、今の彼女にはね」
「……体の弱った6歳児に、ンな手術耐えれるワケがない。『まともな治療が出来ない』、ッてのはそういうことっスか」
長丁場のオペを乗り越える体力が、これまでも別の病気で手術を繰り返し、挙句頻繁に貧血で倒れこむ幼子に残っているとは思えない。よしんばクリアしたとしても、合併症に怯えて生きていくことになる。傷痕は更に増え、水着を着て泳ぐどころか、満足に走る事も難しくなるだろう。正直、術後の
「投薬治療では完治しない。心臓移植はドナーがおらん。そもそも施術時間がかかり過ぎる。人工心臓移植手術も同様だ。大元の心臓さえ健康になれば、不整脈や肺水腫に悩まされる事も無くなるんだがね」
仗助自身も幼少期、高熱が出て50日ばかり生死の境を彷徨ったことがある。が、そんなものが生温く思えるレベルのハードさだった。
加えて自らのスタンド能力では、病気の類は治せない。……だが。
「……要するに、孔を
「ああ。雑菌やウイルスが入らぬよう衛生を保ち、微細な血圧・血量の変化に気を配り、心室心房を悪戯に歪めず、後遺症を残さないという前提をクリアした上で、な」
なんだ、そんなことか。
(クレイジー・Dは、怪我は治せても原因不明の病気は治せねェ。無から有を創ることも出来ねえ。……けど、患部の摘出や癒合で治る類の「病」なら、話は変わってくる)
自分が原理を理解し、材料さえ揃っていれば、あとはどうとでもできる。人体内部に入り込んだ
「出来ますよ。ソレで良いなら」
まして孔を塞ぐなんて行為は、これまでもしょっちゅうやっている。人の身体から
「……厚かましいのも、情けないのも承知の上。しかし患者が助かるなら、儂は君の靴だって舐めてやるさ。その上で────」
「いいや院長。これは二択っスよ、俺がやるかやらないかの」
そう。「怪我」と解釈出来るものなら、凡そ全て
「……そうか。頼もしい、の。なら……ついでに実はもう一人、やってもらいたい人がいるんじゃが」
「へぇ、別に居るんスか?」
その場合、症状が重篤な患者から当たる必要がある。優先順位としてはどっちだ?……いや、北条加蓮か?
「対象はひとり、今度は20代前半。小太りの成人男性だ」
思わずゴクリ、と喉がなる。少女程に重い病状を抱えた者が、もう一人居るのかと。折しもタイミングよく今朝運ばれてきたという、その彼について。
「……症状と、詳細を」
「おうとも。不謹慎だが担当医達が、この患者の対応中に笑いを堪えるのに苦心していてな。聞けば一人暮らしで暇を持て余し、性に奔放になってしまったらしくての。全裸に蝶ネクタイを締め、更に某所を洗濯バサミで摘まんだ状態で運ばれてきたんじゃが、出来心でキュウリを下腹部に挿れたら、折れて中で抜けなくなったと」
「下剤でも食っとけ」
聞かなかったことにした。
☆
阿呆な話は傍に置き。真面目な話を詰めてプランを練っている内に、時刻は既に夜の帳が下りていた。
「…………ここか」
消灯後、間も無く。個室の病室の前でネームプレートを確認した東方仗助は、控えめに三度ノックをして、暫し待つ。声が返ってこないがソレもそのはず、中に居る少女は呼吸器をつけている。
布団を身じろぎさせ、此方を向いたと思わしき衣摺れの音を返事と見なし、仗助は静かに入室した。
「こんばんは。……遅くに起こしてすまねーな、巡回のもんだ」
……だれ?と、呼吸器をつけた口が言う。眠いのだろうか、微睡みの中にある眼に、小さく自分が映っていた。
「東方仗助、ってんだ。今日は柳院長先生に頼まれて、看護士さんの代わりに来た」
低いが、よく通る声でゆっくりと語り掛ける。
(……昔の美波ちゃんや一昨年の美嘉と比べると、体は小さいし痩せこけてるな。無理もねェ、これまで何度も大変な思いしてきたんだろう)
苦しそうに呼吸をする眼前の少女に、想いを馳せる。成長に個人差はあるだろう。が、健康優良児な事務所仲間や、五体大満足な又姪の同じ歳の頃と比すると、その差は歴然だった。
「『急に来といて、なんだコイツ』、って思うかもしんねーけどな」
彼女が、北条加蓮が喪った時間を取り戻すことは出来ない。美嘉のように真新しいランドセルを背負い、友人を作り、一緒に遊び、楽しく学べた筈の1年間は戻らない。負ったであろう心の傷は、そのままでは癒せない。人より数倍努力せねば、開いた差は埋まらない。
「無理に喋らなくていい。良ければ頷いて、嫌なら目を閉じてくれ。ちょっと考えて貰えば、それで良い」
結局のところ、最後は自分の力で困難に立ち向かっていくしかない。その労苦を思えば、これから己のする事は取っ掛かりに過ぎない。
「なあ、加蓮ちゃん」
腰を落とし、目線を少女の高さに合わせる。
「……病気が治ったら、何がしたい?」
☆
なにいってるんだろう、この人。突然現れた大きな男の人の話に、加蓮が寝惚け眼のまま思ったのはそれだった。だけど。
「もちろん、今考えたく無いならそれでも良い。『帰れ』って思ったら、黙って俺に向かって中指立ててくれ。ソッコーで部屋から出る」
気さくな顔でそんな事を言う人には、初めて会った。
「ただ……俺は、君は今死ぬべきじゃあない、と考えてんだ」
なんだろう、この人。今まで会った、誰とも違う。
これまで自分に会った大人が向けるのは、大抵は同情と哀れみと遠慮の視線。医者や看護士は大抵事務的だし、親身になってもすぐ転院。大好きな両親と祖父母だって、自分の前で笑う時は悲哀を必死に押し隠していた。
「インフォームド・コンセントってのが要るんでね……ッと、ココで横文字使うべきじゃあねーな」
物心ついた時の初めての記憶は、「ごめんね」と嗚咽しながら自分を抱き締める、母親の腕の中からだった。耳に包帯を巻かれていたから、何かの手術をしたのだろう。公園デビュー?とか言うのも、ついぞ自分はしたことが無い。
「医療行為って呼べるか分かんねーけど、平たく言やぁ怪我やら炎症やらが全部治るって、そんだけだ。だから……」
幼稚園のお遊戯会も、練習で倒れて以来一度も出ていない。砂場遊びは感染症の危険があるから駄目だと診断されて、一回も出たことはない。水泳は見学しかしたことが無いから、未だに泳げない。
冬の寒い日、近所の子達が雪玉を投げ合って遊んでいた日も、二階の部屋の窓から眺めるだけだった。
「……諦めんのは、まだ早え」
これまでの入院生活で刻まれているのは三つ。香料のついた麻酔の匂いと、遺体に泣き縋る親族の悲痛な声、そして無機質な病室の壁。
先日は看護士達がひそひそ声で、「あの子は余命2年らしい」と述べていた。……なんとなく、分かる。いわゆる「死期」と言うんだろうか。ソレを、短いながら悟った気がする。でも、それなら。
「生きてんなら、眼を醒ますのは今この時だ」
それならアタシは、何の為に生まれてきたんだろう。
『なあ、加蓮ちゃん』
耳に引っかかった言葉が、フラッシュバックする。アタシは家族に、なにも返せてない。なにもしてない。なにも出来てない。
『……病気が治ったら、何がしたい?』
何がって?そんなの、そんなの山程ある!でも、最初は、最初にやりたい事は、まず…………!
☆
応答がなくとも語り掛けるうちに、彼女の目線はこちらに向くようになってきた。
(……耳に入ってきたみてェーだな。いよっし、聞いてくれりゃあどーにかなる、問題はこっからだ……!)
その時、次の言葉を継がんとした仗助に対し。彼女が、震える手でゆっくりと指差した枕元。「みて」と口を動かした彼女の、視線の先にあったのは。
「……絵日記、か?」
カバーが白いからか、布団に紛れて気付かなかった。誰かから贈られたのか、丁寧な装丁のソレをそっと手に取り、意図を汲み取らんとページをめくる。震える手で必死に描いたのだろう、いずれも筆圧は弱く掠れている。
だが、その最後のページにあったのは。
『みんなといっしょに、うたいたい』。
拙い筆致ながらも、恐らくはお遊戯会に参加できなかったのだろうか。幼子がなけなしの力を振り絞ってクレヨンで描き殴ったと思わしき、血を吐くばかりの思いが克明に記されていた。
「………………!」
唇はカサつき、点滴で栄養を賄い、同年代の子供よりはっきり痩せ衰えていても。胃ろうを待つばかりの、余命宣告を受けた身体でも。ストレスか投薬の副作用からか、幾分か若白髪の混じった髪でも。
「……グレートだぜ、嬢ちゃん」
それでもその眼に、生きようとする「意思」を感じた。死の帳ではなく、太陽の輝きに導かれんとするその在り方、まるで。
(吉良ブチのめした時の、あん時の早人並に強い眼だ。コイツぁぶったまげたな、オイ……!)
だから、贈ろう。
『──────────クレイジー・Dッッ!!!』
迷いなき覚悟へ、最大の喝采を。
☆
ドギャアンッッ!!────幽体の放つ一振りは、わずかに一回。しかしそれだけで呼吸器の管や縫合用の糸が、体外へ綺麗に析出される。
抗生物質を混ぜ込んだ点滴は希釈されて体内へ格納され、包帯を巻かれた治りかけの傷口は全て塞がれ、幾つもの手術痕は跡形もなく消失する。浮腫んだ手脚もカサついた髪も、あばらの浮く痩せ細った体躯も、歳相応の柔らかさと瑞々しさを取り戻す。
(……未開封のミネラルウォーター、ってのは便利だな。水分不足の弱った人体に混ぜるには持ってこいだ)
カルテを頭に叩き込んで行った超高速修復は、僅かに刹那の間で完了。余りに突然の超現象が身体に巻き起こった為か、茫漠と目を見開いていた少女だったが。
「お疲れさん。……もう、口から水飲めるだろ?」
ぬるめのミネラルウォーターをベッドレストに置いた仗助に、驚愕の対象を移し。
「目が覚めたら無理せずにゆっくり飲みな。もしなんかあったらナースコール呼んでくれ、すぐ飛んでくる。……じゃあ、また会おうぜ」
驚いた幼子がしかし眠気に耐え切れず、目を閉じたのを最後に。その日はそれだけ言って、あっさりと退室する事にした。
(糸なんかの医療廃棄物は圧縮して纏めた。コレは院長経由で病院に処分してもらうとして……)
手のひらサイズの塊を左手に持ちつつ。ガラガラ、と無機質な病室の戸を閉めた男は、院長室に向かってゆっくりと歩き出す。心中にあったのは、安堵と緊張。
(……柄にもなく手汗が酷えな。上手くいって良かったぜ)
……東方仗助が、一度は志した医師の道を歩まなかったのは単純明解。皮肉なことに医者にならない方が、より多くを助けられるからだ。
だからこそ彼が目指したのは教師でも警察官でも、はたまた学者でも不動産屋でもない。
(トリアージって考え方は、俺には必要ねーからな)
助かる見込みなき者に黒バンドを巻き付ける、救急医療の常識。しかしこの男にとっては、死に瀕した者こそ最も早く手を差し伸べるべき対象である。
「……あ、やべ」
気高く、そして心優しき看護婦であったエリナ=ジョースター。ジョナサンの意思を継ぎ、老いては孫を見守り、静かに逝った守り手の血。そんな曽祖母の優しさが最も色濃く反映されたのは、実は彼なのかもしれない。
(……二人して治すのにアタマ一杯で、親御さんに連絡すんの忘れてたわ)
本人の同意は得たから、ギリギリ目溢ししてもらえるか?でも、何と言って家族に電話するのか。
ひとしきり院長と頭をひねり、「『奇跡の巫女・鷹富士茄子女史の効能』って事でいんじゃね?」という投げやりな案が出るのは、この数分後の事であった。
☆
「よ、元気してたか?」
それから、6日後。ここ数日、毎日のように訪れる、「北条」と名札のかかった病室にて。
「そりゃもう、じょーすけのおかげでね。……あのね、かんごしさんがね、『へやのお花がまったく枯れない』ってふしぎがってたよ?」
血液検査などの処置も滞りなく終わり、明日めでたく退院の運びとなった加蓮。日中は仕事のある両親より早く来てくれるのが嬉しいのか、話し相手として呼ぶようになった仗助に対し、そこそこに懐いたのがこの数日間であった。
「あと、アタシのこともしゃべってた。まるでキセキだ、って」
話の合間に彼女、ミネラルウォーター凡そ200mlを一息。一気飲みを軽々行った彼女は、身体の調子を確かめるように拳を握っては開く。
「…………うん。いきてる」
あの日から、それまですぐに切れていた息が上がらなくなった。雨の日や季節の変わり目毎に感じる、手術痕の疼きもない。視界はブラックアウトせず、胸が苦しくなることもない。
「アタシ、いきてる」
汚泥のように纏わり付いていた、全身の倦怠感がまるで無い。しかめ面を作る原因になっていた、頭痛も全く感じない。中耳炎を患って以降、悩まされた耳鳴りもない。強くゆっくりと拍動する心臓は、これまでのように頻繁に空打ちする事もない。
「……ああ。点滴もペースメーカーも要らねえ。基礎体力さえつけりゃあ、後は跳んだり泳いだりし放題だ」
「……もう、しゅじゅつしなくてもいいん、だよね?」
「怪我しなきゃあ必要ねーぜ?今後の人生にはな」
「じょーすけって、まほうつかい?」
「ンな大層なもんじゃあない。アレは隠し芸みてーなもんさ」
「……どうして、たすけてくれたの?」
「誰かを助けんのに、深い理由なんか要らねーって。必要だと思ったからそうしたんだ。それに……」
思えば、人との会話に飢えていたのか。先日降って湧いた有り得ぬ事実に驚きを隠せないのか、或いは元々の性分か。ここ数日ですっかり饒舌になった彼女に応えるように、真っ直ぐ相手の目を見て仗助は語り掛ける。
「人間てなァ、当然誰しもいつか死ぬ。だけど、……何も今死ぬこたぁー無えだろ?」
「……そっか。………………うん、そだね」
返事は、果たして。
「……アタシ、さ」
喋るうちにお腹が空いてきたのだろうか、手近にあったゼリー飲料も飲み干した彼女は、堰を切ったように話し出した。
「たいいんしたら、うた、歌いたい。それからがっこういって、ディズニーいって、ともだちとあそんで、あと……テレビでみた、アイドルみたいになりたい」
「ああ。なれるさ」
「だから、つれてって?」
「……俺がか?」
同年代の子と比して尚も小さな両手が、自らの利き手を握る。文字通り大きさに大人と子供の差がある握手。しかし秘められた熱量は、なんらの引けも取らなかった。
「だって……じょーすけ、アタシがはじめてちゃんとみた、お星さまだもん」
お星様…………?……昨日タンクトップを着たまま彼女を肩車した時、背中の星痣を不思議そうに見ていたからその事だろうか。
「やくそく……して、くれる……?」
「……わーかったよ。んじゃ、俺からもひとつ約束な?」
ベッド周りの千羽鶴やら見舞いの品の菓子やらを、一瞬で梱包して箱に詰めていく。
そういえば「髪切りたい」と彼女が言っていたので、「前髪はコッチの方が良いぜ」と付け加え、目にかかるくらい伸びていた彼女の髪型をやはり一瞬で整えたのは、確か一昨日のことだったか。
「親御さんより先に死なないこと。もちろん健康に生きて、な」
「じょーすけよりも?」
「当然。一日だけでも良いから、俺よりも長生きしてくれ。まあ、簡単にはくたばらねーけどよ」
「…………うん!」
ついでに「明日はポテトとハンバーガー食べに行きたい」との要望に苦笑しながら応えると、何でかその場で指切りを結ばされた。
丁度、八分咲きの桜が満開になった、早春の事だった。
☆
それから、9年後。都内某所に位置する、「北条」と立て札が冠された邸宅の二階にて。古びた千羽鶴を大事に飾るこの家の長女の部屋に、声を掛ける妙齢のは美女が一人。
「かれーん?そろそろご飯よ……って、まだ勉強してたの?」
「あ、ありがとお母さん。勉強……ってそりゃまあ、受験生だし?」
「根詰めるわねえ。美嘉ちゃんの影響かしら?」
「あー、ソレはぶっちゃけあるかも。でもアイドル目指すのは高校受験終わってからだよ?凛も同じ高校志望だし、大学は絶対にK大って決めてるもん」
「K大ってホントに?あそこ、国内の私大で一番偏差値高いのよ?」
「だからこそ、だよ。ハードルは高い方がいいでしょ?あの楓さんの母校だし。ちなみに美嘉も狙ってるらしいよ?」
握り拳をパン、と叩いた娘。「学費は大丈夫、中学の今から特別にバイトもさせてもらってるし」と述べる口調に迷いはない。ただ……意気軒昂なのは上等だが、大事な理由が抜けてやしないか?
「そうねぇ。あんたのお熱なイケメンプロデューサーもOBだしねえ?」
「なっ……え……ち、違うし!ソレはリスペクト!あくまで敬意!大体、年嵩ほぼダブルスコアで違うんだし……!」
「はいはい、大変ねぇ我が娘も。彼がもし既婚者になっても狙うつもりなの?」
「お母さんっ!」
「心配しなくても、三者面談じゃ黙っとくわよ。でも、まさか前髪の形を9年変えてないのがそんな理由とはねえ?」
「コレはこだわりっ!別にやましい事じゃあないでしょう!?」
「娘が勉学に励むモチベーションになってるんだから、むしろ感謝してるわよ。じゃ、5分後くらいに降りて来なさい。顔真っ赤よ?」
「なんてずけずけ言うのよこの母親……!」
「おほほほほ、どうもどうもごきげんよう?」
バタン。去り際に散々引っ掻き回した御母堂は、引き際鮮やかに颯爽と退室していった。
「もぉぉ、言いたい放題言ってくれちゃって……!」
若干ぷんすか。娘だからってイジリ過ぎだろうあの女親は。思いつつも机に突っ伏して、独り言。
「……アタシは家族にだって、感謝し足りないのに…………」
それぞれの誕生日に飽き足らず、父の日と母の日と敬老の日にも色々プレゼントなり花なりを贈ったりしているが、個人的にはそれでも尚余る。
(……元々、いつ死んでてもおかしくなかったからね。アタシ)
呪われているのではと思うほどに、幼少期は苦難の連続だった。
生まれついた時点で臍の緒が首に巻きつき、仮死状態で出生。更には先天性の半身麻痺まで有していた。母乳すらまともに吸えず、両親が一滴ずつスポイトで垂らしてくれたミルクを食んで命を繋いだ。祖父母は己の動かぬ半身を気兼ねし、毎日毎日さすってくれた。
幸い、奇跡的に未満児の間にマヒは消えた。がしかし、その後も別の病気で入退院と転院を繰り返す日々。幼稚園はまともに通えず、小学校低学年時は保健室登校だった。
長い闘病生活の中、病室のテレビ越しに見るアイドルの姿が、折れそうになる心の支えであり。そして……余命2年と看護士たちが話していたのが聞こえてしまった日の、あの夜以降。
『生きてんなら、眼を醒ますのは今この時だ』
人生は、文字通り劇的に変わっていった。
『一日だけでも良いから、俺よりも長生きしてくれ。まあ、簡単にはくたばらねーけどよ』
子を思う親心。ヒトの良心。医学者の矜持。高潔な精神。多くの善意に救われて、今の自分は此処にある。
(……聞きようによっちゃあ、ほとんどプロポーズじゃない。あのヒトは全くもう……)
昨年、体育祭で同級生たる花屋の友人と一緒に撮った写真。その横には、「346プロダクション専属モデル・東方仗助」と記された名刺が飾られている。彼がPに転身した今では手に入れられないこの一枚、加蓮の中では結構なお値打ち物だ。それに加えて、今年は。
(お楽しみのIU本選、S席チケットもある!)
校内マラソン大会で2年連続首位をとってみせた努力の少女は、自分へのご褒美とばかり、抽選で当てたそれを照明へとかざす。キラキラ輝くプラチナチケットは、後に彼女が目指すべき多くの手本が詰まっていた。
「加蓮!庭先の男爵芋、花咲いてるわよ?」
「えっ、ウソ!?今行く!」
慌ててチケットをしまい込み、階段を一段飛ばしで駆け下りる。急な運動に身体がフラつく事は、もうない。自家栽培のポテトの調子は、彼女にとって重大事の一つである。
気付けばIU本選開幕まで、後3日と迫った日の事だった。
・豊川さん
お向かいの豊川風花さんの姉。
・柳院長
曽祖父。
・北条加蓮
現役JCにして受験生。快活でバイト中。男爵芋・メークイン・きたあかりの栽培歴は約8年に及び、得意料理は肉じゃがとコロッケ、ハッセルバックポテト。ネイルとファッションと髪型は未だに試行錯誤を繰り返す。
同級生の花屋の娘さんとは親友であり、よく渋谷のPARCOあたりに繰り出している。
・鷹富士茄子
島根出身。出雲大社の人気NO.1巫女であり、ほとんど生き神様扱い。顔を見るなり手を合わせて崇めるお年寄りも多数。彼女を誑かそうとした似非宗教家や詐欺師はことごとく不慮の事故に遭う。おみくじでは大吉しか引かないが、宝くじは遠慮して買っていない。そのうち地元に銅像が立つかもしれない。
・サブタイトル
「はっかのきらめき」
・???(24)「急患事由がキューカンバー……ふふっ」