サーティ・プラスワン・アイスクリーム   作:ルシエド

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その2

 料理とは本来勝負するものではない。

 ならば、勝敗は何が決めるのか?

 得点でもいい。工夫の量でもいい。使われた技術の格差もでもいい。

 勝者には、勝者となったという結果に相応しい理屈の証明が必要となる。

 

 

 

 

 

 夢を見た。

 椅子に腰掛け、微睡みながら見る、うたた寝のような夢。

 朔陽は夢を見ていた。

 修学旅行の少し前に、このみと朔陽で話した時の夢を。

 

「よーっす」

 

「よーっす」

 

 朝練が始まる時間帯と、朝のHRが始まる時間帯の狭間。大体朝の六時半頃。

 学生達が昼間よりも少なく、学生達が昼間よりも活発なその時間帯に、朔陽とこのみは家庭科室で駄弁っていた。

 朔陽は椅子の背もたれに腹を預け、前後逆に座っている。

 このみは山積みになった本を片っ端から読んで参考にしながら、まな板の上の鳥に包丁を入れている。

 

「さっき井之頭といいんちょさん話してたけど、何話してたの?」

 

(じょ)と読めば所ジョージも次代のジョジョに成れるな、みたいな話してたね」

 

「男子はそういう話好きだねー」

 

 料理人にはいくつかのタイプが有る。

 このみはカリフォルニアロールや焼肉寿司といった斬新なものとは縁遠く、様々な調理法を学びつつ、それらを取捨選択して整合性のある形に纏めるタイプ。

 過去へのリスペクトを忘れない若人。

 洗練された調理技術を継承する料理人。

 彼女の実家がレストランであることも相まって、彼女は十数年に渡って知識と経験を積み上げ、この歳でプロとして料理を振る舞うに相応しい実力を備えた、勉強家な調理者であった。

 

 朔陽は積み上げられた本を見て、人知れず感嘆の息を吐く。

 

「ミネルヴァの(ふくろう)は迫り来る黄昏に飛び立つ、か」

 

「日本語喋りなよいいんちょさん」

 

「日本語喋ってるんだけど……」

 

「日本人に分からないなら日本語じゃないから」

 

 哲学者は予言者ではないため未来は見えない。

 だから哲学者が語ることはいつだって、物事の終わり際における、過去の総まとめである。

 『ミネルヴァの(ふくろう)は迫り来る黄昏に飛び立つ』とはそういう意味の言葉だ。

 実に分かりにくい。

 これは分かり辛い話をした朔陽が悪い。

 

「っていう意味」

 

「へー」

 

「過去の料理の歴史を吸収して纏めるこのみさんが、なんだかそんな風に見えたんだ。あと」

 

 朔陽は蛇口の下に転がっている、斬首された(ふくろう)の頭を見る。

 

「……フクロウも、今ここで捌かれてるし」

 

「許可貰ってここで調理してるけど、あんま食材には向かないねこれ」

 

「ひどい」

 

 食肉としてメジャーなものにはそれなりに理由があって、食肉としてメジャーになれないものにはそれなりに理由がある。

 フクロウがメジャーでないのは、まあそういうことだ。

 が、朔陽はこのみが差し出した"とりあえずの一品"を口に入れ、その旨さを堪能する。

 

「なのに普通に美味いんだ……」

 

「あたしが不味いもん食わせるわけないでしょうが」

 

 不味い食材、使い難い食材、一般に扱われていない食材。

 そういったものを巧みに調理して美味しくする時こそ、料理人の真価の一つが問われるものだ。

 

「このみさんを見てると、現代の料理は過去の集積なんだと実感するよ。

 過去の人の積み重ねの凝縮がこの人の中にあるんだな、凄いな、って思えるというか」

 

「なるほどなるほど。つまりあたし、褒められてる?」

 

「ん、そうだね」

 

「そうならそうと分かりやすく言えばいいのに」

 

 料理を褒められ、努力を認められ、このみはこの上ないほどに明るい笑顔を見せる。

 

「ま、褒められて悪い気はしないかな」

 

 二人の間には、不思議な距離感があった。

 友情と仲間意識が並立しているのではなく、溶け合っているような不思議な関係。

 このみは自分の料理の試食に親友の詩織ではなく、朔陽を呼んだ。

 一番の親友より朔陽を選んだ。

 この二人の間には、関係性の強さを超えた何かがあって。

 

「修学旅行の飯が不味かったら、まあ期待しておきなさいな。わっはっはっは!」

 

 呵々大笑するこのみはこの時、修学旅行に行く途中で異世界に吹っ飛ばされることなど、夢にも思っていなかったことだろう。

 

 夢が終わる。

 目が覚める。

 意識が現実に戻る。

 

 

 

 

 

 目を覚ました朔陽は、自分に向かって手を伸ばす魔将ドライの姿と、その手を阻む和子の姿を目にした。

 

「―――!」

 

 状況確認に目を走らせながら、椅子から転げ落ちるようにして逃げる。

 

「っ、な、くっ!」

 

 ここは選手控室。

 朔陽は昨晩ドライについて仲間と話し合っていたせいでつい居眠りしてしまったようだ。

 和子が居るからと安心して眠ってしまった彼の失敗、と見るか。

 朔陽が眠ってしまっても和子が守ってくれたから良し、と見るか。

 いずれにせよ和子のファインプレーだ。

 

「しっ」

 

 和子は袖口からクナイを滑り落とし、クナイの先がドライの首の方を向いた瞬間、足裏でクナイを全力で蹴り込む。

 鋭いクナイであるはずなのに、体重を乗せた強烈な蹴りで押し込んでいるはずなのに、クナイはドライの首に1mmも刺さってはいなかった。

 

 

「……」

 

「あらあら、怖いですわね」

 

 和子は朔陽を庇ってジリっと下がる。

 

「何もする気はありませんとも。ええ、無いわ。

 たまには食材だけじゃなく、人間の体温にも触れたいと思っただけなの」

 

「……私には、信じられない」

 

「和子ちゃん、警戒したままでいいから、少し下がって」

 

「……」

 

 和子は逡巡してから少しだけ下がり、朔陽とドライが向き合う形となった。

 

「それで、魔将さんは何用で?」

 

「少しお話しましょう?

 予定より暇になってしまいましたの。

 お城に無敵なまま忍び込もうとしたら、門から道までぎっちり封鎖されてしまっていてね」

 

「!」

 

 この女。

 料理勝負の無敵時間を利用して、堂々と王都の中で工作員まがいのことをしていたようだ。

 だがそこはヴァニラ姫達の先読みが上を行ったようだ。

 無敵だろうと埋まった道は通れない。

 だがその程度で断念してしまうのであれば、ドライは料理による無敵&殺害能力こそ凶悪だが、それ以外はさして大したものではないのかもしれない。

 道が埋まっていたとしても、飛び越えるか壊せばいいのだから。

 

 自分に話しかけてきたのは探りを入れに来たのだろうか、と朔陽は推察する。

 このみの料理か。

 地球という世界の事柄か。

 その辺りは想像するしかないが、適当に探りを入れてきたのだろうということだけは、なんとなく状況から読める。

 

「お話に付き合ってくれたら、その分あなたに得をあげる。どうかしら」

 

「……分かった。ただし、僕らが付き合うのは五分だけだ」

 

「感謝しますわ」

 

 ドライと話していると、妙にムズムズする。

 言葉の節々、発音、ニュアンス、果ては単語の選択まで一貫性があるようでない。

 精神異常者ほどにイカれているわけでもなく、かといって常人レベルに話の癖が一定で安定しているわけでもなく。

 ぼんやりなんとなく、会話をしている内に"こいつはなんかおかしいな"とドライの精神の一片を窺い知れるような、そんな話し方だった。

 

「私の能力については、説明しましたわね」

 

「そりゃもう、僕らが困るくらいにね」

 

「私の能力の本質は『強制』と『安全保障』。

 他人には強制し、自分の安全は保証する。

 その根底は"勝負を公正に成立させる"という妄執。

 私の能力下では、八百長試合さえも許されないのです」

 

 こうして話していると、ドライは普通の料理人に見える。

 

「逃げるな。

 ズルはするな。

 不正はするな。

 料理の出来以外の要因で勝とうとするな。

 本気でやれ。

 本気でやらせるために、敗者に死を用意した。

 料理の場に嘘も手抜きも許されない。

 ……これが私の能力の発展過程で、おかしいことは何も言っていないと思いますわ」

 

 普通の料理人の延長で、イカれているのだということが分かる。

 

「先の話の続きをしましょう。

 あなたに得をあげる。

 私はこの先の料理勝負で……『地球の料理しか作らない』」

 

「―――!?」

 

「おわかり? 私に手を抜く気は無いけれども、勝機をあげると言ってますのよ」

 

「……そんなことをして、何の得が? 僕らにしか得がないじゃないか」

 

「今のままで、私に勝てるものはいない。

 ええ、そうですとも。

 私の料理歴も今年で百年となります。

 しからば単純計算で百年の研鑽を積んだ料理人しか私が勝てぬが道理。

 されど常人が人の身で百年を生きるも、百年の研鑽を重ねるも、到底不可能なこと」

 

「……!」

 

「可能性があるとすれば、私の技術とは根本的に違う者。

 私の住まう世界とは違う世界から来た者のみ。

 それ以外の有象無象では、私に料理の縛りがあっても僅かな勝機しかない」

 

 この縛りがあっても、この世界の料理人が彼女に勝つ可能性が、0から1になるだけ。

 

「それでも、勝機は0ではなくなる」

 

 が、人間ならば、小さな可能性を掴み取る可能性はある。

 

「私の能力は『無敵で相手を蹂躙したい』という想いから生まれた力ではないわ。

 『料理勝負をしたい』という想いから生まれたものが、結果的に無敵性を備えただけ。

 勝負とは何か? それは、勝ちもするし負けもするものでありましょう?」

 

 この魔将の行動原理を、まっとうな人間の常識で理解しようとしてはいけない。

 

「私は私が最も愛するもので……料理で殺したいし、料理で殺されたいのです」

 

 目的のためなら手段を選ばない人間がいる。

 勝つためには何でもする人間がそうだ。

 手段のためなら目的を選ばない人間がいる。

 本気の戦いが好きで、あらゆるイデオロギーに同調して戦う者がそうだ。

 この女は、本質的にどちらでもない。

 

 魔王と魔王軍のために人間の国を滅ぼすという目的があり、そのために料理で対象を殺すという手段を用いるくせに、目的にも手段にも頓着が無くて。

 "手段を用いて目的を達成する過程のジャンル"にしか興味がない。

 本質的に料理勝負というジャンルにしか固執していない。

 料理勝負の中で生き、料理勝負の中で死のうとしていることさえ目的ではなく、基本的な生き方(スタンス)でしかなかった。

 

 この女は心の位相がズレていた。

 普通は誰もが心に持っているはずの合理性と、あまりに離れた心を持っている。

 

「この後は私の試合ですわ。どうかご覧になっていってくださいな」

 

 女は、邪悪に笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大会参加者に、ドライとの料理対決を恐れ逃げようとする者はいなかった。

 彼らが見せたのは、自分達が誇りとする料理を殺害に使う冒涜者への怒り。

 死への恐れを凌駕する怒りであった。

 自分の料理で倒してやる、という決意。

 全力でぶつかり合い勝ち抜いた強者がドライを倒せばいい、という計算。

 彼らはその両方を抱えて大会本戦へと挑む。

 

 本戦はAブロックとBブロックに別れていて、Aブロックには魔将ドライが、Bブロックには地球人このみが居る。

 その二人以外にも、各国から選りすぐりの優れた料理人達が集められていた。

 

 料理人達は怒れる獅子のような気迫を漲らせている。

 その気迫は、魔将を倒す決意の証。

 魔将はのんびりとしている。

 それは、料理勝負で殺すことも死ぬことも恐れていないという事実の証左。

 審査員達は怯え、祈っている。

 それは「料理人という人類の至宝を失わせてくれるな」という祈りであり、ドライの能力によって審査で嘘をつけないために、自分達の審査で料理人が死んでしまうという悲嘆でもある。

 

 このみは負ければ死という状況に緊張している。

 朔陽は和やかに話しかけ、その緊張を和らげている。

 和子は念のためと朔陽の影の中に入っていた。

 選手用の席からも調理場は見える。

 ゆえにか、ドライだけを警戒してじっと見ていた和子は、影の中からドライの料理手順を見て怪訝な顔をしていた。

 

「サクヒ、あれ何?」

 

「パニールだね。……ん?

 いや、似てるなんてもんじゃない。

 日本のパニールの作り方そのまんまだ。どうしてだろう?」

 

 日本でチーズと言えば、酵素などの力を借りるものが一般的だ。

 ただし、インドなどでは違う。

 ドライが今ミルクを暖め、そこにレモン・ライムに類する果汁を加えて作っているチーズがまさにそれ。これは酵素の力を借りない、パニールと呼ばれるチーズなのだ。

 

 通常のチーズは標準レンネットという酵素を使う。

 これは赤ん坊の牛を殺してその胃から取り出す酵素であるため、これで作ったチーズはイスラム教の教えに引っかかってしまうことがあるのである。

 ゆえに、チーズと言えばパニールだ、という地域も多い。

 パニールはその歴史に宗教の影響が濃く見られる、そういうチーズなのだ。

 

「パニール……私が露店で、この街の人達に売ってたものだわ、うん」

 

「えっ」

 

「そういやお客さんの前で作ってたっけなー」

 

 このみには、ドライにそれを教えた覚えはない。

 だが揚げてお客さんに売った覚えはある。

 おそらくはそこから、ドライが技術を盗んだのだ。

 

(地球の技法……このみさんの技術を見ただけで習得したのか……)

 

 朔陽はドライが地球料理なんて知ってるのか、と疑問に思っていたが、これで納得がいった。

 このみはこの世界に来てから幾多の料理を作っている。

 それも月単位でだ。

 しからばレパートリーは十分だろう。

 このみがこっちで作った地球料理のアレンジだけで、この大会を勝ち抜く自信があるというのも頷ける。

 

 ドライが審査員の前に料理を並べた時点で、既に勝敗は決したようなものだった。

 

「うわ、ピザだ」

 

 並べられた料理はピザ。

 日本人などに人気が出たインド風ピザ・チーズクルチャ(チーズ入りのもちもちとろとろナン)とは違う、オーソドックスな形のピザを、インドの素材で仕上げたインド風ピザである。

 とろとろのチーズの旨味と風味を引き立てるスパイスの辛味は、この世界に無い新鮮さをもってして、審査員達の百点満点を引き出していた。

 

「ピザは美味しい」

 

「うん、和子ちゃん。元引きこもりなだけに言葉に実感がこもってるね」

 

 高い料理が上等なのか?

 否、否である。

 人気のある料理が上等なのだ。

 安い料理は普及しやすいから人気を獲得しやすいだけだ、安い料理が高い料理より価値が無いのは当たり前、と言う人も居る。

 だが、それがどうしたというのか。

 ピザは美味い。ゆえに大人気だ。その現実は覆せない。

 

 ピザは地球料理界における『最強』の一角なのである。

 

「つか、あたしはパニールは揚げ物のおやつにしか使ってないんだけど。

 ピザは作った覚えはあるけど日本でメジャーなタイプだけだし。

 パニールを使ったピザなんて、こっちの世界で作った覚えがない……」

 

「それ本当?」

 

「嘘言ってもしょうがないでしょ。意味のない嘘をつくあの子ならともかく」

 

 このみが普通のピザを作った日があった。

 このみがパニールを作った日があった。

 他の料理を作った日もあっただろう。

 

 それらの日々に個別に得た技術を総合して、インドのピザを再現したというのなら、ドライ・ディザスターは朔陽の予想を遥かに超えた化物ということになる。

 

 料理の本質は、天才による一からの発明でもなく、偉人一人による革命でもない。

 継承だ。

 過去の誰かが作った技術を継承し、そこに発展と発明を上乗せすること。

 それこそが、美味いものを作る料理という技術の本質である。

 簡単に他人の技術を模倣し、そこから新しいものを生み出すドライは……最悪なことに、この会場で最も料理の本質に近い者だった。

 ドライが邪悪に笑う。

 

「ふふふふふふふふふふ」

 

 地球における最古の料理継承の痕跡は、紀元前1750年頃の、古代メソポタミアにおける粘土板に書かれたシチューのレシピだと言われている。

 その頃から現代まで技術を継承し、時には失伝し、何千年もの発展の果てに現在食べられているものが、21世紀の料理なのだ。

 ドライは、このみからそれを吸収している。

 地球の数千年を吸収している。

 

 この大会が終わる頃には、ドライを料理で倒せる者は、この世界に存在しなくなるだろう。

 人類にとっては、この大会が彼女を倒すラストチャンスなのだ。

 既にこの料理大会は、人類の存亡を懸けた一戦と化している。

 

(ドライは料理技術のコピー能力が高いけど、それだけじゃない。

 地球の料理技術を差し引いても、地の料理技術と料理知識が頭一つ抜けてる……)

 

 ドライは"この世界の料理人"という枠の中でなら、ぶっちぎりに高い料理技術を持っていた。

 それは、この世界の現在の料理文化に原因がある。

 

 この世界の大衆料理と宮廷料理は、まだ融合を始めていない。

 地球とは違い国家がほぼ全て封建社会な中世風ファンタジーのこの世界は、未だ『王や貴族の世界』と『一般人の世界』を区分している。

 かつてフランスの王族が食べていた高級料理を日本人が財布の金で気楽に食べる、ということが珍しくない地球とは違うのだ。

 

 王様の料理人と、大衆食堂の料理人の間に、壁がある。

 いや、混じり合っていないのはそれだけではない。

 貴賎だけではなく、国家間でもあまり料理技術が混じっていないのだ。

 地球で言うところの、フランス料理がイタリア料理の影響を受けて劇的に進化した過程に似たものも、この世界にはまだ無かったのである。

 

 国と国にも仲が良い悪いがある。

 魔物が支配する北の大陸に接していない人間の国には、「危ないから」と魔王軍を恐れ、ダッツハーゲン王国に来たがらない者も居るだろう。

 そんな国を嫌って訪れようともしない者も居るだろう。

 単純に貿易での搾取関係などで関係が悪い国もあるはずだ。

 "仲の悪い国同士だけど料理人の気楽な行き来くらいはあってもいい"という認識が人々の間にあれば、何か違ったかもしれないが、それもない。

 

 だが、ドライは違った。

 彼女は人類の敵である。

 

 思うがままに各国に攻め込み、思うがままに技術を盗み、料理人を殺していける。

 全ての国から料理を学べる。

 無敵の時間を使って、全ての国の全ての料理書籍を買い漁れる。

 彼女の学習に、身分の差や人間同士の確執など、障害にさえならないだろう。

 

 敵だからこそ、人間の料理文化を全て吸収しているという皮肉。

 魔王軍だからこそ、どんな人間からも料理を学べるという矛盾。

 人間の常識や確執を持たないがために、彼女は人間の料理技術を最高の形で完成させている。

 だからこそ、この世界の人間がまともに戦えば、勝ち目などあるわけもなく。

 

 また一人、料理に生涯をかけた料理人が、ドライとの直接対決に敗北し、死亡した。

 

「……っ!」

 

 朔陽達は決勝まで何もできないことに歯噛みする。

 自分の前で誰が倒れようとも、この世界の料理人達は臆さず立ち向かっていく。

 誰もが言った。

 誰かを殺すために料理勝負をする者など許さぬ、と。

 殺すために料理を使う者など許さぬ、と。

 このみが勝ち残り、ドライが勝ち残り、そのたびに料理に生涯をかけたものが死んでいく。

 

 Aブロックの勝者がこのみ、Bブロックの勝者はドライ。

 決勝戦のカードが決まる過程で、三つの命が失われてしまっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 決勝戦が明日に迫った、そんな夜。

 朔陽が管理しているかの屋敷で、井之頭一球がゴハンマダーをやっていた。

 

「野球の練習で腹減った。肉とか美味いものがたらふく食いたい、肉とかな」

 

「はいはい、座って待っててね」

 

 その姿はまさしく、美味い飯を与えている内はガツガツと食い続けるが、不味い飯が出て来ると母親に文句を言う息子が如く。

 朔陽が配膳しつつ、一球をなだめる。

 その頃和子は、台所でカレーを作っているこのみに、明日に向けたエールを送っていた。

 

「頑張って。恋川さんの料理愛が必ず勝つって、その、えと、信じてる」

 

 このみがきょとんとする。

 少し考えて、ああ、と納得した様子で手を打つ。

 そして、笑った。

 

「あたし、別に料理なんて好きじゃないわよ?」

 

「え」

 

 予想外の答えに、和子の思考が停止する。

 

「あたしさ、笑顔が見たかったんだよね」

 

「笑顔?」

 

「そ、笑顔。

 あたしの行動の結果、生まれた笑顔。

 頑張って、その果てに笑顔が見れるってのが、なんか無性に好きでたまらなくってさ」

 

 いい目標だ。

 根底からいい人でなければ、こういう願いは持たないだろう。

 事実、彼女の料理を食べた審査員は、誰もが最高の笑顔を浮かべていた。

 

「単に他人の笑顔見たいだけなら別の職業でいいでしょ?

 別に料理じゃなくてもいいのよ、あたしは。

 ただいいんちょさんと色々話してたら、あたしの一番の才能は料理だって分かったから」

 

「ふむふむ」

 

「あたしの能力で一番多くの笑顔を生み出せるのはこれだ、って確信できたってわけ」

 

 金が目的で料理やっているわけでもなく、勝利が目的で料理やっているわけでもなく、成功も目的ではなく、料理が好きというわけでもなく。

 

「あたしが好きなのは料理じゃなくて、笑顔を見るって最終目的だけよ」

 

「うーん……?」

 

「剣の才能あったら剣持って紛争地帯に行ってたんじゃないかなあ、あたし」

 

「……わあ」

 

 目的のために料理の才能を使っている。

 それ以上でも、以下でもなく。

 

「ま、だからいいんちょさんには料理に敬意持てって言われてるんだけどね。

 あたしが料理好きだったら料理ってものに敬意払ってたか、ちょっと分かんないし」

 

「サクヒとは、どこで会ったの?」

 

「うちの店だったかな。……4歳の時? 5歳の時? ううん、覚えてないや」

 

 幼少期、朔陽の親がこのみの親がやっていた飯処を訪れた。

 注文を待っている間、このみと朔陽は親の手を離れて遊んでいたのだが、親の注文した料理が来る前に、このみが一品(チャーハン)作って朔陽に食べさせてしまったらしい。

 当時から才気溢れていた彼女の料理は神速。

 このみの両親が謝って、朔陽の両親が許容して、朔陽達が帰って、以後年単位で会うことはなかったらしい。朔陽とこのみは、一日だけの友人だった。

 

「あの頃は若かったわ……」

 

「4歳5歳の頃の話ならそりゃそうだよ」

 

「当時は世界征服してやるとか言ってたから、いいんちょさんにもそんなこと言っててね。

 第一の部下にしてやるぞー、とか。あたしの手先になって頑張りなさいー、とかそういうの」

 

「せ、世界征服……?」

 

「しばらく会ってなかったんだけど……

 ……進学した先の学校で、第一の部下くんが委員長やってたのよ」

 

「うわっ」

 

「そして入学式の翌日に『世界征服する?』とか言ってきたの」

 

「うわぁ……」

 

 朔陽は友人との約束は忘れない。友人との会話も中々忘れない。そういう男だ。

 

「世界征服とか小学生の頃に卒業したのに……恥ずかしい……」

 

「あー……」

 

 顔を赤くするこのみを見る限り、最適解は知らんぷりだった可能性も、なきにしもあらず。

 

「それからどうなったんだっけ……

 また友達になって、たまーにあたしが飯作って食わせたりして……

 ああ、そうだ。

 『あのお店のよりこのみさんの料理の方が美味かった』って言われたんだっけ」

 

 ある日のこと。

 よくある日常、よくある風景、よくある言葉。

 なんでもない日常の中で、テレビで大人気と紹介されていた店とこのみの料理を比べて、つまらないありきたりな言葉を、朔陽は言った。

 他人が自分に言った言葉を覚えている朔陽でも、自分が言った、そんなつまらない言葉を覚えているということはないだろう。

 

「あたしはあれで、何か気合いが入ったんだ」

 

 そのつまらない言葉が、人生の基点となった者も居た。

 

「……」

 

「わっはっは! ま、安心して見てなさい。あたしとあいつで、ちゃんと勝ってくるから」

 

 笑顔が目的、料理が手段。

 恋川このみはそのためだけに、料理人になった。手料理部の部長となった。

 

「あたしは、あたしの料理で地球の料理文化を塗り潰す。

 料理の笑顔を独占する!

 あたしはいずれ、世界で初めての地球料理というジャンルを作る女だからね」

 

「おお!」

 

「いいんちょさんも援護してくれるって(強引に)約束させたし!」

 

「おお……?」

 

「地球の料理文化を完全征服するまでは、こんなところで負けてなんていられないっての!」

 

 世界征服卒業してないじゃん、と和子は思ったが、コミュ障ゆえ嫌われるのを恐れ口には出さなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日、決勝戦。

 観客が観客席に並んで、彼らを見ている。

 選手が選手席に並んで、彼らを見ている。

 審査員が座席に並んで、彼らを見ている。

 

 相対するドライと、朔陽&このみペアを。

 

「今まで一人だったのに、登録していた助っ人を呼んだの?

 嘆かわしい。私はあなたのことを評価していたのに……

 所詮は無力で一人では何もできない人間だったということですわね」

 

 二人を見て、ドライはくすくすと嘲笑する。

 対し二人は挑発にも乗らず、料理を始めた。

 

「あたし達の料理を見ればすぐに分かるわ。料理でも作って待ってなさい」

 

 息の合った二人の動きを見て、ドライは二人で来たということを再評価するも、嘲笑を引っ込めることまではしない。

 嘲笑を引っ込められるだけの評価は、まだ貰えていないようだ。

 和子は朔陽の影の中から、両者の料理を見る。

 

(これは……ドライの料理は、ラーメン!

 朔陽と恋川さんの料理は、カレー! ……頂上対決!)

 

 魔将製のラーメン。

 カレーの本場インド風のカレーならぬ、カレーの本場地球風のカレー。

 語るまでもなく、ラーメンとカレーは地球における食事の『最強』の一つだ。

 なればこそ、彼らがここでこれをチョイスするのは自然なことだった。

 

(異世界での料理勝負でピザ、ラーメン、カレーが出て来るのは正直どうなんだろう)

 

 和子は疑問に思う。

 

(でも、美味しそうだからいっか)

 

 そしてその疑問を、即座に投げ捨てた。

 

 少しばかりの時が過ぎ、やがて二人の料理が完成する。

 先に審査員の前に料理を出したのは、ドライの方だった。

 

「お先に」

 

 料理漫画なら、先に料理を出した方が、後から料理を出した方の"あっと驚く展開"に飲まれ、負けてしまうことが多い。

 だがこれは現実の勝負だ。

 人間の味覚が空腹度合いに左右され、空腹度合いが血糖値に左右され、血糖値が食後上がることを考えれば、料理勝負は先行有利。

 ドライは容赦なく、審査員の前にラーメンを並べていった。

 

「ほう……これは……」

「コノミ殿が露店で出していたと聞きます。確か、ラーメンとか」

「白濁したスープが美しいですね」

「ははは、地球料理は食べてもいないものの単語や用語ばかり覚えてしまいますな」

 

「その料理は、豚骨ラーメンという名前であるそうですわ」

 

 豚骨ラーメン。

 日本におけるラーメンブームの牽引役の一つであり、日本の食文化における最強の一角。

 当然ながら、その味は――

 

「う……美味いッ!」

 

 ――異世界でも、通用する。

 

「濃厚な旨味……これは、いくつもの出汁を濃厚に取ってブレンドしてある!」

「最高級食材をふんだんに使った最高級スープですよ、これ」

「上に乗っている肉も薄切りで食べやすく、美味しいですね」

「この麺に絡むスープが最高だ! スープと麺だけでも十分美味いぞ!」

「成程、これはスープを飲むのではなく、スープを食べる料理なのか……」

 

「さ、ここで私のラーメンは折り返しですわ。そこにあるタレをかけてみな」

 

 ドライの生み出す美味は、食べたものをあたかも奴隷にしたかのように操る。

 ドライの望む反応を返し、ドライの望むまま料理を貪る彼らは、ドライの指示に反射的に従ってしまう。

 タレをかけた豚骨ラーメンは、更に美味くなっていた。

 

「!? 更に、美味く……!」

 

「豚骨醤油ラーメン、とでも呼びましょうか」

 

 豚骨スープに塩ダレの組み合わせの食べやすいスープが、醤油ダレを加えられたことでガツンとした旨味を備える。

 そのままでも美味く、タレを加えれば二度楽しめるという二段構え。

 これが、彼女が"一から自分で考えた"もの・豚骨醤油ラーメン。

 最強を超えた、究極である。

 日本でも人気になって久しい、豚骨ラーメンの先にあるものだ。

 

「このみさん、豚骨醤油ラーメンって……」

 

「醤油はあたしも再現した覚えあるよ、うん。でも……これは流石に、驚いた……」

 

 このみは、豚骨ラーメンを作った覚えはある。醤油を作った覚えはある。

 だが豚骨醤油ラーメンを作った覚えはない。

 その二つから、ドライは完璧な完成品を作ってみせたのだ。

 この魔将は恐るべきことに、人間の料理文化が数年をかけて至る進化を、おそらく数日で駆け抜けることができるのだろう。

 

「しかしながらこのスープは興味深い。

 どんな手法を使えば、こんな味わいが作れるのか……」

 

「手法以前の問題よ。これはオークの骨を使った豚骨ラーメンだもの」

 

「―――!?」

 

「私は豚骨ラーメンの存在を知り、あらゆる食材を検証し、この正解に至った」

 

 更には、その発想も飛び抜けていた。

 

 この世界におけるオークは亜人である。

 人間の敵のオークも居て、人間とは中立関係のオークも居る。

 様々な理由からオークを強烈に嫌っている人間も居て、そうやってオークを嫌っている人間からオークを守ろうとする、オークに友好的な人間も居る。

 総じて、魔物と人間の中間に近い立ち位置であると言える。

 

 そのオークを捕らえ、殺し、骨を引きずり出し、骨を叩き砕いて、スープの出汁にする。

 スープを取るには、その過程を行ったということになる。

 審査員の内の何人かの顔色が、さあっと変わった。

 

「お、オークの骨だなんて、そんな!」

 

「でも、美味しかったでしょう?」

 

「! それは……」

 

「ならば問題は無い。

 このドライは、不味いものなど作らない!

 精神的な抵抗感など、心赴くままに貪る美味に比べれば毛ほどの価値も無い!」

 

 そう、美味かったのだ。

 何らかの理由でオークスープに抵抗感を持っていたとしても、それを理由にこのラーメンを食べないという選択が選べないくらいには、このラーメンは美味かった。

 

 この魔将は、『革新的な料理』の弱点と長所をきっちり理解している。

 革新的な料理は歴史の中でも、度々受け入れられないことがあった。

 日本の納豆やイナゴの佃煮を外国人に出して、ドン引かれるのと同じことだ。

 だが、革新的な料理の前に度々立ち塞がるその壁は。

 度々、『美味いから』というだけの理由で、突破されてきた。

 

 この豚骨ラーメンは、ただ普通に豚骨を使ってこのみが豚骨ラーメンを作って勝負したなら、確実に負けてしまうくらいには美味い。

 忌避感を殴り壊してしまうくらいには美味い。

 オークを嫌う人間が、また一口、豚骨醤油ラーメンを口にした。

 

「余分な情報まで食べる必要はありません。ただ、その舌に従いなさい」

 

 皆がまた、ラーメンを口にしていく。

 美味かった。

 ただひたすらに美味かった。

 今まで食べたこともない味が、審査員達の口の中に広がっていく。

 

 「今まで食べたことのない味を食べさせる」という『斬新さ』。

 このみがここまで勝ち上がるために使ってきた地球料理の武器を、ドライは驚くべき発想力とそれを形にする技術力で、最高の形に仕上げてきたのである。

 朔陽視点、友達のお株を奪われた形で物凄く悔しい。思わず歯噛みしてしまう。

 

「……あら、99点。残念」

 

 十人の審査員による採点は、惜しくも満点には届かない99点。

 決勝で用意された五人は特に厳しい審査員だった。

 観客席からランダムに選ばれた五人も、偶然だが相当厳しい者達だった。

 相対的に見るに、この99点は本戦緒戦の150点に相当する高得点だったと言ってもいいだろう。

 

 10点中9点だった審査員も、オークに拭いきれない嫌悪感を見せていたことから考えるに、『虫が嫌いな人間に虫料理を食わせて9点を出させた』と考えれば、凄まじい。

 

(ふぅ。まあ、勝ったかしらね)

 

 予選でこのみが出したエビスープなら、この審査員達は80点と少し出して終わりだろう。

 ドライは勝利を確信し、あてがわれた椅子に座った。

 そしてこのみ達が敗北する未来を想い、ぼうっとし……少し先の展開に思いを馳せている内に、審査員達の席から上がる歓声を聞く。

 美味い、美味いと叫ばれるその歓声は、一瞬でドライを現実に引き戻した。

 

「?」

 

 審査員達が食べているのは、このみと朔陽がテーブルに並べた料理。

 

 ライスに茶色い何かをかけた何かであった。

 

 ドライは立ち上がり、このみの目の前でそれを穴が空くほど見つめ、目を見開く。

 

「これは地球の、いやインドの魂の料理……カレーよ」

 

「ウンコじゃない!」

 

「カレーよ」

 

「地球人はウンコ食べるの!?」

 

「カレーだっつってんだろ」

 

 その名はカレー。

 日本における最強の一つ。

 

「この香り……これは……まさか!」

 

「あたしも補給が見込めないから、あんまり使いたくはなかったんだけどね」

 

「日本の香辛料! この世界には無い、風味の暴力!」

 

 そう、恋川このみは、修学旅行にスパイスや調味料の一式を持ってきていたのだ。

 それでも普段は使わずに取っておいたのは、地球に帰る目処が立っていないため、このスパイスを使った分補充できる見込みがなかったためだ。

 スパイスの保存可能限界も迫っていたこと、そしてドライが強敵であったことが、このみにこの強カードの使用を決意させたのである。

 

 ガラムマサラ、クミン、ターメリックetc……数々のスパイスは、審査員に与えるインパクトとその風味において、一定の保証をされているも同義。

 このみはここにこの世界のスパイスや食材を足し、最高のチキンカレーを作り上げた。

 

 鶏肉の旨味を最大限に抽出したスープは、このみのヘアピンを思わせる黄金色に輝いていた。

 そこから作られたカレーは、地球のスパイスと異世界のスパイスの香りを調和・融合させ、鶏肉の旨味を最高に引き立てるものと化す。

 鶏肉は柔らかく、かつ旨い。

 地球とは違う種類の米がいくつもあるこの世界。

 この世界の特定種の米と地球のカレーを合わせるためか、米は香り高い油で一度炒められているなど、細かい工夫がいくつもあった。

 

 米と、カレーと、鶏肉を一度に口に入れれば。

 鶏肉がじゅわっと肉汁を吐き出し、カレーと米の香りが口の中から鼻へと広がり、三位一体の旨味がおかわりを要求させる。

 米とカレー、カレーと鶏肉、鶏肉と米、二つ選んで組み合わせるだけでも美味い。

 そこにカレーの染みた野菜も加わると、言いようのない美味さが展開されていく。

 

「だがこれは、この野菜と鶏肉に、味の差異があるのは何故だ……?」

 

「ああ、そのカレー、今作ったカレーの中に昨日のカレーも混ぜてあるんです」

 

「!?」

 

 作ってから、一晩経ったカレー。

 これは日本の各家庭においては母の味であり、王者の味である。

 このみは昨晩、和子の前でカレーを作っていた。

 それの一部を一晩置いておき、今作った同じカレーに適量混ぜたのだ。

 カレーのよく染みた肉と、カレーのよく染みた野菜と、具材の旨味が溶け出したカレーが混ざれば、味は当然深みを増す。

 

 このみは一晩おいたカレーと作ったばかりのカレーを混ぜて初めて完成するように、このカレーのレシピを設計していた。

 

「このカレーは、あたしらの世界じゃ家庭料理です。

 地球とこの世界に交流ができれば、きっと誰でも作れます。

 今はまだ無理でも、このスパイスが流れて来れば、きっと」

 

「こんなに美味いものが、誰でも? 信じられん」

 

「はい。作ったばかりのカレーも、一晩置いたカレーも、どっちも美味しいですよ?」

 

 彼女が、審査員達に示したものは。

 

「これは、今は食べられないけれど、未来に誰もが食べられる、そんな可能性の料理です」

 

「未来のカレーか」

 

 この世界の未来。そして、地球とこの世界の友好の可能性である。

 

「美味いな。これが……未来の味か」

 

 審査員の誰もが、カレーを堪能している。

 目を閉じている。

 その閉じられた瞼の裏には、各々が描く遠い未来の姿があるのだろう。

 

 ドライはゴクリと唾を飲み込み、残っていたカレーを奪うように口にする。

 そして、笑った。

 

「……残念だったわねえ!

 主張はいいけど、これは少し辛すぎよ!

 この味のバランスでは90点も行かないと思いますわ!」

 

 このカレーは、この世界の人間には少しだけ辛かった。

 勿論本場のカレーに比べれば辛さは抑え気味であり、本場カレーの辛さの中から旨さを見つけるような尖った特性はない。十分この世界に合わせている。

 それでも、最高得点が狙えない程度には辛かった。

 勝ち誇るドライを見下した審査員が、鼻で笑う。

 

「何も分かっていないようだな。魔王軍などそんなものか」

 

「なんですって?」

 

「我々はこれを飲んでいた」

 

 審査員が指差す先を見れば、そこにはコップがあった。

 横からでは中身が見えない形状のコップだ。

 よく見れば、審査員全員の前に置いてある。

 ただの水じゃないのか、と怪訝な顔をしたドライに、横合いから朔陽が同じものを差し出した。

 

「あ、これはご丁寧に。ありがとう」

 

「いえ」

 

 ドライは丁寧に頭を下げ、朔陽から受け取った飲み物を口に運ぶ。

 "飲んだことのない"飲み物の甘みと苦味が、口いっぱいに広がった。

 

「これは……!?」

 

「抹茶ミルクだ。僕がこのみさんの横で作っていたの、見ていなかったのか?」

 

「まっちゃみるく……?」

 

「僕らが持ち込んだ抹茶と、この世界のミルクで作ったものだよ」

 

 この世界のものと、地球のものを合わせた味。

 不思議と、口にするだけでカレーの辛味が引いていく。

 スパイスの尖った辛味が甘みと苦味で滑らかになっていき、それが先程の辛味の刺激を求めさせるという、最良のバランス。

 

(カレーの辛さを考慮した甘みと苦味のバランス……これが、皿の横にあったなら)

 

 カレーを食べて、カレーのために最適化された抹茶ミルクを飲んで、カレーを食べて、飲んで……そのループが、互いの味を最高に引き立て合う形。

 このみが朔陽の飲み物を引き立てる。

 朔陽がこのみの食べ物を引き立てる。

 これは、『そういうもの』だった。

 

「あんたさ、あたしばっか警戒してたから知らないでしょ。

 優しい味を作るって一分野だけなら、いいんちょさんはあたしの次くらいに上手いんだって」

 

 朔陽の料理は人並みだ。

 このみほど美味い料理は作れない。

 が、作るのが簡単なものを、優しい味に作り上げることだけは上手かった。

 それは、病気の人間に粥を作る腕前のような、料理人としては評価されない能力である。

 

 ある審査員は、こう言った。

 

「サクヒ・サトウが作った抹茶ミルク。

 コノミ・コイカワが作ったチキンカレー。

 この料理は二人が作った二つを合わせて完成する。二人で一人の料理だったのだ」

 

 ある審査員は、こう言った。

 

「こうなると、食材の差も気になってくるな。

 ラーメンの出汁には最高級食材がいくつも使われていた。

 対し、カレーは異世界のスパイスがあるとはいえ、平凡な食材のみ。

 勝つために全力を尽くしたラーメン。

 どこでも手に入る食材を、誰でも真似できる技術で仕上げたカレー。

 二人の料理人はどちらも見たことのない技術を披露してくれた。

 だが私は審査員として、上辺ではなく本心から、後者が優れていると感じた」

 

 ある審査員は、こう言った。

 

「カレー単体では未来を見せる。

 抹茶ミルクと組み合わせて絆を見せる。

 これは……未来と絆のカレーなのだよ!」

 

 誰かに言われるまでもない。

 カレーを食べ、抹茶ミルクを飲んだ時点で、ドライは敗北を確信していた。

 料理で負けた悔しさよりも、素晴らしい料理に負けたという誇らしさと、彼らの料理を賞賛したいという気持ちでいっぱいだった。

 ドライの脳裏に、戦いの前に彼女がこのみにぶつけた言葉が蘇る。

 

―――所詮は無力で一人では何もできない人間だったということですわね

 

 あれは、間違いだった。

 

「あたし達は群れなきゃ美味い料理が作れないんじゃない。

 二人揃ってるからこそ、一人より美味い料理が作れるのよ」

 

 彼らは料理の場において、二人揃っている限り、完全無敵なのである。

 

 ハイタッチが何か、教える必要もない。

 声で合図する必要もない。

 目配せする必要もない。

 ただ"やろう"と心の中で思えば、隣に居る佐藤朔陽は、隣に居る恋川このみは、分かってくれる。合わせてくれる。そういう確信がある。

 ゆえに、合図もなく目配せもなく、ただ心の中の呟きだけを号令として。

 朔陽とこのみは、ハイタッチして、小気味いい音を会場に響かせていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 敗北が確定した時点で、ドライ・ディザスターの死は確定した。

 あとは、勝者の名が告げられるだけで、ドライは死ぬだろう。

 ドライはその死を受け入れている。

 だからこそ、この瞬間に、自分の人生を通して貫いてきた信念のことごとくを捨てた。

 

「私の信念を通すのは、ここまで」

 

 ドライは自分の右目に指を突っ込み、眼球の一つを引き抜いた。

 その行動に周囲が驚くも、ドライは構わず眼球を握り潰す。

 "奉納"に似たその行為が、彼女の最後の能力を発動させた。

 

「後は、魔王様への恩義と、魔王軍としての意地を通させて貰いましょう」

 

 眼球を握り潰した右手を朔陽に向け、ドライはそこから光線を発射した。

 

「サクヒ!」

 

 影から飛び出した和子が朔陽を抱きしめるようにして庇い、同時に土遁を発動した。

 だが土遁が生み出した土の壁も、和子の体も突き抜けて、光は朔陽に命中する。

 

「サクヒ! 大丈夫!?」

 

「……っ! 何をした?」

 

「私の能力って、魔将なんですけど大体食事由来でしてー。

 今まで使ってたのが、料理勝負を成立させる能力。

 逃げるカスとかを追い詰めるための能力でしてー。

 んでこれは、私の作ったものを食わずに捨てたカスを追い詰めるための能力でして」

 

 ドライはこのみの作ったカレーをよそって、そこに懐から取り出した小瓶の中身をぶっかける。

 小瓶には『猛毒娘。略してモー娘。』とこの世界の言葉で書かれたラベルが貼ってあった。

 取り繕いようもなく、猛毒である。

 

「私の指定したものを、強制的に食べさせる能力なのですわ」

 

 ドライ第二の能力は、強制的に、真正面から堂々と、毒殺を行う能力だった。

 

「食べられなければその時点で能力契約不履行で死にます。

 あ、これ魔王様でも腹を壊す毒なので、人間なら解毒も間に合わず死にますわ。

 料理勝負中は使えない能力だからやっと使えたなーってカンジ?

 ほれ死ね、そら死ね、一緒に死のう、な? 私ホントカス行為してんな」

 

「分かってるならやめなさい!」

 

「あはは、でもあんたら、少しでも人数削っておかないと、私の仲間殺しそうじゃん?」

 

 食べられないと死ぬ。食べても死ぬ。

 周囲が余計なことをしても死に、朔陽が余計なことをしても死ぬ。

 八方塞がりな状況で、能力の強制力が朔陽の体を勝手に操作し、動かし始めた。

 

「だから死ね。

 私の道連れに死ね。

 同行した私が地獄でずっと美味い飯作ってあげるから、それで勘弁して頂戴」

 

「嫌に決まってるだろ! それなら僕は生きて、このみさんにご飯作って貰う方がいい!」

 

 ドライが邪悪に笑う。

 

「じゃーそのこのみさんとやらのカレー食って死んでくださいませ」

 

 朔陽は能力に抵抗しているのに、カレーに向けて伸ばされる己の手を見て、顔をしかめる。

 

(こういう経験は、初めてじゃない……

 この手の力は薬品も能力も同じだ、と思う。

 これは何かを他人に強制する能力だ。

 支配する能力じゃない。

 なら、強制された内容を自分なりに何か合理的解釈すれば、何か……!)

 

 どうすればいい。

 どうすればどうにかなるのか。

 どういうものが正解になるのか。

 頭を必死に回し、回し、回し――

 

「そうだ」

 

 ――朔陽は、希望を見つけた。

 

「頼む!」

 

 そして、聖剣をカレーライスの中に突っ込んだ。

 

「なんですって!?」

 

 どうやらドライは、今鞘と袋に突っ込まれていた聖剣の存在に気が付いた様子。

 

「このカレーを食べろと命令されたが、何で食べるかは指定されてない!

 この聖剣をスプーン代わりにする!

 聖剣で直接触れれば、魔王軍謹製の即死級猛毒だって、無効化できるはずだ!」

 

「正気!? だってあなたそれ、その聖剣は……!」

 

 朔陽は聖剣でカレーを食う。

 聖剣の光は絶え間なく発せられ、カレー内部の毒に注ぎ込まれ、毒を無力化していく。

 それが毒の恐るべき毒性と、聖剣の力によって朔陽が生かされているという事実の証明になる。

 カレーを食べても死なない朔陽を見て、関係者達は皆ほっと息を吐いたが、観客の一人がぽつりと何かを呟いた。

 

「おいアレ、ウンコまみれになったって噂のあの聖剣じゃね?」

 

 観客の中に、ざわめきが生まれる。

 

―――身に付けているだけで、特殊なものを除いた毒くらいならば無効化してくれるでしょう

 

 ヴァニラ姫は、そう言った。

 この剣には浄化作用がある。

 今のこの剣の表面は、トイレに行った後洗剤で洗った手よりも清浄だ。

 だが、考えてみて欲しい。

 ウンコまみれになった手を、"綺麗に洗ったから"と言われて差し出されても、その手を迷いなく掴めるものだろうか?

 

「マジだ、ウンコのあれだ」

「あれでカレーとかいうの食うのかよ……」

「いや、カレーはもうこの香りとかでウンコに見えねえけど……あれは……うわぁ」

 

 この聖剣でカレーを食うのは、気が引ける。

 それが人間として当たり前の感情だ。

 だが、朔陽は食べた。

 人間としての尊厳を投げ捨てでも生きようとする覚悟が、彼の中にはあった。

 覚悟がカレーを食べさせる。

 覚悟が聖剣の力を引き出す。

 

 意志を持つ名も無き聖剣は、ウンコまみれだったこともある聖剣でカレーを食べる朔陽の覚悟に応えるため、今引き出せる最大限の力を発していた。

 

「マジかよ、もう全部食い終わるぞ」

「魔将の奴の顔見ろよ。信じられねえって顔してるぜ」

「ざまあみやがれ、いい気味だ」

「奴のおかげだな」

「あいつ名前なんだっけ?」

「サクヒ・サトウだろ」

「サクヒ・サトウ……俺は今日見たこの光景と感動を、一生忘れないと誓うぜ」

 

 朔陽はこの日初めて、この世界において、記録よりも記憶に残る男となった。

 

「俺達は……地球人を舐めていたのかもしれないな」

「ああ」

「凄えよ、地球人。尊敬する」

「すげえウンコ野郎だ」

「生半可なクソ野郎に、あんな覚悟はねえ」

 

 かくして朔陽は、聖剣に当座の主として認められ、猛毒のカレーを食べきった。

 

「あの、この大会の優勝者の発表をお願いします。僕も食べ終わったので」

 

「あ、はい」

 

 そして、大会の終幕を促す。

 

「―――勝者! コノミ・コイカワ!」

 

 このみの優勝決定と共に、ドライは自身の能力で絶命する。

 

「……無念」

 

 死の間際にドライが見た最後の光景は、空を見上げる朔陽の悲しげな背中と、彼を賢明に励ます彼の知り合いの姿であった。

 

 

 


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