一応の最終回ですがナザリックの登場人物はデミウルゴスとアインズ様だけです
一瞬、最高執行機関の者たちに混ざって、主の声も聞こえた気がして振り返るが、主はいつものように玉座の上から眼孔を光らせ、こちらを見ているだけだった。
主が自分に課した、無言の指示に対する答え合わせをやっと披露できるとあって、デミウルゴス自身も少々浮かれているのかも知れない。
一つ咳を入れ、改めて法国の者たちに向き直る。
せいぜい良い反応を見せて、主を楽しませてもらいたいものだ。
「じ、人類絶滅だと! ふざけるな! そんなことはさせん。我々だけではない。お前たちがどれほど強大な力を持とうと、そんな力をあの竜王が見逃すはずがない!」
人類絶滅と聞いて勘違いをするのは計算に入っていたが、竜王という言葉は少々気になる。
評議国に存在する強大な力と始原の魔法を操る竜の王の話は、
この件は後でしっかりと聞き出すことにしよう。
「何か勘違いをしているようですが、人類の絶滅に武力など必要ありません。人間たちは自らの意志で絶滅へと突き進むのです」
「何をバカな」
「人間という弱小種族を生存させるために、人間こそが神に選ばれた種族であり、他種族は殲滅しなくてはならないという理念を掲げて、自国の団結を高めるだけではなく、他国でも損得を度外視して他種族を狩ることで、周辺諸国にもそうした考えを浸透させる。あなた方の方法は確かに有効でした」
法国とは関係ない王国や帝国でも、危険な魔獣やモンスターだけではなく、ドワーフのように人権が保障された一部を除いて、全ての異種族が敵として認識されている。
それは法国のこれまでの行動によるものだ。
もっとも、そうしなければ、弱小種族である人間などここまで生き残ることは出来なかったはずだ。また現時点においても、法国が消えれば大陸中央に位置する強大な亜人国家との防波堤は消え、さして時間も掛からず人間国家は滅び去ることになるだろう。
もちろん、それも魔導王の宝石箱が存在しなければの話であり、各国が魔導王の宝石箱と交易をして強国化を進めていく限り、亜人国家が相手でも負けることはないのだが。
法国の者たちもそれが分かっているからこそ、自分たちの死を恐れることなく受け入れ、人類を絶滅させるというデミウルゴスの言葉に驚愕したのだ。
これほど手間を掛けて人類相手の商売をして経済的な支配の基盤を作っておきながら、今更それをひっくり返すような真似をするはずがない。
そう言いたいのがありありと伝わってきた。
しかしそれは短命ゆえに、ごく限られた短いスパンでしか物を見ることのできない人間の考えだ。
いや、デミウルゴスとて、今までは数十、数百年先までしか見てこなかった。
これはあくまでも遥か未来を見通す主のみに許された未来だったのだろうが、今自分はそれと同じものを共有している。
なんと光栄で、名誉なことだろうか。
歓喜に震えそうになる体を押さえて、デミウルゴスは話を続けた。
「しかし、もはやその必要はなくなります。我々魔導王の宝石箱のゴーレムやアンデッドがあれば、亜人や魔獣は恐れるものではなくなるからです。そして我が主は、彼ら異種族に対しても平等な繁栄を約束しています」
チラリと確認を取るように主に視線を向けると、深く頷いているのが見えた。
ここまでは問題ないということだ。
「馬鹿な。異種族の繁栄など、人間がそれを許すはずがない。異種族によって家族を失った者、村や町、いや国すら失った者もいる。お前たちがペテンに掛けた聖王国もそうだ。お前たちに救われたと思っている彼らでさえ、亜人と轡を並べて戦うことを拒んだではないか! 今は我慢していても、復興が終わり、何かのきっかけがあれば再び──」
威勢よく声を張る男は確か元陽光聖典である風の神官長。かつて前線で亜人を狩り続けていたからこそ、そう信じているのだろうが、デミウルゴスはその言葉を遮って続けた。
「百年後でもですか?」
「何?」
「今は確かに恨みを抱いている者もいるでしょう。ですが、アインズ様の支配の下、危険のない、甘い蜜のような平穏な世界を享受する。そんな世界で生き続け、当事者が死に絶えて、それでも異種族に対する怒りを抱き続けることができますか?」
当初は第六階層で実験を行っていたが、その後経済的な支配を念頭に置いたことで、一時的に凍結されている楽園計画──思えばあれも、このための実験だったとみるべきだ──を更に大きく進め、ナザリックの支配地域だけではなく、周辺諸国全てを巻き込む超大型プロジェクト。その骨幹となるのが、人類と異種族の共存共栄だ。
「百、年?」
想定していなかったというように、風の神官長が目を見開く。
やはり人間では自分の生きている範囲しか、まともに想定ができないらしい。
「そうです。我々はこれから百年かけて、魔導王の宝石箱を世界全てに浸透させます。開墾、農作業、防衛力、食材、武具やアイテム、魔法知識に至るまで。それら全てを牛耳り世界を我々に依存させる。そのための足場となる周辺の人間国家に対する下準備は既に完了しています。ここ最近で周辺諸国全てが傷つきましたからね、人手はいくらあっても足りない以上我々を受け入れるしかないでしょう。それに気づきそうな者の心は既にアインズ様がへし折っている。邪魔する者はいません」
王国は邪魔な貴族派を排斥した後、今回の戦争によって、比較的まともであり、なおかつ裏からラナーの指示に従うことも厭わない第二王子に継がせる。
帝国はそれなりに有能な皇帝の牙を、主自らへし折ることで、恭順を示させた。
聖王国は聖王女が、主に依存したことで何をせずともこちらの意のままに操れる。
残る人間国家は法国と竜王国だけ。
この戦争で法国さえ消えれば、その庇護下にある竜王国も早晩ビーストマンの襲撃によって滅びるだろう。
別の選択をするならそれはそれで構わない。どちらにせよ計画の邪魔にはなりえないからだ。
これで、この周辺にある人間国家は全て魔導王の宝石箱、延いては主の手に落ちる。
そうしてからアベリオン丘陵やトブの大森林に住む亜人たちと交流を持たせ、さらに主が手に入れた冒険者組合を利用して、未開の地に住んでいる部族や、亜人国家とも交易を開始することで、あらゆる種族を魔導王の宝石箱に依存させる。
そこからが本当のスタートだ。
「我々の庇護下にいる者は種族に関係なく、皆平等な立場に置かれます。弱小種族である人間を初めとして、強靭な身体能力を持つ亜人も、そして最強種族と言われているドラゴンであってもね」
「あらゆる種族が平等な立場? ふざけないで! そんなことできるはずがないわ!」
今度は唯一女の神官長である火の神官長がヒステリックな声を上げる。
「できますよ。我々のしていることはあくまでも商売。それを邪魔する大義名分を持てる者は存在しない。それは件の竜王も同じ。仮に理由をでっちあげ武力によって私たちを攻撃しようとしたとしても、団結はできない。この世界にも強者はいるようですが、それはあくまで個。我々のような組織を形成した者たちは存在しない。それはあなた方が一番よくわかっているでしょう」
そんなものがいればとっくの昔に世界は征服されているはずだ。
と言外に告げるデミウルゴスに全員が言葉を詰まらせる。
強大な力を持った個がいたとしても、それは大した問題ではない。法国最強と謳われた番外席次も、アウラとマーレそしてその配下の魔獣たちが仕掛けた集団戦によって、こちらの損失はゼロで仕留めることができた。直接戦った二人によれば、個としての強さならば自分たち守護者にも比肩しうるとのことだったにもかかわらずだ。
問題なのはそうした個が一つの目的に従って団結すること。
それだけが唯一の懸念材料だった。しかし武力ではなく経済による支配を選択したことで、魔導王の宝石箱つまりはナザリックと敵対する大義名分を作ることは不可能に等しい。
そんなことをすればむしろ、その者が世界の敵となるからだ。
「仮に、仮にそうなったとして……それがなぜ人類の絶滅に繋がる? お前たちのことなど信じることはできないが、それが叶ったならば、それはむしろ弱小種族である人間にとっては幸福ではないか」
負け惜しみのように最も若い土の神官長が叫んだ。
「ふふ。やはりあなた方には想像力が足りない。よくそれで人類の守護者など気取っていられたものだ。あくまで我々は平等と言ったのです。公平ではなく平等。であれば、人間のような弱小種族が他の亜人たちと同じ働きなどできるはずがないでしょう」
公平と平等の違いはそれだ。
社会における公平は、有能への報酬を減らす代わりに、無能に対して手厚い保証をすることで、皆同じ水準での生活を目指すものだ。
対して平等は機会を等しく全員に与え、同じ成果ならば立場や人種に関係なく、誰であっても同じ報酬を得られるだけで、後はあくまでも本人の働き次第、つまりは成果主義だ。
考え方としては有能であれば平民でも重要な役職に就けるという帝国に近い──あれもまだ完全ではないが──しかしそうして機会を与えられたからと言って、全員がやる気を出すわけではない。
生まれた場所が悪い、人間関係に恵まれない、才能が違う、努力できない者もいる。ありとあらゆる理由をつけて不平不満を口にする。それが人間というものだ。
実に愚かで、だからこそ操りやすい。
そんな人間たちが、人間の中だけではなく、全ての種族の下で競い合いをした場合、どうなるかなど分かりきっている。
「人は声高々に叫ぶでしょう。自分たちが成果を上げられないのは、人間に生まれたせいだ。と」
それこそ努力ではどうにもできないものだからこそ、そう言うしかない。
「しかし、いくら声を上げようと、蜂起などできない。生活のすべては我々が握っていますからね」
ナザリックが経済と武力両面で上に立つことで世界全てを管理する。
これはいわゆるディストピアと呼ばれる社会形態に近いものだ。
それが世界征服においては有効な手段であることは理解しているが、何故かそうした社会をデミウルゴスは好きになれない。
理性ではなく感情で判断するのは愚かだと知っているはずだが、セバスに対する本能的な嫌悪感と似た抑えきれない感情。あるいはこれが自分を創造した至高の御方の気持ちが宿ったものなのかもしれない。
しかし主が提示した法国への罰。その内容は、デミウルゴスのそうした悩みをも解決する方法だった。
「っ!」
背後で主が僅かに反応した気配を感じる。
いよいよ本題に入り、法国への罰を下すことを、主もまた喜んでいるのかもしれない。
ならばその期待を裏切ることはできない。
気合を入れ直し、話を続けた。
「我々が作り出す世界は、庇護下にある者たちが、あらゆる欲望や夢を魔導王の宝石箱から購入する権利を得る世界。むろん国家ではなく商会である以上は、対価を支払うことになりますが、人間が欲のためならばどんなことでもするのはあなた方が証明してくれましたからね」
いくら不満があっても、それを解決する術が分からなかったり、あるいは分かっていても実行ができない状態にあるからこそ、人間は文句を言うしかないのだ。
つまり全てを管理し、行動を制限するのではなく、むしろ逆。
あらゆることに解決策を用意し、それを売ることで、あらゆる者が自由に、そして欲望のままに生きることのできる世界。
それが主の思い描く世界だ。
自分が命じられていた様々な実験は、そのための下準備だったのだろう。
「そんな世界で、果たして人間は人間のまま生き続けられるでしょうか? 対価を得るため効率的に稼ぐには人間は非効率的です。肉体的な弱さもそうですが、寿命もエルフを始めとする他の人間種と比べても短い、さらには保身や我欲が強すぎる者が大半を占めるせいで足並みを揃えることは難しい。ならばどうするのか、そう。人間以外の者に成ればいい。人間がそれ以外の種族になる術はいくらでもある」
これこそが人類絶滅計画の全容だ。
時間を掛けて、人でいることの無意味さを実感させ、その上で人外の者に成る方法を提示する。そうして人間たちは自分の意志で人であることを放棄するのだ。あるいはこちらはまだ方法は確立されていないが、異種族間での交配実験が成功すれば、人以外の者と子を成す者も増え、純粋な人間は徐々に淘汰されていく。
「ばかばかしい。人間が望んで異種族になるだと? そんな方法があったとしてもそれを選ぶ者などおらぬわ!」
最も老いた水の神官長の言葉には実感が籠っている。
それだけ長い間人間を見てきたという自負でもあるのだろう。
「ええ今はそうでしょう。価値観は種族ごとにみな違いますからね。ですが、それは不変なものでしょうか?」
「当然だ。百年経とうと、人間と異種族どもの──」
「では五百年では?」
「な──」
「千年では如何でしょう。あるいは三千年、五千年……一万年経ってもその価値観を維持できると思いますか?」
「い、一万年だと?」
「そうです。我らが主、アインズ・ウール・ゴウン様は、初めからそうした遙か未来を見据えて行動されていたのです。たかが六百年程度しか持たせられないような者どもとは違います」
煽るようなことを言うが、実際六大神の造り上げた法国が六百年しか持たなかったのは、その百年後に八欲王が現れ六大神が滅んだことが直接の原因だろうが、それは同時に警戒を怠っていたせいだとも言える。
しかし、主は違う。
至高の存在でありながら驕ることなく、この世界に来て直ぐに情報収集を開始し、ナザリックの強化に勤めた。
決して慢心せず、遙か未来を見据えて行動する主こそが、この美しき宝石箱を手にするに相応しい存在なのだ。
「バカな、そんな。そんなことが──」
一万年という途方もない年月、主がそれを見越して行動していると知り、最高執行機関の者たちは言葉を失うことしか出来ずにいる。
当たり前だ。
ナザリック最高の知者として創造されたデミウルゴスですら、それほど先の未来は、想像することすら困難なのだから。
だが、そんな自分を子供扱いする主の叡智ならば、その未来も恐ろしいほどはっきりと見えているに違いない。
「信じられませんか?」
「と、当然だ。そのような夢物語誰が信じるというのだ。我らの神ですらできなかったことを……たとえ、神と同じ場所から現れた存在だとしても、できるはずなどない」
強い言葉を吐いてはいるが、その声は震えていた。
それに気づきつつも、指摘するようなことはせず、デミウルゴスは笑みを深めた。
「まあ、今は信じていただかなくて結構ですよ。どうせ嫌でも信じる、いや自らそれを望むようになりますから」
「どういう意味だ?」
主が先ほど告げた罰。その真意を彼らは気づけていなかったようだ。
ならば丁度良い。
ここではっきりと告げることで、改めて彼らを絶望の淵に落とすことにしよう。
「そのままですよ。先ほどのアインズ様のお言葉を理解していなかったのですか? あなた方に死という救いは与えられない。幸いなことにあなた方はそれなりにレベルはある様子。選べる種族は多いでしょう。先ずは身を以って人間が別種族に成れることを確かめて下さい。そして、法国が、そして人間が今後どうなっていくのかを、未来永劫見届けていただきます。なぁに、万年後までとは言いませんよ。先ほども言ったでしょう。どうせ直ぐに人間を呪い、さっさと絶滅しろと声高に叫ぶことになるでしょう。その絶望を以って初めて罪は雪がれる」
異種族の排除というのは、あくまで弱い人類を団結させる為の方便。
法国最大の目的は、人類の生存と繁栄だ。
それを自らの意志で否定し、根絶を願わせる。
シャルティアの洗脳を直接指示し、主の怒りを買った者たちへの罰としてこれ以上ふさわしいものはない。
先ほどの一見すると軽すぎるようにも感じる彼ら個人に対する罰も、こう考えれば十分なものと言える。
(もっとも、黄金の姫がこちらに協力する以上は、そう時間はかからないでしょうがね)
そちらは敢えて言う必要はないが、シャルティアの件で主の身すら危険に晒した者たちにできる限り長く罰を与えたいのは確かではある。とはいえ、百年後に再び別のプレイヤーが現れる可能性を考えると、人間の根絶はなるべく早めに行っておいた方がいい。
種族の垣根がなくなればより世界征服が進めやすくなるのだから。
ラナーはそのために重要な駒となる。
エ・ランテルでのラキュースの介入により、ラナーが勝ち逃げを諦め、今後もナザリックのために働くと決めた際、ラナーは報酬として自分とペットの犬に永遠の命を与えることを望んだ。
これから永きに亘って働くというのなら、妥当な報酬であり、デミウルゴスは早速実験の準備を開始した。
バルブロの身柄を欲しがったのもその一環だ。
ラナーと血の繋がりがあり、王族と言うこともあり、執務の中で入手できる職業レベルも似通った構成になっている可能性がある。
だとすればラナーの種族変化の実験体として相応しいからだ。
ラナーの種族変化は失敗できない。
彼女の働きに対する報酬だからということもあるが、この作戦を実行するに当たり重要な意味も持っている。
王国においては言うまでもなく、他国にも十分な影響力と人気のある黄金。
彼女が自らの意志で、異種族になり、同じく異種族となったペットと結ばれる。
これは良い宣伝になるだろう。
それを行うのに彼女ほど相応しい者も居ないだろう。国のトップではダメだ、彼らの場合は政治的な意図が疑われる。
国や民のことを慮る、慈愛に満ちた黄金の姫が自ら選択するからこそ、意味があるのだ。
そうなるとやはり外見も重要となる。
いずれは外見もさして関係なくなるだろうが、初めの内はそれだけで嫌悪感を抱く者も大勢いるだろう。
なるべく今の姿を保てるタイプの種族を選択しなくてはならない。
候補となるのは肌の色と瞳が変わる程度の吸血鬼か、サキュバスやインキュバスといった淫魔あたりもいけるだろうか。
そのためにはまず堕落の種子で小悪魔に変え、そこからレベルを上げるのが手っとり早い。
小悪魔を経た後の種族変化でも元の外見が反映されるのか、その辺りは要実験だ。
「あ、あぁ! ああぁぁ! バカな、バカな。そんなことが」
デミウルゴスが他のことに気を取られた僅かな間に、一人の神官長が発狂し、叫び声を上げる。
最高執行機関の者たちは、プレイヤーの持つ強大な力を知っている。その中でも、元司法機関の出身だという闇の神官長だからこそ、デミウルゴスが説明した未来、人間の辿る結末。そして自分たちの運命をリアルに想像できたのかもしれない。
一人崩れると後は簡単だ。
その場はあっと言う間に阿鼻叫喚の地獄と化す。
主に対して許しを請う者、それを諫める者、ただ発狂し叫び声を上げる者、他者に責任を押しつける者、そしてただ一人落ち着けと言葉を繰り返す最高神官長の言葉も、誰にも届いてはいない。
一人一人の心をへし折り、作り上げたこの情景はなんとも心地よい。
人間の絶望に満ちた悲鳴はデミウルゴスの好むものだ。
主から命じられた罰はこれで十分だろう。
「殺してやる! 何年経とうが、必ず俺を生かしたことを後悔させてやるぞ、アイン──」
「『黙れ』」
支配の呪言を用いて命ずると、ピタリと喧噪が止まる。
叫んだのは大元帥。魔法の力に詳しくないことが災いし、主の偉大さを理解できずあんな妄言を口にしたのだろう。
そのことは簡単に予想できたというのに、止められなかった自分を恥じるしかない。
「申し訳ございませんアインズ様。聞き苦しい言葉を」
「え? あ、ああ。ふふ。何のことだ? 私は何も聞こえてなどいない」
またも主に気を使わせてしまった。
再び同じことが起こっても困る。先に移動させておこう。
「彼らへの説明は済みました。魔法による尋問では例の魔法によって死亡する可能性がありますので、しばらくの間は自発的に情報を話したくなるように教育を施そうと思うのですが、よろしいでしょうか?」
六色聖典に掛けられているような処置が彼らにもなされていることだろう。
記憶操作でもできるだろうが、それでは主の手を煩わせることになる。
自発的に話してもらえればそれが一番手っとり早い。
「任せる」
「では『そのまま大人しく外に出なさい』」
外には主が連れてきたセバスとプレアデスがいる。
話が済んだらナザリックに連れていくように伝えてあるので、これで十分だ。
さて。後はいよいよ自分の回答に主がどのような採点を下すかだが──
「……確か、お前たちはこの地でのアイテムの回収後、我々の痕跡を全て消すことになっていたな?」
不意に思いついたように主が確認する。
思っていた言葉とは違ったが、デミウルゴスは淀み無く返答した。
「はい。代わりに法国とヤルダバオトとの繋がりを示す証拠を残して、ですね?」
確認することの重要性を常々説いている主は、時折こうした分かりきった質問をする。
それに即座に答えられることは、主の指示を漏らすことなく聞いている証明にもなるため気は抜けない。
「その通りだ。法国の最高執行機関や六色聖典だけでなく、神殿にいた高位の神官たちが消え、代わりにヤルダバオトとの繋がりが残れば法国の理念が揺らぐ。残った神官どもの篭絡も任せる」
一定の立場を境に給与を下げていくことで、自浄作用を狙った法国の制度はつまり、逆に言えばその立場になろうとしない者には欲が残っている証とも言える。
六大神殿を全て潰したことで、国のために働く神官たちはほぼ消え去り、残っているのはそうした欲の残った者たちだけ。ならば対処は容易い。
責任者が逃げ出した状況で勝てない戦いをいつまでも続けるはずもない。
戦争でも大敗し、トップも消え、残ったのは法国にとっての怨敵である悪魔との癒着を示した証拠だけ。
今後法国の土地とそこに住まう者たちがどうなって行くかは、あくまで国家である三国に委ねられるが、どう転んでも問題ない。
そもそも三国は既にこちらの意のままだ。
完全に分割し法国自体を消すか、神都周辺だけ残し、反対勢力のあぶり出しに使用するか。使い道はいくらでもある。
「承知いたしました……アインズ様はすぐお戻りになりますか?」
「……いや、戦争の責任者であるあの二人が逃げ出したことで、法国軍も白旗を揚げることだろうが、まだ時間はある。もう少しここで待とう」
もしや採点は戻ってからなのかとも思ったが、どうやら杞憂だったようだ。デミウルゴスとしても一刻も早く正解が聞きたい。
果たして自分の説明は主の意を完全に汲み取れていたのだろうか。
そうであってほしい。
デミウルゴスの考えが全て間違っていなかったのならば、それはデミウルゴスにとって、いやナザリック地下大墳墓に属する全ての者たちにとっての福音。
この地にナザリックが転移してからずっと抱いていた不安を消し去ることになるのだから。
期待と不安が混ざり合った気持ちを抱きながら、デミウルゴスは主の言葉を待った。
・
(時間稼ぎはもう無理か)
今後の予定を確認するふりをして、頭の中でデミウルゴスの語った内容を咀嚼していたが、それももう限界だ。
(……いやしかし、素晴らしいじゃないか!)
だがその時間稼ぎのおかげで、全てとはいかずとも、ある程度は理解できた。
初めのうちはアインズ、いや鈴木悟が生きていたあの世界のことを思い出してしまい、かつてのウルベルト程ではないとはいえそれを憎んでいた自分が同じことをするのかと嫌な気分になったが、よく話を聞いてみるとまるで違う。
生まれによって初めから立場が決められ、全てを一部の特権階級に管理されていたディストピアではなく、向上心と努力があれば種属すら越えて、自分の望みを叶えられる世界。
まさに理想的な世界と言えるのではないだろうか。
そしてそれも無理矢理そうした世界に変えるのではなく、このまま商会を大きくしていくことによって自然とそうなるのだという。
それが法国にとっては最悪の罰にもなる。
しかしながら。
(一万年ってなんだよ!?)
我ながら感情の上下が激しいが、仕方ない。
これからの方針を確認でき、それが自分の理想的な世界であったことは喜ばしいが、数年、数十年すら超えて万年先まで見据えているなどと思われていたとは。
(万年王国か。そんな名前のギルドがあったな、いやあれは千年王国だったか?)
どちらにせよ、デミウルゴスの自分に対する虚像は他の者たちを遙かに超えている気がする。
そう考えると今がチャンスではないだろうか。
法国の者たちが消え、ここにはデミウルゴスとアインズしかいない。
明日すら見えていない自覚のあるアインズの適当な思いつきを、デミウルゴスは勘違いして、万年先まで見据えた世界征服プランを立てたようだが、これから先も上手く行く保証はどこにもない。
いやこのままでは遠からず破綻するのは目に見えている。
これまでは、皆──主にデミウルゴス──の立てた計画や報告書を適当に処理していたことを知られるのが怖くて、少しだけ虚像の修正ができれば良いと考えていたが、万年先まで考えられて計画が立てられているというのならば、時間が経てば経つほど言い出しづらくなるだけだ。
転移した当初とは異なり、今なら守護者たちがアインズの能力を知っても、反旗を翻すことなど無いと断言もできる。
だからこそここでデミウルゴスに全てを暴露し、今後自分がどうすればいいかもここで決めてもらうのはどうだろうか。
すなわち、この話を皆にした方が良いのか、それとも自分とデミウルゴスの秘密にして、表向きは今まで通り支配者の振りをしながら、デミウルゴス指示で動いた方が良いのかをだ。
どちらになっても、この精神的な苦痛からは解放される。万年を見据えた計画を、他の者たちが知らない今が千載一遇のチャンスではないか。
「デミウルゴスよ──」
「はっ!」
尻尾の揺れを押さえ込もうとしているのか、小刻みに震えている。
「先の法国の者たちへの罰、そして遥か先まで見据えた計画、見事だった」
「いえ。全てはアインズ様のご計画、私は遅蒔きながらそれに気づくことができただけでございます。もっと早く気づけていれば、アインズ様のお手を煩わせる機会も減ったことでしょう。私の不徳の致すところでございます」
(言え、言うんだ俺! 一万年も嘘をつき続ける気か!)
「……いや、デミウルゴスよ。流石に一万年先まで見通して計画を立てるなど、誰にも不可能なことだとは思わんか?」
できる限り慎重に、探りながら話を進める。
「はっ。確かにアインズ様でなければ、そのような計画、立てられる道理はございません。私がそれを全て聞いたとしても、不確定要素による計画の修正などを考えると、とても実行は不可能でしょう」
不可能だと言いながら、首を振るデミウルゴスは何故か嬉しそうに見えた。
勘違いとは言え、アインズの役立つために、成長することを常に考えている守護者らしくない。
「いや、そうではなく、むしろできるとすればお前ぐらいなものだろうと──」
話が思いもよらぬ方向に進んでしまったことに気づき、慌てて軌道修正を試みる。
そんなアインズにデミウルゴスは、何かを考えるような間を空けた後、深く頭を下げた。
「アインズ様。これより私が口にすることは、守護者の一人として、いや至高の御方々に尽くすために創造された者として、相応しくないかも知れません。ですが、発言をお許し頂けませんでしょうか?」
突然のセリフに、一瞬言葉を失ったが、アインズはすぐに応えた。
「……許す。言ってみよ」
アインズの許しを得て顔を持ち上げたデミウルゴスの表情は硬い。
そんな彼の視線を、アインズは正面から受け止めた。
「このアインズ様にしか成し得ない計画に気づいた時、私の身に宿ったのは歓喜でした。本来であれば、アインズ様のお手を煩わせること無く、その手足となって働くことこそ、守護者の勤めだというのに」
アインズは何も答えず、続く言葉を待つ。
いつの間にか、デミウルゴスの尻尾は動きを止めていた。
「アインズ様にしか成し得ない計画。ならばそれを完遂するまでは、アインズ様は我々を見限り、至高の御方々の所に行くことはない。そう、考えてしまったのです」
沈痛な面持ちで吐き出されたデミウルゴスの言葉に、アインズにしては珍しく、それだけで何を言いたいのか、全て理解した。
アインズにも覚えがある感覚だったせいだろう。
ただ一人、ナザリック地下大墳墓を維持するために活動し続けたあの頃。
いつでも仲間が帰って来られるように。そんな思いを込めて活動を続けていた時に感じた気持ちだ。
結局ユグドラシル終了日まで、その望みが叶えられることはなかったが、その日々の中でアインズはずっと願っていた。
仲間が一人、また一人とギルドを離脱していく度、いつかまた戻ってきてくれ。これ以上誰も抜けないでくれ。と常にそう願い続けていたのだ。
デミウルゴスが抱えている物もそれと同種のものだ。
ただ一人残ったアインズが皆の場所に行くことを恐れていた。
そんな術など、有りはしないのに。
今更現実世界に戻れはしないし、そもそもあの世界に戻りたいとも思わない。
いつか皆がこちらに来てくれればと思うが、それも所詮は希望でしかない。
ならばそう伝えれば良い。
そうすればデミウルゴスの不安も消えるだろう。
(本当にそうか?)
途中まで残っていた仲間たちも、ギルドを離れる仲間を惜しみ、自分たちだけでも頑張っていこうと話し合っていた。
しかし最後には誰も残らなかった。
もちろん、皆に事情があったのは理解している。
現実と空想。どちらを取るかの選択肢を突きつけられた上での苦渋の決断。そうに違いない。
だが、それを経験したからこそ、アインズには分かる。
言葉だけでは意味はない。
行動を伴って初めて意味を持つのだと。
(ならば──)
「デミウルゴス」
「は、はっ!」
デミウルゴスの声は先ほどまでの神官長たちの如く、震えていた。
「お前の言うとおりだ」
「そ、それは、如何なる──」
デミウルゴスの言葉を遮って椅子から立ち上がる。
「この計画は私にしかできない。いや私だけではない、お前たち全員の能力を全て使うことでようやく成し遂げられる壮大な計画だ。それまで誰一人として欠けることは許されない。無論、この私も含めてだ」
左手を持ち上げ、大きく振りながらそう告げた。
これはアインズが支配者らしいポーズを研究して生み出したものの一つ。
いわばアインズなりの理想の支配者像を体現したものだ。
ここでそれを披露する意味。
それはつまり、アインズなりの決意表明だった。
先ほどまで考えていたデミウルゴスにのみ全てを暴露する計画を止め、彼らの思い描く理想の支配者ロールをこれからも続けていくという意思表示だ。
ここでアインズが自分の無能さを伝えてしまったら、万年後を見据えたこの計画を成功させるために、アインズの力は必要ないということになってしまう。
それではデミウルゴスは安心しない。
代わりがいくらでも居ると分かれば、いずれアインズ自身が自分が必要ないと判断してナザリックを去っていくかも知れない。
ずっとそんな恐怖を抱き続けることだろう。
だからこそ、アインズは理想の支配者で居続ける必要がある。
そんなアインズを含めたナザリック全員が総力を挙げなくては達成できない計画ならば、少なくともそれを完遂するまでアインズが居なくなることはない。
デミウルゴスやナザリックの皆を安心させるために、アインズは虚像を修正することを諦め、その虚像を真実にする道を選んだ。
つまり、支配者を演じている一般人に過ぎないアインズが、本当の意味で、皆が望む理想の支配者になる覚悟を決めたということだ。
「おお! アインズ様、それでは……」
「お前の心配など無用だ。私はこの計画を完遂させるまで、いやその後はもっと壮大な計画を考えよう。この私を飾るために用意された美しき宝石を、いつまでも輝かせ続けるために。当然そのためには、お前たちにもいずれ私に追いついて貰わなくてはな」
いつか、あの星空の下でデミウルゴスと交わした会話を思い出しながら告げる。
「このデミウルゴス。必ずやアインズ様のご期待通りの、いいえ。それすら超える成長をしてみせます!」
恭しく、そして優雅に一礼するデミウルゴス。
「ふふふ。私の期待は重いぞ」
「覚悟の上です」
ニヤリと笑い合い、アインズはローブをマントのように翻した。
「では。互いの仕事を終わらせ、皆揃ってナザリックで会おう」
「はっ! アインズ様のお帰りを、守護者一同でお待ちしております」
深々と礼をするデミウルゴスに見送られながら、アインズは前を向き、皆が望む理想の絶対的支配者、アインズ・ウール・ゴウンとなるための長い道のりの第一歩を踏み出した──
この話で何度か出ていたアインズ様の虚像。それを修正するのではなく、隠したまま本物の支配者になるべく努力するルートを選んだ。というお話でした
ちなみに、アインズ様はデミウルゴスが語った世界が理想といっていますが、実際は究極の競争社会になるだけなので、理想といえるかは怪しいところです
次からはエピローグとして、登場人物たちのその後について何話かに分けて書いていきますので、もう少しだけお付き合いください