美波の奇妙なアイドル生活   作:ろーるしゃっは

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007/ 撒き餌

 …………もう朝、か。

 

 控えめな小鳥の囀りをBGMに、二宮飛鳥は定刻通り起き上がる。目覚まし要らずの快適な起床をもたらしてくれるのは、346プロダクションが去年建てたばかりの豪奢な女子寮。早朝は東棟5階の角部屋で、橙髪の少女はベットに腰かけたまま伸びをした。

 

 食堂・大浴場などの共用スペースを除き全て個室、更には部屋毎にシャワーや簡易キッチンまで完備して尚、余裕の広さを兼ね備える寮室。その一室に今春より入寮してきた橙髪のアイドル候補生は、ゆっくり瞬きをした後、何の気なしに自室を見遣る。

 モノトーンを基調とした家具やカーテンを始め、インテリアとしてクラシカルなデザインの地球儀やダーツボードなどが配された室内。

 

 壁際には既成品では到底おっつけないマシンスペックを誇るゴツいタワー型PCに加え、40型の薄型液晶テレビとPS4、机上にはハイレゾ対応の密閉型ヘッドホンにタブレット端末、Wi-Fiルーターに小型の空気清浄機と、黒物家電に関しても一通り揃っている。

 と、ここまでの様子を見る限りは、正直一人暮らしの野郎の居住空間かと見紛うレベルの色気の無さだ。

 

 が、玄関入り口に置かれた女物のカラーパンプスに、部屋奥の掃除の行き届いた化粧台。更に化粧ポーチやエクステケース、ネイルケアツールの存在が、部屋の主が女性であることを如実に示していると言えよう。

 

 ……化粧台横の丸テーブルに読みかけと思わしき文庫版ギルガメッシュ叙事詩(和訳)が置いてあったり、テレビ横のメタルラックに突っ込まれたゲームソフトの種類(ホラゲとFPS)を見る限り、持ち主の性格がそこはかとなく垣間見えたりもするのだが。

 

 さて、誰あろう七月にアイドルデビューを控える部屋の主・二宮飛鳥は、ふと枕元に置いている腕輪に目をやる。

 

 もう十年近くの付き合いになる腕輪との初対面は、実はあまり良く覚えていない。なんだかもやもやとした、曖昧な記憶の霧の中にあるのだ。

 静岡の実家の蔵に長らく死蔵されていた、所謂「開かずの箱」の中身だったその腕輪。

 

 入り婿で二宮家にやって来た()()()男性が、嫁入りならぬ婿入り道具として持って来た箱。しかしこのご先祖、なんと設定されたアルファベット26ワードに数字6桁を合わせた解錠番号を、誰も知らせぬまま天寿を全うしてしまったのだ。おまけに鍵自体やたら頑丈なダイヤル式で破壊も不可、という実に子孫泣かせな代物だった。

 しかし、幼き日の飛鳥はこの舶来品をなんと一発で開ける、というミラクルを成し遂げる。

 考えられる組み合わせが約21億7700万通りという天文学的確率の中から即座にアタリを引いたその時から、彼女と腕輪の奇妙な縁は始まった。

 

 気を良くした祖父に「折角だし持っていけ」と述べられたものの、飛鳥は最初その申し出を断った。腕輪自体が当時の飛鳥にとっては首輪(チョーカー)くらいのサイズのものだったからだ。でも結局押し切られて貰った。言ってみれば伝来の家宝、捨てるのも忍びないとつけたりしてるうちに、気付けば愛着が湧いて今に至る。

 

(……というか結局何なんだろうね、コレ)

 

 ちなみにこの腕輪の正体、独白の通り未だに謎である。ただ副産物として色々調べていく内にナニカが彼女の琴線に触れたのか、これらを契機として所謂「中二病」を発症。

 最初こそコンビニで怪しげなビニ本を買って得た知識を基に「このセカイはフリーメーソンに支配されているのでは……!?」などと言い出す可愛げのあるものだったが、「我が闘争」やら「ラヴクラフト全集」やらに手をつけ出した辺りから病状が加速度的に進行。

 

 14歳になっても勢いが収まるどころか哲学や宗教学の類まで漁りだし、結果年齢不相応な語彙力をちゃっかり身に付けてるのは完全な余談である。

 まあ元々の一人称が「ボク」だったり、幼い頃から物事を少々斜に構えてみる癖があったので素地は有ったのだろう。が、結果成績優秀者ばかりのユニット内に於いても最年少ながら最もコア、且つアングラな知識を有するまでになったのだから、人生何が切掛でどう転ぶか分からない。

 

(…………もしかして腕輪(コレ)こそ、ボクにとっての「シンセカイの鍵」、…………だったりして)

 

 年相応の、未だかつて体験した事のないような物事に出逢いたい、という感情と、年齢に似合わぬ趣味嗜好もあってナナメの入った思考とが居り混ざる飛鳥の胸中は、同年代のそれと比しても非常に複雑だ。

 

 そんな中で突如かけられたスカウトを蹴らなかったのは、珍しく前者の感情が行動という形で発露したから、ということもある。

 

 ……ただし、アイドルやるための努力はするが没個性的で安直なキャラ修正を強要されるならスッパリ辞めてやる、と決意してから入寮したのに気付けば夢中でやってるあたり、どこまでいっても彼女は彼女なのだった。

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 時を同じくして、346プロ第一女子寮。こちらは西棟居住スペースの角部屋にて。

 

 幸せそうな顔で抱き枕に頬を寄せる少女・一ノ瀬志希は、今しがた安穏とした眠りから目覚めんとするところだった。

 彼女の部屋で先ず眼を引くのはだだっ広いフラットデスク。机上には作業でもしていたのだろうか、スリープ状態にして開きっぱなしの最新型ノートPCと、何かの複雑な数式が殴り書きで書かれたメモ帳、更に赤線が幾つか引いてある、山と積まれた英語論文がある。

 

 またよく見ると部屋の隅には、段ボールに適当に詰め込まれた数々の賞状やら盾、そしてトロフィーの姿が伺える。

 しかし若干埃を被ったそれらに対して、同じく持ち込んだのだろうパーテーションで区切られた簡易実験スペースの内部はチリ一つなく清潔に保たれている。関心が向かないと一切構わない、この部屋の主の思考が如実に表れている、といえよう。

 ……冷蔵庫やらキッチンの調味棚に明らかに食用に適さないものが入っているのは、彼女なりのご愛嬌だと思う。決して旧知の仲であるプロデューサーに飲ませてみたくて用意してるわけではない。ないったらない。

 

 そうこうしてる間に起きたらしい彼女、布団の中からもぞもぞと手だけを伸ばし、ベッドの下に落ちただろうスマホの位置を適当に探す。

 

「……ふぁ〜あ。……な〜んだ、まだこんな時間かぁ」

 

 ほのかに部屋へと差し込む一筋の日光で目覚めた、この小綺麗な魔窟の主たる小豆髪の少女は、発見し拾い上げたスマートフォンの液晶画面を見つめると、拍子抜けといった顔で呟く。

 時刻は朝の六時丁度。朝食の時刻まで優に一時間以上ある。

 今日のゴハンはなんだろにゃ〜、と考えながらも、スカウトを許諾したのち東京で暮らすにあたり、一人暮らしベテランの仗助にオススメの物件を聞いたら一も二もなくこの寮を勧められて此処に来たことを彼女は思い返す。

 

 最初は自分が集団生活なぞ無理無理無理無理カタツムリ、と思っていたが馴れればこれはこれで悪くない。

 壁が厚いからナニを()()()()のにも気兼ねしないし、日本基準なら部屋の広さは十二分。都心ど真ん中の立地と良好なアクセス環境も申し分ない上、ベランダから見える夜景も中々のもの。

 

 そして決めては何より大浴場と三食付であること。アメリカで暮らしている時の二大不満要素だったおフロ(浴槽)の存在、そして楽して美味しい食事が摂れる──タバスコピザも好きだけどアイドルやる以上健康には多少気を遣わないといけないので──この二つを同時に満たせるのなら願ったりかなったりだ。

 

 結果的に正解だったね〜、ジョースケって直情径行のようでけっこー考えてくれてるんだよねぇ、と内心でここを紹介してくれた彼の評価をまた上げつつ、掛け布団を捲って起き上がる。

 

(……そうそう、()()は何処に置いたかなっと……あったあった、ココにいたのか〜キミィ)

 

 眠気を主張する瞼を擦りながらも、化粧台に置いてあった片手サイズの小瓶を手に取って少し振る。

 亡き母から小学生の頃に貰い受けた香水瓶、本来ならとっくに中身など無くなっていておかしくないのだが。

 

(……うん、いつもと変わらず()()()()()

 

 赤石が嵌め込まれたその瓶を振り、内容量に見当をつけ確かめる。

 元通り、即ち──この香水、中身が()()()()のだ。

 

 一度なぞ逆さにして中身が出なくなるまで放置しておいたのだが、日付が変わったらまた元通り充填されていた。

 あり得ないことだが瓶の組成自体が溶けてるのかと考え成分分析もかけてみたが、中身は市販の香水と同じ。

 ならばと興味半分で瓶本体の破壊を試みたこともあったが、叩いても炙っても斬りつけてもはたまたプレス機にかけても壊れない。

 貰った品に研究目的といえそんな仕打ちをする辺りかなりMAD気質な彼女だがそこはそれ、見方を変えれば学者としての探究心の発露ともいえよう。

 

 秘密の香水(トワレ)と彼女が呼ぶ、質量保存の法則その他諸々に真っ向から喧嘩を売っている瓶の謎を、果たしてこの稀代のギフテッドは何時解き明かすのか。

 

 そんな期待も密かに込めて娘に瓶を贈った母親の意を知ってか知らずか、気分屋娘は自身の左手首にシュッ、とソレを一拭きし、鼻を近付け嗅いでみる。ちなみに此処数年、毎日続けている習慣である。

 さて、嗅ぐなり大きな眼をぱちくりさせた彼女の感想は、というと──。

 

「……ほほ〜う、今日は薔薇の香りなのねん。うんうん、良きかな良きかな〜〜♪」

 

 言いながら足取りも軽やかに、鼻唄混じりでシャワーを浴びに浴室へ。

 どうやら、本日のフレグランスもお気に召したようだ。

 

 

 

 ☆

 

 

 

(…………やはり俄然意味不明、ですね……)

 

 神保町の老舗書店・鷺沢古書堂2階にある個室。

 3月末から此処へ下宿している青眼の少女こと鷺沢文香は、今日も今日とて日課の読書に耽っている。既に読み終えた雑誌を脇に置きつつ、現在は何やら分厚い本と睨めっこしてる最中だった。

 

 最近リフォームしたのだろうか、真新しい藺草の薫りが漂う純和風の部屋に誂えられるは、えらく年季の入った卓袱台。机上に広げられたノートに記されるは、どの国の言語とも見当のつかない謎めいた文字の羅列。

 羊皮紙で出来ているらしい本のページをめくりつつも、ちらと壁掛け時計を確認することも忘れない。

 

(……開店まで、あと30分……。……そろそろ支度をしないと、ですか)

 

 バイトの時間前に少し休憩でも入れましょう、とお茶処・静岡県出身の同僚から頂いた玉露を淹れた日本茶を飲み、ほっと一息。ちなみにお茶のアテはコレも頂き物、岩手が地元の同期から頂いた南部せんべい。

 座椅子の背にもたれ懸かりながら、金と宝石がちりばめられた机上の本──宝石本との出逢いを回想する。

 

 彼女にとって、幼い頃から書は一番の友人だった。生来の内向的な性格もあってか、皆が校庭で遊ぶ中でも図書館に篭ってひとり本を読んでいたことなどザラであるし、読書好きが高じてか務めた役員は小中高と一貫して図書委員。

 これ幸いと館内の蔵書を禁帯出も含めて全て読むに飽き足らず、一時期は広辞苑からタウンページまで紙媒体なら何でも手を付けていた程だ。

 

 此処までのビブリオマニアが只今下宿真っ最中のこの古本屋で見つけたのが、鎖で縛られ地下室に眠っていた電話帳並みの厚さの宝石(この)本だった。

 普通そんな怪しげなもの敬遠するかもしれないがそこはそれ。世の中には「魔本」と呼ばれるものもありますし、もしかしたらそんな希書の類かも知れませんね、と不気味に思うどころか平気で毎日手に取ってるあたり、実は相当胆力があるのではないだろうか。

 普通なら手放すなり売却するなりしそうなものだが。

 

 そうそう、ちなみに齢18にして彼女が読破した本の総数は、なんと約15万冊にものぼる。それだけ莫大な数を読む秘訣は何かというと。

 

(…………テキストの予習、このレベルなら必要なかったですね……。まあ、いいんですが)

 

 気晴らしに手に取った、明日予定の英語の講義の教科書。それを何の気なしにパラパラと捲るスピードの速さにある。──即ち、速読。

 一文ずつを追うのではなく、文をパラグラフ毎斜めに一気読みしていく手法に拠り、一冊あたりにかける時間が大幅に短縮。結果十代にして生きるライブラリと化した少女が出来上がったというわけだ。

 ただ小説などは敢えてじっくり読んだりもするので、常にこの限りというわけではないが。

 

 まあそんな彼女の自室を改めて見てみると、予想通りというべきか出入り口以外三方が本の山。

 姿見や化粧台にワードローブ、また最近広島出身の同級生と一緒に買いにいったメイク道具やらもあるが、それは部屋のごく一部分。

 防虫剤を添えた複数のケースにブックカバーをかけて入れられた本の内訳は、辞書に図鑑に洋書に文庫、エッセイ、小説、伝記に歴史書、エトセトラ。中には既に絶版となって久しい希書までも見受けられる。スキモノの読書家垂涎のコレクションであることは間違いなしだ。

 

 また採光のため開けた窓とドア付近以外を埋め尽くすその本棚達は、しかし持ち込み過ぎて床が抜けるといけないだろう、と思い彼女なりに厳選した本だけを納めたのだが、日々ちょっとずつ増えているため室内の限界積載量に近付きつつあるようで。

 

 ……読破したのち手許に置くのを諦めて、仮置き場として地下倉庫に持ち込みを開始するのは、これからもう少し後の事である。

 

 

 

 ★

 

 

 

(拝啓、お父様、お母様。私は今、終わりなき戦いに身を投じている最中であります────)

 

 事務所へ場所を変えまして。悲壮な独白をした私こと空条美波は現在、メンバーの皆とテーブルを囲っている最中だ。皆の表情は一様に、何時にも増して真剣そのもの。

 

 繰り広げられているのは、今日何度目かも分からない卓上の激闘。

 午前中の激烈レッスンで疲労困憊、何ならさっきまでちょっと仮眠してた有様だったのに、いつの間にか真剣な面持ちで円卓を囲み、四方それぞれの手元を注視する私たち。

(パイ)」を吟味し緑のマットに其れ等を並べて切っていくこの静寂を、最初に破ったプレイヤーは。

 

「──は〜い美波ちゃんその捨牌ローン!これで白・(ハツ)(チュン)でアッガリ〜の大三元!んじゃあーおっ先ぃ〜♪」

 

 私の切った牌を颯爽とかっさらっていった、右隣の席の志希ちゃんだった。

 

「嘘お!?……あああホントだやっちゃったぁ……」

 

「さっきは国士無双で今度は大三元!!?……何だろう、今日の志希には勝てる気がしなくなってきたよ……」

 

「これで二度目の役満とは、なんという闘牌力…………()くなる上は燕返ししか…………!」

 

 してやられた私を始め、一緒に打っていた飛鳥ちゃんと文香ちゃんも歯噛みする。パパの手解きにより意味不明な麻雀力を誇るアーニャちゃんにこそ未だ敵わないが、彼女以外なら勝てるかも、と考えていたのは大間違いだった。

 

 そもそも発生確率の非常に低い役を続けて二度も出すとは、本日のツキの神様はどうやら彼女に降りているようだ。

 

「ふっふ〜〜ん♪今日の志希ちゃんは一味違ぁーう!どっからでも掛かってくるがいいにゃあ〜〜!あ、美波ちゃんは罰として一枚脱いでね?ほらほらほらほら」

 

「ちょっ、えっ……こ、これ脱衣麻雀なの!?……ていうか文香ちゃん、燕返し(イカサマ)は駄目よ?」

 

「いいえ、咎人に石を投げて良いのは、真に罪無き者だけですよ、美波さ……ってひゃあっ!?……なっ、くすぐったっ、志希さ……」

 

 ……私の対面に座っていた黒髪少女は、台詞を最後まで言い切る前に隣席の気まぐれネコに何故か擦り寄られた。合掌。

 

「んん〜?さっきから思ってたけど今日はちょ〜っとニオイが違うねぇ文香ちゃん?志希ちゃんなんだか気になるからハスハスしてもい?もーしてるけど♪」

 

「……ゃっ……ぁん……んんっ……」

 

「……ボケ潰ししながら利潤追求とは恐るべし、この自由人…………」

 

 結果、どこか艶めかしい声をあげる女子大生と、傍目から見ると襲ってるように見えなくもない女子高生、そして最近ツッコミが板につかざるを得なくなった系JC、という光景の出来上がりなわけなのである。

 

 しかしこのそこはかとなくピンクな景色、何というか──

 

「ねえ、飛鳥ちゃん」

 

「……皆まで言わなくても何となく分かるよ、美波さん」

 

 呆れ顔の飛鳥ちゃん。いえいえ多分そっちじゃない。

 

「ペナルティで服を脱ぐタイミング逸したんだけど、私いつ脱げばいいのかしら」

 

「さ、そろそろ荷物纏めようか」

 

 めっちゃジト目で言われた。

 

「ごめん、ごめんって。……そうね、そろそろ片付け始めましょう、皆!」

 

「そう言いながらなんで牌をジャラジャラさせてるんだい、リーダー?」

 

 ボケの波状攻撃にお疲れ気味の飛鳥ちゃんがジト目でそう指摘した時、やにわに両開きの部屋のドアが開く。現れたのはPさんだった。

 

「おーい、あと一五分で出っから支度しとけよ〜?」

 

「あいさ〜♪」

「……わ、分かり……ました……」

「連絡有難う、P」

「お世話になりまーす!」

 

 そう、今日は午後からライブの見学予定日。それも961プロ所属の人気アイドル、玲音ちゃんの野外フェスを見に行くのだ。

 

 

 ☆

 

 

「す…………」

 

「凄い……」

 

 鮮烈。単純明解、故に強烈。目の前のステージに立つ彼女──玲音のライブパフォーマンスをみて、それ以外の感想が出て来なかった。

 

 彼女が歌った出番は野外フェスの最後、即ち大トリのたった一曲のみ。ただそれだけで、会場の空気を全部塗り替えてしまった。

 

「……これが…………」

 

「……オーバーランク、ってやつなのか……」

 

 曲名はアクセルレーション、といったか。何処と無くスタンドっぽい名前だがそれはさて置き。彼女の人間離れした美貌をもつ容姿から繰り出されるパフォーマンス、抜きん出た歌唱力と表現力は、かの765プロのアイドル達を差し置いてでも今のアイドルの頂点に君臨するに相応しいと言えた。

 

 歌もダンスも、パフォーマンスも。全てが高いレベルでブレなく纏まっているそれは、機械のような精密さすら感じさせる。計算され尽くした綺麗な一挙手一投足に、観客に振りまく精緻な笑顔。正に()()()()()()()()()()()()てきたと、そう言っても過言ではない。

 

「……いま現在、この業界で最もかの日高舞に近いと言われる存在。それが彼女だ」

 

 客席からライブを眺めていた私達の隣に座るPさんがそう述べる。

 

 ──日高舞。その名は現代日本人なら誰でも知っている。CD全盛期の90年代に一大ムーブメントを巻き起こした彼女は、シングル・アルバムランキング共に日本最高の販売記録を持つレコードホルダーでもあった。……のだが、なんと人気絶頂の16歳の時に突如引退。

 聞けば理由は妊娠だったとかで、巷では当時の熱狂的なファンによる彼女への襲撃(未遂)が行われる、CD出版レーベルや関連書籍取扱会社の株価がナイアガラ降下するなど、大なり小なり世の中に影響を及ぼしたそう。

 

 ただそんな負の面も差し置いて、当時震災やらで暗い世相に覆われていた日本の人々を明るく勇気付けた歌と踊りは、今でも語り草となっている。ママなんか今でも聞いているくらいだし。テレビ特集とかで見たことがあるけれど、成る程伝説と呼ぶに相応しいアイドルだった。

 

 そして目の前で踊っていた玲音ちゃんなら、かつて「オーガ」と呼ばれた彼女のレベルにまで至れる、と思われるのも納得だ。

 しかし。憧憬が形を取って現れたのはラッキー極まりない。分かりやすくこんなものを見せられたら、なんだかもう────

 

「……モチベーション上がって来ました、Pさん」

 

 今の私達じゃあ、あのレベルには至らない。ても、いつか追いついてやりたい。萎縮?そんなもの、やりきってからすればいい。今は研鑽あるのみだ。……同じ思いだったのか、私の呟きに皆も次々答えてくれる。

 

「ボクも同感だよ、美波さん」

 

「…………しますか?自主練」

 

「ルーム空いてるぅ?ジョースケ?」

 

「電話して押さえとくわ。ただしオーバーワークは禁止な?」

 

 聞くなり立ち上がって荷物をまとめる私達。終わったのに戻って自主トレとか、何だか高校の部活動を思い出す。スクールアイドルってわけじゃあないけど。

 まあ取り敢えず、デビューまで麻雀卓は仕舞っておこう。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 所変わって6月9日、深夜零時。

 都内某所にある961プロダクション近くの裏路地。そこを幽鬼のような形相で、まるで何かに追われているかの如く走る男が一人。

 

「……ヒイイッ……来るなっ……来るなッっ……!!!」

 

 時折後ろを振り返り、足がもつれ道に落ちていたゴミが体にぶつかるのも構わずよろよろと走り、息切れからか路地裏の壁に手をつく。

 

「なんでッ……俺が……こんなっ……!」

 

 三流ゴシップ週刊誌のライターを営んでいるその記者・ペンネーム悪徳又一が何故こんなことになっているのかと言えば、その発端は三年前。

 かの765プロの有名アイドル・如月千早に関するスキャンダルを、懇意にしていた黒井社長から金を受け取ってでっち上げたところからだっただろうか。

 創設以来最高の発行部数を記録したその号だったが、勢いは其処まで。捏造が捏造とバレた後は、坂を転げ落ちるようだった。

 

 765ASのファンを名乗る者達から殺害予告が届いたのはまだ易しい方。読者どころか同業者からすらも白い目で見られるようになり始めたこともあり部数が激減。

 記事もハネられ貯金も使い込み、生活苦に追い込まれた男が思い付いたのは。

 

「……黒井の野郎を脅そうとしただけだってのに、クソッ……!」

 

 そう、抱えていた人気ユニット・Jupiterの離脱などがあって人気が低迷したかと思えば、いつの間にやら玲音なるアイドルを採用し、瞬く間にSランクまで上り詰めさせた961プロ。

 

 きっと自分にそうしたように、何か裏で黒井が手を回しているに違いない。ドス黒い芸能界のこと、金か女でも上役に掴ませたのだろうと考え、手っ取り早く彼を脅迫し黒い話を暴露させ、当面の強請りたかりをする、という短絡的発想を決意。

 そして今日、入館前の担当清掃員を襲って服と入館証を奪い事務所に潜入。その時間は本人以外誰もいないと確認したはずの黒井の社長室に、凶器を持って押し入ったのだが。

 

(あんなSPを雇ってたなんざ、聞いてねえぜ……!)

 

 部屋へ難なく侵入し窓を拭く振りをして背後に回り、黒井の後頭部をハンマーで殴りつけ昏倒させたのちさて施錠・拘束しつつ叩き起こして脅迫せん、とした悪徳の前に現れたのは、両の目尻に渦巻きのような形の白いタトゥーが入った、黒人の大男。

 

 隣の来賓室からこの社長室へ入ろうとしたと思われるその男は、侵入者の血走った目と手に持ったナイフで目的を察したのか、懐から消音器(サイレンサー)付のハンドガンを取り出し黙って発砲。

 これに悪徳は咄嗟になりすましのため用意した清掃用具ワゴンをぶつけて逃走を決意。

 

 そうして、追いかけてくる男から逃げるため事務所を抜け路地裏に駆け込んだというわけだ。とその時。

 

(……ンでも、なんとか撒いたみてえだな……ん?)

 

 その時。……キュッ、キュッ、と微かに、聞き覚えのない音がする。そしてその音源は着実に、此方へ近づいて来ているではないか。これはもしや──

 

(……あのヤロウもう来やがったのか……!?土地勘のねえ奴にここら辺の入り組んだ道は分かんねえ筈だ、一体どうやって……!)

 

 慄く男の目の前に出て来たのは、果たして──。

 

「……んだこりゃあ……犬の風船?…………クソが、脅かすんじゃねえよまったくよお……!」

 

 風か何かで運ばれてきたのかと、苛つきもあって風船を蹴飛ばそうとしたその時、ふと頭をよぎるのは。

 

 ──いや、風なんざ、吹いてなかったぞ?……ただのバルーンアートがどうやって、此処まで来たんだ?

 そうして、風船に顔を近づけた瞬間。

 

 バァン、と。前触れもなく、ゴムではなく()()()()()()、その風船が破裂した。

 

 瞬時に発生する散弾が如き速度の金属片は、顔を向けていた逃亡者にも当然の様に襲いかかり、左頬から上を爆風と共に抉るように吹き飛ばす。……それ即ち、意味することは命の簒奪。

 かくして呻く間も無く呆気なく絶命した男の死体が、路地裏に一つ。

 

 ピクピクと解剖された蛙のように痙攣を繰り返す、脳の半分以上を物理的に失った無惨な身体が動きを停止してから。

 ()えた匂いと赤い血に塗れたその場所に、ゆったりとした足取りで辿り着いた男が1人。

 

 カツン、カツンと磨き抜かれた革靴から音を立てて現れたその男は、誰あろう先程まで悪徳を追っていた長身の黒人。眼前に広がる、常人ならば目を背けたくなるだろう惨状を目の当たりにしても、その顔色は依然変わらない。

 それどころか。

 

「……我が『チューブラー・ベルズ』に掛かれば、矮小な愚物如きこんなモノか。何と他愛のない世界よ」

 

 自ら手を汚すことなく、人間ひとりを殺めたことを宣言したその男。

 両手を腰の後ろで組んだ姿勢のまま、頭蓋の欠片や血液の飛び散った凄惨な現場を睥睨しながらも。合理冷徹を至上とするその思考には、今しがた潰したネズミのことなど既に一片たりとも残っていない。

 

(……しかし、あの黒井なる俗物、子飼いにしたは良いが思ったよりも使えんな。奴の不手際で閣下に火の粉が掛かれば事だ、何れは始末せねばならぬか。961(アレ)は所詮、『獅子』の保管庫でしかない世界なのだから)

 

 思うなり来た方向へと踵を返した、黒スーツを着た巨漢にして『閣下』の腹心を自認する男、マイク・O。

 

 未だ利用価値のある小物に、脅し序でに貸しを一つ作っておくか、というだけの理由で作成した物言わぬ骸にそれ以上一瞥もくれることなく、彼は夜の闇の中へと溶けていった。

 

 後に残るは、人だったものの成れの果て。

 

 

 

 ☆

 

 

 

『──次のニュースです。本日未明、東京都S区にて男性一人の遺体が発見されました。通報者の話によれば、男性は発見時、全身を強く打った状態で死亡していたとの事です。現場の状況なども抱合した上で、警察では男性が何らかの事件に巻き込まれた可能性もあるとみて捜査を進めています──』

 

「……やだねェ、こーいうのは」

 

「そうですね。……本当に最近、物騒ですし」

 

 時に、6月11日水曜日。346プロ芸能事務所近くの大衆食堂、たるき亭渋谷分店・壁際四人掛けのテーブル席にて。

 大学が全休なのを利用して朝イチから346トレーニングルームの空き部屋を使って自主レッスンに励んでいた私・空条美波は、練習が一段落したところで来訪を知ってるPさんを昼食に誘い、全一四席の小さなこの店でお昼兼小休止と洒落込んでいた。

 

 ちなみにPさん、昼食を女子社員に誘われそうになっていた。相変わらずモテるみたいで。

 

 閑話休題、店内の壁掛けテレビから流れる物々しい内容の報道を聞きながら、私は先日起こったトンネルでの予期せぬ遭遇を思い出す。

 世界的にみても治安の良い国・日本でも、凶悪犯罪と無縁なわけではないというのは何とも悲しいことだ。顔も名前も分からぬ人だが、心の中で手を合わせる。

 

 さてそんなニュースを小耳に挟む中、「さっき今西さん(上司)から入ってきた情報なんだけどな……」と切り出したPさんの話は、まあ有り体に言っておカネの話。内容は──

 

「……スポンサーが買収された?」

 

「ん。正確にはIU最大手スポンサーのTVCの公開株式が、一昨日付で外資系企業のU・コーポレーションってとこに過半数を握られたんだとさ。……尤も何が変わるかって、規模とセットがちょっと豪華になるっつーぐらいで、フェス自体に影響はな〜んも無えみてぇだけどな」

 

 もしかしたら今日のニュースでもやるんじゃね?と頬杖をつきながら言うPさんに相槌をうちつつ、私は店内の壁掛けテレビから流れる時事情勢と、手元にあるお品書きとを交互に眺める。

 ポップな手書きのメニューリストに載るのは、海老フライにブリの照り焼き、チキン南蛮にハンバーグ、etc。

 迷った末に唐揚げ定食と生姜焼き定食を選択した私達の元に出来立ての其れ等が程なく届き、舌鼓を打つ合間に今後の話を進めていく。

 

 まずは今後のスケジュール。一〇人前後の規模でのCPによるデビュー計画がいきなり頓挫したため、私たちラウンズに代替案として346側から用意された来月のデビューミニライブ。これを皮切りに、八月一杯まではレッスンしつつ各種メディアに露出して知名度を高めながらIUに出場。

 九月以降は拡充再編成した新プロジェクト(仮称)に私たち含めた二期生約三〇人のメンバーを投入。その後一期生とまとめて冬に合同ライブ、という予定でやっていくそうだ。

 

 言ってみれば夏までは地下アイドルの下積み、冬以降はメジャーデビューのアイドル、みたいなものだろうか。まあ────。

 

「……経験値が多く積める、と考えれば悪くない、ですよ?」

 

「……そう言ってくれんのはマジで助かる。それに、三人の体力養成も課題だからなあ」

 

 Pさんが何を言っているのかというと、即ちユニットメンバーの文香ちゃん、志希ちゃん、飛鳥ちゃん三人の持久力のことである。

 

 歌唱力や表現力などは兎も角、スタミナだけなら一般JDからかけ離れた自覚のある私は別段平気だったのだけど、ダンスレッスンを繰り返した辺りで皆がダウン。

 結果トレーナーさん達の中でもスパルタで有名らしい青木麗さん策定の特別メニューを課せられながらデビューを待っているのが私達の現状だ。

 

「でも、みんな結構体力ついてきてますよ。この調子なら多分、心配要らないです」

 

「まあ〜二週間前に比べりゃあ大分良くなったけどなぁ…………ん、丁度今やってんの、そのIU新スポンサーのニュースじゃねーか、アレ?」

 

「へ?……あ、そうみたいですね。…………って、えッ……!!?」

 

 一拍遅れで画面を眺めた後突如驚愕を見せた私と同時、向かいに座るPさんも、報道を見て静かに瞠目する。

 

「………………なっ……」

 

「Pさ……いや、仗助さん、()()って………………」

 

 今しがた画面一杯に映し出されている、その「アレ」を見る私達。その見た目は……

 

「……大方、上から塗金(メッキ)掛けただけだろーよ。色が違っても()()()()()()()ってのは考えにくい。……どんな繋がりかは知らねえが、『撒き餌』ってのはこー云うことかッ……!!」

 

 薄型テレビに映るのは、NY随一とも言われる豪奢なホテルから生中継をしていると云う、某民放のNY支局に出張しているらしい若手女子アナウンサー。些か興奮気味の口調で話している彼女の横にあるクリアのショーケース、その中にあったのは────

 

『……はい、では改めまして今日のエンタメ芸能特集は特別版でお送り致します。先程もお伝えしましたが、かのIUにて今年から新たに主催を務めることになりましたディエゴ・ブランドーさんのご厚意により、優勝者への特賞品が新たに追加されることとなりました。そして!このケース内にあります『黄金の矢』、なるものがその賞品だそうです。なんでも時価総額にすれば1億円超えだとか。これを一体誰が手にするのかと思うと今からワクワクしてきますね〜!どうですかスタジオの──』

 

 ────1カ月前に倫敦の骨董店で盗掘された、「幽波紋(スタンド)の矢」其の物だった。

 

 




・黒井社長
アニマスだとやってる事が結構えげつなかったり。

・木星
315プロに移籍。

・マイクO
口癖は「世界」。

・悪徳又一
犠牲になった。

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