サーティ・プラスワン・アイスクリーム   作:ルシエド

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その2

 織田信長という存在を語る話は、諸説ある。

 美少女だと言う者も居れば、怪物だったと言う者も居る。

 誰よりも神を嫌い、誰よりも神に愛されただけの、ただの人間だったと言う者も居る。

 ホモだったと言う者も居れば、レズだったと言う者も居る。

 だが、日本史の一部は作られた歴史だ。

 後世に悪い影響を与えないために、捏造されたものに過ぎない。

 それを参考にしてしまっては、正しい信長像など見えてくるはずがないのだ。

 

 宣教師ルイス・フロイスは、自身の著書にて「彼は日本のすべての王侯を軽蔑し、下僚に対するように肩の上から彼らに話をした」と信長を評している。

 だが、よく考えてみるとこれはおかしい。

 信長より背が高い人間などいくらでも居たはずだ。

 なのにその全員の肩の上から話ができるものなのだろうか?

 答えは否。

 ならば、そこにはそれ相応の理由がある。

 

 ―――信長は、造られた巨人の類だったのだ。

 

 織田の名字は、そのまま製作注文(オーダー)を示している。

 織田信長とは、神造形師・織田信秀によって作られた、人造の巨人だったのだ。

 それならば様々なことにも説明がつく。

 伝承では、信長は身内に優しいのに、人とは思えぬほど残酷な処断をしてきたとされる。

 人造生命であれば機械的に敵を処理することは当たり前であるし、味方に慈悲深いのはそういう風に作られたからだと考えることができる。

 機械兵士は敵に無情で、味方に甘い。それと同じことだ。

 

 『大うつけ』という言葉の意味も、世間一般で語られている意味は間違っている。

 青年期までの信長に対する評価、大うつけ。

 世間ではこれをうつけ(バカ)以上のうつけ(バカ)という意味で受け取っている。

 だが、本当にそうだろうか?

 「チョベリバなうつけ」「ヤベえうつけ」「名状しがたきうつけ」「えげつないほどうつけ」といった風に、別の表現があったのではないだろうか?

 

 つまり、だ。

 『大うつけ』とは、『体の大きなうつけ』という意味だったのだ。

 これならばわざわざ大うつけと呼ばれていたということにも、説明がつく。

 

 長篠の戦いでは、全身に生やした火縄銃三千丁による信長の一人三段撃ちが披露された。

 桶狭間の戦いでは、油断していた今川軍が密集していた所に、信長が単騎で突っ込み今川義元を踏み潰した。

 比叡山は信長が口から火を吐いて焼いた。

 史実の妖術師・果心居士は、腹が減った信長がおやつに食べたという真実を隠そうとしたら、何かあれもこれも滅茶苦茶になり、結果妖術師っぽくなってしまった。

 捻じ曲げられた歴史も、そういう風に解釈すれば、無理なく理解できるのではないだろうか?

 

 これならば、黄泉瓜巨人軍が巨人の遺伝子を見つけ、死体を巨人兵器に変えるという戦術を確立したことにも納得がいく。

 日本史に前例があった、というわけだ。

 焚書された戦国時代の書物か何かを見つけたのだと考えれば、筋も通る。

 野球界の信長好きはそれなりに多い。

 おそらく信長リスペクトが高じて、信長のルーツを探っていく内に葬られた真の歴史に気付き、巨人を作ってしまった者が居たのだろう。

 

 以上が、歴史に隠された真実。

 

 織田信長は黄泉瓜巨人軍の祖たる、人造巨人兵器であった。

 

 それが今や巨人ですらない肉塊となっているのだから、運命とは奇妙なものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 森成利……森蘭丸は、幼少期からそんな信長を見守ってきた。

 信長にも厚く信頼された父・森可成という人格者と、イラッとしただけで奉公人をサクッと突き殺す兄・森長可などを知り育った彼は、人間には親子ですらも遠いものになってしまうことがあるほどの多様性があることを知った。

 何を見習うべきか、何を反面教師とすべきか、環境が教えてくれていた。

 

 環境が彼に基本的な生き方を、善良で真面目な生き方を教えてくれた。

 それはいいことだ。

 それを知らない者も多い。

 だが、『大事な生き方』だけは、環境ではなく信長が教えてくれていた。

 

 宣教師ルイス・フロイスが自著の中で信長を「中くらいの背丈で、華奢な体躯」と評したことからも読み取れるように、普段の信長は普通の人間サイズであった。

 それは力を溜めておくためか。

 巨人として造られた自分の耐用年数を長持ちさせるためか。

 自分は人間である、と主張するためか。

 いずれにせよ、信長が巨人になる時間はほんの僅かで、それ以外の時間帯はずっと通常の人間として生きていた。

 

 最初は小姓として、次第に側近として、蘭丸は人生の1/3近くを信長の傍で過ごした。

 

「貴様には、友が必要であるのかもしれんな」

 

 遠い昔。信長はある日、蘭丸に突然そう言った。

 蘭丸は困惑する。

 織田信長の思考回路は良くも悪くも普通の人間の範疇を外れており、こういった突拍子もないことを言うのも珍しくはなかったが、蘭丸は自分を対象にされると困惑してしまう。

 大沢桜花としての人生経験値がないため、なおさらに。

 

「たったひとりで構わん、友を作るがよい。

 貴様が敬意を払える友だ。

 貴様を肯定してくれる友だ。

 貴様のよい部分を見て、それを口にしてくれる友だ。

 春に桜を、夏に海を、秋に月を、冬に雪を楽しめる者であればなおよい」

 

 何故そんな友が必要となるのでしょうか、と蘭丸は問い返した。

 

「その友が儂よりも大切な者となった時。

 貴様は、成りたいと願う自分に成れるであろう」

 

 あまりにもよく分からなくて、蘭丸は無礼を承知でまた聞き返してしまう。

 

「人は、それで初めて『人と成る』ものであるからだ。

 一定の年齢に至れば成人だなどと、それでは本質に余りに遠い。

 人は生きていれば誰かを好む。

 一番に好ましい人間を作る。

 だが、母親を一番に愛し、そのまま変わらぬのであれば、幼子も同じよ」

 

 信長は、人間は一番に大切な者を作り、それ以上に大切なものが出来て初めて『成人』の名に相応しいのだと言った。

 人間は、コミュニティを広げて行く生き物だ。

 自分の世界を広げ、交友関係を広げていく生き物だ。

 同時に、人間は自分が日常を過ごす範囲の中、コミュニティの中が世界の全てであるという生き物でもある。

 

 幼子にとって、最初は親と家の中だけが世界の全てだ。

 やがて家の外に世界が広がり、学び舎や友人が世界に加わる。

 少し経てば、街が子供にとっての世界の全てとなり。

 大人になれば、大人の力で行ける範囲が、その大人の世界の全てとなる。

 その過程、その全てが……どこかの誰かとの、出会いで構成されている。

 そうやって成長と出会いを重ねていく内に、人間の中には『一番大切な友人』『一番愛している妻』『一番頼れる仕事仲間』といったものが逐次出来ていく。

 

 『コミュニティ』という言葉すら無いこの時代に、信長はおそらくそれを、直感的に理解していたのだろう。

 

「儂は身内も好ましく思っていたが、それ以上に儂の作る未来を愛した」

 

 信長の中には、一番に愛している者もいるだろう。

 だが、一番に重んじているのは"自分が一番に望んだ形の未来"であり、愛した者はその次点に置かれている。

 恋人を親友より優先する者がいる。

 妻を母より優先する者がいる。

 夢より仲間を優先する者がいる。

 尊厳より金を優先する者がいる。

 信長は、"織田信長を一番に敬愛する森蘭丸"にそういった、時に葛藤を経る矛盾にも似た感情を体験させるべきだと考えていた。

 

「蘭丸。貴様は未来や世界よりも人を愛するに向く人間であろう。

 であれば、必要なものは人間だ。

 忠誠心厚いのは分かるが、貴様はあまりにも儂を高みに置きすぎている」

 

 説明されても、蘭丸にはよく分からない。

 何故、自分がそんな人間を作らなければならないのか?

 信長の思惑が理解できない。

 

「友情を持ち。

 愛情を持ち。

 執着を持ち。

 拘りを持ち。

 ……それら全てに合理的な優先順位を付けられる人間の方が、儂は好ましく思う」

 

 だが、その一言で理解できた。

 信長は、酸いも甘いも知り、清濁混ざり合った上で自分に忠義を尽くす人間が欲しいのだ。

 信長を一番に敬愛する蘭丸が、一番に大切な友人を作った上で、その友人よりも信長の方を優先する姿が見たいのだ。

 人であって人でない信長は、部下に人間らしさを求めている。

 自分に欠けているものを備えた部下であることを、望んでいる。

 

「友を作れ。貴様にとって最も親しいと言える友をな」

 

 ……だが結局、この『友』は、蘭丸の人生一回分の時間では見つけられなかった。

 

 上様を超える一番など見つけられる気がしません、と蘭丸は信長に返した。

 いかな奇跡が起ころうとも、上様と並ぶ者を見つけることすら困難でしょう、と言った。

 そして、見つけられなかったらどうなされるのですか、と質問を返した。

 

「その時は……是非もなし」

 

 感情の無い信長の顔と返答が、信長を敬愛する蘭丸の胸の内に、ひっそりと冷たい恐怖を流し込んでいた。

 

 

 

 

 

 友は見つけられず、時は流れる。

 蘭丸は信長に言われたことを実践しようと悪戦苦闘している内に、他人を眺めてその魅力を探す癖がついた。

 正確に言えば、自分の中で『他人の尊敬できる部分』『他人の好ましく思う部分』の基準がはっきりとしてきて、他人の良さを自分基準で見極めるのが上手くなってきた。

 

「ふーむ……」

 

 『人の本質は困難、窮地、絶体絶命という光に当てられ浮かび上がる』。

 蘭丸の中で出た結論の一つが、それだった。

 

「やっぱり上様ほどピンチに強いお方はいない、か」

 

 困難を前にして折れず、頭を使って手を尽くして挑み続ける者の強さ。

 窮地で背中を預けられる、信頼できる者の素晴らしさ。

 絶体絶命の危機の中でも、自分より仲間を守ろうとする心の根の美しさ。

 死の危機を前にすると人間はその本性を現す、というのはよく聞く話だが、蘭丸はそこにこそ『人間の本質』が出るという考えに至っていた。

 

 フュンフのような「人間は醜い」という解答に至るための実験とは少し違う。

 蘭丸は「凄い、この困難を前にして男を見せたな」と思えるような男を探していた。

 男として尊敬できる友人を探していたのだ。

 残念ながら、友人になれそうな者は見つからなかったが。

 

「上様が尊敬を集めているのも、このあたりに理由がありそう」

 

 困難、窮地、絶体絶命の場で見せる男の本性。

 そういう意味では、織田信長はぶっちぎりで優れていた。

 

 何度も何度も訪れる窮地。

 周囲全てが敵というのも珍しくない絶体絶命。

 なのに、織田信長はその困難の全てを跳ね返してきた。

 まるで、追い詰められてからが本番だと言わんばかりに。

 

 織田信長が最初から圧倒的強者で、全ての敵を妥当にすり潰していったなら、これだけの人気を得られただろうかと蘭丸は思案する。

 いや、それはない、と結論付ける。

 信長は困難の前でこそ最も輝き、窮地にて最も強く、絶体絶命の中で無敵となる者だった。

 蘭丸の中の信長評価は爆上がりである。

 

 上様が本当の意味で負けて死ぬことなどないのだろうな、と、蘭丸は楽観的に考えていた。

 

 永遠を保証されたものなど、終わらないものなど、ないというのに。

 

 

 

 

 

 予兆はあった。

 

 信長が正気でなくなる時間が増えた。

 自称妖術師の果心居士がおやつにされた。

 信長の巨人化能力・小人化能力が不安定になり始めていた。

 細胞の一つ一つが巨大化と縮小化を繰り返す内に、織田信長の細胞はその一つ一つが信長細胞という脅威に突然変異し始めていた。

 それでも、蘭丸は変わり果ててゆく信長に付き従い、最後までその傍に居た。

 

 そして、本能寺で運命の夜が来る。

 

「織田信長の心身は暴走を始めている。造られた巨人の宿命よ」

 

 剣豪徳川家康とその配下が、本能寺で巨人化した信長を取り囲んでいた。

 手には一刀、名は明智。

 名刀・明智光秀は家康の糞にまみれ、その刀身に月の光を美しく反射していた。

 

 信長が正気を失いつつある今、細胞の一つ一つですら脅威となる程の偉人・織田信長は世の平和のため殺さねばならない。

 それが、信長の配下や同盟者達の総意であった。

 

「歴史の闇に葬らねば……信長細胞は危険すぎる」

 

 名刀・明智光秀は端から端までクソまみれであった。

 糞尿は、戦国時代に最も使われた毒だ。

 槍や矢の先に付けることで、傷口を汚染し破傷風を引き起こす。

 ウンコとは、当時トレンド最先端の毒だったというわけである。

 

 そして、戦国時代には既に偉い人のウンコが農民等のウンコよりも栄養豊富であったことは認識されており、江戸時代には富裕層のウンコは肥料として高値で取引されていた。

 時代が進むにつれ人々のウンコの栄養価は高くなっていき、ウンコの畑への直播き文化は消え、やがてウンコの肥料活用そのものが消えていった。

 栄養が多すぎるものも少なすぎるものも、肥料に使えないのは当然のこと。

 ウンコは、強くなりすぎたのだ。

 農業という世界に居られなくなるほどに。

 

 偉い人のウンコは、そうでない者のウンコより強い。

 ならば、徳川家康のウンコは?

 後に天下人となるほどの者のウンコなら、戦国時代の兵士達が使っていたウンコよりも、遥かに高い威力を持っているのではないか?

 その思考は極めて正しい。

 家康のウンコの破壊力は、常人のウンコのATKと比較すれば80%ほど高かった。

 それを塗りたくった光秀の威力たるや、神話に語られる神殺しのそれに比肩する。

 

 この"クソまみれの明智光秀が信長を斬り殺した"という噂が、歴史の隠蔽の影で形を変え語り継がれて、後の歪められた歴史の中で『本能寺の変』として語られることとなる。

 

「彼は長生きするべきではなかった。ここで、終わらせてやらねばならない」

 

 家康も、信長のかつての仲間達も、信長が憎いからここに居るわけではない。

 巨人信長が立つ本能寺を、自分の利益のために包囲しているのではない。

 信長に対し怒っているから、武器を握っているのではない。

 全ては、信長が魔に落ち切る前に殺すため。

 彼を英傑のまま死なせるためだ。

 

「本物の……魔王となる前に!」

 

 悪夢が広がる惰性より、信長が偉人のまま終わる、そんな綺麗な終わりこそを、彼らは望んだ。

 

 信長細胞を撒き散らし、『第六天魔王』と呼ばれる所以となった猛威を振るって、織田信長は暴れ始める。

 巨人信長に立ち向かう家康達は、その体から漂う汚い異臭とは裏腹に、清廉潔白な勇気を持って立ち向かった。

 

「ガアアアアアアアアッ!」

 

 信長という強者と、群れる人間という弱者。

 織田信長はこういった戦いで容赦したことなど一度もなく、加えて負けたことも一度もなく、ゆえに『魔王』と呼ばれていた。

 だが、今日は違う。

 信長は勝てない。

 信長は負ける。

 それはまるで、信長自身がその敗北を望んでいたかのように。

 

 本能寺を囲む人々の猛攻が二分弱は続いた、その時。

 

「上様!」

 

 戦いの開始から二分。

 

 信長の胸の敦盛タイマーが、点滅を始めてしまった。

 

「上様、お逃げください!」

 

 巨人化した信長の胸には、青く光る敦盛タイマーが存在する。

 地球であらゆる創作から類似するものを探しても、似たものが何一つとして見つからないという独自性溢れるタイマーだ。

 このタイマーは、信長の巨人化から二分が経つと赤く点滅を始める。

 

 そして、敦盛を流すのだ。

 

「信長様っ!」

 

 タイマーは一分間大音量で敦盛を流し、それが終われば、信長は小サイズに戻ってしまう。

 それはイコールで死を意味していた。

 本能寺に流れるこの敦盛こそが、信長が今ここに生きているという確かな証。

 

「敦盛が、終わってしまう……!」

 

 敦盛が流れる。

 敦盛タイマーが点滅する。

 タイマーの点滅が速くなり……やがて、敦盛は終わりを告げた。

 

「あ、ああっ……!」

 

 信長が人間サイズに戻り、刺し殺される。

 ……頭を刺して殺されてもなお動く信長の体に、皆は恐怖を抱き、本能寺に飛び散ったクソと信長細胞の全てを闇に葬るべく、火を放った。

 これで全ては燃えるだろう。

 燃え残った信長の残骸も、本能寺の地の下に封印されることだろう。

 そして、万が一にも信長細胞の悪用という可能性を残さないために、歴史は捻じ曲げられるだろう。

 

 織田信長は、戦乱の世を力で真っ平らにして、平和への布石を打った偉人。

 その存在を全て歴史から消すことなどできはしない。

 けれども、できる限りは歴史を捻じ曲げるだろう。

 信長細胞を医療分野に使う程度ならばいい。

 だが、もしも兵器利用して使い方を謝れば……地球人は、その全てが信長になるだろう。

 

 その日から、地球の全てのAVのAV女優の顔が、織田信長になることになる。

 

「恨んでくれて構わん。この徳川家康、全ての呪いを甘んじて受けよう」

 

 信長が戦い始める前から、信長を守るために戦い致命傷を負っていた蘭丸は、そのまま燃える本能寺と共に運命を共にした。

 

 悲しかった。

 悔しかった。

 情けなかった。

 何もできなかった自分が、嫌いで仕方なかった。

 蘭丸は信長を守りたかったのに、こんな終わりは避けたかったのに、願いは何も届かぬまま。

 信長の肉塊が燃え、蘭丸の肉体が焼けていく。

 

 消え行く意識の中で、蘭丸は思った。

 次は、次こそは。もしも次があるならば。こんな弱い自分ではなく、もっと強い自分が、主君と認めた者を守れますように。

 自分が、もっと強い男になっていますように。

 強い男になった自分が、守りたいものを守れますように。

 ……そう、願った。

 

 なんと哀れな願いだろうか。

 焼死しながら、自分の救いを願うでもなく、誰かの破滅を願うでもなく。

 夢の終わりに"次はもっといい夢を見られますように"と願うような儚い願い。

 "今の自分"というものを心底否定する色合いすらある。

 自分に『次』がないことを知りつつも、『次』に何かを願う姿は、いっそ滑稽ですらあった。

 

 人生に本来次は無い。

 なのに。

 蘭丸は、生と死の境界線を越えたその先で。

 織田信長が終生嫌った、人を導く神とやらの御手を、見た気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 日本史を見て、多くの者が思ったことだろう。

 本能寺の変で火を放ったバカは誰だ、と。

 信長の死体を確認できない状態にしてどうするんだ、と。

 信長の首を切り落として確保していれば、打てる手が無数に増えてただろ、と。

 生死すら確認できない本能寺への焼き討ちは、歴史の謎をたいそう増やしたと言われる。

 

 その歴史の真実を知っていて、捻じ曲げられた歴史に不快感を抱きながら生きる者が居た。

 

 旧華族の末裔・大沢家の桜花として生まれた少女……蘭丸の、転生体だ。

 

「……」

 

 以前は男だったのに、今は女。

 見せつけられるのは、信長が居なくなった後も続いていた歴史。

 信長が志半ばで死んでも、日本は平然と発展し、戦国の時代を終わらせていた。

 そこに、蘭丸は言葉にし難い不快感を覚えている。

 

「……はぁ」

 

 前世の最後に強い男になりたいと願ったのに、何故か弱い女になってしまった。

 女になった分、前世より弱くなったまであるだろう。

 それなりに金はある実家のおかげで護身術の練度はかなり高かったが、彼/彼女が望んだ強さには到底及んでいなかった。

 男になれなかった。強くなれなかった。望んだ未来に辿り着けなかった。

 

(信長様なら……きっと、自分の望んだ未来を強引に掴み取っていたはずなのに)

 

 願った未来を掴む力。

 望んだ形に世界を変えていく力。

 祈った方へ運命を寄せていく力。

 信長にはそういう力があって、蘭丸/桜花にはそれがない。

 それを、改めて自覚させられた。

 

 桜花は今の女の体に肉体の実感としての違和感はあるが、精神的な嫌悪感はない。

 まあ、前世も今生も男が好きなのだ。

 細かい問題は桜花自身が気合で乗り越えていくことだろう。

 桜花からすれば性別ギャップ、環境ギャップ、時代ギャップに常識ギャップと根本的に認識を改めないといけないものが多すぎる。

 性別変化ですら埋没するほどに、あらゆることが大変だったのだ。

 

「あー……どうしたものでしょうか。

 こういう精神的な些事の解決にいつまでもかかってしまうから、私は凡人なのでしょうね」

 

 生まれ変わったから特別?

 転生したから特別?

 下駄を履いて人生やり直し?

 桜花は、そんな風には思えなかった。

 

 生まれ変わったことが特別なのではなく、織田信長から生き方を学べたからこそ自分は特別なのだと、そう思えた。

 同時に、それ以外に自分に特別な部分などないのだと、自分を戒めることができた。

 思い上がらず、慎み深く、その生涯は堅実に。

 桜花は彼女なりに努力して、自分の中にあった性別変化などの問題を一つ一つ噛み砕いて、消化していった。

 

「桜花お嬢様! またご主人様に黙ってこっそりといやらしい本をお買いになったのですね!」

 

「メイドッ! 私が部屋に入るなと言った時間は部屋に入るなと言ったでしょうッ!」

 

 しかしながら、エロ方面ではそんな彼女の性質が変にハマってしまった。

 

 彼女は頑張った。

 その結果、性別変化による葛藤に折り合いを付けられるようになった。

 彼女は頑張った。

 親が課した礼儀作法や淑女の振る舞いを、全て完璧に身に着けていた。

 彼女は頑張った。

 家庭教師なども付けられ、精神的にも完璧なお嬢様となるよう育てられてきた。

 

 が、完璧だったはずの教育は、"このお嬢様に男の前世があった"という不可視の一要素により、完璧に破綻してしまったのである。

 

「え、えっちぃ……また見られたらあれですし、掛け布団を被りましょう……」

 

 教育の成果か、現実では純愛の恋愛を好む桜花。

 だが教育の反動で、エロ本に関してはTS物やNTR物のようなアブノーマルタイプ、浮気物のようなインモラルタイプのものを好むようになってしまった。

 少女漫画も、ちょっと危うい男女の関係や、『全年齢作品のちょっとしたエロがエロ本の露骨なエロよりエロい現象』を起こしているものを読み漁ったりもした。

 エロ漫画が無い時代に生まれた子に、現代のエロ漫画はあまりにも強烈過ぎたのだ。

 

「ふわぁ……こ、これはいけない……いけませんよ……!」

 

 ちょっと男性にこういう風に強引に迫られたい、と彼女は思った。

 ふと思った。

 思ってしまった。

 

「……いやいやいやいや!」

 

 立派な男になりたい、という前世の気持ちをほぼ全て捨てられそうになっていたタイミングでこんなことをふと思ってしまったものだから、その気持ちを否定しようとして躍起になる。

 躍起になるから捻じ曲がる。

 人間なんて、一時の気の迷いをいくらでも生み出す生き物だ。

 ふと思ったことが本音である確証などない。

 それでも、桜花は男性に強引に押し倒されたいと考えたその思考が、自分の本音なのか、一時の気の迷いなのか、どちらかなのか判別がつかなくて。

 

 そして、気付く。

 男だった前世の頃は、男に抱かれるのに忌避感は無かった。

 戦極の時代には普通のことだったからだ。

 女だった今になって、男に抱かれることに少しの恐怖を感じている。

 今の桜花は、恋に夢見る少女でもあるがゆえに。

 『魅力的な男に強引に迫られてものにされたい』と思ったのは男の部分で、貞操観念からそこに反発したのが女の部分だったのだ。

 

 凄まじく、捻じ曲がっている。

 

「……私、もしかして変態さんになってしまったのでしょうか」

 

 桜花の男女関係に関するアレ気味な部分は、こういうプロセスを経て、年単位の時間をかけて育まれていったのだった。

 

 

 

 

 

 凄まじく捻じ曲がった桜花だが、学校ではこういった性的な捻れ具合を表に出すことは決して無かった。

 そのため、通った学校での彼女の評価はいつでも真っ二つ。

 『思わず恋をしてしまう才色兼備なお嬢様』か、『厳格で口うるさい委員長気質の女』の二つしか目につかないほどに、真っ二つであった。

 

「ほら、服装はしっかりしてください! それでも男ですか!」

 

 "男ならばこうあるべし"という考えが、彼女の中にはある。

 それはかつて立派な男を目指したからであり、家庭教師の教育が――駄目な男に引っかからないように――男を見極める基準を教えたからでもある。

 男は格好良くあって欲しかった。

 男は立派であって欲しかった。

 男は……自分が惚れるような、素敵なものであって欲しかった。

 ゆえにか、桜花の男性に対する指摘はやや口うるさいものになってしまう。

 

 桜花は自分の内心を自覚していない。

 その口うるささは『私は望んでも男に生まれることができなかったのに……』という想いの混ざった、至極面倒臭いものであった。

 

「うっせーな」

「何様だよ」

「別に校則違反じゃないんだし」

 

 当然のように、男子には反発される。

 和服美人を絵に描いたような彼女に好意を持っていた男子でさえ、好きな子をいじめたくなる気持ちから周囲に賛同してしまう。

 男子が桜花の前から去っていく。

 

「……」

 

 胸が痛んだ、ような気がした。

 何故胸が痛んだのかさえハッキリと自覚できない桜花が、首を横に動かせば、そこには桜花の言う通りに身だしなみを整えている者が居た。

 

「……あ」

 

 胸が暖かくなった、ような気がした。

 何故胸が暖かくなったのかさえハッキリと自覚できない桜花が、うんうんと頷く。

 彼の名前は佐藤朔陽。

 桜花のクラスメイトで、今日まで話したこともない。

 だがしかし、桜花の好感度は意味もなく価値もなく急激に上昇していた。

 こんな好感度に価値はない。

 ちょろい好感はちょろく消え行くもの。

 

「よき心構えです。私の忠告を確かに受け止めるその姿勢、感服しました」

 

「大沢さんが言ってること、そんなに間違いじゃないと思ったから」

 

「ええ、そうでしょう、そうですとも。

 他の皆さんは何故分かってくれないのでしょうか……」

 

「んー……まあ、桜花さん、結構イタかったしね」

 

「!?」

 

 どストレートに、朔陽は言った。

 彼は桜花が嫌いだから言っているのではなく、桜花のために言っている。

 それが察せる、優しい声色だった。

 

「え? え? 私が……イタい?」

 

「桜花さん美人だから許されてるところあるよ、本当に。

 というかそういう部分で許されてるから、女子受けちょっと悪いよね」

 

「ま、待ってください! 私の言いたいこと、伝わってましたよね!?」

 

「さっきの『男はもっと立派になれるはず』みたいな話だよね?

 いや、多分伝わってないんじゃないかな……確認したわけじゃないけど」

 

 さあっ、と桜花の顔が青くなる。

 いや、まさか、と思い振り返る。

 冷静になって振り返ってみると、桜花は先程の自分が、特にそんな権限も無いのにピシッとした振る舞いを周囲の男子に求めるイタい奴だったことを理解した。

 

 古今東西に、共通する真理がある。

 それは、説教はしてる奴は気持ちいいしちゃんと聞いて貰っていると思っているが、されている方は割と適当に聞き流しているということだ。

 

「……佐藤さんは、何故そんな私の話を聞いてくださったのですか?」

 

「昔、聖書を読んだんだ。そこにこういう言葉が書かれてた」

 

 桜花の疑問に、朔陽は最近読んだものを引用して答える。

 

「いい言葉を語っても、愛がなければ騒がしいドラ、やかましいシンバルと変わらないって」

 

「……コリントの、信徒への手紙ですね」

 

「いい言葉だよね。

 やっぱりたくさんの人が好きになるものってのは、いいものが詰まってる。

 桜花さんの指摘にもさ、愛があるように感じたんだ。

 自分のことしか考えてない人のガミガミ注意とは、全然違うなって思ったんだよ」

 

「―――!」

 

 彼は色んなものを見て、色んなものを好きになっている、そんな普通の少年だった。

 けれども、ただ一つ。

 人を見る目だけは、誰よりもある少年だった。

 

「桜花さんは結構いい人なんじゃないかなって、僕は思ってる」

 

 彼がいい、と直感的に、桜花は思った。

 

「決めました」

 

「え? 何を?」

 

「ええ、決めましたとも。貴方で、いや貴方と、上様との約束を果たします」

 

「……上様って誰?」

 

―――友を作れ。貴様にとって最も親しいと言える友をな

 

 桜花は決めた。

 彼を好きになろう、と。

 自分も彼に好きになってもらおう、と

 彼をもっと強い人にしよう、と。

 自分もここから変わっていこう、と。

 彼をもっと素敵にしよう、と。

 彼が望む"未来の自分"になれるように手伝おう、と。

 そうして、果たせなかった信長様との最後の約束を果たそう、と決めていた。

 

 信長様に匹敵する最高の親友が二度の人生でも見つからないならば、最強の友情を持つ親友関係を、時間をかけてでも自作する。彼女はそう考えた。

 

 桜花はとんでもないことに、朔陽を成長させ、自分も成長させ、最終的に信長と同じくらい好きになれる親友関係を自作しようと考えたのだった。

 

 そして、案の定、微妙に失敗した。

 

 

 

 

 

 始まりは、代償行為だった。

 朔陽を立派な男に鍛えようと思ったのは、桜花が立派な男になれなかったから。

 男だった頃の自分がなりたかった男に、女になった自分が思わず惚れてしまうくらいの男に、森蘭丸が『納得』できる男に、大沢桜花が『尊敬』できる男に、なって欲しいと願ったわけだ。

 

 だが、途中からはそうでもなくなった。

 自分の言葉が朔陽にいい影響を与えると、それだけで嬉しかった。

 朔陽が別の友達と関わり成長すると、その成長が嬉しく感じるのに、何故か寂しかった。

 桜花にとって朔陽の成長は、ただそれだけで嬉しいことで。

 自分の中の男の理想像からかけ離れた成長を朔陽がしても、いつからかそれを素直に喜んでいる自分に気付く。

 

 二人は、年単位の時間を共に過ごしていく。

 

「窮地に強い男は、素敵な人です。

 窮地じゃない時にも強い男なら、もっと素敵な人だと思います。

 何かあって後悔する前に、貴方は誰よりも素敵な人になっておくべきだと思いますよ」

 

「ん、そうだね。じゃあとりあえず明日のテストに備えて、勉強しよっか」

 

「お供します、委員長。なんなりとお申し付けください」

 

 桜花は朔陽を委員長と呼ぶ。

 朔陽は桜花を桜花さんと呼ぶ。

 それは自然とそうなった距離感ではなく、桜花がそう望んでそうなった距離感だった。

 

「来月は一球くん試合かあ」

 

「クラスの皆に連絡網を回しておきましょう。

 手の空いている人は、案外応援に来るかもしれませんよ?」

 

「あはは、クラスの皆で応援に行ったら楽しいかもね」

 

「ええ、それはきっと……楽しいはずです」

 

 クラスの皆のためにいつも走り回っている彼を、副委員長として補佐して駆け回る日々が、言葉にならないくらい楽しかった。

 時にポニーテールにしたり、ツインテールにしたり、ただ流すに任せたり、彼と一緒に選んだ(かんざし)を気ままに付けて、彼の反応を見るのが楽しかった。

 戦国時代のことを忘れ、思い出さない時間が増えた。

 信長のことを考える時間が減った。

 過去に思いを馳せなくなった。

 楽しかった今日を思い返すことと、楽しみな明日に思いを馳せることが多くなった。

 

「委員長は、友人が困っていると必ず助けに行くのですね」

 

「そりゃ、皆困ってるしね」

 

「……一つ、私が貴方から学んだことがあります」

 

「?」

 

「本当に困っている時、手を差し伸べてくれるのが真の友人です。

 貴方は寝ていても駆けつける。風邪の時でも駆けつける。

 自分がどんなに苦しくても、貴方は友人を優先する。

 いつでも、貴方は必ず駆けつけ、手を差し伸べる。

 ただそれだけです。

 ……だから貴方が本当に困った時、貴方には貴方を助けてくれる友人が居る」

 

「いや、それは……本当は、それが普通の友人ってものなんだと思うよ、僕は」

 

 彼を成長させているつもりが、成長させられている自分に気付いた。

 彼が自分を好きになるよう仕向けているつもりが、彼への好感が増す自分に気付いた。

 それは、甘酸っぱい恋心とか、胸が苦しい恋愛感情ともまた違う。

 強いて言うならば『誇らしさ』に似た、彼との繋がりを嬉しく思う気持ちだった。

 

 以前は、桜花を全力で助けてくれる友なんていなかったはずなのに、今は居る。

 朔陽の影響を受けて成長した桜花には、助けてくれる友人が居る。

 アインス・ディザスターの襲撃の時を振り返れば分かるだろう。

 不死身のアインスは桜花に襲いかかろうとした。

 その結果、柔道部に太陽まで投げ込まれてしまったのだ。

 

 彼が彼女を変えたのか、彼女が彼を変えたのか。

 想い出の想起は続く。

 

(私……私は昔、こんな人間でしたっけ?)

 

 彼女にとって、彼が与えてくれる変化は心地よいもので。

 彼にとっても、彼女が与えてくれる変化は望ましいものだった。

 

「桜花さんも僕から見れば凄い人だよ?

 自然な気持ちで困ってる人を助けてるしね」

 

「……自然な気持ち? そんな、まさか、私なんかが」

 

「それは、武術の先生が教えてくれた護身術から生まれるものじゃない。

 君に家庭教師の人が教えた知識から生まれるものでもない。

 人を助けようって気持ちは、人の心からしか生まれないものだよ。

 君が人を助けるのは、強いからでもなく、賢いからでもなく、優しいからだ」

 

「……う」

 

「それにさ、僕らが初めて話した時のこと覚えてる?」

 

 桜花が忘れているわけがない。

 

―――桜花さんは結構いい人なんじゃないかなって、僕は思ってる

 

 二人共、それを覚えている。

 

「桜花さんは結構いい人なんじゃないかなって、今でも思ってる。

 あ、いや、違うな。今は桜花さんがいい人だって、確信してるんだ」

 

「……武士冥利に尽きますね。とても嬉しいです」

 

「え、待って。何突然武士化してるの桜花さん」

 

「お気になさらず。私は、私らしく忠義に沿って生きようと思っているだけですから」

 

 史実に語られる森蘭丸同様、桜花は事務役や交渉役として水準以上の能力を備えている。

 腕力はそこまで極端に強くないが、護身術もかなりのものだ。

 タイプで言えば、こなせないことの方が少ない万能型であると言える。

 何より、思い上がらず、自己を過剰評価せず、誰かを影から支えることに喜びを覚える性質は、補佐役としてはこの上ない才能である。

 トップの成功は自分の成功、と考えるその性情も非の打ち所が無い。

 桜花はどこの補佐にも入れるし、どこの指揮も行える。

 

 能力と性格、その両面がここまで『No.2』になるため特化した人間はそう居ない。

 トップの人間に従いつつも、トップの人間の駄目なところは指摘して、要所要所で成長を促すことができる、忠義心厚いNo.2だ。

 

 彼女が補佐すれば、トップが全体に及ぼす良い影響は倍加する。

 人が良いくらいしか取り柄がない朔陽を委員長に据えているこのクラスにとって、大沢桜花という副委員長は、なくてはならない存在だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だからこそ。彼女はそういう人間だからこそ、朔陽を巻き込めないと思っていた。

 巻き込めない。

 巻き込みたくない。

 これは、遠き昔の人間が残した負の遺産。

 遥けき過去からの旅人である桜花が、あの時代の当事者として責任をもって打ち倒さなければならないものだった。

 

「聖剣を私に預けてくださいませんか、委員長」

 

 桜花が、朔陽に手を伸ばす。

 桜花が信長と自分にまつわる話を全て語り終えた頃には、飛散した信長細胞の活性化は終了しており、研究所周辺の信長細胞全てが次の活動段階へと足を踏み入れていた。

 

「魔を討つ聖剣。

 それも信長様の死因と同じ、クソにまみれた剣。

 かつての死を繰り返せば、細胞だけで暴走する信長様も倒せるはずです」

 

 聖魔の一体化でもなく、清汚の一体化でもない、聖汚の一体化により放つ聖剣の一撃ならば、今の細胞単位で暴走する信長も、打ち倒すことはできるかもしれない。

 聖剣の担い手が一人で突っ込んで行かないといけない、という点に目を瞑ればだが。

 

「桜花さん、相打ち覚悟で一人で行く気?」

 

「責任を持つ。それは良いことです。

 責任を背負う。それも大切なことです。

 ですが時には、責任を取らなければならない。今がその時なのです」

 

 聖剣に多少は認められている朔陽とは違う。

 聖剣に全く認められていない桜花が一人で突っ込めば、それは死を意味する。

 最善の結果で相打ちだろう。

 最善以外の結果になれば、まず相打ちですら追われない。

 飛散した信長細胞は、既に多くの生命体を取り込み信長化を完了させている。

 ……しかも、人類圏に向かって進み始めていた。

 

 朔陽達は知る由もないが、これはツヴァイのせいである。

 ツヴァイは信長細胞、及び信長細胞を飛散させた『肉塊』との戦闘を程々に切り上げ、大規模魔法を用いて信長細胞が動いていくための"レールのようなもの"を作った。

 そして、帰った。

 信長細胞群との戦いに特に気乗りせず帰ったツヴァイのせいで、もう人類サイドにあまり時間は残されていない。

 

「私はあの時、何かを間違えました。

 世界のため信長様の敵になり、信長様を根絶するか。

 信長様の変わらぬ味方のまま、信長様を守りきるか。

 どちらかを選ぶのではなく、どちらかを果たさねばならなかったのです。

 信長様を守ろうとし、守りきれなかったあの日の私は、『無力』という間違いを犯しました」

 

 桜花は朔陽に頭を下げる。

 聖剣を借り受けるために。

 ここで終わらせるために。

 ここせ死ぬために。

 

「どうか、今度は間違えさせないでください。

 守ると決めて守りきれないなどという過ちを、繰り返させないでください。

 今の私は、この命を使い切ってでも信長様を倒し救い、貴方達を守りたいのです」

 

 その願いを―――朔陽は、受け入れなかった。

 

「和子ちゃん、ブリュレさん。僕に足りない分、力貸してくれる?」

 

「ん」

「御意に」

 

 忍者と犬が、朔陽に従う。

 桜花の願いを受け入れていたなら、彼らは従わなかった。

 受け入れなかったから、彼らは従っている。

 自分の力に見合わない綺麗な高望みをする人間に力を貸すことを、彼らが躊躇うはずもなく。

 

「何故……」

 

 顔を上げた桜花の手を、朔陽が取る。

 手を引いて、肩を並べて、信長細胞に汚染された怪物の群れに向き合った。

 肩と肩が触れる距離で肩を並べた二人には、互いの匂いと香りが感じ取れている。

 

 肩を並べた朔陽からは、太陽の匂いがした。

 肩を並べた桜花からは、生花の香りがした。

 

「友情ってのは、木みたいなものだよ」

 

 彼の強い武器なんて、友情くらいしかない。

 

「友情っていう種を、信頼っていう土に撒く。

 一緒に過ごした時間は水だ。

 助け合った想い出は肥料だね。

 土がなくても、水がなくても、肥料がなくても、この木は育たなかった」

 

 だから、友情のことはよく知っている。

 

「種が木になるまでには、何年もかかる。

 そしてこの木は、これからもっともっと大きくなる。何十年もかけて」

 

 それが何にも負けないと、信じている。

 

「僕はこの木を、まだ君と一緒に育てていきたい。駄目かな?」

 

「……っ!」

 

 朔陽が聖剣を抜く。

 剣術は雑魚の中の雑魚。

 魔力は0。

 戦闘技能無し。

 聖剣正当適性無し。

 彼に担い手としての能力は無く、聖剣が認めるは彼の中の心意気のみ。

 

 それでも、聖剣は全力で光を放つ。

 陽光の純度を高めたかのような、透明感のある黄金の輝きであった。

 

「君の苦しみ、ちょっとくらいは背負わせてよ」

 

 桜花は涙を流し、頷いて、朔陽の手を強く握る。

 

「行こう。君がピシッと伸ばしてくれた僕の背は、まだまだ沢山背負えると思うんだ」

 

 構える。

 体を構えて、心で構える。

 虫を、鳥を、犬を、猫を、鹿を、熊を、竜を、火蜥蜴を、蟹を、猿を、鵺を、細胞侵食で飲み込んだ『信長』の津波が、彼らの視界を覆い尽くした。

 

 

 


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