魔法少女きょうこ☆マギカ 流れ者達の平凡な日常(魔法少女まどか☆マギカシリーズ×新ゲッターロボ) 作:凡庸
月は黒雲の腕に抱かれ、星影も見えない闇の中。
その闇よりも更に濃い闇が満ちた廃協会の中には、闇以外のものがじんわりと拡がりつつあった。
原因はソファの上に投げ捨てられたピンクローターと、寝間着代わりに着ぐるみを着た佐倉杏子が手に握る、空想世界の赤い魔法少女が描かれたオナホール。
佐倉杏子の顔には虚無があった。
何も感じていないのではない。
内面から湧き上がる怒りと憎悪が、純粋な切なる想いにまで昇華され彼女から外見上の感情の発露を拭い去っていた。
それにどんな声を掛ければいいのか、ナガレも分からずに立ち尽くしている。
怯えは無く、彼女の行動に備えている。
そして、彼女は動いた。
右手で握る性の玩具が、一瞬にして無惨に握り潰された。
弾けるシリコンと潤滑用の粘液。
それが宙を舞った次の瞬間には消えていた。莫大な熱量を浴びて蒸発したのである。
廃教会の中で光と熱が乱舞していた。
眼が潰れかねない光量の白光は、揺らめく炎の形をしていた。
そしてその中に、少女の女体が描かれている。
纏われていた着ぐるみは一瞬で消失し、光と炎の贄となった。
それでいて、廃教会の地面や寝床、生活空間には一切の影響を与えていない。
物理法則を超えた現象は、魔法によるものである。
光と熱が弾けた。
その二つの力の落とし子として顕現したのは、十字槍を携えた真紅の魔法少女だった。
「殺す。呉キリカは殺す」
産声のように、佐倉杏子は無表情でそう言った。
まるで呼吸をするように、さもそれが当然の事柄であるように。
「殺す。百の残骸も残らねぇようにバラバラにして殺す。細胞の一辺迄焼き尽くして殺す。殺せなくても殺す。殺せるまで何度も殺す」
呪詛を呟きながら、廃教会を歩いていく。
教会の出入り口に近付いたとき、その歩みは止まった。
「どけ、クソガキ」
「悪いが通さねぇ」
室内よりは色が薄い闇が降り積もる世界への出口を遮り、ナガレが杏子の前に立ち塞がっていた。
既に牛の魔女を召喚し、巨大な斧槍として携えている。
「なんで?」
額に青筋を浮かべ、杏子は訊いた。
怒りに怒りが追加され、杏子の怒りはさらに一段階上のものとなっていた。
喰い付いたとナガレは思った。
それは怒りの矛先を、自分に向けられたという思いであった。
「お怒りは御尤もだがよ、ここ一週間であいつも色々あったんだよ」
本当に色々あったのである。
無敵と思われたキリカのメンタルにも深い傷があり、そして度し難くも自分への想いを抱いていると語っていた。
そうでなくとも、彼は杏子に立ち塞がったに違いないが。
自分の身近な魔法少女達は不死身もいいところであり、彼としても死ぬ姿が全く想像できない。
しかしそれでも今は、戦えば何方かが死にそうな予感がしていた。
「あっそぉ…色々、ねぇ」
軽蔑の視線を真紅の瞳に乗せて、杏子は言った。
次の瞬間、彼女の右手が振り切られていた。
ほぼ同時に金属音が生じ、衝撃が廃教会内に響く。
槍と斧が激突し、双方を弾いた。主たちも後退し、両者の距離が開く。
ポトン、という音を立てて、何かが床に落ちた。
槍を構えたままに杏子はそれを見た。
それは、槍穂が切り裂いたナガレの上着のポケットから落ちていた。
彼はそれを、意図的に落下させていた。
どの程度の効果があるかは不明だが、少なくとも嫌悪感を抱かせることは出来るだろうと思ったのである。
そして同時に彼はこうも思っていた。
本気ではないが、それでもその覚悟はしつつの思いであった。
『俺、死ぬかもな』
と。
床に落ちたのは、キリカの部屋で回収した避妊具の箱だった。
キリカの母が用意して娘の部屋に置き、しかも前以て全ての避妊具に孔を開けておくという狂気が施されたものだった。
捨てるタイミングを逸していて、結局ずっとポケットに入れたままになっていた。
ふぅぅぅうううううううううう…という音が廃教会内に生じた。
それは、杏子が長く息を吸った事による音だった。
そして。
「あいつの前に、テメェを殺してやるよ」
闇さえも忌避しそうな、獰悪で残忍な半月の笑み杏子を浮かべていた。
それは力の解放と、闘争への渇望と、そして憎悪の矛先を見つけた喜びに満ちた笑顔であった。
「死ねええええナガレぇぇええ!!!!!!!!!!!!!」
「来やがれ杏子ぉぉぉぉおおおおおお!!!!!!!!!!」
咆哮と共に、佐倉杏子は真紅の弾丸となってナガレへと飛翔した。
ナガレもまた怒号と共に彼女へ向かって床面を蹴った。
槍と斧が激突した瞬間、両者は異界へと誘われた。
現世が閉じるその瞬間にも、一瞬の間に激突し合う数十数百の剣戟の音が聴こえた。
遥か彼方で、その様子を眺める者がいた。
天に挑む様に聳えた鉄塔の頂点に腰かけた、白と黒の衣装を纏った少女であった。
春風のように微笑みながら、黄水晶の眼と口元には寂寥の哀しみが顕れていた。
自分は、あぁはなれない。
そう諦めつつ、それでも笑みの形が浮かんでいた。
それは、彼女なりの心境を表していた。
想いが届かないのなら、見守ろう。
黒雲の上にありながらも、僅かでも世界に光を届ける月のように。
まるでそう思っているかのように、呉キリカは微笑んでいた。
流れ者達の平凡な日常 番外編 流狼と錐花
終劇
「さて、呉キリカ君」
夜風を縫って、美しい声が鈴のように凛と鳴る。
「君に質問です」
呉キリカはそう言った。
自分自身に向けての問い掛けを。
電線が外され、無意味な遺物となった鉄塔の天辺近くに腰掛けながらの問いだった。
彼女が腰掛ける少し上。
地上四十メートルの頂点で左右に突き出た鉄の柱の組み合わせは、まるでネコ科動物の耳にも見えた。
「何故友人を、返してしまったのでしょうか」
その形に何かを感じつつ、キリカは問いを放った。
闇の中、彼女の顔が映っていた。
キリカが掲げた右手から生えた魔爪の刃部分を鏡とし、キリカは己の顔を見ていた。
「そ、そ、そ…それは…」
映ったキリカは言葉をどもらせ、困惑した顔で言葉を紡ぐ。
「ゆっくりでいいよ。嘗ての私。愛を知らず、愛を知って変わる前の憐れな私」
鏡の中の自分へとキリカは微笑む。
それを受け取り、嘗ての私と評されたキリカも、ぎこちないながらに笑みを浮かべる。
「それは…友人が、友達…だから」
「正解だ。よく出来ました」
ホッとした表情を見せ、嘗てのキリカが安堵する。
「そうだ。友人は友達だ。だから意見は尊重しなければならない」
言い聞かせるようにキリカは言う。
「だけど、我慢ならない事もある」
「うん…そうだね」
一人のキリカが互いに言い合う。
キリカは一人であるが、鏡と現実の中に一人ずついた。
それは単に鏡に映った自分であり、分かたれたわけではない。
しかし彼女の認識では、今の自分は他人同然の自分と話している気分だった。
鏡の中の自分もそう思っていると疑わない。
彼女が表情と口調を変える度に、当然ながら現実の彼女は二つの顔を見せる。
普段のものと、嘗てと称する者へと。
単純ながら、狂気を垣間見せる様相であった。
「友人は友達だ。だから家へと帰る」
「家っていうか…拠点、かな?」
「同じだよ。あいつの居場所はあそこなんだ」
「悔しい…ね」
「そうだね。でもそれ以上に」
「うん…アレだね」
「ああ、そうだ」
キリカ達が語り合う。
当然ながら思考は同じであり、想いも同一であった。
「あの感情を、私は友人に向けていない」
「うん。私は友人が好き。だから憎んでない」
「でもあいつは憎んでる。何故かはあいつも分かってないに違いないけど」
「多分…理由なんてないんだと思う」
「そうだ。あいつは憎みたくて憎んでる」
「そうしないと、あいつは自分で居られないんだろうね」
「自分の輪郭を掴めないか」
そう言った時、キリカは気付いた。というよりも再認識をした。
「私と同じか」
「そう、だね」
「何かに依存していないと自分を保てない」
「悲しい、ね」
「ああ。素晴らしいね」
「嬉しいね」
「虚しいね」
悲しみ、笑いながらキリカは続ける。
言葉の通り、自己分析に虚しさと嬉しさを同時に感じていた。
「そうだ。今の私には友人が必要だ」
「うん、必要」
「彼女の代わり、などではないけど」
その言葉には苦痛が滲んでいた。
彼女と言う存在が、キリカの心を貫き抉っているように。
「代わりなどとは、おこがましいが」
「そ、うだね。でも」
「ああ。今の私には友人が必要だ」
「どうして?」
「何故?」
「そんなの」
「分かり切ってる」
息を吐き、嘆くキリカ。
そして再び口を開く。
「今の私には、愛が必要だからだ」
血を吐く様にキリカは言った。
実際、彼女の唇は血に濡れていた。
八重歯が唇を貫き、出血させていた。
「友人は大切な友達であり、そして私の血肉を与えた我が子であり、その形を造る相方を担ったつがいも同然だ」
狂気の言葉を、キリカは唇を震わせながら告げていく。
言葉が口から零れる度に顔の苦痛が晴れていき、歓喜の色が美しい顔に滲んでいく。
「そして互いの身を切り刻む血みどろの戦いは、私に生と性を実感させてくれる。嗚呼、温かい友人。硬く、それでいて柔らかい友人。痛くて気持ち良い友人」
「恥ずかしい、けど…気持ち良くて、愉しい、よね」
「友人は優しいから、私がシたいと言えばシてくれる。前触れなく黙って刃を振って奇襲しても、ちゃんと対応してくれる。私が友人を殺しに掛かる様に、友人も私を殺すつもりで向き合ってくれる。私の命と魂を奪うべく戦ってくれる」
「嬉しいね」
「ああ、あんな奴に出逢えたのは奇跡だよ」
喜びのままにキリカは語る。
しかし一転し、その表情は曇った。
「でも、あいつはずっとここにはいない」
「そう、だね」
「あの場所は友人にとって仮の拠点に過ぎない。更に言えば、この世界はあいつにとって寄り道でしかない」
「だから、いつかお別れしなくちゃならないね」
「何時かは今じゃないのは分かる。でも、時は無限に有限だ」
「だから、何時かは何時か必ず来るんだね」
「別離の時が」
「ここに来たみたいに……流れていってしまうんだね」
「名は体を表す、そんな感じにね」
「悲しいね」
「ああ、哀しい」
「辛いね」
「想像するだけで、顔を掻き毟りたくなるよ」
「皮膚も目も、鼻も唇も」
「全部骨が見えるまで剥ぎ取って、喉も引き裂いて叫びたくなる」
「苦しくて、痛いね」
「当然さ。愛を喪うのだから」
「嫌だね、そんなの」
「ああ、嫌だ」
細い首ががくんと垂れ、豊かな胸に秀麗な顎が置かれた。
そしてキリカは喉を震わせ始めた。肩も小刻みに震えている。
彼との別れを憂い、啜り泣いているのだろう。
「は、はは」
いや、それは泣いているのではなかった。
「は、はははは」
嗤っていたのだ。
「はは、ははははははははははははははははは」
機械が同じ動作を繰り返すように、ただ笑いに相当する音が綴られていた。
それは暫く続き、不意に止んだ。
そして声が絶えた口が、裂けたように拡がった。
半月の形は全てを嘲笑うようにも、緩やかに微笑んでいるようにも見えた。
「だから君の存在を。我が内に縫い留めることにしたよ、友人。流れさせてなんかやるものか」
その時、風見野の夜に風が吹いていた。
風は黒雲を散らし、時折隙間を生じさせ、月光が地に降り注ぐ孔を作った。
その内の一つが、キリカの上空でも生じた。
青白い光が、黒い魔法少女の姿を照らした。
濡れ羽色の美しい黒髪、軽く抱いただけで砕けそうな細い肩。
華奢な身体に反して、呉キリカの女という性を大きく主張する双球。
どれもが美しい形状をもつ人体の形状を、月光が優しく照らしていた。
そして光は胸を撫でる様に照らして下降した。
異変は、そこで生じていた。
呉キリカの腹部を覆うのは、純白のレースである。
それは普段と変わらない。
変わっているのは、それが膨らみを帯びている事だった。
膨らみは豊かな胸のサイズを遥かに上回り、胸自体を押し上げるまでになっていた。
キリカの胸のすぐ下から下腹部に至るまでが、大きく膨らんでいる。
醜い肥満ではない。
内に何かを、生命を宿した女体が人体の構造に沿って膨らんだ、いわば愛の結晶とでも言うべき形となっていた。
月光が照らしたキリカの姿は、妊婦のそれ。
呉キリカは、妊娠していた。
しかも今にも生命を産み落としそうな、臨月の姿と化している。
光が照らすそれを、キリカは愛おしそうに見つめ、そして爪を解除した右手と左手で優しく撫で廻した。
腹を撫でる手に、少しだけ力を込めた。
ちゃぽんと言う音が、キリカには聞こえた気がした。
「ふふ…まるで中から蹴られたみたいだよ」
「うん…多分、きっとこんな感じなんだと思う」
鏡を用いず、キリカは自分自身と会話を始めた。
「ああ、感じるよ」
「うん…とっても」
優しい口調は、まさに慈母そのものだった。
「ああ、ここにいるんだね…友人」
慈母の口調で、淫らに蕩けた貌でキリカは言った。
「君が、君の血が…私の子宮に満ちている」
「お腹の中で、たぽたぽ、ちゃぷちゃぷって揺れてるね」
「うん。大事に大事に、友人からごくごくと飲んで溜めたからね」
「背骨の中、骨の中、私の中を走る血の中」
「魔法を使ったりもして、結構苦労したよね」
「友人と何度も戦って、私の血はかなり喪ったけど」
「友人の血は、一滴たりとも流していない」
狂気の言葉をキリカは語る。
美しい花を愛でる、無垢な少女のように。
「そして、私達は一つになる」
そう言ったキリカは、両手を下腹部に置いた。
そこは、膨らむ前の子宮が存在する場所の真上だった。
「ん…」
呻きと共に、手を伝って魔力が使用された。
それはキリカの衣服を抜け、皮膚に至って更に肉の中へと喰い込む様に伝っていく。
「あ…ああ…」
喘ぎのような声を上げるキリカ。
異変は直ぐに生じた。
膨らんでいたキリカの腹が少しずつ、身体に沈んでいくように体積を減らしていく。
「あっ…ああっ!」
護る様に腹を抱き締め、キリカの身体が震える。
その体勢のまま、キリカは動かなくなった。
そして数分が過ぎた。
ゆっくりと、キリカは両腕を腹から離した。
平坦となり、美しくくびれた腹が戻っていた。
数回ほど腹を撫でて元の形に戻った事を確かめると、キリカは右手を掲げた。
手首から魔力が迸り、キリカの右手から一本の魔爪が生えた。
爪の形状は湾曲した斧ではなく、直線を描いていた。
ナイフのような形の爪だった。
それをキリカは躊躇なく、自らの下腹部へと突き刺した。
僅かな苦鳴も上がらなかった。
むしろキリカの顔は、喜悦に輝いていた。
爪の先が強い弾力を捉えた。
慎重に刃を進ませ、その表面を切り裂いた。
するとキリカの血が溢れる傷口から、光が生じた。
青紫色の、闇のような光であった。
それを求めて、キリカは爪を抜き、代わりに繊手を傷に這入り込ませた。
肉をかき分け、それを掴んで引き抜いた。
「二度目だけれど」
顔の前に翳したそれに語り掛ける様に、キリカは言う。
「これで私達は、一つになった」
キリカが子宮から取り出したのは、青紫色に輝くダイヤ型の宝石だった。
彼女の魂の結晶、ソウルジェムである。
青紫の輝きの奥底に、赤黒い光が溜まっていた。
「嘗て友人は、私のこれを切り裂いた」
「投げられた斧で、ズバッとやられたね」
「幸いにして切り口が鮮やかに過ぎて、私は砕ける事は無かった」
「でも、すっごく苦しかった」
「ああ、今となっては愛おしい痛みだ」
朗らかに笑いながら、過去を反芻するキリカ。
「その傷から、君の血を吸わせてもらったよ…友人」
「お、お腹ごと子宮を切り裂いて、ソウルジェムを入れるのは…恥ずかしいけど、嬉しくて楽しかった」
「うん。友人との子供を作ってる気分だった」
「尊いね」
「萌えるね。激萌え」
「でも、お腹は萎んじゃったね」
「ああ。喪失感を感じるよ」
「本当の受精、したかったね」
「うん。またお腹を膨らませたいよ」
「卵巣まで血に浸っちゃったから、私の卵子は溺れちゃったのかもね」
「そうだね…悪い事したな」
「ごめんね」
「ごめんよ」
「ごめんね…私の卵細胞」
哀惜に満ちた言葉を、キリカは腹を抱き締めながら告げた。
言葉の通り、受精を果たせずにいずれ排出される運命にある自分の細胞に語り掛けているのだろう。
一時間はそうして動かずにいたが、やがてキリカは立ち上がった。
「辛いな」
「辛いね」
「でも、やるべきことを為さなければね」
「そう、だね」
「じゃ…行こうか」
「うん。行こう」
立ち上がるに留まらず、彼女は闇夜を飛翔した。
闇の黒よりも、彼女が纏った黒い衣装と魔力の方が色濃く闇を孕んでいた。
飛翔は落下に変わり、美しい姿は地面に吸い込まれていった。
しかし、彼女は地面に接触しなかった。
地面の上には奇妙な存在が出現していた。その場所には、月光が映し出されていた。
風は黒雲を吹き飛ばし、空に月を降臨させてた。
そして地面には、魔を纏った異界の入り口が開いてた。地面に生じていたのは、鏡の性質を持つ異界であった。
鏡の中を、呉キリカは落ちていく。
どこまでも、どこまでも。
しかしやがて、一つの場所に辿り着いた。
複数の鏡を巡り、風見野市まで進出を果たした鏡の世界。
その本拠地に、彼女はいた。
鏡を思わせる青が何処までも続く景色が、キリカの侵入の直後に不可思議な変容を遂げていく。
全てを白が覆い、霧までもが立ち込める。
その奥から、黒い影がキリカの元へと歩み寄っていった。
キリカはそれをじっと見た。
「さぁ、始めようか…私」
彼女の言葉は、正にその通りだった。
顕れたのは、呉キリカだった。
姿は寸分たがわず同じであったが、目元だけが闇で覆われたように暗かった。
そのキリカは、本物のキリカが自分を見たと知るや否やに駆け出した。
そして飛翔し、両腕を振り下ろした。
赤黒い波濤が発生し、地に立つキリカの元へと向かった。
「遅い」
そう告げたキリカは、偽物のキリカの背後にいた。
振り向くこともかなわず、偽キリカの全身を何かが貫いた。
それは、無数の斧が束ねられた触手であった。
偽キリカが身を捩った瞬間、触手が体内で暴れ狂い、彼女の身体を破裂させた。
肉から外された骨や内臓が乱舞し、血肉が雨となって降り注ぐ。
先に着地していたキリカは、全身でそれを浴びていた。
「これで私の心は私のものだ」
そう言ったキリカは、自分の胸の中で何かが変わるのを感じていた。
あの女によって呼び覚まされ、そして眠っていた存在が、完全に自らの力になったとキリカは確信した。
心臓の上に手を置きながら、キリカはそう思った。
そしてその思いを押し退け、熱い想いが彼女の胸を焼いた。
「いつかこんな感じに、君の事を奪ってやろう。君という存在を、私にものにしてあげる」
朗らかに、春風のように。
平凡な日常の一幕のように。
自らの複製の血肉で血深泥となった呉キリカは、眩い笑顔でそう言った。
生き物に根を張り肉を貫き血を啜るような、鋭い錐の根を持つ美しい花のような笑顔であった。
静かに私と寄り添って。
せめて君から得た血だけは何処にも行かないで。
魂の中で囀っていて。
そんな想いを込めて、キリカは先の言葉を発していた。
終劇
約二か月間、お付き合いいただき誠にありがとうございました