魔法少女きょうこ☆マギカ 流れ者達の平凡な日常(魔法少女まどか☆マギカシリーズ×新ゲッターロボ) 作:凡庸
炎を纏った女の身体を、上から下に漂泊の刃が抜けた。
頭蓋を断ち割り肉を削って柔らかな内臓を切り裂く感覚も確かにあったが、それだけだった。
水の表面を指が優しく触れたように、炎は僅かな波紋を浮かべたが、それ以上の変化は無かった。強いて言えば、薄っすらと斬線が残ったのみだった。そしてそれも消えつつあった。
断ち割られた右の眼球が、身を切り裂いたものの姿を捉えた。手斧を持った黒髪の少年だった。
次の瞬間、世界は真紅に彩られた。女の形を成した炎が、その全身から噴き上がったのだった。
地面は津波のように荒れ狂い、大気には高温が充満した。しかし地球上の凡その生命体を死滅させる灼熱地獄の中、
「熱っ…」
環境を呪うような声が響いた。それは両手に手斧を持つ少年だった。ただその姿は、紅の色に染まっていた。炎ではなく、血の様な赤黒い色に。
それは拳大の大きさの六角形を成して、彼の体表を覆っていた。
「ダメージなんたらとか言ってやがったか。意味分かんねぇけどよ、バリアみてぇなもんだろ」
炎の女から寄せ在られる炎は、少年が纏った深紅の障壁の上で渦巻くに留まっていた。ある程度の熱は透過するらしく、彼の顔は汗に塗れていた。
炎の間近を通った手を覆う皮手袋には焦げ目がつき、手首には軽い火傷が浮いていた。
「いくぜ魔法少女ぉ」
言うが早いか、彼は炎を纏った女、佐倉杏子へと突撃した。
極限環境だとか、相手への恐怖だとか。
またそもそも今斬りかかっている相手は、少し前まで自身が救出に向かう為に戦っていた者である事は彼の脳裏からは焼却されていた。
このあたりはやはり、魔法少女を不死身の怪物と捉えていることが大きく、また彼自身闘争本能の塊のような存在の為だろう。
疾駆からの斬撃が炎の女体の上で交差する。一瞬にして数十の斬線が真紅の上に浮いた。
一瞬の交差をし、彼は杏子から離れた。装甲のように纏った障壁の数か所が、紙のように破れていた。障壁の内で彼が吐いた息は血雑じりだった。
「少しは効いたか?ええ?」
常人なら即死の筈の高熱に晒されながらも、彼は挑発を宿した言葉を吐いた。
数千度の超高熱を切り刻んだ斧は、それでいながら冷え冷えとした輝きを保っていた。
そして彼の言葉は単なる挑発に留まらなかった。切り刻まれた女体は、バランスを崩したようにぐらついたのだった。
最初の一撃が示したように、炎の身体は物理攻撃に高い耐性を持っていた。炎がそうであるように、空いた隙間は直ぐに塞がる。
今回は異なっていた。胴体に密集した斬線はいびつながら孔の形となり、そこから炎が拭き零れた。
それは彼女の血液か、エネルギーの本質に見えた。
灼熱の鮮血に、少年の顔に獰悪そのものの表情が浮かぶ。万人が、それを悪鬼羅刹と信じて違わない顔で彼は嗤っていた。
そこに向け、噴き上がる血飛沫の奥から炎の女体が飛び出した。獲物を求める猛獣の如く、その両の五指は限界まで開かれていた。
それが少年の頭部に触れる寸前、その頭部が大きくぶれた。首から下の肉体もそれに倣いって宙を舞う。
女の頭部を捉えたのは刃では無かった。刃の斬撃をも上回る速度で放たれたのは、ナガレの拳であった。
表面を覆う障壁の色は濃く、赤黒となっていた。六角形は溶け崩れて輪郭を失くし、彼の腕に溶岩のように纏われていた。
「気分の変え方で結構効くもんだな。あとやっぱ、正気に戻してやるなら殴った方が良さそうだ。前例もあることだしよ」
言うが速いか、彼は飛んだ。そして滞空中の杏子に追いつくと見えた瞬間、空中にて強烈な蹴りを放った。
殴るといいつつこれである。恐らくは彼にとって殴打とは、徒手空拳の全般を指すのだろう。間違ってはいなそうだ。
腹部のど真ん中を貫かれ、杏子の身体は垂直に落ちた。腕同様の岩塊に近い形に成りながらも動きに制約は無いのか、追撃の膝蹴りが彼女の胸に減り込んだ。
がはっと吐かれた灼熱を薙ぎ払い、そのまま跨る形で顔面に拳を叩き込む。生きた灼熱地獄の密着した状態ゆえに、彼もまた一つの炎塊と化していた。
斧型の魔女が必死に障壁を張るも、地獄の業火は障壁の中に侵食していく。常人ならとうに炭化している筈の状態で、彼は叫んだ。
「いい加減に眼ぇ覚ましやがれ!!魔法少女!!」
一際強い一撃が杏子の顔面を捉えたと見た刹那、その拳を炎の掌が覆った。横にずらされた拳の先には、炎で出来た唇と歯と、その奥で輝く真紅が見えた。
避ける間もなく真紅は放たれ、彼の胸を貫いた。背中から抜けた後には、拳大の空洞が残った。胸と背の間にあった心臓は、この世の何処からも消え果てていた。
その上に、彼女は見た。
理性を失くし、殺戮と破壊衝動に支配された佐倉杏子の炎の瞳は、赤黒い炎のような溶け崩れた障壁の奥にある少年の顔を見た。
そこには、断末魔の苦しみと死に向かう虚無の表情は無かった。
忌まわしいまでの不敵さと、生存本能に満ちた毒々しさを覚えるような生気を発する少年の顔があった。
開いた口から覗く牙の様な歯の列が、黒い卵型の物体を咥えていた。次の瞬間、牙はそれを噛み砕いた。
黒い破片が歯の隙間から零れ、落下していく中で杏子の体温に触れて蒸発していく。黒い煤が僅かに広がり、そして消えた。
その煤は、彼の空洞と化した胸からも生じていた。ただし、比較にならないほどの莫大な量が。
数秒前まで心臓が鼓動を続けていた位置に、黒い蟠りが生じていた。そこから傷口へと、黒が滔々と溢れていった。
黒はそれだけでは無かった。灼熱の行き渡った天から、溶け崩れかけた地面から、ありとあらゆる方向からそこに向けて黒い筋が向かっていった。
それはやがて大河となり、波濤のように押し寄せる。
傷口から染み込む黒は、少年の脳裏に無数の光景を映し出した。不幸か欲望か、願いを叶えた末に訪れる末路の歴史。
この地球が誕生し、脈々と紡がれてきた悲劇と憎悪のリフレイン。希望から絶望への相転移が、鏡面の世界に貯められた感情の坩堝となって少年の心に押し寄せる。
億に達する絶望の悪夢が一瞬で、脳髄と精神に刻まれる。それが過った瞬間、黒い卵を、魔女の遺した災厄の種を噛み砕いた歯が動き、一つの言葉を吐き出した。
「しゃらくせぇ」
そこに秘められた感情は多々あったに違いないが、最も顕著なのは鬱陶しさに違いなかった。
言い終えた途端、黒は少年の身を呑み込んだ。無数の蟲の様に黒は蠢き、そして形を成していった。
細いが筋肉質な体格は、さらに太さと逞しさを増し、炎の様に突き出た髪は刃の鋭さを宿す。
そしての可愛げは見る影もなく消え失せ、全体的な凶悪さは禍々しい程に増大していた。
逞しい首からは、これもまた炎の様な靡きが見えた。肉体の一部ではなく、それは首に巻かれた衣のようだった。
それは少年ではなく、蠢く黒で構築された青年の姿となっていた。顔の表面も黒に覆われていながら、瞳は元の少年のものと似ていた。
但し更に深くエグく、万物を破滅に導くような。底知れぬどころか、底の果てすらない地獄の輪廻を顕現させたような渦巻く瞳が浮かんでいた。
黒い青年の右腕が大きく掲げられ、その先には巨石を思わせる拳が握られていた。
対する杏子は、人体の可動範囲を越えて耳まで裂けたかのように口を開いた。その中には、太陽を思わせる眩い光球が浮かんでいた。
拳が振り下ろされるのと、光球の炸裂は同時であった。
それは、一つの世界が破滅を迎えた瞬間でもあった。
また随分と空いてしまい、申し訳ありませぬ…。