サーティ・プラスワン・アイスクリーム   作:ルシエド

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出席番号5番、月下美人・大沢桜花の場合

 魔将は、基本的に人間に恐れられている。

 不死身の魔将は、即死級の罠を平然と踏み越え、血まみれで人間の攻撃の中を再生しながら突っ切っていき、その豪腕で軍を薙ぎ倒す。

 寄生蟲の群れは人間を操作し、心強い味方だった人間の将軍や英雄を簡単に人間の敵にしてしまい、忠誠心厚い大臣を人知れず裏切り者へと変えてしまう。

 吸血鬼の王は真っ昼間に緑の草原を人の血を真っ赤に染めるという正統派な強さも、夜中に億単位の蚊を敵陣に送り込んで眠れなくするという搦め手も、どちらも使う。

 それぞれに個性がある。

 それぞれに恐ろしさがある。

 フュンフ・ディザスターも、彼だけに固有の理由で、人に恐れられる怪物だった。

 

 フュンフはよく人をさらう。

 街からこっそりとさらい、戦場で人知れず兵士をさらい、山奥の孤立した村を村ごとさらう。

 そして、さらった人間を使って、実験を行っていた。

 

「実験一。他者生存・自己生存、優先度実験」

 

 20人の人間を実験室に入れる。10人だけが生き残り出られるのだ、と告げる。

 そしてあの手この手で戦いを煽り、10人を殺害か自殺に追い込む。

 残った10人を別室で生き残った10人と合わせて、また同じことを繰り返す。

 

 初めは誰もが抵抗し、反発し、殺し合いを拒絶した。

 泣いて、嘆いて、跪いて、現実から目を逸らして床を濡らし続ける者も少なくなかった。

 だが、それも最初だけのこと。

 食料を与えなかったり、見せしめに一人殺したり、実験室から出さないまま何ヶ月と経過させたりと、様々な煽りを行うことで、人間達は容易に殺し合いを開始した。

 

 何度か殺し合いをさせてみれば、生き残った者はどんどん殺し合いに慣れていく。

 殺しのハードルが低くなっていく。

 殺人の忌避感が消えていく。

 

 少女が涙を流すのが、騙し討ちのための演技になった。

 仲間を集めて絆の力で生き残っていた青年は、最初は10人で勝ち抜いていたのに、いつの間にか仲間を集めて仲間を皆殺しにするスタイルを確立していた。

 老婆は、自分の弱々しい姿が殺しのための武器になることに気付いた。

 兵士だった中年は、守るべきものだと思っていた一般人を見て、「この実験に連れて来られるのは一般人が多く俺より弱い」「殺しやすいのは幸運だった」と思うようになっていた、変わり果てた自分の心を自覚した。

 

 殺し合いという過程を経て、人間の醜さが抽出されていく。

 

 薬品を蒸留・撹拌・調合する感覚で、フュンフはそれらを研究した。

 無論、主観的な観測だけでは終わらせない。

 部下に人間の細かい挙動や言動、推測レベルではあるが感情の動きもメモさせ、それらを総合的に分析して研究を行う。

 人間に同情して心を病む部下も居たが、フュンフはそういう部下には金を握らせて後方勤務に回し、その部下が復調するまでは代理要員の手配を要請。

 人間の醜い殺し合いを、できる限り客観的に観測できる人員を揃えることにこだわった。

 

「実験二。特定状況下実験」

 

 親子・親友・恋人・戦友など、特殊な関係にある人間を一対一で殺し合わせてみる。

 すると、見知らぬ人間よりも強烈な抵抗があり、殺し合わないまま餓死したり、逆に二人で一緒に自殺するパターン等の割合が増えた。

 しからば、人間は何の関係も無い者の命を軽いものに定義するのか、それとも人間は自分が負わされる罪悪感の量で人殺しのボーダーを決めているのか、ここを判断する実験も必要だ、とフュンフは思うようになる。

 

 逆に実験一を生き残った者同士でマッチングすると、関係が近い人間同士でも容赦なく、躊躇いなく殺し合うことが分かった。

 殺し合いを生き残った人間は、ある程度の精神異常が見られる。

 フュンフの部下には、その精神異常を『倫理観の損傷』『殺人行為への慣れ』『殺人という禁忌を認識する部分の鈍化』と表現する者も居た。

 総じて、人間は関係性の強さで殺せる殺せないを決めるのではなく、関係性の強さとまともな倫理があって初めて親しい人間を殺せないのだ、という結論に達した。

 

 知性の低い魔物を人間にけしかけ、強引に性交を行わせてみたこともあった。

 知性の高い魔物を人間なんてものと性交させるのは、流石に性的暴行の一種だろう、とフュンフが部下のメンタルを気遣った結果、この実験はこうなった。

 全体的に男性より女性の方が拒絶が強い傾向がある、という実験結果が真っ先に出る。

 殺しに慣れた者でも強烈な反発が見られることがあった。

 殺人も、性交も、異種との交配も、倫理観や常識の中で、人間に禁忌とされるものである。

 ならば何故その一つに慣れたものでも反発が見られるのか?

 

 フュンフは魔犬に蹂躙されている女性を見ながら、人間は無自覚の内に、自分の中にあるいくつもの禁忌をカテゴライズしているのではないか、という結論を出した。

 

「実験三、人体耐久度研究」

 

 ついでとばかりに、人間の耐久度も測ってみる。

 

 魔法をどのくらい撃ち込めば人は死ぬのか。

 精神的にどのくらいの負荷をかければ心は壊れるのか。

 どの部分をどのくらい剣で切れば人は死ぬのか。

 水に沈めてどのくらいで死ぬのか、首を絞めてどのくらいで死ぬのか、風魔法で作った真空状態ではどのくらいで死ぬのか、正確に時間を測って比較検証したりもした。

 

 特にフュンフが個人的な趣味で検証したのが、毒である。

 人体と魔物の身体構造や構成物質はあまりにも違う。

 だからこそ、人に効く毒は何か、どの毒がどういう効果をもたらすのかという研究を、フュンフ・ディザスターは重視していた。

 

 地球世界でも『この毒の成分は人体のどこにどういう影響を出して、どのくらいの量で死ぬ』という研究は、遠い昔から現在に至るまで絶え間なく行われている。

 「よく分からんがこの毒よりこの毒の方が強力っぽいな」程度の研究であれば、地球人類は原始人だった頃から数多く行っていたとされる。

 紀元前150年になると、早くも死刑囚を使った人体実験・毒効果の確認・解毒剤の作製を始めているというのだから、地球人類は恐ろしい。

 

 毒殺をしようとする者。

 毒殺に対抗しようとする者。

 毒を薬にしようとする者。

 地球の長い歴史の中で、様々な者が毒に関する研究を行ってきた。

 この分野においては、やはりこの世界よりも地球の方が進んでいると言わざるを得ない。

 

 だがフュンフは、閉鎖空間での殺し合いを誘導した後、そこにそっと研究中の毒薬を置くなどして、効率的に『毒に関する技術』を成長させていった。

 彼の目的は一つ。

 自分の発展させた技術が、魔王軍を勝利に導くことである。

 

「ようこそ、ツヴァイ・ディザスター様。フュンフ様はこの先にいらっしゃいます」

 

 その研究所を、吸血鬼の王・ツヴァイは訪れていた。

 フュンフの部下に連れられて、ツヴァイは道中多くの醜悪を見ながら、フュンフの下へと向かって行く。

 透明なケースに入れられた内蔵。

 毒に苦しむ被験者。

 魔物の血を輸血された半死人。

 そして、殺し合わされる人間達。

 

 殺さなければ殺されるという極限状態に置かれている人間達を、フュンフは高所の椅子から見下ろして、極限状況下での人間の行動パターンをメモしていた。

 

「こんにちわ、ツヴァイさん」

 

「相変わらず悪趣味だな、フュンフ」

 

「どこが悪趣味だというのですか?」

 

 命が絶える断末魔を、悲しみの悲鳴がかき消して、叫ばれた呪いの言葉がそれを塗り潰す。

 ここは研究所だ。

 ここは牧場だ。

 ここは墓場だ。

 ここは地獄だ。

 ただひたすらに、技術を発展させるための研究資料と、そのためにすり潰される人間の呪いだけが積み上げられている。

 

 フュンフはここを、人類研究所と呼んでいる。

 だがフュンフ以外の魔将は、侮蔑の意を込めてここを人間牧場と呼んでいた。

 

「全てだな。

 貴様の品性が関わった全てが醜悪に見える。もっとも……

 それが貴様にとっての"仲間を助ける結果に繋がるもの"だというのだから何も言えん」

 

 鼻を鳴らすツヴァイは特に、格別フュンフを嫌っていた。

 フュンフは吸血鬼に種族として近い夜魔の一種であるのだが、ツヴァイが同族に近いフュンフに露骨な嫌悪と侮蔑を向けていることからも、フュンフの仲間評価は見て取れた。

 

「貴様の仲間想いな気持ちは疑うべくもないが、友人にはなれそうもない」

 

「はて、そんな嫌われるようなことをした覚えはないのですが……」

 

 ツヴァイは、殺し合わされている人間達を指差す。

 自分が生きるためなら家族でも殺せる、平気で信頼を裏切れる、騙して殺すために笑顔で守ると約束する、そんな人間達はとても醜悪で。

 

「『これ』で人間を知った気になっていることなど、最たるものだな」

 

 ツヴァイには、そんな醜悪な人間達より、眼前のフュンフの方が遥かに醜悪に見えた。

 

「何を言うかと思えば……

 これが人間の本質です。

 僕が剥き出しにした人間の本性ですよ。

 この醜さこそが人間の全てであり、他は全て偽りに過ぎないのです」

 

「本質? 本質とは何だ?

 人が本能の上に被せる理性という名の服は、人間の本質でないとでも言う気か?」

 

 仲間のためにやっていると分かっているから、ツヴァイはフュンフに敵意を持たない。敬意を向けている。だが仲良くなろうとも思わない。

 ツヴァイは、フュンフを見下すように睨んだ。

 

「貴様は人間の本質を剥き出しにしているのではない。

 自分の望む答えを出させるため、"人間の頭を悪くしている"のだ」

 

「……へぇ」

 

 理性を剥ぎ取ったこれが人間の本質だ、と言う魔将も居れば。

 何かを剥ぎ取った時点で既に本質は失われている、と見る魔将も居る。

 

「まるで人間の味方のようなことを言うんですね、ツヴァイさん」

 

 フン、とツヴァイは鼻を鳴らす。

 

「貴様はとことん愚かだな。

 味方の賢愚を見て見ぬふりをすることは、慈悲であろう。

 だが敵の賢愚を正しく見定めぬことは、ただ愚昧なだけだ。

 下等種族であれど敵であるのなら、その全てを正しく見定めねばならない」

 

 それは、優れた狩人が、野獣の知性が人間に及ばないことを知りつつも、野獣を決して侮らないことと似ている。

 ツヴァイは人間を下等種として見ている。

 油断することも、慢心することも、思い上がることもあるだろう。

 野良犬を甘く見て噛まれる狩人のようなことにも、なるかもしれない。

 

 だが、自分が人間や犬を甘く見ていたことを自覚すれば、適正なものの見方ができるよう時間をかけ己が認識を変えていける程度の柔軟さはあった。

 

「この人間牧場では、貴様の望まぬ答えを出す種類の人間から死んでいく。

 ゆえに最後には貴様の好む答えを出す人間しか残らない。それのどこに真実がある」

 

 フュンフのやり方は、自分の認識の方に現実を寄せる。

 だからフュンフの人間牧場では、人間は醜い面を見せていく。

 ツヴァイのやり方は、現実に見たものに自分の認識を合わせる。

 だから彼は調子に乗っている時が一番弱く、負けるたびに強くなる。

 

 将来的な安定性で考えれば、ツヴァイの考え方の方が正解に近い。

 けれども、同格の仲間の考え方を自分の思い通りにしよう、なんて気はツヴァイにはなく。

 フュンフにも、他人に何か言われて変えるような信念など持ち合わせていない。

 この問答は、誰かの中の何かを変えることはなかった。

 

「それで、ツヴァイさんの本日のご用はなんでしょうか」

 

「人間の行動原理が知りたい。

 そのための資料が最も充実しているのは、この人間牧場だ」

 

「勉強熱心ですねぇ」

 

 この二人には対称になる部分がある。

 ツヴァイは自分を高めるために他人の知識を食らっていく者であり、フュンフは全体の技術を高める過程で、他人が利用できる知識の水準を高める者だった。

 

「それと、魔法と魔術を少し補強しておきたい」

 

「……本当に勉強熱心ですね」

 

 フュンフは人間の研究だけをしているのか?

 いや、そうでもない。

 魔法と魔術に関しては、彼も相当な貢献度を誇っている。

 彼は魔法研究者でもあるのだ。

 先日自分を倒した地球人達と白狼にリベンジするべく、自分を高め続けているツヴァイは、資料室からどっさりと本を持って来た。

 全く遠慮がない。

 ツヴァイは異世界模様の大きな風呂敷に本を詰め込み、どっせいと背中に背負っている。

 

「では、借りていく」

 

「どうぞどうぞ。あ、その代金と言ってはなんですが、ご足労願えますか?」

 

「む?」

 

 フュンフに頼まれ、ツヴァイは彼の後に続いて地下に向かった。

 地下に向かうにつれ、薬品のキツい香りが強くなっていく。

 最も香りが強い最深部では、香りの強い薬品が魔力溶媒となり、地下室の床の溝に鮮やかな魔法陣を刻み込んでいた。

 薬品に魔力を溶かしているのは、魔力のロスを減らしつつ、薬品を魔法陣内で循環させることで魔力の流れを作っているからだろうか。

 

「実はこれから、召喚術式の実験を行うところでして」

 

「召喚術式……消葬の双子が魔王様に献上したものか」

 

「ですね。これ、どう有効利用するかってのが僕の宿題なんですよ。

 なんというかそのまま使うには問題が多くて、まあとりあえず召喚ということで。

 危ないものが出て来たらツヴァイさんに対処してもらおうかな、と」

 

「分かった。貴様は開発研究は秀でているが、戦闘力は極めて低いのであったな」

 

 黄泉瓜巨人軍から、消葬の双子が奪った世界渡航技術。

 魔将の研究者として、フュンフに白羽の矢が立ったようだ。

 

「召喚対象は?」

 

「とりあえずかなり緩くしてます。

 まあ、発動対象狭くしすぎて発動失敗してもあれですし?

 人間サイドから何か奪えるならなんでもいいかな、くらいの気持ちで」

 

 魔法陣の溝を循環する薬液の中で、魔力の光が点滅する。

 光が魔法陣から漏れ、やがて立体的な魔法陣を構築する。

 ツヴァイの目には、光の壁が魔法陣の上の空間を隔離し、何かを召喚するための状況を作り上げているように見えた。

 

「……!」

 

 光は収縮し、やがて赤子を産み落とすように、召喚した何かを出現させた。

 

「……肉塊?」

 

 フュンフは反応もできない。

 ツヴァイは光の合間から、それが肉塊であることを理解した。

 肉塊が触手を伸ばす。

 フュンフの反応は三手分は遅い。

 ツヴァイがフュンフを庇う。

 だが肉塊の動きは速い。ツヴァイはフュンフに先んじて動いている。三手は打てるほどに先んじて反応できている。

 なのに、ツヴァイの対応より、肉塊がフュンフを捕縛する方が早い。

 肉塊の動きは速いがゆえに、行動完了が早いのだ。

 

「うわっ!?」

 

「フュンフ!」

 

 魔将を触手で掴んだ肉塊は、そのまま魔将を内に取り込む。

 そして、叫ぶ。

 まるで……"声帯を一つ取り込んだから喋れるようになった"とでも言わんばかりに。

 

『我は人間、人に非ぬ人間―――第六天魔王、織田信長也ッ!』

 

 それは、魔将をも食らう魔として、この世界に再臨した。

 

 フュンフによる世界移動系術式実験。

 余談だが……この実験は余分なことではなかったが、間違いなく余計なことであり、ツヴァイは決死の戦闘を余儀なくされていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 人間で遊んでいる(研究している)魔将も居る。

 遊んでいる(戦っている)地球人も居る。

 今、世界は割と混沌だ。

 地球人の子供達には、面倒臭いことはだいたい朔陽が処理してくれていることもあって、好き勝手に前線に出て人類の危機を蹴散らしている者も居た。

 

 この人類圏北端の戦場で、人類の要塞と魔王軍の城の合間で、戦っている地球人の子供達がまさにそれであった。

 

「フレーバー王家、承認ッ! 許可が来たぞ! やれ、地球人ッ!」

 

 将軍の一人が叫ぶ。

 

「せやああああああああああっ!!」

「うおおおおおおおおおおおっ!!」

 

 剣崎敬刀(けんざき けいと)津軽辻(つがる つじ)の二人が息を合わせて飛び出した。

 

人間(おれたち)の小要塞の土台を切断して……」

「ジュードーで投げ上げる!」

「空中でケイト様がキャッチ! 振る!」

「魔王軍の城を……斬ったあああああああ!」

「っしゃあ! 小さい要塞一つ使ってデカい城一つ切り分けたぞ!」

「プラスマイナスで言えば余裕でプラスだッ!」

 

 要塞剣術による抜刀術。

 土台を鞘、要塞を剣に見立て、鞘走りで威力を上げた事前動作のない神速抜刀を叩き込み、魔王軍が作った前線用の急造の城を真っ二つに両断する。

 敬刀は要塞を納刀する。

 そう誰もが思っていた。

 だがそうはしなかった。

 

 なんと、敬刀は魔王軍の先陣に向けて要塞を投げつけたのだ。

 剣士にとって剣は命。

 抜刀した以上、今はその要塞こそが敬刀の剣だ。

 "剣士が剣を投げるとは"と困惑に似た驚愕が人々の間に広がっていく。

 だがなんと、辻が投げつけた要塞をまた持ち上げ、また魔王軍に投げつけていくではないか。

 

「! 要塞を何度も投げて進んで、前に進む気かっ!」

「これが創作小説とかで見る、移動要塞ってやつか!?」

「移動要塞……!」

 

 何度も投げつけられる要塞により、戦線がじわじわと押し返されていく。

 あの要塞に続けばいいのか、と一般兵達は思った。

 だが将軍は違う。

 将軍は、この戦術の本質を見抜いていた。

 

「いや……皆、要塞に乗り込め!

 俺達が乗り込めばジュードーのツジ様が投げてくれる!

 あれは移動要塞じゃない! 空を飛ぶ要塞、空中要塞だ!」

 

「乗り込め!」

「のりこめ!」

「のめりこめ!」

 

 要塞に乗り込んだ人間の兵士達が弓矢を連射し、魔法を連射し、要塞を柔道部が投げ続けることで、要塞は擬似的な空中要塞として機能する。

 それは空からの脅威。

 突発的に発生した、空からの一方的な猛攻だった。

 

 2015年10月、イギリスでは飛行機がウンコをおもらししてしまい、空からウンコが落ちて来るという事件があったという。

 空の低音で凍ったウンコは一定の強度を保持し、民家の屋根に落ち、レンガを粉砕した。

 人を殺せる威力のウンコだったのだ。

 殺人おもらし。

 今の人類の空よりの猛攻は、その空よりのウンコウを遥かに凌駕する脅威であった。

 

 空中要塞による猛攻を、遠方のダッツハーゲン国軍本陣より、大沢桜花(おおさわ おうか)が真面目に眺める。

 

「オウカ様、何か指示を出しますか?」

 

「もう少し様子を見ましょう」

 

 桜花は今日も日本の浪漫・和服に身を包んでいる。

 鮮やかな着物の色合いは、異世界人達の興味と尊敬を一身に集めるものだった。

 現代日本の街中でも着物を来て歩いていた彼女は日本でも目立っていたが、まあそれは置いておいて。

 副委員長のくせに学生服を着る気がまるで無いが、まあそれも置いておいて。

 肩口まで流した黒髪を、桜の飾りをあしらえた(かんざし)で留め直し、手慣れた作業と共に思考を終わらせる。今日は髪型をあまり弄る気がない様子。

 

「……ううん、また繰り返しになってしまいそうですわね……」

 

 現状は人間の方が押していたが、押し切るのは無理だろうと、桜花は当たりをつけていた。

 

 個人の戦闘が短距離走なら、戦争は長距離走だ。

 魔王軍は強い人類とは適当に遊んで振り回し、弱い部分を殴っていけばいい。

 昼間に人に10の陣地を取られても、夜に強者が寝てから攻めて15の陣地を取り返せばいい。

 練度・連携・戦略の差が、地球人の援軍というプラスを完全に相殺してしまっている。

 魔王軍は、全体的に搦め手が上手かった。

 

(井戸に猛毒を流されたせいで、全体で見ると私達の方が不利なのですよね)

 

 桜花が背後に振り返れば、そこには毒の苦しみに呻く無数の兵士達が居た。

 昨晩、魔王軍に井戸へ毒を投げ込まれた結果だ。

 水を飲んだ兵士の2/3が死んだ。

 残った1/3は保健委員の縫川鵺(ぬいかわ ぬえ)が治療中だが、戦線復帰どころか生きて帰れるかも正直怪しい。

 微量でも致死量となる、恐るべき猛毒だ。

 相当に人体実験を重ね、効果の高い毒草を選んだことが伺える。

 

 桜花が飲んでいればおそらく即死していたであろう猛毒は、地球人の一人を下痢気味にして戦闘力を奪うという決定的な戦果を上げていた。

 

(……ああ、こんな時に委員長を無意識に頼ってしまう自分が憎い。

 副委員長となれば佐藤朔陽の右腕も同然。

 むしろ委員長が困っていた時に、何か知恵を出すのが私の役目でしょうに)

 

 はぁ、と無自覚に色っぽい溜め息を吐く桜花。

 

 彼女の視線の先では、敬刀がぶん回した要塞斬撃にぺしゃんこに潰された魔王軍達の――ミートソースのような――血みどろの体が転がっていた。

 だが、頭と心臓が潰れていない。

 潰された魔王軍の内九割ほどは死んでおらず、自分で自分に回復魔術を発動し、足から再生してすたこらさっさと後方に逃げていく。

 そして後方の部隊と交代し、後方の回復部隊に全ての怪我を癒やして貰って、潰されてから十分と経たずに再出撃の準備をしていた。

 実にタフだ。

 これで後方に下がった魔王軍兵士は、また戦えるようになるだろう。

 

「オウカ殿、他の戦線から救援要請が……」

 

「分かりま……ん? お待ち下さい、伝令の方。

 何故将軍より先に私に報告なさっているのですか?」

 

「ははは、何をおっしゃっているんですか。

 あのすんごく強い地球人を派遣してくださいってことですよ言わせんな恥ずかしい」

 

「率直!」

 

「さあ、西の魔王軍の出城を攻略しちゃってください!

 あの堅牢な城の門を地球のスーパーパワーでガバガバにしちゃってください!」

 

「今手が空いてるのは毒のせいで肛門がガバガバになってる人しか居ませんよ……」

 

 しかも魔王軍には数でも負けているため、どうしてもどこかで人類が押される部分ができてしまうという悲しいジレンマ。

 戦争における長期的ビジョン&短期的ビジョンの明確さとその実現法において、魔王軍は人類サイドの遥か上を行っている。

 局地的な戦闘勝利などという刹那的な優位で、押し返せるものでもなかった。

 

「はぁ」

 

 大沢桜花の役職名は?

 副委員長である。

 その役目は?

 佐藤朔陽の代理人である。

 

 彼女は朔陽の代わりのまとめ役だ。

 朔陽が居ない場所で、あるいは朔陽が行きにくい戦場で、朔陽の代わりに問題児達をある程度抑えるまとめ役として機能する。

 朔陽ほどの人望はない。

 武闘派クラスメイトほどの戦闘力もない。

 胸もない。

 良くも悪くも、まとめ役だった。

 

「もっと役に立てる私に、なりたいのですけどね」

 

 副委員長として委員長の役に立ちたいと考えるが、未だ満足できる結果は出せていない。

 遠き地の友を想い、毒に倒れた人間達はどうしているかと振り返ってみれば、そこには毒で倒れた人間に片っ端から謎の液体を飲ませている董仲穎(とうちゅうえい)が居た。

 

「中国八千年の歴史が熟成させた八千年物の解毒剤ネ」

 

「腐り果てて逆にお腹壊しそうなんですが……」

 

「信じなサイ、信じなサイ。チャイニーズうそつかない」

 

 こんにゃろう。

 だがしかし、確かに桜花は――糸目なのもあって恐ろしく胡散臭いが――この中国人留学生が嘘をついたのを、見たことがなかった。

 

「桜花サン余裕無さそうアルなー」

 

「? そうでしょうか?」

 

「何というか、辛そうネ。欲求不満カ?」

 

「違います」

 

「睡眠欲カ、食欲カ……性欲カ?」

 

「違います」

 

「定期的に美少女嫁キャラを変えてエロ画像を量産する日本人は逆に尊敬するアル」

 

「それに至っては男の人の話じゃないですか!?」

 

「世界で一番エロの密度が高い国だと思ってるヨ」

 

 たとえ、どんな世界だったとしても。

 どんな窮状だったとしても。

 どんな戦乱が溢れていても。

 ―――日本はいつだって、世界のエロの最先端を走る、トップランナーだ。

 

 赤いきつねと緑のたぬきが、エロい狐と淫らな狸に聞こえる。

 主食がオカズ(意味深)に思える。

 性欲にまみれた一部の日本人はいつだって、妄想豊かに生きてきたのだ。

 

「……辛い、というのは合っています」

 

「ほらネ」

 

「もう最近、全然委員長に会っていないんです。

 ほら、頼られたいじゃないですか。委員長に。

 でも委員長に頼られるということは、委員長から離れるということなんです!

 私が一番委員長に役に立てるのは、委員長が居ない場所で彼の代理人になることですから!」

 

「……あー」

 

「辛い、というより、寂しいんです……」

 

「……あっ、フーン」

 

「若鷺さんが羨ましいです。

 何せ忍者ですよ、忍者!

 忍者の護衛だから傍に居られるんです!

 傍に居られるからきっと、委員長と色々……

 きっとぬちょぬちょしたことをしてるんです。ぬちょぬちょでぐちょぐちょを」

 

「ぬちょぬちょ」

 

「『サクヒに私しか見えないようにしてあげる』

 『あふぅん』

 『ふふ、ここがいいの?』

 『ああ、もう和子ちゃんしか見えない。明日も見えない』みたいな! みたいな!」

 

「ん、ンンッ」

 

「『和子ちゃんの瞳はまるでダイヤモンドさ』

 『ふふ、褒めても何も出ないよ?』

 『出るだろ……愛液がさ』

 『私の股間に水遁の術……』

 みたいな! そんな風に、あれこれしてるんですよ!」

 

「アルぅ」

 

 人一倍恋愛に興味がある癖に、まともな恋愛経験が一つもないくせに、変な少女漫画とエロ本で蓄えた知識だけが多くなったお嬢様は、こうなる。

 

「……こほん。

 失礼、冷静さを失ってしまいました。私としたことが。

 ああ、でもやっぱりこの辛さは、委員長に会えていないからなのでしょうか……」

 

「フクイインチョはすぐもーそうやって上に依存するー。

 先輩やら教師やら部長やら、自分より上の相手にはすぐそうなるアルな。

 そうやって上に依存しつつ上に高望みすんの正直どうかと思うアル。

 今フクイインチョの上にはイインチョしか居ないから尚更にーアルアルアル」

 

「……い、委員長は、特別ですし」

 

「まあ、それはワタシが関わるべきことじゃないのかもしれないアルが」

 

 一瞬、董の声色が真面目なものになって。

 

「従属気質なクラスメイトを見てると、少し心配になるワタシの気持ちも分かって欲しい」

 

「……」

 

 偽りようもなく、『心配』のこもった声が届いて。

 

「寂しいなら、ちょっとくらい顔見に行けばいいアル。難しい問題でもなシ」

 

 董はどこかへと去っていった。

 彼の医療行為により、もう毒で苦しんでいる者は居ない。

 桜花は憂いを顔に浮かべて、綺麗な黒髪を撫でつける。

 

「……いい人が本当に多いんですよね、うちのクラス。

 あの時代のあの人達に、ほんのちょっとばかり見習って欲しいくらいです」

 

 桜花と董は親しいわけではない。

 クラスメイトにあって当然の友好は有るが、それだけだ。

 だが、その程度の間柄でも、皆が互いを気遣える……そういう空気があるこのクラスが、桜花は好きだった。このクラスを作った朔陽が好きだった。

 このクラスの副委員長であることに誇りを持っていた。

 クラスの誰の顔を頭に思い浮かべても、暖かい気持ちになれた。

 

 ……が、途中であまり好きじゃないクラスメイトが居たことも思い出してしまった。

 嘘つきの子々津音々寧々だ。

 「掴みどころがない方ですね、貴女」と桜花は言った。

 「あんたよりは有るよまな板」と寧々は返した。

 許せぬ。

 許せるはずがない。

 好きでまな板やってるわけじゃないのだ。

 掴めるほど胸が無くて何が悪いのか。

 

 着物が似合う貧乳でいいじゃん、などと言われるのも腹が立つ。

 貧乳だから着物着てるってわけじゃないから! と叫びたくなるのだ。

 桜花はただ服として着物が好きなだけなのである。

 そんなこんなで、桜花は寧々があまり好きではない。

 女性らしくない部分を指摘されると、桜花はそこを過剰に気にしてしまう"事情"がある。

 

 とはいえ、こうしてクラスに苦手な人間が居るのを見ると、桜花は朔陽に委員長適性では劣っているのだということがよく分かる。

 個人レベルで見れば、間違いなく朔陽より優秀であるのだが。

 

「……一旦、王都に帰ってみましょうか」

 

 董のアドバイスを受けて、桜花は一度帰ってみることにした。

 仕切り直し、立て直し、再編成、頭を冷やす、仲間との話し合い……様々な言い訳が頭の中に浮かんだが、最たる理由は『朔陽の顔が見たくなったから』に尽きる。

 ブレーキ役が居なくなった前線組のクラスメイトが何をするか不安ではあったが、桜花はあえて考えないことにした。

 考えたくなかった、とも言う。

 

 何も考えず魔王軍相手に大暴れするだけで成果を出せる者達は、楽でいい。

 『ウルトラマンって乳首見当たらないけど、カラータイマーが乳首なのかな?』なんてことを意味もなく考えながら、心に任せて動くだけでいい。

 が、真面目なメンツは大変だ。

 桜花はむっつりすけべだがその性質は生真面目極まりない。

 友人に対し"会いたい"と思い、その心に従って行動してもしなくても、大なり小なり心に何か引きずってしまうのだから、もう筋金入りである。

 

「あ」

「あ」

 

 王都に朔陽に会いに来たのに。

 王都に足を踏み入れたその瞬間、桜花と朔陽は顔を合わせていた。

 

「委員長!」

 

「ちょうどよかった、今帰って来たんだね桜花さん。

 お疲れのところ悪いんだけど、桜花さんの視点からの見解も欲しいんだ。だから」

 

「その先はおっしゃられなくても大丈夫です。私は、言われなくても付いて行きますよ」

 

「ありがとう、桜花さん」

 

 同行に同意してから、桜花は朔陽の同行者に気が付く。

 犬と忍者。

 ブリュレと和子だ。

 ここに桜花が加わるのなら、朔陽以外はそれなりに強力な戦闘要員が揃うことになる。

 

 朔陽は、謎掛けのようなことを言い始めた。

 

「何かがあったのに、何があったのかも分かってないらしいんだ」

 

 それはまたしても、スプーキーから朔陽に届けられた調査依頼であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、フュンフの人間牧場だが。

 これが実は意外と国境の近くにある。

 人類領の北端と、魔族領の南端に引かれた国境線の北側……要するに、人類圏のすぐ外側の魔族領にあるというわけだ。

 本日、ここが爆発した。

 

 以前から、「ここを襲撃してさらわれた人達を助けよう!」という意見は多かった。

 そこでこの爆発である。

 人類国家はフットワークが重く、二の足を踏む国や牽制してくる国も居た。

 そこで「とりあえず見てきてくれないかな?」とスプーキーが朔陽に依頼したというわけだ。

 

 曲がりなりにも魔族領。

 しかも爆発したと来た。

 危険が無いわけがないが、多くの人が人間牧場に囚われていたのなら、その人達は魔族領に身一つで放り出されているということになる。

 一刻も早く状況確認が必要だ。

 一秒でも早く救助に行くことが必要だ。

 とにもかくにも、確認と調査が必要である。

 

「拙者はブリュレと申す者。以後、お見知り置きを」

 

「よろしくお願いします、ブリュレさん。私は大沢桜花と申します」

 

「……我らが姫と似たものを感じる。其方は特に良い教育を受けたので御座ろうな」

 

「実家が厳しいだけです。お姫様と比べないでくださいな」

 

 自己紹介もそこそこに、彼らは出発した。

 歩いて、馬車を乗り継いで、人知れず魔族領に繋がる道を進む。

 気付かれないよう潜入し、気付かれないよう脱出することが、今回の作戦の肝だった。

 

「……委員長、前ほど背筋が伸びてませんね」

 

「え、そうかな」

 

「しゃんとしてください。

 背筋が伸びれば、胸を張れます。

 背が真っ直ぐなら、重い想いでも背負っていけます。

 男の人なら、誰に見せても恥ずかしくない立ち姿で居てください」

 

 道中、彼らの間には会話が絶えなかった。

 その中でもブリュレが特に気になったのが、彼が初めて会う桜花という少女と朔陽の関係の深さ……いや、関係の奇妙さだった。

 会話の中で時々、桜花は朔陽に注意をしている。

 言葉だけ見ればただの神経質な注意なのだが、総合的に見てみると、それは朔陽を『よりよい男』に導く言動であることが見て取れた。

 

「……よく見ると、身だしなみもちょっとだけだらしなくなってますね」

 

「こんな微妙な差よく気付くね桜花さん、感心するよ」

 

「ほら、しゃんとしてください。

 貴方は笑顔も態度も柔らかい人です。

 だから舐められやすく、甘く見られやすいんです。

 せめて、服装だけはピシッとしましょう。

 貴方の柔らかい雰囲気は、ピシッとした服装の上でも損なわれないはずですから」

 

 直したいのは、朔陽の振る舞い? 朔陽の服装?

 いや、違う。

 姿勢というか、在り方というか、干渉されているのはそういう部分だ。

 桜花は朔陽の根本的な部分を変えないままに、漠然と彼を『強く』導いている。

 ほんの僅かな影響だが、小さくとも積み上げられる良い影響は、朔陽と桜花を眺めていたブリュレの目にも見えるものだった。

 

「まるで姉と弟……いや、師と弟か」

 

「そこまで明確な上下関係じゃないけどね、僕らの関係は。

 ただ、僕が辛い時には、桜花さんに教わった教えが頭に浮かぶことは多いよ」

 

「ふむ、辛い時か」

 

「本当の本当の窮地に、誰かを信じて賭ける。

 それはただの賭けだ。でも、友を信じて賭けたなら……

 その瞬間から、それはギャンブルじゃなくて、ロマンになるんだってさ」

 

 朔陽が、好きな言葉を語る。

 かつて朔陽にその言葉を教えた桜花が恥ずかしがる。

 和子は蝶を追いかけていた。

 

「ああ、そうで御座るな。それは、浪漫と呼ぶに足る物だ。くくくっ」

 

 ブリュレはまた少し、この異世界の人間達を好きになっていた。

 

「いや、すまない、思わず笑ってしまったで御座る。

 人はその永遠のような長い生涯で、互いに影響し合い、高め合うと聞いていたが……」

 

 短命の犬が、長命の人間達を見る。

 

「その話は、正しかったようだ」

 

 この友情は拙者の孫の孫の代まで続くだろう、とブリュレは思った。

 

「サクヒ、ワンちゃん、大沢さん、これ見て」

 

 魔族領に突入してから、目ざとい和子が奇妙なものを見つけ始めた。

 それは自身の無い和子には確信を持てないもの。

 だが、朔陽とブリュレが同じ見解を出したなら、和子はそれに確信を持てる。

 

「……血漿斬だ」

 

「え? けっしょーせん? 委員長、それは何ですか?」

 

「サクヒ殿の見立ては正しい。これは間違いなく、吸血鬼ツヴァイの血漿斬の跡だ」

 

「やっぱり」

 

 それは風景を切り裂く魔の技、血漿斬。

 ツヴァイが得意とした技だ。

 今このメンバーで勝てない相手とまでは言わないが、勝てると断言できる相手ではない。できれば会いたくない敵だ。

 血漿斬の跡は、目的地に近付けば近づくほどに増えていく。

 

「血漿斬は直線の技だ。

 この技を四方八方に連射した場所の周りは、さぞかし跡が多いだろう。

 でもその場所から離れていれば、きっと跡は少なくなっている……」

 

 目的地に近づくにつれ斬撃痕が増えているということは、今居るかは分からないが、目的地にツヴァイが居たということだ。

 一定の緊張感を保ちつつ、彼らは進む。

 

「……何か、おかしい」

 

 まず真っ先に違和感を口にしたのは、忍者特有の感覚を持つ和子だった。

 彼女は森に違和感を持つ。

 

「肯定する。何かがおかしいで御座る」

 

 ブリュレの五感も不可解さを理解させる。

 地面の下で、大気の中で、森の合間で息づく命が、何故かことごとく『おかしなもの』に感じてしまうという異常事態。

 

「委員長、私の後ろに隠れてください。私が貴方を守ります」

 

「じゃあ僕は、桜花さんの後ろで桜花さんの背中を守ろうかな」

 

 桜花は着物を翻し、その辺の尖った木を右手に握り敵の目に刺す構え。

 左手にその辺の痛そうな石を握り、敵の鼻か股間にぶつける構え。

 万全の構えで、朔陽を守れるポジショニングをしていた。

 

「……?」

 

 耳を澄ませば、聞こえる水音。

 

「あれは……」

 

「魚?」

 

 近くに見える小さな池。

 大きめの生け簀程度のサイズしかなさそうなそこを、何匹かの魚が泳いでいる。

 普通の魚か?

 違う。

 ならば魔物か?

 違う。

 魚に見えるだけの玩具か?

 違う。

 

 それは、池から飛び出し、空を飛んで朔陽達に飛びかかり……

 

「!? い、いや―――」

 

 

 

 魚の体に『織田信長の顔』が付いたその姿を、彼らに見せつけた。

 

 

 

「―――織田信長!?」

 

 驚愕する朔陽と桜花の横で、ぼけぼけと和子が飛んで来る魚を指差している。

 

「見て朔陽。飛んで来てる魚、全部顔だけ織田信長。凄いよ、教科書で見たあの顔だ」

 

「凄くないよキモいよキモいよ何コレ!?」

 

 魚の飛行速度はゆっくりだったため、魚の噛みつき攻撃を避けることは容易だった。

 朔陽でも見切れる速度だ。

 だが、この異常事態は、これだけに終わらない。

 朔陽達の周囲に、ブーンと虫が何匹か飛んで来る。

 

「ハエ……いや、顔が全部織田信長!?」

 

 それが織田信長の顔をした蝿だと気付いた瞬間、朔陽の表情は驚愕と困惑と恐怖に染まる。

 何がなんだか分からなすぎて、怖い。

 ミミズが地の下から這い出る。

 信長の顔だった。

 ホーホケキョ、と鳥が鳴いた。

 信長の顔で。

 蝶が飛んでいる。

 羽の模様が信長の顔だった。

 四方八方織田信長。まさに信長パラダイス。

 

 セイバー顔の量産など比較にもならない信長顔の大量配備。

 全ての信長が敵意を示し、朔陽達に襲いかからんとしている。

 虫も、魚も、鳥も、全てが信長で構成される生態系。

 信長だけの食物連鎖。

 今、朔陽達はその食物連鎖に、食べられるための獲物として取り込まれようとしていた。

 

「走れッ! 『ウィス』!」

 

 ブリュレが風の初級魔術を、抜き打ち気味に広範囲に放つ。

 初級魔術を拡散すれば、大抵の魔王軍は仕留められまい。

 だが蝿型織田信長なら切り裂ける。小動物の織田信長なら、吹き飛ばせる。

 ブリュレが開いた突破口に突っ込むようにして、彼らは信長包囲網(真)を突破した。

 

 走る。

 彼らはひた走る。

 そして、フュンフの研究所跡を見つけた。

 発見を喜びたいところだが、今はそれどころではない。

 破壊された研究所跡を使い、信長化生物のみで構成された信長軍の進軍を、彼らは隘路で迎え撃った。

 

「ごめんなさい。私、忍者だから。コラ画像みたいな生き物は燃やさないと」

 

 狭い道を通ろうとし、密集した信長達を、和子が火遁で灰と化す。

 信長だけで構成された虫柱も念入りに燃やす。

 信長の焼き魚は食欲を誘ういい香りを発していたが、流石に誰も食べる気にはならなかった。

 

「これは、いったい、なんなんだ……?」

 

「拙者には全く分からぬ。だが、其方らはこれの顔に心当たりが有る様で御座るが」

 

「あ、うん。僕らの世界の、歴史上の人物なんだけど……」

 

 朔陽は困惑している。

 和子もぼうっとした顔をしているが、少なくない動揺が見られた。

 ブリュレに至っては信長の顔を教科書で見たことさえないために、根本的に何がどうなっているのか分からないという顔をしている。

 だが、桜花は違った。

 桜花は"これは何"といった顔をしていない。

 "何故これがここに"といった顔をしていた。

 

「信長、細胞……」

 

「……? 桜花さんは、アレが何か知ってるの?」

 

「オリジナルの織田信長の体細胞です。

 他の生命に付着することで、その命を乗っ取る。

 乗っ取った命を凶悪に変化させていく。

 信長化の進行が進んだ命は、信長本体の体に還り、信長の命に還元される……」

 

「信長細胞……そういえば、聞いたことが有る。確か、IPS細胞の別名だっけ……」

 

 この一帯には、信長細胞がばら撒かれた形跡があるようだ。

 それが他生物に寄生して、信長化させている。

 この研究所跡の周辺に存在している生物は、全て織田信長であると見るべきだろう。

 

「これを止めるには、本体の織田信長を封印しなければなりません」

 

「ええと、桜花さんの言ってることよく分からないけど……

 今はここに戦闘できる人も何人か居るし、なんとかなるんじゃない?」

 

「織田信長を舐めないでください。

 織田信長細胞を一つ植え付けただけで、ただの虫や魚がああなったのですよ?

 『全身が織田信長細胞で出来た人間』が、どれだけのバケモノか想像できますか?」

 

「ごめん、できない」

 

 彼らはまず、研究所跡の探索を始めた。

 何故こんなことになっているのか。

 何故こんな環境が出来たのか。

 この研究所を使っていた魔将は、魔王軍は、そしてさらわれた人間達がどこに行ったのか。

 資料を漁らねば、まるで理解できそうになかったのだ。

 

「というか桜花さん、なんでそんなに織田信長について詳しいの? 信長のプロ?」

 

「……」

 

「話したくないなら、話さないでいいよ。

 話したくなったら話して欲しい。

 僕は君が話したくなるまで、待ってるから」

 

「……ごめんなさい」

 

 申し訳なさそうにする桜花をよそに、まず最初に何かを見つけたのは、和子だった。

 

「捕まっていた人間達が混乱に乗じて脱出した痕跡を見つけた。

 後は、毒の研究。毒についての研究書類がいっぱい見つかった」

 

「毒?」

 

「ん。ここは、人を殺すための毒をたくさん研究していたみたい」

 

 研究資料もその多くが失われてしまったようだ。

 醜悪な研究が積み上げたそれらは、今やそのほとんどが現存していない。

 せいぜい、ここで何を研究していたかを知ることくらいしかできない有様であった。

 

「拙者は核心に近いものを見付けたで御座る」

 

「ブリュレさん」

 

「どうやら奴ら、召喚術式の実験を予定していた様だ」

 

「!」

 

「姫は『誤召喚』を恐れていた。

 勇者召喚の失敗から、予想だにしなかったものの召喚を恐れていた。

 それが功を奏したので御座ろう。

 姫はここの魔将がしてしまったような失敗を、一度もせずに済んだのだ」

 

「誤召喚……」

 

「召喚は時の矛盾を時に超越する、と現在は仮定されている。

 拙者は信長という人物を其方らに聞いた範囲でしか知らぬ。

 信長が歴史の中で死んだということくらいしか知らぬ。

 だが、召喚によって死の直前の信長が召喚された可能性はあるのではなかろうか?」

 

「あ、なるほど」

 

 ブリュレの合理的な推測に、朔陽が納得しかけるが、桜花は首を横に振る。

 

「いえ、それはありえません。

 信長様は本能寺の渦中にして火中であるあの場で、封印を施されました。

 召喚はおそらく、封印中の信長様を召喚してしまったのではないでしょうか」

 

「封印? 本能寺で?」

 

「委員長。本能寺に行ったことはありますか?」

 

「え? ないけど……」

 

「本能寺の『能』、旧字の一つを使ってるんですよ。

 『ヒ』を一つも使わない能の字を。

 火で燃やされてしまったので、火(ヒ)を避けたのだと言われています」

 

「へぇー」

 

「死という漢字のヒの部分は、跪く人を表しています。

 本能寺は死の中の人(ヒ)も避けているんです。

 人と火を遠ざけることで、信長という魔をあそこの地下に封じていたのです」

 

 成程、道理が通らなくもない。

 

「本能寺の地下に封印された信長様は、それでも地上世界に干渉します。

 信長様の瘴気は人の正気を削り、人の心を悪化に導く……

 現在はTwitterやまとめサイトコメント欄等の民度を悪化させるなどの影響が増えています」

 

「酷い!」

 

 和子が突然叫んだ。

 ここに食いつくのが和子だけというのがまた悲しい。

 

「桜花さん……そこまで話すってことは、そこまで詳しい理由、教えてくれるってこと?」

 

「はい」

 

 桜花は髪の(かんざし)に触れる。

 触り慣れない質の黒髪を撫でつける。

 なけなしの勇気を振り絞る。

 そして、決して明かすまいと誓っていた己の秘密を、打ち明けた。

 

「私は元の名を森成利。世に知れた方の名を、森蘭丸と申します」

 

「―――!?」

 

 大沢桜花は、歴史を語る口を持つ。

 

「少し、時間をください。

 これより、歴史の闇に葬られた全ての真実をお話します」

 

 桜花は和子が見つけてきた資料の一部を握り潰し、口を開いた。

 

 その資料に書かれていたのは、毒を研究していたフュンフが見つけた、ウンコがもたらす人体への毒性効果の実験結果であった。

 

「三方ヶ原の戦いで家康が糞を漏らしたと捏造された理由も。

 当時糞が戦場の毒として普及していたことも。

 当時の同人誌で擬人化された名刀・明智光秀のことも。

 歴史の真実では、家康が糞を光秀に塗って信長様を斬り倒したことも。

 糞まみれになって汚くなった本能寺が炎で消毒されたことも……全て、話します」

 

 もうお腹いっぱいなんだけど、と朔陽は思った。

 

 

 

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