サーティ・プラスワン・アイスクリーム   作:ルシエド

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雪見大福


出席番号2番、野球部キャプテン・井之頭一球の場合

 ここはダッツハーゲン王国。

 フレーバー王家によって治められている、正しい意味での人類勢力圏最北端の国にして、魔族の勢力圏最南端に隣接する最前線の国だ。

 雪国の多い北方の土地に住まう魔族は、豊かな土地の豊かな実りを奪うため、南に住まう人類の土地を奪うべく日々攻め込んでいる。

 その先駆けこそが、魔王率いる魔王軍であった。

 

 人類と魔族が対立しているこの大陸はユキミ大陸と呼ばれ、空から俯瞰して見ると円形の大陸が二つ縦にくっついたような形をしている。

 北の円が魔族領、南の円が人類領だ。

 かといって、人類魔族共に一枚岩というわけでもない。

 

 人類圏の中にはエルフやオークの国もあり、中立の魔族の国もある。

 南方の人類国家に戦争で負け滅ぼされた国家の末裔が、魔族と手を組み北側で独立国家を立ち上げ、現在の魔族と協力関係になっているというものもある。

 魔族にも複数の国家があり、それを魔王がまとめているワントップ体制であったり。

 人類側は全部の国が絶妙に足を引っ張りあった結果、全部の国の代表による合議制であったり。

 魔族の国と勝手に不可侵条約を結んだ人類の国があったり。

 

 ともかく、全体的にごちゃごちゃとした、どこにでもありそうな普通の国家間関係があった。

 そして全体で見れば、人類圏は崩壊寸前であると言える。

 魔王軍が優勢過ぎるのだ。

 戦争が終わればどんな形であれ、『人の世界』は消えてなくなるだろう。

 人類という種が残るかどうかさえも怪しい。

 現魔王が、そもそも人類種を残す意義を感じていないからだ。

 

 さて、そんなユキミ大陸のダッツハーゲン王国に飛ばされた佐藤朔陽(さとう さくひ)達だが。

 

「ふぅ……とりあえず、僕らのクラスの生活基盤は確立出来たと見ていいかな」

 

 異世界転移から一ヶ月。

 彼らはこの世界にすっかり適応し、日々をエンジョイしていた。

 

「サクヒ、サクヒ、ソシャゲができない……イベントの日なのに……」

 

「諦めようよ和子ちゃん」

 

 ここは、王城近くに用意された地球人用の邸宅、その一室。

 より正確に言うのであれば、朔陽専用の事務室であった。

 

 ソシャゲができず、行動力も消費できない現状に、若鷺和子(わかさぎ わこ)が死に体を晒す。

 朔陽が各種書類を処理している最中の机に乗っかって来る彼女の表情は死に、体は脱力、和子のそこそこ大きな胸は机でむにゅりと潰れている。

 だが朔陽は机の上のゴミをどけるように、彼女の体を押しのけた。

 

「帰るまでソシャゲは無理だってば。これを機に卒業しなよ」

 

「うぅ、やっぱそうするしかないのかな……」

 

 押しのけられた和子は、体をふらつかせもせず、綺麗な倒れ方で近場のソファーに倒れ込む。

 なんだかんだ、彼女のバランス感覚は凄まじい。

 朔陽は昔、公園で二人で遊んでいた時、平均台から足を滑らせて落ちた時のことを思い出した。

 

 平均台で股間を打った朔陽は、一瞬神の声を聞いた。

 「お主の股間のマリー・チンポワネットは、フランス革命によりギロチンポされてしまったのじゃ。ギロチン対象は人の頭でなく亀の頭じゃが」というシモネタに走った品の無い声。

 おそらく幻聴である。

 こんなことを言う神はそう居ない。

 つまり、幻聴を聞いてしまうほどの痛みだったのだ。

 痛みに転げ回った想い出が、彼の記憶の中にはある、

 鉄棒の上に片足で立ってそれを見下ろしていた和子の不思議そうな顔も忘れない。

 「股間にいらないものが付いてたから痛いんだね」という和子のコメントも忘れない。

 

 そんな二人だが、朔陽が和子に悪感情を抱いたことは一度もない。

 むしろずっと好意しか抱いていなかった。

 そんな朔陽であるので、今回の異世界転移が内向的な和子がソシャゲに逃げる癖を直すいい機会になったと、内心少しだけ喜んでいた。

 

 と、同時に、どんな形であれ和子の不幸を喜んでしまっている自分に、少しの罪悪感と自己嫌悪を感じてしまっていた。

 相手の気持ちが分かる人間であるということは、ソシャゲが出来ない苦しみにも共感できてしまうということでもある。

 更にクラスの皆の望郷の気持ちを想い、少しでも喜んでしまった自分を恥じる朔陽。

 そんな彼の心中を知ってか知らずか、和子はクラスメイト達の近況を聞く。

 

「皆、元気?」

 

「元気だよ。一部は連絡取れないけど、多分大丈夫」

 

 彼らはこの世界に独自の生活基盤を獲得していた。

 『教科書』という名の、人間が何千年も蓄積してきた知識と技術の要約。教育がその肉体に刻んでくれた物理的財産。クラスメイトそれぞれが持つ個別の知と能。

 朔陽がまとめている彼らは、この世界にとっても有益な個性溢れる三十人なのだ。

 

 江ノ島や子々津音々の心理学。

 九条の数学。

 セリスの核爆弾作成理論。

 二之宮の金融戦術。

 この国を治めるフレーバー王家との取り引き材料に出来るものは、彼らがパッと出せるものの中にもいくつかあった。

 そこにヴァニラ・フレーバー王女が間に入ってくれたおかげで、交渉は実に上手く行ったというわけである。

 衣食住の確保までは容易だった。

 

 が。

 彼のクラスには問題児が多かった。

 ある者は王都の宿に勝手に部屋を借り、ある者はこの世界を見て回る旅に出て、ある者は山へ芝刈りに、ある者は川へ洗濯に。山に修行に行った者も、嘘つきで行き先を言わなかった者も居る。

 皆好き勝手やってるのだ。

 佐藤朔陽がトップであるがためにギリギリ集団として機能している状態である。

 

 例えば「私より強い奴に会いに行く」と言って王都を出て行った女子柔道の津軽辻などは、朔陽の経験上一ヶ月は帰って来ないと確信されていた。

 

「皆凄いね。初めて来た場所なのに。私にはとても真似出来ない」

 

「和子ちゃんには絶対に真似して欲しくないよ」

 

 皆があまりにも好き勝手している上、自制心がある人間は王城の学者や軍人などと一緒に働いていたりもするため、朔陽が適当に呼びかけても数人くらいしか集められないだろう。

 朔陽の大大大ピンチには全員駆けつけるかもしれない。

 けれどおそらく大ピンチ程度では数人くらいしか駆け付けないに違いない。

 "いやあ、佐藤朔陽は多分誰かに助けられて生き残るよ"という慣れに近い信頼が、クラスメイト達から朔陽へと向けられていた。

 

「私は……その図太さとたくましさ、ちょっとうらやましい」

 

 とはいえ、そんなクラスメイトの駄目な大雑把さが見えているのは朔陽だけだ。

 和子からすればかのクラスメイト達は、異世界に放り出されても好き勝手生きているタフな人間であり、憧れる人物なのだろう。

 

「和子ちゃん、怖い?」

 

「うん、怖い」

 

「怖いのはドラゴン? 魔王? 魔王軍? 魔法?」

 

「……現実感が無いものが目の前に現実としてあるっていうのは、それだけで怖い」

 

 魔法や魔物がある世界のファンタジー感、非現実感。彼女はそれ自体が怖いのだ。

 よく分からないものがそこにあるだけで怖い、というのは、彼女がごく一般的な少女らしい感性を持っていることを証明している。

 和子は自分の中の不安をかき消そうとするかのように、机の上にあった書き損じの書類という名のゴミを、火遁術で灰にした。

 

「でも和子ちゃん、ここも現実だよ。少しファンタジーなだけで」

 

「それは……そうだけど」

 

「なら僕達はこの世界のことを知って、この世界で生きていかないといけない。

 僕らがこの世界で今日を必死に生きるのは、いつかの明日に元の世界に帰るためなんだから」

 

「……」

 

「適当に生きてどこかで死んじゃったら、それこそ元の世界には帰れないよ。

 元の世界に帰ることを諦めないのなら、僕らはこの世界で懸命に生きていかないとね」

 

 元居た世界に帰る未来は、頑張った現在の先にしか繋がっていないのだ。

 

「……私、がんばる」

 

「うん、その意気だ。僕は君を応援するのは勿論、僕自身も頑張らないとね」

 

 朔陽がペンを走らせる。

 ヴァニラ・フレーバー姫だけでなく、その父であるモナ・フレーバー王にも手紙を通じて好感を持ってもらおうという、凡人なりの涙ぐましいロビー活動であった。

 和子はソファーの上で体育座りして動かない。

 学生服ゆえスカートだが、彼女自身は気にしない。

 じっと動かず、何も喋らず。

 邪魔をしないように石になる。

 

 ……静かになった事務室に、彼のペンが走る音だけが響く。

 ボールペンも無い世界で作られた、魔法で加工された大量生産品のペンが動く。

 じっとしていた和子の視線が泳ぎ始める。

 少女の体がそわそわしだした。

 邪魔しないようにじっとしていようという気持ちと、じっとして居られない衝動。

 構って欲しい、でも我慢しないと、という二つの気持ちの矛盾。

 スマホ中毒特有の『何もしていない時間が苦手』『何か読んだり何か見ていたりしたい』という情動も相まって、和子は結局じっとしていることができなかった。

 

 ついつい彼に話しかけてしまう。そして同時にじっとしていられなかったことを後悔した。

 

「それ、大変なの?」

 

「大変……でもないかな。皆のまとめ役をしてるだけだし。

 副委員長の桜花さんと頭脳担当の倶利伽羅くんが助けてくれてるのは大きいね。

 あ、セレジアさんの補助も大きいかな?

 どうしようもなくなったら山に修行に行った亜神くんも戻って来るだろうしさ」

 

「……誰?」

 

「……あー、和子ちゃんは名前知らないか。

 覚えてなくても恥ずかしいことじゃないよ、それは。

 30人近く居る人間の名前羅列されても、普通はすぐ覚えられないからね。

 時間をかけて、何か出来事があったらそれに関連付けて、一人ずつ覚えていくといいよ」

 

「一人ずつ、一人ずつ……」

 

「どうでもいい人を部活名や顔や髪型で覚えるのは苦痛だからね。

 覚えるのはその人のことをちょっとでも好きだな、面白いな、って思ってからでいいんだ」

 

 クラスの全員を熟知している朔陽。

 クラスのほぼ全員のことを全く知らない和子。

 二人のクラスメイトに対する最も大きなスタンスの差異は、そこから生まれていた。

 

「でも、想い出は忘れないように。

 皆の名前を覚えてから想い出を辿れば、それはまた楽しめるものになっているから」

 

「うん」

 

「後は、和子ちゃん無口だから、もうちょっと口数増えたらいいかなって思うくらいかな」

 

 朔陽はよく知っている仲間達を助けていかねばならない。

 和子は何も知らない仲間達のことを知っていかねばならない。

 内容は違えど、二人共頑張らないといけないのだ。

 若鷺和子は奮起した。

 頑張ろうと決意した。

 そのためにとりあえずはまず、彼の言う通りに口数を増やそう、と考えた。

 

 そして事務室の中にて、分身の術で五人に増える。

 

「……何やってるの?」

 

「分身した。口が増えた。口の数が多くなった」

 

「そういうこと言ったんじゃないからね!」

 

 このクラスは、トップの朔陽が居ないと基本ダメなのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 和子が姿を消し、やるべきことをひとまず終えた朔陽が事務室でぐっと背伸びをする。

 

「んっ……」

 

 彼らはこの世界では異邦人だ。

 正確に言ってしまえば、このダッツハーゲン王国の行政が持つ『自国の民を守る義務』の対象には、異世界人である彼らは含まれない。

 魔王軍から守って貰えない可能性がある。

 土地に住むことを許されない可能性がある。

 国のシステムの恩恵が受けられない可能性がある。

 『異世界人』という名の少数派の被差別民族になってしまう可能性もある。

 まともに買い物もできなくなれば、もう終わりだ。

 

 ひもじい、寒い、もう死にたい。

 不幸はこの順番でやって来るという。

 朔陽はこの世界に自分達の当座の居場所を作るべく必死だった。

 この国の人間に自分達を仲間だと認めさせるのに必死だった。

 自分達の存在価値と利用価値を認識させるのに必死だった。

 全てはクラスメイトのため、28人の友達のためである。

 

 そんな彼の頑張りを、察しているクラスメイトも居る。

 

「中国三千年の歴史を異物混入したお茶入ったアルよー」

 

 クラスメイトの一人、中国からの留学生董仲穎(とうちゅうえい)が部屋にやって来た。

 男ではあるが伸ばした髪は一本に編まれ、胡散臭い糸目が特徴的な朔陽の友人である。

 編まれた髪の先には鉄球がくくりつけられており、有事にはこれを敵の顔面に叩きつけることでその顔面を粉砕するのだ。

 彼は糸目で胡散臭く笑い、彼に茶を差し出した。

 

「ありがとう。……ああ、あったかい烏龍茶が美味しい……」

 

「そりゃよかったアル」

 

 そして董仲穎自身も茶を飲み始める。

 朔陽はもう一度茶に口をつけ、そこでようやく、この世界に無い烏龍茶を自分が飲んでいるということに気が付いた。

 

「待って、これ烏龍茶だけど、どこで手に入れて来たの」

 

「こっちの世界の植生調べてる途中で茶葉と味が似た草を見つけたアル」

 

「あ、一段落ついたんだ、植生調査と地球との植生比較」

 

「まあ探してたけど似たのも見つからなかったのはパクチーくらいアルよ」

 

「パクチー……は好きな人と嫌いな人きっちり別れるからいいかなぁ」

 

「ちなワタシは好きアル。ワタシは食べ物だと嫌いなものが無いアルし」

 

「無いのかあるのかどっちなの」

 

 地球の飯と同じ味のものが食べたい、という食いしん坊クラスメイトの要望。

 同じ味のものを作りたい、という手料理部の要望。

 消毒に使える草が欲しい、という保健委員の要望。

 金になる草売って稼ごうぜ、という提案。

 それらを叶えるため、西に東に駆け回る。それが彼のお仕事だった。

 

「まあワタシはシューマイの上に乗せるグリーンピースをはよ見つけんといかんアル」

 

「それそんなに重要なものかな……」

 

「ついでにいいんちょに頼まれた薬用草も探しとくアル」

 

「それそんなに扱い軽くていいものかな……」

 

 シューマイの上のグリーンピースの存在価値とは何か?

 これは重要な命題だ。

 

「董くん、修学旅行の後里帰りの予定じゃなかったっけ? その辺大丈夫なの?」

 

「まあゾンビだらけのあっちに里帰りしても楽しいことあんま無いアルし」

 

「ああ……うん」

 

「それならいいんちょの家にお泊りした方がまだ楽しそうアル」

 

「うち何も無いよ。ニンテンドースイッチはあるけど」

 

「スイッチあるアル!?」

 

「あるある」

 

「じゃーやっぱいつかお邪魔するアルヨー」

 

 ゲームに食いつく友情関係が、なんとも普通の学生らしい。

 

「ところで、なんでお茶を三人分用意したの?」

 

「すぐ来るやつがいるからアル」

 

 董仲穎が部屋を出て行くと、入れ替わりに別の少年が部屋へと入って来る。

 

「朔陽ー、キャッチボールやろうぜ」

 

「一球くん」

 

 先日聖剣をく聖剣に変えた野球部部長、井之頭一球(いのがしら いっきゅう)が気さくな様子で部屋に入って来て、朔陽は董が置いていったお茶の意味を理解した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 茶を飲んで、外に出て、キャッチボール開始。

 やることが一通り終わった朔陽にとっても、いい息抜きになることだろう。

 互いにグローブを付け、野球ボールを投げ合い受け合う。

 

「お前地味に肩強くなってきたな、朔陽」

 

「甲子園に行ったことがある高校球児と、結構キャッチボールしてるからね」

 

 球を投げて、言葉を投げる。

 

「そういや俺よ、気になったんだが。

 あの若鷺和子っての、小学校の時に何度かお前の影に隠れてるの見た覚えがあるぞ」

 

「あ、覚えてたんだ」

 

「あいつなんで引きこもってたんだよ。その辺の事情俺全然知らねえぞ」

 

「……それは」

 

「あー待て待て、言いにくいなら言わんでいい。

 女の子のプライベートな事情だしな。

 ただほらよ、俺も一応クラスメイトじゃん?

 詳しい事情知ってりゃ俺もあの子のことフォローできるかと思ってさ。

 お前も四六時中あの子に張り付いてフォローできるわけじゃねえんだろ?

 頑張ってるお前が背負い込んでる負担、少しは俺にも分けてくれ。迷惑じゃないんなら」

 

 球を受けて、言葉を受ける。

 

「……迷惑なんかじゃないよ。いつも、頼りにしてる」

 

 これは、言葉とボールのキャッチボールだ。

 

「普通、日本には忍者が居るものじゃない?

 忍者が居ない日本なんていう珍しそうな異世界も、きっとどこかにはあるんだろうけど」

 

「まあ……日本以外のどこで忍者見るんだよって話だしな」

 

「普通就職に使える等級の忍者資格が欲しいなら、忍者専門学校に行くべきなんだよ」

 

「だけど若鷺はお前や俺と同じ、ちょっと偏差値が高いくらいの普通の高校に来たわけだ」

 

「そ、ちょっと見えてきたでしょ?」

 

 若鷺和子は忍者である。

 それは、ある程度常識のある者なら、彼女を見ているだけで察することができるものだ。

 

「和子ちゃんのお父さんとお母さんって、どっちもI種試験突破したエリート忍者なんだ。

 お父さんとかは今は内閣調査室忍者部の部長さんやってるって聞いた覚えがあるよ」

 

「へえ、マジでエリートなんだな」

 

「ただ、そんな両親だったから、和子ちゃんは過剰にプレッシャーを感じちゃったんだ」

 

 両親が立派だということは、子の誇りになる。

 両親が立派だということは、周囲から子への期待になる。

 両親が立派だということは、子が背負う重荷になる。

 

「筑波あるじゃん、筑波。僕が前に一球くんにパンフ見せたやつ」

 

「あー、忍術学園都市の」

 

 茨城県南部、筑波山南麓の筑波台地に座す、『筑波忍術学園都市』。

 次代を担う忍者の育成と、忍術の研究開発を主目的とする学園都市だ。

 

 面積は東京の半分、28.400haという広大さ。

 22万7千人が住み、その内資格持ちの忍者がプロアマ合わせて7.2万人、残りの15.5万人が非忍者であると言われている。

 国際的に門戸を開いており、ドイツ忍者などの外国人研究者も広く誘致しているとのことだ。

 

 近年は兼業忍者も多く、専業忍者で食っていける者はそこまで多くない。

 だがこの学園都市で忍術を修めた者は、例外なくその後の成功が約束される。

 ただし世界中から有能な人間が集まっている分、学生として受験してここに入るには、途方もなく高い忍術の腕と知識が必要とされた。

 

「志望校あそこって、あそこ忍術模試で忍術偏差値70無いと入るの厳しいんじゃなかったか?」

 

「だから和子ちゃん落ちちゃって、今はこの学校に居るってわけ」

 

 よくある話だ。

 どこででも聞く話だ。

 絶対に受かりたい学校の受験に落ちて、別の学校を受けて受かって、でも合格後に自己嫌悪でずぶずぶと落ち込んでいって、学校に行けなくなってしまう。

 そんな、ドロップアウト学生の話。

 二人の間をボールが行き交う。

 

「忍術に関しては才能もあったし、努力もしてたし、予備校にも行ってた。

 ……でもやっぱり、和子ちゃんは心の問題で、実力を出しきれなかったんだ」

 

「で、俺らと同じ学校受けるだけ受けて、合格したのはいいが引きこもりになったと」

 

「理事長が寛容な人で本当に良かったよ。

 和子ちゃん二年間丸々学校行けてなかったけど、学力証明だけで進級させてくれたんだから」

 

「頭下げて理事長に頼んだのはお前だろ、朔陽。何他人事みたいに言ってんだ」

 

「……あれ? その辺りのこと僕話したことあったっけ?」

 

「わからいでか」

 

 佐藤朔陽が、若鷺和子のために大人に頭を下げて回ったことなど、井之頭一球からすれば聞かなくても分かることだ。

 週刊少年ジャンプに時々極度に質の低い連載が載ることくらいに分かりきったことだ。

 

「俺とお前が何年の付き合いだと思ってんだ。人生の半分以上一緒に居るんだぞ」

 

「あはは、そういえばそうだった」

 

 二人は幼馴染だ。

 友人を大切にする朔陽には、幼馴染が何人も居る。

 幼い頃に誰かと出会ったから幼馴染が出来るのではない。

 幼い頃に出会った誰かと年単位で親しい関係を続けた結果、幼馴染は出来るのだ。

 幼馴染の親友とは、適当な人間や薄情な人間にはあまり出来ないものである。

 二人の間をボールが行き交う。

 

「で、本題は?」

 

「!」

 

「一球くんとも、もう十年くらいの付き合いだからさ。

 話題を切り出しにくいから、適当な話題から話始めたことくらいは分かるよ」

 

 片方が片方のことをよく理解しているのなら、その逆向きの理解もある。

 それが相互理解というものだ。

 二人の間を気持ちが行き交う。

 

「……敵わねえなあ」

 

 一球はこの世界に来る前から抱えていた悩みを、この修学旅行で相談しようと思っていた悩みを朔陽に打ち明け始めた。

 事実(なやみ)を一つ語るたび、そこに一つ気持ちを語って横に添える。

 朔陽は優しく応対し、彼の悩みと気持ちを全て受け止めた。

 二人の間を言葉が行き交う。

 

「俺よ、ピッチャーやめて外野回ろうかと思ってんだ。今すぐにってわけじゃないが」

 

「どうして? せっかく今四番ピッチャーでキャプテンまでやってるのに……」

 

「俺が持ってる変化球なんてカーブと消える魔球くらいだ。

 しかもどっちも甲子園レベルにまで鍛えられてるわけでもねえ」

 

「ふむふむ」

 

「プロのピッチャーには実戦レベルの変化球が三種以上必要だってのが定説だ。

 デッドボールとストライクを同時に取るような……

 球投げてカウントを稼ぎつつ相手の(タマ)も削れるような変化球がねえと駄目なんだ」

 

「ああ、最近のプロはそういう人も居るね」

 

「野球は紳士のスポーツだ。

 ピッチャーが相手を削るにしても、殺さず削る技術が要る」

 

 地球世界においては、九つに分裂させた硬球で打者を峰打ちする魔球・九頭球閃を使う元捕手の緋村克也投手などが、特に有名だろう。

 三つのストライクを取りつつ、バッターの六ヶ所を強打する王道のストレート。

 仏教における六根(眼、耳、鼻、舌、身、意)を概念的に強打し、六境(色、声、香、味、触、法)を識る力を奪い、怪我一つ負わせないままにバッターアウトに持っていく、合法デッドボールと呼ばれる魔球の一種だ。

 

 これを投げ、ヒムさんの愛称で愛される緋村克也投手は、球界を背負うエースの一人である。

 そして、エースを見てそれに憧れる野球少年も居れば、エースを見てそれになれないと気付く野球少年も居る。

 

「俺はピッチャーになれるだけの才能がねえ。

 だけどな、後輩に見どころがあるやつがいるんだ。

 俺は外野に回って、いざという時の補欠ピッチャーとして控えておくさ」

 

「……」

 

「俺はプロの世界にも、このスタンスで入ろうと思ってる」

 

 複雑そうな顔で一球が投げたボールと気持ちを、朔陽は受け止める。

 

「俺のこの選択は正しいと思うか? お前は俺がどっちを選ぶべきだと思った?」

 

「僕には分からないなぁ」

 

「……まあそりゃそうか。お前野球部でもねえしな」

 

「違う、そうじゃない。

 僕にも君にも、いや他の誰にも、それの正解なんて分からないって言ってるんだ」

 

「―――」

 

「ストレートに言うよ。

 それはいくら考えても、正解の選択肢なんて見つからない。

 そして最後に何を選ぶか決められるのは君だけだ。

 選択が決める未来は君のものだけで、選択の責任を取らないといけないのも君だけだ」

 

 朔陽が投げたボールと気持ちを、一球が受け止める。

 

「皆同じだよ。

 いつかどこかで、何が正解か分からない中で何かを選択している。

 その選択の結果どうなるか分からないという点で、僕らは誰もが同じなんだ」

 

「お前にも、そういう選択があったのか?」

 

「したよ。例えば、二年前に和子ちゃんを部屋から出すと決めた時とか。

 和子ちゃんに嫌われるかもって思ったし、実際一時期嫌われてたしね」

 

「……」

 

「人生なんて迷ったり悩んだりすることの連続でしょ。きっと死ぬまでずっとそうだよ」

 

 一球が朔陽に悩みを相談した理由。

 それは二人の性格や言葉を見比べ、その関係性を見ればおのずと理解できる。

 

「でも、さ。

 僕らの選択が間違っても正しくても……

 その先に支えてくれる人が居たら、何か違うと思わない?」

 

 どんな選択の先の未来でも、隣に友達か仲間が居れば。

 

「だから僕が言えることは一つだ」

 

 後悔はきっと少なくできる。

 

「君は何を選んでもいいと思う。君が何を選んでも、僕らはずっと友達だよ」

 

「……朔陽」

 

「ピッチャーでも外野でもいい。君は君が好きになった野球を懸命にすればいいんだ」

 

 朔陽には、自分が何も道を示せていない自覚がある。

 どちらが正解だろうか、という悩みの相談に、どちらが正しいとも言わなかったのだから。

 朔陽は『自分で選べ』『その責任は自分で取れ』『頼りたい時はいつでも頼れ』と言っただけ。

 だが、だからこそ、悩み揺らいでいた一球の心に喝を入れることができていた。

 

「あ、そうだ。何が正しいのか分かんなくて迷ったと言えば、一球くんに話しかけた時もだよ」

 

「俺にか?」

 

「ほら、初めて会った時……」

 

「あのエロ本がよく落ちてた河原だな。

 俺が一人で壁当てやってるとこにお前が話しかけてきて、俺達は出会った」

 

「そう、その河原。あそこで話しかけた時も僕はなけなしの勇気を振り絞ってたんだ」

 

 一球が投げたボールを朔陽がキャッチする。

 朔陽は思いっきり力と気持ちを込めて、言葉とボールを投げつけた。

 

「話しかけた方がいいのかな。

 話しかけない方がいいのかな。

 他に誰か子供探した方がいいのかな。

 そんな風に悩んで、迷って、結局話しかけたんだ。一緒に遊ぼうって言うために」

 

「なんで俺に話しかけてきたんだ?」

 

「友達がもっといっぱい欲しかったから」

 

 ボールと言葉を、一球が受け止める。

 

「あの頃の話は懐かしいな。で、俺はそれに『いいぞ』って言って」

 

「僕が『何をして遊ぶ?』って聞いて」

 

「『じゃあキャッチボールしようぜ』と俺は言った」

 

 相手が投げたボールを受けると、グローブ越しでもぴしりと痛い。

 軽い痛みだが、それが逆に心地良かった。

 

「あの返事がさ、僕はとても嬉しかったんだ」

 

「お前は単純、ってか安い男だな」

 

「うるせいやい。

 悪かったね、そんな単純なことで喜ぶ安い男で。

 でもさ、あれが僕の友達作りの始まりだったと思うんだよ。

 ああ、僕はこうやって友達を作っていっていいんだな、ってあの時思えたんだ」

 

 幼い頃に友達作りで手酷い失敗をしてしまうと、友達作りを恐れるようになってしまうという。

 が、逆にそこで成功体験を積んだ場合、その後の友達作りで何か失敗しても、成功体験が根底にあるために失敗を恐れにくくなるという。

 朔陽が今クラス委員長をやっている遠因は、どうやらこの野球少年にあったようだ。

 

「俺もな、あの頃特に野球好きだったわけじゃねえんだよ」

 

「え?」

 

「あれからお前と毎日のようにキャッチボールしてたろ?

 あっれが楽しくてさー、気付けば草野球チームに入ってたんだよな」

 

 だが、同時に。

 一球が今野球をやっている遠因もまた、友人との関係の中にある。

 

「本気で熱中したら野球って楽しくてよ。

 小学校の時の草野球大会の時は、親が応援に来てて"絶対勝つ"って思った。

 中学の時もお前が応援に来てて、"必ず勝つ"って気合い入れてた。

 お前は高校でも俺の試合に応援に来てたよな。おかげで気を抜いて試合に挑む暇がねえ」

 

「一球くんが気付いてないだけで小学校の時も応援は行ってたんだけど」

 

「え、マジ?」

 

「マジマジ」

 

 井之頭一球は友情、信頼、想い出、その他諸々の熱い気持ちをボールに込めて投げつける。

 

「腐れ縁のお前に応援されて、好きなことだけやって……野球だけやってる内にさ」

 

 グローブで球を受けた朔陽の手が、痛くて、痺れて、そして何より熱かった。

 

「俺は、プロになりてえ、ってごく自然に思うようになってたんだ」

 

 彼らは高校三年生だ。

 この異世界から帰ればその後に、各々の夢に向かって進んでいく未来が待っている。

 だからこそ、必ず帰るのだ。

 彼らが描いた未来予想図は、この異世界の中には無い。

 

「なるよ。

 一球くんは必ずプロになる。

 だから僕は、君を必ず元の世界に帰してみせる」

 

「はっ。帰してみせる、じゃねえだろ? 一緒に帰る、だろ!」

 

 一球の脳裏に未来予想図が浮かぶ。

 バッターボックスには、プロになった自分。

 観客席には親友と親。

 そんなシチュエーションで、ホームランを打つ。そんな未来の夢だ。

 彼がその夢を叶えたいのなら、元の世界に帰らなければならない。

 

 この世界で死なずに、生きて帰らなければならない。

 

「―――」

 

「? どしたのさ、一球くん」

 

「この……プレッシャーは……まさか……」

 

 この世界で彼らが抗うべき脅威は、魔王軍だけなのだろうか?

 いや、違う。

 彼らが彼らで在る限り、戦わねばならない敵が居る。

 

「『黄泉瓜巨人軍』だ……!」

 

 彼らが居た世界から、この世界へと進軍を始めた侵略者。

 

 黄泉瓜巨人軍が、突如空より現れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一つ、日本の歴史の話をしよう。

 かつて日本には『黄泉瓜巨人軍』なる軍団が居た。

 彼らが掲げた諸目標は日本の征服。

 そしてそれを足がかりにした世界征服と、野球の更なるメジャースポーツ化であった。

 

 黄泉瓜巨人軍は神話に語られる巨人の遺伝子を極秘に入手。

 それを野球選手特有の肉体改造にて、人体に組み込んだ。

 結果、巨人の遺伝子を組み込まれた人間の意識は死滅し、黄泉瓜巨人軍に操られる巨人型の尖兵と化した。

 巨人は圧倒的な力で日本を制圧し、リーグ戦を勝ち抜き、もはや日本の正規軍と自衛隊とセリーグの中に巨人に打ち勝てるものは居ない、と囁かれたほどの絶望であった。

 

 黄泉瓜巨人軍は神を名乗り、巨人は巨人神装兵と改名される。

 日本は黄泉瓜巨人軍に制圧されてしまうのか、と誰もが思ったその時に。

 立ち上がった英雄が居た。

 それが神に逆らう者達―――『反神タイガース』である。

 

 反神勢力は仲間を集め、他の球団の力も借り、神へと反抗する。

 やがて黄泉瓜巨人軍内部からも『真・巨人軍』なる独立勢力が現われ、若手を中心とした真・巨人軍が内側から黄泉瓜巨人軍を崩壊させ、戦局は一気に傾いた。

 かくして、黄泉瓜巨人軍はその戦力のほぼ全てを殲滅された、と伝えられている。

 佐藤朔陽のクラスにも、当時この戦いにボランティアで参加し、学校に内申点を上げてもらった学生は何人か居た。それほどの規模の戦いだったのだ。

 

 かつての戦力を失った黄泉瓜巨人軍は、日本のどこかに逃げ、今でも執念深く地球を征服するべく再起のチャンスを待っている……というのが、一般的な日本人の認識だろう。

 だが、違う。

 彼らは待っていたのだ。

 異世界とこの地球が繋がる、その瞬間を。

 

 巨人神装兵を使う彼らはずっと考えていたのだ。

 巨人が野球をやるには地球は狭すぎるな、と。

 だからこそもっと広いグラウンドを、別の世界に求めたのだ。

 ヴァニラ姫が地球に助けを求めて発動した術式は、黄泉瓜巨人軍に察知されてしまい、逆に地球からこの世界へと侵略するための『道』を作る参考にされてしまったのである。

 

 黄泉瓜巨人軍の今の目的は、異世界の制圧。

 そしてこの世界を巨人練習用のグラウンドと化し、今度こそ地球の全てを征服するために、この世界を新人育成用の二軍ファームとして活用することだった。

 一軍を地球に放り込み、この異世界で二軍を育て、順次一軍と二軍を入れ替えていけば、いつかは地球を制圧できる。

 そんな、悪夢のような作戦がここにはあった。

 

 黄泉とは、日本神話における死者の国。地の下に在り根に例えられる国である。

 つまり、地を表すものだ。

 瓜とは、『御伽草子』に収録された『天稚彦草子』において天の川を生み出した瓜のことを指している。

 つまり、天を表すものだ。

 そして人は、古来より天と地の境に生きる天とも地とも非なるものとされる。

 巨人とは、人を表すものだ。

 

 天・地・人は古来の中国思想において『三才』と呼ばれ、この三つで宇宙の万物を表すことができると語られていた。

 つまりヨミウリ=キョジンという名そのものが、宇宙の根幹原理を表しているのである。

 ヨミウリ=キョジン軍という名には、宇宙の全てを支配するという野望が込められているのだ。

 

 かくして、お姫様の勇者召喚を悪意をもって利用した、悪の侵略が開始される。

 

 

 

 

 

 空が割れ、そこから落ちて来た巨人が咆哮する。

 世界が揺れるような咆哮だった。

 瞬間、世界の全てが黄泉瓜巨人軍の存在に気付く。

 

「……っ!」

 

 朔陽は冷静に黄泉瓜巨人軍に関する裏社会由来の情報を思い出す。

 確か黄泉瓜巨人軍は、巨人軍を勝手に捕縛し私刑にする市民の勝手な活動で――野球捕縛問題――、巨人を残り二体にまで減らされていたはず。

 そう彼が考えていると、空から二体の巨人とそれを操る人間達が落ちて来た。

 巨人の一体は人間達と一緒に姿を消したが、巨人の一体は王都に向けて進軍を始める。

 

 間違いない。

 この王都を落とし、ダッツハーゲン王国を乗っ取るつもりだ。

 このままではダッツハーゲン王国はヨミウリ王国に、王国軍は巨人軍になってしまう。

 

 巨人は腰に吊っていた無数の鉄球の内一つを手に取り、トルネード投法特有の構えにて体をねじり、鉄球を投げる姿勢に入った。

 

死を招く球(デッドボール)……! 黄泉瓜巨人軍の得意技ッ!」

 

 巨人が持つ巨大な膂力で、放たれる鉄球。

 日本ではこれを死を招く球(デッドボール)と皆呼んでいた。

 その破壊力は絶大。

 鉄の要塞を貫通し、命中した地点の周囲は衝撃にて粉々になる。

 要するに、巨人の筋肉を用いた最強クラスの運動エネルギー兵器であった。

 

 この攻撃に対抗する手段は、たったひとつ。

 完璧な打法、完成されたインパクト、完全なる打撃にて、投げられた鉄球をピッチャー返しするしかない。

 ゆえにこそ、野球を極めた者にのみ対抗可能な魔球であった。

 

 井之頭一球はバットを構える。

 

「何やってんの、一球くん!」

 

「うるせえ! お前は知ってんだろ、朔陽!」

 

 朔陽は一球が激昂している理由も知っている。

 激昂した状態ではかの魔球は打ち返せないことも知っている。

 死を招く球(デッドボール)は、心を明鏡止水に至らせ初めて打てるもの。

 

「あいつらは……あのデッドボールを故意に俺の親父の頭に当てて、殺したんだ!」

 

「知ってる! だけど、冷静じゃない今の君にあいつの球は打ち返せない!」

 

 自己管理ができない野球選手など未熟者にも程がある。

 自分の心さえ管理できないのであればなおさらだ。

 一球は、始まる前から既に負けているも同然だった。

 

「今のままじゃ、君まで死んでしまう!」

 

「離れてろ! 俺は、あいつにだけは背を向けられねえんだ!

 バッターもピッチャーも、互いに相手に背を向けるくらいなら死を選ぶ!」

 

 ゆえに。

 巨人が鉄球を投げ、一球が金属バットを構えても、トルネード投法から放たれた巨人のストレートに、一球はまともに反応することさえできなかった。

 

(―――速っ―――)

 

 黄泉瓜巨人軍との戦いにおいて、直球の見送りは三振ではなく死を意味する。

 バッターである一球は死に直面し、激昂した心が冷えるのを感じていた。

 死の冷たさが、冷静さを取り戻させる。

 そこで一球はようやく、先程まで自分の身を包んでいた怒りが、自分の中にある"巨人軍の強さに対する恐怖"を誤魔化していたことに気が付いた。

 眼前に迫る死が、バッターたる彼の意識だけを加速させる。

 

 その目が、迫り来る鉄球と、自分と鉄球の間に飛び込んで来た親友の背中を捉えた。

 

 勇気ある者は、友を庇う。

 心弱き者は、すぐに復讐心や恐怖に負ける。

 それは当然のこと。

 銃弾の前に紙の壁を立てるに等しい行為と知りながらも、朔陽は体を張って友を庇う。

 

 そして、二人まとめて鉄球の直撃を受け押し潰された。

 

 

 


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