美波の奇妙なアイドル生活   作:ろーるしゃっは

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美嘉視点、回想パート。




028/ NUDIE×WINDY×CRAZY

 

 

 その始まりは約10年前。第一印象は、「ちょっと怖い人」だった。

 

 確か、事務所で顔合わせした時だったと思う。色白だけど体格(ガタイ)良すぎてゴツゴツしてるし、彫りが深すぎて見上げても目線が全く分からない。アタシのお父さんよりも背が高かったから、子供心に厳めしく映ったのだろう。

 

 ところが。首が痛くなるくらい上を向いてる幼女に気を遣ったのか、彼はやにわに腰を落として握手を求めて来た。

 

「城ヶ崎美嘉ちゃん、か。同期入社の東方仗助ってんだ、これからよろしくな?」

 

 そんな訳で、すぐに「気のいい兄貴分」に変わった。硬質な容姿に反して砕けた喋り。歳の離れた義妹がいるためか、子供の扱いも慣れたもの。二枚目だけど三枚目なキャラクターもあってか、我ながら懐くのは早かったと思う。

 

「タメでいーぜ?歳違っても芸歴は同じだろ?」

 

 歳上だし、と思って敬語を使ったら、いきなりそう言われた。以来、その日からずっとお互い名前呼び。ちなみにアタシがファーストネームを呼び捨てた、初めての異性だったりする。

 

 

「ヘビとかワニはニガテなんだ、何考えてるのか分かんねェ感じがどーもなぁ〜……」

 

 これはオフの日、上野動物園に連れて行ってもらった時のセリフ。ゾウガメが見たくて爬虫類館に引っ張っていったら、珍しく青褪めた顔をしていた。

 ラガーマンみたいな体躯のくせして小さなトカゲがダメ、だなんて、なんだかギャップが凄くていじらしかった。

 

 

「おなじ髪型にしてみたい!ヘアセットやって?」

 

「美嘉よォ〜、ジュニアモデルの女の子がツーブロにオールバックってのは、けっこー難易度高いぜ?やんならプライベートの日にしとけ、な?」

 

 職業柄もあるのだろうけど、服装とか髪型に割とこだわる。靴なんか一時はバリーしか履いてなかった。アタシが自分の爪を切ったあと、ヤスリで形を整えたりし始めたのはこの頃から。身形に気を使う意識が高まったのは、間違いなく彼の影響だ。

 

 

「ドゥ・マゴって東京にもあったんだな。また来よーぜ、ココ」

 

「あ、うん……」

 

 それらの気遣いを知覚したのは、恥ずかしながら出逢ってから数年後。

 彼は外を一緒に出歩く時、いつも当たり前のように車道側を歩く。迷子になりそうな雑踏では、手を繋いでエスコートしてくれる。混み合った電車内ではアタシを席や壁際に誘導し、自分自身を盾にする。

 レストランとかで食事に行くと、さり気なく上座に女性を座らせる。人が手洗いとかで中座している間に会計を済ませてしまうし、いわゆるレディ・ファーストの類を徹底している。

 これらの挙措をお喋りしながら、全てごく自然にこなす。この人モテるんだろうな、と漠然と思い始めた頃だった。

 

 

「あーっ、また負けたぁ!!」

 

「盲牌出来るか出来ねーかの違いだ、よけりゃあコツ教えてやんよ。ホラ、牌をこう持ってバレねェーように指でなぞって……」

 

 父母と揃って何故か囲んだ雀卓。彼はゲームとか駆け引きに異常に強い。実父譲りらしい話術とイカサマを駆使して、あれよあれよと片付けてしまう。今まで仕事現場で大小様々なトラブルに遭遇してきたけれど、彼より収拾の仕方が上手い人を他に知らない。

 

 

「じょーすけ……これ、痛くないの……?」

 

「痛かぁーないぜ。全部、高校生ん時の古傷だからな」

 

 屈強な体躯のあちこちにうっすらと、刺し傷とか切り傷の治療痕が残っている。彼がタンクトップにショートパンツという薄着だった時、近くで見て初めて知った。

 

「……あの……虐待、とかじゃないよね……?」

 

「いいや。仲間庇ったりして出来たモンだ。……ンな泣きそうな顔すんなって、もう何ともねーからよ」

 

 ありもしない暗い過去を勝手に妄想してしまったアタシを、宥めるように彼は言った。

 杜王町で過ごしてきた高校3年間は、決して平穏平凡なものでは無かったという。街に潜んでいた殺人鬼の魔の手によって、「しげちー」という友人をその時に亡くしたらしい。友人らに飽き足らず、祖父や甥、自分までもが死に掛けたとの事。

 

 だからだろうか。この人は時折……何処か遠くを視ているような、儚げな表情を浮かべる時がある。親しい人が惨劇に巻き込まれ、落命する。それは生まれてこの方、ずっと恵まれた環境で育ってきた自分には実感出来ないことだった。

 ……けれど。

 

「もし……またどこか痛くなったら、アタシに言ってね?」

 

 憐憫でも同情でもない。ただ、辛い時に自分が励まされた笑顔が、曇っているのがイヤだった。そんないかにも子供染みた思いから出た言葉だった。

 

「……だって、友達でしょ?アタシ達」

 

 感情が昂ぶってスカートの裾を握りしめていた子どもが、必死に伝えんとした思い。難しい語彙や言い回しはまだ知らなかった頃の、城ヶ崎美嘉の精一杯が果たして届いたのか。

 彼はその時珍しく、瞬きをしぱしぱと繰り返していた。それから照れ隠しみたいにアタシの頭をくしゃっと撫でて、伏せ目がちに呟いた。

 

「………………ありがとな」

 

 返ってきたのは、敢えて感情を鋳潰したような低い声音だったから、何を思ったのかは分からない。……でも、その日。

 彫りの深い眼窩の奥にある、澄んだ青い眼が少し潤んでいるのを初めて見た。

 

 そして。今よりおよそ8年前の夏、彼が22歳の年。大学四年生になり、就活も一段落したらしい時だ。

 

「仗助、モデルやめちゃうの!?」

 

 仕事で丁度一緒になった日。

 件の彼が「就職で地元に戻る」という噂を聞きつけたアタシは、息急き切って駆け込んだ彼の楽屋で、開口一番そう言い放った。

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

 ああ、辞める。

 返ってきたのは、存外に簡素な答えだった。

 

「どうして……?……杜王町、帰っちゃうの?」

 

「あァーそれか。…………まあ、最初はそのつもりだったぜ?」

 

 ただし、もうその気は無いとのこと。

 曰く、『この街はお父さんがしっかり護ってるから、気遣いなんてしなくていいの。アンタの人生なんだから、気兼ねなく世界中飛び回ってきなさい』。……そう、お母様に言われ。『仗助。自分のやりたいことなど、肚の中で既に決まっとるだろう。楽隠居は何かを成してからで遅くはないぞ?』……更に、お爺様にそう諭され。

 

 去年言われたそれらを鑑みて色々と考えた結果……地元ではなく、()()()()心残りをどうにかしたい。そう、考えたらしい。

 

「てなわけで、今は別だ。……ンでよ、美嘉。話は変わるんだけどな」

 

 昨年そう言われた事を脇に置き、彼は続ける。

 

「まだ目指してっか、アイドル?」

 

 軽い言葉のノリに反して、向けられた真面目な顔に居を正す。

 アイドル。ジュニアモデルのアタシが、目指して焦がれてやまないもの。親しくなって以降、何度か彼にも話した憧憬。返答に今更窮することはない。答えは、当然。

 

「そりゃあ、アタシの憧れだけど……」

 

「お、じゃあ丁度良いな。ちょっくらその夢、叶えてみねーか?」

 

 頬をかいた兄貴分は、あっけらかんとそう言い放った。

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

「叶える……?」

 

 言葉通り取れば、アイドルを目指さないかという事だろう。……でも。

 

「でも、仗助……」

 

 長年求めた夢想の実現には、ひとつ大きな問題がある。

 

「……346のアイドル部門は、もう何年も募集かけてないんだよ?」

 

 かの日高舞の電撃引退以降、下降線を描き続けるアイドル業界。低下した業績を鑑みた結果、10年近く募集を停止されている部署を脳裏に描く。埃っぽい地下の物置部屋に形だけ名札の掛かったソレは、文字通りの窓際部門。

 他の事務所だって同様。日高舞(でんせつ)を真似た劣化コピー溢れる現状は、はっきり言えばマンネリ化した妥協の産物。漂うのは停滞と閉塞感。歌って踊って笑顔を振りまくそのコンテンツ自体が、最早陳腐化していると称される昨今で。

 

「もちろん知ってらあ。だから、()()()()()()()()。世紀末で止まっちまった、『アイドル』ッつー時計の針をな」

 

「……へっ?」

 

 言うなり彼は、ビジネスバッグからおもむろに封筒を取り出した。白地に刺繍紋様入りの無駄に凝ったそれから、取り出された一通の紙切れは。

 

「346プロダクション、内定通知……」

 

「ああ。来年度以降はプロデューサーとして、この会社に携わるつもりだ」

 

 サプライズにしとこうかと思ったんだが、こうなったら隠さなくてもいいだろ?……外していた腕時計(オメガ)を付け直した彼は、「あとはお前次第だ」とでも言うかのようにアタシを見つめる。

 

「……ホントに、いいの?……今西さんに、さっき聞いたの。仗助、大手の商社とかにも内定出てるんでしょ?」

 

「良いも何も、もう俺の腹は決まってらあ。どっちかッつったらスゲー爽やかな気分だぜ、今?」

 

「…………ねえ、仗助」

 

 出逢った頃と変わらぬ笑顔に、「いつかこんな風に笑えるようになりたい」だなんて、そう思ってた微笑みに向けて。

 アタシは、不意に浮かんだある予測を確かめに行く。それが杞憂である事を、心の何処かで祈りながら。

 

「……地元に『戻らない』って決めたの、去年の春だったんだよね?」

 

「大正解」

 

「じゃあ……経済学部に在学中、()()()()専攻変えたのってもしかして……」

 

「……勘が良いねェ、そーゆーヤツは将来出世すんぜ?……なぁ、美嘉」

 

「か、勘が良い、って……!」

 

 やっぱり。アタシの言葉が重石に……!

 

「今から10年。その間に美嘉をデビューさせて、トップアイドルまで持っていきたい……って思案してんだ」

 

 なってるならやめて……って言おうと思ったけど、言葉が出てこなかった。

 そこにあったのはあの日まで時折見た、哀しく寂しい表情ではない。「加蓮ちゃん、退院決まったぜ」ってアタシに言いに来た時の、不敵な顔立ちだったから。

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

「トップ、アイドル…………」

 

 ……なにさ、それ。こっちは、てっきり今生の別れかと思ってたのに。

 

「……ねえ」

 

 どこか別のところで就職して、年の近い大学の同級生とか、地元の人とお見合いで結婚して、やがては杜王町で骨を(うず)めて……アタシ達の前から、アタシの人生から、フェードアウトしてしまうのだとばかり思っていたのに。

 

「…………自分の夢は、叶えなくて良いの?」

 

 拳が白くなるくらい、強くキツく握り締める。ネイルしてなくて良かった。付けてたら、今頃掌は血塗れだっただろう。

 

「人の夢を叶える。ソイツが俺の夢ってやつだ」

 

 もう。もう。加蓮とアタシの気も知らないで。同級生の男子が至らぬお子様にしか見えないのは、誰のせいだと思ってるのさ。子供染みた心残りに、いい加減諦めつけようと腐心してたところだったのに。

 

「……自棄(ヤケ)、起こしてないよね?仗助の人生なんだよ?」

 

 これは今西さんの受け売りだけど……日本の就活市場で、新卒切符を切ることの意義は非常に大きいらしい。既卒と新卒で似たような成績なら、採用は圧倒的に新卒が有利なのだそう。

 

「心残りは吹っ切った。なら、あとは俺のやりてーように生きるさ」

 

 そんな社会で、付き合いが長いだけの面倒臭い子供のワガママを、律儀に拾ってやる義理がどこにあるのだろうか。親戚でもなんでもない、赤の他人を。自分で思ってて悲しくなるけど、疑いなく一抹の事実だ。ところが。

 

「俺ン中で、城ヶ崎美嘉って奴はそこまで軽くはねえ。きっと、美嘉が自分で思ってるよりもな」

 

「…………!」

 

 ……マセてるだけの小学生に、なんて事言うんだろう。普通は殺し文句でしょ、そんなの。聞きたいけど聞けなかった言葉が聞けて、こんな場面じゃなかったら飛び上がるくらい嬉しいアタシの耳に、次に飛び込んだのは。

 

「つーわけで、美嘉。なってくれねーか?俺の最初の担当アイドル」

 

 ド直球だった。凄味すら感じる態度で分かる。

 この人は面倒見がいいけど、決して幼女趣味ではない。間違っても、アタシの事は恋愛対象としてなんて見ていない。ただひとりの夢覧る子どもとして、意志ある人間として廻ている。

 ルックスは軟派なクセして下心の一片もない真面目さが、アタシの心の奥を穿つ。視線を上げると、澄んだサファイアブルーが変わらず、其処にあった。

 

「…………まだ……」

 

 ……いいよ。思いはもう伝わった。十分過ぎるくらいに。

 

「まだ、アタシと……」

 

 だから……こうやりたいって思ったこと、全部やって。たとえ3K職場でも上司にパワハラされても、隣に居てくれれば頑張れる。貴方に出ろと言われれば、際どい下着の広告だろうがエロいイメージビデオだろうが出てやろう。それが必要だって言うなら。

 

「……アタシと一緒に、居てくれる?」

 

 本当はずっと、アイドルやってみたかった。年齢を考えれば、ジュニアモデルはあと数年で不可能になる。正確に言えば仕事がこなくなる。でもその後は?芸能界に留まるなら、モデル、女優、声優に歌手。それとも舞台役者?……346なら選択肢は多いけど、そのどれもが一番なりたいものではなかった。

 憧れたけど掴めぬ筈の、夢の残滓。グズグズになった欠片は、土壇場で。

 

「ああ」

 

「…………ありがとう……っ……!」

 

 貴方がやると言えば、叶うだろう。だから……もうこれから、ファンの前で醜態など晒さぬと誓おう。舞台に立てば夢を謳い、愛を囁き、いつだってキラキラ輝くお姫様を演じよう。それこそ、時代が求める偶像(アイドル)なのだから。

 

 プロフェッショナルを自分自身に叩き込み、時に求められるキャラクターを演じ、時に個性を押して生きていく。いずれは芸能界に蠢く悪意も、飲み込み咀嚼し砕ける程の「カリスマ」と成ろう。清濁併せ呑む肚こそ、大器へ至るに不可分の意思なのだから。

 

「……ワリーな、俺の都合で振り回しちまって」

 

「……ううん」

 

 これからの人生はフルスロットル。みっともなくとも汗を流し、靴が擦り切れ、喉が枯れるまでレッスンする。苦手意識のある歌は、ボイトレだけでは断然不足だ。カラオケにも入り浸り、武器となる芸にまで昇華させる。

 それが、夢を叶えるガラスの靴をくれた貴方に、アタシが払える最大限の敬意だから。

 

「それじゃあ……」

 

 貴方が一旦は、地元に戻りかけた理由も分かる。地元で警察官を目指して、公務員試験の勉強もしていたらしい。祖父は高齢、母はひとり親だから余計に心配だったんだろう。

 だからこそ、残ってくれる喜びは大きい。証拠に口角が上がってるのが自分でも分かる。顔が赤くなってないと良いんだけど……と俗っぽい事を思いながら。

 

「……またよろしくね、仗助……いや、プロデューサー?」

 

 格好つけたアタシの言葉に。ネクタイを締め直した彼から飛んできたのは、短い一言。

 

「任しとけ」

 

 

 ……こうしてアタシは、シンデレラプロジェクト第1期生・スターNo.001/ 《城ヶ崎美嘉》として、後に100人以上のアイドルを世に送り出す超大型企画の1人目に選ばれることとなった。

 

 ──────そして気付けば、あっという間に6年経っていた。成る程、経た歳月の重さは確かに大きかった。

 星を目指し、風に倣い、歳近い友人達と切磋琢磨し合ううち。何時しかアタシは世間から、「カリスマギャル」なんて呼ばれるようになっていたのだ。

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

(……あれから、5年も経つんだなぁ……)

 

 2014年、8月真夏日。東京都千代田区は皇居に程近い日本の中心、東京駅。

 先日、元Pたる男性とIU予選会場で鉢合わせした際、ここぞとばかり同行を願い出たらなんとOK。このためアタシは今日、身支度に実に2時間もかけてこの地へと赴いていた。

 

(我ながら強引な誘い方だったと思うけど、まあ結果オーライとしますか★……なーんて)

 

 張り切りすぎて30分ほど早く来てしまった為、煉瓦造りのお洒落な駅構内でひとりごちる。今日は改装されて間もない真新しい施設から一路、新幹線で杜王町へ向かう予定。

 行きがけに律儀に変装用のキャップとメガネを付けてたら、「車で家に乗り付けてもらうより、待ち合わせした方がいーよ!その方がデートっぽいでしょ?」などと莉嘉に散々からかわれたことを思い出す。

 

(おませさんになっちゃって、もう。学校でなーに学んでんだか)

 

 よく昆虫図鑑を抱えながら寝落ちしていた妹の幼稚園時代が、遠い昔のことのように思える。

 閑話休題。暇つぶしにとスマホを弄り、トニオさんの店で新作ブレンドが出てないかホームページでチェックしつつ、待ち人を待つ。すると。

 

(……お、どーみてもアレね)

 

 果たして、予定時刻のきっかり15分前に彼は来た。

 紺のシャンブレーシャツに白のフルレングスパンツ、デッキシューズにサングラス。小ぶりのトランク片手にやって来る姿は、傍目から見ると「来日したアメフト選手」って雰囲気だった。スタイル維持に関しては流石元モデルと思ったのは、なんか悔しいから黙ってることにするけど。

 

(人混みでも背丈で分かるのは便利よね。物理的にも道しるべ、ってヤツ?)

 

 余談だけど仗助、サングラスにスーツ姿で武内さんや内匠さんと並ぶと、最早その筋の人達にしか見えない。「346プロは暴力団と蜜月関係にある」なんてあらぬ噂が過去に流れたのは、確実に彼等のコワモテが影響しているだろう。

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

「ゴメンね?担当の子達の本選直前なのに、ムリ言って付いてきて」

 

 東北地方はM県行きの車内にて、向かいの席に座った待ち人にそう投げかける。便は特急だが、数便に一つしかない特別仕様。寝台列車に使うような個室のコンパートメントに乗り込んで、2人で束の間の旅路を行く。仗助にとっては家路なんだろうけど。

 

「どーってこたねえ。仕事にしたって、もうリハも通しも終えてっからな。俺は前日の最終チェックまでに戻ってればいい。今日は4人とも、皆して又姪(リーダー)の下宿に泊まり込みらしいぜ?」

 

「へぇー、仲良いんだねいいコトじゃん?……アタシも会ってみたいなあ。こないだの二次予選の時は入れ違いになっちゃったし、まだ連絡先も聞けてなくて……」

 

 アイドル部門の第一期ユニット、「Happy Princess」のメンバーであるアタシが特に親しい346の内部関係者は、事務方だと仗助に武内P、今西次長、トレーナー姉妹に他数名。アイドルならメンバーの川島さん、茜ちゃんに美穂ちゃんにまゆの4人。あとは足掛け5年近くの付き合いになる楓さんくらいか。

 いかんせん人が多いので、廊下で知らない人とすれ違っても会釈するくらいが関の山なのだ。

 

「……耳が痛え、本選終わったら一度全員集めるか。この事務所、規模デカすぎて横の繋がりにイマイチ欠けてッからなあ。昔よりは良くなったけどよ……」

 

 新規募集を長年停止していた346アイドル部門を再起動させ、アタシ達をデビューから2年足らずでブレイクさせた男が(うそぶ)く。

 思えば去年は、何でもかんでもスムーズに行き過ぎたのかもしれない。

 

(……アイドルデビュー初年度から、いきなりジョースター不動産の広告出演と、OWSONの広報キャンペーンガールやらせてもらえたもんね。ラジオとか歌番組は、SPW財団がスポンサーについてくれたし)

 

 新米アイドルには破格の待遇に、横の繋がりどころか裏の繋がりを感じてしまった。仗助曰く「大企業の審美眼ッてのは厳しいぜ?あの玲音を擁する961の社長が協賛を頼み込んだ時は、()()()()門前払いだったらしいからな」……とのことなので、アタシ達の人柄を見て決めてくれたみたいなんだけど。

 

「賛成。去年のアタシ達が順調に進んでたコト考えれば、今年度採用の子たちは割食っちゃってるから、出来る限りなんとかしたいな。……同期でも幸子ちゃんとかとはPが別なのもあって、仕事で一緒になる機会も少ないし」

 

 346上層部が今年度からアイドル部門の採用人数を急激に増やし、結果当初のプロデュース計画が崩れてゴタついてるのも、元を辿ればこの男の5年がかりの根回しと、打ち立てた実績あらばこそなのだ。

 本人にこれを言ったら「ハピプリが売れたのは美嘉のフォロワーシップあってのもんだ」、と即答された事はともかく。

 

「ま、本格共演はウィンターフェスあたりから、既存ユニットと人員混ぜてやってくつもりだ。リードは頼むぜ?」

 

「任された!……あ、リーダーと言えば、楓さんは誰と組むの?」

 

 今もなおソロで活動し、事務所で唯一仗助を「先輩」と呼ぶ、かの美女を思い浮かべる。つい先日、女優としても一流の彼女からメソッド演技の技法を聴講、実践してみたのは余談である。

 

 ……え、楓さんが何で誰ともユニット組んでないのかって?そりゃあ、アタシ達がデビューした後に、「面白そうだし私もやります」って言い出したから。単純にもう組む人が残ってなかった。

 降って湧いた事務所トップモデルの、突然の転身宣言。本人から担当Pを逆指名された仗助が、「フリーダムすぎるだろオイ……」ってアタマ抱えてたのはご愛嬌というやつか。

 

「正直決めかねてる。今組む候補としちゃあ瑞樹とのデュオなんだが」

 

「……ね、ねえ仗助。川島さんがデュオでハピプリから抜けてる時、誰が茜ちゃんを制御するの……?」

 

「美嘉」

 

「信頼してくれるのは嬉しいけど複雑!」

 

 日野茜ちゃん。彼女は元気で良い子なんだけど無邪気にヤバい。アタシとしてはやっと茜式ハイタッチのコツを掴んできたところなのだ。彼女をみだりにボンバーさせないためには、正直あと一年くらい慣れが欲しい。来年はピシガシグッグッってくらいに息を合わせてみせる……予定。

 

「んー……ならいっそごちゃ混ぜにするか?10人オーバーの複合ユニット、ってのはどうだ?難易度は跳ね上がるけどな」

 

「あ、面白そう!ヒアリングは手伝うよ?」

 

「サンキュー、んじゃあ来月アタマまでに意見纏めるか。他に要望あればなる早で頼む」

 

「はいはーい!」

 

 仕事してる時のシリアスな雰囲気と、プライベートの快活な笑顔のギャップがイイ。コレは加蓮と意見が一致するところだったりする。

 

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

 ガタンゴトン、と車輌がゆれる。窓から見える景色は、徐々に牧歌的な田園風景へと変わってきていた。パールピンクの腕時計──誕プレで貰った私的マストアイテム──を見ると、既に時刻は11時。杜王町に着く頃は昼時だろう。

 

「……コレに乗ってると思い出すな。夜行で乗ってった時」

 

「アタシが駄々こねて付いてった時でしょ?途中で寝落ちして、起きたらもう朝だったけど」

 

 ……振り返ると、あの街には散々行っている。幼少期はアンジェロ岩にペンキで落書きしたりしてたし、高校入試に受かった時は、トラサルディーでサプライズパーティーをしてもらった事もある。

 言わずもがなどれも大切な思い出だ。

 

「……思えば、色々あったもんな」

 

「……そだね。5年、いや10年か。ライブやったり旅行に行ったり、勉強教えて貰ったり……怪我やらかしたり」

 

「怪我……オーバーワークしてアキレス腱切ったやつか?」

 

「うっ……あ、あの時はアタシが悪かったって……!」

 

 中学生の時分に負った、アキレス腱断裂。自分のスタンドプレーが原因の怪我だったから、今でも仔細を覚えている。

 退社するフリしてこっそり遠灯申請し、事務所で自主レッスンしてた時の事だった。

 バツンッ!という断裂音が響いた一瞬後、軸脚に激痛が走って倒れ込んだ日。業後にレッスンルームを施錠しに来た当直の仗助が、痛みで声も出せないまま床に蹲ってたアタシを見て、何を思ったかは想像に難くない。

 

「いらん小言ブツける気はねーって。ただ、もう妹は泣かすなよ?」

 

「肝に銘じております……」

 

 しかし。K大附属病院に担ぎ込まれたアタシの裂傷は、病院到着時点で()()()()()()。レントゲンと簡易検査だけして、次の日には退院した。()()()()を経てその後、「無理はしない」と約束したのは、良い薬だったと我ながら思う。

 他には疲労骨折とかもやらかしたけど、キリがないので割愛。

 

「……もう10年になるんだね、アタシ達」

 

「ああ。……皆えらく大きくなったもんだ。美嘉だって昔は俺の腰くらいまでの背丈だったんだぜ?」

 

「ふひひ、そりゃあ伸びるでしょ。言われた通り牛乳飲んでたし、ね★」

 

 それでも190cm超えのこの大男と並ぶ時は、厚底サンダルかハイヒールをなるべく履くよう選んでいる。いや、見栄ではなく見栄え的に。

 ……尤も最近は上背ではなく、胸囲ばかりサイズアップしてるのが恨めしい。5年近く楓さんを間近で観続けたからか、理想の体型像はああいうモデルスタイルなんだけど。無い物ねだりとはこの事か。

 

 ちなみにこの男が「俺が呑み屋で口説いた」、とだけ言ってた彼女のスカウト話、当の本人に詳しく聞いてみたら全然違った。というかこの超美人もこんな顔するんだ……って思った。テンポ重視で話を端折(はしょ)るのは悪いクセだぞ仗助。

 ……ああ、楓さんと言えば。

 

「『色々』って言えば……中学の時、参観日に楓さんが来たこともあったね……」

 

「『叔母です』、つって押し通したやつだろ?埼玉の地方局が取材にすっ飛んできたって聞いたぞ」

 

 今でもそうだけど、なんという自由人。当時モデルとして大ブレイクを果たしていた彼女の来襲は、学校に黒山の人だかりが出来るだけに留まらず。「あら美嘉ちゃん、いつもみたいに『楓ママ』って呼んでいいのよ?」なんてフカシをぶち込まれたからたまらない。

 

「あの日はね、手を繋いで帰る羽目になったの。事務所まで」

 

「……ドンマイ」

 

 おかげでしばらく、「高垣美嘉ちゃん」などと学校でイジられる羽目になった。

 

「ちなみに加蓮もまゆも同じサプライズ受けてるからね?」

 

 高垣楓の突撃授業参観。本人を驚かせるため、もちろんアポ無し。日本史で例えれば、元軍と黒船がいっぺんに押し寄せるようなものだ。

 同級生や父兄、教職員の方々は大喜びだったらしいけど、多感な時期の当事者たちとしては羞恥プレイそのものだった。……いや、嬉しくもあったけどね?

 

「……ま、思い出にはなっただろ?」

 

「お陰さまでね……」

 

 ……実のところ、アタシ達が「仕事が忙しくて親が観に来れない」と気落ちしていたのは事実だし、聞き上手な楓さんにそれを漏らしていたのも本当。彼女なりの心遣いだったと気付いたのは、もっと後になってからだ。

 

 モデルデビューから1年ほど経った往時の彼女は、隠し通していたらしい意外と世話焼きな気質を、この頃から多く表出し始めていた。行きたいと言えば温泉旅行やら海水浴に連れてってくれたり、大学の学祭にくっついて回ったり。パパラッチされても御構い無しだった。

 クールビューティーで売ってた彼女の、素の笑顔が伺えるようになったのもこの時期から。意外とダジャレ好きなところとかも。

 

 ただソレは、上層部の指針とは反目するものだったらしい。

 高貴で孤高たる美の化身。清冽にして清澄にして清純なる不可侵存在。貞淑で神秘的でミステリアス。そんなイメージで売り出していた逸材に、庶民的で所帯染みた行動をとられては敵わないと思ったのだろうか。

 

 当時、彼女を「事務所イチの稼ぎ頭」と見なしていた346上層部に、これらの行動は目を付けられたらしく。

 今から4年前、楓さんは重役方に呼び出され、案件の仔細を問われた事があった。

 

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

「勝手な行動をするな」「君には素材としての強度がある」「我が社の大黒柱になれるんだ、分かるね?」「このまま行けば意に添わぬ仕事を受けてもらうことになる。それでも良いのか?」「何なら担当Pを挿げ替えるかね」「女などひな壇に座ってめかしこんでいれば良い、男より前に出るものではない」。

 

 ……これらは、当時彼女が受けた「お言葉」の一部。要するに、(てい)の良い吊るし上げを食らった格好だった。権威ある企業の末端でしかない、新人Pと駆け出しモデル。逆らう事など万に一つもありえない。

 

 そもそも組織で動いていく以上、上意下達は一般常識。加えて創業者・美城一族の機嫌を損ねれば、即日でクビが飛ぶこともありえた時代。世紀末に経営が傾きかけたこともあり、上層部は売上には非常に神経質。子どもの時分は分からなかったけれど、老舗企業の深奥はそんな旧弊も抱えていたのだ。

 ところが。偉いさんの話を黙って聞いていた彼女が、なんと返したかと言えば。

 

「────総会屋の集まりですか、此処は?」

 

 ……それは、どう捉えても喧嘩腰の宣戦布告。おっとりした普段の彼女から想像だにできない、お世話になっただろう会社への、事実上の三くだり半。それだけでなく。

 

「利潤確保は経営陣として必定の懸案。しかし、事の軽重を履き違えておられますね」

 

 煽りに激昂する老人達を前にして、一切構わず火をくべた。もはや「非常識な恩知らず」「飼い犬の癖に手を噛んだ」と取られ、業界を干されてもおかしくない無謀無茶。会議に出席した誰もが思っただろう、「この女は終わった」と。

 しかし。

 

「実の妹のように思っている、どこに出しても恥ずかしくない大事な子達です。幼な子の情操を養う事と比すれば、私のイメージ如きこの大店(おおだな)では些事でしょう。子に夢を魅せる理念を掲げた企業が、子を(おもんぱか)れぬ蒙昧(もうまい)に堕すのであれば、斯様(かよう)な組織は────」

 

 伝統ある美城財閥が擁する日本有数の大企業・346プロダクション。かつてそのど真ん中で巻き起こった叛逆の狼煙。今も楓さんが後輩達から憧れを抱かれ、そして密かに畏怖される理由が此処にある。

 

 

「────────この私が、ブッ壊します」

 

 オーダースーツを華麗に着こなし、眉尻を吊り上げて氷の舌鋒を突きつけ、手渡された小難しい意見文書を真っ二つに破り捨て、モデルウォークで颯爽と退室していく。

 川島さんと並び「怒らせるとヤバいアイドル」ツートップに位置する彼女の、暴挙ともとれる行動は今も昔もこれだけ。

 

 

 かのマキャベリ曰く、君主は一度きりの残虐で国を治めれば名君であるという。

 のちに今西次長から聞いた、一連の話をまとめれば。これは狂った金剛石(ダイヤ)と怒れる暴風が悪魔的バディを組んで生まれた、業界再興の第一手。現在の346プロの隆盛、そのきっかけとなった昔話。

 

 

 

 




次回、過去篇楓視点。

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