サーティ・プラスワン・アイスクリーム   作:ルシエド

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その3

 翌日。

 野営を終えた朔陽達は、朝の内に目的の村へと辿り着いていた。

 朔陽達は行方不明になった人達を見つけるために、このみは干し魚を回収するために。

 村に辿り着いた彼らを、和やかな笑みを浮かべた村人が迎えてくれていた。

 

「ようこそ、クーリッシュの村へ。歓迎します」

 

 村にも、その村人にも、不穏な様子は見られない。

 何もおかしいところはない。

 村は平穏そのもので、のどかでのんびりとした雰囲気が広がっていた。

 ゆえに、朔陽は問う。

 

「この村には九日前に徴税人が、七日前に騎士様がいらっしゃったと思うのですが」

 

「いえ、いらっしゃってはおりませんが……

 何かの間違いではないですか?

 それか、この村に来る途中で不測の事態に見舞われた、とか」

 

 首をかしげる村人は、朔陽視点では嘘をついている風には見えなかった。

 

「最近、何か変わったことはありましたか?」

 

「最近……うちの村の食材の評価が、今年は特に伸びましたね。

 コノミさんが干し魚とやらを依頼して来た時にもそれを実感しました。

 いやはや嬉しいばかりですよ。あとは……ううん、思いつかないですね」

 

 "様子のおかしさ"は、普段の様子を見ていて初めて気付くもの。

 初対面の人の細かな違和感など、普通は感じられるものではない。

 ゆえに朔陽は何も気付かず、嘘つきの寧々だけがその違和感を察知していた。

 寧々はこのみの脇を肘で小突き、こっそり耳打ちする。

 

「話合わせて、恋川さん」

 

「……ん、悪巧みしてる感じの顔してるねぇ。いいともよ」

 

 このみは快く承諾し、寧々は朔陽と村人の間に割って入る。

 

「すみません、村人さん。ちょっといいですか?」

 

「はい、なんでしょうか?」

 

「恋川さんが前にこの村に来た時、村の近くで変なものを見たって言うんですよぉ」

 

 寧々はさらりと嘘をつく。

 顔を見ても声を聞いても、とても嘘だとは思えない自然な嘘だった。

 そこでこのみが頷くものだから、村人は一瞬だけ表情をこわばらせる。

 

 このみがこの村に来たのは徴税人が消える数日前。

 ならば村の周辺で『何か』を見ていたとしてもおかしくはない。

 村人の心中はいかばかりか。

 このハッタリは、村人のメンタルに大きな揺さぶりをかけていた。

 

「変なもの、とは? 詳細を話して頂けなければ、村の一員としては何も言えませんね」

 

「ああ、それはどうでもいいの。脇に置いておきましょうねー」

 

 寧々は村人の虚をつく形で、小気味よく話題を変えていく。

 

「ねえワンちゃん、私達国一番の騎士様の依頼で調べに来たんだよね」

 

「いかにも。拙者らがここに来たのは、パンプキン卿の指示ではあるが……」

 

「つまりねえ、もう王都の方でも送った人が戻って来ないってのは話題になってるわけよ」

 

「……何をおっしゃりたいので?」

 

「んー、別に」

 

 とことん話の核心にだけ触れない。

 寧々の方から話を振るのに、寧々の方からはぐらかし、そのくせ村人の様子を見て村人が嫌がりそうな話題だけを狙って振っていく。

 話を振るのも、話を打ち切るのも、話を盛り上げるのも寧々。

 くるくるくるくる、話題が変わる。

 

 一つ話すたびに話の主導権は寧々の方に移っていく。

 一つ話すたびに村人の声が感情的になっていく。

 一つ話すたびに、寧々に『嘘をつく権利』が奪われていく。

 

「ねえ、私達に話すことない? 取引したいこととかない?」

 

「ありませんね。何をおっしゃっているのか、私には分かりません」

 

 村人は迷わなかった。

 "保身のために真実を話そう"という迷いもなく、すぐさま返答を返した。

 寧々はこの挙動から一つの解答を得る。

 

 この村人がついている嘘が自分の損得のための嘘なら、寧々の甘い誘いを聞けば、村人の思考は損得を計算し始めるはずだ。

 脳は打算で動き、体は脳の動きに即した反応を見せていただろう。

 まず確実に、保身のための最適解を探すため、答えを返す前に一瞬思考したはず。

 だが、そうはしなかった。

 

 この村人がなんのために嘘をついて誤魔化しているのか?

 寧々にもそれは正確には分かっていない。

 だが、一つだけ理解できたことがある。

 

 この村人が今ここで嘘を全て捨て、全ての真実を話すことは、絶対にない。

 それは何か決定的な終わりに直結する。

 この村人自身が終わるのか、この村人の大切な何かが終わるのか、それも分からない。

 だが少なくともこの村人は、王都の騎士(ブリュレ)に対し虚飾を捨て真実を打ち明けても、絶対に助からないと確信している。だから嘘を継続しているのだ。

 

「スパイってね、嘘を隠すために訓練するものなの。

 逆に言えば、訓練してなきゃ嘘ってのは隠せないものなわけ。

 嘘は顔に出る、声に出る……普通の人は大抵そう思ってるのよね。

 だから逆に嘘をついている時は、顔と声に『嘘を隠そう』とする不自然さが生まれる」

 

「……お嬢さんは、嘘を見抜く技術に長けているのですね」

 

「素人の嘘はね。

 嘘をついたからバレるんじゃないの。

 嘘を隠そうとするからバレちゃうんだにゃあ」

 

 寧々は追い詰めにかかる。

 

「人間の脳の動きは、体の細かい動きと連動してるの。

 『何かを思い出す時』と『嘘を頭の中で作っている時』……

 この二つで脳の動きは全然違う。

 目の動き、手の動き、会話中に相手のどこを見るか、このあたりがまるで違うんだにゃあ」

 

「……それはまた、興味深い」

 

「最初に佐藤くんと話してた時の会話のテンポ。

 あれがあなたの"いつもの会話のテンポ"なんでしょ?

 気付いてる? 私の発言からあなたの返答までのテンポ、ちょっとずつ早くなってる」

 

「偶然でしょう」

 

 追い詰めて、感情を煽る。

 もはや村人は、朔陽達の目にも明らかなほどに狼狽していた。

 

「人間ってね、緊張してる時とリラックスしてる時で働く神経が違うわけ。

 感情で表情が変わったり、お腹が痛くなったり、心臓が変になったり……

 これは訓練しないと意志で制御できない、意識に動かされてしまうもの。

 嘘をつき、嘘を隠そうとし、嘘を指摘されることで、人は平常心を失っていく」

 

 寧々は唇に人差し指を当て、楽しそうに無邪気に微笑む。

 子供のような、悪魔のような笑みだった。

 悪意は無いのに、悪人に見える笑顔だった。

 

「ここに鏡は無いけれど、今あなたはどういう顔してるか、自分で見えてる?」

 

「……おっしゃられていることがよく分かりません。では、失礼します」

 

 村人は逃げるようにその場を立ち去っていく。

 

「ワンちゃん追っかけてみて。

 あの人今めっちゃ動揺してるから。

 黒幕か仲間かは分かんないけど、今の会話のこと報告しに行くんだと思う」

 

「……全く。嘘つきの化かし合いか、見事な物だ。

 嘘と嘘で騙し合えば、より性根が悪い方が勝つというわけか」

 

 寧々に促され、ブリュレがその村人の後を追う。

 嘘も併用して煽って、焦らせて、報告に走らせ、その後をつけさせる。ここまでの流れが寧々の想定通りなら、空恐ろしい。

 

「ま、心理の推測に絶対なんてないからねえ。

 相手の心を目や手の動きだけで読めたら苦労しない。

 適当にカマかけつつ、情報の数増やしてけば確実だにゃー」

 

「……怖いこと言ってる」

「和子ちゃんも寧々ちゃんのこと分かってきたねえ、わっはっは」

「僕はこういうとこ本当に頼りになると思ってるよ」

 

 和子はその悪辣さにおののき、このみは慣れた様子で笑い、朔陽は素人を騙すことにかけては百戦錬磨の寧々に信頼の視線を向ける。

 

「あと2、3人に話を聞けば確度の高い推測が作れそうかな」

 

 寧々に引き連れられ、彼らは村の中をうろつき始める。

 そこからはもう、一見して分からない酷さの連続だった。

 

 騙されやすい人、詐欺にあいやすい人を的確に見抜く寧々の目は、その辺を歩いている村人の中から情報を引き出しやすそうな人間を的確に選択する。

 そこからは虚実入り混じった寧々のワンマン試合だ。

 寧々は他人の嘘を見抜けて、他人は寧々の嘘を見抜けない。ゆえに一方的だった。

 

 時に一つの話題をつらつらと続け、時に話題をくるくると変え、時にうろたえさせ、時に安心させ、巧みに情報を引き出していく。

 誰一人として口を割ることはなかったが、それでさえ寧々の前では抵抗にならない。

 特に朔陽に嘘をつこうとした人間への扱いは酷かった。

 寧々に必要以上に追い詰められ、話し終わった頃には顔が真っ青になっていたほどだ。

 

「ウチの前で嘘ついて佐藤くん騙そうとした奴は、必ず後悔させるからねー」

 

「やっぱ寧々さんは敵に回したくないね」

 

「それは褒め言葉? 悪口?」

 

「どっちも」

 

「どっちもかー」

 

 寧々は、極端なほどに嘘をつくことと嘘を見抜くことに特化している。

 

「ま、ウチが居る限り佐藤くんに嘘はつかせない。

 絶対にね。佐藤くんを騙していいのはウチだけだから」

 

「そんなベジータみたいな……いやこれよく考えたらめっちゃ嫌なベジータだ」

 

「とりま、ウチを会話に入れておいた方がいいよ」

 

 推測混じりだが、引き出した情報は以下の通り。

 徴税人が村に来る前日に『何か』が村に来た。

 『何か』は村人を脅して自分の存在を隠している。

 村人がバラせば罰として皆殺しにされる。

 村人はそれを王都の騎士以上に恐れている。

 徴税人はそれに殺され、徴税人を探しに来た騎士もそれに殺された。

 その『何か』は、なんらかの調査のために来ている。

 

「どうする佐藤くん? 一旦王都に帰る?」

 

「うーん……寧々さんはどう思う?」

 

「もうちょっと探り入れていいんじゃないかなーと思う」

 

「和子ちゃんは?」

 

「よく分からない状況なら撤退が鉄板」

 

「このみさんは?」

 

「試作品の干し魚は回収したし、あたしはいいんちょさんの判断に任せる」

 

 割と意見が分かれてしまった。

 朔陽が顎に手を当て思案していると、空中を駆けてブリュレが帰還する。

 

「ブリュレさん、おかえりなさい。どうだった?」

 

「申し訳無い、見失わされてしまった」

 

「……見失わされた?」

 

「魔法だ。

 魔術は術式を組んで奇跡を起こす魔の術。

 魔法は魔の術をもってして法則を書き換える魔の法。

 拙者の尾行からあの村人を見失わさせたのは……姿を隠す隠蔽の魔法で御座る」

 

「!」

 

「それも、魔族に類する存在の魔力による、な」

 

 ブリュレは言い切る。確信に満ちた断言だった。

 

「……吸血鬼?」

 

「その可能性は高い」

 

 状況証拠しかないが、そこから推測することはできる。

 嫌な予測と予想が積み重なってきた。

 

「とりあえず宿を取って一回休もう。

 腰を落ち着けて話す時間が欲しい。

 和子ちゃんとブリュレさんはともかく、寧々さんとこのみさんは休ませないと」

 

 旅人用の宿を取って、その一室に彼らは移動する。

 敵が襲撃して来ても対応しやすい位置の宿、対応しやすい位置の部屋を取った。

 取った部屋の壁には胸の大きな女性の水着ポスターが張ってあったが、顔が絶妙にブサイクだったので安物ポスターだろうと朔陽は推測する。ドンピシャな名推理であった。

 

 この宿は旅人御用達の宿で、宿泊料がすこぶる安い。

 朔陽の手持ちの金だけで人数分の宿泊料も十分支払えた。

 が、安い代わりに飯がない。

 飯は外で食ってください、ということだろう。

 クーリッシュ村は観光地であるがために、宿泊料で稼ぐ者と飲食代で稼ぐ者がお互いの利益を食い合わないよう、色々考えているのかもしれない。

 

「じゃ、あたしご飯のメニュー考えてくるから。何かあったら呼んでね」

 

 このみが階段を降りていく。

 この宿の仕様上、飯を作ってくれる誰かが居れば心強い。

 

「じゃ、ウチ遊んでくるから。何かあっても呼ばなくていいよ」

 

 寧々が階段を降りていく。

 いや、調理はともかくそっちはおかしい。

 

「拙者は朔陽殿の指示に従おう。ここから、どう行動したものか」

 

 サラリと流して、和子と朔陽との作戦会議に移行するブリュレ。

 寧々への最善の対応が"相手にしない"ことだと学習してきたようだ。

 犬に意見を求められ、和子がおずおずと手を挙げる。

 

「私を隠密調査に出してくれれば、サクヒのところにいくらか情報を持って帰れるかも」

 

「和子ちゃん忍者だもんね」

 

「隠密行動の方が本分」

 

 忍者とは本来忍ぶ者。

 戦いは本業ではなく、隠密行動による情報戦こそが本業だ。

 例えば、忍者が定期的に特定の地域を全裸で走り回ってみるとしよう。

 

 「最近この近所に突然現われ恥部を露出してくる忍者が出るらしいわよ」という噂が流れる。

 「やだー怖いわねー、外出控えようかしら」となり、大人の行動が制限される。

 小学校などでも集団登校・集団下校が始まり、子供の行動も制限される。

 ただ全裸で街を走り回るだけで、特定の地域社会の者達の行動を制御できるのだ。

 これこそが忍者の御業。

 

 こういった情報への干渉こそが、現代における忍者の強み。

 情報を操り、情報を集める。

 社会の闇に潜む忍者の強さは未だに健在なのだ。

 和子を村で暗躍させれば、必ずや役に立つ情報を持って帰って来てくれることだろう。

 

「分かった。じゃあお願い、和子ちゃん」

 

「私が居ない間、サクヒは気を付けて」

 

「和子ちゃんもね。和子ちゃん時々おっちょこちょいなんだから」

 

「……その評価、いずれ覆すから」

 

 ひゅっ、と和子が姿を消す。

 とりあえず、和子が戻って来るまでは彼らも宿で待機していることに決めたようだ。

 

「ブリュレさん、吸血鬼が村の影に居るとして、見つけられますか」

 

「申し訳無い。それは難しいだろう」

 

「いえ、無茶を言ってすみません。どうかお気になさらず」

 

「誰にも得意分野と苦手分野はあろう。

 この身は戦闘にのみ特化した無能に御座る。

 ヴァニラ姫のようなあらゆる分野に特化した万能型には成れなんだ」

 

 各々がそれぞれ違う長所と短所を持ち、それを補い合ってこその仲間というもの。

 

「拙者の魔術・魔法を用いた探知能力は高くはない。

 無論、五感であれば人間よりは優れているで御座ろう。

 されども、吸血鬼相手……それもストリゴイが相手ならば、感知網は無いに等しい」

 

「……なるほど」

 

 和子は調査などに向いているが、魔力などの感知には疎い。

 ブリュレは五感に優れ魔力にも馴染みがあるが、戦闘一辺倒のタイプ。

 魔法で存在を隠している吸血鬼を見つけるには、どうにも適任者が居ない。

 この辺りは対策考えておかないとなあ、と朔陽はまた考えておくべきことを一つ増やした。

 

 朔陽とブリュレで少し話してはみるものの、そこまで生産的な話は出来ない。

 最終的には和子待ちということで結論付けられてしまった。

 朔陽は廊下を歩きながら、「吸血鬼その辺ひょっこり歩いてないかな」なんて考えつつ、廊下の窓から外を見る。

 

「んー……」

 

 いい風景の村だった。

 吸血鬼が居るなんて想像もできないくらいに。

 日差しが差し込む暖かで明るい風景に、清らかな小川、深緑の森、素朴ながらも歴史を感じさせる家屋が立ち並んでいる。

 

「あ、佐藤くん!」

 

「寧々さん? どうし……」

 

「大変! ウチの爺ちゃんの形見のお守りなくしちゃってて!」

 

「そりゃ大変だ。どこでなくしたの?」

 

「多分この宿の周りだと思うんだけど……」

 

「はいはい、宿の周りね」

 

「ウチちょっと今厄介事に手がかかってるけど、終わったらすぐ行くから先探してて!」

 

 ああ、あのカバンに付けてたやつかな? と朔陽は思い、宿の外に探しに行く。

 宿の扉がバタンと閉まったのを確認してから、寧々は上機嫌ににゃあと呟いた。

 

「まあ、嘘なんだけど」

 

 もう一回、朔陽が宿の中に居ないことを念入りに確認。

 エプロン付けて、寧々は包丁片手にふんすと息巻き、恋川このみに呼びかける。

 

「さあ恋川師匠! ウチに上手いメシを作れる魔法をかけてください!」

 

「時々純情少女みたいな言い回しになる寧々ちゃんのノリ、あたしは好きだよ」

 

「よっ、クラス一の超美人!」

 

「そういう嘘だとすぐ分かる上に、嘘だと分かると超イラッとする嘘つくところは嫌い」

 

 朔陽ほど寛容ではなく、朔陽ほど寧々に好意を持っているわけでもなく、朔陽のように寧々の嘘に付き合う気もなく、けれどもクラスメイトであるがためにある程度優しくはする。

 寧々を嫌っていない、という時点でこのみの心の広さが相当なことは伺えた。

 

「伏線は張っておいたわけよ。

 わざとらしくカバンに安物のお守りを付けて約一年。

 料理ができないと嘘をつき続けて二年。

 お守りを無くしたと嘘をつき、それを囮に料理の奇襲。

 ここに来て、年単位でついてきた嘘が生きる……伏線回収型の嘘が完成する!」

 

「伏線回収型の嘘って何?」

 

 さーてこの嘘でどんな顔してくれるかな、なんて台詞をウキウキした顔で呟いて、寧々は料理に手をつけ始める。

 祖父の形見のお守りをなくしちゃったという嘘を使って気を逸らし、料理ができないという嘘から料理ができるという真実を叩きつけ、朔陽を仰天させる。

 そういう作戦である。

 バカじゃねえの? と言われて当然の嘘プランであった。

 お前もっと労力かけること他にないの? と言ってはいけない。

 彼女にとっては、嘘こそが人生の肝なのだから。

 こういうのが楽しくて、彼女は今日も生きているのだ。

 

「わっはっは、ま、そういうのはあたしも嫌いじゃないよ」

 

 いい意味でのサプライズを行うための嘘ならば、このみも手伝うことに異論は無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 宿周りの草むらの中を、草をかき分けるように朔陽は探す。

 昔から幼馴染達のせいで、よく草むらに突っ込んだ野球ボール・サッカーボール・クナイ・うまい棒などを探していた朔陽は、この手の物探しも慣れたものだ。

 

(……嘘っぽいなあ、とは思うけど。というか寧々さんもその辺承知で言ってた気はするけど)

 

 寧々が本当のことを言っていない可能性に、朔陽は当然思い至っている。

 それでも捜索の手は止めない。

 

「本当になくしてたとしたら、寧々さんは本当に困るだろうしなあ」

 

 彼女の言を信じて探すのは、彼女の言葉が本当である可能性を信じてもいるから。

 彼女の言葉が本当だったら? それを嘘だと思ってしまったら? それで彼女が泣いてしまったら? そう思うだけで、朔陽はお守り探しを適当にやることさえできなくなってしまう。

 どうせ他にやることもないんだから、と真面目に探す。

 宿の前で何か起こるわけもないだろう、と真面目に探す。

 どうせ嘘でも「うっわまた騙された」で終わるだけの話だ、と真面目に探す。

 

 その時。ブゥン、と何かの羽音が彼の耳元を通り過ぎて行った。

 

「……?」

 

 羽音が、朔陽の中の『警戒心』と『判断力』をごっそりと削り取る。

 朔陽自身にも、気付かせないままに。

 

(なんだ)

 

 蚊が一匹、朔陽の首筋に止まり、その首筋を刺す。

 蚊は血を吸わない。

 逆に蚊が体内に蓄積していた『吸血鬼の血』が朔陽の中に流し込まれてしまう。

 それ自体は特別な作用をもたらさない。

 が、その血が精神に作用する魔術の媒体として機能し、朔陽の精神を傀儡と化した。

 

 この世界の人間であれば、一般人であってもその魔術に抵抗することはできただろう。

 だが、朔陽は地球人。

 魔力に馴染みが薄く、魔力への抵抗も知らない一般人だ。

 ゆえに、抵抗もままならない。

 

(なんか変……変なのか?)

 

 朔陽が宿の前で襲われれば、流石にブリュレが気付いただろう。

 だが、宿の前でなければ?

 操られた朔陽が宿の前を離れ、村周りの森の中に移動した後ならどうなる?

 人間が誰も居ない森の中なら、朔陽を誰かが襲っても、誰も気付けないのではないだろうか?

 朔陽は違和感を覚えながらも、違和感を自覚できないまま、夢遊病者のような足取りで村の外へと歩いていく。

 

 かくして、操られた朔陽は森の中にまで連れて来られてしまう。

 

(いや……そうじゃなくて……これは……なんだろう)

 

 自分の心も体も他人に操られたままの朔陽は、そこで六体の吸血鬼(ストリゴイ)と、空中を舞う無数の蚊(きゅうけつき)と、それを従える吸血鬼の王様を見た。

 

「驚いたな。ここまで他者の魔力に無防備だとは思っていなかった」

 

 病的に白い肌。

 貴族のような服。

 アルビノを思わせる色合いの目と髪。

 吸血鬼の王は、典型的な吸血鬼そのものといった姿をしていて、家畜を見るような冷たく静かな目で朔陽を見ていた。

 

「異世界人というのはここまで魔術に無防備なものであったか。何事も試してみるものだ」

 

 地球人には、地球人の規格外さがあり。

 地球人には、地球人だけの弱点があり。

 この世界における蚊は、地球とは違い恐るべき吸血鬼の一種であった。

 

「名乗っておこう。我が名はツヴァイ・ディザスター」

 

(! 十六魔将……)

 

 吸血鬼の王にして、魔王軍の将。

 それが、このアルビノの吸血鬼の正体。

 

「貴様が地球人、とかいう異世界人か。

 魔王様は不確定要素であるお前達をいたく気にしておられる。

 何、我らの目的はただの調査だ。

 お前達を知り、それを魔王様に伝えられればそれでよい。

 貴様が素直に情報を全て吐き出せば、拷問は短く済むと約束しよう」

 

「……!」

 

 寧々が嘘を操り村人から集めた情報の通りだ。

 この吸血鬼は調査のためこの村にやって来ていた。

 されど、それはこの村に調査対象が居たからではない。

 このみが訪れたことがあったからだ。

 "戦闘力のない地球人が来ると約束された田舎村"だったからだ。

 

 地球人のことを知りたければ、非戦闘員を捕まえて拷問でもすればいい。

 そしてそれはこのみである必要もない。

 朔陽であってもいいのだ。同じ非戦闘員であるのだから。

 ツヴァイは朔陽が野外で一人になったから、それを狙っただけに過ぎない。

 運悪く――運良く――朔陽はこのみの身代わりになる形となってしまった。

 

 ツヴァイの手が朔陽の首を掴み、その体を持ち上げた。

 

「! か……ふっ……!」

 

 瞬間、致死量ギリギリまで朔陽の体内から血が吸われてしまう。

 朔陽の体には何も刺さっていない。

 朔陽の肌には傷一つない。

 にもかかわらず、吸血鬼の王は朔陽の首に触れた手から、朔陽の体内の血を吸い取ってみせたのだ。

 

(針なし注射器みたいなことするなこいつ……!)

 

 失血の症状が朔陽の体に表れ始めた。

 体温は下がり、気持ちの悪い寒気がする。

 拭いきれない吐き気が不快で、死にたくなるくらいに苦しい。

 手足の先はしびれ、目がチカチカして、心臓の動悸が不安定な気までしてきて、何やら胸の奥にまで苦痛がやってくる。

 貧血で意識は今にも飛びそうだ。

 が、朔陽は歯を食いしばって飛びそうになる意識を繋ぎ止める。

 

(諦めるな、諦めるんじゃない、僕が今すべきことはなんだ……!?

 こいつらに抵抗……仲間にメッセージを残す……他には、何か……!)

 

 気絶してしまえば、この状況でできることが本当になくなってしまうから。

 

「このくらいか? 死なれても面倒だ。さあ、帰還するぞ」

 

 王は朔陽を抱え、配下の吸血鬼達を従え帰還しようとする。

 目的を達成したならさっさと帰還する。賢明だ。

 ……だが、強いて言うならば。

 佐藤朔陽を目標に選んだことだけは、失策だった。

 

 瞼が瞳を覆うに等しい刹那の一瞬。

 その一瞬で、吸血鬼達を囲むように火遁の火球が現われていた。

 火球は彼らに同様と驚愕をもたらし、モスキートを燃やしながら彼らに迫る。

 

「これは!?」

「ツヴァイ様!」

「お気を付けください!」

 

 六体のストリゴイ達も飾りではない。

 火遁の火球を魔術や体術にて迎撃し、粉砕した。

 されどこの火球は囮である。

 

 火球の光で光陰を操り、視線を誘導。

 火球に注意を集め、視界の死角を作成。

 かくしてくノ一は、六体のストリゴイに見咎められることもなく、朔陽を持った吸血鬼の王の至近距離にまで接近する。

 忍者がクナイを振るう。

 王が腕を振るう。

 凡百の吸血鬼の目にも留まらぬ……否、目にも映らぬ高速かつ瞬間の攻防。

 

「―――!」

 

 結果、和子は王に蹴り飛ばされ、行き掛けの駄賃とばかりに全体重をかけた体当たりと関節技の複合技にて、六体のストリゴイの内一体の首を引っこ抜いていく。

 ぶちっ、と首を引きちぎられた吸血鬼の首断面から、血の噴水が吹き出していた。

 

「ふむ」

 

 王はぐったりとした朔陽を抱え直し、森の木々の影に溶け込んだ和子に語りかけた。

 

「どうしてこの場所が分かったのだ?」

 

「得物を仕留めるため息を潜めて待ち構える強者。

 自分の命を守るため極限まで身を隠そうとする弱者。

 身を隠すには二種類あって、あなたは前者。

 『見つかったら全て終わる』という覚悟があって初めて、隠形は完成する」

 

「理解した。一人捕まえた時に僅かに油断した気の緩みを、貴様に察知されたということか」

 

 王は部下達を下がらせながら、自分の失敗を理解する。

 それは、サバンナで茂みに身を隠す肉食動物の隠れ方と、鳥に食べられないよう木の枝に完全に擬態する虫の隠れ方の違いだろうか。

 いずれにせよ、朔陽に手を出した時点で彼らが和子に見つかるのは必然だったというわけだ。

 ぐったりした朔陽の口から、小さな声が漏れる。

 

「わ……こちゃ……」

 

 その声が、和子の長く綺麗な黒髪を、一瞬猛獣のように逆立てた。

 

「返せ」

 

 正面から飛びかかってくる和子を嗤い、王は片手で朔陽を抱えたまま迎え撃つ。

 

「取り戻してみるがいい」

 

 その刹那、奇襲のタイミングを伺っていたブリュレが物陰から飛び出し、ツヴァイの背後から急襲した。

 

「語るに及ばず!」

 

 前から和子、背後からブリュレ。

 完全に成功した挟み撃ち。

 されど対応する吸血鬼の行動速度は、空翔ける白狼と、滑るように地を走る忍者の速度を、ほんの僅かに上回っていた。

 

「『血漿斬』」

 

 すっ、と吸血鬼の王が指を振る。

 オーケストラの指揮にも似た優雅な所作。

 その所作に絶対的な命の危機を感じ取り、和子と朔陽は回避行動を取る。

 瞬きの間に指先より赤い何かが放たれて、細くどこまでも伸びるそれが、和子達には当たらず村の風景の山々をなぞる。

 

 一秒遅れて、背景が、切断された。

 

「!?」

 

 豆腐をナイフで斜めにスパッと切るかのように、山が綺麗に切断されていた。

 斜めに切られた山の上部が、地すべりを起こし滑り落ちていく。

 大質量が滑り落ちていく轟音は、否応なしに今の一撃の威力を物語っていた。

 

「山が、切れた……!?」

 

「我が血液は至上の命を液体とし身の内に巡らせているもの。

 これを圧縮し、魔術によって発射した時、我が血は山をも切り裂く刃となる」

 

 血液を魔術で圧縮して打ち出し、風景を両断するレベルの斬撃として昇華した魔術、血漿斬。

 極めてシンプルであるがために、溜めも事前動作も必要ない。

 二発目を撃たせれば、誰かが殺られる。ほぼ確実に。

 

「『ウィズマ』!」

 

 ブリュレはその一動作さえも許さないとばかりに、風の中級魔法を放った。

 

「結構」

 

 ツヴァイは近場にあった岩を蹴り飛ばして対応する。

 蹴り飛ばされた岩が消滅した。

 否、粉々になって飛翔したのだ。

 粉砕された岩が蹴り飛ばされた衝撃を纏い、中級魔法を飲み込み消し飛ばす。

 

「!」

 

 それだけに留まらず、ツヴァイが蹴り飛ばしたそれは、横に跳んだブリュレが一瞬前まで居た場所を完膚なきまでに破壊して行った。

 地面は抉れ、大木は粉砕されている。

 蹴りの衝撃波で大木が粉砕されているのか、蹴り飛ばされた岩の破片が当たり大木を粉砕しているのか、どちらなのかさえも分からない。

 ブリュレが回避していなければ、彼も犬肉のミンチと化していただろう。

 

 王の背後から攻めかかる和子には、透明な魔力の吸血管を発射する。

 現代の吸血鬼は吸血に牙を立てる必要すらない。

 殺して血を吸うだけならば、魔力の管で事足りる。

 数は十二。

 魔力製、ゆえに和子には見えない。

 地球人の特性をよく理解したその攻撃は、和子にひらりと避けられた。

 

「たかだか目には見えないだけ」

 

「大気の揺らぎを感知し回避したか。まるで獣だな?

 魔力の感知も出来ない原始民族かと思えば……存外やるものだ」

 

 空気の揺らぎが見えない忍者が居るだろうか? いや、いない。

 その程度もできない忍者が夜に任務を果たせるはずがないだろう。

 夜は光に頼っていては何も見えないのだから

 とはいえ攻めあぐねていることも事実。

 この吸血鬼、隙が無い。

 

「影分身」

 

 和子は影分身を六体生成し、ブリュレと自分自身を合わせた八方向からの攻撃を開始した。

 これでもまだ、朔陽を取り戻すには手が足りない。

 朔陽を片腕に抱えているツヴァイ相手に攻めきれない。

 

(これは、私とワンちゃんだけじゃ足りない。せめて運動部がもう一人居れば……!)

 

 和子が表情を歪める。

 剣道部の剣崎辺りが居れば、先の血漿斬という山を切る斬撃に山を切る斬撃を合わせて、相殺して隙を作ることもできただろう。

 が、居ないものはしょうがない。

 面倒臭い現実は、その場に居る者達の手で打開していかなければならないものだ。

 

「なんで……部下を……戦わせない?」

 

 朔陽が声を絞り出す。

 何故部下を参戦させないのか?

 朔陽視点、この戦いの中で、その一点だけがどうにも不気味だった。

 

「貴様らは雑魚だ。

 だが、我の部下はそれに輪をかけて弱い。

 まだまだ年若いストリゴイなど未熟そのものだ。

 この年頃から貴様らのような者達と戦わせてしまえば、死んでしまうではないか」

 

「……っ!」

 

「弱いとはいえ、同族だ。同族が育つまで守るのは吸血鬼の王たる義務であろう」

 

 まあ死んでも我は気にせんがな、と王は鼻を鳴らす。

 この男に優しさは無い。

 慈悲もない。

 だが義務感はある。

 弱い同族に価値を全く見ていないのに、弱い同族が死んでもなんとも思わないのに、義務感だけで同族を危険な戦いから遠ざけていた。

 

「我は一人で完結している。完成している。

 弱いがゆえに群れなければならないお前達のような弱小種族とは違うのだ」

 

 ツヴァイは朔陽を掴み上げつつ、弱い人間を、弱い狼を、弱小種族と嗤う。

 その嘲笑が、朔陽の目の色を変えた。

 

「う、ら、あっ!」

 

 動かない体に喝を入れ、全身の力を集中してなんとか首だけ動かして、ツヴァイの手に思いっきり噛み付く。

 文字通りに歯が立たない。

 吸血鬼の肌には傷一つ付かない。

 生物として根本的に強さの差がありすぎる。

 それでも、全力で噛み付いた。それは弱い人間の意地だった。

 

 驚いたのはツヴァイだろう。

 朔陽が今指一本動かせない状態だということは、血を抜いたツヴァイ自身が一番良く分かっている。

 なのに動いた。噛み付いてきた。

 そのささやかな抵抗と、それを成立させた精神力に、ツヴァイは今日一番に驚かされたのだ。

 

「僕らは……弱いから群れてるんじゃない……

 一緒に居るから、寄り添って支え合うから、強いんだ!」

 

「―――」

 

 その言葉が、ツヴァイの、ブリュレの、和子の目の色を変えた。

 

「くははははは……ならば、何度でも突きつけてやろう! 貴様らは、弱い!」

 

 ツヴァイが再度血漿斬を撃たんとする。

 今一度放たれれば、死傷は必至。

 されど既に準備は終えられた。

 朔陽がツヴァイに噛みつき、ツヴァイの注意を引きつけたほんの僅かな時間に、和子は影分身の内一体を地面の下に潜行させ、接近。

 地面の下から飛び出すと同時に、朔陽をツヴァイから取り戻すことに成功していた。

 

「何!?」

 

 "こいつ月を見上げてしょっちゅう高笑いしてそうな顔してるし、足元がお留守かも"という和子のアホ思考からくる下方からの奇襲は、どうやら大正解だったらしい。

 

「地を走るに等しき速度で地の中を走る。(これ)土遁の極意(なり)

 

 地中と地上を同じ速度で走れるからこその忍者。

 

「私の一番大切なもの、確かに返して貰った」

 

 和子本体は分身からぐったりした朔陽を受け取り、愛おしげにぎゅっと抱きしめる。

 ツヴァイは手を伸ばしてまたしても魔術を放とうとするが、風のように跳んできた無言のブリュレに爪で手を引き裂かれ、魔術を妨害されてしまう。

 

「む」

 

 ツヴァイは痛がる様子さえ見えなかったが、眉を顰める。

 和子とブリュレの気迫が、先程までとはまるで違っていた。

 覚悟が違う。

 戦意が違う。

 熱量が違う。

 強い決意は強い力となって、心から心へと伝搬する。

 弱者が見せた戦う意志は、強者の心を震わせていた。

 

「次はどんな手を打つ? 何を見せて我を楽しませてくれるのだ?」

 

 口元を醜悪な形に歪め、ツヴァイは嗤う。

 和子は目を細め、手元で次々と印を組み、とっておきの忍術を発動させた。

 

「口寄せの術……ビッグ・カープ!」

 

 かくして森に召喚されるは、50mはあろうかという巨大な(コイ)

 

「ぬおっ、巨大鯉!?」

「飛び跳ね……うおおっ!」

「距離取れ距離! あいつらを見失うな!」

 

 地上に打ち上げられた鯉はピチピチと飛び跳ね、森の木々を薙ぎ倒しながら暴れ回る。

 当然ながら巻き込まれれば潰れて死ぬ。

 ツヴァイ以外の吸血鬼は大慌てで距離を取り、ツヴァイは周囲を油断なく見回すも、鯉を囮にした和子達は既に逃げ切ったということを知る。

 ツヴァイは思わず舌打ちしてしまった。

 

 一方和子達は、ぐったりした朔陽を抱え、別方向の山の中へと逃走していた。

 このままこの場所に居続けるわけにはいかない。

 かといって村にも戻れない。

 必然的に、村の周囲のどこかに逃げる必要があった。

 

(カープ)は広島の希望。

 かつて日本では巨人の圧政に反逆する者の象徴の一つだった。

 この世界で見つけたから、とりあえずで口寄せ契約をしておいてよかった」

 

「結果論ではあるが、英断であったな。その英断に感謝する」

 

 カープの力で逃げられたものの、今頃カープも血漿斬で刺し身にされていることだろう。

 戦いは無情である。

 

「手早くネネ殿とコノミ殿も回収しよう。まず拙者が……」

 

「あ、それは大丈夫。私の分身二体を迎えに送っておいたから。ほら、あそこに見える」

 

「……ニホンジンというのは多芸なのだな」

 

 魔法が使えず忍術しか使えない和子は、ブリュレの発言の意味をイマイチ理解できずに首をかしげた。

 到着するやいなや、このみと寧々が驚いた顔で駆け寄ってくる。

 特に嘘をついて彼を宿の外に出してしまった寧々の動揺は、このみと比べて数倍大きかった。

 

「佐藤くん!?」

 

 寧々の動揺を見て、クラスメイトとの付き合いが浅い和子は心底驚く。

 

「う……ウチのせい? ウチが嘘ついて、宿の外に出したから……」

 

「……どういうこと?」

 

 そして続く言葉を聞き、敵意を込めて寧々を睨んだ。

 詳しい経緯を聞き、和子は更に敵意を高める。

 寧々への敵意と、朔陽が襲われた時に傍に居られなかった罪悪感が、両方一緒に和子の中で膨らんでいく。

 

 寧々は悪意をもって嘘をつき、彼を外に出したわけではない。

 朔陽が寧々の言葉を真に受けてしまったからこうなった、というのも原因ではある。

 だが、寧々が嘘をつかなければこうはならなかったというのも本当だ。

 "宿の周囲なら大丈夫だろう"という軽率な思考が寧々にあったこともまた事実。

 この状況は、寧々の虚言癖が招いた状況であるとも言える。

 

「……うっ」

 

「サクヒ!」

「佐藤くっ……」

「いいんちょさん大丈夫? 意識ハッキリしてる?」

 

「走馬灯の中で……ふと、思いついた。

 照れ隠し。ヒロインの人気要素の一つ、照れ隠しっていうのがある。

 テレを隠せばいいんだ。

 ゴールデンタイムのテレビ少女がテレ隠しすれば、ゴールデンタイムのビ少女……

 あら不思議、照れ隠ししただけで美少女に……

 多分このネタで何か笑える小話作れそうな気がするんだ、頭回らないけど……」

 

「割と余裕あるねサクヒ」

 

 ふざけたことを言う朔陽の言動が、皆の肩の力を抜く。

 されども彼の声に力はなく、表情こそ笑顔だが顔色は真っ青。

 無理をして元気な様子を見せているだけなようだ。

 全ては、仲間を安心させるために。

 

「サクヒ、今は無理しないで。やせ我慢されても、私達は嬉しくない」

 

「……ん」

 

 朔陽は目を閉じ、体を地面に横たえる。

 このみは看病を開始し、ブリュレがその手伝いを始める。

 朔陽を見下ろしゾッとする無表情を顔に貼り付けた和子に、寧々は恐る恐る話しかけ、手を伸ばした。

 

「あ、あの……和子ちゃ……」

 

 伸ばされたその手を、和子は叩いて弾く。

 "その手は取らない"という強烈な意志表示。

 

「私は……臆病で、優しくもなくて、ダメな奴で、引きこもりだから。サクヒにはなれない」

 

 強烈な拒絶。

 

「サクヒと違って、嘘つきの人は信じられない」

 

 このクラスの最大の弱点は、佐藤朔陽が一番上で手綱を握っていなければ、ほんの少し突いただけでこうなりかねないという点にあった。

 

「……」

 

 口の上手い寧々が、とっさの返答を思いつけていない。

 何故嘘をついたのか? 嘘をついて朔陽がこうなる状況を招いてしまったのか?

 嘘をつかれた時の朔陽の顔が見たかっただけだから、だ。

 そんな理由でついた嘘を、上手く言い繕うことなどできない。

 

 朔陽の大怪我に動揺していた寧々は思わず、論理的にではなく、感情的に反論してしまう。

 

「良い人が損をするのは!

 優しい人が貧乏くじを引くのは!

 そういう人が騙されるのは!

 その人が良い人で優しい人なのが悪いんだ! ウチは悪くない!」

 

「サクヒは悪くない! 優しいこと、信じることが悪いなんてことあるはずがない!」

 

 和子が寧々の両肩を掴み、至近距離から痛烈な言葉を叩きつける。

 

「なんで『ごめんなさい』が言えないの!?

 本当に本気で謝れば、あなたが嘘をついたって、周りの人は許してくれるのに!」

 

「―――っ」

 

「私はサクヒみたいにはなれない!

 謝ってもいない人を許すことなんて、できない!

 ……私の一番大事な幼馴染を傷付けた人を、許すことなんて……!」

 

 和子は寧々を責めている方なのに。

 寧々は嘘のことで責められることなど、慣れっこなはずなのに。

 二人共、泣きそうな顔をしていた。

 

 寧々は思わず、自分のポニーテールを留めている鈴付きのヘアゴムに触れる。

 昔朔陽と一緒にゲームセンターに行った時、彼に貰った物だ。

 "机の端っこにでも置いておいて、想い出を懐かしむのにでも使えばいいよ"と言われて貰った、100円ゲームで取った安物。

 安物の、友情の証。

 今は倒れた友との想い出。

 そのヘアゴムが、寧々の内側に心を押し潰しそうなほど大きな罪悪感を生み出していく。

 

 寧々は和子を振りほどき、落日と共に森の中へと現れた夕闇へ向かって逃げ出した。

 

「私は悪くない! 悪いのは、簡単に騙される佐藤くんの方でしょ!」

 

 和子は後を追わない。

 寧々はすぐに夕闇の中へと姿を消してしまう。

 そんな寧々を見て、恋川このみは心底呆れた様子で溜め息を吐く。

 

「ったく、いいんちょさんが居ないとすぐこれなんだから」

 

 自分は悪くない? 悪いのは朔陽? 寧々の台詞の、なんと分かりやすいことか。

 

「『誰を悪いと思ってるか』ってところまで、嘘つかなくていいでしょうに」

 

 寧々は和子に敵意を向けられても喜んでいたはずなのに、和子に朔陽の件で責められただけで、こんなにも傷付いている。

 嘘をつく罪悪感は楽しめても、自分のせいで友達が取り返しのつかないことになることは耐えられない。

 

 子々津音々寧々は嘘つきにはなれても、悪党にはなれない少女であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 弱りきった朔陽の頬を、ブリュレが舐める。

 朔陽は真っ青な顔で強がり微笑む。

 ブリュレは慈しみを示し、朔陽は心の強さを示した。

 

「……すみません、弱くて。ご迷惑……おかけします。皆を、お願い、します」

 

「気にすることはない。

 これから成長していけばいいのだ。

 其方らは我らから見れば、永遠を生きるに等しい者達なのだから」

 

 朔陽は焦点が安定しない目を、ブリュレに向ける。

 

「我らの寿命は平均で十年。

 其方らの十分の一も生きられぬことも多い。

 生後一年で成人となり、そこですぐに家庭を持つ者も少なくないので御座る」

 

「それは……早いね」

 

「パンプキン卿には祖父の祖父の代から代々仕えている。

 パンプキン卿のお父上……モナ・フレーバー王には、三十代前からで御座るな」

 

「そんなに」

 

 寿命十年、成人一年。

 その辺りは地球の犬とそう変わらないらしい。

 ブリュレの一族から見れば、人間は途方もなく長い年月を生きる長命種。

 祖父の祖父が赤ん坊の時に可愛がってもらったという言い伝えが残るような、そんな命だ。

 なればこそ、彼らの一族と人間の間に積み重ねられた恩義と絆は、個人の繋がりを超え、種族と種族の盟約を結ぶほどのものとなった。

 

 『獣は人の守護者となること』。

 『人は獣の庇護者となること』。

 その誓約は、いまだ破られてはいない。

 

「拙者もあと五年は生きられないで御座ろう。

 其方の人生の終わりまで、拙者は付き合えない。

 其方を最後まで守り続けることは、望んでも叶わない。

 其方の残された未来の時間は、拙者にとって永劫に等しいが故に」

 

 ブリュレはいつかどこかで死ぬ。

 朔陽より先に死ぬ。

 それは、避け得ぬ運命だ。

 

「されど、長ければあと五年。

 其方が元の世界に帰るか、其方が大人になるまでの時間は……

 拙者の目の届く範囲に居る其方を、拙者の牙と爪は守ることが出来るで御座る」

 

「―――」

 

 朔陽が子供で居る内は。朔陽がこの世界に居る内は。必ず守ると、彼は言う。

 

「成長していけばよい。それでよいのだ。

 我らの種族は生後一年で成人、一人前とみなされる。

 ……いや、正確には、『生まれて一年も経ったのなら一人前になれ』と周囲から見られる」

 

「……」

 

「其方も変われる。

 誰にも胸を張れるような大きな男に、其方は成れる。

 其方には、拙者から見れば永遠にも等しい『成長していける時間』が残されているのだから」

 

 ブリュレは朔陽に背を向け、山々を見る。

 吸血鬼達が朔陽達を探している。

 見つかるのは時間の問題だ。

 ゆえに、誰かが戦わねばならない。ここで戦わねばならない。

 

 人の命を、守るために。

 

「ワコ殿。ここでサクヒ殿の守りを頼みたい。モスキートは必ず潰すように」

 

「……分かった」

 

 人間を置き去りにし、闇の中を駆け、一番近くに居たストリゴイに急接近。

 そのままの勢いで飛びかかった。

 

「!?」

 

 吸血鬼の驚く顔を無視して噛みつき、ブリュレはストリゴイの首を噛みちぎった。

 首の肉と骨を不味そうに吐き出し、残り四体となったストリゴイと、それを従えるツヴァイ・ディザスターに相対する。

 

「一人で……いや、一匹で来たか。

 我らには勝てぬと察し諦めたか? その潔さは良しとしよう。

 ぞろぞろと弱者の群れに群がられても、億劫だ。弱者の群れは実に醜い」

 

「諦める? 笑わせるな。人と我らの絆を、あまり舐めないで頂きたい」

 

「……何?」

 

 一匹で来たブリュレを嘲笑っていたツヴァイが、怪訝な顔をする。

 

「我らは弱いから群れているのではない。

 共に在るからこそ、寄り添って支え合うからこそ、強いのだ」

 

 その言葉を聞き、ツヴァイはこの狼が何も諦めていないことを察する。

 

「今宵の拙者を一匹狼だと侮るのであれば、貴様の死は決まった」

 

 彼の種族は多くの呼び方をされている。

 犬とも、狼とも呼ばれる。

 それは日本人、ジャパニーズ、大和の民、倭の民といった呼称が日本人にも存在するのと同じことで、呼び方は違えど実体は一つ。

 

「我らは犬。我らは狗。我らは戌。我らは狼。

 遠き時の果てより、幾百代の世代を重ねた人の良き隣人」

 

 人間種にとって最も近しく、最も親しい、良き隣人である。

 

「人によってはその勇気を、つまらぬ勇気と笑うだろう。

 愚かさであると笑うだろう。

 騙されるという恐怖を踏み潰すそれを、勇気とは呼ばぬと言うだろう。

 だが拙者は、騙されようとも他者を信じ続けるその勇気を、彼の勇気を好ましく思う」

 

 ブリュレは吠える。

 

 子供の朔陽達より長く生きてもいないけれど、それでもブリュレは彼らと違い、大人だから。

 

「貴様らは罪なき少年を傷付けた。

 少年が守ろうとした少女を泣かせた。

 その罪、万死に値する。素っ首置いて地獄に参れッ!」

 

 勇気を以て只一匹、吸血鬼の王に立ち向かって行った。

 

 

 


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