魔法少女きょうこ☆マギカ 流れ者達の平凡な日常(魔法少女まどか☆マギカシリーズ×新ゲッターロボ) 作:凡庸
真紅の衣に身を包んだ魔法少女が、何処とも知れない空間を歩いていく。
魔女が住まう結界とも異なる異界は地面こそ硬質の質感があったが、空間の広さはまるで不明瞭であった。
無限長の広さとがあるようにも、閉塞した空間ともとれた。
空間に囚われた存在が動けば、その都度伸縮するのかもしれなかった。
とはいえ、それらは今の杏子にはどうでも良かった。
今の杏子は思考能力自体が欠落し、ただ歩くだけの肉の傀儡となっていた。
普段は左肩に掛けられる槍は、力なく垂れた右手に握られていた。
というよりも曲がった指に辛うじて、柄が引っ掛けられていたと評する方が正しかった。
十字を頂いた真紅の槍を最後の拠り所とするように、杏子は歩いた。
とぼとぼと、杏子は歩いた。
真紅の瞳の輝きはくすみ、普段の炎じみた色は見る影も無い。
歩き、進む空間は闇で満ちていた。
真紅の衣の表面から、杏子の体表から溢れる闇だった。
その中を杏子は歩いた。
虚無を求める心は欲望に反し、明瞭な意識を以て後悔を叫び苦悩が渦巻く。
内に無い虚無を求めて、杏子は歩いた。
残穢のような僅かな光を宿した紅の眼の先には、闇の中に浮かぶ虚無が立っていた。
最初は点にしか見えなかったそれは、近付くに連れて明瞭な形となった。
そして遂に辿り着いた。
逞しい四肢を有した精悍な青年の姿をした虚無の背後で、真紅の魔法少女は歩を止めた。
そこが終焉であるように。
「テメェなんだろ」
ぽつりと杏子は言った。
「随分と見違えたけど、雰囲気だけはそっくりだ」
言いながら杏子は手の力を抜いた。
ごとりという音を立てて槍が地面へと落ち、そして彼女の発する絶望に呑まれて消えた。
「どんな方法でも構わねぇ…あたしを終わらせてくれよ……相棒」
身を切る様な自棄の言葉を、杏子は吐き切った。
しばしの沈黙。
その間にも杏子の体表は闇を湧かせ続けた。
両者の間にも、闇が滾々と積もっていく。
虚無の輪郭が振り返った。
そして無造作な足取りで、真紅の魔法少女へと歩み寄っていく。
絶望の感情に、臓物を抉られるような恐怖が這入り込む。
距離が近付く。
何か言おうと開いた口は、そのままの形で固まっていた。
そして虚無と魔法少女は重なった。
重なり、そして離れた。
虚無は魔法少女の身体を、何らの抵抗も無く通り抜けた。
背を向けた青年の右手へと、杏子は手を伸ばしたがそれも同じであった。
勢い余って前へつんのめり、魔法少女が無様に転倒した。
顔面を強打したことにより鼻を痛め、鼻孔からは血が滲んでいた。
それでも彼女は虚無を求めた。
自らを終わらせる為に、出来ることは何でもやる積りだった。
再び迫ろうとした時、彼女は見た。
自らが今も湧かせ続ける闇が渦を巻いていくのを。
それは虚無と魔法少女の周囲を廻り、ゆっくりと形を成していった。
そして、虚無と魔法少女を取り込んだ者達の姿は。
「…鬼?」
体格は様々だが、人に似た体型をした闇色の影が無数に生じていた。
鬼の言葉が示す通り、それらの頭部には様々な本数の鋭角が生えていた。
仲には頬や顎にも鋭角を連ねている者達もいた。
周囲を取り囲んだ者達を、虚無は見渡していた。
虚無の視界に杏子は映っておらず、ただ彼女の発した絶望が生み出した異形に向けられていた。
ぞくりという悪寒が杏子の背を這った。
それは周囲を取り囲んだ異形達から感じた恐怖ではなく、虚無から垣間見えた感覚であった。
この青年の姿をした者は嗤っている、そう思った。
雲霞の如く群がる敵に囲まれながら、処刑に等しい状況で嗤う。
こんな事が出来る生命体を、彼女は二つしか知らない。
魔法少女と黒髪の少年の二つである。
そして笑い方は後者に近く、更に獰悪さが増している。
そう思えてならなかった。
前触れもなく、戦端が開かれた。
鬼達は一斉に虚無へと向かった。
間の杏子の事は透過し、次々と駆けていく。
一瞬にして虚無は絶望より生まれた鬼達に覆い尽くされた。
その一角が弾け飛び、複数の巨体が宙を舞った。
鬼達の首は捩じれ、潰れ、そして捥がれていた。
空いた隙間から、青年の姿が飛翔した。
二メートルは優にある鬼達が手を伸ばしても届かぬ高さでの滞空の最中、虚無の逞しい首で何かが靡いた。
首に巻かれた布のようだった。
それは主が持つ底なしの戦意を顕すが如く逆立ち、獰猛な獅子の鬣を思わせて靡いていた。
宙に浮かぶ虚無の右脚が霞んだ。
蹴りの連打であったが、それは魔法少女の眼でも鮮明では無かった。
大柄な鬼達の頭部が易々と潰れて削られ、雄々しく伸びた角が無意味な残骸と化していく。
着地の瞬間、一際に大柄な鬼が伸ばした手を青年の逞しい手が迎え撃った。
がしっと掴み互いの力が籠められる。
体格にして倍近く、腕の太さは三倍にもなる力比べは一瞬で終わった。
巨体の鬼は膝を折って身体を崩し、組み合った手は鬼の頭部に落下した。
圧搾から殴打へと切り替わった一撃は、影で作られた分厚い筋肉と骨格の鎧を難なく破壊し沈黙せしめた。
その様に、威嚇の様に牙を剥き出しにしていた有象無象たちが一斉に動きを止めていた。
退くことも進むこともせず、ただ彫像と化したかのように静止している。
ちら、ちらと虚無の青年は首を小さく左右に振った。
そして軽く顎を引いた。
鬼達と同じく動きを止めた杏子にはそう見えた。
そしてその動きは嘲りであると彼女は見た。
無数の数を有しておきながら、何故掛かって来ないのかと。
普通の思考なら、この機に撤退を行うだろう。
だがこの青年の姿をした者は、真っ向からやり続けるようだった。
最後の一匹を仕留めるまで。
「ならこっちから行くぜ」
鬼の形を取った絶望の中に泰然と立つ青年は、そう言っているように見えた。
それが異形の精神の均衡を崩したのか、鬼達は一斉に地を蹴って走った。
鬼達が取り囲むよりも、跳ぶように走った青年が鬼の集団を襲撃する方が早かった。
鉄拳が機関銃の如く勢いで放たれ、大きく弧を描いた蹴りは断頭台の威力を伴い複数の鬼の身体を破壊した。
人間の赤ん坊や幼児程度の大きさのもの達が飛び掛かったが、蹴りや頭突きで破壊される。
異形相手に人の姿をしたものが、暴虐を振い続けるという異常な光景。
魔法少女である杏子には見慣れた光景でもあったが、素手で振う暴力として見るとこの光景は非現実感があった。
青年を背後から仕留めるべく、多数の異形が迫る。
鉄拳を振った虚無の横顔が、背後をちらりと見た。
そして、彼の右手が背後に流れた。
流れた時、黒々とした鬼達の姿は、水に溶けた墨汁の様に分かたれていた。
首が肩の肉をこびり付かせて地に落ちる。
筋肉が隆起した腕の先にある逞しい五指が握る、虚ろな形状に杏子は見覚えがあった。
「斧」
一言で済んだその言葉であったが、その形は詳細は異なれどこの数か月で嫌というほど眼にしてきたものだった。
サイズとしては大して大きくはなく、柄と刃の部分を合わせても杏子の槍の穂程度の大きさも無い。
あくまで手の延長、少し届かない先の敵を滅するための武器といったサイズだった。
だが青年の姿をしたそれが振るう斧は、明らかに刃の長さを上回る物体を切断し、砕き、千切っていく。
迫り来る影を、一網打尽に叩き伏せて斬り刻み続ける。
切り伏せられた絶望は既に百を軽く超え、先に滅ぼされた者らも含めれば更に数は莫大なものとなっている。
倒れた者達は絶望の黒い闇と戻り、再び鬼とはならなかった。
但し、絶望はそれで消えはしなかった。
形を失った者達は、黒い靄となって青年の周囲に渦となって纏わりついた。
怨恨と怨嗟を伝え、呪うように。
それらは青年の戦闘の余波に巻き込まれて霧散していく。
だが直ぐに、倒れた者達が後に続いて呪詛となる。
終わりのない殺戮には、絶えない憎悪が伴侶として寄り添っていた。
ああ、こいつは。と杏子は思った。
呪詛を浴びながら殺戮を続ける虚無の様子に、杏子はある事を確信していた。
こいつは、これを繰り返してきたのかと。
殺戮に次ぐ殺戮、闘争に次ぐ闘争、破壊の先には破壊があり、地獄の先にもまた新たな地獄が待つ。
魔法少女が吐き出していく絶望を糧に描かれる異界の光景は、その再現の戯画であると悟った。
少年の姿を取っている者から冗談半分に聞き出した事が、記憶と混ざって産み出された光景がこれなのだと。
それでもきっと、この光景は嘗てあった事であり、そして延々と続いていくことに違いないだろうと杏子は見た。
立ち塞がる者の全てを蹴散らし圧し潰しつつ。
果ての無い戦いを、飽きもせずに続けていく。
怨嗟の海と憎悪の沼に身を浸しながら、一歩も引かずに前へと進む。
何も救いがなく、そして求めるものも何もない。
破滅と退廃が織りなす世界だった。
その時頭頂から股間までを斧の一撃が一閃し、巨体の鬼を二つに裂いた。
そして動くものは絶えていた。
怨嗟の海に浮かぶ孤島の様に、虚無の青年は立っていた。
その輪郭は、視線を天に向けていた。
そこもまた闇が蟠っていた。
天に溜まった闇は、そこで新たな姿を取った。
杏子も空を見上げた。
闇が何かの形を成していくのは見えた。
だが、その形成は異常であった。
何が出来ているのか分からず、そして大きさの際限が存在していなかった。
絶望の闇は天を埋め尽くし、更にその奥まで分厚く層を成していった。
この光景が嘗て何処かであったものを再現しているとすれば、それはつまり、天空ないし世界そのものを敵に回したということか。
闘争の日々を送る魔法少女ですら、想像が付いていかなかった。
「…で、どうすんのさ」
杏子は聞いた。
心を苛まれながらも、答えが無いとしても聞かずにはいられなかった。
言葉を発して数秒、青年の姿を取った虚無は闇が広がる空の方向に向けて走った。
風を巻くような勢いで走り、飛翔する勢いで跳躍する。
魔法少女にも引けをとらない運動能力で行われたその様は、天に舞い上がる竜を思わせた。
飛翔した先で、青年の姿が消えた。
魔法少女の眼でも鮮明に映らぬ何かと、青年の姿が重なるところだけは見えた。
絶望の闇が広がる空の中に向けて飛ぶ、三つの虚無を感じた。
三つの虚無は一つに重なり、そして一つの巨大な虚無と化した。
杏子に向けて背を向けて飛翔する、その形には見覚えがあった。
絶望の闇を切り取る虚無の輪郭は、嘗て相棒が描いた落書きの中で見た、手足の生えた鉄塔の姿に似ていた。
猫の様な耳、または鬼の角の様なものが生えた頭部が妙に印象的だった。
「あの野郎…」
呻きながら、天へと挑む鋼鉄の虚無を見上げながら杏子は言葉を紡ぐ。
「見た目変わっても…今と全然変わってねえじゃねえか…イカレてやがる」
絶息の苦痛に苛まれながら、呆れの言葉を吐き出していく。
そこには、掠れた笑い声が伴っていた。
絶望を蹴散らす様に勇気を貰った訳でも、ましてや励まされたなどでもない。
ただ自分と比べた訳では無いが、これほど救いようのない存在がいた事には苦笑を抑えられなかった。
負の感情も相俟って、笑い声は陰鬱さを帯びて昏くなっていく。
魔法少女が嘲笑う中、飛翔する巨体は天に広がる絶望へと触れた。
光とも闇ともつかない、それこそ虚無の波濤が迸り、そして全てを飲み込んだ。