オーバーロード ~経済戦争ルート~   作:日ノ川

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時期的には前話から一ヶ月ほど経ち12巻序盤のカリンシャ陥落が既に起こった後、他の都市が堕ちる間くらいです
聖王国編も書籍版と似た場面は基本的に省いていきますので読んでいないと話が分からないかと思いますのでご注意下さい


第60話 それぞれの準備

 久しぶりにナザリック地下大墳墓の自室に帰還したアインズは早速デミウルゴスを呼び出し、気になっていた聖王国の状況を確認していた。

 

「聖王国の件だが、奴らが他国に救援を求めるまでどれほどかかる見込みだ?」

 

「既に聖王国北部の城塞都市カリンシャは陥落いたしました。聖王女を押さえていますので、救援を求める段階になるのは恐らくは北部の都市が全て陥落した後、一ヶ月ほどかかるかと。その時は王国や法国ではなく魔導王の宝石箱を頼るように手は打ってありますので、その段階でアインズ様にお願いすることになるかと思います。ただ──」

 

「ただ、何だ?」

 デミウルゴスにしては歯切れの悪い言葉に、アインズは即座に尋ねる。

 デミウルゴスが躊躇するほど難しいことを頼まれたらと思うと気が気でない。

 

「はっ。現在アインズ様のお立場はあくまで商会の主、対して奴らは国を代表し使節団として来ることになります。そうなりますと、奴らは未だ国が健在であり力が残っていることをアピールするためにも下手に出ることなく、己の立場も弁えずアインズ様に失礼な態度をとる可能性がございます。ですが、今回の計画はそれでもアインズ様には奴らの要請を受け入れていただく必要がございますので……」

 ようは相手がアインズに失礼な態度に出る可能性があると理解した上で、それを容認しなくてはならない作戦を立てたことを恥じているのだろう。

 

「人間如きがアインズ様に無礼な態度をとると知りつつそのまま放置すると? そうならないようにするのが貴方の仕事ではないの? 王国の愚かな者もそうだけれど、人間は一度図に乗ると際限が無くなるわよ?」

 無理難題ではなく、ホッとしたのもつかの間。アインズとともに話を聞いていたアルベドが噛み付いた。

 舞踏会での貴族や第一王子バルブロのことを言っているのだ。

 確かにあの時は苛立ちも覚えたが、それはあくまで法国の件があったからであり、商談の席でこちらにきちんとした利益が出て、かつての仲間達やNPC達のことを始めナザリックを貶めるわけでもなければ、アインズ自身が何か言われたところで──余程のことでもない限り──特に気にしないがナザリックの者からすればアインズは絶対的支配者。オーレオールを除けば、下等生物として見下している人間が偉そうな態度を取るところを想像するだけでも気分が悪いのだろう。

 

「申し訳なく思っています。ですが生き残らせ救援を求めさせる者の中で一番立場が上になる人間がそうした交渉事に向かない猪のような者と判明したのがつい先日のことでして。それを変えるとなると作戦そのものを大きく変える必要が──」

 

「よい。デミウルゴス、今から作戦を変える必要などない」

 

「ですがアインズ様──」

 一つ打開案を思いついたアインズは、なおも食い下がろうとするアルベドの言葉を手で遮り告げた。

 

「ならば交渉は私の姿を取らせたパンドラズ・アクターに一任しよう」

 

「パンドラズ・アクターに、ですか?」

 

「奴が私の振る舞いを模倣できるのはお前も知っているはず。それなら問題はあるまい」

 それでもアインズと相手が認識している存在に無礼を働くことには変わりはないが、本人が言われているのとアインズになりすましたパンドラズ・アクターが言われているのでは、後者の方がマシだろう。

 

「はっ。私の我儘をお聞きいただきありがとうございます」

 まだ多少納得していない節はあるが、アルベドはとりあえずそれ以上なにも言わなかった。

 彼女にしてはやや無理のある提案だったが、アルベドが考えていることは理解している。

 ここ数ヵ月間、何度と無く進言されてきたことだが、アルベドとしてはアインズにそもそも店に出て欲しくないのだ。

 もっと言えば外にも出ずにナザリックで内政の仕事に専念して貰いたいと考えている。

 今回はデミウルゴスの話を利用してそちらに話を持っていこうとしたのだろう。

 

 当然それは彼女の欲望によるものでは──恐らく──なく、理由は法国だ。

 正体不明の世界級(ワールド)アイテムを有しているあの国がアインズを狙う可能性がある以上、そちらが解決するまでナザリックを出て欲しくない。というのが本音なのだろう。

 しかしそれを口にしては護衛として外に出ているときは常にアインズを守っているシャルティアを信頼できないと公言しているようなものであり、何よりアインズ自身が拒否していることもあって、こうしてさりげなく進言するに留めている。

 

「ではパンドラズ・アクターには私の方から、聖王国に呑ませる条件を話しておきますので」

 デミウルゴスの言葉を聞いた瞬間、再び頭に閃きが走った。その場で手を持ち上げ、デミウルゴスを止めながら必死に頭を回転させ、その閃きに問題点が無いか探る。

 

「アインズ様?」

 しかし、思ったより早くデミウルゴスが不思議そうに尋ねてきたのでアインズは未だ完全とは言えない状態で、祈るような気持ちで思いつきを口にする。

 

「……ああ、それともう一つ。作戦中、今回のように私とパンドラズ・アクターで入れ替わることもあるかも知れん。お前が以前私に提出した作戦概要は私の行動に関して指示は無かったが、パンドラズ・アクターは演者。台本が無くては話にならん。できるだけ細かな行動や言動を記した脚本を作り、渡しておけ」

 

「し、しかし! それではアインズ様にも私が考えた行動や言動を取っていただくことになります。至高の御方であるアインズ様であれば私が考えた作戦などより素晴らしい結果を示していただけるはず。それを縛ることなど……」

 実は以前、聖王国での作戦について改めてデミウルゴスとミーティングを行ったことがあった。

 その際アインズが似たような提案をしたが、結局アインズの完全敗北に終わった。だがその時ですらはっきりとは口にしなかった言葉をここに来て告げられ、アインズの存在しないはずの心臓が跳ね上がった。

 それを誤魔化すように立ち上がると二人に背を向けた。

 

(やっぱりデミウルゴスは俺が自分の計画を超えてくると信じていたのか。無理を言うなよ。今までのは全部偶然なんだって……と言っても信じてくれないんだろうな)

 確かにこれまでアインズが幸運に恵まれ、デミウルゴスの想定した計画を良い意味で超えたことが何度かあったが、皆は当然それをアインズが計算したものと思いこんでいる。

 これではいつまで経ってもアインズの虚像を修正することには繋がらないし、いつまでもそのような幸運に任せた行動を繰り返していけばやがて破綻する。

 だからこそ、ここはあくまでデミウルゴスに完璧な脚本を作って貰いその通りに行動することで、これ以上ハードルが上がらないようにしなくてはならないのだ。

 ここでアインズが引くことはできない。

 

(すまないデミウルゴス。だけど俺もいっぱいいっぱいなんだ)

 

「常に私の行動を見てきたお前ならば、私がどんな行動、そして言動を選ぶか分かるかと思ったが……無理か?」

 心の中でデミウルゴスに詫びながら、お前を試しているんだと言いたげな態度を見せる。

 誰よりナザリックに貢献しているデミウルゴスにさらに無理難題を押しつけているようで気が引けるが、アインズの虚像を修正することは将来的には皆のためになると信じている。

 今のように本来は凡人に過ぎないアインズの能力を高く勘違いされたままでは、いつか取り返しのつかない失敗に繋がりかねない。その前に実はアインズはそこまで大した存在ではないと理解してもらわなくては。

 

「っ! 畏まりました。僭越ながら私の方で改めてアインズ様にどのように振る舞っていただくか考えさせていただきます。もしよろしければその件も併せてパンドラズ・アクターと相談し決めさせていただいてもよろしいでしょうか? アインズ様を演じることに関して、彼以上の逸材は存在いたしませんので」

 

「かまわん。モモンとしての活動も最近減りつつあったしな。奴も時間を持て余していることだろう」

 これもアインズの責任と言えるのだが高位冒険者しかできない依頼が減り──第一王子の息がかかった貴族たちが手を回しているせいらしい──他の小さな依頼に関してもゴーレムがエ・ランテルや近隣の村に広まったことで、これまで冒険者の仕事であった護衛や運搬の仕事が減り、結果として少ない仕事を皆で取り合うような状況になっていた。

 エ・ランテルにはモモンとアインズの繋がりを知る冒険者はいないためモモンが責められるようなことはないが、それでも最高位冒険者のモモンはそうした争奪戦に参加もできず、ここしばらくは黄金の輝き亭に待機する状況が続いている。

 もっともパンドラズ・アクターはこれ幸いと宝物殿に戻ってアイテムの整理をしているらしいが、こちらの方が重要なので悪いとは思うが手伝ってもらおう。

 

「でしたらアインズ様。私もお手伝いいたします! アインズ様に最も長く、そして最も近くでお仕えしているのはこの私ですので」

 

「それはありがたい。守護者統括殿のご協力が得られれば、より盤石な布陣となると言うもの」

 

「……そうか。では許可しよう。もし通常の仕事との兼ね合いが辛いようなら、例のエルダーリッチに頼むといい。くれぐれも無理はしないようにな」

 

「はい! お気遣い感謝いたします。必ずやアインズ様にご満足いただける脚本を仕上げてみせます。デミウルゴス、よろしく頼むわね」

 

「ええ。もちろんですとも──ただ、以前のような横からかすめ取るような真似はしないでいただけると助かりますね」

 

「あら。何のことかしら? くふふふ」

 

「ふふ」

 何やら顔を見合わせる両者の間に異様な気配が漂うのを感じる。

 

(あれ? これ大丈夫か? なんか険悪な雰囲気……いやそれ以上に、これって下手をすればみんなが思う理想のアインズ・ウール・ゴウンが出来上がるんじゃ……俺に演じれるかな)

 そんな二人を見ながら、アインズは早まったのではないかと内心で焦りを覚えていた。

 

 

 ・

 

 

「ありがとうございます、シャルティア様。お陰で店の様子を見に来られました」

 シャルティアに連れられて王都の支店に出向いたソリュシャンは自分用に作られた部屋にシャルティアを招き、改めて礼を口にした。

 法国の件があって以来、ソリュシャンは一人で店に来ることを禁止されていた。

 セバス、或いはシャルティアが一緒でなければならないという決まりであり、セバスは現在帝都支店に出向いているため、ナザリックで待機していたところをシャルティアが一時的に主の護衛任務を解かれて帰還したと聞き、頼み込んでこうして連れてきて貰ったのだ。

 

「構いんせんよ。わた──わらわも久しぶりに来たいと思っていたでありんすぇ。お姉様?」

 シャルティアはニンマリと口を開いて笑いながら、わざとらしくここでの設定である姉と呼ぶ。彼女の眷族であるブレインに淹れさせた紅茶に手を伸ばし、一口飲むなりピクリと眉を顰めた。

 

「チッ」

 これまで楽しそうにしていた表情が一変し、思い切り舌打ちすると同時に、瞳に朱が差す。

 ソリュシャンも飲んでみるが確かに渋みが出ていてあまり美味しくはない。

 もっともナザリックの物ではなく現地の茶葉で淹れられた紅茶ならばこんなものかもしれないが。

 

「あのクズ。練習しておくように言い含めていんすのに。後で躾のために連れて行ってもよろしいかぇ?」

 

「私は構いませんが、一応アインズ様にご許可を取った方がよろしいかと。例の戦士長が時折あれに会いに来ていますので」

 

「戦士長? どんなのでありんすか?」

 

「周辺国家最強とかいう剣士です。カルネ村でアインズ様に救われ、一度この店に招かれてシャルティア様とも対面したと聞き及んでおります」

 

「ああ。あの男。いくらアインズ様がご許可を出したとはいえ、いと尊きお名前を呼ぶ不遜な奴だったことは記憶していんす」

 

「恐らくは、例の第一王子がアインズ様に行った無礼を詫び、再度アインズ様にお取り次ぎを願う算段なのかと」

 

「……まったくどいつもこいつも、人間は本当に己の分を弁えないゴミばかり。さっさと力で支配してやった方がてっとり早いと思いんせんかぇ?」

 もう紅茶を飲む気は失せたらしく、ソーサーの上にカップを置いたシャルティアは、ソリュシャンに試すような眼差しを向けた。

 

「それはアインズ様がこれまで下等な人間たちを相手に行ってきた経済による支配を否定する行いになります。シャルティア様、滅多なことは口にしない方がよろしいかと」

 

「ふふっ。嘘よ、嘘。冗談。そんな怖い顔をしないでくんなまし」

 もちろん本気で言ってはいないだろう。

 そんなことは分かっている。

 前にもこんなやりとりをしたことがあった。いやあの時はシャルティアとセバスが行ったやりとりだったが、彼女は確かその時のことを忘れているはずだ。

 となるとシャルティアがこうしてわざと失言をして相手を試すような真似をするのは癖なのだろうか。

 

「はい。そのようなことは無いと承知していましたが、敢えて口に出させていただきました」

 にっこりと笑って告げるとシャルティアは感心したように何度か頷いた。

 

「この店に配属になってソリュシャンも少し変わりんしたねぇ」

 

「アインズ様から人の行動を観察し、成長するようにと言われていますから」

 話しながら最近はあまりこの店に顔を出さなくなった主のことを想う。

 近頃は空室のままになっている最上階にある主の部屋を掃除するのはソリュシャンの役割だ。

 我儘な令嬢という配役を任されている者がするべきことではないが、ソリュシャンは基本的に店には出ない。何より人間たちやブレインに主の部屋を掃除するなどという大役を任せるわけにもいかないと宣言し、ソリュシャンが勝ち取った仕事だ。今回ソリュシャンが店に来たかった理由も、掃除をして主がいつこの店に来ても良いように完璧な状態を保ちたいと考えたからだ。

 もっとも流石にシャルティアを置いて掃除にも行けないのでこの茶会が終わってからと考えているのだが。

 

「そう……ソリュシャン。舞踏会の話は聞いていんすか?」

 唐突に話が変わる。

 これも割といつものことなのでソリュシャンは戸惑うことなく、思考を切り替えた。

 

「王国での舞踏会での話ですか? 報告書で確認はしましたが──」

 直接現場を見ていたわけではないが、その時の対応で王国に見切りを付け作戦が変わったと聞いている。

 それがなければもっと主がこの店にいてくれたかと思うと苛立ちを感じるところでもあるのだが。

 そう言ったソリュシャンにシャルティアは違う違うと笑って手を振り、瞳を細めてソリュシャンを射抜いた。

 

「帝国での祝勝会の話よ。帝国の皇帝が帝都の店に来た時に祝勝会は王国同様、舞踏会形式にすると言っておりんした。ついてはパートナーの名前を入れて招待状を送るとのことでありんすぇ」

 

「舞踏会、ですか。それでアインズ様はなんと?」

 前回の王国でのパートナーはアルベドだったが、今回もそうなのだろうか。と思っての問いにシャルティアは細めていた瞳を見開いた。

 

「アインズ様は決まったら返答すると仰っていたでありんす。とは言え、アルベドはそう何度もナザリックを空けられないでしょうし、そのつもりならアインズ様が即答したはず。となると──」

 楽しそうな笑みを浮かべたまま、シャルティアは指先を自分、次いでソリュシャンに向けた。

 

「私たちのどちらか、ということですか? 確かにパートナーとしてダンスを練習したのは私たちだけですが……」

 その瞬間、シャルティアが何を言いたいのか理解した。

 ようはその舞踏会でのパートナーを自分に譲れと言いたいのだ。

 仕事であっても舞踏会でパートナーを務めるというのは、正妻の座を狙っているシャルティアにとっては同じく正妻を争うアルベドに差を付けられないためにも重要なことだ。

 主の正妻問題はアルベド派とシャルティア派に分かれて以前から水面下で勢力争いが起こっている。

 姉妹間でもそれは同様で、シャルティアを苦手としている長女のユリとルプスレギナ、そしてナーベラルが支持を表明しているアルベド派に対して、シズとエントマが特にどちら派でも無い中立派である以上、シャルティアを率先して支持しているのは自分くらいなものだ。

 その意味でもここはシャルティアに譲り、彼女のアピールチャンスを増やすのが側室を狙っている自分にとっても最善だ。

 それは間違いないのだが──

 

「アインズ様がお決めになることかと」

 気づけばそんなことを口にしていた。

 もちろんそれも当然の話だ。仮に主が自分を選んだ場合、謙遜してシャルティアに譲ろうとする方が問題である。

 シャルティアもそのことは知っているだろうから、彼女がここで聞きたかったのはもしどちらか自由に選べと言われた時には必ずシャルティアに譲るという確約だったに違いない。

 それを敢えて外したソリュシャンの考えを、シャルティアは一瞬で看破した。

 

「ふぅーん?」

 しまった。と思った時にはもう遅い。

 シャルティアの瞳に加虐心が混ざる。

 彼女と自分の趣味は似ている。だからこそ、その瞳の意味が容易に理解できた。

 

「貴女もそう、なんでありんすね? アルベドも言っておりんした。最近ナーベラルの自分への報告が疎かになっていると。あの娘が仕事の手を抜くはずもないでしょうし、何の話かと思っていたのよ」

 シャルティアの言葉にはソリュシャンにも思い当たるところがあった。確かにナーベラルはアルベドを支持しており、定例の月例報告会でエントマとシズにあれやこれやとアルベドの良さを語っているようなことがあったが、ここ最近それがなくなっていた。

 代わりに自分が随行した主、もとい冒険者モモンの素晴らしさを自慢げに語るようになっていた。

 

(まさかあの娘、本気で? いえ、本人も気づいていない可能性もあるわ。私も煽ってしまった手前もあるし、少し気をつけるように言うべきかしら)

 そもそも主の正妻にアルベドとシャルティアが推されているのは、あくまで彼女たちが率先して主の寵愛を求めていることに加えて、定められた地位が理由である。各階層を守る守護者、そしてそれらを纏める守護者統括の地位に就く二人ならば、主のすぐ側に立った時に相応しいと考えられるからだ。

 だがそれとは別に本来は至高の御方に創られた者は同格という考え方もあり、ナーベラルが無自覚に側室の座では我慢できずに正妻の座を狙っている可能性もある。

 

「ソリュシャン?」

 

「いえ。シャルティア様、私はそのような大それたことは考えておりません。あくまでシャルティア様がアインズ様の正妃となったとき、ほんの僅かでも私にもお情けをいただければそれで十分でございます」

 

「……なるほどねぇ。ま、至高の御方であらせられるアインズ様が、妃を一人しか持てないというのも奇妙な話だとは思っていんす。第一妃がわたし、ということだけ忘れなければそれで構いんせん」

 

「承知いたしました」

 機嫌良さそうに笑うシャルティアにとりあえずパートナーの件は誤魔化せた。と内心で安堵すると同時に側室として主の側に立つ自分を想像し、ゾクリと背筋に快感が流れた。

 

「その時は私も練習の成果をご披露させていただきますので」

 

「ん? 何か言いんした?」

 首を傾げるシャルティアにいいえ。と答えながら考えるのは以前この店で主から告げられた、今回の作戦成功の暁には褒美を取らせるという約束のこと。

 それをソリュシャンは片時たりとも忘れたことはない。その日に向けて今も研鑽を重ねている。

 必ずやあの美しい玉体を磨き上げる栄誉を賜ってみせる。

 以前主はそう願った自分を、彼女の創造主であるヘロヘロ様に悪いからと断り、彼女自身納得もした。しかしよくよく考えてみれば、確かに自分は三吉君とは異なりそのために創造された訳ではないとはいえ、それをするなと命じられた訳でもない。そして主とともに入浴し、体を磨き上げたいというのは紛れもなく彼女の意志によって生まれた願い。

 常に配下の成長を願う主ならば必ずや、自分の願いを聞き届けてくれることだろう。

 

「早くその日が来るとよろしいですね」

 お互いのために。とは口に出さず、少しでも早くその日がくるのを心待ちにしながら、ソリュシャンは笑みを深めた。

 

 

 ・

 

 

「ウロヴァーナ辺境伯はこれで大丈夫」

 協力者であるレエブン侯から別人を装って届けられた暗号仕立ての手紙を読みながらラナーは呟く。

 自分の影に潜んでいるであろう魔導王の宝石箱から送り込まれた悪魔に聞かせるためでもあった。

 王派閥の六大貴族で唯一、バルブロを支持していたウロヴァーナ辺境伯がこちら側に転んだのだ。

 六大貴族では最も老齢であり、だからこそ伝統──悪く言えば古い考え方──に縛られて王位継承権が最も高いというだけでバルブロを支持していた老人だ。

 だが辺境伯という他国の動向に敏感な立場である以上、魔導王の宝石箱が他国に付いた際の損失には一定の理解を示した。レエブン侯の説得もあり、それを台無しにしたバルブロに見切りを付けたのだろう。

 これで少なくとも王派閥は誰も反対することなく、魔導王の宝石箱を受け入れることができるようになった。

 そして何より今回のことで、バルブロを完全に貴族派閥に押しつけることにも成功した。

 後は切り捨てるタイミング。

 もっともそれを決めるのはラナーではなく、彼らなのだが。

 以前アインズを試した結果彼らの信用を失った──初めから大して信用などなかっただろうが──ラナーは今のところ言われたことをただミスなく正確に、そして手早く進めることでしか点数を稼ぐことはできない。

 そのことがもどかしいが、仕方ない。

 あちらはあちらで大規模な作戦を立てているのだから、少なくともそれまでは王国に構っている暇など無いだろう。

 

「さて、次ね」

 

「──失礼します」

 聞き慣れた声に、ラナーは即座に笑顔の仮面を被り直す。

 ノックをせずに入るように懇願したのはラナー自身だ。ラキュースあたりなら部屋に入る前からその存在に気づくのだろうが、ラナーにはそんな芸当はできない。

 だがそれが良い。

 このいつ来るか分からない感覚が楽しいのだ。

 

「あら、どうしたのクライム。今は鍛錬の時間ではないの?」

 首を傾げて不思議そうに問う。

 口ではそう言うが今回の来訪については予想はできていた。何しろそろそろ約束の時間だ。

 

「はい。それが──」

 

「ラナー、私よ。入っても良い?」

 扉の向こう側から声が掛かる。予想通り彼女がクライムを連れてきたらしい。

 本来案内をするべきメイドをここに連れて来させない目的もあったのだろうが、才能が無いと知りつつラナーのために努力をする可愛らしい愛犬の邪魔をして案内をさせるとは、不快な女だ。

 

「あら。ラキュースも一緒なの?」

 如何にも嫉妬しています。と言いたげな頭の軽い声を出しながら、ラキュースを迎え入れる。

 

「ごめんなさい。でも緊急の要件ならメイドには知られない方がいいでしょ? どこと繋がっているか分かったものじゃないんだから」

 軽快な笑顔と共に入ってきたのはラキュース一人だ。

 ほかの者たちはまだ失った生命力を取り戻すための特訓とやらをしているのだろう。

 

「そうだけど。クライムだって忙しかったんでしょ? 大丈夫だった?」

 

「はい。問題はありません。アインドラ様に剣の助言をいただくこともでき、とても有意義な時間でした」

 

「あまり大っぴらには言えないけどね。うちのガガーランも教えていたみたいだし、クライムの時間を貰った以上少しくらいね」

 片目を伏せながら声を小さくしてラキュースが言う。第三とはいえ、王女の従者が冒険者に教えを請うというのは外聞が良くはないので、いつもこそこそと教えているらしい。

 

「そうなの? だったらいいんだけど……」

 教えたところで、クライムが蒼の薔薇やガゼフに追いつく事はないだろう。ましてや強さという意味でも超越しているアインズたちがいる以上意味など無いのだが、ラナーのために努力しているときのクライムの瞳は格別だ。

 そう考えると良くやってくれたと思うべきなのか。

 

「それでラナー。今日はどうしたの?」

 

「ええ。それなんだけど……皆さんの調子はどう?」

 

「ガガーランとティナのこと? ええ、もう大分回復して、限定的だけど仕事にも復帰して貰っているわ。そこでの戦いで力を取り戻したみたい。話はそれ? 八本指のことよね」

 ラキュースの瞳に意志が籠もる。

 蒼の薔薇の二人が回復するまで中断していた、八本指に関する依頼を再開して欲しいという話だと思ったようだが今更だ。

 もはや八本指に大した価値はない。

 今やアインズらの下部組織ということを考えれば、手を出す方がかえって問題になる。

 

「いえ、そのことではないの。八本指は最近地下に潜っているようだから、探すことも難しくなったわ。それよりもっと恐ろしい脅威が迫っているの」

 話をする時にいつも使用する円形のテーブルに、ラキュースと拒否しようとするクライムを無理矢理座らせて話を始める。

 

「帝国の帝都に現れた悪魔の話なんだけれど。ラキュースは聞いている?」

 

「ああ、一時そんな噂があったわね。いえ、噂と言うより帝都に悪魔が現れたのは本当らしいけど、それ以上のことは知らないわ。あまり大きな問題になっていないようだったし」

 そう。帝国というより皇帝ジルクニフの情報操作によって、帝都で暴れ回った悪魔ヤルダバオトの被害はそこまで知られていない。

 冒険者として情報収集にも力を入れているはずのラキュースたちも知らないのは流石と言える。

 

「その悪魔の情報を集めて欲しいの。私の勘なんだけれど。早めに情報を集めておかないと大変なことになると思うの」

 

「どういうこと?」

 

「その悪魔と同じ名前の悪魔が聖王国に出現したという噂があるのよ。帝都で暴れた悪魔が今度は聖王国……気になるわ」

 

「いずれ王国にも現れると?」

 

「そもそも聖王国に現れたということは、帝国の戦力では倒せなかったということになるわ。帝国、それも帝都での最大戦力と言えば──」

 

「フールーダ・パラダイン。英雄すら超える逸脱者、よね。確かにそれは心配ね」

 アインズの話はする必要がない。それは彼女たちが情報収集の最中で見つけてもらわなくてはならないことだ。

 

「お願いラキュース。私、貴女たちしか頼れる人がいないの。王国が派閥争いで大きく揺らいでいる状況でそんな悪魔が現れたら……」

 あくまでも王国の無垢な民を心配する王女の演技をしながら手を震わせる。

 

「ラナー様……」

 クライムの声がかかる。手を握ってこないのが少しだけ残念だ。

 

「ええ。分かったわ。仕事を中断している借りもあるし、私たちが調べるわ。まずは帝国……は難しいから、エ・ランテルで情報を集めてくる。三国の要所であるあそこなら何か情報が入っているかも知れないから」

 

「お願い。でもくれぐれも無理はしないでね」

 

「大丈夫よ、情報収集だけだもの」

 そう、今は情報収集だけだが、この先はどうだろうか。

 そこまではまだ知らされていないが予想はできる。

 果たして今度の予想は当たるのか、それともまたアインズの叡智がラナーの予想を上回るのだろうか。

 どちらにしても楽しい見世物になるだろう。

 自信ありげに頷くラキュースに、ラナーは微笑みを返した。




次は普通に一週間後に投稿します

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