オーバーロード ~経済戦争ルート~   作:日ノ川

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戦争の話に戻ります
時間的には少し戻り、ランポッサが本陣に戻って直ぐ、まだ王国軍は撤退を開始してはいない頃です


第106話 成長の証

 聖王国軍は、帝国とアインズの亜人軍を挟んで左翼右翼に分かれて構成されている。

 振り分けに関しては単純に、徴収兵をそれぞれ得意な分野ごとに分けて班を結成し、戦力が均等になるように二つに分けただけだが、もう一つ、別の分け方もされている。

 徴兵された者たちは殆どがヤルダバオトの動乱の際、捕虜収容所に捕らえられていた者ばかりだが、その中でヤルダバオトに敵対した亜人と共に収容されていた者を右翼側に集め、対して左翼側は人間だけを捕らえていた捕虜収容所にいた者たちだ。

 これはアインズ率いる亜人軍が位置的に真ん中より右側、つまり右翼側に近い位置に陣を形成しているためだ。

 右翼側に配置した亜人と同じ収容所に入れられていた者たちは、亜人たちを敵ではなく、同じ苦難を味わわされていた同志に近い感情を持っているため、怒りにまかせて暴走する危険性が低いと判断された。

 それに比べて左翼側の者たちは、バフォルクを初めとした亜人連合に管理されていたこともあって、亜人に対する怒りは根強く、恩人であるアインズが率いていると頭では分かっていても、亜人軍に対して怒りや不満を抑えきれず露わにする者が多い。そうした者たちをアインズの亜人軍の傍に置くことは危険だと判断されたのだ。

 この配置分けによって、取りあえず亜人軍と聖王国軍での諍いが起こる危険は減ったが、それとは別の理由で、不満を漏らす者は後を絶たなかった。

 自分たちが中央の本隊ではなく、討ち漏らしの処理や包囲のための両翼配置と言うこと自体が気に入らないのだ。

 徴集された兵たちが復興を後回しにしてこの戦いに参加したのは、あくまで全ての元凶である法国を直接討ちたいと考えたからだ。

 しかし蓋を開けてみれば本隊でも前衛でもなく、討ち漏らしの処理や包囲のための予備戦力に近い位置につかされたのだ。

 口には出さずとも、話が違うと不満は募り、今にも爆発しそうな雰囲気すら感じられる。

 それは、本職の弓兵が減って隊を纏められる人材も不足しているという理由で、聖騎士見習いでありながら、弓兵隊の班長を勤めることになってしまったネイア・バラハもひしひしと感じていた。

 

(この雰囲気、良くない。でも……)

 仮にも隊を預かるものとして自分が何か言わなくてはならないと思うのだが、今のネイアは聖騎士見習いでありながら、聖王女より授けられた正装ではなく、シズから借り受けた特別製の鎧を身に纏っている。

 聖王女の特例によって装備することは認めて貰ったが、だからこそ余計に若輩者が聖王女から特別扱いを受けていると思われているのが手に取るように分かった。

 アインズから送られたミラーシェードを付けているからこそ、なんとか臆することなく、指示を出すことはできているが、それはあくまで業務的な指示だからだ。

 聖王女に特別扱いされていると思われているネイアが何か言ったところで、落ち着かせるどころか火に油を注ぐ結果になりかねない。

 

 そんな時に、班員たちの間から小さな話し声が聞こえてきた。

「聞いたか? 歩兵の一部には密かに帝国兵に合流して、一緒に突撃しようとしてる奴らもいるらしいぜ」

「法国は例の事件の黒幕なんだろ? 命令違反してでもって奴らはいるだろうな」

 ホンの小さな、父親譲りの鋭い聴覚を持ったネイアだからこそ、聞き取ることのできた噂話。

 待機時間の長い戦場ではこうした、真偽不明の噂話が広がることがある。

 待機とはいえ戦争中に何を。と思われるかも知れないが、規律のとれた軍隊ではなく、徴集兵として訓練を受けたと言っても、実戦をロクに経験したこともない者たちだ。

 これから死ぬかも知れない戦いを前に、何か話していないと不安で押し潰されそうなのだろう。

 

 だが最も大きな理由はやはりネイアが侮られているためだ。

 弓の得意な者というのは、母に出会う前の父のように山に入り、動物を狩って生活しているような者が多い。

 そうした者だからこそ、余計に自分の子供と変わらない年齢の小娘が如何にも金の掛かった装備を身につけていることも合わせて、実戦経験などないお飾りの上官、下手をすればどこぞの貴族の娘──現在の聖王国は王と聖騎士団長が女性であるため、女の方が出世させやすいと考え、貴族の令嬢が戦いに参加することもあるらしい──と思われている。

 だからこそ、雑談が見つかっても適当にごまかせるとでも思われているのだろう。

 

(注意するべき、なんだろうけど)

 上官としてはそれが正しいのは分かっているが、やはり気が引ける。

 そもそもこの格好自体、自分には分不相応なのだ。

 シズやユリ、そしてアインズの好意を無碍にできないからこそ、こうして戦場で身につけている。だが本音を言えば、いつもの聖騎士見習いの服装か、あるいは彼らのように動き易さを重視した服装の方が気楽だし、彼らからの見方も変わったかも知れない。

 

(それとも一応報告するべきかな。でも持ち場を離れるのはまずいよね。そもそもこんな後方まで噂が流れているってことは、噂が流れてからずいぶん経っているはず。対処していないとは思えないし、とりあえず様子見した方が良いかな)

 こうした人間同士が争う戦場では、一つの情報で大きな被害が出る場合があると学んでいた。

 本来ネイアが聞いた、歩兵の一部が勝手な行動を取ろうとしているという噂話は、整列を乱し戦場を混乱させる原因になりうるため、その歩兵たちがいる場所の指揮官に伝えなくてはならない。だが伝令に伝えさせようにも、自分の命令を聞いてくれるような部下もおらず、そもそも噂話をしている本人たちに命じてもきちんと伝えてくれるはずがない。

 だがネイア自身が動いては、それこそ班員たちはこれ幸いと勝手な行動を取る可能性もある。

 一つの噂話の真偽を確かめるために、より大きな混乱を招きかねない。

 だからこそ、静観。

 よりはっきりしたことが分かるまで、何も聞こえていないと思わせて、情報を集める。

 伝言(メッセージ)などの魔法による通信手段の信頼性が低いからこそ、確実な情報収集が必要なのだ。

 

(でも……)

 それでいいのだろうか。

 確かに、ネイアが戦争に備えて聖王国で習った教本ではそのように記されていた。

 しかしそれはあくまで妥協案だ。

 実はそれとは別に、一つ思いついている作戦があったのだ。

 しかし、それが本当に正しい選択といえるのか、自信がなかった。

 

(そういえば、シズ先輩や、ユリさんもここに来ているんだよね)

 腰に下げている剣の柄の代わりに、首から下げているネックレスのマジックアイテムをそっと掴む。

 これはアインズから貰った、特定の相手とのみ離れていても会話が出来るマジックアイテムだ。普段はシズと遊ぶ約束をする際などに使っている。

 思わずこれを使って、シズの無愛想ながらも優しさを感じる声が聞きたくなったが、流石に戦争中にそんなことは出来ない。

 彼女たちならば、こんな風に悩むことはない。最善の行動を取ろうとするはずだ。

 それはきっと、アインズの影響が大きいのだろう。

 希代の魔法詠唱者(マジック・キャスター)にして、商人としても、相手の行動を読み最適な作戦を立案する軍師としても最高の能力を持った存在。

 シズが常に正しい選択をすると言っていたのは、アインズを盲信しているからだけではなく、事実としてアインズがいかなる場合でも完璧な選択を採るからであり、二人もそれに倣い行動している。

 自分はどうだろう。

 アインズに自身が求める正義の形を見つけ、少しでもそれに近づくために努力すると誓った自分は──

 

「その部隊に、何とか俺たちも合流できないか? ここにいたって戦争には参加できねえよ。あの小娘、あんな装備を着けてるくらいだ。どうせ貴族の令嬢かなんかが箔付けのために来ただけだろ? 危険な前線に出ようなんて考えないだろ」

「そうだな。包囲なんか早々できるものでもないって聞くし、このままじゃ帝国に良いところをもって行かれちまう。法国の奴らには直接この矢をぶち込んでやらないと気がすまねぇ。俺の家族はあいつらのせいで……」

 再び交わされる会話を耳にした瞬間、ネイアは自身のミラーシェードに手をかけていた。

 

(考えるより、先ずは行動、ですよね)

 ふと思い出す。

 戦争に出向く直前、この鎧を受け取った時にシズとその姉であるユリによって、ネイアに施された特訓の記憶。

 できれば思い出したくない、優しさはあっても甘さや手加減は一切存在しない苛烈な訓練で習ったのはただ一つ。

 考える前にまず行動すること。

 それだけ聞けば単なる無鉄砲に思えるが、ユリが教えてくれたのは、ただ何も考えず行動するのではなく、常に最善の行動を取れるように自分の中にいくつも選択肢を持った上で、その中からその時々で一番いい方法を選び出す。と言うもので、それに掛かる時間を短縮させる、あるいは極限状態でも素早く行動を選択するための特訓だった。

 とはいえ訓練したのはあくまで戦闘時における行動ばかりだったが、その考え方はどんなものにも応用できるのだと言っていた。

 この状況でもそれは同じはずだ。

 

「皆さん。聞いて下さい」

 ミラーシェードを外し、意図的に睨むように目を細める。

 幼い頃から悪い意味で人目を引く、父親譲りのこの瞳を、ネイアは決して気に入ってはいなかったが、こうした時には役に立つ。

 つまり──

 

「っ!」

 今まで単なる小娘だと思っていた相手が、こんな目つきの悪い者だと知ればそのギャップもあって、視線を集めるには十分な役目を持つと言うことだ。

 

「あんな顔してたのか、おっかねぇ。貴族の令嬢どころか暗殺者じゃねぇか」

「いや、暗殺者どころか殺人鬼だろ」

「あの目──」

 班員たちがざわめき出す。

 ネイアの鋭い聴覚はそれら一つ一つを聞き分けてしまう。

 思った通りの内容だが、やはりはっきり口に出されると落ち込んでしまう。

 しかし、それを表には出さず、ネイアは意識して声を低くして告げた。

 

「改めて自己紹介を。私の名はネイア・バラハ。聖王国聖騎士団の従者にして、現在は皆さん、弓兵部隊第七班の班長を任命されています」

 

「バラハ? やっぱりアンタ、パべル・バラハ兵士長の娘さんか。目がそっくりだ」

「パべル・バラハって、九色の?」

「そうだ。夜の番人。そして亜人どもからは凶眼の射手と恐れられた、最強の弓兵。俺は徴兵の時にあの人の隊に助けられたことがあるんだ」

「おお、俺も知ってるぞ。あれが凶眼。なるほど、確かに……」 

 最初にもしたはずの自己紹介から入ったのは、この分では、まともに聞いて貰えてはいないだろう。そう思ってのことであり、本題はこの後だったのだが、思わぬところに食いつかれた。

 父の名は偉大だと思うと同時に、内容に関しては色々と思うところがあるが今は忘れよう。

 偉大な父をネイアは尊敬していたが、同時に聖騎士団に入った当初からその名によって、腫れ物扱いを受けていたこともあり、敢えて自分から、繋がりを口にすることはなかったのだが、今回に限って言えば、これを利用しない手はない。

 

「先ほどから、皆さんの話は聞こえていました」

 父のことには触れずに本題に入る。

 途端にざわめきが大きくなる。中には血の気が引き、青ざめている者もいた。

 しかし、ネイアは咎めることはせず、改めて口を開く。

 

「私の父と母も亜人、そして魔皇ヤルダバオトに殺されました。だからこそ、皆さんのお気持ちはよく分かります。亜人を憎む気持ちも、すべての元凶である法国を自らの手で討ちたいという気持ちも」

 

「だったら話は早い。俺たちも前線に出ましょう班長。奴らをこの手で──」

 父のことを知っていたという班員が声を上げる。

 

「ですが、その前に皆さんに考えて欲しいんです。何故私たちが、この右翼側に配置されたのかを」

 

「そりゃあ……左翼の連中はゴウン様に助けられたと言っても、亜人に対しては未だに嫌悪感がある連中だからだろ。だから少しでも亜人の部隊から離れたところに配置した。俺たちはその逆ってことだ」

 やはり、説明がなくても右翼左翼の違いは本人たちにも分かっていたらしい。

 ならば話は早い。

 

「そうです! その通りです。つまり私たちは陛下から信頼されたからこそ、ここにいる。だからこそ、私たちはその信頼に応え、今は命令通りに行動しなくてはならないんです」

 信頼という言葉に、皆が反応しているのが分かる。

 この鎧によって特別扱いを受けていると思われている──実際聖王女は妙に自分を気にかけてくれているようだが──ネイアが口にすることによって、その言葉自体の信頼性も高まる。

 

「しかしよ。帝国もゴウン様も一向に動かねぇじゃねぇか」

 

「それは……きっと何か考えがあるんです」

 ネイアも流石に詳しい作戦内容までは、聞いていない。

 ネイアより上の、各班長を纏める立場の人間ならば聞いているかもしれないが、聞きに行っている余裕もなく、言葉に詰まり、思わずそう口にしてしまった。

 同時に先ほどまで、ネイアの言葉に聞き入っていた班員たちから、冷めたような雰囲気を感じ取った。

 口先で誤魔化しているだけだと思われたに違いない。

 

「もちろん俺たちだって、ゴウン様の力や陛下のことは信じてるぜ。しかしよ。開けた平地じゃ、包囲戦なんてまともに決まるものじゃない。例え戦争には勝てても、このままじゃ何もせずに終わっちまう。俺たちが何のためにここまで来たと思ってるんだ!」

 そうだそうだと同意の声が挙がる。

 アインズの強さをよく知っている彼らだが、だからこそこのまま帝国やアインズに任せるだけでは、自分たちの手で復讐を果たすことはできなくなる。そう考えているのだ。

 

「そんなことはありません! 私はあの動乱の時、ゴウン様と行動を共にしていたから分かるんです。ゴウン様はとても思慮深く常に最善で、完璧な作戦を立てられるお方です。そして聖王女陛下も、そんなゴウン様を信頼しています。ですから、きっとちゃんとお考えがあるに違いないんです。ここで私たちが勝手な行動を取ったら、そうした作戦を台無しにしてしまう。それだけは絶対にしてはならないんです!」

 シズと一緒にアインズの供として、このアベリオン丘陵に潜入し、多数の亜人たちを、そして聖王女を救い出したアインズの手腕を、ネイアは聖王国の誰よりも、近くで見てきた自負がある。

 あの時もアインズは、説明は最低限のみで、一見すると分かりづらい作戦ばかり立てていたが、最終的にはそれ以上ないほどの戦果をあげていた。

 今回もきっと同じはずだ。

 それを伝えたくても、未熟な自分では上手く言葉にできず、どうしても感情的な訴えになってしまう。

 これでは彼らには届かないだろう。彼らは完璧な勝利ではなく、例え被害を受けても、自分たちの手で法国を倒したいという感情の方が勝っているのだから。

 そう思ったネイアだったが、ざわめきの種類が変わっていくことに気がついた。

 困惑が波のように広がっていく。

 

「それってまさか、ゴウン様から借り受けた伝説の弓で、ヤルダバオトを撃ったっていう」

 

「俺も聞いた。逃げ出そうとするヤルダバオトを聖王国の兵士が動きを止めたって。それがあったからこそ、ヤルダバオトを討つことができたって話だ」

 カリンシャでのネイアの働きを知る者は少ない。

 ネイアも口外を禁止されていた。

 そもそもネイアが活躍できたのは、アインズから借り受けたアルティメイト・シューティングスター・スーパーのおかげであり、自分の力ではない。である以上口外する気は無かったが、人の口には戸を立てられないと言うことなのか、いつの間にか、聖王国の弓兵がアインズと協力してヤルダバオトを倒したという噂が流れていた。

 それを知ったときは驚き、同時に否定したくなったものだ。

 自分の働きなど大したことはない。

 むしろアインズが自分を救出したからこそ、ヤルダバオトが逃げる隙を作ったのであり、それがなければアインズ一人で問題なくヤルダバオトを倒せていたはずなのだから。

 

(……そうか!)

 これを利用すればいい。とネイアは思い立ち、考えるより先に口を開いていた。

 

「その通りです。あの時の矢は確かに私が放ちました。この鎧とミラーシェードがその証です。これはゴウン様とその娘であり、私と共に聖王女陛下を救出したシズ・デルタさんからお借りした物なのです」

 おお。と感嘆の声が挙がる。

 

「ですが。あの矢が無くてもゴウン様はきっとヤルダバオトを討てていました。それなのに、私に矢を撃たせたのは、聖王国の仇敵であるヤルダバオトを聖王国の者が誰一人参加しない状況で倒すことを良しとしなかったから。つまりはゴウン様が遺恨が残らぬよう私たちの気持ちを汲んでくれたからに違いありません。それはきっと今回も同じはずです!」

 思えばこの戦争にも不思議なことがあった。

 アインズのアンデッドたちだ。

 トブの大森林や、アベリオン丘陵に住む亜人たちを護衛するために、貸し出しを制限していると聞いていたが、大量の亜人を纏めて倒したあの魂喰らい(ソウル・イーター)が一体もいないのは流石におかしい。

 あれがあれば、こちらの損失をほぼゼロにして法国に勝つことだってできたはずだ。

 アインズがそれをしなかったのは、もしかしたら聖王国や帝国といったヤルダバオトによって多くの被害をもたらされた国々の者たちに、直接手を下させる為なのかもしれない。

 そうしなければ、いつまで経っても国内に遺恨が残り続ける。大局的に見ればその方が危険だと考えたのだ。

 その意図を汲んだ聖王女が敢えて、無傷の南部の者ではなく、北部から徴収兵を動員した。

 そう考えれば辻褄は合う。

 もちろん、これはネイアの勝手な推測だ。

 もっと他の理由もあるのかもしれない。

 だが間違っていたとしても、今この場で彼らを落ち着かせることはできる。

 間違っていたらどうしようかなんて、考えるのは後でいい。

 

「ってことは。今回もそれは同じで、これから俺たちも戦いに参加することになると?」

 案の定、彼らは戸惑いつつも、落ち着きを取り戻し始めた。

 

「きっと、そうです! 自分たちの手で法国を討ちたいというのなら、尚更勝手な行動をしてはいけないんです」

 

「……パベル兵士長の娘さんで、ヤルダバオトに矢を放った人がそう言うなら、そうなのかも知れないな」

「ああ。信じてみる価値はあるぜ」

「だったら、そのために俺たちはなにすりゃいいんだ?」

 話の発端となった噂話を口にしていた班員が言い、ネイアはこれ幸いと、そちらに顔を向ける。

 

「そこで先ほど話していた噂話が重要になります。その話が本当かはまだ分かりませんが、例え噂話でも、話を聞いていたのといないのでは実際に起こったときの初動が大きく変わります。貴方は伝令として、その話を弓兵部隊の部隊長に伝えて下さい」

 ネイアの指示を受けて、納得したように頷いた男は手を持ち上げる。

 

「そう言うことか。了解だ、俺は弓だけじゃなく、足の速さにも自信がある。すぐに行ってくるぜ」

 

「よろしくお願いします。メナさん」

 深く頭を下げる。

 その瞬間、その班員メナは驚いたように声を出した。

 

「お嬢ちゃん、俺の名前覚えてたのかい?」

 

「仮にも私は班長です。皆さんの命を預かる立場なんですから、それぐらい当たり前です」

 当たり前。と言ってはいるがこれも実は、ユリに教わったことの一つだ。

 例え急造であっても、命を預かる立場にある以上、一人の人間として名前を覚えておく。

 そうすることで信頼関係が構築できるのだと。

 

 元軍師で退役後は狩人として暮らしていたバルデム。

 班の中で唯一、ネイアを侮ることなく気さくに話しかけてくれたコディーナ。

 そして口は悪いが弓の腕の立つメナ。

 他の班員たちも一人残らず名前を覚えている。

 逆に言えば、若輩で人を率いたことなど無いネイアには、それぐらいしかできなかったのだ。

 

「……はっ。そうかそうか。そりゃそうだ。んじゃ改めて行ってくるぜ。ネイア班長」

 今一度手を上げ、メナは走り出す。

 それを見送って、ネイアは改めて自分の班員たちに目を向けた。

 

「私たちも私たちに出来ることをやりましょう。法国に勝つために、聖王国の勝利のために」

 

「了解です! ネイア班長」

 まだ完全とは言いがたいが、揃った声の返答を聞きながら、ネイアは内心で胸をなで下ろす。

 

(私も少しは成長できたのかな)

 自分を心配して鎧を貸してくれたシズに。未熟な自分を鍛えてくれたユリに。そしてかつて自分が見いだした正義の形をいつか見せると一方的に約束したアインズに。

 今の自分を見てもらいたいと、そんなことを考えながら、ネイアはネックレスに手を添えた。

 その瞬間だった。

 

『…………ネイア聞こえる? 頼みがある』

 首から下げたネックレスが反応し、いつもの無愛想な声が聞こえてきた。

 こちらが答えるより先に続いた言葉に驚愕し、思わず声を上げてしまったことで、ネイアは折角認められた班員たちから、怪訝な眼差しを向けられることになってしまった。

 

 

 ・

 

 

 アインズに目通りが叶い、案内されたのは、複数の亜人たちに守られた天幕だった。

 自分たちが借り受けたのと同じ、いやそれ以上の豪華さを誇る天幕は、まさにアインズに相応しい。

 玉座と思われる水晶で出来た椅子に腰掛け、傍にユリやソリュシャンと言った見知った顔以外にも複数のメイドたちに囲まれている。

 ソリュシャンまでメイド服を着ているのは、やはり以前考えたように彼女も本来の役割はメイドだからなのだろうか。

 そんなことを考えつつも、ジルクニフはアインズに気さくに声を掛ける。

 

「やあアインズ。忙しいところすまないな」

 

「何を言うジルクニフ。君の方こそ忙しいだろうに。良く来てくれた」

 戦争中に皇帝が本陣を離れたと言うのに、アインズは慌てた様子も見せない。

 ジルクニフがここに来ることを決めたのはつい先ほどだ。

 王国の狙いが読めた後、ジルクニフは本陣に戻り、将軍に王国の撤退とそれがブラフである危険性だけ伝えると、今度は案内役のメイドにアインズと会いたいと告げて、ここに来た。

 

「君も既に知っているとは思うが、王国のことだ。ランポッサが独断で我々が合同で決めた作戦を無視して撤退を決めた。法国側がどう出るかにもよるが、前衛の王国軍が居なくなれば、帝国軍も動かなくてはならない。そのまま法国が王国を追うのなら、その隙を狙って中央を突破して、法国軍を分断。足を止めて態勢を立て直そうとするならこちらから打って出る。どちらにしても、君の軍勢と足並みを揃える必要がある。その相談に来た」

 王国軍の撤退によって法国がこれから採る選択肢は大きく分けて二つ。

 一つは王国軍を追撃する。

 この場合、左右に別れた王国軍を両方追いかけようとすれば、必然的に隊列は横に伸び、中央が薄くなる。

 アインズの亜人軍や帝国の騎馬隊、アンデッドたちなどを使用すれば中央突破は容易だ。

 もう一つはそれを理解した法国が一度戦列を後退あるいはそのまま待機し、態勢を整える。

 そもそも今まで、法国軍が王国とまともにぶつかっていた方がおかしいのだ。

 まともな軍なら、こんな好機を逃しはしない。

 だからこそ、態勢を立て直す暇を与えず、こちらから距離を詰める。

 

(先ず間違いなく、この撤退は計画的なもの。考え無しに無様な後退をしたと見せかけ、聖王国軍を混乱させ、まともに動けないようにした後、自分たちは即座に戦列を立て直し、反転して攻撃に転じる。アインズがその事に気づいていないとは思えないが……)

 それらの指揮を次代の王──恐らくはザナックだろう──が執ることで、後退の責任は全てランポッサに押しつけ、ザナックはその尻ぬぐいをして、即座に混乱した王国軍を立て直し、手柄まで上げた王として華々しい初陣を飾ることができる。

 自分の愚かさを理解していながら、まともに決断することも、プライドを捨て去ることもできなかったランポッサが、無様な道化となってまで一世一代の賭けに出た。

 だからこそ、ジルクニフはそれを叩きつぶす必要があった。

 ランポッサの演技を見抜けていなかったカルカに自軍に戻るように伝えて、混乱を最低限に抑えさせ、自分はアインズのところに訪れた。

 自分でさえ分かった事をアインズが見抜けないはずはないと思ってはいたが、ランポッサの演技を直接見ていないことを考えて、万が一と思った事と、アインズときっちり連携を取ることで、王国軍が反転し立て直しを完了する前に、こちらで勝負を決めてしまおうと考えたのだ。

 

「……なるほど。しかし我々が動く必要はないな」

 納得したように何度か頷いてみせた後、アインズはきっぱりと言う。

 

「何?」

 

「王国軍の撤退。あれは演技だ」

 

「っ! やはりアインズもそう思うか。だが、動く必要がないとはどういう事だ? 王国軍に任せると言うことか?」

 ザナックに敢えて手柄を立てさせようというのか。

 以前から薄々勘付いてはいたが、アインズはやけに王国を贔屓しているきらいがある。

 ジルクニフは完全に魔導王の宝石箱、というよりアインズに恭順の意志を示しているというのに、帝国よりも未だ混乱が続く王国を特別扱いしている気がしていた。

 以前帝城にアインズが直接荷物を持ってきた際、遠回しにではあったが、戦争後は同盟を解消し、王国と再び構える事を匂わせた時は、特に反対もしていなかったため、勘違いかと思っていた。だが、ここでもまた王国に手柄を立てさせようというのならいよいよ間違いない。

 王国を立て直すのには、それだけの利益があるというのだろうか、それとも別の理由が──

 

「そうではない。何もせずとも、法国は集結し、中央突破を狙って我々の下に飛び込んでくる。だからこそ、動く必要など無いと言っているのだよ」

 一瞬、何を言っているのか理解できなかった。

 

「……アインズ。確かにこの状況で王国が撤退を開始すれば、法国からは無様な撤退によって、混乱のただ中にあるように見えるだろう。しかし、だからといって前進などするはずがない。そんなことをすれば、法国に逃げ場はなくなる。袋のネズミだ」

 王国軍を追撃するのではなく、本隊である帝国と亜人軍に向かって突撃する。本隊さえ潰せば勝利に大きく近づくのは確かだが、そんなことをして、もし王国軍が反転してきたら、法国軍は逃げ場もなくなり、数の利を生かすことも出来ず、押しつぶされることになる。

 その危険性がある以上は、法国がそんな愚を犯すはずがない。

 

「その通りだ。王国軍はそのまま反転し、法国が前進した後、側面から法国軍を襲う。同時に聖王国軍は王国軍と接触する前にその場を離れ、そのまま法国軍の後方に移動するだろう。それによって完全包囲することができる。そうなれば後は四方から、奴らを攻撃することで、完全なる勝利を獲得できる」

 

「ここは平地だぞ? 完全なる包囲などできるはずがない」

 包囲などと簡単に言うが、生きた人間同士の戦いである戦争で、完全なる包囲陣を形成することは非常に難しい。

 大抵は地形を利用して伏兵を隠しておくか、機動力を活かして相手の想定を超える速度で包囲を形成するしかない。

 後者に関しては、亜人軍やアインズのアイテムや魔法を使えば、あるいは可能なのかもしれない。だがアインズの言い方では、自分は動くことなく、法国の無謀な突進と、王国軍の素早い反転行動、そして聖王国の機転による後方移動によって包囲を完成させるのだという。

 そんなことは不可能だ。

 そうした思いが、ジルクニフに声を上げさせる。

 その瞬間、周囲のメイドや執事が反応するが、アインズはそれを手で押さえ、ゆっくりと椅子から立ち上がり宣言する。

 

「できる。これは私の、いやアインズ・ウール・ゴウンの持てる力を全て結集して作り上げた作戦だ。王国や聖王国は上手く動いてくれる。これは確実だ」

 自信に満ちたアインズの言葉に眉を顰める。

 

(撤退がブラフだった王国はともかく、聖王女は何も知らない様子だったが……いや、もしかしたらあの後伝えるはずだったのか? だとすれば俺がアインズの作戦を邪魔したことになる)

 さっと血の気が引く音がした。

 ランポッサの策をいち早く見抜き、何も気付いていない様子のカルカを焚きつけて移動させたのは、王国の好きにさせるのが癪だったためだ。

 しかし、聖王国軍に蓋の役割をさせることが目的だったというのなら、本来はあのままアインズの用意した天幕に残したカルカにアインズから直接その指示を下す予定だったと推察できる。

 それをジルクニフが妨害してしまった。

 

 しかしアインズは、ジルクニフを咎めるでもなく、それどころか釘を刺すことさえせずに、淡々と話を続ける。

「そして、法国側にも既に手は打ってある。奴らは必ず罠に掛かる」

 

「そ、そうか。流石だなアインズ。敵である法国すら操るとは、本当に素晴らしい。しかしだな──」

 見え見えのお世辞を口にしながら、同時に納得する。

 確かに法国軍の動きは元からおかしかった。

 それが全てアインズによって動かされていたのだとすれば、説明は付く。

 

 しかしだからと言って、ここで軽々に頷いていいのだろうか。

 ジルクニフはあくまで皇帝であって、戦争のプロではない。今回も直接の指揮は将軍に任せてある。

 皇帝としての強権を発動させて、無理矢理命令を出させることはできるが、もしそれでアインズの策が上手く行かなかった場合、騎士団の信頼を失いかねない。

 帝国が王国と異なり一つに纏まっているのは、ジルクニフが騎士団という強大な武力を持って、貴族を押さえつけているからだ。

 その信頼が揺らぐことは、そのままジルクニフの権力基盤が揺らぐことに繋がる。

 そうしたジルクニフの葛藤を見抜いたのだろう。アインズは自分の肩に手を乗せて、続けた。

 

「皇帝陛下、いや我が友ジルクニフよ、私を信じてはくれないか?」

 友と言ってはいるが、アインズが本気で自分を友人だと思っていないことぐらい理解している。

 精々帝国で魔導王の宝石箱を広めるための、使い勝手の良い駒程度の認識だろう。

 だからこそ、その言葉を聞いた瞬間、理解した。

 これは脅しだ。

 先ほどの聖王女の件を無かったことにする代わりに、この場は言うことを聞けという脅し。

 そうしなくては、この偽りの友情関係すら破棄するという宣言に他ならない。

 事実、アインズが例えばかつての粛清によりジルクニフに対する恨みを抱えている貴族に肩入れするだけで、自分の皇帝としての地位は失墜し、良くて王国のような封建国家に逆戻りするか、最悪の場合帝国が瓦解する事になる。ジルクニフに選択肢など初めから無かったのだ。

 

(全く。またこれか。毎度の事ながら、アインズと付き合っていくのは骨が折れる)

 その事実に思い至り、ジルクニフは内心でため息を吐いた。

 

「分かったよ。我が友アインズ。君を信じよう。では教えてくれ、私は何をすればいい?」

 

「これは王国や聖王国にも伝えるつもりだったのだが──」

 そう前置きをして話し始めたアインズの言葉を聞きながら、ジルクニフは浮かび上がる笑みを隠すように、手を置いた。

 

 

「そういうことか。分かった。そちらは私に任せてくれ。アインズ。君や君の部隊はどうする?」

 

「亜人たちは、帝国軍に合わせて動かす。必要ならば指揮権も預けよう」

 何でもないように告げられる言葉に、ジルクニフは今度こそ口元を持ち上げ、笑みを浮かべた。

 自分の兵を他国に預ける。

 本来ならば、こんな土壇場で預けられても現場が混乱するだけだが、これからの作戦では細かい動きは必要ない。前進の号令一つで事足りる。

 だからこそ、それを預けるというのは単純に、アインズがそれほど帝国、つまりはジルクニフを信頼している証。他国からはそう見えるだろう。

 

「分かった。君の兵はこちらで預かろう」

 先ほどの件と合わせて、これはジルクニフに対する褒美と見るべきだろう。

 ジルクニフが僅かに不満を持ったことを見抜いて、即座に鞭だけではなく飴を用意するとは。

 本当に自分などとは格が違う。

 心の中で苦笑しながらジルクニフは、答えを貰っていないもう一つの問いかけを再度口にした。

 

「アインズ。君自身は?」

 告げられたアインズは、クルリと反転し、メイドと執事たちの顔を順繰りに見てから告げた。

 

「ここにいる者たちと共に、人に会いに行ってくる。待ち望んだ邂逅だ」

 そう言ったアインズは、背中越しでも分かるほどの喜びと、そして圧倒的な憎悪を滾らせていた。

 

(誰だか知らないが気の毒に)

 アインズからそれだけの憎悪を向けられているという相手に、ジルクニフは内心で同情しつつ、同時に先ほどアインズから聞かされた作戦を実行するために必要な人材の選定を始めていた。




ちなみにネイアが頼まれたのは聖王国に後方移動して蓋をする役割を伝えることです
本来はジルクニフが言ったように、天幕に残ったカルカに直接伝える予定でしたが、本陣に戻ってしまったのでシズを経由してネイアに頼みました
ジルクニフはその事で脅された。と考えてしますが、実際アインズ様は法国のことで頭がいっぱいなので、気にもしていません
次あたりから最終局面に入ることになります

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