魔法少女きょうこ☆マギカ 流れ者達の平凡な日常(魔法少女まどか☆マギカシリーズ×新ゲッターロボ) 作:凡庸
廃ビルのいちフロアの一角で、血潮の香りが漂っていた。
黒い長髪の少女が握るのは、刃渡り一メートルに達する細く長い刃。
それが水平に傾けられ、台の上に置かれたものに宛がわれる。
銀の光を発する刃がそれに触れると、何の抵抗も無いかのように刃が通った。
骨に沿って刃は進み、丁寧に肉が切り取られる。
新鮮な肉と血の臭気がさっと広がった。
斬り分けられた肉が更に切り取られ、骨に付いた肉が削がれていく。
そして。
「できたよー!」
快活な少女の声。
少女は手に大皿を器用に幾つも載せていた。
大きな机の上にそれらが手際よく並べられていく。
「うわぁ……」
それを見る者達は感嘆の声を上げていた。
私服姿のナガレと杏子、そして何故か魔法少女服のままのキリカである。
三人の前には先の通り大皿が並べられていた。
そしてその上にあるのは、宝石の如く輝く赤い切り身が用いられた料理だった。
爽やかな香りを漂わせるカルパッチョ、刻んだ刺身に卵を落としたユッケ、鮮やかな白い脂肪を見せているトロを使った握り寿司。
口直し用のガリやサラダまでが用意され、眼玉を入れたあら汁や熱いお茶も完備されている。
料理を並べると、かずみは上機嫌な様子で作業場へと戻った。
食事のスペースから少し離れた場所にキッチンが用意され、その区画は揺らめく薄い膜で覆われていた。
キッチンの中では、かずみ以外にも作業者がいた。
直立した牛を模した外見の異形、牛の魔女が魔女結界の応用で発生させた膜(調理の匂いを外に出さない為だろう)の中で、本体である斧槍を義体で包丁として扱いマグロを解体していた。
キッチンに設けた大きな台の上には、まだ四尾の大きなマグロが横たわっている。
大きさで見れば、長大な斧槍にも負けてはいない。
巨体相応に巨大な頭部の兜焼きを作りながら、かずみは二尾目の解体を始めた。
黒い峰の長い刃を軽々と扱い、マグロの巨体が瞬く間に解体されていく。
三人もまた料理を口に運んだ。
瞬間、三人は味覚を感じる生命体として生まれた事と、料理人であるかずみとついでに牛の魔女、そして命を捧げてくれたマグロに感謝した。
数分で料理が空になり、次の皿がドンと置かれた。
口先を天井に向けて聳える兜焼き、追加の寿司に竜田揚げが並ぶ。
迫力満点の料理を前に息を呑みつつ、三人は挑む様に料理を手に取り食べ始めた。
『これはお前の仕業かい?』
兜焼きから抉った眼玉を食べつつ、杏子は向かい側に座るキリカに思念で尋ねた。
恋敵、というか彼女の認識としては害虫に相当するキリカ相手の声色は大分穏やかだった。
美味な料理で満たされていく感覚に、杏子の気も緩んでいるのだろう。
『そうだよー。君らがイチャイチャしてる間に海にザブンと潜ってザバーって泳いでガシって捕まえてきたのさ』
キリカは答えた。
だろうな、というかそれしか考えられなかったが異常な行為である。
『どうやって海まで行った?時間が合わねぇぞ』
『この街にもあるミラーズ結界の応用さ。あれは色んなトコに通じてるから、結界の中を乗り継ぐ感じに移動したんだよ』
『それで海が近いとこの結界まで行ったってか。便利って言うか不穏だね』
そこまで言ってから、兜焼きの頭部をナイフで切り裂いた。
垂れてきた脳味噌を抉り、スプーンで掻き出す。
珍味の独占はせずに三人分の皿に乗せ、配っているところが妙に生真面目である。
『ちなみにその海ってのは、神浜のあたりかい?』
『ふふん。聞いて驚くがいい、マグロの名産地として有名な大間の海さ』
『青森かよ。ミラーズは精々ここら辺だけかと思ってたけど、下手すりゃ日本全国にありやがるのか』
会話している間にも料理が追加される。
今度も寿司だが、表面が焙られ脂が香ばしい匂いを上げていた。
薄い白色となった肉の表面には、小指の先程度の大きさに切られたカボスが乗せられていた。
口に運ぶと、焼けた脂の味と爽やかな柑橘の組み合わせが実に美味だった。
『にしてもお前、よくこんなに捕まえてきたな』
思念の会話にナガレも参加する。
多少離れてはいても、牛の魔女とは半共生状態ゆえに彼も思念が使えていた。
『君を補足して斬撃を浴びせたり、ぎゅって抱き締めて骨をベキベキに折るよりはずっと簡単さ』
あら汁を啜りながらキリカは答えた。
その際、ナガレと杏子はキリカの細首に海藻が巻かれている事に気が付いた。
海を泳いで獲ってきた、という行為の演出なのだろうと二人は思った。
キリカの発言は物騒だが、ナガレは特にそれを不思議には思わない。
言葉としては事実だし、自分の事をキリカが評価している事でもあると認識している。
問題は、それを聞いた杏子であった。
『キリカ、テメェは食事時だってのに発情し腐ってやがんのか』
杏子が呆れた思念を送る。
ナガレは一瞬、箸の動きを止めた。因みに彼の座席は向かい合って座る杏子とキリカの真ん中に位置している。
二人の暴発を止める裁定者であり監視者である為に。
故に、口論からは逃げられないのであった。
『何だい佐倉杏子、嫉妬かい?』
キリカは杏子の指摘を否定しなかった。
彼と繰り広げる戦闘、というか行為の全てを性的及び愛情表現と見做しているからだ。
ナガレは喉が焼けるような熱いお茶を飲んだ。
自分を好いてくれてるのはいいのだが、女二人の間で交わされる異様な雰囲気に胃の奥底が凝り固まったような感覚を覚えたのである。
『あぁそうだよ!悪いか!』
杏子は肉体では美味そうに寿司を食べながら、一方の精神では激昂した。
器用に過ぎる挙動であった。
『悪くはないよ。私と君の仲じゃないか』
『はっ、どの口が言いやがる。あたしとテメェの間にゃ何もありゃしないよ』
『あるよ。憎悪とか殺意とかそういうのだよ』
キリカは平然と言った。
空には太陽があり、世界は空気で満ちている。
そんな常識を語る様な口調だった。
実際そうなのだろう。
杏子とキリカの間には、常に空気や重力同様に憎悪と殺意が飛び交っている。
『ふざけろ』
兜焼きを切り分けながら杏子が返す。
キリカの分も用意し、それでいて肉の量は変わらないのだから律儀な物だった。
『ありがとさん。にしてもまたそうやって誤魔化す……本当は私みたいにもっと素直になりたいと思ってる癖に』
マグロの頬肉を齧りながらキリカは杏子をなじる。
杏子の愛情表現も大概だが、キリカからしたらまだ甘いらしい。
その判断基準はキリカにしか分からないし、人類が分かってはいけない領域なのだろう。
『…痛ぇとこつきやがるじゃねえか』
そして杏子もそれを認めていた。
暇があればナガレと唇を重ねて一方的に身を絡め、愛欲に胎の奥を疼かせながら血みどろの殺し合いを演じているというのに彼女としてはまだ上があると思っている。
呉キリカがナガレと繰り広げた、一週間以上にも上るあの度し難い日々の記憶を叩き付けられたのなら、仕方ないのかもしれないが。
『だから前にも言ったじゃないか。友人は色々と強過ぎて一人じゃ勝てないから、一緒に同盟組んで対抗しようと』
『…そういや、そうだったな』
今の今まで、杏子はそれを忘れていた。
ソウルジェムを双樹に奪われたということで、すっかり失念していたのだった。
しかし彼女のソウルジェムは杏子も気付かない内に距離の制限が消失し、同じ場所に囚われているせいか無限延長の相乗りで身体を動かしているキリカの現状と相俟って、嘗ての約定を思い出していた。
状況が異常に異常を重なっており、色恋沙汰は今気にする事ではないと思うのだが、この連中は欲望に素直に過ぎていた。
『だから君一人で抱え込むんじゃないよ。一人よりも二人の方が強いに決まってる』
『………そうだな』
渋々と杏子は同意した。
そして視線を逸らした。真紅の瞳は、黒髪の少年に向けられている。
視線に宿るのは、依存心と愛欲、そして闘志という混沌。
キリカもまた彼を見ていた。黄水晶の瞳に感情の揺らぎはない。
狂気を越えた狂気が、呉キリカの正気だからである。
『いいから黙って飯喰えよ』
悍ましい感情を向けられるナガレは、小皿に醤油を垂らしながら二人の視線に思念で返した。
思念の声色には動揺の欠片も無い。
杏子は『ハイハイ』と返した。彼の精神の頑強さを、改めて思い知らされたのだった。
一方でキリカは首を傾げていた。
静かに食事してるのに、友人ってば変なの。
というのがキリカの見解であった。
口では言葉を発しておらず、肉体の行動は食事に真摯に向き合っているのだから彼女の見解も間違ってはいない。
不思議だなぁと思いながらキリカはサラダを食べ始めた。
今の今まで気付かなかったのか、首に巻かれていた海藻もついでにちゅるちゅると啜っていく。
その様子に、杏子は不覚にも可愛いと思ってしまった。
外見で見れば、呉キリカは類稀に過ぎる美少女だった。
間抜けに見える一動作ですら、夜の輝きが凝縮された宝石のように美しい。
「まだ食べられるー?」
キッチンからかずみの声が届いた。
三人は空いている方の手を伸ばし、サムズアップをして返した。
仲が良いのか悪いのか、は兎も角息が合った連中である。
その応答に、かずみは輝く笑顔と同じようなサムズアップで返した。
既に一尾が平らげられている。二尾目も半分近くが料理に変えられている。
残りの二尾も、喰い尽くされるのは時間の問題だろう。