魔法少女きょうこ☆マギカ 流れ者達の平凡な日常(魔法少女まどか☆マギカシリーズ×新ゲッターロボ) 作:凡庸
深夜十二時と三十八分。
その日は平和な一日だった。
不愉快な訪問者も無く、獲物も身近で発生せず、そして何より同居人の顔を見ずに一日を終えられた。
魔女狩りに苦戦したらしく、そいつは今日一日微動だにせずに床に伏していた。
最低限の呼吸音だけを発して眠り続けるそれを放置し、杏子はソファに座りながら不気味な形状のテレビから流れる映像を楽しんでいた。
同居人の不愉快な友人、詰りは彼女が思うところの陰キャ雌ゴキブリが置いていった、出処不明のアニメの本編映像だった。
平和な時間を使い潰すように、飯を喰らい時折小用に出るなどをしつつそれを見続けていた。
劇場で公開中の物も付随しており、彼女はそれも一気に観た。
その結果として彼女は今、無類の寝苦しさに襲われていた。
魔法少女の凄惨な日々を送る杏子さえも息を吞む死闘、無数の会話と人間の持つ悍ましい悪意、精神の抑圧と解放。
少年の白濁した欲望、血みどろの地獄絵図、閉塞の拡散。
「くそっ…」
悪罵と共に杏子は起き上がった。
ソファに横たわるのではなく、座って項垂れるようにしたが睡魔は訪れなかった。
眼を閉じていても延々と繰り返される映像や架空の人物たちの言葉が、魔法少女の心を刻むように撫でる。
脳裏に最も色濃く浮かぶのは、孤軍奮闘の果てに尽きた少女の絶叫と苦悶、そして絶望と憎悪の表情だった。
架空の少女が纏った眩く輝く真紅は、今の杏子にとって悪夢を象徴する忌まわしい色となっていた。
項垂れた事で、彼女の髪は物理法則に従って前に垂れていた。
生まれ持った色であるし好きな色だが、今は髪に触れる気にもなれなかった。
それにしてもここ最近、妙に心が重い。
しかし何時の頃からかと思えば、その特定は出来なかった。
不愉快という言葉では表せない、汚泥の様な感情はここ数年来の彼女の伴侶であった。
ふと気配に気付いた。
顔を上げると垂れ下がった紅の沙幕の奥に、架空ではなく現実世界の悪夢がいた。
「ん…起こしちまったか」
距離はあるが、向き合うように配置されたソファに座る少年の姿が見えた。
黒い渦を宿した瞳は、廃教会の天井に向けられていた。
そこから眼を離し、彼は杏子を見た。
「ちょっと考え事しててよ」
「珍しい事もあるもんだね。単純生物の分際で、センチな気分になったのかよ」
不愉快な気分を言葉に乗せて、杏子は少年の言葉を迎え撃った。
「かもな」
彼は平然と返した。
罵詈雑言が混じる会話は、両者の日常でなんらも珍しくないからである。
「あの映画の事考えてたのか」
「よく分かったな。魔法でも使ったか?」
「テメェの考えなんざ、単純すぎて予測するまでもねえ」
髪をかき上げ、睨むように彼を見る。
不思議そうな顔つきで、ナガレは何やら考えていた。
「なんだよ、そのツラは」
「いやな、最後に残ったあの二人は仲良くなれたのかな…とちょっと気になっちまって」
「女に跨って首絞めなんざしくさる野郎と、どう仲良くなりゃいいのかね」
彼女の言葉は尤もだった。
やっぱそうだよなぁとナガレは言った。
架空の存在に、彼は心配を抱いているようだった。
内容が内容だけに、それは普通の事であるのだが、杏子はその様子にいらりと来るものを感じた。
心に抱いた感情を吐き出すか、少し考えて彼女は結論を出した。
吐き出して遣ろうと。
血に塗れた汚泥の様に。
「そういやこの前の首絞めは痛かったなァ…テメェの場合は、よりにもよってあたしの槍を使ってきたんだっけ」
弄ぶように杏子は言った。
肉食獣が瀕死の獲物を爪先で転がすように。
「首の骨が折れかけて酸欠で苦しむ女の顔は、そんなに見てて愉しいのかよ。ええ?」
「別に楽しかねえよ。あとそれは多節で絞めてやったやつか。結局、全然効いてなかったじゃねえか」
「あの後拘束振り解いてから一晩中殴り合ったんだよな。目が覚めたら血の海で二人して寝転がってたんだっけ」
「ああ。それで軽く拭ってからネカフェ直行してシャワー浴びたんだった」
「シャワー室とか更衣室を血塗れにして、よく出禁にならなかったよなぁ、あたしら」
「店員も慣れたんだろうよ。てか、お前そのぐらい掃除しとけよ」
「さぁね。誰の所為か知らねえけど、頭も身体も痛すぎて考えが廻らなくってねぇ。ま、その迷惑料も料金の内さ」
「ひっでぇ奴だな」
「加害者がほざくんじゃねえよ」
闘争開始の理由も定かではない破滅的な破壊と大迷惑行為について、事実を確認するような淡々な遣り取りで両者は続けた。
「で、何の話してたっけ。前に腐れピエロに犯されかけたの思い出して死にたくなったとか?」
「その話やめろ。っていうか珍しいな」
「何がさ」
「お前がそういうエロ絡みの話題振ってくるたぁな」
「そういう気分の時もあるのさ」
吐き捨てるように杏子は言った。
「ガキなんて別にいらねえってのに腹からはレバーみてぇにどろっとした血が出るし、出すだけじゃ嫌なのか知らねえけど妙に疼いてムラってする時とかもさ。ま、身体を持て余すのはあたしらの歳じゃ珍しくもねえだろ」
言いながら、自分でも不愉快になる卑しい言い方だとは自覚していた。
それでも心に溜まった何かを吐き出す快感を確かに感じていた。
それを自覚したことで更に心が掠れた。
傷を産めるように、彼女はそれを吐き出し続ける事にした。
「テメェ、外見だけは可愛いからな。見てて変な気分になったのかもね」
ああ、嫌だなと思うくらいに、魔法少女の顔は悪鬼じみたものになっていた。
表情のモデルは道化である事に気付いたが、自覚は後回しにすることにした。
今は眼の前の少年の心を刻む方が先だった。
後悔に自分の心を刻まれるのはその後でいい。
「それでもしさ。気の迷いでトチ狂ったあたしに組み伏せられたら、テメェはどうする?成すがままにされて、あたしに貪り喰われるかい?」
「さっきから黙って聞いてりゃ、口の減らねえ女だな」
不愉快さを隠そうともせず、ナガレは返した。
闇の中で瞳の中の渦は深さを増し、開いた口からは怒りの灯った熱い吐息が漏れた。
「寝不足か空腹のせいか知らねえけど、今日はやたら噛みつくじゃねえか」
「悔しかったら力づくであたしを黙らせて、モノにしてやるくらいの男気見せなよ。そんなツラでも男だろ」
「なんだお前。悩みでもあんのかよ」
「言葉を濁すんじゃねえ。まぁ、手を出す勇気もねえか。意味は違うけど、テメェはあの映画のクソガキ以下だな」
「女をブチのめして、その上で犯すのが勇気か」
彼が吐き捨てた言葉に、杏子は反論を即座に構築。
口も開いたが、そこで動きが止まった。
切り捨てるように言った彼の言葉が、杏子の意識を挫いていた。
「話が逸れ過ぎたな。まぁいいや、連中はあの後幸せを掴んだんだろうなって。そう思っとこ」
「どう解釈したらそうなるのかね」
敗北感に抗うように、回帰した話題に対して杏子は噛みついた。
「物語の終わりなんざ、全部ハッピーエンドってやつでいいのさ」
「幸せと程遠い奴が言うと、妙に説得力があるねぇ」
ケラケラと嘲り嗤う杏子に、まぁなと牙を見せた笑顔で返すナガレ。
焼けて尽きた、赤い大地の様な二人であった。
互いに感情移入を拒絶するような関係は最早、人間ではない何かを思わせる異形さがあった。
「にしても随分と気に入ってんだな、あのアニメ」
「ああ。自分でも不思議なんだけどよ、なんか何度も観ちまうんだよな」
「因みにさ。キャラクターだと誰が好きなんだい。ま、名前覚えてればの話だけどさァ」
「ぶっちぎりでアスカだな」
即答された名前に、杏子は歯軋りで応えた。
考え得る限りで、最も聞きたくない名前だった。
「ふうん…そうかい」
心底嫌そうに杏子は言った。
「やっぱあたしらは気が合わねえな。あたしはそいつが一番嫌いだ」
「へえ…そうかよ」
杏子と似た口調で返したことに、彼の苛立ちの発露が察せた。
針に喰いついたと杏子は思った。
「あたしがあの女を嫌いな理由とかは聞かねえのかい」
「聞いてどうするってんだよ。俺の気分が悪くなるだけだろうが」
「そいつはつまり、あたしには愉快ってこった。だから言ってやるよ」
「勝手にしろ。暇潰しに聞いて遣る」
ああ、愉しいなと杏子は昏い想いを抱いた。
自分でも嫌になるくらいに、そして狂おしく思える気分だった。
思うままに、蹂躙するように悪意を吐き出すというのは。
それが一切の気を遣う必要が無い相手で、それでいて気に喰わない相手であれば尚更だった。
切り刻んでも殴り続けても。
生きてるのが不思議なくらいにズタズタにしようが。
何度も立ち上がり、自分を破壊しに掛かる血みどろの悪鬼の様な少年は。
ナガレと言う名を与えた少年は彼女にとって最高の慰みものであり、いくら吐き出しても尽き果てぬ悪夢と憎悪の恰好の捌け口だった。
「女の腐ったみてぇな性格だから。強がってる癖にガキだから。クソの役にも立たねぇってのに、他人の評価ばかりを気にし腐ってやがるから」
立て板に水の如く、杏子はキャラクターへの憎悪を吐き続けた。
「心を覗かれたくらいで壊れちまったから。クソガキのズリネタにされたから。輪姦されるみてぇにグチャグチャと食われて負けたから。しかも潔く死にもせずに足掻き腐ったから。それも無意味に終わって漸くくたばったから」
喉の奥からは笑い声が漏れていた。
「最後は首絞められて、意味深な言葉吐いて、それで終わりって、もう最高にイカれてるじゃねえかよ」
身体を折り曲げ、笑いを堪えるようにしながら更に続ける。
「そもそもあいつ、戦い以前に、動けなくなるの、確定してたから勝負にも、なってねえんだよな、ピエロも、いいとこだ」
堪えきれずに言葉が途切れる。
真紅の瞳を宿した眼の端には涙すら浮かんでいた。
「ハァ…駄目だ、どうやっても笑えちまう。まぁ他にも腐るほどあるけど情報多くし過ぎてもテメェの脳味噌が限界だろうから、ここまでにしといてやらぁ」
「言う割に随分見てるじゃねえか。好きと嫌いってのは裏返しらしいな」
「…うぜぇな」
一転して冷え切った声で、切って捨てるように杏子が言った。
ゾッとするような響きであったが、
「図星だからって怒るなよ」
彼は平然と返した。
その様子に杏子の苛立ちは更に募った。
両者の間で、ぎんと空気が氷結した。
渦巻く漆黒の瞳が、闇を孕んだ真紅の瞳を切り刻むように眺める。
真紅が黒を穿つように睨みつける。
その状態のまま、両者は更に会話を重ねた。
「で、あのメスガキのどこが好きなのさ」
「生き様」
「テメェ、映画館で寝てるらしいな。無様な無駄死にだったじゃねえか」
「無様だろうがなんだろうが、あいつは最後の最後まで戦った」
「単純なヤロウだね。そこまでいくと思わず羨ましくなってくるよ。テメェ、悩みとか無さそうだしね」
「少なくとも絶望なんて言葉は俺の辞書には無いね」
「ほざくなよ、絶望の意味もしらねぇクセに」
けっと吐き出すように告げた杏子に、ナガレは何も言わなかった。
それが何故かは分からなかった。
それはさておきと、話を切り替えるように彼は口を開いた。
「あいつのあの真っ赤な闘争心てやつか。あいつが何で戦ってるのかとかは知らねえし、あの大暴れが自棄っぱちだったんだろうがなんだろうが、俺にはあの真っ赤な姿が眩しく見えたね」
「赤か」
言葉の中で頻出した単語を、杏子は呟いた。
「もしかして好きなのかい、赤が」
「ああ、色の中で一番好きだ」
ナガレは素直に告げた。
偽る理由も無いからだ。
「逆にここ最近で一番嫌いになった色は緑だな」
そう告げた彼の口調に、杏子は眉をひそませた。
異様な感覚を魔法少女は感じたのであった。
それは、今までに彼から受けたどんな気配とも異なっていた。
近いものは、魔斧を振り下ろす際に放たれる鬼気とでも云うような感覚だった。
まさかと彼女は思った。
あり得ないとその想いを握り潰した。
こんな奴に、自分が怯えたなどという事はあってはならない。
「ま、結構気持ち悪い色だからな、緑って」
「全くだ。得体の知れねえ感じがしてならねえや」
自分の考えを述べると、彼もまた同意した。
緑の物体は日常に溢れているし街中には緑髪の者も多いが、その色はよほど嫌いであるらしい。
「それでだ、まだ眠くならねえか?」
「寧ろ冴えちまったね。話がつまんな過ぎて」
「そいつは悪かったな」
何時の間にか、会話の調子は年少者同士のごく普通のものになっていた。
不気味な変容であった。
その変化には、この両者も気付いていた。
そして、その後に向かう先も。
先とは、破滅と地獄を意味していた。
「赤、好きなんだよな」
「ああ。正直言うとな、ずっと見てても飽きねえ」
思えばアレとの付き合いも長いしなと、彼は付け加えた。
そう言った彼の眼はどこか遠くを見ているようだった。
言葉の矛先が自分では無い事も、なんとなく杏子には分かっていた。
その様子が何かを誘発させた。
めらりと、彼女の内で何かが疼いた。
それは黒くエグく、そしてぎらついた真紅の欲望だった。
「そうか。そうかい」
言いながら、彼女は立ち上がった。
そして彼の元へと歩みながら、その身をゆっくりと真紅の光に浸した。
燃え尽きていく人体の様になりながら、紅い亡霊のように彼の元へと歩いてゆく。
ナガレもまた立ち上がり、闇の中で輝く真紅へと歩み寄る。
「なら今から存分に見せてやるよ。死にたくなるくれぇによ」
「望むところじゃねえか」
互いの呼吸音が分かるくらいの距離で、両者は歩みを止めた。
亡霊然とした姿を弾き飛ばしながら、佐倉杏子は魔法少女の姿へと変じた。
顕れた姿に、ナガレは美少女とも揶揄されるその顔には決して触れさせてはいけない表情を、それでいてこの上なく似合う獰悪な笑みを浮かべた。
「やっぱいいな。真紅ってな」
「ほざけ、ガキ」
邪悪としか思えない顔で嗤いながら、両者は向き合う。
もしもそれを見てしまったのなら。
狂いきった大狂人でさえも己という存在を喪失しそうな、凄絶な笑みが二人の顔に浮かんでいた。
「来な」
「来い」
招来の言葉を、魔法少女と少年は同時に言った。
その手には十字を頂いた真紅の槍と、邪な魂を宿す巨大な斧槍が握られていた。
それきり、言葉は絶えた。
闇の中、闘争に飢えた二体の獣が漆黒と真紅の瞳を輝かせている。
廃教会内で、真紅魔法少女が発する紅の光が乱舞し、まるでそれと舞い踊るように黒い靄が真紅と身を絡ませた。
そこに月光を抱いた一陣の風が吹いたとき、廃教会内からは二人の姿は消えていた。
撒かれた風には、光と共に魔なる者の力の残滓が宿っていたが、すぐに夢の様に消えた。
廃教会の中は月光と静謐に満ちた。
そして何処とも知れぬ異界では魔法少女と少年の怒号と剣戟が交わされ、互いの身から削られた血肉が、焼けて爛れ切った大地の一面に咲く紅の花の様に咲き誇っていた。