サーティ・プラスワン・アイスクリーム   作:ルシエド

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姫様は美しかった。彼は汚かった

 ソーシャルゲーム一年くらいの間でいいから滅びてくれないかな、と少年は思った。

 少年の名は佐藤朔陽(さとう さくひ)。高校三年生。

 彼の幼馴染、若鷺和子(わかさぎ わこ)は引きこもりであった。

 

 彼は幼馴染をまっとうに社会復帰させたいと考えている。

 そのためにユーザーの時間をお手軽にゴリゴリ削るソーシャルゲームに滅びて欲しかった。

 隙あらばスマホを弄る幼馴染を見るたびに、「バイト中でもスマホいじっちゃいそうだ……」と朔陽は頭を抱えてしまう。

 せめて一年。

 幼馴染を社会復帰させるために、ソシャゲに止まっていてほしいのだ、彼は。

 彼の中におけるソシャゲは、ゴキブリや蚊と同じくらい滅びて欲しいものであった。

 ソシャゲに対して彼自身は恨みも憎しみも無いというのが悩ましい。

 

「和子ちゃん、準備できた?」

 

「ま、まだ」

 

 そんな彼の努力の甲斐あって、なんと和子は今部屋を出て学校へ向かおうとしている。

 本日彼らは春の修学旅行。

 彼の根気強い説得が形を結び、若鷺和子は今日、学校に復帰する勇気を出したのだ。

 

 彼と彼女は、同じ高校・同じクラスに通う三年生。

 彼らの学校は少し特殊で、一年生の時のクラス分けが三年生になっても継続される、三年間ずっと同じクラスメイトと過ごす高校なのだ。

 少々特殊な所もあるが、それなりに普通な高校であると言える。

 彼女は今日の修学旅行で、学校復帰の再スタートを切ろうとしているらしい。

 

「君は特例で引きこもりなのに出席日数補填されてるんだから、遅刻はしちゃ駄目だよ」

 

「うぅ」

 

「でも大丈夫。遅刻さえしなければ、後はどうやって皆に馴染んでいくかだけだから」

 

 引きこもりの和子は、旅行の準備ももたもたしていて、話し方もどこか拙い。

 遅刻はしないようにと釘を刺しつつ、それでも急かさず、朔陽は彼女の呼吸に合わせた会話のペースを維持する。

 やがて、準備万端になった和子が部屋から飛び出して来た。

 

「じゅ、じゅ準備、出来た」

 

「それじゃあ行こうか」

 

 若鷺和子の容姿は、人並み以上に優れている部類に入る。

 引きこもっていた内に伸びに伸びていた彼女の髪は、朔陽が無理矢理連れて行った美容院の人がビューティフルに整えてくれたお陰で、綺麗な黒の長髪に生まれ変わっていた。

 身長は150cm前後で、引きこもっていたせいか日に焼けていない白い肌が美しい。

 誰がどう見ようと美人な容姿だ。

 だが朔陽からすれば見慣れた幼馴染の姿でしかなく、彼に言わせればベロリンガの方が性的興奮に値する存在だと言えるだろう。

 

 対し佐藤朔陽の容姿は平凡だ。

 駅前の二千円で髪を切ってくれるところで「短めにすいてください」と毎回適当な注文してるんだなこいつ、とよく分かる普通の短髪。

 アイドルをやっていたらブサイクだと言われるような、けれど校内であれば上から数えた方が早い程度にはいい顔つき。だが決してイケメンではない顔。

 和子の顔面偏差値が75なら、彼は55といったところか。

 だが"この人にくっついてれば大丈夫"という寄生根性丸出しの和子は、学校でも彼が自分を守ってくれる、友達を紹介してくれる、と信じて疑っていなかった。情けない。

 その信頼の大きさがほぼイコールで、彼に向けられる異性的好意となっていた。

 

 彼の後ろに付いて行くのが楽なので、彼のバックを取ろうとする和子。

 いや横に並んで話しながら行こうよ、という思考からバックを取らせない朔陽。

 二人は巧みな駆け引きでちょろちょろ動き回りながら、やがて学校に辿り着く。

 

「はい、到着」

 

「も、もう? こ、心の準備が……」

 

「心の準備以外の準備は全部してきたでしょ?

 挨拶の練習、荷物の用意、イメージトレーニング。多分、大丈夫だよ」

 

 ごく普通の世界。

 ごく普通の日本。

 ごく普通の日常。

 朔陽は、そんな『普通』が変わりそうな気がしていた。

 それは幼馴染が社会復帰の一歩を踏み出したから、今日が修学旅行だから、という理由だけでは説明がつかないほどに、明確に胸に浮かぶ違和感だった。

 

「オッス委員長」

「委員長くんおっはよー! ビバ修学旅行!」

「朔陽、今日はいい天気だな。晴れて良かった」

 

「皆おはよう。あ、知ってる人も居るだろうけど改めて紹介するね。

 この子がうちのクラスに在籍してたけど登校して来なかった僕の幼馴染、若鷺和子だよ」

 

 朔陽は学級委員長だ。

 少々問題児も居るこのクラスのまとめ役。

 一年生から三年生までクラスメイトが変わっていないのもあって、朔陽に向けられる周囲の信頼は確かなものであるように見えた。

 委員長の誘導でクラスの皆が和子に群がる。

 和子はソシャゲをするふりをして話しかけて来るクラスメイト達から逃げようとしたが、朔陽にスマホをあっさり取り上げられてしまった。

 

「ああっ、サクヒ、返して……」

 

「ちょっとでいいから頑張ろう、ね?」

 

 そして副委員長の大沢桜花(おおさわ おうか)の下へ行く。

 和子にも負けない和服美人。

 黒のポニーテールに桜色の和服という出で立ちの桜花は、クラスメイト達の中でも特によく目立っていた。

 彼女はいつでも和服だ。

 プールの日、プールサイドでも和服。

 体育の授業でも、冬のマラソンでも和服。

 入学式でも始業式でも和服。

 土日に遊びに誘っても和服。

 和服・オブ・和服。

 

 このクラスの女子は密かに、彼女の和服に麻薬効果でもあるんじゃないかと疑っている。

 

「おはよう、桜花さん」

 

「おはようございます。佐藤さん、火神楽さん欠席の連絡は聞いていますか?」

 

「え? あの人また? 今度はどうしたの?」

 

「今デトロイトだそうで」

 

「ええ、あの人またなんだ……」

 

「点呼は副委員長の私がやっておきます。幼馴染の子に気を遣ってあげてください」

 

「ありがとう、大沢さん」

 

 桜花の気遣いに、朔陽は深く頭を下げて踵を返す。

 彼女は優秀だ。何か問題があれば委員長である彼にすぐ伝えてくれる。

 よって現在は、一人欠席していること以上の問題はないということなのだろう。

 この学園の理事長の孫である彼女は、学校が把握していることは大体把握している。

 

「その……佐藤さん。

 若鷺和子さんが貴方の幼馴染であることは把握しております。

 邪推ならそれでいいのですが、もしや恋人というやつなのですか?

 幼馴染から自然と恋人に、というのは王道。

 夜毎愛し合う男と女は絡み合い、ポッキーをチョコワに入れるように……きゃー!」

 

「桜花さん、今度はどんな少女漫画読んだの?」

 

 箱入りのお嬢様なので、最近読んだ漫画にすぐ影響される。

 すぐむっつりな妄想をする。

 指定の制服がある学校に和服で通うお嬢様主人公の漫画を読んで、影響され、理事長の力も使わず速攻で校内政治活動を開始して校則を変え、和服登校を許されたバカ。

 自身を拘束する校則を高速でぶっ殺した女。

 副委員長・大沢桜花は公然とそう呼ばれる女であった。

 

「皆ー、バス乗ってー! 話は後にしよ後に!」

 

 朔陽が皆に呼びかけ、皆がバスに乗っていく。

 後に残されたのは、進行に詰まったプレイヤーが操作するRPG主人公の如く、右に左にうろうろしている和子だけであった。

 

「友達出来た? 和子ちゃん」

 

「出来なかった……」

 

「皆とお話できた?」

 

「サクヒのこといっぱい聞かれた……」

 

「楽しかった?」

 

「……ちょっとだけ」

 

「うん、それならいいかな」

 

 はにかむ和子を見て、朔陽は少し満足そうな表情を見せる。

 そして二人でバスに乗り込み、隣同士の席に座った。

 

「佐藤さんの代わりに皆さんの点呼をします、大沢桜花です。

 皆さんバスに乗りましたね? では再度点呼をします。

 私が出席番号順に皆さんの名前を呼びますので、返事か挙手をお願いします!」

 

「あ……副委員長さんが、サクヒの代わりに点呼取ってる……」

 

「桜花さんはあれで気遣いの鬼だからね」

 

「藍上亜神! 井之頭一球! 宇喜多うらら! 江ノ島天使(エンジェル)! 大さ……あ、これは私だった」

 

 バスが走り始める。

 道に飛び出してきたイノシシを強化装甲バスの前面が平然と跳ね殺した。

 側面の窓から景色を眺める朔陽と和子。二人の目に映る世界はとても美しい。

 

「唐谷翔! 木之森切子! 九条倶利伽羅! 剣崎敬刀! 恋川このみ!」

 

「どう? 和子ちゃんはこのクラスでやっていけそう?」

 

「ん……優しそうな人、多かった」

 

「いい人達だよ。それは僕が断言できる」

 

「でもサクヒには近くに居て欲しい……会話が続かないから……

 サクヒが居ればきっと、サクヒの友達も私の友達になってくれる……

 ……それに、サクヒが近くに居てくれると心強い。

 できれば、ご飯とかお洗濯とかお掃除とかも、サクヒにずっとやって欲しい……」

 

「和子ちゃん、その方が楽だからって寄生思考はやめようねー」

 

「佐藤さんは飛ばして島崎詩織! 須藤慧夢! セリス・セーヴィング!」

 

 幼馴染に頼り切りの和子の情けない願いを、朔陽はバッサリ切り捨てた。

 イヤホン装備のスマホでゲームをしながら自転車片手運転、という自殺運転でフラフラ車道に出て来た自転車がバスに跳ね飛ばされ、乗っていた人間は華麗に歩道に着地する。

 朔陽と和子が窓から見る景色は青く、空も海も美しかったが、これから先修学旅行で見る景色はもっと美しいかもしれない……という期待が、二人の胸の内に満ちていた。

 

「セレジア・セーヴィング! 田村たつき! 千ヶ崎張飛! 津軽辻! 手嶋天使! 董仲穎!」

 

「あれ、和子ちゃんお菓子持って来たんだ」

 

「うん。

 お菓子があれば話が弾む。

 だからいっぱい持ってきた。

 きのこたけのこ、アルフォート、ハイチュウ、小枝、コアラのマーチ。

 スニッカーズ、アポロチョコ、ポッキー、じゃがりこ、チロルチョコ。

 ひもQ、麦チョコ、メントス、ポテチうすしお、エンゼルパイ。

 カラムーチョ、ぷっちょ、チョコボール、肝油ドロップ。

 ビックリマンチョコ、麩菓子、三個の中の一個だけ凄くすっぱいガム……」

 

「おやつは300円までという概念に対する冒涜っ! 限度知ろう和子ちゃん!」

 

「多くて困ることはない」

 

「持ち運びに困るでしょうが。どうやって持って来たのさそれ……」

 

 点呼を続ける副委員長の声を聞きながら、朔陽は和子が突如取り出した信じられない数のお菓子に戦慄する。明らかに修学旅行中に食い切れる量では無かった。

 

「成瀬なごみ! 二之宮新稲! 縫川鵺! 子々津音々寧々! 野口希望!」

 

「サクヒは、わ、私のために真剣に本気で動いてくれてる。

 だったら私も、サクヒの真剣に応えるために、私なりに本気を出さないと……」

 

「そういう思考なの? ……うーん、でも和子ちゃんが前向きなのはいいことか」

 

「私も友達欲しい」

 

「出来るよ、絶対。僕は和子ちゃんがいい子だってこと、ちゃんと分かってるから」

 

「浜崎嵌造! 火神楽さんが居なくて藤浪不動! 辺見ヘリオガバルス! で、若鷺さんと」

 

 バスが道中半ばで小石を跳ねた頃、副委員長の点呼もまた終了した。

 

「あ、でもこれから僕らが行く先には、曽川先生が居るんだ。

 先生達は先に行って現地で待ってくれてるからね。

 お菓子見つかったら取り上げられちゃうよ? わかってる? 大丈夫?」

 

「えっ」

 

「同室の人と友達になって上手く協調して、見つからないように隠すんだよ?」

 

「ん、頑張る」

 

 バスは進む。

 

 そして、突如異世界から飛び出して来た異世界の魔術師を跳ねた。

 

「ひげぶっ」

 

 異世界から勇者を探しに来た魔術師は、跳ねられたショックでうっかり召喚魔術を発動。

 ついつい運転手を除いたバスの中身全員を召喚対象に指定。

 勢い余って全員を異世界に召喚してしまった。

 

「あっ、やべっ」

 

 彼らを事故で勇者に選んでしまった異世界の魔術師は、後に語る。

 

 俺がこの件で業務上過失の罰則食らうの納得いかねえよ、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 腹痛で駆け込んだトイレの紙が無かった時の衝撃に近い、『完全なる予想外の一撃』。

 修学旅行に向かうバスの中で異世界に吹っ飛ばされるなど、誰が予想できようか。

 かくして彼らは、ごく普通の世界から、異世界へと飛ばされた。

 別の世界から誰かを召喚しなければ、どうにもならない、そんな世界に。

 

「……ここ、どこ?」

 

 空には太陽と、自発的に輝く二つの月。

 絵の具をぶちまけたような多種多様な色合いの森。

 その辺を歩いていたゴリラが大きな犬に丸呑みされ、犬が大きなヘビに丸呑みされ、ヘビが大きなカエルに丸呑みされ、カエルが大きなナメクジに丸呑みされた。

 各々がスマホを見れば電波も圏外。

 木にくっついたセミがニャーと鳴いている。

 どこを見てもおかしい、地球ではないと確信できる、そんな世界であった。

 

 クラスの変わり者、野口希望(のぐち のぞむ)が歓喜に叫ぶ。

 

「こいつは……間違いねえ! 異世界転移だヒャッハー! やったぜサトー!」

 

「異世界転移って何?」

 

「聞いたなサトー。異世界転移ってのはなあ……」

 

 ある種の娯楽小説が大雑把にジュブナイルと呼ばれていた時代から、ライトノベルと大雑把にまとめて呼ばれて居た時代まで、熱くネット小説について語る希望。

 彼は語った。

 そりゃもう熱く語った。

 普通の人が引くくらい語った。

 周りの反応も見ずに、である。

 周囲からの"やっぱコイツ変な人だ"という致命的な低評価と引き換えに、希望はクラスメイト達に異世界転移のなんたるかをみっちり教えていく。

 恐れを知らず行動し、他人を救うのが勇者であるのなら、野口希望は間違いなく勇者であった。

 SNSにチ○コの自撮り写真をアップロードするタイプの勇者である。

 

「なんとなく分かった。RPGとかで使われてる世界観っぽい世界ってことだね」

 

「よく分かってんじゃんサトー」

 

「ありがとう希望くん。君のおかげだよ」

 

「俺ほど異世界転移に詳しい奴も居ないからな?

 困ったら俺に聞けよ。テレビでよくやってる

 『専門家に聞いてみました』

 のノリで聞いてくれ、統計学的にも応えてやるぜい」

 

 異世界転移小説の統計学ってなんだよ、と思えるほどに、異世界転移小説に馴染み深いクラスメイトは存在しなかった。

 異世界に来たと聞き、クラスメイトの反応は十人十色。

 

「ファンタジーの異世界だなんて……そんな」

 

「怖い……」

 

「ファンタジーなんて現実にあったのか……」

 

 この現実が受け入れられない者。

 ただ単純に怯えている者。

 ファンタジー世界がある、ということ自体が信じられない者。

 

「すげー、月が二つあるぞ」

 

「マジだー」

 

「どうするアル、イインチョ? いいんちょに従うヨ?」

 

 単純にワクワクしている者。

 ただのアホ。

 特に脅威も危機感も感じていないが、具体的に何か考えているわけでもない者。

 ただ、皆の思考で共通している部分もある。

 このクラスのリーダーであり、学級委員長である朔陽の指示を待とう、と考えている部分だ。

 

「話し合いしよっか。僕に呼ばれた人は集まって! これからのことちょっと話そう」

 

 朔陽は落ち着いて、考えるのに長けたクラスメイトを集めようとする。

 近くに居た副委員長大沢桜花、異世界転移厨の野口希望、オドオドと挙動不審になっていた幼馴染の若鷺和子と声をかけていき、クラスの頭脳を構築していく朔陽。

 一方、その頃。

 自分が役に立つと思っていない脳筋野球部・井之頭一球(いのがしら いっきゅう)は、考えることをクラスメイト達に丸投げし、立ちションのために移動していた。

 

(ふぃー小便小便。パーキングエリアで出しときゃよかったな)

 

 彼のテストの成績はかなり高い方だ。

 が、こういう時に物事を考えるのに必要なのは学校のテストで測れるものではなく、もっと本質的な思考力であることを、野球部井之頭は理解している。

 彼は「貧乳を断崖絶壁と表現する奴が存在する。だがそれなら火曜サスペンスのラストは、毎回貧乳を見せに来てる児童ポルノみたいなもんじゃねえか?」とか朔陽に言ったりする程度には頭が悪い。学力が高いだけなのである。

 

 こっそり木の陰でお花摘み(比喩表現)をする。

 だが彼の花に水をやる行為(比喩表現)は予想外の結果を生んだ。

 適当に何も考えず放出系念能力(比喩表現)を放った一球は、ふと上を見上げ、自分が小便をひっかけていた岩のようなものが、なんであるかに気付いた。

 

 

 

「……ドラゴンだァッー!」

 

 

 

 全長20メートルはあるドラゴン。

 彼が叫んだのは、クラスメイトに伝えるため。

 ドラゴンに見つかり襲われることも覚悟の上で彼は叫んだ。

 それは、仲間と協調して戦う野球部の誇りである。

 されど状況は悪化する。

 叫んだことでドラゴンは一球を睨み、一球のレモンウォーター(比喩表現)は現在進行形でかけ続けられている。出し切られていないのだ。これでは身動きができない。

 野球部部長井之頭一球、生涯指折りの危機であった。

 

「貫けェッ!!」

 

 だがそこで彼は発想を逆転させる。

 股間のレモンウォーターの放出力を一気に引き上げたのだ。

 機械のウォーターカッターが鋼鉄を容易に切断するというのに、男のウォーターカッターがドラゴンの尻尾を切れないものだろうか? いや、ない。

 アンモニアブレードは容易にドラゴンの尻尾の先端部分を切り落とした。

 小便という屈辱と切断という激痛に、ドラゴンが派手に咆哮する。

 

 アンモニアホームランを決めた一球はその隙に、クラスメイト達が待つベンチへと帰還した。

 

「グルルルル」

 

 ドラゴンは普通の子供達が森の中に三十人も居るのを見て、その中から一番食べやすそうな人間を選ぶ。

 そうして、朔陽がターゲッティングされた。

 焼き加減はレアが大好きなドラゴンは、朔陽をステーキにするべく火球を吹き出す。

 

「―――!」

 

 瞬間、クラスメイトの一部が警戒し。一部が脅威の低さに動くのを辞め。一部が動いた。

 

 誰よりも速く動いたのは本日社会復帰の引きこもり、和子であった。

 走り、跳び、朔陽を抱えて吐かれた火球を回避する。

 その速度、まさに稲妻の如し。

 朔陽を抱えたまま和子は縦横無尽に跳び回り、残像は分身と化す。

 その分身がドラゴンの目を惑わせた。

 

「さ、サクヒ、大丈夫?」

 

「ありがと和子ちゃん」

 

 地球世界の薩摩示現流には、『雲耀』という概念がある。

 『示現流聞書喫緊録』によれば「時刻分秒絲忽毫釐」と謳われる。

 一日を十二時、一時を八刻二十八分、一刻を百三十五息、一息を一呼吸とする。

 それを更に短く切り分け、一呼吸八秒、一秒十絲、一絲十忽、一忽十毫、一毫十釐とする。

 その釐の十倍の速さが『雲耀』。

 秒数にして0.0001秒単位の世界。これを、薩摩の剣士は稲妻に例えた。

 この雲耀の間に動くことが奥義である、と薩摩示現流では伝えられている。

 

 和子の一歩はその域にあった。

 

「ドラゴンなんてファンタジー存在、見ることになるなんてなっ!」

 

 一瞬遅れ、続々と子供達がファンタジーへと挑み始めた。

 空手部が飛びかかり、ドラゴンの喉の鱗を指で掴み引きちぎった。

 鱗を引きちぎられたドラゴンがまた火球を吹くが、野球部が手にしたバットで打ち返す。

 顔面に火球を打ち返され、悶えたドラゴンの顔面にクラスの不良が拳の連打を叩き込んだ。

 

 空手の達人・大山倍達は十円玉を指の力だけで折り潰したという。

 ならば空手部の部長ともあろうものが、ドラゴンの鱗を指の力で引き千切れないものだろうか?

 いや、ない。

 

 合気道創始者・植芝盛平は銃弾を回避したという。

 ならば野球部の部長であるほどの男が飛んで来るドラゴンの炎を見切れないものだろうか?

 いや、ない。

 

 プロボクサー長谷川穂積は、1秒間に10発パンチが打てるという。カイリキーは2秒で1000発のパンチを打てるという。

 ならば日々喧嘩をしている不良がそれに比肩する速度で拳を打てないものだろうか?

 いや、ない。

 

「剣崎くん!」

 

「応ッ!」

 

 朔陽に呼びかけられた剣道部が跳び、不良に殴られふらついていたドラゴンの首が、剣道部の竹刀に切り落とされた。

 首がごろりと地面に落ちて、首の断面から血が噴き出す。

 

 古武術流派の剣術家・黒田泰治は刃の無い刀で刃の付いた刀以上の斬撃を放ち、真剣でも切れないものを両断して見せたという。

 ならば剣道部が竹刀でドラゴンの首を切り落とせるのは何もおかしなことではない。

 これは精神論ではなく、物理論の話だ。

 

「ドラゴンが小学生に頭部を玩具にされたトンボみたいになってるぅ……」

 

 これこそが、日本の義務教育が子供達に求めたもの。

 かつてゆとり教育に求められたもの。

 日本の教育者達が導こうとした未来。

 

 努力の仕方を知り、運動も出来て、仲間と協調もできる、そんな子供達だ。

 

「流石うちのクラスは頼りになるなぁ。あ、和子ちゃん、もう降ろしてもいいよ」

 

「……そう」

 

「うん、ありがとう。助かったよ」

 

 和子に抱えられていた朔陽が地に足付け、その辺に落ちていた小石を竜の首の断面に投げつける。

 動かない。

 ドラゴンは殺せたと見て間違いないだろう。

 

 彼らは『義務教育』という名の九年間の修行を越えてきた子供達なのだ。

 異世界が最初に浴びせてきた洗礼を軽々と越えて、何の不思議があるだろうか?

 義務教育とは、"学校を出てもその後の人生を問題なく生きていけるように"と願いを込めて、大人達が子供を鍛えるもの。

 義務となる教育が、異世界で生きていけないような弱い子供を生み出すはずがない。

 

「どうするのさ、さっさん。ドラゴンとかこえーよ」

 

「こんなファンタジーな存在が居るなんて今見ても信じられないな……」

 

「んー……とりあえず、ご飯にしよっか。早いけどお昼ご飯に食べちゃおう」

 

 そこからの朔陽の動きは的確だった。

 怯えている女の子は励ます。

 興奮してる男の子はなだめる。

 野生生物解体部の女の子にドラゴンの解体を頼み、木こり遺伝子を持つ女の子にその辺の木を伐採して座れる場所と料理を乗せられる場所の作成を頼み、料理部部長に調理を頼む。

 休憩する時間、休憩する場所が必要だと朔陽は考えた。

 ひとまず皆のお腹を満たして、落ち着いて考える余裕を与えようと考えたのだ。

 彼は周囲の皆の心の状態を、よく理解している。

 

 多くの者が、大なり小なり心に不安を持っていた。

 だが自分の隣に居るクラスメイト達と、揺らがず自分達を引っ張ってくれている委員長の姿に、その心を落ち着かせていたのである。

 

 彼らは普通の高校生だ。

 ファンタジー異世界に放り出されて一人で生きていくのは難しい。

 だが朔陽委員長の指示を聞き、皆で力を合わせれば、どんな厳しい世界でも生きていける。それがチームワークというものだ。

 

「おっ、ドラゴンの肉うっめ」

 

 葉っぱの皿に、荒っぽく焼いた肉。

 味付けも野生生物解体部が持っていた塩のみ。

 にもかかわらず、ドラゴンの肉は美味かった。

 ガストの肉より美味いと全体的に好評である。

 朔陽はドラゴン解体で血まみれになった野生生物解体部の女の子の体をタオルで拭いてあげていたが、なぜか突然クラスメイト達の中から「わっ」と声が上がった。

 

 朔陽がそちらに目を向ければ、クラスの皆に囲まれる和子の姿があった。

 

「あ、あの……お菓子いっぱい、持って来てあります」

 

「マジかよ若鷺さんやるぅ! ってか量が半端ねえ!」

「ありがとね和子ちゃん! でもちょっと持って来すぎだと思うな!」

「うわすっげ……29人で食っても余裕あんなこれ」

 

 自然と、朔陽の口元に笑みが浮かぶ。

 引きこもりの幼馴染を家から連れ出し、外で友達を作らせてやりたいという彼の願いは、ひとまずちょっとばかり叶ったようだ。

 笑みは口元に少しだけ、けれど顔を見れば嬉しそうだとひと目で分かる。

 彼の視線は、娘を見る父親のそれであった。

 

 暖かい目で幼馴染を見守る朔陽であったが、その服の裾を金髪の無感情そうな少女が引っ張る。

 親が適当に名前付けただろランキングNo.1と名高い、辺見ヘリオガバルスだ。

 少女は朔陽の服の裾を引いて、北西を指差す。

 

「朔陽リーダー」

 

「どうしたの?」

 

「北西2kmの距離からこちらへまっすぐに向かって来る人間が居ます」

 

「北西? ここまでまっすぐに?」

 

「はい」

 

「ありがと、へーちゃん」

 

 ヘリオガバルスでへーちゃん。そんな少女に感謝して、朔陽は来る人を待ち受ける。

 やがてやって来た女性は、高三の彼らと同年代ながら、彼らよりもずっと立派で独り立ちした雰囲気を感じさせる少女であった。

 

 ただ流すに任せながらも、美しい銀の長い髪。

 深い色合いの蒼の瞳。

 蠱惑と清楚のどちらとも言える均整の取れたスタイルを、白い布に金の刺繍のドレスが覆い隠している。

 少女は馬に乗っていたが、ドレスの縫い上げ方に工夫があるのか、馬体が舞踏会で着るようなドレスを押し上げて不格好になっているということもなかった。

 

「あなた達が、別の世界からやって来たお方ですね」

 

「いつの間にか僕らが居た世界とは別の世界に居て、僕らも困惑しているんです。あなたは?」

 

 馬からひらりと舞い降りて、少女は恭しく頭を下げる。

 ただの何気ない一動作、馬から降りる所作でさえ美しい。

 馬から降りる彼女の姿を見た誰もが、ひらりひらりと落ちる美しい花びらを幻視した。

 

「私はヴァニラ・フレーバー。フレーバー王家の王女です。どうぞ、お見知りおきを」

 

 王女様! と、朔陽はびっくりしてぎょっとした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 王女様は王族らしからぬ丁寧な応対を、ただの一般人でしかない子供達に対して行った。

 だが、そこに媚びるような印象や卑屈な印象は全く受けない。

 むしろその礼儀正しさに、子供達の方が居住まいを正させられてしまうほどであった。

 

 ヴァニラ・フレーバー王女曰く。

 この世界は魔王のせいで滅亡の危機に瀕しているらしい。

 完全なる不老不死を備えた者。

 生殖欲求を持つ生物に対する天敵となる者。

 あらゆる物理攻撃を無効化する者。

 常識外の侵略者達が、人類の生存権を脅かしているというのだ。

 

 そこでヴァニラ姫は考えた。

 この世界に魔王軍を打倒できる勇者が居ないのなら、別の世界から呼べばいいのでは? と。

 彼女は有能な部下や高名な学者の力を躊躇いなく借り、人海戦術にて研究。

 そしてその果てに、異世界からの助けを呼び出す超古代の術式を発見したのだというのだ。

 

 その術式とは、異世界に人間を送り込み、その人間が異世界の勇者と交渉し、同意を得た上でこの世界に来てもらうというもの。

 召喚対象の勇者の善意頼りではなく、契約履行という形でこの世界を救うというものだった。

 ヴァニラ姫は契約の対価として支払うため、大量の金品や自国内の領地の一部の領有権などを用意し、配下のセバスチャンを異世界へと送り出した。

 その送り出した先が地球だった、というわけだ。

 

 が、やバスぎるバスの跳ね飛ばしによりセバスチャンは重傷。

 バスケットボールのように吹っ飛ばされたセバスチャンが術式を暴走させてしまう。

 術式はオムニバス作品の如く運転手を除いたバスの乗員を個別に、かつ一人残らず対象に選び異世界召喚を行ってしまう。

 結果、多くて数人を召喚する想定が、三十人も呼び出してしまったわけだ。

 バカス極まりない。

 セバスチャンの行動が悪くなかったとはいえ、タバスコ一気飲みでも許されない失態である。

 未知の世界に飛び出し一発で成果を出したバスコ・ダ・ガマを見習っていただきたい。

 

 飛び出すな、車は急に止まれない。バスは特に止まれない。

 義務教育レベルで教えていることだ。

 図らずしてここでも、義務教育の正しさが証明されたと言えよう。

 

 しかもこの召喚術式の暴走のせいで、召喚された彼らが日本に戻れる方法があるかどうかさえ分からないのだという話だ。

 ヴァニラ姫が一般人である彼らに丁寧な物腰で謝意を示しているのは、事故で彼ら全員を連れて来てしまったことを申し訳なく思い、責任を感じているからなのだろう。

 

「本当にごめんなさい。ただの一般人の方を、巻き込むつもりはなかったのです」

 

「いえ、事故なら仕方ないですよ」

 

 クラスを代表して朔陽が対応しているが、お姫様に対するクラスメイト達の反応は、『寛容』と『不信』がそれぞれまばらに見えた。

 姫様に敵意を持っている者も、好意的な者も居る。

 

「これ、勇者様が来たら一緒に食べようと思っていた王都名産品の果物です。

 幸い数だけはたっくさん用意していたので、皆さんで食べてみてください」

 

「これはご丁寧に……桜花さん、これ皆に配ってくれる?」

 

「いいですけど、気分的にはこれお中元ですね」

 

 桜花の中でヴァニラ・フレーバーに対し、『お中元姫』という心中呼称が定着した。

 女子は「美味しい」と思った。

 男子は「この果実より姫様の胸の果実の方が大きいな」と思った。

 

「おっぱいでけーなあの人」

「ああ、でけえ」

「銀髪美人だけどエロ可愛い」

 

「男子サイテー」

「初対面の女性をなんて目で見てんのよ」

「後で男子達の皮剥いでやりましょうか。股間の皮含めて」

 

 全体的な傾向としては、男子の方がお姫様に好意的な様子。

 

「本当に、なんとお詫びすればよいか……この国を預かる一人として、情けないばかりです」

 

「いえいえ、事故ですから。お気になさらず。僕は佐藤朔陽と申します」

 

「サクヒ様、でしたよね? そう言っていただけると嬉しいです」

 

 日本人のどちらが家名でどちらが名前かも間違えていない。

 どうやら勇者探しの過程で日本の情報を少しは得ているらしい。

 日本のことを知っている権力者が居る、というだけで、見知らぬ世界に一般人の子供が放り出されたというこの現状が、ぐっと改善された。

 朔陽からすれば、望外の幸運と言えるだろう。

 

「わたくしが王家の名にかけて約束いたします。

 貴方達が元の世界に帰る手段は、我々が責任持って捜索致します。

 生活においても不自由はさせません。不快なことがあれば、その解決に尽力致します」

 

「いいんですか?

 29人分も、僕らにそこまでしていただいて……

 ヴァニラ姫にもこの国にも、一般人の僕らは専門家並の利益はもたらせませんよ?」

 

「これは損得の問題ではありません。責任の問題です」

 

 朔陽は"得も無いのにそんなことをするのか? 裏があるんじゃないか?"と探る意図でその発言をした。

 が、ヴァニラ姫はそんな言葉の裏に気付かず、素直に"自分の王族としての覚悟が問われている"と判断したようだ。

 

「王族は自分の行動の結果の責任を取らねばなりません。

 勿論、国のためあえて責任を放棄しなければならない時もあります。

 ですが、責任を取らない行動は、好き勝手で横暴な行動となります。

 自分がしたことの責任を取らない王族は、必ず暴君となるのです。

 王族が短期的な損得にこだわって、どうして民からの長期的な信頼を得られましょうか」

 

 朔陽の姫様を見る目が変わる。

 同時に、クラスの中でも頭の良い部類の人間が、姫様に対する認識を改める。

 姫様視点、彼らは一般人の子供達だ。

 極論を言えば、ここで野垂れ死んでも姫様には何の損も無い。

 助けても何の得も無い。

 警戒する必要性も、尊重する必要性も無い。

 性格の悪い人間なら、この子供達を適当に口で丸め込もうと考えるのが普通だろう。

 そんな彼らにこういったことを言い、こういった対応をしているという時点で、このお姫様の人格がどことなく透けて見えるのだ。

 

「ありがとうございます。僕らは右も左も分かっていなかったので、本当に嬉しいです」

 

「そうではないのです。

 わたくしは貴方に感謝されるためでなく、貴方達に謝るためにこうしているのですよ」

 

 この人はいい人なのだろうと、人を見る目のある朔陽が察する。

 

「この身は好意ではなく、責任で動いています。だから、ありがとうなんて言わないでください」

 

 ただ、いい人であると同時に、少し不器用な生き方をしていそうだな、とも思った。

 

「まずは休める場所に移動しましょう。この近くに、少し大きな村があります」

 

 ヴァニラ姫は馬に乗って、皆を先導する。

 警戒する者も居たが、皆彼女の後について行くことに異論はないようだ。

 その時、朔陽の影の中から和子がぬっと現れる。

 

「和子ちゃん?」

 

「周りを探ってきた。この人、護衛も付けずにここに来てる」

 

「お姫様が一人、か……おてんば姫とかそういうのなのかな。ありがとう、引き続き調べてみて」

 

「ニンニン」

 

「返事は一回」

 

「ニン」

 

 それだけ伝えて、和子はまた朔陽の影の中に消えた。

 ごく一般的な忍者である幼馴染がもたらしてくれた情報が、彼の中の姫様を疑う気持ちをまた一つ消し去ってくれたようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 道中、朔陽はクラスを代表して姫と様々な話をした。

 日本のこと。

 仲間のこと。

 最近日本であったことに、この世界に来てから起きたこと。

 ヴァニラ姫はこの世界について手短に、かつ分かりやすい解説を入れながら、朔陽が語る日本の話に目を輝かせる。

 

 姫の語る異世界の話は朔陽にとって貴重な情報であり、朔陽が語る日本の話は姫にとって心踊らされる未知の異世界文化の話であった。

 

「なんだか、僕が思ってたよりも日本のことを知らなかったみたいですね」

 

「お恥ずかしながら……セバスチャンを日本の国に送るのも、これでまだ二回目でしたので」

 

 互いのことをほとんど知らないからこそ、話し合う。

 言葉を尽くして相互理解を行う。

 それは、とても大切なことだ。

 会話は弾み、互いへの理解が進む。

 

「そのマクドナルドとやらの月見バーガーは、昔は190円で今は340円なんですね……」

 

「美味しいんですけど500円でお腹いっぱいにしたいんですよ、僕らとしては」

 

「500円、なるほど」

 

「僕らのような平均的な学生としてはお昼ご飯はやっぱり500円が一つのラインなんです」

 

 有用な相互理解が深まったり。

 

「わたくし、そのウォンバットという動物が気になります」

 

「ウォンバットはケツが硬い動物です。

 丸い肛門から四角いフンを出します。

 そのケツはあまりにも硬く、大抵の動物の牙が刺さらない無敵の盾です。

 ケツを敵に叩きつけ、最終的に頭蓋骨を粉砕してぶっ殺すこともありますね」

 

「そんな生物が居るなんて、地球は不思議な世界なのですね……」

 

「僕も異世界ファンタジーっぽい世界の人にそんなことを言われるとは思いませんでした」

 

 会話の流れで、無駄な他世界理解が深まったこともあった。

 

 気が合う朔陽と姫様の楽しげな会話に何を思ったのか、戻って来るやいなや和子が唸る。

 

「うー」

 

 まるで子犬が飼い主を奪われたかのような表情であった。

 朔陽は慣れた様子で、和子の方に手を差し出した。

 

「おいで。手を繋ごう」

 

「! うん……」

 

 とてとて歩いて、ウキウキした様子で手を繋ぎ、ニコニコする和子。

 そんな彼女を見て、ヴァニラ姫も柔らかく微笑んだ。

 

「妹君ですか?」

 

「そんな感じですね。この子の名前は若鷺和子です」

 

「……」

 

 否定しようと思った和子であったが、異世界の見目麗しいお姫様という存在は、元引きこもりが話しかけるには厳しい相手であった。

 反抗するにはコミュ力が足りない。

 私の幼馴染と仲良くしないで、と和子は心の中で言った。

 サクヒが私を助けてくれなくなったらどうするの、と心の中で言った。

 私の幼馴染は渡さない、と心の中で言った。

 口は全く動いていなかった。

 

「ワコ様、仲良くしてくださいね?」

 

「……は、はい。よろしくです……」

 

 それどころかヴァニラ姫に歩み寄られた途端、敵愾心は萎え口が勝手に喋ってしまう。

 意志薄弱ここに極まれり。

 心の口は生意気だが上の口は正直なようだ。

 

「ここが、ガリガリの村です」

 

 やがて、姫の案内で彼らは最初の村に辿り着く。

 剣と魔法のRPG世界でよく見る村を、多少発展させたような村だった。

 村に定住している村人らしく人間も多いが、旅人らしい服装の人間も多い。

 旅の人間がここに来る理由でもあるのだろうか?

 興味を持って色々なものに視線を走らせる朔陽に、ヴァニラ姫は村の解説を初めた。

 

「ここには昔、昔、気の遠くなるくらいの大昔……

 伝説の賢者ロッキーが勇者ロードから返還された聖剣を突き刺した台座があるんですよ」

 

「聖剣、それは凄いですね」

 

「名も忘れられた聖剣。万物を切り裂くと謳われた聖剣。

 使い手を選ぶその剣は、無数の者が手をかけましたが、誰も台座から引き抜けませんでした。

 以来数千年もの間、この村には聖剣とその台座が保管され飾られているのです」

 

 村人や旅人がヴァニラ姫を見て反応しているが、姫はどこ吹く風で歩いて行く。

 なのだが、そんな姫の足を止めるものがあった。

 どこからか飛んで来た、青く輝く空飛ぶ鳥である。

 朔陽はそれが鳩であるかどうかさえ、一瞬疑ってしまった。

 

「それはなんですか?」

 

「魔力鳩です。王都からの連絡を持って来てくれたんですよ。内容は……」

 

 魔力で編まれた鳩はフッと消え、姫の手の中に手紙だけが残る。

 手紙を見た姫はすぐに驚いた顔になり、やがて目を細め、最終的に考え込んでしまう。

 少しそうやって考え込んだ後に、姫は意を決した様子で朔陽に向けて口を開いた。

 

「魔王軍の幹部、十六魔将の内一体が、この村に向かって来ているそうです」

 

「!」

 

 魔王軍。

 幹部。

 十六魔将。

 やたら強そうなワードのラインナップに加え、こちらに向かって来ているという発言がやたらと危機感を煽る。

 

「十六魔将は、私達を長年苦しめてきた、魔王の次に強い魔王軍の幹部です」

 

「なら、僕らもここを早く発った方が良さそうですね。その旨伝えてきます」

 

「大丈夫ですか? 私のせいで無理矢理に召喚してしまって、貴方達の疲れなどは……」

 

「大丈夫です。直前までバスで座ってましたし、まだ多分大丈夫だと思います」

 

 朔陽は少しだけ嘘をつく。

 彼らが最初に送られた転移地点とこの村の間には地味な距離があり、クラスメイトの中でも特に体力がない面子には多少の疲れが見えた。

 長い付き合いのある朔陽にしか分からない程度の疲れだ。

 だが、それを口に出すことはしない。

 それを口に出して移動を止めてしまえば最悪に繋がりかねないということを、彼もまた理解していたからだ。

 

 さて、魔王軍は何故こちらに向かっているのか。

 目標は姫か?

 あるいは召喚された彼らか?

 どちらにせよ、朔陽にクラスメイトを危険に晒す気はなく、お姫様にも巻き込まれただけの一般人を危険な目に合わせる気はない。

 要するに、逃げの一手である。

 

「贅沢を言えば、僕らに30分ほど休憩する時間をくださると嬉しいです」

 

「分かりました。ではその30分で私は食料と水の手配をしますね。

 ここから王都までは一本道ですから、それだけ準備できれば問題無いはずです」

 

 ヴァニラ姫は村の人達に魔王軍の接近を知らせ、強行軍の準備をする。

 朔陽はクラスメイト達に危険を知らせ、休憩を取らせる。

 二人は今日が初対面だが、そこそこ息を合わせてするべきことをやっていた。

 

「ヴァニラ姫、その十六魔将はどういうやつなんですか? 僕らは全然知らないんです」

 

「十六魔将の一。

 その名も、アインス・ディザスター。私達は『不死身のアインス』と呼んでいます」

 

「不死身のアインス……」

 

「その名の通り、魔王の力で世界と契約し、世界に不老不死を約束された怪物です」

 

 不死身。不老不死。

 地球には存在しない、ファンタジーそのものであると言えるもの。

 幾多の地球人が探し求め、結局見つけられなかった憧憬の幻想。

 それがここにはあるという。

 しかも、敵がそれを持っているというのだから最悪だ。

 

「千の刃をぶつけました。

 奴は細切れになった肉片から復活しました。

 火で焼きました。

 灰から復活し無傷で再び暴れ始めました。

 大きな岩で押し潰しました。

 潰れた肉と血液が集まり、無傷な姿にまで再生しました」

 

「なんて恐ろしい……僕らが元の世界に帰るまでは、絶対に会っちゃいけないってことですね」

 

「はい、その通りです」

 

 人間達もあらゆる手段を試したのだろう。

 その全てで殺せなかったからこその、不死身の称号。

 オンラインゲームにおけるマナーの悪いプレイヤー以上に出会いたくない存在であることは、まず間違いない。

 何せ不死身のアインスは、決してBANされない悪質プレイヤーのようなものなのだから。

 

 色々と考え込む朔陽。

 先の先まで考えクラスメイトを導き、いかなる戦場や災厄をも越えていくのが平均的なクラス委員長に求められる職務である。

 なのだが。

 その最中に、泣きそうになっている子供を見つけてしまう。

 放っておけない、と朔陽は思ってしまう。

 仲間達の休憩時間がまだ15分は残っていることを確認し、彼は子供に駆け寄った。

 

 そんな人の良い彼を見て、ヴァニラ姫様は思わずクスリと笑ってしまう。

 

「トイレ……」

 

「どうしたんだい? お兄ちゃんに話してみな」

 

「もう、漏れちゃいそうなのに、近くのトイレ詰まっちゃったの……」

 

 じゃあ別のトイレに行けばいいんじゃないか、と思う朔陽であったが、ここが異世界であることを思い出す。

 トイレが少ない異世界もある。トイレが少ない村もある。

 そう考えれば何ら不思議なことではない。

 「ドラゴンクエストイレブンが店に少ない」も略せば「トイレが少ない」となる。

 トイレが少ないということは、どんな世界でも起こりうる事象なのだ。

 

 詰まったトイレの方を見れば、トイレを詰まらせたと思しき男が二人話している。

 

「やべえ、俺が出したウンコがトイレに詰まっちまった……」

 

「どんだけ硬くてデケえウンコしたんだよ」

 

「快便だし気持ちよかったんだが、今見ると生み出してはならなかった忌み子だな。

 この世に産み落とされた後で『生まれてはならなかった』とか言われるとかかわいそう。

 このウンコも母親にして父親である俺に生まれてきてごめんなさいとか言ってそうだ」

 

「生まれて来てごめんなさいと親に言うべきなのはお前だ」

 

 とんだクソ野郎も居たものだ。

 大人の考えなしの行動が子供を泣かせている。

 ならば佐藤朔陽ともあろう者が子供を見捨てるわけがない。

 彼は、クラス委員長なのだから。

 

「ちょっと待ってて。すぐどうにかしてくるから」

 

 トイレの詰まりなら流せばいい。

 そう考えて動き出した朔陽を助けるべく、彼の親友が姿を現した。

 

「俺の出番のようだな」

 

「一球くん?」

 

 現れたのは、野球部の井之頭一球。

 本日ドラゴンに聖水をかけ、水の刃でドラゴンの尻尾を切り落とし、火球をバットで打ち返した四番ピッチャーの野球部キャプテンだ。

 彼は朔陽の幼馴染である。

 今日やらかした人間として、そして幼馴染として、朔陽を助けに来てくれたのだ。

 

「さっきは俺の小便のせいでお前にも迷惑かけちまったからな」

 

「かけたのは迷惑じゃなくて小便で、かけられたのは僕じゃなくてドラゴンだったよね」

 

「はっはっは」

 

「そんなこと気にしなくてもいいのに。結果論だけどお昼ご飯の調達にもなったじゃない」

 

「いいんだ、コイツは俺のけじめだ。

 小便でやらかした俺が、お前の代わりに子供のソレを解決してやろうって話さ」

 

「嫌な責任の取り方するね……」

 

 小便を基点としたトイレット責任論。

 自分のケツは自分で拭くのが男だ! と言い切るような責任感。

 野球部部長に相応しい責任感であった。

 だが思い通りに進まないのが現実というもの。

 彼らが詰まったトイレをどうにかしようとした瞬間、村の各所から大きな声が上がる。

 

「敵襲だー!」

「魔王軍だー! 村の入口にいる!」

「不死身のアインスだッー!」

 

 このタイミングで訪れた、魔王軍急襲の報。

 完璧に予想外。

 完全に不意打ち。

 ヴァニラ姫はその表情を一瞬で王族のものへと変え、緊迫した雰囲気を醸し出す。

 

「なんてこと……!」

 

 地球の学生達を逃し、村の全員を逃し、王都に連絡を飛ばして、自分が一人で戦って魔将を足止めする。姫は瞬時に自らの行動を選択した。

 

 全部守る、という大前提だけは全く揺らいでいない。

 誰かを犠牲にする、という思考は頭に浮かんですらいない。

 不死身の魔将に勝てるはずもなく、叩けば順当に自分は戦死する。

 王族の死は国を震撼させるだろう。王族である彼女の死は、村一つが全滅するよりも遥かに大きな爪痕をこの国に残す。

 

 それでも彼女は自国の民と異世界の者達を見捨てはしない。

 他人を囮にするくらいなら自分が囮になることを選ぶ。

 それは若さであり、愚かさであり、優しさであり、慈愛であり、王族としての誇りであり、彼女が生来持つ責任感でもあった。

 

「サクヒ様! そこの貴方も! 逃げてください!」

 

「いや待てって、そんなことはどうでもいいんだ。

 俺はこの子供を助けるって朔陽に約束したんだ。

 約束を投げるなんて男じゃねえ。まずこのウンコをどうにかして約束を果たしてからだろ」

 

「そんなことにこだわらなくていいんです! 逃げましょう、さあ!」

 

 逃がそうとする姫をよそに、一球は手の中で硬球を回しながらきょろきょろ見回す。

 目に止まったのは伝説の聖剣、そしてそれが刺さった伝説の台座。

 マメだらけな野球部の手で、そこに無造作に手をかける。

 

 そして数千年前に台座に刺され以後誰も抜けなかった、伝説の聖剣を引き抜いた。

 

「よいしょ」

 

「!?!?!?」

 

「誰のか知らんが後で洗って返すから許してくれよな」

 

 そして便器の中に突っ込み、トイレの詰まりに風穴を空ける。

 万物を切り裂くと謳われた聖剣は、見事トイレの頑固な詰まりも切り裂いてくれた。

 子供の心か、剣の清潔さか。

 どちらを守るかと聞かれれば、この野球部キャプテンは前者を守る。

 

「ほら、使っていいぞ」

 

「ありがとうお兄ちゃん!」

 

 子供がトイレに駆け込んでいく。

 一球は満足げに頷いて、カレーをかけたような(比喩表現)状態の聖剣を持って、戦慄する朔陽とヴァニラ姫の下へと戻って来た。

 

「聖剣がく聖剣になっちまったな。で、このくせえ剣要る?」

 

「……わ、私が後で洗っておきますので、返してください……」

 

「お姫様にそんなことさせられませんよ! 洗うのは僕がやるんで離れててください!」

 

「離れてて臭い?」

 

「早口だった僕が悪いけどその聞き間違いはホントどうかと思うよ一球くん!」

 

 クソまみれの聖剣が「とりあえず置いとこう」のノリで伝説の台座に戻される。

 

 伝説の台座が伝説の便座と呼ばれるようになった歴史的瞬間であった。

 

「台座までもが……」

 

「伝説を塗り替えてしまったか、俺」

 

「一球くんはもう少し反省しようね? 後で皆に謝ろうね? 僕も一緒に謝るから」

 

「あっはっは、やっちまった? 俺」

 

「……って、そうじゃありません! 魔将が来ているんです! 皆さんは逃げないと!」

 

 そんなことを言っていたら。

 

「魔将が倒されたぞー!」

「アインス・ディザスターが倒されたぞー!」

「旅人さんのおかげだー!」

 

「!?」

 

 いつの間にか倒されていた、不死身のアインス。

 ぎょっとする姫、目をパチクリさせる委員長、事態が読めない野球部。

 走り出したヴァニラ姫に、その後を追う朔陽。

 やがて彼らは、クラスメイト達が集まっていた村の入口に辿り着いた。

 朔陽はとりあえず、上の方を見上げていた津軽辻(つがる つじ)というクラスメイトに話しかけた。

 

「あ、辻さん」

 

「良かった、無事だったのねいいんちょ」

 

「今ここに危ない人……魔王軍の人が来なかった?」

 

「来たわよ。桜花に襲いかかろうとしてたから私が太陽に投げ込んだけど」

 

「太陽」

 

 太陽。

 

「はぁ、隠しておいたとっておきの、合気道を型に取り込んだ決め技だったのに……」

 

「し、新技……あ、もしかして夏のインターハイ用に練習してた技ってこれ?」

 

「そうよ! 前にいいんちょに言ってたあれよ! 大会で見せようと思ってたのに!」

 

「辻さんは相変わらずドッキリが好きな頑張り屋だねぇ」

 

 柔道部女子・辻が柔道に取り込んだ合気道の技、名を天地投げと言う。

 地より天に至る投げ。

 多少なりと改造を加えられたそれは、柔道と合気道の強さを見せつける。

 現代日本において合気道が最強の武術の一つに数えられる理由は、まさにここにあった。

 

「柔道こそ現代最強の格闘技。

 地球ならばどこにでもあるアスファルトに叩きつけるが故に最強。

 アスファルトの路面が無いと見て甘くみたのかもしれないけど、傲慢ね。

 地球にも異世界にも太陽はあった。

 いつも使っている武器が無いなら、その場にあるものでどうにかする知恵こそが人間の強さ」

 

 工夫こそが人間を強くする。

 彼女は柔道を"人を何かに投げつけることが肝"であると考えているがゆえに、硬い路面に叩きつける、あるいは太陽に投げつけることを技の骨格としていた。

 津軽辻は去年はこのスタイルを貫き、県大会決勝にまで残ったほどの猛者なのである。

 

「ヴァニラ姫、危機は去ったみたいですし、もうちょっと休憩していってもいいですか?」

 

「あ、はい」

 

「うちのクラスの女子は、運動が苦手な子が他のクラスより多いんです」

 

 今魔将を太陽に投げ込んだのも女子じゃないですか、と姫は思ったが、言わなかった。

 

「もしかして……これが、運命や奇跡と呼ばれるものなのでしょうか」

 

「ヴァニラ姫?」

 

「いえ、なんでもありません。ただなんとなく、希望が見えたような気がして」

 

 魔法がある世界は、魔法が使えるのが普通だ。

 科学が発展した世界は、科学が基本であるのが普通だ。

 カードゲームが基本の世界は、カードゲームで全てを解決するのが普通だ。

 彼らに、どんな世界から来たの? と問うてみればいい。

 彼らはきっと、ごく普通の世界から来たとしか答えないだろうから。

 

 これは、30人の主役と1人の主人公の物語。

 

 

 




 エタったら? 笑って誤魔化すさ(コブラ)

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