魔法少女きょうこ☆マギカ 流れ者達の平凡な日常(魔法少女まどか☆マギカシリーズ×新ゲッターロボ)   作:凡庸

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少し遅れましたが、続きです。


プロローグ4 激突

「へぇ…」

 

叩き付けた槍から伝わる感触に、少女はそう漏らした。

 

「ただの人間がこれを止めるかい」

 

真紅眼には彼女の予想とは異なるものが映っていた。

先程の倍の力を込めた一撃は少年の頭を打ち据え、床に叩き伏せさせるはずだった。

それが、ゆらめく炎のような黒髪の手前で停止させられていた。

二本の手が槍の腹を挟み、進行を阻止していた。

 

「なら、てめぇは何だ?」

 

今度は少年が問う。

外見以上の幼さを印象付けるの声色だった。

言った本人の表情には、童顔を汚すような苦々しさが張り付いている。

 

「まるで自分は違うって言い方するじゃねえか」

 

そこで少女は少し驚いた。

少年の力が、槍を押し返し始めたのである。

 

「俺には人間のガキにしか見えねぇんだがよ」

 

眉間に小さな皺を刻みつつ、少女は少年の言葉を聞く。

人間という言葉がどこか、何故かは知らないが懐かしかった。

だがそれを押し潰し、怒りを沸き上がらせる。

生意気だ、と。

 

「…それがテメェの本気かい?」

 

力を込めつつ、少女は八重歯をちらつかせて嘲う。

同時に、睨み合う両者の顔に紅の光が這った。

それは、少女の胸に飾られた紅の宝石より出でていた。

 

少女の力に呼応するように、紅は輝きを増していく。

加算されていく力によって、押されていた槍が拮抗に戻る。

拮抗はやがて浸食に移り、少年をじりじりと追いやっていく。

両手を用いる少年に対し少女が己の槍に携えているのは、か細い右手のみであった。

 

「オラァ!!!」

 

怒号を挙げて少女が槍を横一文字に凪ぐ。

胸元に穂先を僅かに掠めさせつつ、少年は背後に跳んだ。

傍目にはどう見ても弾き飛ばされたようにしか見えなかったが、

飛ばした本人は「かわされた」と思っていた。

 

「へぇ、中々動けるじゃんか。何か習い事でもやってるのか?」

 

そう聞いたものの、まともな答えを期待してはいなかった。

どう考えても、正体は分かりきっている。

製法は知ったことではないが、自分を嫌うどこぞの連中が送り込んだ刺客だろうと。

そうでもしなければ、あの異常な腕力が成立する筈がない。

 

「ちと空手をね」

 

先程まで槍に触れていた手を二度三度と開閉させつつ、少年が返した。

折り曲げられるたびに、指の関節から岩を砕くような音が生じていた。

 

「…ふぅん、お習い事の戦いごっこか。

お気楽でいいよねえ。あたしらからすりゃ、あんなのはくだらねぇダンスさ」

 

心底バカにしたという様子で、挑発の意を込めて少女は言う。

こうすれば恐らく逆上して向かって来るか、或いはビビって動けなくなると踏んでいた。

返ってきたものは、そのどちらでも無かった。

 

「ああ」

 

予想もしない、同意の一言。

 

「俺もそう思ってた。だいぶ昔の事だけどよ」

 

空いた距離は約十メートル。

距離を挟んで見えた少年の顔には、不敵な笑みが貼り付いていた。

そこには少なくともその時には、多少の皮肉っぽさはあれど、微塵の怒りも無かった。

ただ、同意を表していただけだった。

純粋に驚き、どう反応すべきか少女は迷った。

迷った結果、最も楽な感情の発露に至らせるに決めた。

それは無論、怒りであった。

 

「……うざってぇ!!」

「あん?」

「うぜぇうぜえ!!テメェ、超うぜぇ!!!」

 

少女は一気に距離を詰め、槍の連打を少年に見舞う。

 

「どうしたクソガキ!あたしから情報吐かせてぇんだろ!?

ならもっと気合い入れやがれ!」

 

少女は真紅の暴風と化し、少年を更に後退させていく。

だが突きの際、少女は槍の先端から違和感を感じた。

切っ先が、狙いを定めた場所の僅かに隣に逸れている。

注視すれば、伸ばし切られる槍の穂に細い五指が一瞬であったが触れていた。

それに、柄からは微細な振動も伝わってくる。

信じがたいことに少年は槍の穂や柄を叩き、軌道を逸らしているのだった。

それにより生じた隙間を利用し回避行動を行うことで、彼は真紅の暴風をいなしていた。

 

少女の脳裏に不気味な感覚が霞む。

どうもこれは生半可な力を与えられたものでも、操られているものでもない。

持って生まれたもの、或いは鍛錬により身についた技量、

そうであるとしか思えなかった。

 

だが、限界はあった。

彼が人間の範疇を越えているような技量と腕力があったとしても、

少女は更にそれを上回っていた。

胸の宝玉が更に輝き、力を増した暴風が吹き荒れる。

回避や受け流しだけでは捌ききれず、掠めた個所からは鮮血が散った。

少年がちらりと向いた背後に、汚濁によって染みの出来た壁面があった。

もう背後には下がれない。

取るべき手段は横への退避か前進か。

悩む暇も気もなく、彼は後者を選択した。

ただし、

 

「…くそったれ」

 

と苦々しく呟きながら。

少女が踏み込み鋭い一撃を放った刹那、月光に映えた影は一つとなっていた。

 

重なったシルエットの内側で、少年の腕が少女の鳩尾に吸い込まれていた。

比喩ではない。

少女の柔らかい肉が、少年の右手に絡みついている。

奥に食い込む肉に巻き込まれた細い肋骨が砕ける感触がした。

 

前から後ろへと衝撃が突き抜け、少女の華奢な肉体が宙に舞う。

ポニーテールの紅の長髪が少女の動きによって、獣尾のように妖しく靡いていた。

 

掌底突きを放った少年の手には、柔肉を抉った感覚があった。

闘志以外の、嫌悪感にも似たものが少年の脳髄を焼いたが、同時に疑問も湧いた。

"引き抜き際"に、妙な感触があった。

肉に腕を追い出されるような、抉れた肉同士が即座に繋がっていくような。

 

「… んなもん……大して効かねぇよ。あたしらを…「魔法少女」を舐めんじゃねえ」

 

音もなく着地し、彼女が呟くように言う。

嘲りが七、強がりが三といった声色であった。

確かな激痛が、少女の感覚を蝕んでいた。

 

「……………魔法…………………少、女……?」

 

言葉を舌で転がすように少年は呟く。

意味を思い出そうとするような、そんな言い方だった。

彼にとって、未知の単語に過ぎていたらしい。

 

「ボサッとしてんじゃねえ!!」

 

再び、槍の暴風が少年を襲う。

頭の中に生じたノイズを打ち砕き、少年は迎撃に移る。

但し、攻めに転じるほどの隙間は存在せず、防戦一方となっていた。

 

「はっ、段々キツくなってきたかい?」

 

既に少年に与えられたダメージは回復したらしい。

対する少年には疲労が蓄積してきたか、動きが少しずつ鈍くなっている。

 

「こっちの攻撃はそれなりに受けれる。ま、そこそこ大したものだと思うよ」

 

少年の肩と脇腹に槍を掠めさせ、歪んだ笑顔で少女は続ける。

 

「でも、もういいだろ?勝てっこないって自分でも分かってるんだろ?」

 

これは彼女なりの勧告だった。

自分が疲れてきたというためもある。

先程の損傷は癒えたとは言え、あんなのをもう何発も喰らうのは御免だと。

そして、確認するように少年の眼を見据える。

そうやって睨みを利かせてやれば、二度と現れないだろうと思いつつ。

 

「……何だよ」

 

明らかな動揺を、少女は浮かべた。

 

「何だよ。その眼は」

 

新しい服のそこかしらに傷を作り、人間を越えた力を受け続けたために

幾つもの痣を両手に刻みながらも、 その眼は戦意と生命力に満ちていた。

むしろ、ぎらついた光は力を増している。

 

彼女の感覚は、そう捉えていた。

それを、少女は不気味に感じていた。

 

「あ?眼がどうしたって?」

 

対する少年に少女の意図は伝わっていなかった。

 

「テメェ、ホントに普通じゃねぇらしいな」

「てめぇもガキのくせにやるじゃねえか。少し効いたぜ」

 

無理を通して余裕を見せる姿に、腹が立つ。

脳髄が怒煮え繰り返る。

少年が持つ、何かに対して。

 

「あぁ、そうかい」

 

少女が槍の構えを解き、手を離す。

すると途端に、槍の輪郭が光に包まれた。

床に触れる前に、槍は細かな光の粒となって消滅していた。

 

「それが魔法ってやつか」

 

少しだけ驚いた、というような口調だった。

どこか、そういう現象に慣れている風があった。

先刻の、私服から戦衣への変化にもあまり驚いた様子は見られていなかった。

なら、これはどうだと、彼女は思った。

 

「あぁ。こいつもな」

 

少年の右頬を掠め、背後の空間から何かが突き出た。

赤い菱形を幾つもの繋ぎ会わせた鎖、とでも呼べそうな物体だった。

それが次々と出現し、少年の左右、上部を埋め尽くしていく。

あっという間に、少年の周囲に紅の檻が構築された。

 

「アミコミ・ケッカイ…っと」

 

コツリ、コツリと足音を立て、少女が檻に囲まれた少年に歩み寄る。

少年が肘鉄を檻に打ち込む。

彼女の言葉を借りればの「編み込まれた結界」は、

たゆみはしたものの割れはしなかった。

 

少年の逃げ場は無くなった。

だが彼は、少なくとも外見上は特に恐れた様子を見せず、たゆんだそれを眺めていた。

 

その様子もまた、彼女を苛つかせた。

何故、心が折れないのかと。

何故、ここまでやられておいて、どこか愉しげなのかと。

 

「そうか」

 

諦めたような口調だった。

自身の内で何かが急速に冷えていくのを、彼女は感じていた。

少年は、彼女の胸で輝く光の変化に気が付いた。

 

「もう、やっちまうしかねぇみてえだな」

 

呟きと同時に、少女が距離を一気に詰める。

眼前、全くその通りに、少女が少年の前にいた。

豊かな頭髪ごと、少年の頭を細い指が締め上げるようにして掴む。

何をするのかを察したのか、彼は奥歯を噛み締めた。

 

「地獄を、見やがれ!!!」

 

自らの記憶にこびりつく「地獄」の記憶を思念と化させて、

少女が少年に頭突きを見舞った。

肉体ではなく、心を壊すための一撃だった。

 

直後、肉と骨がかち合う激しい音が鳴った。

少女の僅かな膨らみを見せた胸に飾られた、

これもまた真紅の宝石には、汚泥のような濁りが産まれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

破壊された壁面から入り込んだ夜風が、少女の額を撫で上げる。

肌より下の肉の色を露出させた、小さな額に冷気が宿る。

 

「…くぁ……ぁ…」

 

苦鳴をこぼしつつ、少女が細い身体をよじらせる。

その姿は普段の服装、やや薄汚れてきた私服へと戻っていた。

 

苦痛に歪む顔に一筋の光が差す。

胸に飾られていた宝石と同じ色が、握られた手の内側から溢れている。

同時に額の傷の近くで、同色の燐光が湧き上がる。

 

蛍のように宙を揺らめき、鬼火のように輝くそれが傷口に触れた途端に、傷口が閉じた。

肉の裂け目の痕跡など、毛筋ほども残っていない。

 

出血は大したものではなく、また痛みも傷の消失と同時に消えた。

些細な量だが、流れ出た血液も補充されている。

外的な傷は、一瞬で完璧に修復されていた。

確かに、外側のものは。

 

「…ぁあ……うぅ………」

 

少女の苦痛は終わらなかった。

目は血走り、口腔からは唾液が止めどなく溢れている。

 

それらを垂らすまいと、右手の細い指達が口元を押さえる。

隙間から溢れる唾液を、彼女は必死になって啜った。

 

「……テメェ……」

 

気力を振り絞り、仰向けに倒れた少年を睨みながら少女が叫ぶように呟く。

粘つくような涙によって視界は歪み、

止めどなく涌き上がる吐き気によって意識が混濁していた。

 

 

視界と意識が途切れ途切れに交差し、現実と夢想が入れ替わるような感覚さえした。

その度に生じる、生きたまま脳を切り分けられるような痛みもまた、

彼女の意識を苛んでいく。

 

だが皮肉なことに、吐き気と頭痛が彼女の正気を保っていた。

精神を繋ぎ止める役割を、無数の苦痛が果たしている。

 

「……何…………を………」

 

押さえた右手の隙間からどろっとした唾液が滲み出し、

喉に絡まり、少女が激しく咳き込む。

濃縮された酸の匂いが鼻孔を突き、少女の顔を歪ませる。

細指が喉から上がってきた半固形物の感触を捉えると、彼女はそれを必死に呑み込んだ。

腐敗に近い臭気に抗い、再び体内に押し込ませる。

 

「くぁ…………あ、あたしに…………何を…………」

 

睨みながら、少女は床を這いずる。

少年とは別の方向へと。

それは、汚染からの退避だった。

肉体ではなく魂が、無理矢理に体を動かしていた。

 

「……み、せ…」

 

視線を外そうとした彼女の両目が限界近くまで見開かれる。

紅の瞳には、仰向けになった少年が、ゆっくりと上体を起こしている様が映っていた。

だらりと上半身をうなだらせ、細い左手が頭を軽く擦る。

彼の指先で、何かが砕けた。

塵のように砕け床面に落ちたのは、乾燥した血液だった。

彼もまた、額を割られていたようだ。

 

「…痛ぇ」

 

一呼吸置いて、多少ふらつきながらも立ち上がる。

当然、少年が少女を見下ろし、そちらは逆に見上げる形となる。

その姿に、少女の背筋が凍てついた。

 

月光が、闇の中に少年の姿を浮かび上がらせる。

細い四肢も胴にも、蒼白い光が映えている。

その中で、光の中で。

顔だけが、異様に暗い。

 

僅かな光の加減か、それとも意識が乱れているためか。

塗り潰されたかのように、若しくは闇で出来ているように、

少年は顔に暗澹たる翳りを宿していた。

 

その中で眼だけが、あのぎらついた光を帯びて爛々と輝いている。

それが、床を這いずる少女を見下ろしている。

 

右手がすっと伸び、少女の襟首のやや下を荒々しく掴み取る。

やや伸びていたパーカーに、少女の身体が吊るされた。

 

間髪入れずにその手首を、少女の細指が握り返す。

 

「…さ……わる……な……」

 

最早人外の力は奮えず、弱った少女の腕力となっている。

それでも必死に力を込めた。

自らが自壊せんばかりの力が細指の全てに込められる。

だが少女の力では、何の影響も与えられなかった。

僅かに、皮膚と骨との間を詰めたのみだった。

 

気にせず、彼は少女を引き摺っていく。

三歩ほど進んだ所で、少年が動きを止めた。

暗闇を宿した顔で輝く眼が、下方に向けられていた。

 

「腹壊すぞ」

 

少年の眼には、少女の後頭部が映っていた。

髪留めを兼ねた黒いリボンは、猫の耳に良く似ていた。

そして彼女は、彼の手に絡むように身を捻っていた。

彼の視界から隠れた箇所からは、

 

がり、ごりっ、ぶちっ

 

と、おぞましい音が鳴っていた。

鳴り続けていた。

 

肉が貫かれ、擂り潰される感覚が、そこから断続的に発生している。

人間の牙に当たる犬歯は、骨にまで達していた。

当然、そこからは生者の証たる血液が溢れ出し、

胃酸と唾液で穢れた彼女の口元を更に汚していく。

その様子は、獲物に喰らい付いた鰐のようだった。

或いは、人の姿をした紅色の巨大な猫か。

 

だが少年は再び歩き出した。

その歩調は、先程よりも早い。

寧ろ運搬物が固定されたのは、彼にとって都合が良かった。

 

「おい、着いたぞ」

 

不意に投げ掛けられた言葉に、少女の顎の力が緩む。

弛緩した一瞬を見計らい、彼は少女の身体を宙に放った。

投擲により、少女の牙が傷口からずるりと抜ける。

血液と唾液の糸が僅かな間、両者を結んでいた。

 

埃を巻き上げて、少女の身体が闇中に沈む。

祭壇の中央の、傷だらけの説教台の背後に、

隠れるようにして黒い合成皮のソファが設置されていた。

 

どこからか拾われてきたらしいそれは所々が破れ、スポンジと木片を晒している。

これが少女の寝蔵なのか、よく見れば食料品のゴミが周囲に堆積していた。

 

「……ぁぁ……ぅ…………」

 

多少なりとも落ち着いたのか、少女の鼓動が和らいでいく。

 

左手で手首を押さえ、少年は天井を見上げた。

正確には祭壇の頂きを。

 

天井の背骨である柱には、何かが擦れた跡があった。

歯形状に抉れた右手首に、何処からか取り出した包帯を巻き付けながら祭壇を降りていく。

純白の帯が見るみる内に赤に染まり、どす黒い色へと変わっていく。

 

歯を軋ませ、包帯を思い切りの力で絞る。

少し細くなった手首に更に包帯を巻いていく。

巻きつつ、二度と、三度と手を開閉させる。

手は主に従う動きをしたが、当の本人には不満げな表情が浮かんでいた。

 

「弱ぇ。それに、遅ぇ」

 

痛いではなく、弱く、遅いときた。

ため息ではなく憤りの鼻息を一つ小さく出して、彼は歩を進めた。

 

祭壇を降りきって暫く経った所で彼は停まった。

踏み降ろしかけた足が、床から数センチのところで停止している。

黒曜の瞳が、そこを見つめている。

 

床の場所と、そこに広がる僅かな色の違いに彼は気が付いた。

 

その傍らにも眼を這わせる。

"ぶつけられた"ものの正体に、彼は気付いた。

 

宙吊りの男、血に塗れて倒れる二人の女。

 

内の一人は、少女にも至らない、ほんの幼子。

それらの顔付きまで、あの一撃は教えてくれた。

彼と彼女らの外見的な特徴は、彼に傷を与えた少女にも備っていた。

 

「地獄か」

 

重々しく、その言葉を飲み干すように、彼は呟いた。

幻とでも言うように、脳内で広がる景色。

それには、赤い靄がかかっていた。

血のような霧が、地獄の幻影を彩っている。

 

彼女の言うところの【地獄】に対し、

唇を僅かに震わせて半ばまで開きつつも、遂には声にせず。

言葉になるはずだった空気を飲み干す。

 

その時の彼の眼は、宙吊りの神父の幻視へと向けられていた。

鋭さを増した眼に宿る感情が何かは、彼にしか分からない。

 

眼を進路上へと戻し、再び歩く。

その足取りは、今までよりも僅かに重い。

重々しく、自身の内側で沸き上がる物を潰すように、ゆっくりと歩いていく。

手首の出血や損傷など意に介さず。

苦痛や流血など、彼が歩を止める理由にはならない。

 

「邪魔したな」

 

振り返り、捧げられた贄の如く横たわる少女に、少年はそう告げた。

彼のいる場所は既に、教会の出口のすぐ側だった。

 

「あばよ」

 

妙に律儀なところがあるのか、別れの言葉を残した。

少なくとも、皮肉によるものではなかった。

 

その一言を拾い終えると、少女は意識を失った。

少女の手中には濃い藍色に濁った、紅の宝石があった。

丸い卵型をした宝石に、檻のような装飾が這っている。

 

苦痛が未だに続いているのか、少女の身体が震えた。

時折痙攣し、彼女を横たえらせるソファもまた揺れる。

それによってか、何かがソファより転がり落ちた。

 

床に落ちて、木面へと突き刺さる。

それは、黒色の卵だった。

 

頂点と直下に一本ずつ、針の様な突起が生え、

表面には、幾何学的な模様が刻まれている。

それでいて、どこか生物的な外見を備えていた。

模様は、浮き上がった血管にも似ていた。

 

そこに、また一つ。

また、もう一つ。

そして、また。

更に、そして、そして、更に、また。

 

それぞれが微妙に異なる細部を持った、大量の黒い卵が落ちてきた。

 

それらが、風も無く震えた。

それを機に、異変が始まった。

落ちてきた物から、順番に。

 

ただ、これを異変と表すのには語弊があった。

これが卵とすれば、至極自然な現象と言えるためである。

 

黒の一辺に、亀裂が走る。

 

闇色の欠片が、次々と弾け飛ぶ。

 

その内より、闇よりも濃い何かが外側を覗いた。

 

卵の自壊とは、孵化であることに他ならない。

 

少女の宝石は、闇の卵によく似ていた。

紅を穢す色もまた、卵が宿した闇に近い。

 

 

 

 

 




余談ですが、そろそろ新作映像が観たいものです(両方の元ネタに対して)。

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