サーティ・プラスワン・アイスクリーム   作:ルシエド

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出席番号7番、恋の終わり・木之森切子

 吊り橋効果というものをご存知だろうか。

 不安や恐怖、興奮や緊張が高まっている時、他人に恋愛感情を抱きやすくなるというものだ。

 なら、元から恋愛感情を持っているものにそれが起きたなら?

 元から好きだった人に、この異世界で優しくされて、感情が爆発してしまったなら?

 そうなった高校生が、思い切った行動に出ても、何もおかしくはない。

 

「好きです! 付き合ってください!」

 

 出席番号7番、木之森切子(きのもり きりこ)

 彼女の告白に朔陽は戸惑うも、冷静に思考を回す。

 冷静に回してしまう。

 その時点で『何か』が失格だったことに気付きつつも、もうどうしようもなくなってしまう。

 

 木之森切子。

 身長197cm、体重238kg。

 同年齢の平均骨密度との比較、250%。

 パンチ力8t、キック力12t、ジャンプひと跳び30m、100m走5.8秒。

 全身を覆う分厚い筋肉は、格闘家として適切な体脂肪率を維持していた。

 体格こそ大きいものの、運動部の男子ほどには身体能力も高くなく、性格も温厚で物静かな女子であると朔陽は認識している。

 必殺技の殺傷力もそう高くはなかったはずだ。

 

 告白の後の沈黙が、四秒か五秒ほどあっただろうか。

 その僅かな沈黙にすら耐えきれず、切子は逃げ出した。

 

「……へ、返事は、あとでいいですっ!」

 

「あ、切子さん!?」

 

 情けない、と切子は自分を恥じる。

 勇気を出して告白した女子を朔陽が"情けない"だなんて思うはずがないと分かっているのに。

 恥ずかしい、と切子は逃げながら顔を覆う。

 まだ恥になることなど起きていないはずなのに。

 変な奴だと思われてないかな、嫌われてないかな、と思えば、切子の顔は赤くなる。

 そんな風に思うような男なら、初めから好きになっていないと分かっているはずなのに。

 

 冷静に考える思考と、感情的にありえないことを考える思考がごちゃまぜになり、切子は全力で逃げ出してしまう。

 ウォォォンと鳴く蝶々が、切子の疾走による旋風で吹き飛ばされていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 切子の想いは、幼馴染の恋心ほど長くもなければ、異世界に来てから芽生えたインスタントラブでもない。

 意識しだしたのは一年ほど前。

 友人に相談するくらいに明確な恋心となると、二学年時の冬頃になる。

 切子は二学年三学期のある日に、陽光の差す教室で、友人に恋の相談をした。

 メンバーは恋川このみ、セレジア・セーヴィング、島崎詩織の三人のみ。

 

 呼ばれてもいないのに勝手に混ざろうとした嘘つき寧々は教室から蹴り出された。

 

「はー、いいんちょさんを、ねえ。

 いや悪くはないんじゃない?

 あたし個人としてはまあ……うーん、まあいいか」

 

 女子会ということで、お菓子を作って持って来てくれた恋川このみがそう言う。

 

「ひゃー、日本人は慎み深いと聞いてたんデスが高校生ただれてマースねー……」

 

 双子アメリカ人留学生の片割れ、セレジア・セーヴィングは紅茶を淹れつつ、何か過剰な方向に想像力を働かせている。

 

「自分は、恋愛経験皆無の処女ばかりを集めたこの集まりで、生産的な意見は出ないと考える」

 

 女子会ということで、このみの真似をして血抜きをしたばかりの熊の死体を持って来て、寧々と一緒に一度は蹴り出された詩織が淡々と言う。

 

「言うてはならんことを……わっはっは、詩織は何かもう、身もふたもないねー」

 

「少女マンガで日々勉強してマース。大船に乗った気で居てくださいデス」

 

「泥舟だよ」

 

 恋愛経験も無い、恋人も居ない、そんなクラスメイト女子の友人三人を集めてどうするのか。

 そう言われても、頬を掻き照れ臭そうに笑う切子は心変わりしない。

 可愛らしい表情の動きと、毛の無いメスゴリラと言うべき肉体の威圧感が、恐るべきミスマッチを奏でていた。

 

「うん、分かってる。

 でもあてはさ、友達に相談したくて皆を頼ったの。

 有能な人より、信じられる人に助けて欲しかった。

 恋愛を分かってる人じゃなく、あてのことを分かってる人の助言が欲しかったんだ」

 

 えへへ、と照れる切子を見れば、女子達も皆腹が決まる。

 

「しゃーない、料理しか知らないあたしだけど、頑張りますか!」

 

「バスケしか知らないけど尽力はしマス」

 

「男を狩るにはもしや自分の狩猟技術が一番役に立つのでは?」

 

 何言ってんだコイツ、という目線が詩織に向けられる。

 

「……ありがとう」

 

 切子はとても小さな声で、蚊の鳴くような声で感謝の言葉を口にした。

 それが三人の友人の耳に届いたのは、小さな声でも大きな気持がこもっていたから……かもしれない。

 

「で、いいんちょさんのどこを好きになったの?」

 

 このみがちょっとワクワクした顔で問いかける。

 

「顔デース? それとも何か決定的なイベントとかあったデスか?」

 

 セレジアはこう言っているが、"いや顔だけで惚させるほど超イケメンってわけでもないな"と心中でとんでもなく酷いことを思っていた。

 

「……」

 

 詩織は静かに返答を待つ。

 

 

 

「優しい……というだけで、好きになっちゃいけないのかな?」

 

 

 

 切子の純粋で甘酸っぱい返答は、少女達の胸を打った。

 このみとセレジアは、倒れるように教室の机に突っ伏してしまう。

 

「少女漫画の主人公かあんたは」

「……少女漫画の主人公デース」

 

「べ、別にいいんでしょ、優しくされたから好きになったくらい」

 

「んーいや別にいいんですけどー」

 

 人間とは、優しくされるだけで恋愛感情を抱くこともある生き物である。

 優しい人というだけで好きになってしまうことがある生き物である。

 このみがあたしはーと反応し、セレジアがミーはーと反応し、詩織が自分はーと反応する。反応は軒並み生暖かい。

 

「う、そういう反応されるのは予想してたけども。

 そりゃ、今時優しいから好きになったってのはどうかとも思うけど……

 そりゃ、優しいやつなら誰でも良いのかよビッチ! とか言われても仕方ないけど……

 だって、好きになったんだから仕方ないし……

 それが、偽りのないあての気持ちだし……

 まして、こんな図体でかいあてに優しい男子は少ないし……

 だから、優しいってだけであての気持ちはがっちり固まってるし……」

 

「うっはぁ面倒臭い感じにどツボにハマっちゃってるデース」

 

 切子は心が少女で、肉体は筋肉ムキムキの男達が多いことで有名な北東(ほくと)(けん)の男達にも匹敵する筋肉の塊である。

 大抵の男子は彼女を女性扱いしない。

 切子をちゃんと女性扱いする朔陽が希少なのであり、ゆえに朔陽は当たり前に優しくしていただけでも、好かれてしまったらしい。

 

 切子が人並みに以下に優しくしてもらえない子であったことと、朔陽が人並み以上に優しくする子であったことが、綺麗に噛み合ってしまったようだ。

 

「優しい人が他人に優しくするのは呼吸デース。

 優しくない人が優しくするのは希少価値デース。

 だから日本じゃツンデレ大好きな人多いんじゃないデスか?」

 

「アメリカ人が日本人のその辺の文化を語るか……料理も年々グローバルになるわけだ」

 

「まーマイフレンズサクヒは度が過ぎてるとして。

 あれは無報酬の努力を望んでやれる人デス。

 あれはガチ惚れした恋人と同じくらいの特別扱いを友人に行えるやつデース」

 

「自分も肯定する。あれは、女を勘違いさせる無自覚のワル」

 

「デースデスデス。

 今、切子サンは友人だからマイフレンズに特別扱いされてるデス。

 でも、『友人以上の特別扱い』になるのはきっと難しいデス。

 それでも、あの難攻不落の巨城に挑みマスか?」

 

 一も二もなく、切子は頷く。

 

「はい」

 

 迷い無く、力強く、切子は頷いた。

 彼女が全力で頷いた結果、その筋力が床を揺らし、机や床をふわっと浮かせる。

 その筋力は、友人の少女達に謎の可能性を感じさせた。

 

「あては木こりの生まれの田舎者だし、一歩引いて佐藤さんを支えて……」

 

「ええ? 切子ちゃんの性格で意識して一歩引いたら、ちょっと過剰じゃない?」

 

「構いませんとも。

 あては相手のことを考えられる女になる。

 他の女と彼が親しくしてても笑って許せる女になる。

 自分の意見と佐藤さんの意見がぶつかるようなら、必ず自分の意見を引くようにして……」

 

「ストーップストーップ。

 ねえ切子ちゃんさ、変な方向に勉強してない?

 嫉妬しちゃうような女は駄目とか思ってない?

 男と喧嘩しちゃうような女は駄目とか思ってない?」

 

「え? お、男の人はそういうものが好きだと聞いて……」

 

 このみは難しい顔をした。

 切子が間違っているのは分かっていて、その間違いをどう指摘して正せばいいのかも分かってはいるが、自分がそれを偉そうに語っていいのか悩んでいる顔だ。

 やがて自分の中で折り合いを付けたのか、このみは口を開く。

 

「いや、さあ。恋愛って相手の都合のいい人間になることなのかね?」

 

「……あ」

 

 このみの指摘は、鋭い刃のように刺さる。

 

「恋愛にそれぞれの形があるってのも分かる。

 相手にとって都合がいい人間になった方が恋愛が成立しやすいってのも、まあ分かる。

 人間は基本的に自分に都合がいい関係は切らないしね。

 でもさー、それって何か違わない?

 切子ちゃんは自分が全く幸せにならないで、相手だけが幸せになる恋愛でいいの?」

 

「う」

 

「女が奴隷、男が主人でも恋愛は成立するけど……

 切子ちゃんが望んでる恋愛って、そういうのじゃなくない?」

 

 好意とは一定の対価を支払って獲得するものでもある。

 特定の誰かと一緒に居るために時間と労力を使う。

 誕生日にはプレゼントを買い、皆と喋りながら外食を食うのに金を使う。

 学生時は友と共に勉強や部活で努力の記憶を積み上げて、好感を得る。

 大人になれば辛い仕事の中でも同僚や上司の仕事を一部請け負って、信頼を得る。

 親になれば疲れ果てた休日に家族を遊園地や水族館に連れて行き、愛情を得る。

 

 『他人のために時間を使いたくない』という人は、大抵の場合人並みの好意も得られない。

 だからこそ、古今東西の創作や伝説の中には、"男がほとんど労力を払わずに美女に好かれる"というものが多々見られる。

 人間の本質の一つなのだ。

 『他人のために何もしなくても他人に好かれたい』という欲求は。

 

 切子は危うく、"そういうもの"になりかけていた。

 佐藤朔陽にとっての都合のいい女、というよろしくないものにだ。

 

「愛は、受け入れて一緒に居るものじゃない?

 家族の横暴をさらっと流す家族愛。

 友達の気に入らない所をまあいいやと受け止める友愛。

 仲間の失敗を笑って許す信愛。

 愛は、相手に嫌われることを恐れることじゃない。

 相手の都合のいい人間になることでもない。

 男の近くで、男を飾る綺麗なアクセサリーになることでもないのよ」

 

 このみは少しだけ、怖かったのだ。

 都合のいい女になった切子が、女を沢山侍らすような悪い男の傍で、男を飾る都合のいいアクセサリーの一つになってしまいそうな気がして、怖くなってしまったのだ。

 そういう意味では、そういうことを絶対にしない朔陽に切子が惚れたことは、彼女にとってちょっとした幸運でもあった。

 

「ごめんなさい……あてが間違ってました……」

 

「え!? ちょ、ちょっとタンマ!

 別に論破とかしてたわけじゃ……!

 待って待って、あたしの主張が正しいなんてことでもないからね!? 分かってる!?」

 

 あたふたと慌てるこのみが、自分の言い分をそのまま鵜呑みにするなと言い始める。

 ただ、今の会話で、この四人の中で恋や愛におけるバランス感覚が一番まともなのがこのみであるということは、このみ以外の三人の中で共通認識となっていた。

 

「うんうん、青春デス。

 恋に近道なしとはよく言ったもの。

 ゴールは遠くとも、頑張りマショー!

 恋でゴールが遠く見えるのは、ゴールにあるものが高望みだからとも言いマスね!」

 

「うぐっ」

 

「バカッ、セレジア! また変にプレッシャーかけて!」

 

 ここまでロクにアドバイスもしてこなかった詩織が、ここでボソッと一言。

 

「……恋とか愛とか真顔で語って恥ずかしくないのかな、と自分は思った」

 

「詩織、また蹴り出すよ」

 

 島崎詩織は極めてクールだ。

 愛を語り道を正すこのみや、恋を語り厳しさを忠告するセレジアと違い、そこまで熱意をもって色恋話に参加しているようには見えない。

 だがそれは、詩織と切子の間に友情がないということを意味しない。

 

「でも、このみとセレジアの忠告は有用だとも、自分は思う」

 

「……そうかな」

 

「狩猟とは全て、緻密な思考と入念な仕込みにより狙ったものを我がものとすること」

 

「……ん?」

 

「告白というのは、告白時点で気持ちが通じ合っていればただの確認作業と聞く。

 事前に好意を稼ぐべし。告白しても断られないほどに好かれるべし。

 デートやプレゼント、会話頻度の引き上げなどで、地道に準備すべきと自分は考える」

 

「ほ、本当に狩猟知識でまともなアドバイスをしてる……!?」

 

 友人達のアドバイスを受け、木之森切子は奮起する。

 そうやって、地道に色々と頑張って、積み上げて。

 朔陽との仲は進展せずに時は過ぎ。

 切子は異世界に来て、異世界でも毅然として仲間達の居場所を守る朔陽を頼り、彼に手を引かれるようにして、この世界でも生きるすべを得た。

 それが、吊り橋効果と同じ好感度ブーストをもたらしてしまった。

 衝動的に、先のことを何も考えず、切子を告白させてしまっていた。

 

(好きだから、好き、だから、好き故にッ―――!!)

 

 "せめて告白は元の世界に帰ってから"と考える理性は、既にハジけ飛んでいる。

 

 それは、『若さ』の一言で流してあげるべき愚行であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 朔陽は、友人に対する理解度では群を抜いている。

 会話を通して友の考えていることを察しようと努力し、その心の動きにできる限り敏感でいようとしているためか、彼はいつだって友に必要な言葉を、必要な時に口にすることができた。

 ……つまり、だ。

 切子の恋心も、告白される前から察してはいたのだ。

 

 知った上で、朔陽は彼女を相応に扱った。

 恋心を持った友人は繊細である。

 友人同士の気安い交流でも傷付けてしまうことがあるからだ。

 例えば、「僕達一生友達だよね」みたいな台詞を、朔陽が切子に対して言うことは絶対になかった。

 優しくして、距離感を測って、言葉を選び、傷付けないよう気を使う。

 毎日毎日学校に行くたびに朔陽はこの作業を行っていたわけだが、この神経をすり減らす作業ですら、「友達のためだ」と思えば苦にならないのがこの少年である。

 

 彼は告白を待った。

 切子の性格上、告白前に「僕の事好きだよね?」と突きつけ、告白前にフってしまえば最悪の心の傷になると推察できたからだ。

 理想は、切子の恋愛感情の自然消滅。

 次点で、告白を受けた上で極力傷付けないようにフること。

 『告白をOKする』のは最悪である。

 様々な理由があったが、その中で最たるものは――

 

(僕はきっと、切子さんがくれる気持ちと同じものを、切子さんに返せない)

 

 ――悲しいほどに的確な、自己分析の結果であった。

 それは最たる理由であると同時に、最低の理由でもあった。少なくとも、朔陽にとってはそうだった。

 「あなたが好きです」という本気の告白に、「僕はあなたを異性として好きにはなれません」という返答を返せるか?

 そう返したなら、その人間は罵倒されても文句は言えない。

 

 けれども、計算外もいくつかあって。

 まさかこのタイミングで――異世界で――告白されるだなんて思っていなかったから、朔陽は切子に告白された夜に、屋敷で一人悩むしかなかった。

 

「はぁ……」

 

 恋愛とはあまり打算や計算をするべきではない、と朔陽は考える。

 純粋な気持ちで告白して来てくれた子に計算で言葉を返すのは、感情の言葉に理性の言葉を返しているようで、ちぐはぐで、朔陽は罪悪感すら感じてしまう。

 ……けれども、『何も考えず口にした返答で彼女を傷付けてしまったら』と思うと、考えに考え抜いた言葉を返す以外の選択肢など、無いに等しかった。

 

「……はぁ……」

 

 『かもしれない』で言えば、いくらでも可能性が考えられる。

 この状況が続けばクラスによくない影響が出る、かもしれない。

 リーダーの朔陽が一人を格別に特別扱いするかもしれないと思われる、かもしれない。

 こっちの世界の貴族等に変な隙を見せて変な野心を抱かせてしまう、かもしれない。

 魔王軍に居るという心の状態を操れる敵に付け込まれてしまう、かもしれない。

 いくらでも考えられるのだ。

 朔陽は全部の可能性を考えて、ありえない『かもしれない』を頭の中から切り捨て、残りは頭の片隅に置いておかないといけない。

 

「……はぁ」

 

「お疲れな感じだな」

 

「一球くん」

 

 へとへとになった朔陽の頬に、井之頭一球が冷たい水の入ったコップを当てた。

 彼は右手にコップを、左手には野球のバットを持っている。

 ありがとう、と言って朔陽はコップを受け取り、口に運んだ。

 

「あ、美味しい」

 

「だろ? この国じゃ有名な雪解け水なんだってよ。

 山登って、雪をコップに詰めて、雪が溶け切る前に走って帰って来たんだぜ」

 

「なんで君は普通に井戸の水を汲むとかしないの?」

 

 へへっ、と照れ臭そうに鼻の下を拭う一球。

 トレーニングの一環なのだろうが、それにしたって友人にやる水の一杯にかける労力ではない。

 いや、水が美味しいことに間違いはないのだが。

 

「聞いたぞ、木之森に告白されたんだって?」

 

「耳が早いね。誤魔化す意味も無さそうだ」

 

「若鷺から聞いたって言ったら驚くか?」

 

「……あー。告白の時に、盗み聞きされてたのか」

 

 和子が告白を盗み聞きしていて、和子から一球へ、ひょっとしたらもっと広範囲に広がっているかもしれないという事実。

 和子は他人の秘密をペラペラ喋って悦に浸るタイプではない。

 しからば何故ペラペラ喋っているのか、想像に難くない。

 要するに動揺しているのだ、和子は。

 

 朔陽が告白されたどうしよう、となり、顔見知りの人を探してああいうことがあってこういうことがあってどうしよう、と無自覚に言い触らしているわけだ。

 おそらく本人に言い触らしている自覚は無い。

 彼女が言いたいのは「私どうしよう」であって、その過程で告白の事実を語っているに過ぎないからだ。

 ……和子がとんでもなく動揺している姿が、朔陽の脳裏にありありと浮かんできて、朔陽は頭が痛くなってきた。

 

「で、どうすんだ? 断るのか?」

 

「なんで僕が断ること前提なのさ。その意図は何?」

 

(あやべっ、ちょっと朔陽を怒らせたか?)

 

 一球が内心"木之森は悪いやつじゃないがアレだとちょっとな"と、外見を理由に思考していたことを見抜き、朔陽はむっとした。

 

「切子さんは素敵な女性だよ。

 頭も良い、運動もできる。

 気遣いもできるから男女問わず友人も多い。

 木こりの家系で、未開地域や荒廃地域の開拓にはトップクラスの能力がある。

 ちょっと体を鍛えてるのは人を選ぶかもしれないけどさ、それでも……」

 

「俺は胸に胸筋がある子より胸に脂肪がある子がいいんで」

 

「……あー、もー」

 

 一球は巨乳派だ。

 それなりに可愛いor美人の女性で、胸が大きくて、性格が悪くなければほぼ全ての女性がストライクゾーンに入る。

 割りかし適当で、標準的な高校生の恋愛基準であると言えよう。

 けれど、けれども、朔陽は。

 ボディビルの擬人化とさえ言われる木之森切子を思うと、"外見が恋愛で大きな割合を占める"という現実を、安易に受け入れられない。

 

「一球くんはいいやつだってわかってるけど……

 切子ちゃんが一球くんを好きになってたら、切子さんに忠告してたかもしれない」

 

「うおっ、朔陽目怖っ」

 

 一球は人並み程度には、他人への評価に『外見』への評価を加える少年だったから。

 朔陽は今、とても怖い目で親友を見ている。

 

「遊びの恋愛なら体と体だけで繋がろうが知ったこっちゃないけどね。

 恋愛っていうのは、突き詰めれば心と心で繋がるものだよ。

 外見だけで彼女のことを判断するのは、そこから最も遠い行為だ。

 彼女の良さを分かる人は、そう少なくないはずだ。

 でなきゃ、今生きてる人類の多くは相手の心の良さを分からないってことになる」

 

「ぬ、そういう考え方もできるか」

 

「あとは、その心を友として愛するか、女性として愛するかってだけの話だと僕は思う」

 

 恋愛は心と心で繋がるものだから、極論を言えば最終的に『外見』は恋愛に一切関係なくなるはずだろう、というのが朔陽の持論だ。

 美人もいつか老婆になる。

 美人は三日で飽きる、ブスは三日で慣れるとも言う。

 そういう意味では、朔陽の持論は至極正しい。

 正しいのだが、それは、一球の方が間違っているということを意味しない。

 

「木之森がダチにするなら最高の一人ってことは間違いねえ。

 でもなあ、異性関係はちと勘弁だ。

 おっと、一応言っておくと悪口じゃねえぞ?

 俺はあいつをかなり高く評価できる。心底信頼できるクラスメイトだと断言できる」

 

「……」

 

「第一な、朔陽。

 告白にOK出す気無いんだろ? お前。

 そんなお前が木之森が素敵だの、女性として魅力あるだの語っても、説得力ねえよ」

 

「……返す言葉もない。君が、正しいよ」

 

 第三者なら、木之森切子の魅力をいくら語ってもいいだろう。

 切子に惚れた男性であれば、どんなに偏った語り方をしてもいいだろう。

 だが、朔陽はダメだ。

 切子の告白を断る気でいる朔陽に、その権利はない。

 彼女の女性としての美点を語る権利を、朔陽は既に失ってしまっている。

 

「お前が間違ってるわけでもないだろ。お前も正しい。

 木之森を素敵な女性だって言ってるお前の気持ちは本物だしな。

 ……あ、いや、そこんとこどうなんだろうな?

 恋愛なんて皆間違ってて皆正しいようなもんか? 全員本気の気持ちとか普通にあるしよ」

 

 一球はうんうんと悩む。

 朔陽が語っている内容は、正しく木之森切子の女性的魅力を語っているはずなのに、語っているのが朔陽であるせいでその価値を失ってしまっている。

 それは本来おかしなことだ。

 人物評は一つの事実であるはずなのに、それが語るのが誰かによって、その価値が大きく変動する? 何故、そんなことが起きるのか?

 

 『恋愛』は主観の集合体であるために、時にこういった合理に反した事が起きる。

 

「……告白を断る方の人間って、さ。

 罪悪感だらけで、自分が正しいとか、全く思えないんだよね。困った話だ」

 

 はぁ、と朔陽は溜め息一つ。

 完璧な正しさなど滅多に見つからず、他人に"君は正しい"と言われても自分が正しい気がしないのもまた、恋愛というものだ。

 

 朔陽が望めば、なあなあの結末には持っていけるかもしれない。

 適当に誤魔化して、あやふやにして、保留のような現状維持を続けて。

 "異性からの好意が自分に向けられている"という心地の良い環境を、切子の恋心が失われるまでの間、続けることだってできる。

 女の子を、自分を飾るアクセサリーにするように、自分の近くに置き続けることができる。

 切子を都合のいい女として扱うことだって、きっとできた。

 

「切子さんに告白されてドキリともしなかった時点でさ。

 切子さんに好かれてると気付いても、ドキドキしなかった時点でさ。

 ……僕には、切子さんを好きになる資格は無いと思うんだ。絶対に」

 

「朔陽……」

 

 朔陽はそれをよしとしなかった。

 叶わぬ恋を、自分のせいで続けていて欲しくなかった。

 叶うなら、傷付いて欲しくなかった。

 できれば、彼女に少しでも早く『次の恋』に行って欲しかった。

 "男女のまっとうな恋愛関係だけが生む幸せ"は、佐藤朔陽と木之森切子の間には、絶対に生まれないと知っていたから。

 他の男性との間に、その幸せを見つけて欲しかったのだ。

 

 自分のような人間でなく、切子さんに恋をして、ちゃんと愛してくれる男性が、切子さんの恋人になってくれますように……そう、願う。

 心底願う。

 そんな人がいるかどうかも分からないけれど、それでもいつかの未来に、そんな人が切子と出会ってくれたらなと、彼は祈らずにはいられない。

 

 切子が告白という"一区切り"をもたらす『勇気』を出してくれたのだ。

 だからここからは、朔陽が頑張らねばならない。

 切子をできる限り傷付けないように終わらせて、彼女が次の恋に向かうための道標となること―――それが、クラス委員長として、一人の男として、果たさねばならない彼の義務なのだ。

 

「人生ってのは一生難問だらけで、ずっと難問に悩んでいないといけないものなのかも」

 

 誰かに言われからではない。

 何かに背負わされたからではない。

 その義務は、彼が『友達が好きだから』という理由で好きで背負ったものである。

 

「だから、僕にできるのは、もう……

 どれだけ彼女を傷付けずに、彼女の後に繋がる形で、収拾をつけるかってことなんだ」

 

「いいんじゃね? 俺は応援してるぜ、朔陽」

 

「ありがと、一球くん」

 

 好きでやってる苦労なのだ。

 逃げようなんて思わない。投げ出そうなんて思わない。手を抜こうだなんて思わない。

 

「僕も恋したことがないわけじゃないけど……ただ、やっぱり恋は難しいね」

 

「難しいか」

 

「まるで、答え合わせのない難問の問題集だよ」

 

「そうけ」

 

 されど、常に張り詰めている糸は切れるもの。

 その糸が凡庸な素材で出来ているなら、なおのこと切れやすい。

 時々糸を緩めてくれる友人が居なければ、頑張っているだけの凡人が、長持ちするはずもない。

 

「恋愛なんてよ、お見合いで運命の相手探して

 『ご趣味は?』

 『股間を指でスワイプすること、ですね……』

 『奇遇ですね、私もです。私達気が合いそうですね』

 『こんなところで卑猥なスワイプ仲間に出会えるなんて思いませんでした』

 『私もです。ヒワイプ趣味は公言するのも恥ずかしいですからね』

 『あはは』

 『うふふ』

 って感じに、運命の相手見つけて結婚まで行けば良いんじゃね? なんて思うんだが」

 

「それで結婚まで行ったら逆に褒めたいよ」

 

 友人は朔陽という糸を、時々緩めて。

 朔陽は友人が自分の心を救ってくれていることを、ちゃんと分かっていて。

 彼らは一晩中、恋愛という世界で一番面倒臭いものについて、語り合った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、一球に他人の告白のことを暴露するということをやらかしていた和子だが、実は朔陽が心配していたほどには拡散されていなかった。

 何故か?

 和子が一球の後に、ヴァニラ姫と会っていたからである。

 

 ヴァニラ姫は和子の支離滅裂でまとまりのない話をちょっと聞き、事情を把握。

 朔陽の今後を鑑みて、告白の事実が拡散しないよう、和子を捕まえてくれていたのだ。

 朔陽がヴァニラの察しの良さに助けられたのも、これで何度目だろうか。

 

「わ、わわ、私どうすれば」

 

「落ち着きなさいませ、ワコ様。

 貴女がすべきことは何もありません。

 告白はキリコ様の権利で、そこから何かをするのはサクヒ様の権利であり義務です」

 

「で、でも」

 

「では、妨害でもなさいますか?

 それとも応援をなさいますか?

 貴女がここから何かするというのは、そういうことです。

 キリコ様の味方をする覚悟か、キリコ様の敵になる覚悟はおありですか?」

 

「……ぅ」

 

「いじわるな言い方をしてごめんなさい。

 でも、色恋沙汰における外野のできることなんて、そんなものなのですよ」

 

 和子は朔陽が告白されて、なんとかしないとと思っている。

 朔陽が取られるんじゃないかと怯えている。

 けれど、他人と朔陽の恋を応援する勇気もなくて、他人と敵対してでも恋路を邪魔しようという勇気もないから、何も行動を起こせずにいる。

 何かをしないと、じゃないと朔陽が取られちゃう、と思いながらも動けない。

 何をすればいいのか分からないから動けないのではない。

 何をする勇気も絞り出せていないから、動けないのだ。

 

「うーん……」

 

「落ち着くまでは、わたくしの部屋に居て構いませんよ」

 

「ありがと」

 

 和子はヴァニラの部屋に招かれ、ゴロゴロする。

 ベッドの上でこれでもかというほどゴロゴロする。

 考えをまとめているのは分かる。

 じっとしていられないのも分かる。

 なのだが、それを見守るヴァニラ姫は、なんだか微笑ましい気持ちになってきた。

 しまいには「あらかわいい」とこっそり呟く始末。

 

「ヴァニラ姫。相手の気持ちを考える、ってどういうことだと思う?」

 

「相手の気持ちを考える……ですか」

 

 ヴァニラ姫は和子の発言の意図を考え、どういった返答を返すべきか考える。すると、和子も姫を真似するように何か考え始めた。

 姫が悩む。和子も悩む。

 曖昧な命題は、明確な問いを出すことを困難にさせてしまうもの。

 

「サクヒはなんだか、それで苦しんでるけど、それをやめることはない気がする……」

 

「恋愛に関することで、ということでしょうか?」

 

「うん」

 

 ああ、なるほど、と姫は手を打った。

 

「この王都にはいくつか学び舎が有ります。

 それぞれの特色は置いておいて、そこにはワコ様達と同じ学生もいらっしゃいますね」

 

「? うん、それがどうかした?」

 

「その学校の一つを使って、一つ例え話をしましょうか」

 

 姫は身振り手振りを混じえて、和子の気を引く話をする。

 

「たとえば……

 顔のいい少年が居ます。

 告白したい少女が居ます。

 二人にはあまり付き合いがありません。

 学校の屋上で少女が少年に告白しました。

 少年は『面倒臭いから付き合うのは嫌』とつっぱねました。

 さてワコ様、貴女はこの状況を見て、何を思いますか」

 

「少年の方死なないかな、って思う」

 

「ええ、ワコ様ならそうでしょうね」

 

「違った。私がこの手でぶっ飛ばしてやる、って思う」

 

「ええ、ワコ様ならそこからそう思うでしょうね」

 

 姫は微笑みを崩さない。

 和子の思考にツッコミを入れないあたり、もしかしたら姫もこの状況なら似たようなことを考えるタイプなのだろうか。

 

「ですがワコ様、少し考えてみてください」

 

「何を? この断り文句は、いくらなんでも酷すぎる」

 

「この少年は、少女のことを好きでもなんでもないんです。

 これから好きでもない人のために、放課後や休日の時間を使わないといけません。

 一人で好きに遊べる時間も、男友達と遊べる時間も減るでしょう。

 恋人を放置するのはただの不義理になってしまいますからね。

 その義務は"告白を受けてしまったら"自動的に発生してしまう責任のようなものなんです」

 

「……あ」

 

「この少年は女性慣れしている、という設定です。

 でないと告白された時に『面倒だから』という言葉は出てきませんから」

 

 和子は、自分がごく自然に少女の味方をしていて、少女の視点で物事を見ていたということに気がついた。

 

「この一件の目には見えない問題は一つ。この女の子が……

 面倒臭い、という気持ちに勝てない程度には、この少年に好かれていなかったということです。

 好感が持てる人物との恋愛関係は、面倒というデメリットを受け入れる価値がありますから」

 

「確かに……少女が好かれていたなら、そんなことは言われないはず」

 

「好きという気持ちは、あらゆるデメリットを無視させます。

 それは告白した方も、告白を受ける方もそうなのです」

 

 告白を受けようとする気持ちと、告白を断ろうとする気持ちの衝突が、告白の時に発生する可能性があるとヴァニラは語る。

 

 つまり姫様は、こう言いたいわけだ。

 切子は、"佐藤朔陽が何もかも投げ出したくなるくらいに彼を心底惚れさせたのか"、と。

 そうであれば、告白にOKは出る。

 そうでなければ、告白にOKは出ないと。

 姫は姫なりに朔陽を理解していて、その上でそう推測していた。

 

 少女の顔が良ければ、スタイルが良ければ、ファッションや化粧が良ければ、少年に対する告白は成功していたかもしれない。

 外見的に好かれる可能性があるからだ。

 少女が普段から少年ともっと話していて、会話の中で少年に好かれていて、少年の好む話をたくさんできていれば、告白は成功していたかもしれない。

 精神的に好かれる可能性があるからだ。

 

 詩織が切子に勧めていた事前に好感を稼ぐ仕込みがどうのという話も、これと同様である。

 告白は、告白前の行動で、その成功率を引き上げることが可能なのだ。

 失敗する告白は、失敗するべくして失敗することが多い。

 

「もちろん、少年の方にも問題はあります」

 

「うん、そりゃね」

 

「女の子の気持ちを考えられるなら、『面倒臭い』なんて普通言えませんから」

 

「女の子の気持ち……あ」

 

「はい、そうです。

 これが相手の気持ちを考える、ということ。

 サクヒ様が四六時中苦労していらっしゃることですね」

 

 ヴァニラ姫は遠くを見るような目をして、困った人を見るような顔をしていた。

 和子は姫の視線の先に、朔陽が居る気がした。なんとなく。

 

「今の例をそのまま使いましょう。

 少女は、少年の気持ちを考えなければならなかったのです。

 そうすれば、告白の成功率は少しでも上昇していたはずですから。

 少年は、少女の気持ちを考えなければならなかったのです。

 でなければ、少女の本気の気持ちを踏み躙ることなどしなくて済んだのに」

 

「だね」

 

「相手の気持ちを考えることは大切です。ところが」

 

「?」

 

「これは突き詰めると、恋愛の問題を解決できなくなる可能性があります」

 

「え」

 

 和子が、ちょっと抜けた感じの声を漏らした。

 

「ちょっと困った話なのですが……

 相手の気持ちを考えた言葉は、自分の本音から離れてしまうんです。

 当然ですよね。相手の気持ちを考えた分、取り繕っているのですから。

 でもそうやって自分の本音を語れなくなると、本音でぶつかれなくなってしまいます」

 

「あー……」

 

「そして、本音でぶつかることでしか解決できない恋愛もあります」

 

「面倒臭っ」

 

「はい、そうです。万能の正解が無いのが恋愛というものなのです」

 

 和子は思った。頭の良い人、周りに気を使う人は普段から大変そうだな、と。

 私はそうならないようにしよう、と和子は強く決意した。

 それは心中の言葉なれど、永遠のバカ宣言に等しかった。

 

「サクヒ様はわたくしほど割り切れていないのかもしれない、と思っています」

 

「むぅ」

 

「サクヒ様は相手の気持ちを考えすぎているのではないでしょうか。

 それは普段は長所です。

 けれど、こういった恋愛が絡む話になると、彼は少し考えすぎてしまう気がします」

 

 胸に苦しみを、和子は感じた。

 

 和子は朔陽の幼馴染。

 幼かった頃は、和子も朔陽の一番二番を争えるくらいに仲が良かった。

 ……けれども、今もそうであるだなんて、和子が言えるはずもなく。

 彼女が引きこもっていた間に、外の世界で時計の針は進んでいた。

 

「……っ」

 

 和子が知らないところで、朔陽は友を作っていた。絆を育んでいた。

 知らないところで女子に好かれ、告白されるような関係を作っていた。

 それを思うと、胸が苦しい。和子は息をするのも辛くなってしまう。

 和子の見ている範囲の中だけでも、朔陽とヴァニラが仲良くなっていく過程を、二人が互いを理解していく過程を見ると、「ああ、こうやって皆と仲良くなったんだ」と思えてしまって、胸の苦しさが増していく。

 昔は私が一番朔陽と仲が良かったのに、と思えば思うほど、胸がきゅうっと締め付けられて。

 

 胸の苦しみが胸の痛みに変わるのを、和子は感じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その翌日のこと。

 

「『自然解凍中の肉』を『自然界と宇宙の肉』って言い換えると美味くなってる気がしね?

 あ、しない? そっすか。残念。じゃ、この肉俺が一人で食っとくから」

 

 バカなことを言ってる一球を屋敷に置いていき、朔陽は和子と出立した。

 途中でヴァニラ姫と合流し、王都周辺に存在する森の一つへと向かう。

 今朝、森を切り倒して開拓していた切子から連絡が飛んで来たからだ。

 「大至急来て欲しい」と使いを飛ばすほどに、彼女は切羽詰まっていた。

 

 朔陽、和子、ヴァニラに森で待っていた切子が加わると、空気が変わる。

 息苦しく重苦しい、ちょっと息がしにくい気すらする空気に。

 

(……きまずい)

 

 和子は自分も気不味さの原因となっていることを自覚しつつも、何もできない。

 切子は告白済みで返事待ちだ。

 だから空気を変な風にしてしまうのは仕方がない。

 切子は朔陽を気にしつつも、ここで告白の返事は聞きたくないというオーラを出していた。

 後日場を改めて、ムードのある場所で返事をするのが最適解になるのだろうか?

 ただ、時々顔を赤くして朔陽の方をチラチラと見ているあたり、期待はしている様子。

 

 和子も昨日余計なことを考えたせいか、妙に空気を悪くしている。

 色々と考えていたくせに、切子の恋路を応援することも、切子の恋路を邪魔することもできないまま、朔陽を見る切子を見てオロオロしている。

 本当にオロオロしているだけだった。

 

 朔陽とヴァニラが明るく話題を振っていく内に、空気は徐々に軽くなっていく。

 

「それで、切子さんは何を見つけたの?」

 

「これを」

 

 切子が指差したのは、地下の施設への入口。

 いや、入り口に見えるだけの『地面より低い位置にある二階の窓』だった。

 おそらくは、ここには以前普通に建物があったものの、気が遠くなるほどの長い年月の経過を経て地形が変化し、建物を飲み込んでしまったのだ。

 千年か、二千年か、あるいはもっと長い時間が、この施設を埋もれさせた。

 

 施設を埋もれさせた土の上には木々が生え、やがて森となって施設を覆う土を覆った。

 森の木々を伐採し、切り株を抜く過程で地面を深く掘り下げなければ、この施設は絶対に見つからないようになっていたというわけだ。

 朔陽達は施設に入り込む。

 命の気配も罠の施設もなく、和子がいくら調べても直接的な危険は見当たらない。

 奥の部屋に進んでみれば、そこには天井・壁・床にびっしりと書き込まれた魔法陣があった。

 

 ヴァニラ姫が、思わず息を呑む。

 

「これは……?」

 

「転移の術式です! 世界そのものを歪め、離れた二箇所を癒着させる転移の魔法……!」

 

「と、いうことは、これはどこかに繋がって――」

 

 瞬間。

 

「――るんですか?」

 

 言葉を止める間もないほどの一瞬で、彼らの周囲の景色が変わった。

 魔法陣を警戒して、部屋には入らなかった。

 部屋の外から刺激しないよう魔法陣を眺めていただけだった。

 なのに魔法陣が"いいから来いや"と言わんばかりに発動し、抵抗すら許さないほどに短い刹那の一瞬で、彼らを遠く離れた地にまで転送してしまっていた。

 

「……繋がってたみたいですね」

 

「え……え!?」

 

「な、なんですとっ!?」

 

 朔陽は目を細める。

 和子は状況を理解できていない。

 切子は戸惑い、ヴァニラは国に帰還するための転移魔法の発動準備をすぐさま終えていた。

 姫の手の中で、術式補助の魔道具がカチャリと音を立てる。

 

 その音に気付きもしないほどに、朔陽は周囲の景色に心奪われていた。

 

「凄い……なんだここ……周りが全部、海?」

 

 それは、言うなれば海の底のドーム。

 海の底を半球形にくり抜いたかのような、そんな空間だった。

 ドームの周りを魚が泳ぎ、海の中を陽光がキラキラと照らしている。

 陽光は海水の中で乱反射し、とても美しい景色を作り上げていたが、自ら光る二つの月が放つ光は、乱反射することなくまっすぐに海底まで届いていた。

 太陽と月が並ぶ空は見えることなく、陽光と月光がぶつかる海面だけが見える。

 ここでは海面が空の役割を果たしているんだな、と朔陽は思った。

 

 海面が空なら、海底が地面だ。

 地面の役割を果たす海底はぬかるんでいて、少し気を抜くとスニーカーの朔陽ではすっ転んでしまいそうになる。

 雑草の代わりにサンゴが生えている。

 地上の野生生物の代わりに、両生類がその辺りを歩いている。

 鳥も虫もいない世界を見ていると、妙な非現実感がかき立てられてしまう。

 

 そして、海底に広がる半球のドームの真ん中には、小さな城が鎮座していた。

 

『そこなお客人、いつまでそこに居る気だ?』

 

「!」

 

『せっかく地上と地球のお客人が同時に来たのだ。余の城でゆっくりしていくがいい』

 

 頭の中に直接声が響く。

 直接頭の中に響いたのだから、声が聞こえた方向なんて分かるわけがないのに、何故か四人揃って"城の方から聞こえてきた"と意見が一致する。

 

「サクヒ、どうする?」

 

「……行ってみようか。何か怪しかったら即姫様の転移で逃げよう」

 

「おまかせください、サクヒ様」

 

 ここからダッツハーゲン王国まで一発で転移成功できる自信は姫にも無かったが、城外に逃げる程度なら百発百中で成功させる自信があった。

 四人は、油断なく城に入る。

 半魚人の姿をした使用人が頭を下げて迎えるが、何も喋らない。何も言わない。

 それがかえって不気味だった。

 

「佐藤さん……」

 

「切子さん、大丈夫だから。僕らから離れないようにね」

 

 朔陽に頼りがいと好意を感じている切子をよそに、ヴァニラ姫は城の内部の壁に触れ、細く白い指先で壁をなぞり怪訝そうな顔をしている。

 

「? ヴァニラ姫? どうしました?」

 

「……いえ」

 

 姫の指先に魔術の光が灯る。

 魔術が城の構造材質を調べ上げる。

 姫は"この城がどのくらい昔に作られたのか"を魔術で調べ、息を飲んだ。

 

「この建物、とても古いです。

 極限まで少なく見積もって二万年……最低でも五万年は歴史のある建物です」

 

「ごまっ……!?」

 

「ごめんなさい、正直に言えばわたくしでは正確には分かりません。

 これだけ古いものとなると、一万年単位の測定誤差は当たり前に出てしまいそうで……」

 

 十万年前からあるかもしれない。百万年前からあるかもしれない。

 最低でも、ダッツハーゲン王国建国より前からあることは間違いない。

 それどころか、現生人類の有史以前からある可能性すらある。

 朔陽やヴァニラ程度の者では、この城がいつから存在するのかさえも推し量れないのだ。

 

―――旧きものを探し、生き返った者を探せ。そこに、真実がある

 

 朔陽は信長の言葉を想起する。

 

(……旧きものって……)

 

 もしやという気持ちと、まさかという気持ちが重なる。

 そもそも信長がふわっとしたことしか言ってくれなかったので、朔陽も正直よく分かっていないままぼんやり警戒するしかないのだが。

 突然その辺に事情通の人とか生えてこないかな、と朔陽は期待した。

 生えてこなかった。

 残念。

 

 やがて、彼らは絢爛な扉の前に立つ。

 誰がどう見ても一目瞭然な、この城の主が座す場所へと続く扉だった。

 扉を開き、先に進んだ朔陽達が見たものは。

 

「余は久しぶりと言うべきか?

 それとも初めましてと言うべきか。

 お前達の先祖とはよく知った顔見知りだ、久しぶりと挨拶しておこう」

 

 宝石にしか見えない鱗。

 黄金にしか見えない角。

 神様にしか見えない(たたずまい)

 気軽な口調と裏腹に、神聖さと荘厳さに満ちた雰囲気が、自然と凡人でしかない朔陽の膝を折らせて、(こうべ)を垂れさせる。

 

 それは、人型の竜だった。

 竜が人の姿を真似ている、だなどという失礼な印象は一切持てやしない。

 人より遥かに高貴な存在が、人と話すためにわざわざ人の姿をしてくれているのだ、という感想しか抱けなかった。

 

「余の名は竜王。お前が額を床に擦り付けたいというのなら、余は別に止めんが」

 

「……いえっ、大丈夫、ですっ……!」

 

 朔陽は根性で顔を上げる。

 気合で体を起こす。

 活を入れて膝を伸ばす。

 なんとか精神力のみで、竜王と名乗った男と相対してみせた。

 

「それでよい。不当な圧力には心の力で抗うのが人間よ」

 

 まあ余のこの威圧感は抑えきれず自然と漏れてしまうものなのですまんな、と竜王は笑って謝りくははと笑う。

 

「ここは余の居城、竜goo城」

 

「……竜宮城?」

 

「竜goo城じゃ竜goo城」

 

 竜宮城という名前なら、日本人なら誰もが聞いたことがあるはずだ。だが……

 

「お前達の世界にGoogleサービスを提供しているのは余だぞ。だから竜goo城なのだ」

 

「……嘘ぉ!?」

 

「はっはっは、世界を越えた検索サービス。

 地球にもパシリの会社を置いてあるが問題あるまい。

 それとも何か? 一度も疑問に思ったことはなかったのか?

 昔話の竜宮城とGoogleって一部名前の響きが似てるな、くらいは思ったことがあろう」

 

「ないです」

 

「ちなみにGoogleと無関係のgooとかいうサービスのことは知らん」

 

「え、そっちは関係ないんですか?」

 

 関係ないらしい。

 

「余のライバルが余のGoogleを利用してYahooなるものも広げていたはずだが」

 

「え、あ、はい」

 

「余が竜王ならば奴は覇王。

 世界の壁を越えて色々と張り合っておってな?

 Yahooは『覇王よ(HAOYO)』というあやつの自己紹介をもじったものである」

 

「マジですか」

 

 知りたくなかった事実。

 

「余は多くの平行世界に検索サービスを提供しておる。

 ゆえに、多くの世界の情報を見ることもできてな。

 ハンターハンターやベルセルクが完結した世界線も見定めておるわけだ」

 

「なっ……!」

 

「気に入った作品の作者が死ねば、その作者が生きた別世界を探せばいいだけのことよ」

 

 なんというスケールの大きさか。

 流石は竜王。

 人間の多くが抱える悩み、けれども解決などできるはずもない悩みを、圧倒的スケールの生き方で完全に踏破してしまっている。

 朔陽はそこに、一縷の希望を見た。

 

「あ、あの! そうやって世界を越えることができるなら!

 僕らが元の世界に帰る方法を……世界を渡る方法を、ご存知ないですか!?」

 

「無論、知っている。

 余は全知の竜王。余が知らんことはあんまりない。当然だろう?

 Googleの元締めが全知でないなどありえんわ。最大手の検索サイトだぞ?」

 

「すみません、僕はその理屈に微妙に納得できないです」

 

「ふむ、分かりにくかったか。

 ならばこう答えよう。

 Googleを生み出した者が、Googleに知識量で負けるとでも思ったのか?」

 

「余計納得できなくなりました」

 

「余に説明を苦心させるとは、貴様も困ったちゃんよのう」

 

 Googleとは、全知の竜が配信する万知の検索エンジンである。

 普段から竜王に感謝して使うべきものなのだ、本来は。

 

「余はなんでも知っておる。頭に抱えた秘密も、胸に秘めた想いも、心に隠した苦悩も」

 

 竜王は切子を指差した。

 

「惚れた男をどう振り向かせればいいのかの正解も」

 

 次に、和子を指差した。

 

「どうすれば臆病な心に勇気が宿るのかも」

 

 そして、ヴァニラ姫を指差し。

 

「数十人を一度に元の世界に返す方法も」

 

 最後に、朔陽を指差した。

 

「仲間を誰も失うこと無く、全てを円満に終わらせる手段もだ」

 

 息を飲む四人の前で、竜王は神々しく笑う。

 

「余の試練を超えたなら、一つは話を聞いてやろう。余に願うも問うも、好きにするがいい」

 

 神か、悪魔か。

 彼は竜の王と名乗ったはずなのに、朔陽の目には彼が神か悪魔にしか見えない。

 

「ここは竜goo城。

 多くの世界に繋がる、複数の世界に接点を持つ世界。

 お前達の先祖は、かつて無償の愛で何かを助け、余に資格を与えられた。

 余の試練を越えることで、余の助力を得るという資格である」

 

 そのくせ、竜王の笑みはとても優しげで。

 

「お前達は、余がかつて愛した者達の子孫だ。

 凡庸でもいい、素晴らしいものを見せてくれ。

 まだ人間は滅びるべきものではないと、また余に教えて欲しいのだ」

 

 昔の友人達の孫を見るお爺ちゃんのような、そんな目をしていた、

 

 

 


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