準師走ということで忙しいんです
「獣狩り…そして何よりも、全うのために、どうか私をお使いください」
目を挙げた先には、白磁のような肌を持った美しい女性がいた。
見覚えがあるその姿は…以前ここで目覚めたときに寝かされていた人形と同じだった。まさか、人形が動いて喋ったとでも言うのか。
きょとん、といった様にこちらを眺めるその瞳に生はなく、無機質な硝子の反射光が私を射抜く。しかしそれは冷たくはなく、むしろ執着、偏執によるある種の滾りを思わせた。
「…… どうしましたか? 私の顔に、何かついていますか?」
そんな私の疑心はどこ吹く風と言わんばかりに問うてくる。そもそも私は狩人ではないし、この異常性において未だ思考ができることを褒めてほしい。
「それは…… ……そういうことは、ゲールマン様に尋ねてみてはいかがでしょうか あの人もまた、あなたと同じく夢に囚われる…狩人です」
ゲールマン? 他にもまだ誰かいるのか?
「あの方はもう存在が希薄ですが…… もしもまだ夢にとどまっているのなら、工房におられるはずです」
工房。あの小ぶりな館で、何を作っているというのか。人形に言われるがまま工房へと入る。
「やぁ、君が新しい狩人かね。私はゲールマン。ここでは、君の助言者といったところか」
そこには帽子を目深に被り、車椅子に身を預けた老人が一人、佇んでいた。
その嗄れた声からすると、おそらく男性なのだろう。
「聞きたい事は山ほどあると思うが、まずは新入りへの餞別だ。この短銃と鉈を…と、それは仕込み杖か? ほう、なかなかいい趣味をしているな。ならば武器は不要か…」
どこからか短銃とノコギリのような何かを差し出してきた老人――ゲールマンは、私の持つ杖を見るなりノコギリを引っ込めた。なんだ、なにか損をした気がするのだが。
「はは。焦ることはない。ここは工房だ、獣狩りの武器など有り余っているよ。それより、その仕込み杖はどこで手に入れた? 見たところ、随分と年季が入っているようだが…」
突然現れた青年が譲ってくれたものだと伝える。
「ふむ…使い方は?」
使い方? 杖につく以外の使い方があるのか?
「…なるほど。これはまた、珍妙な狩人だ。よろしい、少し教鞭を執るとしようか」
そう言うとゲールマンは懐から真っ赤な瓶を手渡してきた。
「それは輸血液だ。しかしそこいらのものでは無く、古狩人の『遺志』が詰まっている。この獣狩りの夜を明かしたければ、その勇気があるのなら、それを大腿から注入したまえ」
……得体の知れない液体、それも血液を、体内に入れる。嫌悪感はないわけではなかった。それは十二分にあったが、恐ろしいのはその輸血液の瓶を見たときに感じた渇望だった。
理性的ではない。しかし本能ともまた違う、ただ単純にそれを求めるがゆえの渇望。五感ではない。もっと心理の深層、「私」を司る最も合理的な部分が、言語を持たないそれが欲している。
「……きみも狩人。血に対する興味は、並々ならないはずだ」
瓶を握る右手が熱を持っていた。ゲールマンが深くかぶった帽子の隅で笑うのを気にも止めず、私は輸血液を体内に流し込んだ。
息が漏れた。
心の奥底で、何かをつなぎ留めていた枷が外れるのを感じた。
生の充足。
幾度も死ぬという非現実的な経験で薄れた実感が満たされる。視界に色が満ち、思考が鮮明になる。身体が火照る。酔ったような薄く広い心地よさが全身を包む。
これは…
「……それが血の呪いだ。これを知った狩人は血を求め続ける。死闘の高揚の中でのみ得られる快楽を求め足掻き続ける。かねて、血を恐れたまえよ」
………。
風がそよいでいる。空は暗く落ち窪み、血のような紅い満月が黒いキャンパスに滲んでいる。
眼下には白い絨毯が広がる。幾人の血を吸って成長してきたであろうその花畑の中心には、どこかで見たような身なりの人間がこちらを見上げている。
右手には
どうしようもない懐古を憶え、私はその狩人へと手を伸ばした。
もっと温みを。もっと、もっと。
ぎゅうと抱きしめる。ただひたすらに。
気づけば狩人は息絶えていた。
………。
「っ!」
また嫌な夢を見た気がする。嫌、というより得体の知れない奇妙な感覚ではあったが、それが何なのかはわからない。
後頭部に硬いような柔らかいような、どうにも曖昧なものが当たっている。目を開けると、そこには視界いっぱいに人形の顔。
「わっ!?」
「ああ、狩人様、目を覚まされたのですね」
覗き込むようにしてこっちを見る彼女は、曰く私が工房で突然倒れたので介抱していたらしい。
さきの奇妙な感覚も、彼女の膝枕だったということか。
「何か嫌な夢を見られたのでしょう? 初めての輸血です 狩人様方はみな慣れていないことで、こうして倒れることがよくあります でも、夢の中で寝込むというのは、なんともおかしな話ですね」
表情一つ変えずに教えてくれた彼女は、本当に「おかしい」という感情を理解しているのだろうか。
「狩人様が今しがた見られた夢 それが『遺志』です これからはこんなにはっきりとは見えないかもしれませんが、知らない記憶が思い出せたのなら、それが『血の遺志を受け継ぐ』ことなのです」
「そして私は、それをより具体な力にすることができます 目を瞑っていてください、少し近づきますね」
言われたとおりにすると、鼻先をふわりと甘い香りが掠めた。
だが安心もつかの間、意識が混濁した。
何が自分で、何が他人で。いわゆるアイデンティティの揺らぎ。
他人のものだった記憶が自分の記憶に溶け込んでいく。
彼女に目を開けてください、と言われたときにはもう「遺志」がどんなものだったのか、不定形になっていた。
「これで、終わりです」
彼女にゲールマンはどこか、と聞くと裏庭で月を見ていると教えてくれた。ゲールマンには聞きたいことが山ほどある。
人形の膝は、硬くは、なかった。
工房の裏に、小さな庭のようなところがある。所々に白い花が咲き、隅には切り株が放置されている。ゲールマンは庭を囲う柵の手前で黄昏れていた。
「……目が覚めたか。どうだった、過去の狩人の記憶は。奇妙なものだ。どこの誰とも知れぬ、名もなき狩人の記憶が自分のことのように感じられる。みなそうしてきた。私も、そして君も」
なんだったんだ、あれは。
「かつて夢を訪れ、そして去っていった狩人の遺血だ。彼はなかなかいい狩人だったが…まぁ、いい。君はあの人形に何か、してもらっただろう? 君はもう狩人の動きを覚えているはずだ」
まさか、私が。狩人の動きなんて、そも想像ができな…ん?
「だが、それはただ憶えただけだ。使いこなせるか、昇華できるかはその狩人の素質による。なあ、君、その杖だが」
…杖がどうした。
「使い方はわからないだろう。その記憶の主も、杖は使っていなかったからな。杖を、柄を折るように振ってみなさい」
柄を、折るように…。! 杖が、バラバラに…いや、違う。これではまるで…鞭?
「狩人の武器は、全てが何か仕掛けを持った『仕掛け武器』だ。それを使い分けられるかどうかで、狩人として生き残れるかは決まる、と言っても過言ではないかな」
「目覚めたければ、墓石に触れるといい。狩人の遺志が、その地へと招いてくれるはずだ」
「何があっても、全て悪い夢だ。だから君、死を受け入れたまえよ」
私にハクスラは合わなかったようだ