美波の奇妙なアイドル生活   作:ろーるしゃっは

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006/ ロマノフの遺産

 時に、世界中を巻き込んだ第一回目の大戦が終局に向かいつつあった、1918年7月17日。

 

 ソビエトはエカテリンブルクにある洋館、イパチェフ家地下衛兵詰所にて。

 静寂に包まれた夜の街の外れにひっそりと佇む、貴人の住まいし堅牢な館。何時もなら皆が寝静まっただろう時刻、赤きペストに思想の一片まで浸かり切った狂信の侵入者達が、人史に残る鬼畜の所業を繰り広げていた。強盗、放火、強姦、殺人、そして……大逆。

 

「……お前は、生き……延びろよ……アナ……」

 

(……お父、様……それに、皆……)

 

 今しがた腹部を撃たれたばかりの実の父にして元ロシア皇帝・ニコライ二世の背に庇われながら、先月17歳になったばかりの少女、アナスタシアは自らの震える身体を自覚しつつそう考える。

 

 防ぐことのならなかったロシア帝国の崩壊。コミンテルンらによる革命という形で勃発したそれにより、彼女たち王家の人間は帝都を追われ、紆余曲折を経てここエカテリンブルクへと匿われた。

 僅かばかりついてきてくれた、かつての使用人達と共に猫の額程の畑を耕し、慣れない農作業のコツをようやっと掴んできたこの頃。こんな日常も悪くはないなと、かつての王が述べた矢先。

 

 続いてくれと願った平穏は、唐突に終わりを迎えた。

 革命の為ならば暴力すら許容せんとする武装した侵略者(アグレッサー)達が館へ押し入るなり、裁判も経ず「死刑」を通告したかと思えば、地下室へ追いやった自分含めた丸腰の住人に突如発砲したのだ。

 こんなもの「私刑」以外の何だというんだ、と思う間も無く。後に残るは悲鳴と呻き声、更には見渡す限りの一面の血の海だった。

 不躾な男達が放った凶弾はニコライ二世、皇后、侍医のボトキン、女中のアンナ、姉のオリガ、タチアナ、マリア、そして彼女の末の弟アレクセイまでを襲った。

 

 床どころか壁にまで飛び散る血液と脳漿、赤黒い内臓、漂って来る死の匂い。

 恐怖のあまり嗚咽し涙に塗れながらも彼女・アナスタシアは、一番近くにいた弟の傷口をハンカチで押さえんとしていた。血友病を患っていたアレクセイは、擦り傷でも致命傷になり得るからだ。

 しかしそんな事をすれば、当然彼らに見つかるのと同義であり。

 

「……なァんだ、まだ生きてやがったのかぁ?ブルジョワの搾りカスがよお!?」

 

 品性を悪魔に売り渡した男達が、彼女を見るなりそう喚く。瀕死の重傷を負ったもの、或いは既に死んでいるものの死体を弄り金品を奪っている彼らの魔手が、今さっきまで隠れていた彼女に迫ったところで。

 

 ドォン、と。勢い良く蹴り破られたドアから投げ込まれた、一発の閃光発煙筒(フラッシュバン)が状況を一変させた。

 突如発生した閃光と轟音で、パニックを起こす男達。視覚と聴覚が一時的に使い物にならなくなった恐怖からか、訳も分からぬ方向に発砲する者も…………おや、新たな侵入者らによって沈黙させられたようだ。

 

「ぐッ……クッソ、何モンだ!?」

 

「名乗る程のモノじゃあなくってよ?」

 

 蝶番の吹き飛んだドアから入ってきたのは、僅かに2人の男女だった。その片割れ、ブラウンの髪と赤いマフラーをたなびかせる妙齢の美女は、恐慌状態の男達に容赦なく鉛弾を浴びせていく。……も、既に助けるべき対象の殆どが息絶えた惨状に、悲痛な表情を浮かべる。

 

「……そんな……!……せめてあと10分早ければ……」

 

 出遅れた。歯噛みする彼女に対し、しかし共に入ってきた軍服姿の男は、何処までも冷静に任務を遂行せんとしていた。

 

「……いや、逆に考えるんだ。今ならまだ助けられる人がいるかも知れない、と。急ぐぞ!エリザベス(リズ)!」

 

「……そうね、片付けたらトリアージして即撤収よ!ジョージ(アナタ)!」

 

 黒サングラスを掛けた女性は、ショートバレルの軍用小銃を抱えて立ち回る相方に鋭く叫ぶ。

 (yeah)、と彼女に返したその男性の姿が、皇女の茫洋とした視界に迫ってきた。

 

「……貴方方は……誰、ですか……?」

 

 急展開に情報量がキャパオーバー。加えて先程のフラッシュバンによる目眩と耳鳴りもあって茫然自失のアナスタシアは、それでも何とか掠れた声で声のする方へと言葉を絞り出す。

 

「私のことは名無しの権兵衛(ジョン・ドゥ)とでも。其れより今はお急ぎください!」

 

 英国軍制式ジャケットを着た彼は、五体満足な様子の生存者を認めたことに僅かばかり安堵し。そして若干英語訛りのあるロシア語で彼女に答えた。

 

 制式採用から10年以上の時を経て尚、英国軍で愛用されるブリテンの傑作火砲、リー・エンフィールドMk.Ⅲの銃弾を無法者共にぶちかます男に庇われた彼女は、彼に手を引かれながら縫うようにして銃弾飛び交う地下室を早々に離脱。

 勢いのまま館近くの森に置かれた英国製輸送機に乗せられ、惨劇の舞台となったエカテリンブルクの地を、悲しみと後ろ髪を引かれる思いとを抱きつつ後にした。

 

 離陸して程なく。予め時限式の爆薬でも仕掛けられていたのか、見る間に視界から小さくなっていく館は跡形も残らない程の大爆発をおこし延焼、炎上していった。

 

(…………皆、みんな、殺され、た…………)

 

 チリに消える思い出と光景を目の端に捉えながら、機上の人となったアナスタシア。彼女は結果的に置き去りにする事となった、喪ったばかりの家族と使用人たちの亡骸を想い、同時にこれからの未来に対し、絶望に似た傍観をも抱いていた。

 

 ……あの様子では、遺体の判別など最早まともに出来まい。骨も碌に残るか怪しい。恐らくは英国政府の手引きによってただ一人助けられた私は、将来政略結婚の道具にでもなるのだろうか。自由意思が介在する余地は無いだろうし、革命がなった後のロシアに外交カードとして贈られるかも知れない。今後の自分の、行く末は。

 

(……もしかしたら……好事家の愛人や、慰み者かもしれませんね)

 

 傀儡か、或いは場末の娼婦か。そんな人生に、果たして意味などあるのだろうか?

 しかし父から、今際の際に「生きろ」と言われた。ただひとり生き残った私は尚更、敬愛する父の遺志に従わねばなるまい。

 

(でも、これから先、どうすれば──?)

 

 

 そこまで思った所で、彼女の意識は度を越した疲労と緊張、そして受け止めきれず一時的に麻痺してはいるのだろうが、家族と家臣を殺された悲しみによる負荷からか、一旦闇へと落ちていった。

 

 

 …………ただ、彼女がこの時抱いた悲観的な予想に反して、この「表向きには死んだことになった」少女・アナスタシアの、その後の足跡はようとして知れない。確実なのは、後の人生で本名を人前で名乗ることも、自らの墓石に刻むことも終ぞなかった、という事実だけだ。

 

 さて。世に言う「ロシア帝国最後の皇帝」、ニコライ一家惨殺事件。歴史に残るその惨劇により、皇族方は皆死に絶えた。今日のあらゆる教本ではそう記されている。

 しかし。英国政府が保管する対ロシア・ソビエト関連の作戦行動記録文書には、未だ機密指定が解除されていない、とあるファイルが存在する。

 

 1992年公開のミトロヒン文書の衝撃をも上回る、と判断されたそれらは、今以って倫敦にある英国情報部最深部で厳重に保管が為されている。

 公開が為されないのは女王陛下の意向も絡んでいるからだ、と密かに噂され、内容自体もMI6上層部の極一部しか知らない文書群。もし露見すればロシア革命の大前提を覆す、秘匿必至の機密事項。

 

 さる英国貴族の末裔の手により死を免れた、失われし名家の青き血。

 その血が今も、この星の何処かで生き続けているのなら──?

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

「…………それが、祖母から聞いた昔話の顚末、か」

 

「耳にタコが出来るほど聞いたさ、おかげで今でもソラで話せる」

 

 時は下り、2014年。6月7日15時、広島県某所・空条邸応接間にて。

 先般三週間に渡るイタリアへの長期出張を終えた承太郎は、家族ぐるみの付き合いを続けている家の現当主たる旧知の男性と、一族とのもう100年近くになる数奇な因果の始まりを、改めて振り返る。

 

 目の前に居るのは、頑健そのものといっていい体躯をタイトなダークスーツに包んだ眼光鋭い一人の男性。

 娘そっくりの銀髪と青い眼を持ち、更に拳をよく見れば武道家特有のタコがあるその男。実は嘗てソ連が誇った諜報機関KGBに米国CIAより出向したダブル・スパイとして長年潜入、末期にはレーガン政権下の米国インテリジェンスの中核としてホワイトハウスにソ連の機密情報をリークし続け、結果として冷戦終結の引き金を引いた功労者の1人である。

 歴史の表舞台に立つことこそなかったが、その余りに輝かしい功績から、裏の世界で付けられた仇名は──

 

「──まあ、『灰色の枢機卿(グレイ・カーディナル)』誕生の動機としては頷ける。家族の命を奪われれば、俺でもそうなるだろうしな」

 

 母のみならず、祖父の命まで脅かしたDIOとの最終決戦を述懐しつつ、承太郎はそう返す。もし自分が彼の立場だったとしたら?……間違いなくプッツンする。地の果てまでも追いかけて、時間を止めてブン殴るだろう。

 

「その名前ならもう棄てたさ。父祖の財は散逸し、愛した王家はとうに潰えた。赤い悪魔を殺し終わった、今の私はただの柔道家の中年。そこらによくいる、日本好きの外国人みたいなもんだ」

 

 かつて70年越しの危険に満ちた復讐(リベリオン)を成し遂げてみせた男に、友人たる海洋学者はというと。

 

「そうだな。第一復讐者(アヴェンジャー)の称号なんぞ、孫子(まごこ)にまで残すモンじゃあない。俺達の代でDIOは消滅(ブチのめして)ソ連は崩壊(ぶっ壊した)。時代は変わった、ってトコだろう」

 

「ついでに言えば世代も、な。本当なら我々ロートルは、できれば仕事とゴルフにでも勤しんでたいところだが……」

 

 冗談交じりにそう話した銀糸の男に、承太郎はしかしここで今日の本題へと入る。

 

「『新たな脅威』がそれを許さねえ、ってな。お互い一線引いて長いが、もういっぺん気張るとするか」

 

「ああ。……まさか『矢』を狙ってくる手合いがまだいるとはな。しかし、何でまた俺の伝手を?SPW財団なら、諜報力なんぞ十分備えてるだろうに」

 

「それなんだが……」

 

 そこで一度苦い顔になった承太郎。表情で察したのか、百戦錬磨の元スパイは眼を細めて誰何する。

 

「……まさか、内通者か?」

 

「恐らくな。俺の勘だがテキサスの本部が匂う」

 

 そう、敵が既に自陣の奥深くまで入り込んでいる可能性に帰国後入って来た情報や報道などを勘案して気付いた承太郎は、こうしてあらゆる伝手を使って後手、且つ表立って動き辛い状況ながら、劣勢の打開に努めているのである。

 外れればそれはそれでいい。パッショーネとの協力を取り付けて日も浅いのに、保険とは何重にも掛けておくものだとばかり密談を重ねるのは、それだけ未知数な相手を警戒してのことと言えよう。

 

 さて、自身も諜報経験のある人物はやはり違うのだろうか、FBIやNSA、ペンタゴン含めた各方面に根回しを依頼された男は現役時代と遜色ない眼光のままコレを快諾。以後事態収束までの定期的な情報交換を決めたところで。

 先程承太郎に「枢機卿」と呼ばれた男、そこでふと思い出したかのように「ああ、そういえば……」と前置きし。

 手元にあるロシアンティーを一切音を立てずに飲みながら、客人は家主へ語り出す。

 

「……ウチの娘、今日目黒のお前の実家に行くらしいぞ。『ミナミに変な虫がついてないか心配です、観に行きます』とか言ってたな」

 

 ホリィさんと貞夫さんには連絡してあるから大丈夫だと、とあっけらかんと言う男。承太郎は今しがたまで張り詰めていた眉間の凝りを解しつつ、娘の親友の行動パターンやら諸々を考えて嘆息する。

 

「なんつーか、最早通い妻になってないか…………?」

 

「かもなあ…………どうだ、美波ちゃんに?」

 

「バカ言え、二人ともソッチの()は無いだろう」

 

 それもそうだな、第一それじゃあどっちがダンナか分かんねえし、とシリアス気味だった空気を雲散霧消させるトークを繰り広げ始める父親二人。

 先程まで視線だけで人を殺せそうな凄味を発していた男達の眼光は、今やすっかり緩んでいる。

 

 普段は鉄面皮の癖して娘が絡むと少々親馬鹿気味な点は、案外と彼らの共通項でもあった。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 同日同時刻、某極東の島国にある大都会にて。

 観光客と思わしき白のスーツケースを持った真白い肌の少女が、コンクリートジャングルの真ん中でひとり佇んでいた。

 

 年の頃は一五に満たない程だろうか。およそ純日本人ではあり得ないシルバーアッシュのショートヘアと蒼い眼は、しかしその自然な発色から、それらが染髪でもカラコンでもないことを示している。

 カットソーに藍青(インディゴブルー)のデニムジャケット、白いショートパンツと淡茶(ライトブラウン)のウイングチップブーツという格好も、梅雨を迎え気温の低い6月の東京の気候にマッチしていた。

 しかし、透き通るようなその眼に反して彼女の心は曇り空。煩悶気味の心中は如何程か、というと。

 

(……困りました、ね)

 

 本日、遠路はるばる北海道は新千歳空港から成田、そこから電車を経由して彼女が行き着いた先は乗降客数世界一を誇る「迷いのダンジョン」こと新宿駅。

 初見殺し甚だしいこの駅に単独で来るのは初めてだった彼女、案の定どこかの広島生まれと同じく林立する高層ビル群と蟻の巣のようになっている地下鉄、そして地下街に翻弄され、結果開いた地図アプリを横に見たり縦に見たりして首を傾げるに至っていた。

 

 ちなみに彼女が現在足を止めている地点は新宿駅南口。……なのだが、この調子では目的地たる目黒のお屋敷に辿り着けるのはいつになることやら。

 

(やはり、полицейский(ポリシェイスキ)に聞くべきでしょうか)

 

 思ったその時。

 

「ちょっとそこのネエちゃん〜!あのさあのさ、ガールズバーとかキャバクラに興味ない?ちょ〜っとハナシ聞いて貰えるだけでいいからさぁ〜!」

 

 そんなセールストーク擬きを彼女に投げかけたのは、声の主は軽薄な笑みを浮かべる胡散臭い色黒の男。明らかに怪しい勧誘をしてくる男に対し、彼女は顔色一つ変えない。面倒だなと内心思っていると、何を誤解したのか男は尚も喋り続ける。

 

「ネーちゃんなら月100イケるよ?ね?貯めたお金で起業すりゃ儲かるからさ?」

 

 今時意識高い系セミナーでもそんな雑な誘い方はしないでしょう、と思いながら、彼女はそれでも親切に思考を日本人モードにして話そうとした結果が。

 

「……закрой(ザクローイ・) рот(ロット)……五月蝿い、です」

 

 ……素っ気ない、というか一聞すると挑発しているのではと思う彼女の返答だが、言葉のチョイスが少し直截だっただけで悪気はないのである。しかし。

 

「アァ!?……オイ、女だからってチョーシくれてっとボコボコにすんぞテメェ?前と後ろから突っ込んでガバガバにしてやろーか?!アァン!?」

 

 舐められた、とでも思ったのか。下品な本性を顕にした男は、目の前の少女の華奢な腕を掴んで吠え出した。

 が、下卑た恫喝を受けても彼女の顔色は常と変わらぬままのそれ。そして。

 

「…………дурачок(ドゥラチョーク)

 

 愚か者、と言うが早いが掴まれた左腕を振りほどいた彼女、目にも止まらぬ速さで男の襟首を掴んで引き寄せる。と同時、風切り音を伴って放たれた流麗な右ストレートが顎下(チン)へ一発。

 適時打を強かに浴びた髭面の男、「ゲペェェ!?」なる快音を口から上げて、膝からどさりと崩れ落ちる。

 

 実践本位を至上とするロシアの格闘術コマンド・サンボ。幼き頃よりこれを修め、結果齢14にして既に武の深奥に足を掛けつつある彼女の掠めるような一撃は、正確に男の脳へと衝撃を届けるに至ったようだ。

 

「威勢の割にこの程度、ですか」

 

 今しがた成人男性を軽く昏倒させる程の鮮やかな拳打を放った銀髪の少女は、眉ひとつ動かさず続け様に呟く。

 

「一昨日来なさいド三流。真の日本人(ヤポンスキー)とはもっと強いモノですよ」

 

 鮮烈なノックアウトもそこそこに、スーツケースをガラガラと転がしながら颯爽と立ち去っていく彼女。スマホで通話を始めながら歩いていくところから見るに、どうも目的地への目処は立ったようだ。

 後に残るは阿呆が一人。彼女の慈悲により命に別状はないが、今しばらくは愉快なオブジェのままだろう。

 尤も、外見だけで人を判断すると碌なことにならない、と言う事実を美少女の拳で学べたのだから、却って良い教訓になっただろう。むしろご褒美かも知れない。

 

 

 

 ☆

 

 

 二時間後の17時。目黒空条邸二階にある私・空条美波が間借りしている和室にて。

 雪を溶かしたような肌の色をした美少女が、凄味を発して其処に佇んでいた。その理由は。

 

「ミナミ……久々に会ってみれば何ですか?この部屋中に溢れる鯉の(赤い)球団グッズは。……лентяй(リェンチャーイ)、怠惰、です」

 

「実家から持って来た私物よ、私物。……ていうか、お久しぶりのアーニャちゃんこそどうしたの?其のいやらしい、マスコット(エロズリー)

 

 その理由は、持ってきた真っ赤なグッズの数々にあるらしい。ゴゴゴ、と音に直せばそんな感じの空気が、八丈一間の室内に充満する。竹馬の友と言われて早や10年近くの仲である我がソウルメイト・アナスタシアと私。それがなぜこんな一触即発の状況に陥っているのかといえば、後から考えるとあまりに下らない理由が原因であった。

 

 ホリィさんからの「サプライズがあるから早めに帰って来なさァい♡」との連絡を受け、講義が終わるなり大学から下宿先の目黒空条邸へと直帰した私。

 一抹の訝しさを感じながらも、ニコニコ顔の祖母に手を引かれ連れ込まれた私の自室で待ち受けていたのは、如何にも「お話があります」という顔で正座していた、約三カ月ぶりに会う四つ歳下の幼馴染だった。

 

 怜悧な美貌に覇気を滲ませ此方を見る彼女の前に置いてあったのは、綺麗に折り畳まれた私の赤い部屋着。

 供されたのだろう日本茶を堂に入った仕草で淑やかに飲んでいるものの、此方の姿を認めるなり発せられた言葉から意図を察した私は、彼女が懐に抱えた北の球団マスコットのぬいぐるみを一瞥して直ぐそう返す。

 

淫売熊(エロズリー)?言ってはならないことを抜かしましたね、ミナミ。……しかし、ここ4日間四連敗のアヘアヘ貧弱球団を贔屓するのは、一体どんな気分ですか?まな板の上の(カープ)の気持ち、わたし知りたいデス」

 

 ほう。たまたま不調な我が赤鯉を揶揄するとは。ならば熱き広島県民として、この道産子の目にもの見せてやらねばなるまい。

 

「……成る程、どうやら『対話』が必要みたいね、私達。SPW財団の修練場を借りるわよ、ついて来なさい」

 

Хорошо(ハラショー)。ただし、(ナマ)っていたら刈りますよ?VENUS(ヴィーナス)毎」

 

 スタンドバトルをご所望と?良きかな良きかな。

 

「臨むところよ。Nebula_sky(ネビュラ・スカイ)なら相手にとって不足なし。久々に全力で()れそうだわ」

 

 言葉の応酬を繰り返しながら玄関へと手を掛けた私達は、夕飯までには帰って来なさいよ〜、とのホリィさんの呼びかけにのみ揃って答えつつ、空条邸から一旦退出。

 そうして、このあと滅茶苦茶バトルした。

 

 

 

 ☆

 

 

「アイドル……ですか?」

 

「うん。……自分が本当にやりたいことって何なんだろ、って考えて、やってみようと思ったんだけどね」

 

 深夜十一時ちょっと前、下宿先の私の部屋にて。

 贔屓球団に端を発する問題が闘争に発展した結果、1時間ぶっ続けで殴り合ったこともあって疲労困憊の私達は修練場で同時にダウン。汗塗れのジャージ姿で倒れ伏し、気付けばお互い笑い合っていた。

 

 気付けば些細なわだかまりなど既に欠片も無い。

 第一この子と喧嘩して半日以上長引いた事自体、今まで一度たりとてない。

 その後は結局グロッキー状態のまま帰宅し、二人してボルシチとペリメニ、ビーフストロガノフというホリィさん特製ロシア尽くし料理を手伝って晩餐を囲み今に至る、というわけである。

 ……お風呂に一緒に入ってこられた時は、流石にちょっと()()()けど。

 

 さて、青い眼を此方に向ける「この子」ことアーニャちゃん。実はその本名はАнастаси́я Ⅱ(アナスタシア・)Никола́евна (ニコラエヴナ・)Рома́нова(ロマノヴァ二世)、という。

 曽祖母は若くして落命したとされるかのアナスタシア皇女殿下であり、アーニャちゃんは世が世ならロシア大公女になっていただろう、歴としたロマノフ王朝の血を継ぐ「プリンセス」なのである。

 世界史教科書の記述と反する事なのは百も承知……なのだけど。文香ちゃん風に言うなら、正に「事実は小説よりも奇なり」といったところだろうか。

 

 あ、ちなみに「ロシア系アメリカ人」となっている彼女のお父さんの苗字は勿論偽物。更に現在は日本人であるお母さんの苗字を使っている為、表向きは天体観測とパーティの好きな、ハーフのかわいい女の子だ。

 ……実際は幽波紋と、ソ連でかつて間諜をしていた父から習ったという格闘技に精通し、特殊部隊にでも属しているかのような動きをごく自然にこなす子なんだけども。

 

 というか私より四つも歳下なのに、現時点でもその武の天凛は計り知れない。既に実力が伯仲しているのがいい例だ。うかうかしてると今後追い抜かれるだろうこと必至である。私も精進しなければ。

 しかし志希ちゃん初め凄まじい人が、これだけ自分の周囲にいるのは幸運といえるだろう。全く以って良き出会いに感謝したい。

 ……あ、そうそう。私からもアーニャちゃんに言いたいことがあるんだった。

 

「……アーニャちゃんも、良かったらやってみない?アイドル。あ、勿論受験終わってからの方がいいかもだし、それに最短で来年春からになっちゃうけど……」

 

 それでも。親しい人にしか向けられない彼女の素敵な笑顔は、何にも増して魅力的なのだから。

 周りも幸せだし、それに。どこか悲愴なまでの意志を感じるというか、張り詰めた所のある彼女が少しでも解れる可能性があることなら、私は何だって提案するし協力する。

 

 少なくともこうして一緒に寝ようといっても、色々と理由をつけて私より先に眠ろうとしないくらいには頑固な彼女から、たまには肩の力が抜ける時が来るようには。

 彼女と同い年の飛鳥ちゃんだってボキャブラリーや思考力なんかは余りに大人びてるけど、偶には年相応の笑顔を見せてくれるのだ。

 

 だから、アーニャちゃんにも、きっと………………。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 それから二〇分後。規則的な呼吸と共に静かに眠る栗色髪の少女の向かい側で横になっているアナスタシアは、充てがわれた布団を気持ちこの歳上の幼馴染の方へと寄せつつ、なんだかんだで敬愛している彼女との初邂逅を思い出す。覚えているその始まりは別に劇的でもなんでもなく、確か自身が五歳の時だった。

 

 今では下手をすると実家より入り浸っている広島の空条家。その高所に設置された天体望遠鏡セットを弄っていた時誤って落下、足を捻挫してそれでも泣くものかと蹲っていた所を当時一〇歳のミナミに発見され。

 

 てっきり親を呼ばれるかと思ったら、「波紋」なるもので治してくれた。何コレ教えてと頼むも最初は固辞されたが、秘密にするからと言ったら根負けしたのか聞き出しと習得に成功。その時の唖然とした彼女の顔は今でも覚えている。

 以後彼女の弟を引き回して遊び倒すことを繰り返すだけでなく、姦しいというにはあまりにも汗と怪我と土埃に塗れたスポ根漫画のような関係を築いて現在に至るのだが……。

 

(変なのに絡まれたと言ったら心配しすぎです、ミナミ。もう、貴女と同じくらい強いのに)

 

 幼い頃からこの姉貴分に追い縋りたくて、年の差など関係ないとばかり努力した。学業、スポーツ、武道に音楽、裁縫や料理のスキルに至るまで。何でもそつなくこなす彼女に憧れた。

 優しくてどこか天然で、曲がったことが許せない上人一倍責任感が強くて、努力家で負けず嫌いで放っておいたら余計なモノまで背負いこんでしまいそうなところまで、全部含めてこの人になら、と思ったのに。

 

 なのにこのヒトは、私のことを手のかかる妹分どころか、未だ護るべき深窓の令嬢、みたいに見ている節があるのだ。

 彼女の先祖に皇女アナスタシアが助けられたその時から、我々が(こうべ)を垂れるは貴女達だと決めたと云うのに。

 

(……それに、お風呂場で見ましたよ。星痣(アザ)、前より濃くなってました)

 

 心配させまいとしたのだろうか、髪でそれとなく隠していたが、庇っている所作が少しでも伺えたなら私にとってそんなもの丸分かりだ。

 

 ──(ジョースター)の護り手。それこそ私が心に刻みし、たった一つの秘めたる誓い(ギアス)

 地位も家族も財産も国家も喪った我が父祖らに差し伸べられた、唯一手無二の地上の(ズヴェズダ)。ソレがジョースターの血族だ。

 もし彼等の誇りを奪わんとする者がいるならば、たとえ相手が神であろうと命に代えても食い止める。元々この人生自体、本来なかったかも知れぬ命なのだ。ならば彼女等のため使い尽くしてやろうじゃないかと、幼き頃より決めている。

 

(知らなくても、分からなくてもいいです。……でも、ミナミ)

 

 ────貴女こそ、私にとっての綺羅星なんですよ?

 

 布団から出された、心中で主君と仰ぐ彼女の手をそっと握り締めながら、ロマノフの遺児もやがて眠りの世界へと誘われていった。

 

 ───流血すら厭わぬ鋼の意志と氷の瞳を持った少女が、元来持っているその柔らかな笑みを人前で浮かべられるようになるのは、これより今暫く後のこと。

 




・赤マフラーの女性
この時まだ息子は生まれてない。

・軍服の男
ジョージだけどGEORGEではなくJORGE。

・アナスタシア(初代)
ロシア革命のどさくさに紛れて英国政府がこっそり救出。色々あって当時イギリスの同盟国だった日本に匿われた。

・アナスタシア(デレマス)
本作では亡国のお姫様の末裔に。なお新田ーニャは健在のもよう。

・アーニャパパ
オリキャラ。柔道とサンボの達人。最近頭髪がちょっと寂しい。

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