魔法少女きょうこ☆マギカ 流れ者達の平凡な日常(魔法少女まどか☆マギカシリーズ×新ゲッターロボ) 作:凡庸
崩れ落ちる佐倉杏子を、ナガレは両手で受け止めた。
軽い身体の重みを両手で受けた時、彼の身体がよろめいた。
体内に染み渡る異様な感覚は、熱であり冷気であり、そして痛みであった。
頭の中では吐き気と頭痛、そして腐敗に腐敗を重ねた汚物のような臭気が滞留している。
自意識が、自分と言う存在を喪失しかねない苦痛が彼の感覚の大半を占めていた。
彼は息を吐いた。鉛より重く、火のように熱い息を。
そして眼を閉じて数秒瞑目し、再び開いた。
その時には、体と心に満ちる負の感覚が消えていた。
正確には、強引に理性の奥に押し込めたのであった。
幸い言うべきか、不幸と見るべきか、彼はそういった感覚の対処に慣れていた。
杏子に肩を貸す形で抱えつつ、彼は世界を見渡した。
彼女が闇として見ていた周囲の様子は、未だに地獄の戦闘が継続されていた。
このあたりは認識の違いによるものだろう。
彼が穢れの捕食を行っている際、彼女の意識の殆どは彼へと向けられ、その他の事象が意識の彼方へと追い遣られていた。
それは彼も同じであり、今久々に彼は世界を認識していた。
嘗て自分がいた場所の光景を。
感覚的には、これは今いる世界に来る半年ほど前の出来事だと記憶している。
渦巻く視線が世界の果てを見ていた。
深紅の巨体に挑む、複数の光が見えた。
光の先頭には彼がいた。
その周囲には、三体の機影が見えた。
それらは------。
「ふっ」
それらから想いを逸らして自嘲気に笑う。それでいて不快さが無い小さな笑い声だった。彼は眼を閉じた。
そして今も半共生状態の魔女に命じて、背から悪魔を模した翼として放った。
魔翼は両者を夜の帳のように覆い、姿を霞ませていった。
周囲の感覚が消え失せていく中、左手で抱いた腰と触れた肌から伝わる杏子の体温と鼓動は最後まで残り、存在を主張し続けていた。
眼を開いた。
黒い瞳が血に塗れた壁面を視認し、鼻孔は酸鼻な香りを捉えた。
乾いた血と臓物の発する臭気が、彼の周囲に渦巻いていた。
仰向けに倒れていた姿勢を正そうと顎を引いたとき、顎先にこつんと何かが当たる。
見てみると、火のように紅い毛髪が見えた。
そして開いた口と、肉に突き立っている牙が。
佐倉杏子の横顔が見えた。顎に当ったのは、彼女の左頬だった。
牙のような八重歯が彼の皮膚に触れていたが、表面を押し込むだけで破壊に至ってはいなかった。
今の杏子は魔法少女姿ではなく、普段のパーカーにホットパンツにといった私服姿となっている。
流石に疲れ果てたのか、魔法少女化が解除されたらしい。
強化を喪った体では、彼の頑丈な肉体に傷一つ与えられないのも道理であった。
開いた口から溢れた唾液に塗れた喉から杏子の口を丁寧に外し、呼び出した牛の魔女から取り出したハンカチで彼女の顔を拭う。
垂れ流されていた唾液と鼻水、そして涙を拭い魔女が捕食に用いる斧の中央の孔の中へと投じる。
嫌がっていないあたり、その程度までなら餌食として無問題であるらしい。
動かぬ杏子を抱えて周囲を見る。
血の海の中に沈む二人の魔法少女を彼は見た。
一人は呉キリカ、もう一人は朱音麻衣である。
両者も精魂尽き果てており、意識は喪失し魔法少女衣装ではなく私服姿だった。
治癒は自分でしたらしく、両者ともに血に汚れてはいたが美しい素肌が戻っている。
乾いた血で張り付いた頬を床から静かに離し、杏子に施したのと同じように顔を拭く。
そしてキリカを背負い、左手に麻衣を抱えて杏子のパーカーの襟を噛んで宙吊りにする。
酷い状況なのは分かっているが、手を全て使えなくするのを防ぐ為だった。
背負った感触からすると、また下着を付けてないようだ。
体格に反して巨大な乳房がぐにゃりと彼の背で潰れ、腰に当るキリカの下腹部も距離が近い。
三人を抱える彼の身体が揺れた。
重さにして約130キロ程度のものを抱えた程度では、彼の身体は小動もしない。
またキリカからの精神汚染でもない。
彼の心には喰い尽くした穢れが溜まり、また肉体は極限の疲労に苛まれていた。
それが彼が踏み出した一歩を揺るがしたのだ。
されど転倒もせず、そして停滞もしない。
狂気も苦痛も、彼の歩みを止めることなど出来はしない。
これまでそうだったように、これからもそうなのである。
一人を抱えて一人を背に担ぎ、一人を咥えながら彼は歩く。
歩きざま、血で塗りたくられた壁面が静かに崩壊を始めた。
異界の兵器を模した魔の残骸は、主の意識の喪失と共に滅びを始めたようだった。
いや、それだけではなく、その者に汚染されたこの異界そのものが。
残された時間はあまりなく、彼は歩みから走りに、そして疾走に変えた。
走りながら、彼は壁面に埋まる何かを見た。
目線の高さ程度の場所に、機械の端末が埋没しているのが見えた。
彼はすれ違いざま、それに手を伸ばして剥ぎ取った。
呉キリカ曰くの「名無しの人工知能」である。
また面倒を起こさないように、との思いでそれを剥がし、魔女の中へと放り込む。
そして彼は、崩壊した壁面から外を見た。
紅に染まった異界が、異形の槍で出来た樹木の群れが崩壊していく様が見えた。
その中で彼は周囲を見渡し、気配を探った。
五秒ほど探し、彼は奥歯を噛み締めた。
自分が今咥えた存在と同じ気配は、世界の何処にも無かった。
それを悟ると、彼は虚空へと跳んだ。
宙に身を躍らせた彼の肩から、キリカの身体を器用に避けて黒い波濤が迸った。
魔女が変化した悪魔翼が開き、その主と魔法少女達を包み込む。
「さぁ」
闇に包まれながら、彼は呟いた。
そして翼の内に魔女は結界を開き、それを別の場所へと繋いだ。
「帰るか」
闇がその声を包み込み、魔女は主の願いを叶えた。
この直後、紅に染まった鏡の世界は消滅した。
「…くっ」
深夜の三時、風見野の廃教会。
鏡の世界に赴いたのは前日の同時刻であり、丸一日が経過していた。
ソファに仰向けに横たわるナガレは口から小さな苦鳴を放っていた。
崩壊する異界から廃教会に戻って約二時間が経過していた。
その間にキリカと麻衣は目を覚まし、
「ばいばい、友人。中々楽しかったよ」
「ではお休み、ナガレ。今日のところは大人しく帰るとしよう」
と彼に告げ、同族の二人は互いの顔を見もせずに逆の方向へ歩いていった。
両者ともに疲弊していたが、廃教会内にもストックしてあるグリーフシードで浄化をすると戦闘可能な程度には回復していた。
おっぱじめられたら厄介だなという彼の心配は杞憂に終わった。
ヤバいと思わず厄介と評する辺り、彼もまた大概であった。
帰宅していく二人を見送ると、彼はソファに倒れた。
さしもの彼も、今回ばかりは疲労困憊に陥っていた。
心は折れておらず、意識もはっきりしているが、それゆえに苦痛も大きかった。
グリーフシードを噛み砕いたときとは比較にならない負の感情の波濤が、佐倉杏子の中に蓄積した異形の闇が彼の心を喰わんと牙を立てる。
彼はそれと、今も戦っているのであった。
襲い来る懊悩と倦怠感、そして運命を呪う憎悪を彼は自らの心を刃と化して振りかざして切り刻み、自分の中に取り込んでいった。
少なくともそんなイメージで、彼は杏子から貪り食った穢れと向き合っていた。
それが二時間ほど続いていた。
慣れてはきたが、苦痛は続いている。
「あいつ…」
喉の中で、唸る様にその言葉を転がす。
彼は何を想い、そう口にしたのだろうか。寝ながら顔を動かし、黒い瞳が一点を見つめる。
視線の先には、自分と同じくソファに横たわる杏子がいた。言うまでも無く、あいつと呼ばれた存在は彼女である。
彼女は先の二人と異なり、まだ眼を閉じたままだった。
自分の苦痛はどうでもよく、彼は彼女の事が気がかりだった。
穢れは食い尽くしたとはいえ、目を覚まさなければ意味はない。
どうしたものかと思っていたが、どうにもいい考えが思い浮かばない。
今は待つしか出来なそうだと思った。
そしてもしもこのままであるのなら、もう一度神浜に赴いているかと。
以前キリカから聞いた「調整屋」なる存在を頼ってみようと。
そう思った彼の視線の先で、当の杏子がむくりと身体を起こした。
安堵はしたが、驚きは少なかった。
彼女の強さは、彼女の穢れを貪り食い、そしてその苦痛に今苛まれている彼がある意味一番よく知っている。
「起きてるかい」
開口一番、彼女はそう言った。
「ああ」
彼もまた起き上がり、彼女に向かい合うように座りながら返した。極力苦痛を表に出さぬように努めたが、自身は無かった。
そうかい、と杏子もまたナガレを見つつ言った。
しばしの沈黙が二人の間を繋いだ。
ふぅ、と杏子は息を吐いた。
何かを決心したかのように。
「一度しか言わねぇからよく聞けよ」
そう言うや立ち上がり、彼に向って歩き始めた。そして彼の手前数メートルの辺りで右手を掲げ、絡ませた指先をパチンと鳴らした。
廃教会内に響くスナップ音。
それと同時に、紅い光が彼女の体表を掠めた。
そして変化が生じた。
紅い髪を束ねる黒いリボンが消え、髪が美しい滝のように彼女の膝裏近くまで垂れ下がった。
緑色のパーカーと黒いシャツ、ホットパンツにブーツが消え失せた。
その代わりに、黒いドレスが少女の身体を包んだ。
青く輝く月光を浴び、オーロラのように輝く薄い黒布の内側には華奢で美しい女体が透けて見えた。
女体を隅々まで見せつける様に、裸体の上を薄い布で覆った杏子は裸足のままに歩を進めてナガレの前へ立った。
「抱け。あたしを」
氷のように冷たい声色で、されど欲に濡れそぼった熱い吐息を伴いながら。
佐倉杏子はそう言った。