血塗られた古都のある一夜   作:かたまり

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【不定期更新】

 筆記者カレルが遺したカレル文字の一つ。汗の滲んだようなそれは「不定期更新」の意味を与えられている。
 狩人に有用な効果をもたらす事が多いカレルだが、これは寧ろ一般の市民へ多く流布された。
 狩人への不信を治めるため医療教会が要求したこの文字に、特別な効果はない。ならば免罪符として使われるほか途がなかった。


1.0.古都ヤーナム

 突然の浮遊感の後、目覚めたそこはあの(、、)診療所だった。

 一体何が何だか分からないが、なんだろうか。人間、適応力というものがあるようで、いちいちに対する驚きとか、あるいは好奇心というのが薄れていくのを感じる、

 とどのつまり、当初の目標を叶えられそうだ。

 外へ出るというあっさりと達せられそうな目的に、よくもここまで彷徨えたものだ。すべてあの訳の分からない獣のせいなのだが。不思議とやつと対峙したときの恐怖は失せていた。喉元過ぎればなどという言葉があるが、私自身淡白である。

 前回と同じように戸を抜け、階段を降りる。

 鼻をくすぐる悪臭は経験済みである。心の準備もできようというものだ。

 

 …できようものか。

 階段を一段降りるごとに身体が強張るのを感じる。呼吸が自然と浅くなり、鼓動は早まる。足が震え、口内が乾く。誰が自分が殺された現場に行って安息を保てるというのか。…そもそも死ねば現場に戻るもへったくれもないか。

 などと考えているうちに一階に着く。耳をそばだてても呼吸音は聞こえない。

 大丈夫だろうか。

 静かに息を潜め気配を伺う。生物がいるとは思えない。

 頭では、厳密に言えば理性は安全だと言う。しかし本能が、記憶に刻みつけられた恐怖が足を止めていた。

 そうだ、瓶を投げてみればいい。正直瓶には怒りしかないが、気に食わないが、虫が好かないが仕方ない。足元に落ちている瓶を外への扉の方へと投げる。

 カランと乾いた音を響かせ、床を滑りながら回転し、三回回るかというところで止まる。反応はない。

 大丈夫、なのだろう。

 歩を進める。ぎしりと床が軋む音にも驚かされる私は、相当まいっているようだ。

 

―カラン。

 

「っ!?」

 

 体温が急激に下がるのを感じた。

 

―戸と私を分断するようにして、獣が姿を現す。

―大きな爪が私を抉る。

―血の中でもがく私が静かに息を――

 

 ――――幻想だ。私の脇腹は抉られていないし、血も出ていないし、鼓動は止まっていない。

 

 フラッシュバック。人間の進化の過程で残った脳の余計な役割。マッチポンプな自傷行為。冷や汗が止まらない。

 

 取り直せもできない気をまとめて外面だけ整えて歩を、もう一度進める。獣はいない。そう言い聞かせて歩く。

 

 ああ、もう外は目の前だ。

 

 

――ヤーナム市街

 

 診療所から出てみれば、大量の墓と閉じた門が歓迎してくれた。

 何から何まで悪趣味だ。診療所の付近に墓を立てるとは、ここの医者は一体何を考えていたんだ。それに閉じた鉄門。辻褄が合わない。どこから入ったんだ。

 

「ふっ…ぐっ…!」

 

 ダメだ。門は開きそうにない。しかしここから出るには門を抜けるしかない。

 

「どっか行け! 血まみれの狩人が!」

「…獣狩りは、もう好かないんですが…」

 

 声だ。そう遠くないところで、二人の男が争っているようだ。

 風を切る音や、床を蹴る音をしばらく響かせ、何か巨大なものを床に叩きつける音がした後、

 

「疫病神が…」

 

  怨嗟の声と、誰かが床にくずおれる音。

 何者かは分からないが、会話していたうちの紳士然とした方が勝った――何にかは分からない――ようだし、声をかけるほかない。一期一会である。助けを呼ぶと、

 

「ん? この街にまだ普通の人間がいるのですね…」

 

 いきなり随分なことを言うものだ。とにかく助けてほしいと頼む。

 

「…わかりました、助けましょう。あなたは…ここ(、、)の人間ではなさそうだ。私はアルフレート。ここで出会ったのも何かの縁でしょう」

 

 金髪と剣、それに背負った柄のない巨大な石槌が特徴的な若年の好青年、アルフレートは、鉄門を軽々と開いた。

 

「これはお近づきの印に」

 

 彼が手渡したのは使い古された様子の…杖?

 

「この杖は私がまだ夢を見ていたときに、はじめ使っていたものです。見たところ何も持っていないようですし、この物騒な夜です。身を守る武器の一つや二つあって損はないでしょう」

 

 待て。夢? なんのことだ。

 

「おや? まだ夢を見ていらっしゃらないんですか? まあ、あなたも怪しげな血の医療の噂を聞いてここに来たのならば、いずれ見ることになりますよ」

 

 なんだその有耶無耶な返答は。

 

「しかしこの夜に、見知らぬ地で、一人というのも心細いでしょう。あなたがどこに向かっているかは存じませんが、途中まで同行しましょうか?」

 

 ふむ。確かに今私に必要なのは自衛の手段とここについて詳しい情報だし、悪くない提案だ。

 

「ならば、どうぞこちらへ」

 

 少し怪しげではあるが、悪い人ではなさそうだ。ついていってもいいだろう。

 

 アルフレートに同行している最中、彼はいろいろな話をしてくれた。曰く、ここは「ヤーナム」という街で、度々「獣狩りの夜」と呼ばれるオカルトじみた異常事象が発生するらしい。それは人が獣になる…などという常識の範疇を超えた夜で、ちょうど今夜がその夜だという。ついていない。この夜になると市民はみな自宅に籠もり、夜明けを待つという。そして人気のない街を闊歩するのが半ば獣となろうとしている勇気ある群衆と、それらを狩る狩人なのだという。

 

「記憶喪失、ですか…。私はそういった類の医療には明るくないのですが、この地に見覚えがないのなら、きっとあなたも狩人なのでしょう。狩人は得てして、みな異邦の者です」

 

 彼なら何か知っているかと思い、青ざめた血について聞いてみたが、その反応は芳しくなかった。

 私は何をしにここへ来たのだろうか。

 

 静まり返った街を彼と歩いていると、突然

 

「静かに」

 

 と言われた。別にうるさくはしていないのだがと抗議すると、彼はこちらを少し振り向き、しかし何も言わず遠くへ走っていった。はぐれないよう私も後を追う。

 なぜアルフレートがそう言ったのか、それはすぐ後にわかった。

 

「これが獣です」

 

 彼が指した方には、なんとか人の体型をとどめている巨体があった。身体の至る所にはきつく包帯が巻かれていたようだが、ところどころ解れている。醜く肥えた右腕には血で汚れた岩が握られており、その血の主がどうなったかを容易に想像させる。

 

「人のように見えますが、思考力は犬以下です。やらなければやられる、ここはそういう街です」

 

 銀に輝く直剣を握りしめ、アルフレートは大男に向かって踏み込んだ。それと同時に、どういう原理か刃から炎が立ち上った。

 

「これから起こることをよく見ておいてください。それがいかに残虐であれ、いずれあなたが通ることになる道ですから」

 

 ステップで大男に急接近したアルフレートは、左から右に逆袈裟がけをした。大男の苦悶の声と共にどす黒い血が飛び散る。

 

「ヴオ゛オ゛オ゛オ゛オ゛!」

 

 逞しい右腕を怒張させ、大男は明らかな怒りをにじませながら岩をアルフレートに向かって振り降ろした。

 それを間一髪で横に跳んで避けたアルフレートは、背負っていた石槌を大男におかえしと言わんばかりに叩きつける。

 大男の方も反撃は予想外だったようで、ろくに身構えることもできずにそっくり攻撃を受けてしまった。

 そのまま地に伏せる大男。さすがにあの巨体でも、この石槌で殴られるとひとたまりもないらしい。

 反応がないことを確認することもせず、アルフレートはこちらへ歩いてくる。

 

「…一瞬でした。その一瞬で、どちらかが命を落とし、どちらかが生き残る。早く慣れることです。…それが私達狩人(、、)にできる、唯一の手段ですから」

 

 息一つ乱さず、彼はそう言った。

 一瞬で生死が決まる。この地で、私はやっていけるのだろうか。ふと、彼から貰った杖を眺める。

 彼がまだ狩人ではなく、うら若き青年だったとき、この杖は彼とともにあったのだ。丁寧な手入れで一見きれいに見えるが、確りと見れば細かい傷や欠けがあるのがわかる。柄も使い込まれており、明らかにヤスリによるものではない滑らかさがある。

 

「ガア゛ア゛ア゛ア゛ッ!」

「!?」

 

 大男の声だった。見れば、大男は今にも振り下ろさんと岩を高く掲げている。

 

 ダンッ、と銃声がした。アルフレートが左手に持っていた、黄金色に輝く長銃――今の今まで気が付かなかった――が火を吹いていた。

 

 そこからはあっという間だった。体制を崩した大男に、アルフレートが己の右腕を、突っ込んで内蔵を、引きずり出したのだ。

 腕を差し込まれた大男の腹部から迸った血液が、アルフレートの右半身を赤く染めた。

 

 束の間沈黙が場を支配する。私はただ呆然として立ち、アルフレートは少し悔しげに顔を顰めた。

 

「…私のミスです。もっと確実に殺しておくべきだった」

 

 私の股の温みがあの大男の血液ではなく失禁だと気づくのはしばらく経ってからのことだった。

 

 

「私の馴染みがこの家にいます。何かあれば彼に聞くのがいいでしょう。私はあまりこの辺りに明るくありませんから」

 

 やけに入り組んだヤーナムの街を歩いてしばらく、ある家屋の前に立ち止まって彼はそう言った、

 ここまで案内してくれたことを感謝すると彼は、

 

「いえいえこちらこそ。また縁があれば会いましょう。あなたに血の加護がありますように」

 

 と残して去った。

 血の加護、か。青ざめた血と何か関係があるのだろうか。まあいい。アルフレートが紹介してくれた人に話しかける。

 

「ああ、獣狩りの方でしょうか。それにどうやら…外から来たようだ。ここの…ヤーナムの民はみな、陰気ですから」

 

 ヤーナムの民? 彼はヤーナム民ではないのか? そう聞くと彼は

 

「ええ、私もあなたと同じ、よそ者です。きっとあなたも怪しげな血の話を聞いてここに来たのでしょう? ごほ、ごほっ、ごほっ。ああ、私はギルバート。同じ異邦人として、ぜひ力を貸しましょう。あなたの名前は?」

 

 記憶喪失で思い出せない。そう伝える。

 

「ふむ、記憶喪失ですか…。あなた、左腕に輸血の跡はありますか?」

 

 確かに、言われてみればある。およそ医療とも呼べないような施術の跡だ。

 

「私と同じはずですが…個人差があるのかもしれませんね。まあとにかく、名前がわからないなら仕方ありません。今や床に伏せり、立つこともままならない私ですが、何か気になることはありますか?」




ある日の Hunter's Dream

「ゲールマン様」
「なんでしょうか女王様」
「今は普通にしてください」
「…なんだね」
「最近狩人様がいじめてきます」
「…なるほど、奴も何かに飲まれたか」
「しかも苗床寄生虫で謎の体液をかけてきたりするんですよ」
「ほう」
「そのせいで毎回服がびしょびしょに… ゲールマン様、いきなり立ち上がって何を」
「なあに、古い夢と決別するだけさ 耄碌した老人とて、かつては狩人だったのだ」
「この週のカレルと寄生虫なら狩人様が持っていますよ」
「…ならば教室棟に」
「先触れも狩人様が持っていきました」
「ウアアアアアアアアアッ!!!」
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